9月10日 統合失調症の早期診断、早期治療はあり得るか(9月5日号 Cell 掲載論文)
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9月10日 統合失調症の早期診断、早期治療はあり得るか(9月5日号 Cell 掲載論文)

2019年9月10日
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統合失調症は動物モデルがほとんどないため、メカニズムに基づく治療法の開発が簡単でない。それでもこのコーナーで紹介しているように、iPS細胞を使ったり、病理標本を使ったりと少しづつ輪郭が見えてきているという段階だろう(統合失調症でAASJホームページを検索してもらうと40近い紹介記事が出てくると思う。このような論文を読んでいてなんとなくわかるのは、前頭前野、海馬などの介在ニューロンの発生が発症に重要で、これを早期に正常化できれば、長期の改善が期待できるような気がしてくる。

今日紹介するスイス・バーゼルにあるフレデリック・ミーシャ研究所からの論文はこの期待を裏付けるのではと思わせる研究で9月5日号のCellに掲載された。タイトルは「Long-Lasting Rescue of Network and Cognitive Dysfunction in a Genetic Schizophrenia Model (遺伝的統合失調症モデルの認知ネットワークの機能異常を持続的に正常化する)」だ。

この研究は面白いのだが、タイトルのつけ方などから野心的すぎてミスリードされる危険をはらんでいる。この研究で用いられたモデルマウスはLgDel(+/-)として知られる、人間の22Q11欠失症に相当するマウスモデルで、人間の場合心臓発生異常から知能障害まで多くの症状を示す。免疫学で有名なディ・ジョージ症候群もこの中に入る。ただ、この論文の場合このモデルを「統合失調症モデル」と一言で片付けており、その結果この研究で調べられている症状が全て統合失調症に集約するような錯覚を与えるので注意が必要だろう。

少し批判的に書いたが、前頭前野、海馬(CA1,vH)で高周波の脳波の異常を指標にするなど、十分人間の統合失調症に対応させられる。この研究ではまず、LgDelモデルマウスで50Hz以上の高周波数の脳波発生が統合失調症と同じように前頭前野で低下していること、shifting taskと呼ばれる行動テストや社会性テストがやはり統合失調症と同じで落ちていることを確認している。

もちろん症状だけでLgDelを統合失調症モデルといってしまうと問題はあるが、著者らは前頭葉の皮質に存在する介在ニューロンでParvalbminを強く発現した集団が思春期を越しても発達しないことを発見し、病理的にも統合失調症モデルとしても似ていること、またこの結果モデルマウスでは介在神経数は同じでも、活動が抑えられていることを発見する。さらに光遺伝学的に介在神経を抑制することでLgDelと同じ症状

そしてこの研究の最も重要な発見、すなわちこのPV陽性介在ニューロンの発生は、海馬では早く始まるが、前頭葉の皮質で異常が発生するのは生後60日目から120日目までの、人間で言えば思春期から大人になる過程であることが示される。この思春期から成人になる過程で異常が急速に発生するのは統合失調症の発症に似ており、もしこの過程をなんとか正常化させられれば、PV陽性介在神経の発生を清浄化できる可能性が生まれる。

そこで、まず介在神経の興奮が低下していることがわかった抑制型に傾いているLgDelマウスを統合失調症でも用いられるドーパミン受容体を抑制する薬剤を投与すると、一過性だがPVを高発現する介在神経が増えγ波が回復することを確認している。

この結果を受けて、PV神経の抑制・興奮バランスが形成され、γ波が発生する前から10日間ドーパミン受容体抑制剤を連続投与することで、PV神経バランスを正常型に戻し、γ波の発生を含む様々な異常を持続的に治せることを示している。

さらにこの治療効果のメカニズムを探るため、症状に最も関わる海馬のvHあるいは、前頭前野に薬剤を局所投与する実験を行い、驚くことにどいちらかでPVバランスを回復させると、この効果がネットワーク全体に及び、異常の発生を長期的に抑えられることを示している。

