7月10日 統合失調症と世界の内的モデル(8月5日号 Cell 掲載予定論文)
AASJホームページ > 2021年 > 7月 > 10日

7月10日 統合失調症と世界の内的モデル(8月5日号 Cell 掲載予定論文)

2021年7月10日
SNSシェア

オキーフさんとモザー夫妻のノーベル賞受賞以来、海馬に形成される外部世界の表象についての研究を紹介してきたが、外界の経験を内部イメージ化する過程は決して場所の記憶に限らない。おそらくほとんどの種類のエピソード記憶は同じ仕組みが使われていると考えられる。

実際、今日紹介しようと思っているロンドン大学からの論文の著者らは、2019年に、バラバラに提示されたイメージのセットから、最終的にそれぞれのセットの元になっている6種類のイメージが並んだ順番を、セットを見ながら推察する課題を学習したあと、同じルールに従う新しいイメージセットから、そのセットの背景にあるイメージの順番を構成し直すという課題が、ネズミの場所記憶での脳活動と同じように振る舞うことを発見した。すなわち、それぞれのイメージに対応する神経細胞の活動を脳磁図計で調べると、新しい経験をした後、ネズミの場所細胞で見られる脳活動と同じように、短い周期のリップル波発生に続いて、、それぞれのイメージに対応する神経ユニットの興奮が、経験した順番に順番に再生(replay)される。さらに、推察結果が正しいとわかると、今度は逆順に神経興奮が再生して、内部記憶を書き直すことがわかった。

単純化して解説すると、内部イメージの表象と、現実の経験とを常に参照しながら新しい内部イメージを作っていく脳過程を人間で調べることができるようになった。これを受けて、今日紹介する論文では同じ課題と脳磁図記録を、統合失調症の患者さんで調べる実験を行って、統合失調症の脳機能に切り込めないかチャレンジした研究で、8月5日号のCellに掲載予定だ。タイトルは「Impaired neural replay of inferred relationships in schizophrenia(関係についての推論を再生する過程が統合失調症では障害されている)」だ。

この研究にはもう一つの伏線がある。すなわち、マウスの遺伝的な統合失調症モデルでは、モザーさんたちが定義した場所細胞の記憶形成が障害されるが、このとき新しく海馬の場所細胞で起こった活動経験を、休んでいる時に再生するという過程が特に障害されていることが報告されていた。

だとすると、実際の統合失調患者さんでイメージの順番を推論する課題と、脳磁図計測を組み合わせれば、人間でも解析が可能になる。それを行なったのがこの研究で、結果をまとめると次のようになる。

  • バラバラに提示されるイメージセットから、元のイメージの順番を推察する課題の達成率は統合失調症で低下している。最終的には、子供でもできる課題なので、順番を言い当てることはできるのだが、正しい推論に至るまでの時間がかかる。
  • マウスの場所細胞の興奮で見られたのと同じで、新しいイメージを経験後、それぞれのイメージに対応する細胞が再興奮する再生が、統合失調症患者さんではほとんど特定できない。
  • ところが、再生の際に海馬で生じる高周期のリップル波の振幅は正常より大きい。明確な過程は解析されていないが、興奮抑制のバランスが壊れているため、再生が起こらない。
  • 新しく経験したイメージは、それまでのイメージと対応した連関地図が脳内で形成される(すなわちAを見るとAとともにA’に対する領域も興奮する)。この連関地図が統合失調症では混乱している。

これらの結果を自分なりに考えてみると、統合失調症の人が経験を積み重ねて内部イメージを不断にアップデートしていくことが難しいことがわかるが、ではなぜそうなのかについては、高周期のリップル波の振幅が大きいだけでは、結局メカニズムはわからない。ひょっとしたら、統合失調症の人ではアップデートを拒否する内部イメージがすでに出来上がっているのかもしれないなどと考えてしまう。

こんな空想が広がるが、いずれにせよこの結果や、マウスとの共通性を勘案すると、統合失調症の患者さんは、方向音痴で場所記憶が苦手という話になるが、実際のところはどうなんだろう。

カテゴリ:論文ウォッチ