3月26日:肺ガン早期発見のための低線量CT検査の頻度(3月18日Lancet Oncology掲載論文)
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3月26日:肺ガン早期発見のための低線量CT検査の頻度(3月18日Lancet Oncology掲載論文)

2016年3月26日
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   私が受けている定期検診のX線検査が低線量CTに変わってからもう5年以上になる。幸い何事もないが、お盆前後にかみさんと検診を受けるのが年中行事になっている。私も肺の医者をしていたことがあるので、やはりCT画像は鮮明で、あらゆるものが隠れることなく現れるという印象は強い。またこんな検査が、当たり前の定期検診に加えられていることは心強い。もちろんこれまでの研究で、喫煙経験のあるハイリスクグループの肺ガン早期診断に役立つことは証明されている。
  今日紹介するデューク大学・放射線部門からの論文は低線量CTを毎年受ける必要があるのか、あるいはどの程度の頻度で受ければいいのかを調べた論文で3月18日号のLancet Oncologyに掲載された。タイトルは「Lung cancer incidence and mortality in national lung screening trial participants who underwent low-dose CT prevalence screening: a retrospective cohort analysis of a randomized, multicenter, diagnostic screening trial (低線量CT検査スクリーニングを受けた全国肺検診の参加者の肺ガンの頻度と死亡率:無作為化他施設診断スクリーニング治験コホートの後ろ向き解析)」だ。
  正直なところ、これだけ優れた検査なら別に毎年受けて問題ないのではと思う。また、肺ガンも分子標的薬を用いる治療が進んでいるが、手術不能例を薬剤だけで完治させることは難しい。すなわち、早期発見は完治の鍵を担っている。だとすると、定期検診は欠かせないと思うのが普通だ。しかし、被曝やコストの問題から徹底的に調べ直すという気概には感心する。研究では低線量CT検査を1年ごとに3回受けてもらい、それぞれの検査を受けたことによる肺ガンの発見率の上昇、その結果としての生存率を算出し、3回続けて検査を受けることの効果を評価している。まず、これまでの研究結果と同じで、低線量CT検査自体の効果は高い。最初の検査が陰性だった集団でのその後3年の肺ガン発症率は、通常の頻度の半分に減る。しかし、最初の検査で陰性と判断された人が、次の年の検査で新たに肺ガンを見つけられるのは1万9千人中たった28人で、毎年検査する必要はないのではという結果だ。28人を多いと見るか、少ないと見るかは難しいところだが、データを詳しく見ると、2回目の検査で970人が新たに陽性と診断されて精密検査を受けている。このように偽陽性が多いと、社会的コストが上がることは問題かもしれない。
  いずれにせよ、このような詳しい調査を重ねた上で、リスクとベネフィットをバランスさせた早期発見プログラムが出来上がっていくのだろう。しかし、2年に1回という話になったりすると混乱しないだろうかとも思う。惰性で毎年受けると決めている今のままが私には向いているようだ。
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3月25日:正常と異常の間(3月21日号Nature Genetics掲載論文)

2016年3月25日
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   今デカルトの残した課題、すなわち2元論の克服から21世紀の科学の課題を整理してみようとしているが、その準備に、久しぶりにヘーゲルの精神現象論を手にとって読み始めた。まあ、ヘーゲル先生も主観と客観の分離として現れる2元論を克服する糸口を求めていろいろ苦労しているのはわかるが、成果は上がっていないようだ。特に、どうしても精神を後生説的に理解するため、彼の言う身体的自己の多様性が無視されているように感じる。21世紀、この身体的自己を代表してくれるのがゲノムだが、この多様性の認識が21世紀のスタートラインになるだろう。
  今日紹介するハーバード大学からの論文は、おそらくヘーゲル先生も感じていても、思想の軸にはおかなかった身体的自己の多様性と精神の関連を扱った論文で3月21日号Nature Geneticsに掲載されている。タイトルは「Genetic risk for autism spectrum disorders and neuropsychiatric variation in general population (自閉症スペクトラム障害と一般集団の神経精神的多様性の遺伝的リスク)」だ。