結果は以上で、魅力的な結果なので、少なくとも22Q11症候群の神経症状の治療に用いるための準備が進められる予感がする。ただ、難関はまだ異常が発生しない発達期の脳にドーパミン受容体の抑制剤を全身投与するための条件で、局所的な投与も許されるのならいつどこに投与するのかをはっきりさせるためのさらなる前臨床試験が必要だと思う。重要な研究だと思うが、まだまだ道は長そうだ。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月9日 寝ないで済む突然変異(9月25日号 Neuron 掲載論文)

2019年9月9日
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昼間でも眠たくなる私には想像できないのだが、若い時からあまり寝なくとも何の問題もないという人たちがいるようで、しかもその一部は明らかに遺伝性があることがわかっているらしい。今日紹介するカリフォルニア大学サンフランスシスコ校のグループは、これまでも短い睡眠でも普通に生活できている(と言うより長い時間寝られない)家族の遺伝子を研究しており、これまでに概日周期に関わるDEC2遺伝子を特定していた。

今日紹介する論文は同じように睡眠の短い家族を解析して、β1アドレナリン受容体の突然変異が短い睡眠しかできないと言う形質を引き起こすことを示した論文で9月25日号のNeuronに掲載されている。タイトルは「A Rare Mutation of β1 -Adrenergic Receptor Affects Sleep/Wake Behaviors (β1アドレナリン受容体の稀な突然変異が睡眠と覚醒の行動を変化させる)」だ。

5世代にわたって4−6時間しか寝られないメンバーが多発する家族の遺伝子を調べ、男女を問わずshort sleeperの全てがβ1アドレナリン受容体(bAR1)の最も保存されている187番目のアラニンがバリンに変わっていることを発見した。さらにこの変異により、bAR1分子が不安定になりcAMP産生が低下する(すなわち機能が低下する)ことを明らかにしている。

誰がみてもshort sleepがbAR1の変異とは全く予想外で、本当かどうかマウスのbAR1に同じ変異を導入して調べている。予想通り、変異マウスの睡眠時間は全体で1時間ほど短い。さらに、起きている時間は普通のマウスより元気に動くこともわかった。すなわち、人の睡眠行動を再現できたことになる。

次にbAR1が発現している脳領域の中で睡眠に関わることが知られている脳のponsに焦点を当て、bAR1を発現している神経細胞の活性が覚醒時とREM睡眠中に高く、ノンREM睡眠時には活動しないことを発見する。すなわちPons背側の細胞が、覚醒を調節している可能性が示された。

これを確かめるため光遺伝学的にこの神経を刺激すると、覚醒時刺激が高まってもほとんど変化はないが、ノンREM睡眠時に活性化すると覚醒することがわかり、この神経興奮が覚醒を誘導することが明らかになった。

つぎにbAR1分子を不安定にする変異の脳生理学的検討を行い、夜間のpons背側神経の活動が高まることを発見し、bAR1の変異によりponsの活動の抑制されており、これが外れることで突然変異を持つ人はPons背側の活性が高まり、睡眠時間が低下すると結論している。

一つの家族の解析から、睡眠についての面白いシナリオを導き出すと言う面白い研究だと思う。人間でないと気づかないことがあることがよくわかる仕事だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月8日 Neurofeedback:自分の脳の活動を知って脳症状を治す(Biological Psychiatryオンライン掲載論文)

2019年9月8日
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大正時代にわが国で考案された神経症の治療方法、森田療法は現在も多くの精神科医に採用され、受けることができる。治療の要点は、神経症で現れる不安を取り除こうとせず、自分で認識してそれについて話をするように指導する。他にもプログラムに従った作業療法が行われるが、ようするにありのままの自分を知ることが核になっている。

もちろんこの時、自分の脳の活動を知ることはないが、最近脳の活動を見ながら自分で自分の行動を理解することで症状を取り除くNeurofeedbackと呼ばれるが注目を浴びている。内省的に自分を知るのではなく、主に脳波などを通して記録されている脳の活動を通して自分の脳を知りながら、自分でこの活動をコントロールする方法を習得することで、薬を使わない新しい治療法になるのではと期待されている。

