2023年5月26日
再生医療というと細胞移植が必要と思ってしまうが、残っている組織の機能を再建する方法も重要だ。例えば脊髄損傷では、脳との結合が切断されてしまった脊髄硬膜外に多数の電極を設置し、これをコントロールして脚を動かすという治療法がスイス・ローザンヌで開発され、現在臨床治験が進んでいる(これまで三回にわたって紹介している。1. https://aasj.jp/news/watch/8993 ;2. https://aasj.jp/news/watch/9166 ;3. https://aasj.jp/news/navigator/14111 )。ただ、これまでの研究では脊髄を刺激して脚を動かすことにフォーカスしており、脳との結合がない、すなわち自覚のない運動で終わっていた。ただ、同じグループは着々と研究を進め、今度はこの脊髄刺激系を脳と結合させるデバイスを開発して、完全に自覚された運動回復へ向け着実に研究を進めていることを5月24日 Nature にオンライン掲載した。初め紹介しようと思ったが、このような大きなトピックスは、様々なメディアで紹介されているので(例 https://www.tokyo-np.co.jp/article/252215 )、「着実に研究が進んでいる」と言及するだけにする。
代わりに紹介したい論文は、同じNatureにオンライン掲載されたUniversity College Londonからの論文で、様々なシグナルのハブとなっているPI3Kα分子を特異的に活性化できる小分子化合物の開発研究で、タイトルは「A small-molecule PI3Kα activator for cardioprotection and neuroregeneration(心臓保護及び神経再生に利用できるPI3Kα活性小分子化合物)」だ。
PI3Kはインシュリン受容体をはじめ、様々なシグナルにより活性化されるハブ分子で、活性化されると細胞膜のフォスファチジルイノシトールをリン酸化(PIP2からPIP3へ)、この結果、下流のAKTを活性化し、細胞の代謝や増殖に必須の因子だ。多くのガンでこの分子の変異が認められており、これまでPI3K阻害剤については研究が進んでいたが、活性化する分子についてはPDGFRの細胞内ドメインに対応するリン酸化ペプチド以外は報告がない。
この研究はアストラゼネカ社との共同になっており、45万種類の化合物を、膜状に再現したPIP2のリン酸化を指標にスクリーニングし、1938と呼ぶ化合物が、PI3Kα特異的に活性化することを発見する。
構造学的に作用機序を調べ、様々な試行錯誤の結果(論文を読むとこの過程が最も難しかったように見える。例えば分子を結晶化しても1938が結合していないなど)PI3Kの2つの分子の結合を阻害する分子構造変化を誘導することでp110を活性化状態に誘導することを示している。このため、正常PI3Kαのみならず、ガン変異が起こった分子もさらに活性化することができる。
この分子を細胞に加えると、多くの分子がリン酸化などの変化を受け、細胞の代謝が上昇し、増殖が誘導できる。そこで、この化合物の特徴を生かすため、心筋梗塞の後、血流が再開した後に、活性酸素などの作用で起こる細胞障害からの保護と、神経損傷後の再生に使えないか、動物モデルで検討している。
結果は期待通りで、再還流後の心筋梗塞部位の進展が1938投与群では半分程度に抑えることがでる。また、坐骨神経を挫滅させた後の神経再生を、2倍以上回復させることができる。このように、細胞の保護だけでなく、細胞を活性化して再生を誘導することができることが示された。
以上、機械的機能再建や、化合物を用いた残存細胞の活性化など、着実に研究が進んでいることは、心強い。
2023年5月25日
モリエールの戯曲「病は気から」は、シャルパンティエによりオペラにもなっている。この戯曲に詰め込まれた不勉強な医師に対する風刺をオペラで表現できるのか聞いてみたいと思うが、まず上演機会はなさそうだ。モリエールの医師に対する風刺の極め付けが、口頭試問で「なぜアヘンは睡眠を誘導するのか」と聞かれた学生が「睡眠物質を含んでいるからです」と答えて一同納得するシーンだろう。考えてみると、現代に生きる私たちも、適当な言葉に置き換えてわかった気になっていることが多い。