   だれにでも、苦手な人やなんとなく付き合いにくい人がいる。自分は正常と主張する立場をとると、そんな人は「ちょっとおかしい」ということになる。実際、小保方事件の当時、「ちょっとおかしい人を採用しないためのアドバイス」までいただいたことがある。しかし現代の成熟社会は、このような状態を後生的には変化できないneurodiversity、すなわち身体的自己の多様性として捉え、その人に最も合った一生を送ってもらう方向に舵が切られているようだ。この一般人の中の多様性を、はっきりと診断された自閉症の遺伝子多型と、性格テストで比べ、ゲノムの多型を反映する精神的性格の多様性と相関させようとしたのがこの研究だ。
  このような研究を可能にするのが、性格とゲノムを調べたコホート研究だが、この研究では1991−1992年に生まれた子供の性格面を追求したコホート研究を用いて、自閉症と確定診断された子供の性格テストと比較している。この結果、自閉症と関連が示されるゲノムの多型は一般人にも分布しており、多型が陽性だと、性格も自閉症型になるという結果が統計的に示されている。もちろん多型を持っていても、一般集団と自閉症集団は性格テストでほぼ完全に分けることができるが、それでも境界領域に分類される子供も多く、そこに自閉症型多型を持つ人たちが存在する。自閉症の原因として注目されている新しく発生した遺伝変異もについても調べ、この変異が一般人集団に分布しており、性格テストの点数と相関していることを示している。すなわち、自閉症から正常まで、切れ目なく多様な個人が分布しているという結果だ。
   要するに、正常と異常の境を引くことはできない。当然といえば当然だが、今後もっと詳しい性格テストがわかることで、自閉症だけでなく、我々が性格と読んでいる精神のあり方も理解できるだろう。ヘーゲルも真っ青だ。多くの人は今後もこの境界領域を「ちょっとおかしい人」として選別しようとするだろうが、私はneurodiversityとして捉え相対論的に考える立場を貫こうと思っている。
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3月24日:腸管のアミノ酸センサーと炎症(3月24日号Nature掲載論文)。

2016年3月24日
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  引退してもう3年になるが、分野を限らず論文を読むようになって最初に強い印象を受けたのが、1)CRISPR、2)光遺伝学、3)腸内細菌叢の3分野だ。最近染色体のトポロジーの研究なども目をみはるが、上位3分野は当分揺らぎそうもない。そう思っていたら、文科省が今年のクレスト領域として光遺伝学を選び、AMEDが腸内細菌叢を選んだのを知って驚いた。確かに、細菌叢と免疫の分野では世界をリードする研究者がいるが、細菌叢でも代謝となるとほとんど日本人の優れた論文に出会わない。光遺伝学も、ここでも紹介したように磁気を使った磁気遺伝学まで出てくる盛況だが、我が国は圧倒的に技術の消費国だ。それぞれの分野が成長を始め5年経った後から世界の潮流に追随する2番煎じの計画と言える。オートファジーや、ERストレスなど、我が国の研究者が開発した分野もあるのにと思うと、誰がどこでこのような決定をしているのか、もっと顔が見えるようにして欲しいと思う。また、どんな連中が選ばれるのか、どのような成果が出るか注目し、今後も意見を述べていきたいと思う。私の懸念が杞憂であることを望む。
   今日紹介するエモリー大学からの論文は腸内の炎症に関わるアミノ酸センサーについての研究で、腸内の炎症にオートファジーが関わることを示す研究で3月24日号のNatureに掲載された。タイトルは「The amino acid sensor GCN2 controls gut inflammation by inhibiting inflammasome activation (GCN2アミノ酸センサーがインフラマトゾーム活性化を阻害して腸内の炎症を抑える)」だ。
  この研究は最初から、細菌以外の腸内のストレスが炎症に及ぼす影響、特に低栄養などに関わるアミノ酸センサーの機能に絞って研究を行っている。まず、アミノ酸センサーGCN2の欠損したマウスに硫酸デキストランで腸内炎症を起こすと、欠損マウスでは炎症性のリンパ球の浸潤が強く、炎症が激烈になっていることを突き止める。この現象は、GCN2に特異的で、ERストレスに関わる分子をノックアウトされたマウスでは観察できない。このメカニズムを調べると、オートファジーがこの炎症増強に関わることを、様々なノックアウトマウスを用いて明らかにしている。すなわち、GCN2が欠損して、オートファジーが働かなくなり、ミトコンドリアでの活性酸素が上昇して、炎症が促進されることを明らかにした。最後に、GCN2が何に反応して炎症を抑えているか、餌の中のアミノ酸を変化させて調べると、低タンパク食や、ロイシンの欠損した餌を与えると、GCN2が活性化し、炎症が抑えられることが明らかになった。もし人間も同じメカニズムを使っているとすれば、腸内の炎症を抑える一つの栄養経路が明らかになったと言えるだろう。