今日紹介するイェール大学からの論文は、原因不明のチック症状を示すトゥレット症候群の症状を、機能的MRIでの脳の活動画像を見せることで治療しようとする試みで、Biological Psychiatryオンライン版に掲載された。タイトルは「Randomized, sham-controlled trial of real-time fMRI neurofeedback for tics in adolescents with Tourette Syndrome (リアルタイムのfMRIを用いたNeurofeedbakのトゥレット症候群の青年のチック治療の、無作為化試験)」だ。

この研究では通常用いられる脳波の代わりに、もっと正確に脳の特定の領域の活動がモニターできるfMRIを用いている。頭以外の場所で常に経験して困っているチックを自分で再現してもらい、その時活動する補足運動野を特定する。

次にこの領域の活動を見ながら、この活動をコントロールして、自分の思うようなパターンになるよう努力してもらう。コントロールの人には、脳の活動とは関係ない最もらしいパターンを見せ、コントロールを試みるように促す。

セッションが終わると、見たのは自分の脳の活動家、それともフェークのパターンかを聞いて、コントロールできるという意識が生まれているかを調べている。

結果は驚くべきもので、コントロールと比べると、チックの回数が約5%低下している。すなわち、チックが起こる運動野をコントロールしようと活動を見ながら努力するだけで、チックの回数を減らすことができると結論している。

実際には、治療中にどのような過程が進行しているのか、もう一つはっきりしない点もあるが、脳波よりはよりピンポイントで活動のコントロールを試みさせる点が、成功の秘訣かもしれない。

その原理はともかく、脳の活動を自覚してチックのような不随意運動を減らすことができるとは驚きで、これが本当なら全く新しい時代が始まった気がする。病気だけでなく、記憶力をあげたり、運動能力を高めたり、いろいろ新手が出てきそうな予感がする。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月7日 サソリの毒はワサビの味(9月5日号 Cell 掲載論文)

2019年9月7日
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痛み受容体として最も有名なのはカプサイシンや熱に反応するイオンチャンネルTRPV1、これ以外にも様々な刺激に反応するTRPA1がある。例えば、玉ねぎを刻んで涙が出たり、ワサビでヒリヒリするのはこの受容体の反応であることがわかっている。

今日紹介するカリフォルニア大学からの論文はTRPA1(ワサビ受容体と呼ぶ)を強く刺激する物質の一つに黒サソリの毒があること、またその刺激メカニズムを解明した研究で、9月5日号のCellに掲載された。タイトルは「A Cell-Penetrating Scorpion Toxin Enables Mode-Specific Modulation of TRPA1 and Pain(細胞内に侵入するサソリの毒はTRPA1と痛みを様式特異的に変化させる)」だ。

この研究では様々な生物毒を集め、培養細胞に発現させたワサビ受容体の刺激をカルシウム流入で検出する実験系でスクリーニングし、強い毒素としてオーストラリアのblack rockサソリが分泌するペプチドを特定し、ワサビ受容体トキシン(WaTx)と名付けている。そしてこの分子を欠損したマウスを用いて、WaTxがワサビ受容体特異的であることを確認している。

次に、作用メカニズムを、膜の裏表を区別したパッチクランプ法で調べ、WaTxは細胞膜上で反応するのではなく、先ず細胞膜を通過して細胞内に入った後、ワサビ受容体の構造変化に重要な連結部に結合して、チャンネルの開いた状態を維持することで、神経を興奮させることを明らかにする。

WaTxは炎症を全く誘導せずに痛みだけを誘導することができるという、全くユニークな痛み誘導因子としての性格を持っている。同じようにワサビ受容体を刺激できるたとえばマスタードのオイルなどは、痛みを誘導すると同時に必ず炎症が起こる。

話は以上だが、WaTxが発見されたことで、他の複合因子の影響を完全に排除して、純粋にワサビ受容体による末梢神経細胞の興奮メカニズムを研究することが可能になる。しかし、サソリの毒がワサビの味とは驚いた。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月6日: 寒いと感じるための受容体(9月5日号 Cell 掲載論文)

2019年9月6日
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外界の変化を感じるために私たちは様々な感覚受容体を持っている。これまで紹介したように痛みだけでも複数存在するおかげで、ワサビや玉ねぎまで感知できる。温度もそうだ。暑さだってかなり正確に感じることができるし、冷たいを、さめていると区別できる。しかし知らなかったのだが、温度が低い(涼しい)と感じる受容体はわかっていたようだが、寒いと感じる受容体は分かっていなかったようだ。