その例が活性酸素だろう。活性酸素や酸化ストレスというと、細胞障害性の要因として一般の方にもよく認知されている。私自身も活性酸素と聞くと、核酸からタンパク質まで様々な変化が起こると想像し、この結果鉄依存性フェロプトーシスに至るなと考えるが、よく考えると内容より名前に置き換えて理解しているだけだと反省する。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、活性酸素によりタンパク質が受ける変化を網羅的に調べ、その中から活性酸素の量を検出して生産を調節する仕組みを明らかにした研究で、名前に置き換えて理解してきた私はこの論文を読んでモリエールの戯曲を思い出し反省した。タイトルは「Systematic identification of anticancer drug targets reveals a nucleus-to-mitochondria ROS-sensing pathway(抗ガン剤の標的の網羅的特定により、核からミトコンドリアへとつながる活性酸素検出経路が明らかになった)」だ。
この研究では活性酸素が上昇することが知られている抗ガン剤によりおこるタンパク質の変化を、活性酸素により活性化されるアミノ酸システインの変化に注目して調べることで、活性酸素により変化する可能性があるタンパク質のリストを作成している。
もちろんシステインの変化だけでは、様々な要因で起こるので、還元剤処理により戻る変化、またタンパク質を直接過酸化水素に曝した時の起こる変化などをあわせて、最終的に微小管安定化に関わる抗ガン剤auranofinによる核内タンパク質の変化が、同じタンパク質を直接過酸化水素水に曝した時の変化とほぼ一致すること、を明らかにする。すなわち、auranofinは核内の活性酸素を上昇させ、それ自身が抗ガン作用の一翼を担っていることを明らかにする。
次に、auranofin処理によりシステインが変化する分子の中から、DNA損傷に反応するキナーゼCHK1分子が、過酸化水素によって活性化されることに注目し、この分子に絞って研究を進めている。
すなわち、活性酸素による活性化されるということは、活性酸素の核内センサーとして働いている可能性がある。しかも、DNA損傷に反応する細胞周期チェックポイント分子であることから、この分子により細胞内活性酸素のレベルが調節されている可能性がある。実際、CHK1活性を阻害すると、細胞内の活性酸素は上昇を続けることから、この分子がセンサー及び調節因子として働いている可能性が裏付けられた。
そこで、CHK1の標的分子を、CRISPRで網羅的に特定したauranofin抵抗性を付与する分子の中から探すと、ミトコンドリアの翻訳に関わる分子SSBP1が特定された。
長い話を短くして結論だけ紹介すると、活性酸素レベルで活性化されるCHK1はSSBP1のセリン67をリン酸化し、これによりSSBP1のミトコンドリアへの移動と、翻訳への関与が阻害され、その結果ミトコンドリアの呼吸チェーン分子の翻訳が低下することで、活性酸素のレベルを低下させることを明らかにしている。
以上が結果で、同じようなサーキットが、活性酸素により変化した多くのタンパク質でも個別に存在することを示唆している。もちろん重要度では、直接活性酸素生産のフィードバックループを形成できるCHK1/SSBP1が高いが、活性酸素という名前で隠された詳細の解明がいかに重要か、モリエールを思い出しながら反省した。
2023年5月24日
アルツハイマー病(AD)がβアミロイド(Aβ)の蓄積により引き金が引かれることについては、AβやAβの切断に関わる遺伝的変異による家族性ADの存在から明らかだが、アミロイド蓄積だけでは神経変性にまで至らないことが、Aβ切断に関わるPresenilin遺伝子変異を持ち、Aβが脳内に蓄積していても、APOE3の特別な変異が加わるとTau異常症が抑えられている患者さんの発見でわかっている。
