2024年8月27日
心房由来ナトリウム利尿ペプチドは1981年、カナダの de Bold により発見されたが、その後2年前に亡くなった松尾富三郎先生のグループにより、脳から BNP、CNP が単離された。利尿ペプチド研究の最大の臨床への貢献はなんといっても心不全マーカーとしての BNP が確立したことで、今やこの検査なしに心不全診療はあり得ない。
一方、最初期待された薬剤としての利用は CNP に限られ、軟骨無形成症に使われている。今日紹介するペンシルバニア大学と PharmaIN 社からの論文は、CNP をガン治療に使える可能性を示した前臨床研究で、8月21日号 Science Translatioal Medicine に掲載された。タイトルは「Modified C-type natriuretic peptide normalizes tumor vasculature, reinvigorates antitumor immunity, and improves solid tumor therapies(修飾した C 型ナトリウム利尿ペプチドはガンの血管を正常化し、ガン免疫を活性化し、固形ガンの治療を改善する)」だ。
CNP は脳から分離されたが、血管内皮や線維芽細胞で合成され、血管の構造や機能を高めることが知られている。この研究では、ガンデータベースでガン組織の CNP 発現を調べ、CNP の発現が低い患者さんの予後が悪いことを発見する。
そこで CNP をガン治療研究に使う目的で、血中の半減期を変化させた修飾型 CNP を作成し、皮下注射すると、正常な構築を持つ血管構成に必須の Angiopoetin1 (ang1) の合成が高まり、血管内皮の VE-cadherin 発現が高まる。一方で、血管新生を誘導する VEGF の発現は抑えられ、さらに組織の低酸素環境が改善される。
ガン組織の血管機能が回復するとガンを助け、転移を促進するのではと心配になるが、このブログでも何回か紹介したように、ガン血管を正常な構築に戻すことはガンを抑える方向に働くことが報告されている。
ガンを移植した動物を用いて CNP 投与実験を行うと、ガン組織の血管が増え、さらに血管透過性が低下し、ガン周囲の繊維化が抑えられる。そして、例えば膵臓ガンでは組織繊維化により強く抑制される T 細胞の腫瘍組織への浸潤が高まる。
この結果、他の治療を行わなくても、本来マウスが持っている免疫機能を用いてガンの増殖を抑えるようになり、CNP 単独治療で多くのガンの増殖を遅らせることができる。ただ、この効果は免疫系が存在しない RAG ノックアウトマウスでは観察できない。以上のことから、ガン組織の血管を正常化することで、本来の免疫機能が働けるようになることがわかる。
また、抗ガン剤や放射線治療を行うときも、CNP 投与で効果が高まる。抗ガン剤の場合、特に薬剤が腫瘍に届くことは重要になる。また、当然チェックポイント治療や CAR-T 治療と組み合わせると、その効果をさらに高めることができる。
以上が結果で、もちろん根治効果はないが、様々な治療のアジュバント治療として使える可能性がある。もしそうなれば、発見以来最も広く使われるナトリウム利尿ペプチドになる可能性はある。副作用について気になるところだが、マウスでは特に問題はないようだ。また軟骨形成不全に対してCNPと同じ作用を持つVosoritideが利用されていることを考えると、意外と使いやすいかもしれない。腫瘍間質を攻めることは、膵臓ガンでは最も重要な課題なので、期待したい。
2024年8月26日
現役を退いた時ぐらいから DNA 配列決定に必要なコストが急速に低下し、ガンゲノム研究が毎日トップジャーナルを賑わせるようになった。この結果、一般にはガンが遺伝子変異が重なってできる病気であることが理解されるようになり、個人のゲノムに沿ったテーラーメード治療への期待が高まった。
一方で、ガンゲノムの多様性を実感する研究者から見たとき、これほど多様な変異がバラバラに集まったガンを治療することが本当にできるのかという悲観論も広がってきた。しかし、少なくとも個人レベルでゲノムを調べて治療計画を練った方が予後が良いという治験結果も報告されていることから、悲観論を超え詳細なガンゲノムから最適の治療計画を決めるために必要なデータを蓄積することが必要になる。
今日紹介するオックスフォード大学を中心として集まった国際チームからの論文は、全部で2023人という大規模なガンゲノムを眺めることで、これまでとは異なる景色が見えるのかを調べた研究で8月7日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「The genomic landscape of 2,023 colorectal cancers(2023人の直腸大腸ガンのゲノムから見えること)」だ。
これまでの直腸ガンゲノム解析から大腸直腸ガン (CRC) では KRAS、NRAS 併せて5割が RAS 変異を持ち、p53 変異や APC 変異は8割を超えることから、RAS/APC/p53 の変異で起こるという単純なスキームが頭に染みついてしまった。
この研究ではガンのドライバーの概念を変えて、ガンのポジティブセレクションに関わることが統計的に見られる変異として2000人のガンゲノムデータを調べ、193種類というガンドライバー変異を特定している(その機能は実験的には確かめられていない)。