今日紹介する華中科技大学とミシガン大学が共同で発表した論文は、線虫の変異体のスクリーニングにより「寒さ」を感じる受容体が線虫から脊髄動物まで、グルタミン酸受容体であることを特定した研究で9月5日号のCellに掲載された。タイトルは「A Cold-Sensing Receptor Encoded by a Glutamate Receptor Gene (寒さを感じる受容体はグルタミン酸受容体遺伝子の一つだった)」だ。

この研究で最も面白いと感じたのは、線虫の突然変異レパートリーの中から寒さを感じる受容体を探し出す方法だ。実際には、多くの線虫を適温の20度から10度に変化させて、その時に活動する神経細胞を探し出す必要がある。興奮する神経はカルシウムの流入で調べられるが、温度を何度も変えて確かめるために、この研究ではPCRに用いる96穴のサーマルサイクラーを用いることを着想し、7000以上の個体をサーマルサイクラーで温度を変えながら、寒さに反応する遺伝子が欠損した個体を突き止めている。

このユニークな方法で見つかったのが線虫の腸内に存在する感覚GLR-3と呼ばれるグルタミン酸受容体で、本来の線虫の系で、この受容体が確かに10度という寒いを感じる受容体であることを確認する。またこの特殊な神経が興奮した時に起こると知られている泳ぐ方向性のターンが低温で誘導できることを明らかにしている。

次に、GLR-3に対応するマウス遺伝子GluK2を特定し、この受容体が線虫の細胞で同じよう寒いを感じる受容体として働けること、寒いの感覚にはチャンネルは必要なく、いわゆるメタボトロピックと呼ばれる機能、すなわちGタンパクを介するシグナル分子として働いていること、そして皮膚から後根神経節へ感覚を伝える神経の一部がGluK2を発現して、寒さを伝えていることを明らかにしている。同じ受容体は魚から人間まで保存されているようなので、寒さの感覚は線虫のような早い段階で進化して、脊髄動物が進化しても変わらずそのまま人間まで維持されてきたことがわかる。

結果は以上で、サーマルサイクラーで温度変化を実現したという点に感心したと同時に、感覚といっても本当にわかっていないことが多いことを思い知った。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月5日 場所の記憶が維持される神経過程(8月23日号 Science 掲載論文)

2019年9月5日
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2014年、オキーフとモザー夫妻がノーベル医学・生理学賞に輝いたが、その時もっぱら脳内のGPSの発見などと報道された。しかし実際にこの研究の示した最も大きなインパクトは、脳内の多くの神経と行動を同時記録することで、脳内に形成される「表象:representation」を実際に観察できることが示されたことだ。当然ノーベル賞に値する素晴らしい業績だ。

今日紹介するカリフォルニア工科大学からの論文は、このオキーフ、モザー夫妻の発見を利用して、こうして形成された脳内の表象が維持される機構を、海馬CA1領域の細胞集団の神経活動の記録から読み解こうという研究で8月23日号のScienceに掲載された。タイトルはズバリ「Persistence of neuronal representations through time and damage in the hippocampus (神経的表象は時間や損傷をこえて海馬で維持される)」だ。

モザーさんたちの研究は持続的に脳の特定の場所全体の活動をクラスター電極を通して細胞レベルで記録することで可能になったが、この手法は現在神経の興奮をカルシウムセンサーで光学的に記録する方法に置き換わっている。ただ、脳内に埋め込んだこのような読み取り装置がどのぐらい長時間、正確に一個一個の神経を区別して記録し続けられるかが問題になる。

この研究ではなんと8ヶ月ぐらいは海馬のCA1領域の5000個を越す神経細胞を同時に記録できるという装置を工夫し、これを用いてモザーさんたちと同じ場所記憶の実験系で、脳内に形成される表象がどう維持されているのかを調べている。

あとは膨大な記録を行動と対応させることで、場所記憶の表象に関わる神経細胞を特定し、それぞれの神経細胞が時間が経った後も、表象維持に関わるか調べている。具体的には、学習過程でできる場所細胞と呼べる神経表象が、10日間トレーニングなしに休んでいても維持されるのか、またその後どのように表象が消えていくのかなどを調べている。