このAPOE3変異がなぜAβ蓄積からTau異常症を防ぐかについては以前紹介した様に(https://aasj.jp/news/watch/11677 )変異によりAPOEとプロテオグリカンとの結合が低下、その結果APOE受容体のシグナルに何らかの変化が起こる結果ではないかと考えられていた。
今日紹介するハンブルグ大学とハーバード大学が共同で発表した論文は、Aβの変異を持ち、さらにTau異常症が進んでいるにもかかわらず、神経変性が抑えられる突然変異とその機能にいて調べた研究で、5月15日Nature Medicineにオンライン掲載された。タイトルは「Resilience to autosomal dominant Alzheimer’s disease in a Reelin-COLBOS heterozygous man(Reelin遺伝子のヘテロ変異を持つ男性は遺伝的アルツハイマー病に対する抵抗性を持つ)」だ。
タイトルにあるReelinと呼ばれる分子は、大脳の神経移動により、美しい層構造が形成されるために必須の分子で、この分子のシグナルにAPOE受容体やLDL受容体が関わることがわかっている。
この研究では、家族性ADの原因になるPresenilin遺伝子変異を有しているにもかかわらず、ADの発症が遅れている男性の患者さんのゲノムを調べた結果、Reelin遺伝子の変異を特定したことに始まる。
AβとTau異常症の関係が切断されるAPOE3変異の患者さんと異なり、この患者さんではAβ変異だけでなく、Tau異常症が進んでいるにもかかわらず、神経変性が抑えられている。
この患者さんが亡くなられてから行われた解剖での脳所見を、APOE3変異を持つ患者さんの解剖所見と比べると、リン酸化Tauの発現が脳の広い範囲で進んでいることも確認している。
ReelinもAPOEもAPOE受容体と結合するので、同じシグナルに収束するかと一見思えるが、異なる病理変化が起こっていることは、極めて面白い。そこでこのReelin変異を生化学的に検討するとともに、同じ遺伝子変異を導入したマウスを作成し、このマウスとTau異常症マウスを掛け合わせ、変異Reelin遺伝子の効果を調べている。
まず生化学的には、変異Reelinは細胞膜のglycosaminoglucan(GAG)との結合が高まっており、その結果Reelinと結合するAPOE受容体とLDL受容体の下流で働くDAB1のリン酸化が高まっている。おそらく、細胞膜にReelinが結合しやすくなることで、Reelinのシグナルが高まる変異であることがわかる。
この変異を導入すると、マウスは正常に生まれてくるが、オスでは神経細胞のDAB1リン酸化が上昇しており、小脳の神経細胞数が上昇している。
次に、この変異をTau異常症変異と掛け合わせると、患者さんでははっきりしなかったTauリン酸化の抑制も見られることが明らかになった。また、Tau異常症による症状も改善することがわかった。
結果は以上で、患者さんではTau異常症の進行も見られてはいるが、変異Reelinは受容体のシグナルを高める結果、Tauリン酸化と共に神経死を抑制できるという結果が示された。とするとAPOE3変異も同じ土俵で説明できる可能性がある。
このように1人の患者さんの結果から、ADに対する全く新しい治療標的の可能性が示された重要な研究だ。
2023年5月23日
これまでの研究で匂いとうつ病の関係が指摘されている。うつ病になると嗅覚が低下するし、うつ病の人では嗅球の大きさが減少している。また、嗅覚がなくなった人の3割はうつ病を発症する。事実、Covid-19の後遺症で嗅覚が低下した結果、急速にうつ病が増加したことも指摘されている。逆に、嗅覚を訓練するとうつ病が改善することも知られている。