  オートファジー恐るべし。
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3月23日:遺伝子診断は生活習慣改善につながるか?(The British Medical Journal 掲載論文:BMJ 2016;352:i1102 | doi: 10.1136/bmj.i1102)

2016年3月23日
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  我が国でもDTCサービス(個人用遺伝子診断サービス)が始まって、主に一塩基多型を元に様々な病気のリスク診断が行われるようになった。このサービスは、ほとんどの場合リスク診断という意味で受け取られており、また提供する方も、遺伝子検査からリスクを算定して、生活習慣を変えて病気が予防できると宣伝している。しかし、自分でお金を払ってDTCサービスを受けた顧客が、その後さらに健康意識を高めて生活するようになるかどうか、各社もあの手この手で調べようと努力しているが、簡単ではない。
   今日紹介するケンブリッジ大学からの論文は遺伝子検査によるリスク判定では生活改善を促すほどのインパクトにならないことを示す調査研究で、英国医学雑誌に掲載された。タイトルは「The impact of communicating genetic risk of disease on risk reducing health behaviour: systematic view with metananalysis (遺伝子検査によるリスクを教えることがリスクを減らすための生活改善に与える影響:メタ解析を用いた総合的再調査)」だ。
   研究ではこれまで遺伝子リスクを伝えることが生活改善努力につながったかどうかを調べた18編の論文を選び出し、ここで記載されたデータを詳しく調べなおしている。この中には、遺伝子リスクと禁煙行動を調べた我が国の研究も含まれている。この18の論文を見てみると、ほとんどは特定の病気に関する遺伝子リスクで、一般に行われている様々な疾患リスクを同時に予測するDTCサービスではない。例えば我が国の研究では、L-mycという直接肺ガンに関する遺伝子の多型を調べ、そのリスクが禁煙につながるかの調査を行っている。それぞれの論文で対象にしている疾患は異なっており、調べられた行動変化も、1)禁煙、2)アルツハイマー病のリスクに基づくビタミン剤の服薬、3)アルコール摂取、4)紫外線防御行動、5)ダイエット、6)運動、7)サポートプログラムへの参加、と多岐にわたっている。
  結論は簡単で、すべての項目で、遺伝子検査だけでは人は動かないことを示した残念な結果だ。一方、ApoEが上昇していることを具体的に示された患者さんは、かなりの人が健康薬を常用するようになり、健康に気をつけるようになるようだ。
   この結果の背景にある人間の心理については今後よく検討することが必要だろう。DTCは現在2−3万円前後で販売されているが、提供企業にすれば受けてくれた顧客と長い付き合いをして、様々な有料サービスを受けてもらって初めて投資に見合うだけの利益が上がるようになっていると思う。ところが、多くの人が遺伝子検査の結果にほとんど影響されないとすると、このビジネスモデルは成り立たなくなる。また、全ゲノム検査が安価に提供される日が1日1日と迫っている。最初に設定したものとは異なる新しい出口を示す必要が出てくるだろう。
  私は全ゲノム解読が現在の価格の半分になれば、ぜひ多くの人が検査を受けて欲しいと思っている。この時、リスク判定など役にたつという考えで検査を受けてもらうようでは、普及しないだろう。ゲノム解読を21世紀を象徴する文化として推進する新しいアイデアが必要だ。
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3月22日:黄体ホルモンの第2の役割(3月18日号Scienceオンライン版掲載論文)

2016年3月22日
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   プロゲステロン(黄体ホルモン)というと、排卵後の卵胞が変化した黄体から分泌され、子宮を着床可能な状態に誘導するホルモンで、典型的女性ホルモンの一つだ。しかしこのホルモンは細胞に働きかける2種類のルートを持っていることをこの論文を読んで初めて知った。