まずわかるのは、一旦トレーニングで表象が形成されると、それは同じ迷路を毎日走らせようが、ケージで休ませようが同じように維持される、すなわち同じ細胞の興奮として維持されていることだ。

しかし、時間が経つとこの表象を担う細胞の数は大体1日1%づつ減っていく。それでも同じ迷路にもう一度入ると、表象としてしっかり機能することもわかる。さらに、この表象は海馬の一部を障害しても、障害された直後は乱れるが、傷が回復すると完全ではないがかなり回復することも明らかになった。

おそらくこの研究の最大のハイライトは、同調して興奮する神経細胞のペアを特定して、その活動と行動を対応させた実験で、表象を担う細胞がコンスタントに失われ、現実的には45日目で消失してしまう場合も、同調する神経ネットワークは維持され、迷路にもう一度入ると45日目でも同じパターンを再現するという発見だ。

結論としては、少ない数の神経細胞でも、同調的に反応できるネットワークが維持されると、表象に対応する神経細胞自体は減っていっても、もう一度鮮やかに表象を再現できるという話で、実際には予想通りの結果だと思う。1年近く脳記録が可能になることで、これまで神経表象について想像されていたことが確認できたという研究だが、しかし記録して情報処理できるというだけですごい。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月4日 Dipeptidase-1は好中球の移動を調節する接着因子として働く(8月22日号 Cell 掲載論文)

2019年9月4日
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昨日に続き今日も生体膜酵素に関する研究を紹介する。今日の酵素はDipeptidase-1で、アミノ酸が2つ結合したdipeptideを加水分解する作用がある。ただ、今日紹介するカルガリー大学からの論文はこの酵素の酵素活性ではなく、好中球を肝臓や肺に動員するための接着因子としての作用に着目した研究で8月22日号のCellに掲載された。タイトルは「Dipeptidase-1 Is an Adhesion Receptor for Neutrophil Recruitment in Lungs and Liver (Dipeptidase-1は好中球が肺や肝臓に移行するときの接着受容体として働く)」だ。

このグループの目的は好中球が肺や肝臓に浸潤して時に命に関わる障害を起こす時に働く接着分子を発見することが目的だ。ただ、これまで知られているセレクチンやインテグリンなどの接着因子の中にはこのような分子が今も見つかっていなかった。

そこで、炎症を起こした肺や肝臓で好中球が血管に結合し、浸潤を始めている時に利用する分子を、マウスの好中球の遺伝子を発現しているファージライブラリーを炎症を起こしたマウスに注射し、肝臓や肺に結合しているファージを選び出すことで捕まえようとしている。実際にはこのプロセスを5回繰り返し、肝臓や肺に結合するための分子を濃縮し、取れてきたペプチドがDipeptidase-1に結合することを発見した。また、好中球もDipeptidase-1を導入した培養細胞に直接結合できることも明らかにした。

ただ、好中球の接着にはDipeptidase-1の酵素活性は全く必要がないことも明らかになった。従って、この研究はDipeptidase-1が生体膜酵素だけではなく、血管内皮上の接着因子として働くことを明らかにした。Dipeptidase-1はこれまで細胞接着因子として考えられたことがなかったため、見落とされてきたと考えられる。

次に、Dipeptidase-1が本当に好中球の接着因子として働くかを調べる目的で、Dipeptidase-1をノックアウトしたマウスを作成して調べると、好中球の肺や肝臓への浸潤が抑えられることを確認している。

最後に、LPS(エンドトキシン)注射によって誘導される致死的な炎症が、Dipeptidase-1をノックアウトしたマウスでは起こらないこと、あるいはDipeptidase-1に結合する好中球ライブラリーから得られたペプチドも、好中球とDipeptidase-1の結合を阻害して、エンドトキシン投与してもマウスが生存できることも示している。