これらの原因は、嗅球が発生源の早い周期のγ波が、梨状葉皮質や、扁桃体などの辺縁系に伝わって、感情や意志を調節するからではないかと考えられている。今日紹介するハンガリーのセゲド大学からの論文は、嗅球から梨状葉皮質へ伝えられるγ波を調節することで、うつ病症状が変化するかどうか調べた研究で、5月7日 Neuron にオンライン掲載された。タイトルは「Reinstating olfactory bulb-derived limbic gamma oscillations alleviates depression-like behavioral deficits in rodents(嗅球から辺縁系へ伝播するγ波が齧歯類のうつ病葉症状を改善する)」だ。
これまでも、鼻腔を蓋したり、嗅球を傷害したりしてうつ症状を誘導する実験は行われていた。この研究では、まず嗅球から梨状葉へのシナプス結合を結断すると、γ波が辺縁系に伝わらず、例えば甘い水を飲んでも喜ばない無快感症に陥ることを確認する。
その上で、発生するγ波のみを、逆相のγ波で梨状葉を刺激することでキャンセルし、γ波が関わる脳機能を調べている。このためには、嗅球のγ波を検出し、これを逆相にして梨状葉へインプットする閉鎖回路が設計され使われている。
これにより、神経細胞全体ではなく、γ波のみの機能が明らかになるが、結果は明瞭で、無界干渉及び不安神経症が誘導される。
この条件で、ケタミン治療を行うと、γ波が抑えられていてもうつ症状が改善することから、ケタミンがγ波の下流で調節されるイベントに効果があることがわかる。
逆に、他の方法でうつ状態を誘導したとき、今度は逆相ではなく、同じ相のγ波の強度を強めると、うつ症状が抑えられることが明らかになった。
以上が結果で、電気的にγ波のみを特異的に変化させる方法でうつ状態とγ波の関係を調べたことがこの研究のハイライトになる。この結果、これまで現象論的に示されてきた、匂いとγ波の関係が明らかにされ、今後直接嗅球に働きかける治療も可能になる予感がする。単純だが面白い研究だ。
2023年5月22日
一般の人はセラミドというと皮膚の保湿といった良いイメージが多いと思うが、代謝について少しでも勉強すると、セラミドは危険な脂質というイメージを持つ様になると思う。実際、セラミドがインシュリン抵抗性、脂質異常、そして真血管障害に関わることは臨床的にもよく知られている。
今日紹介するスイス・ローザンヌにある工科大学からの論文は、セラミドが筋肉のタンパク質の貯留を促進し、ミトコンドリアのエネルギー代謝異常を誘導することで、老化によるサルコペニアの原因になっていることを示した研究で、5月17日号 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Inhibiting de novo ceramide synthesis restores mitochondrial and protein homeostasis in muscle aging(新たなセラミド合成を抑えることで筋肉でのミトコンドリアとタンパク質の恒常性を回復できる)」だ。
老化が進むと、筋肉ではタンパク質の沈殿が見られる様になり、それに伴いミトコンドリアの酸化的リン酸化が抑制される。この研究では、最初からこの変化を誘導する原因が、筋肉内にセラミドが蓄積するからではないかと考えた。
老化を含むさまざまな筋肉障害の筋肉での遺伝子発現を調べると、全てでセラミド合成経路に関わる分子が上昇していることをまず確認している。そして、この上昇は筋肉内のタンパク質の貯留と、ミトコンドリアの酸素消費が低下することを明らかにしている。
次に、この相関に因果性があるか調べる目的で、セラミド合成経路を阻害すると、ミトコンドリアの酸素消費量やタンパク質停留が正常化する。
次に筋肉老化を止めることができるか、モデル動物として線虫にセラミド合成阻害剤を添加すると、さまざまな代謝が改善し、筋肉の老化を止めるだけでなく、寿命も少し伸ばすことができる。
そこで、老化マウスを用いてセラミド合成阻害剤投与、あるいは筋肉得意的に合成酵素をノックダウンすると、老化に伴う酸化的リン酸化の低下が正常化し、またタンパク質の凝集も抑えることができる。これは、セラミド合成を阻害することで、さまざまなシャペロンの合成が上昇し、タンパク質の折りたたみが正常に進むためで、ほとんどのシャペロンの合成は上昇する。