  今日紹介するカリフォルニア大学バークレイ校からの論文は、プロゲステロンが、遺伝子の転写を直接調節する核内受容体以外にもう一つの受容体を通して反応の早いシグナルを誘導することを精子の活性化をモデルとして示した研究で、8月18日Scienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Unconventional endocannabinoid signaling governs sperm activation via sex hormone progesterone (性ホルモンであるプロゲステロンを介した通常とは違う内因性カンナビノイドシグナルが精子の活性化を調節している)」だ。
  精子に限らず、核内受容体以外のプロゲステロン受容体が広く組織に分布していることは知られていたようだ。ただ、通常の細胞では核内受容体を介する活性が強いため、もう一つのシグナルを分離するのはなかなか難しい。そこでこの研究では転写活性のない成熟精子にプロゲステロンを作用させた時に何が起こるか調べ、秒単位でカルシウムチャンネルが開くことを発見した。次に、チャンネルが開くメカニズムを調べ、プロゲステロンが直接結合するのではなく、内因性のカンナビノイドによる抑制が外れてチャンネルが開くことを突き止める。すなわち、細胞膜に存在してカルシウムチャンネルを阻害していた内因性カンナビノイドがプロゲステロンの刺激により分解され、カルシウムチャンネルへの抑制が外れて、チャンネルが開くというプロセスが明らかになった。最後に、プロスタグランジンに結合して内因性カンナビノイドの分解を促進する分子を探索し、ついに加水分解酵素alpha/beta hydrolase domain containing protein 2 (ABHD2)を突き止める。
  この結果、精子が精巣上体へと移動していく過程で、1)プロスタグランジン刺激を受け、2)ABHD2酵素が活性化され、3)内因性カンナビノイドの分解を通して膜脂肪酸の再編成が起こり、4)この結果カルシウムチャンネルへの抑制が外れて、5)精子が活性化し人間の場合運動が高まる、というシナリオが示されている。他の細胞では何が起こるのか興味がある点だが、実際生理や妊娠でおこる説明のつかない変化の一部は、ひょっとしたらこのシグナルが関わっているかもしれない。
   驚きはないが、一つづつ物知りになれることを実感する研究だった。
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3月21日:B型肝炎ウイルスの強さの秘訣(3月17日号Nature掲載論文)

2016年3月21日
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  まだ臨床医をしていた時、人工透析のシャントを外して自殺未遂を図った患者さんからB型肝炎をもらった。今でもこの時の思い出は鮮明だ。ナースから呼ばれて病室に駆けつけると布団が血の海で、カルテを詳しく見る間もなく止血、輸液、そして最後に輸血をはじめ、処置が済んでほっとしてからカルテを見るとHB陽性だった。当時は手術処置以外手袋をする習慣がなく、やばいなと思っていたら、2ヶ月半後急性肝炎になった。幸い慢性化せず今もアルコールを楽しめるが、医療が危険と隣り合わせだということを思い知った。
  B型肝炎ウイルス(HBV)は極めて複雑な生活サイクルを持つ。原則的に1本鎖DNA で、これが核内で安定な環状の2本鎖DNAを形成し細胞内に長く維持され、そこから新しいウイルスを作るためのRNAを転写し続ける。この時HBVは、染色体外に独立して存在するウイルスの転写を優先するようホストの転写システムを変化させる。ウイルスゲノムがホストゲノムに組み込まれるとこの転写促進は消失することから、ホストゲノム外にあるエピゾームの転写だけが促進される。この現象にウイルスの持つHBx分子が関わることはわかっていたがメカニズムの詳細はわかっていなかった。今日紹介するジュネーブ大学からの論文はHBxの作用メカニズムを明らかにした研究で3月17日発行のNatureに掲載された。タイトルは「Hepatitis B virus X protein identifyies the Smc5/6 complex as a host restriction factor (B型肝炎ウイルスのXタンパクはSmc5/6分子を宿主のウイルスに対する防御因子として特定し処理する)」だ。
  これまでの研究でHBx分子はホストのDBB1と結合しタンパク分解システムを利用することで、ホスト内の邪魔な分子を処理することがわかっていた。この研究は、この処理される分子とは何かを検討している。方法としては、DDB1とHBxが結合しているキメラタンパク質を作り、これに結合する分子を生化学的に調べ、Smc5とSmc6を中心に複合体を形成している分子が、このキメラタンパクと結合していることを発見した。即ち、肝炎ウイルスにとって邪魔な分子がSmc5/6複合体で、HBxはこれと結合してホストのタンパク分解システムを使って分解していることがわかった。