以上が結果で、一般的な接着因子の他に、白血球の組織への動員を調節する分子として生体膜酵素Dipeptidase-1とそれに結合する白血球側のペプチドを特定し、エンドトキシンショックに対する治療方法を開発したことは高く評価できる。ただ、見落としているのかもしれないが、この白血球側のペプチドがどの分子に相当するのかがはっきり書かれていない。Dipeptidase-1の研究としては完璧なのだが、最後にモヤモヤが残ってしまった。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月3日 アデノシン受容体と骨粗しょう症(8月21日号 Science Advances 掲載論文)

2019年9月3日
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酵素というと細胞内に存在するタンパク質を思い浮かべるが、細胞膜上で機能する生体膜酵素も存在しているが、その機能の解析はまだまだ進んでいない。この2週間に面白いと思った生体膜酵素の論文を2報目にしたので、今日から紹介することにする。1日目の今日はデューク大学から8月21日号のScience Advancesに発表された骨粗しょう症に関わるectonucleotidaseの研究を紹介する。タイトルは「Dysregulation of ectonucleotidase-mediated extracellular adenosine during postmenopausal bone loss (閉経後の骨粗しょう症で見られるectonucleotidaseによりできる細胞外アデノシンの調節異常)」だ。

このectonucleotidaseとは、細胞膜上で細胞内から出てきたATPをアデノシンへと分解する酵素システムで、細胞膜タンパク質なのでCD39とCD73という命名がされている。

この研究では卵巣を摘出したマウスを用いた閉経モデルでCD39,CD73の発現を調べ、卵巣摘出で骨髄でのCD39/73の発現が、血液細胞を含む様々な細胞系列で低下していることを発見する。一方、エストロジェンを加える実験で、骨芽細胞系、破骨細胞系ではエストロジェンで最後のアデノシンへの分解を媒介するCD73が低下、その結果としてアデノシン濃度が低下することを発見するる。すなわち、エストロジェンによって合成の上昇した細胞外アデノシンが、閉経後の骨形成に関わる可能性が示唆された。

そこで、アデノシン受容体A2BRを骨芽細胞や破骨細胞前駆細胞でノックダウンすると、骨芽細胞の活性が低下、逆に破骨細胞形成が低下するので、アデノシンは骨形成を高め、骨の分解を抑えることがわかった。

この結果は、閉経後もアデノシンからのシグナルを維持できれば、エストロジェンがなくても骨形成を維持できることを示唆しており、これを確かめる目的でA2BR受容体を刺激する薬剤を卵巣摘出マウスに投与すると、全体の骨の体積や、骨梁の数の低下が抑えられることを示している。

例えば、エストロジェンでCD73は低下するが、CD39はどうして上昇するのか、その結果確かにアデノシンは低下するが、AMPの合成は上がるのではと考えられるが、その影響はなど、まだまだ調べることは多いと思うが、少なくとも私が知っている骨形成や破骨細胞活性化とは全く異なる機構のシステムなので、今後閉経後の骨粗しょう症だけでなく、ほかの骨形成異常にも利用価値が出てくるのではと期待される。

もちろん更年期障害にはホルモン療法が高い効果を示す。しかし、先週発表されたThe Lancetの論文では、ホルモン療法を受けると間違いなく乳がんの発症リスクが上がることが証明されている。その意味でも、この経路は重要だとおもう。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月2日 Liquid Biopsyの現状(8月28日号 Science Translational Medicine掲載総説)

2019年9月2日
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胎児の染色体異常を母親の血液に漏れ出てきたDNAで診断するliquid biopsy検査が普及しているが、ガンの診断を、血中に流れるDNAやガン細胞そのもので行うliquid biopsyも開発されており、何年か前に何回も紹介した。しかし、その後あまり多くの論文を見ることがないように思う。もちろん、技術が当たり前になってより専門性の高い雑誌に掲載されているため見つからないのかもしれないのかなと思っていたが、タイミングよく8月28日号のScience Translational MedicineにVogelsteinをはじめとする大御所が集まってこの領域の現状を短く報告してくれていたので、面白いと思った点を箇条書きにして紹介する。タイトルは「Applications of liquid biopsies for cancer (Liquid biopsy のガンへの応用)」だ。