最後に、実際の臨床に使えそうなセラミド合成阻害化合物を探索し、3種類のリード化合物を特定して研究を終わっている。
以上が結果で、要するに老化によりセラミド合成が上昇することが、サルコペニアの最も重要な原因であることを示した点は重要だ。セラミド合成阻害剤を長期的に内服していいのかどうか、臨床的にはわからないが、サルコペニアが防げるとすると、私たち高齢者には朗報だ。
2023年5月21日
乳ガンでは、BRCA1のように遺伝子変異の関与ももちろんあるが、分子標的薬の対象になっている遺伝子の多くは、変異というより発現が高まっている場合が多い。この発現上昇の一つの要因が、遺伝子増幅、すなわち特定の遺伝子が染色体から離れて独立して増殖しコピー数が増加することによる場合が多い。しかも、いくつかの遺伝子がセットで増幅することで、乳ガンの増殖を支える。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、乳ガンでこのような遺伝子セットの増幅が起こる大もとの原因はエストロジェン受容体がゲノムに結合して転写を誘導するときに起こるDNA切断、それに続く染色体転座が誘引となっていることを示した研究で、5月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「ERα-associated translocations underlie oncogene amplifications in breast cancer(エストロジェン受容体αに関わる染色体転座が乳ガンのガン遺伝子増幅の背景にある)」だ。
この研究では800近い乳ガンの全ゲノム解析を行い、遺伝子増幅の数、サイズ、場所を詳しく調べ、典型的乳ガン遺伝子のHER2やサイクリンD1をはじめ、Mycを含む様々な転写に関わる遺伝子の増幅を確認している。すなわち、乳ガン増殖に関わる遺伝子が比較的特異的に、しかもセットで増幅している事がわかる。
次に、この増幅を誘導するメカニズムを、増幅遺伝子の前後の配列から調べると、まず染色体転座が先にあり、この転座により中心体が2箇所できた異常染色体が形成され、分裂時に姉妹染色体が正確に分離せずに股裂き状態になり、切れた染色体から独立したゲノム断片が形成され、これが染色体外遺伝子として増幅することを突き止めた。この結果、例えば17番と11番染色体の転座の場合、乳ガン標的としてお馴染みのHER2とサイクリンD1遺伝子がセットで増幅してしまうことになる。
しかし、分裂時の転座はどこでも起こりうるのに、乳ガンを調べると、都合よく乳ガンの増殖に関わる遺伝子間で転座が起こり、増幅が起こっている。このように転座が集中する部位は、エストロジェン受容体により遺伝子発現調節を受けているところなので、エストロジェン受容体が転写を誘導する時、ゲノムが切断されやすくなるのではと考え、様々な実験を行っている。
その結果、確かに転座が集中する部位にエストロジェン受容体が結合しており、またエストロジェン受容体結合部位に切断が入りやすくなることを実験的に確認している。
最後に、エストロジェン受容体による切断、転座がいつ発生するのか、中心体を持たない染色体の発生を指標に時期を特定している(染色体が股裂きになる原因は点在により中心体を二つ持つ染色体が発生するためだが、この結果中心体を持たない染色体が同時に発生するので、こちらが存在するかどうかを調べて染色体分断が起こったかを調べている)、結果だが、ガン発生より前、閉経までの生理サイクルでエストロジェンが上昇するときは常に、切断、転座、染色体分断、増幅の危険性が存在することを突き止めている。
以上、この研究は、乳ガンの遺伝子増幅が、閉経まで継続する月経周期で起こるエストロジェン上昇により、繰り返し繰り返し誘導されていることを示している。少なくとも私にとっては全く新しい視点で、DNA修復異常をしめすBRCA変異などでは、最終段階まで進む確率が高くなる理由もよくわかった。
2023年5月20日