  Smc5/6はもともとDNA切断による修復システムとして働いており、また核小体でのリボゾームDNAをRAD52分子から守っていることが知られている。B型肝炎ウイルスにとってどの機能が邪魔なのかはっきりしないが、Smc5/6を欠損させた細胞では、やはりエピゾーム型のウイルスゲノムの転写が上昇するので、この複合体をHBxが標的としていることは間違いないようだ。おそらく、Smc5/6複合体昨日の研究に取っても面白い系が出来たと思う。
  RNAウイルスであるC型肝炎では完治のための薬剤が開発されたが、B型肝炎を完全に除去する治療薬はない。この研究は新しい治療標的を示せた点で重要だ。しかし、またウイルスのスマートな戦略を思い知った。
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3月20日:古代人DNA解読の限界を極める(3月14日号Nature掲載論文)

2016年3月20日
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   以前このホームページで紹介したが、マイケル・クライトンが小説ジュラシックパークで描いた琥珀の中の生物からDNAを採取して解読する話は、科学的にありえないことが示されている(http://aasj.jp/news/watch/480)。しかし、この小説が出版されたあと、このアイデアに影響された研究者から、琥珀の中の生物のDNA解読の論文がトップジャーナルに相次いだのは、研究者の強い思い込みが科学を簡単に間違った結論に導くことを教えてくれた(http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishikawashinichi/20151102-00051047/)。 現在、時間によってDNAが被る物理化学的変化については理解が進み、一定の割合でDNA情報が時間とともに失われることがわかっている。従って、どの年代の遺物まで解析を拡大できるのか、慎重な研究が続いている。今日紹介するライプチヒ・マックスプランク人類進化学研究所からの論文はスペイン・カスティーヤ地方のアタプエルカで発見された中期更新世の人類の骨のDNAを解読できるかどうかの挑戦についての論文で3月14日号のNatureに掲載された。タイトルは「Nuclear DNA sequences from the middle Pleistocene Sima de los Huesos hominins (Sima de los Huesosで発見された中期更新世時代の人類の核DNAの配列)」だ。
  Sima de los Huesosではこれまで中期更新世時代の人類の骨が40本以上発見されている。私たちホモサピエンス(HS)の祖先がアフリカからユーラシアに移動した7−10万年前よりはるかに古い40万年前の原人と推定されている。すなわち、もう一つの人類デニソーバ人とネアンデルタール人が別れた40万年前後に一致する。事実ここで出土した骨の特徴は、ネアンデルタール人に似ていると示唆されていた。ところが最初に解読されたミトコンドリアDNAは、スペインを含む西ヨーロッパに居住していたという証拠の全く見つからないデニソーバ人により近縁で、ネアンデルタール人とデニソーバ人の関係についての大きな謎が残った。そこでこの分野のパイオニア、ペーボさんたちは核DNAの復元に挑戦していた。論文のほとんどは実験上の困難の記載にさかれている。要するに、どれが骨の持ち主のDNAかを慎重に検証する作業の繰り返しだ。ようやく4万—200万bpの原人由来DNA配列を特定し、このうち100万bp以上の解読ができた配列を用いてネアンデルタール人、デニソーバ人、現代人のゲノムと比較、結局この場所から出土する原人はネアンデルタール人に近いと結論している。一方、新しく解析された原人もミトコンドリアはデニソーバ人に近かった。このミトコンドリアDNAと核DNAの矛盾については、ヨーロッパのネアンデルタール人が、アフリカから移住してきた母のミトコンドリアに由来しているからではないかと説明している。このように50万年前まで解析が拡大すると、さらに人類の相関図が詳しくなると期待できる。ペーボさんたちの頭には何万年前が標的になっているのだろう?   折しも3月17日Scienceオンライン版に掲載された同じ研究所からの論文では、現代人ゲノムの中のネアンデルタール人、デニソーバ人由来の遺伝子を拾い出して再構成する研究が行われている。すでに、現代人に散らばるネアンデルタールの遺伝子は、1300Mb、デニソーバ人の遺伝子は300Mb拾い出されてマッピングされている。その結果、ネアンデルタール人と我々の祖先が何回かにわたって交雑を行っていること、またメラネシアの人たちにはネアンデルタール人とデニソーバ人両方の遺伝子が残っていることが確認されている。他にも、知能に関わるネアンデルタール人遺伝子は現代人から完全に消えているようだ。我々とネアンデルタール人との戦いは、頭脳勝負だったのか、体力勝負だったのか興味は尽きない。    この研究所の発展を見ると、つくづく羨ましい。