CRC は、DNA 修復に異常を持つ MSI 型、DNA 合成と修復に関わる DNA ポリメラーゼ ε に変異がある POL タイプ、それと染色体は安定している MSS に分けられ、変異のタイプでもそれぞれ異なっていることから、発生過程が異なっている。この分け方でガンのドライバーを調べると、MSI や POL 型では、遙かに多くのドライバーの変異が重なっていることがわかる。一人の患者さんでの重なりは全く調べられていないのでなんともいえないが、MSI 型や POL 型では、変異を見渡して至適な治療法を考えてくれる AI の必要性を感じる結果だ。
恥ずかしいことに全く私の理解が間違っていたこともわかった。コピー数変化のような大きな染色体の変異は修復異常を持つ MSI、POL 型で多いと思っていたが、実際には逆で MSS にほぼ特異的と言っていい。この構造変化が起こりやすいホットスポットが示されたことも大きい。
ここで用いられたドライバー特定方法は7種類の異なるアプリを全て使った方法で、統計的にポジティブセレクションが見られれば全てリストされてくる。そのため、ガンが免疫を逃れるために起こした変異もドライバーとしてリストされてくる。面白いのは、この免疫反応の仕方から、他のドライバー変異の中で強い抗原性を持つものと、そうでない変異を分けることもできる。例えば RAS 変異は抗原性が強そうだ。また、MSI 型は変異が起こりやすいが、その結果として HLA や抗原プロセスに関わる遺伝子の変異が多い。これもワクチンや CAR-T などを考えるときに重要になる。
これだけの数を集めると、これまで RAS/APC/p53 とひとくくりにしていた MSS をさらに詳しく分類することも可能になる。治療前に調べられた1000人ゲノムから、6種類に分けられ、大きな構造変異が起こる頻度がそれぞれで全くことなる。また、大きな変異が起こりにくい MSS-GS 型は、予後が良いことも確認される。
さらにこれまで全く知られなかった極めて特殊なタイプも特に POL や MSI 型で特定できることから、前ゲノム解析の重要性を示している。
最後にこのように詳しく分類することで、長い大腸の発生場所や、さらには最近増加傾向にある若年性 CRC と、特定の分類型との相関がわかってきた。
要するに膨大なデータなので、詳細の理解は意味がない。当然ガンは個人個人で違うことは間違いないが、それでも共通性は多い。このガンの個性と共通性をうまく抽出して、究極のテーラーメード医療を目指すとき、AI の急発展を利用しない手はない。ガンゲノム研究は新しい転換点にさしかかってきた気がする。
2024年8月25日
食べない時間が伸ばすことで血中グルコースを下げ、インシュリンの分泌を減らすことで、脂肪を燃やすことができる。この目的でさまざまな断食療法が行われるが、体全体の代謝に良いとされていることが、細胞レベルでは意外な効果を示す可能性がある。
今日紹介する MIT からの論文は、24時間断食の後食事を摂るサイクルが腸管の幹細胞増殖を刺激し、さらには腸上皮発ガンリスクを高めることを示した研究で、8月21日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Short-term post-fast refeeding enhances intestinal stemness via polyamines(短期の断食後の食事摂取は腸管幹細胞活性をポリアミンを通して高める)」だ。
この研究は、断食の長期効果を見るものではなく、24時間断食直後に食事を与えるプロトコルの短期効果について主に調べている。ただ、発ガン実験では、断食を1日おきに繰り返えすサイクルを10回続ける実験も加えている。
まず驚くのは一度24時間だけ断食を行い、すぐに食事を摂取させると、食事を再開して1日目で腸管上皮の DNA 合成が上昇することだ。もちろんその後普通に食事を摂取させると徐々に増殖は正常化する。細胞を取り出してオルガノイド形成能でも同じように確認できる。他にも、幹細胞をラベルして追跡する方法でも、幹細胞活性が高まっていることを確認できる。
断食なので当然インシュリンシグナルが重要な要素であると考えられ、下流の PI3K/AKT/mTOR の関与を調べると、期待通りこれらのシグナルが高まっており、阻害実験からこれが幹細胞活性の上昇に関わることを明らかにしている。
ただ、幹細胞活性に関わるのは単純な代謝活性の変化ではなく、mTOR の下流で働く Ornithine aminotransferase (OAT) の活性上昇で合成が上がるプトレシン、スペルミンなどのいわゆるポリアミンの合成が幹細胞活性を高めていることを、OAT 阻害実験により示している。
プトレシン、スペルミン、スペルミジンなどのポリアミンは細胞の増殖を下支えするシグナルとして知られており、この研究では elf5A をヒプシン化(eLF5A にスペルミンからアミノビチル鎖を取り込みリジンに転移し、さらに水酸化する反応で翻訳活性が高まる)することでタンパク質の合成が高まることが、幹細胞活性上昇に関わることを明らかにしている。
だとすると、当然発ガン過程を助ける可能性がある。そこで、ポリポーシスを誘導できる遺伝子操作マウスを用いて、24時間断食の効果を調べると、一回の断食で腫瘍の数が高まることが明らかになった。
最後に断食・接触サイクルを10回繰り返す実験を行い、腫瘍の数を調べると、繰り返すことでも腫瘍の数が増える。