膵臓ガンの間質は複雑で様々な細胞が存在する。その結果、血管も圧迫され酸素だけでなく様々な栄養分が低下する環境に存在している。にもかかわらず、膵臓ガンは周りを押しのけて増殖し転移する恐ろしさを持っており、ガンの中でも最も治療困難なガンになっている。
この栄養不足を補うため、膵臓ガンはオートファジーで自らの栄養調達を再構成し、また環境からの栄養分を効率よく利用できるしたたかなシステムを備えている。
今日紹介するミシガン大学とロンドン ガン研究所からの共同論文は、膵臓ガンがブドウ糖の代わりに核酸の一つウリジンを分解して糖を調達する能力を持っており、これが膵臓ガンのしたたかさの一因であることを明らかにした研究で、5月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Uridine-derived ribose fuels glucose-restricted pancreatic cancer(ウリジン由来リボースがブドウ糖欠乏の膵臓ガンの燃料となる)」だ。
このグループは膵臓ガンを代謝の面から研究しており、その一環としてブドウ糖やグルタミン含量を減らした培養条件で様々な膵臓ガンを培養、この条件で増殖するために起こる代謝変化を調べている。その結果、アデノシンや様々な糖を利用してこの悪条件を乗り越えることがわかったが、その中のウリジンもブドウ糖欠乏を補う活性があることに注目し、研究を進めている。
ウリジンがブドウ糖の代わりをすることを、様々な代謝実験で明らかにした後、その経路を探索し、ウリジンがUPP1酵素によりリボース1リン酸とウラシルに分解され、このリボース1リン酸からグリセラルデヒドを経てピルビン酸を合成、これをミトコンドリアのTCAサイクルに供給することを明らかにしている。
すなわち、膵臓ガンでのUPP1の発現上昇が膵臓ガンのブドウ糖抵抗性の原因の一つであることが明らかになったが、次にこの上昇を誘導するシグナルを検討し、膵臓ガン共通のガンドライバー、変異Ras及びその下流のMAPK分子経路がUPP1発現調節に関わることを明らかにしている。
次に、膵臓ガンにウリジンを供給するガン組織の細胞を探索し、なんとマクロファージが唯一のウリジンサプライヤーとして関わることを発見している。
最後に、UPP1がガンの悪性化に関わることを調べるため、UPP1発現の高い膵臓ガンと低い膵臓ガンに分けて、データベースを調べ直すと、低いグループの方が予後が良いことを確認している。
そして、マウス膵臓ガン細胞株からUPP1をノックアウトし、マウス膵臓に移植する実験を行い、UPP1がノックアウトされるとガン細胞の増殖が強く抑えられることを明らかにしている。
他にも詳細な代謝実験を行い、これらの結果が全てUPP1によるウリジンを糖として利用する経路に依存することを示しているが、詳細は省く。
以上、rasが関わるとすると、膵臓ガン特異的ではないと思うが、間質でのウリジン利用の可能性からおそらく膵臓ガンで特にこの経路が問題になるのだろう。いずれにせよ、ガンのしたたかさは、同時に弱みでもあるので、UPP1を抑えることは治療に利用できると期待する。
2023年5月19日
人類の起源であるアフリカ大陸では、現存の民族が極めて多様で、その形成過程は多くの研究者を惹きつけてきた。ただ、気候条件のためか、化石が少なく、結果古代ゲノムの解析がほとんど出来ていない。自ずと、現存の民族をできるだけ詳しく調べてそこから系統モデルを作る作業が中心になる。
この作業は簡単でなく、検証するために作成するモデルに強く依存することになる。今年3月に紹介したペンシルバニア大学からの論文では、共通祖先が順番に枝分かれするモデルから始めると、南、東西各民族に分離後も、追跡しきれない複雑な交雑史を想定せざるを得ない結果が示されていた(https://aasj.jp/news/watch/21660 )。