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3月19日:CRISPR/Cas9を使って特異的mRNAを生きた細胞の中で見る(4月7日Cell掲載予定論文)

2016年3月19日
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名称未設定 1 明日14時よりAASJチャンネル(ニコニコ動画)では、大阪医大の学生さんが中心となった、「高い意識を持った生命科学の学生」のための放送を行う。この放送はあくまでも学生が中心で、私はいわばコメンテーターの役割だが、彼らはこの番組を続けていこうと「えぐる」という名前まで考えている。第一回は今話題の「CRISPR/Cas9をえぐる」(図1)だ。 山中iPSと同じで、一般報道はCRISPR/Casを臨床応用との関わりでしか扱わないが、この技術の「びっくり道具箱」としての可能性は計り知れない。おそらく提案した学生たちも、一般報道と同じレベルからスタートしているのだろう。コメンテーターとしては彼らにこの大きな可能性を伝えることができればと思っている。生命科学を目指す学生さんには是非見て欲しいと思う。この第一回の放送にふさわしいCRISPR論文がないかと探していたら、カリフォルニア大学サンディエゴ校から最適の論文が4月7日発行予定のCellに掲載された。タイトルは「Programmable RNA tracking in live cells with CRISPR/Cas9(CRISPR/Cas9を用いて生きた細胞の中でRNAの動きの追跡をプログラムする)」だ。 2016-03-19   普通CRISPR/Casシステムの標的は2重鎖DNAで、Cas9が標的に結合するためには標的内のPAMと呼ばれる短いストレッチと、標的DNAに結合するガイドRNAが必要になる。この研究では、PAMの機能を果たすDNAを外部から提供して、ガイドを1本鎖RNAと結合させることで(図2)Cas9をmRNAに結合させられないか検討している。結果は期待通りで、外から標的RNAと相補的に結合するガイドRNAとやはり標的RNAに結合するPAM—DNAを細胞に導入し、蛍光標識したCas9を発現させると、Cas9は標的mRNAと核内で結合し、核から細胞質、そして必要なくなったRNAが処理されるストレス顆粒に移行する様子を追跡できることを示している。詳しい写真などは明日の放送で紹介するが、特定のRNAの動きを映画で取ることができるようになった。   この論文はおそらく始まりにすぎない。同じテクノロジーは、肝炎やインフルエンザなどRNAウイルスの細胞内での胴体の追跡に大きな力を発揮するだろう。要するにCas9を介して、好きな分子を特定のRNAに結合させることが可能になった。このことは、ゲノム編集どころか、CRISPR/Cas9が生きた細胞の中であらゆる形の核酸や核酸に結合する分子の編集を可能にすることを物語っている。この興奮が明日学生さんにも伝わるのか、楽しみだ。
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3月18日:臨床医から生まれるイノベーション(3月17日号Nature掲載論文)

2016年3月18日
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   一般の人は再生医学というと、試験管内で組織や細胞を調整して、変性した組織に移植することを想像すると思うが、一番優れた再生医学は、自分の組織がもともと持っている再生能力を発揮させて、変性組織を生き返らせる方法だ。ただこのような方法の開発にはおそらく優れた臨床医の感性が必要だと思う。今日紹介する孫文の名前にちなんだ広州・中山大学からの論文はレンズ全体を体内で再生させるという内容にも驚くが、優れた臨床医の感性を感じさせる研究で、3月17日号のNatureに掲載された。タイトルは「Lens regeneration using endogenous stem cells with gain of visual function(組織に存在する幹細胞を利用したレンズ再生により視力を得る)」だ。