  • 技術的には、エピジェネティックスも含め、点突然変異や欠損など様々な変異を捉えることができる。
  • 血中DNAの半減期は1時間なので、血中DNAの多くは白血球とガン細胞由来だが、ガン患者さんでは血中のDNA自体が時に10倍に高まるが、ガン細胞由来DNAだけとは考えにくいので、この原因を調べることは重要。
  • 質量分析を組み合わせて、確実な早期診断が可能になる。
  • ガンの診断時、バイオプシーせずにガンの変異をしらみつぶしに調べる目的には、技術も発達しており利用価値が高い。また、抗ガン剤を選ぶためにも重要(しかしコストは?)
  • 手術後、現在は副作用はあるにしても想定される転移巣を叩くため、アジュバント治療が行われるが、これを行うかどうかの基準として使える可能性がある。実際、血中のDNAやガン細胞数などは再発率と相関する。
  • 治療経過、特に再発を早期に診断するマーカーとして使う可能性はほぼ完全に確立している。新しい変異が起こってガンが薬剤耐性を確立する過程を診断する方法の確立は加速してほしい。
  • ガンを発見するための集団検診として使うのはまだ難しい。現在のところは患者さんを混乱させるだけ。

以上がこの総説で触れられた重要な点だと思う。だいたい思っていたのと同じだが、要するに役に立つことは間違い無いので、コストに見合う補助検査として使えるよう、体制を整えるべきだという結論だと思う。例えば我が国で実際にどの程度普及しているのか、もしよかったらお教え願いたい。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月1日 ガン転移研究の画期的実験手法(8月29日 Nature 掲載論文)

2019年9月1日
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ガンが恐ろしいのは、局所で増殖するだけでなく体の様々な場所に転移するからだが、この時、転移先の組織とポジティブとネガティブに組み合わさった様々な相互作用の結果、その組織に転移するかどうかが決まる。この相互作用については転移先のガンの周りにある組織の研究として最重点分野になっているが、転移が始まったばかりの小さなガンについては周りの組織を選んでとってくるのが簡単でないため、研究が進んでいなかった。

今日紹介する英国のクリック研究所とケンブリッジ大学からの論文はこの問題をなるほどと感心させる方法で解決し、転移ガンの周りの組織を解析した研究で8月29日号のNatureに掲載された。タイトルは「Metastatic-niche labelling reveals parenchymal cells with stem features (転移先のニッチ細胞を標識により実質細胞ニッチの幹細胞的性質が明らかになった)」だ。

転移ガンと隣接する周りの組織を研究するためには、まず隣接している細胞だけを選択的に集める手法の開発が必要だ。これまで、顕微鏡下でレーザーで細胞を集めたり様々な方法が用いられているが、どこの研究所でも簡単にできるという方法はなかった。

このグループは、ガン細胞自体に周りの細胞を標識させようと着想し、膜通過性の蛍光タンパク質をガン細胞に分泌させる方法を開発した。すなわち、ガン細胞が蛍光物質を分泌すると、そのタンパク質は細胞質に自分で浸透し、周りの細胞も蛍光を発するようになる。使われた各コンポーネントは特に新しいわけではなく、言われてみればなぜこの方法がこれまで使われていなかったのか不思議なぐらいだが、まさに膝を打つとはこのことだと思う。

試験管内やガン細胞を注射して転移させる実験から、確かに周りの細胞が蛍光ラベルされることを確認して、ガンの周りに存在する様々な細胞を取り出して、ガン細胞との相互作用を調べている。

この研究ではマウスの乳ガン細胞の肺転移をモデルに使っているが、例えばガンの周りにある好中球を、普通の好中球と比べると、確かに活性化されており、ガンの増殖を助ける力が強いことを明らかにしている。

おそらく最も重要な発見は、ガンの周りに肺の上皮細胞が存在しており、これが2型の肺胞細胞であること、そしてガンにより様々な肺上皮細胞へと分化できる未熟幹細胞へと理プログラムされていることを明らかにした点だ。この理プログラムがなぜ起こるのかなどは今後の課題だが、このテクノロジーにより初期過程から研究が可能で、期待できる。

もちろんテクノロジー自体は、発現系を工夫すれば転移にとどまらず、細胞間相互作用を調べるための重要なテクノロジーになるだろう。急速に普及するのではという予感がする。

カテゴリ:論文ウォッチ