今日紹介するカリフォルニア大学デービス校、カナダ マクギル大学との共同論文は、従来の共通祖先枝分かれモデルをやめて、初期人類レベルで活発な交流を想定した新しいモデルがアフリカ民族の交流史をより正確に反映することを示した研究で、5月17日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「A weakly structured stem for human origins in Africa(アフリカにおける人間起源に関する弱い構造化起源モデル)」だ。
この研究では、290人のアフリカ各地からの全ゲノムを解読している。3月に紹介した論文と比べると、ゲノムの数や読んだ密度では劣るが、代わりに様々なモデルを立てて、徹底的にその妥当性を検証する方法をとっている。特に重要なのは、ヨーロッパからも多くの交雑が行われ、民族ゲノムを複雑にしている1万年以降に影響されない、10万年以前の交雑についてのモデルを作成し、そこを起点に南アフリカ、東アフリカ、西アフリカの3民族分化を調べた点だ。
この結果最終的にたどり着いたのが、人類2起源と初期合流(merge)モデルで、この結果だけを解説すると次のようになる。
まず驚くのは、ネアンデルタールと人類が分かれる前、100万年ぐらい前にアフリカで人類は2つの系統にまず分かれている。この中のStem1から40万年前にネアンデルタール人と現生人類の一部が分かれる。この時、Stem1とStem2は一定の交雑を行う。
その後、Stem1がネアンデルタール人と分かれた後、人口減少を来し、このボトルネックから回復した後アフリカ3民族の祖先の形成が始まるが、20万年から10万年にかけて、独立に発展していたStem2 との合流が起こり、合流で生まれた2系統が、南アフリカ系統と、東西アフリカ系統へと分離する。
その後、1万年までほとんど各民族は交雑せず独立して進化するが、西アフリカ民族はもう一度Stem2と合流する。これによりStem2は西アフリカに統合され、Stem2としては絶滅する。
1万年以降は、気候変動などの要因により、それぞれの民族は交雑するが、1000年以降は圧倒的に東西アフリカ民族から南アフリカへの移動と征服による交雑で、その結果本来の南アフリカ民族は極端に減少している。
以上が結論で、ネアンデルタールと同じように、絶滅したか、現生人類に吸収されたStem2が存在していたこと、そして初期にこのStem2を取り込んだ新しい共通起源を形成したというのが新しい考えになる。これが本当かどうか、やはり化石の発見が待たれる。
2023年5月18日
血管新生というとすぐに血管内皮の増殖を伴うと考えるのが一般的だ。ただ、発達期の場合、体中で細胞増殖が起こると、血管のインテグリティーを維持できるのかいつも心配になる。
今日紹介するイェール大学からの論文は、新生児からの発達期を中心に、ただただ皮膚の血管内皮の動態をモニターし、血管の成長がこれまで考えられてきた内皮増殖を中心に置いていないことを明らかにした研究で、5月10日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Mechanisms of skin vascular maturation and maintenance captured by longitudinal imaging of live mice(マウスを生きたまま長期間観察することで明らかになった皮膚血管の成熟と維持)」だ。
この研究では、タモキシフェンを注射すると血管内皮が蛍光分子を赤から緑にスイッチする遺伝子操作を行ったマウスを用いて、皮膚血管内皮網がどう発達するか調べ、発達期では皮膚血管が増えると言うより、逆に神経の剪定と同じで、密度が減って行くことを観察する。
発達するのに血管が減ると、酸素供給が追いつかなくなるのではと心配になるが、実際には新生児血管網の半分は血管内に血球が存在せず、機能していない。従って、血管機能としては剪定が起こっても同じレベルが維持できる。いずれにせよ、発達期では無駄な血管を減らす剪定が中心になる。