  レンズを作る細胞をリクルートする幹細胞が存在し、少しは再生に寄与することは知られていたようだが、重症の白内障になるとレンズを完全に抜き取り、人工レンズに置き換えるのが普通だった。この研究では、人工レンズを使わず再生ができないか、基礎研究から、前臨床研究、そして臨床研究へと絵に描いたような道を辿って調べている。まず、幹細胞がレンズ前面を覆う上皮であることを示すため、心臓死の方のレンズを提供してもらい、その全培養を行って、増殖細胞をラベルする実験を行っている。また、細胞培養でもこの細胞の幹細胞性を示している。次に、様々な遺伝子改変マウスを用いて、Pax6/Sox2陽性細胞が幹細胞として体内で働き、レンズを再生していることを明らかにする。また、この自己再生に血液幹細胞でも働いているBMI1分子が重要な役割を演じており、この分子が欠損すると再生が低下し、白内障が起こることを示している。これでも十分面白い研究だが、次に幹細胞をできるだけ障害せずにレンズを抜き取り、元のレンズを再生する治療法を開発できるかどうか、まずウサギ、そしてアカゲザルで手術術式を確立し、最後に同じ術式を用いて12例の新生児白内障を治療している。上皮を極力残してレンズをぬきとる手術で、完全なレンズが再生するのは驚きだが、8ヶ月時点でこれまでの治療法と遜色ない回復が全例で得られている。重要なのは、この方法だと時間はかかるが、ほとんど副作用がないことだ。コントロールとして選んだ25例の人工レンズの患者さんの92%では何らかの不具合が発生している。これに対して、新しい手術方法では17%しか不具合は発生していない。今後改良を重ねて、一般の医療として確立する可能性が高いと思う。
   繰り返すが、基礎から臨床まですべての過程が一編の論文にまとめられているのは圧巻だが、眼科医としてのセンスが前面に押し出され、結果としてこれまでよりずっと安価な治療法を開発できている。まさに臨床医冥利につきるだろう。臨床医でないとわからないことがあることを実感する論文だった。
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3月17日:細胞の炭素代謝 (3月7日号Developmental Cell掲載論文)

2016年3月17日
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   物質代謝はよく渦に例えられる。渦を作っている水分子は刻々と変化するが、渦という巨視的形態は内部の分子が変わっても維持される。細胞も同じで、それを構成する分子は代謝により刻々と変化するが、細胞のアイデンティティーは生きている限り維持される。などとほざいていても、実際細胞内で起こっている物質代謝についてどこまで知っているのか本当は心もとない。
   今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文は培養細胞内の炭素がどの栄養成分に由来するか丹念に調べた研究で3月7日号のDevelopmental Cellに掲載された。タイトルは「Amino acids rather than glucose account for the majority of cell mass in proliferating mammalian cells (ブドウ糖よりアミノ酸が分裂中のほとんどの細胞の質量に貢献している)」だ。
研究では培養中の有機物(糖、脂肪、アミノ酸、核酸)の収支を正確にはかるとともに、C14アイソトープで標識した様々な栄養成分で細胞を培養し、その成分から細胞の質量の何パーセントができるのか調べている。結果は詳細にわたり、詳しく述べても仕方ないだろう。まとめてしまうと、タイトルにある通り増殖中の細胞の質量のほとんどは外部からのアミノ酸の摂取に頼っており、核酸は別として、ブドウ糖から新たにアミノ酸や脂肪を作ることはほとんどないという結果だ。これは、外部からできるだけ完成した栄養分を摂取して、細胞内で新たに合成することを避けることにより、合成したATPを節約し、多くの有機成分を細胞の分裂・増殖に回していることを示唆している。研究では、ブドウ糖やアミノ酸の細胞質量への取り込みの割合を、増殖中と静止期の細胞で比べたり、脂肪を外部から供給しない条件、すなわち細胞自ら脂肪を合成する必要がある条件で培養するなど、様々な条件で同じ実験を繰り返し、外部からの栄養成分の使われ方を調べている。細胞は必要なら有機分子を自分で合成するが、環境に栄養分があればそれを有効に使って、なるべく自己努力を減らして生きるようにできているようだ。
  この結果は全て培養中の細胞での話で、細胞同士が複雑な相互作用を行う個体全体の代謝バランスを反映しているわけではない。ただ、これからの医学では細胞培養技術の革新が必要になる。私が卒業してから引退するまで、培地の栄養組成についてはほとんど変わっていないのではないだろうか。これは、培地開発が特定の細胞の増殖だけを指標に行われ、細胞内での代謝を詳細に調べたデータを利用してこなかったからだろう。今日紹介したような研究を基礎に、細胞にストレスのない培養法が開発されるのだろうと思う。
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