次にタモキシフェンの量を調節して、一部の血管内皮だけが緑に光り、他は全て赤に光るマウスを用意して、剪定時の個々の血管の動態を追いかけると、剪定により失われる血管の内皮は死ぬのではなく、血管内皮網の中に移動し、残った血管で使い回されることが明らかになった。この時、細胞死や細胞増殖はほとんど観察されないが、一個の血管内皮の長さが伸びることも確認している。
すなわち、剪定とはいえ、血管内皮数は変化せず、剪定された内皮は他の場所に移動し、さらにサイズが伸びることで、同じ数の内皮で広い範囲をカバーする新しい血管網が出来ることを示した。
このような血管内皮の移動は大人になると消失し、血管は安定化するが、血管が傷害されると、増殖より先に近くの内皮が移動して伸びるという新生時期の過程が観察できる。従って、血管の再構成はまず血管内皮の移動から始まる。これは血管が広い範囲にわたって傷害される場合も同じで、既存の血管内皮を使い回すことが、毛細血管網のインテグリティー維持の中心になっていることがわかった。
最後に、増殖のない血管内皮の移動や伸長のような細胞過程にも、Flk1とVEGF-Aの血管増殖因子が関わることを明らかにし、このシグナルの多様な機能を示している。
結果は以上で、血管の発達が必ずしも細胞増殖を必要としないこと、また血管内皮細胞は、血管網内で比較的自由に移動することで、構造を保ったままの剪定や再構成が維持されていることが明らかになった。ひたすら観察している研究だが、形態学の重要性が改めて認識される。
2023年5月17日
パーキンソン病にはパーキンなどミトコンドリア機能に関わる分子が重要な働きをしていることが、これらの分子に突然変異を持つ患者さんの研究からわかっている。とすると、ミトコンドリア活性に関わる様々な外的要因もパーキンソン病(PD)のリスク因子として当然考える必要がある。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、トリクロルエチレンにより1975年から1985年、飲み水が汚染された基地に住んでいた退役軍人と汚染のない基地にすんでいた退役軍人を比較した長期的視野の疫学調査で、トリクロルエチレンがPDのリスク因子であることを明らかにした研究で、5月10日 JAMA Network にオンライン掲載された。タイトルは「Risk of Parkinson Disease Among Service Members at Marine Corps Base Camp Lejeune(海兵隊基地キャンプLejeuneの軍人に見られたパーキンソン病リスク)」だ。
私の現役の頃は、長期的なコホート疫学研究というと、国鉄中央病院がメッカだったが、おそらくこれに匹敵するのがアメリカの軍人だろう。完全にフォローアップがなされていることから、例えば多発性硬化症とEBウイルスの関係などは、軍人のフォローアップ研究なしには明らかにならなかった。
さて、海兵隊基地で1975年から10年間、飲み水のトリクロルエチレン量が基準値の70倍まで高まったことが発覚し、その時代に基地で過ごしていた軍人のコホート研究が続いているが、その人達のパーキンソン病リスクを調べたのがこの研究だ。
トリクロルエチレンは金属洗浄剤として現在も使われていると思うが、発ガン性とともに、ミトコンドリアの呼吸チェーンを抑制することが知られており、実験的にもPDを誘導することが知られている。
懸念したとおり、トリクロルエチレンにより汚染された飲み水をとっていた軍人のPD発症率は、コントロールの1.7倍に達しており、ほぼ8万人を対象にしたこの研究で、トリクロルエチレンがPDのリスクファクターであることが確認された。
さらに驚くのは、PDの潜伏期の症状と考えられる、震え、嗅覚障害、勃起障害、不安症状なども、10−20%ほど高いことで、PDと診断されなくても、黒質細胞の異常が始まっていることも明らかになった。
結果は以上で、トリクロルエチレンはPDリスクとして特定できるが、しかしこれを明らかにするのになんと40年もかかることも今回はっきりした。このように長期にわたる研究の結果わかることも多い。結局国民全体の正確な記録をどこまで達成できるかが、重要なことだと思う。おそらくPDなどでは、他にもリスク要因が見つかる気がする。