以上が結果だが、断食直後に食事をとった後24時間が一番危険で、断食時にはこの現象は起こらない。また、断食期間が18時間以上続く必要があり、それ以下ではあまり効果がない。おそらくこれは、単純な代謝変化というよりは、ポリアミンの合成が elF5A を介してタンパク合成を高めるという極めて特殊な効果に媒介されているからだと思う。いずれにせよ、ファスティングが一般にも理解されるようになった今、その方法についてこのような詳しい研究が必要なことは言うまでもない。
2024年8月24日
アルツハイマー病(AD)の誘導因子はアミロイドβ や異常Tauタンパク質であるとしても、最終症状につながるのは神経細胞死やシナプス機能異常で、この過程を抑制する治療法の開発も AD 克服の重要な鍵になる。その典型が最近紹介した細胞質内のカルシウム濃度を調節する仕組みを正常化して神経細胞死を防ぐ治療で(https://aasj.jp/news/watch/24592)、大いに期待している。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、アストロサイトの代謝を改善することで AD の症状を改善することができる可能性を示した研究で、8月23日号 Science に掲載された。タイトルは「Restoring hippocampal glucose metabolism rescues cognition across Alzheimer’s disease pathologies(海馬のグルコース代謝を正常化することでさまざまなアルツハイマー廟の認知機能を正常化できる)」だ。
この研究では最初からアストロサイトに存在し、神経細胞には存在しない indoleamine-2、3-dioxygenase 1 (IDO1) に焦点を当てて研究を始めている。IDO1 はトリプトファンを生理活性のあるキヌレニン (KN) に変換する。最近の研究で AD アストロサイトで IDO1 や KN が上昇していることが知られており、これがアストロサイトの神経保護作用に影響があるのではと着想している。
標識分子を用いたトレーサー実験など、実験は多岐に渡り読むのは大変だが、結論は極めて分かりやすい。そこで実験の詳細を飛ばして、結論だけを箇条書きにしていく。
- アミロイドβ や Tau の異常タンパク質は神経細胞だけでなく、アストロサイトにも働き、メカニズムは明確ではないが IDO1 の発現上昇、その結果として KN 合成が高まる。これは、培養でも、AD モデルマウスでも、またヒト iPS 由来アストロサイトでも観察できる。
- IDO1 阻害剤を用いると KN の合成を止めることができる。
- KN はダイオキシンとも結合することで知られている AhR と結合し、核内への移行を媒介する ARNT との結合を高める。この結果、AhR の下流の遺伝子発現が起こるが、AD に関わるのは AhR そのものではなく、AhR により ARNT の利用率が低下した HIF1α の働きが低下することで、この結果グルコースの分解が低下し、TCA サイクル活性が低下する。
- では、なぜアストロサイトのグルコース分解の低下が、神経細胞に影響するのかが問題になるのか?これまでの研究でアストロサイトは乳酸を分泌して神経細胞の代謝を助けていることが知られており、アストロサイトでグルコースが分解されて作られるピルビン酸から乳酸の合成が低下すると、神経代謝を助ける効果が低下する。
- このようにアストロサイトの代謝補助機能が低下すると、神経細胞の長期記憶が低下し、さまざまな認知機能の低下が起こる。
以上の結論を、アミロイドや Tau によるアストロサイトの刺激、IDO1 上昇による KN 上昇、グルコース分解の低下による乳酸合成の低下、そして合成した乳酸による神経代謝補助に至るまで、実験を重ねて証明するとともに、IDO1 阻害剤により、AD による以上の経路を正常化できることを示している。
希望が持てる結果だと思うが、細胞内カルシウムを調節する機構を標的にした研究と比べ、一つ問題があるのに気がついた。すなわち、この研究では代謝やシナプス機能などの異常と、その治療については示されているが、AD の病理変化をこの方法で止められるか示されていない点だ。言い換えると、神経独自に進んでいく神経死過程を止めることができるか明確でない。もし機能的に神経を活性化して症状を軽減しているだけだとすると、神経細胞死を早める可能性すらあると思う。臨床試験前に、この点をはっきりさせることが重要だと思う。
2024年8月23日
例えば指が分かれるためには中間の細胞が消失する様プログラムする必要があるが、同じように我々の身体ではプログラムされた細胞死が至るところで起こることでホメオスターシスが維持されている。プログラムされた細胞死が起こると、その細胞は貪食により除去されるが、このとき働くのは貪食専門のマクロファージだけではなく、様々な細胞がマクロファージ様に変化して貪食することが知られている。例の一つが、2015年イェール大学から発表された論文で、毛根周期の休止期で細胞死が起こると、毛根内の上皮細胞が死んだ細胞を貪食するという発見で、貪食能が場合によって、普通の細胞に誘導できることを示している。
今日紹介するロックフェラー大学、フックス研からの論文は、休止期に毛根下部が消失する過程で、幹細胞が存在するバルジ領域での細胞死と貪食の様子と、そのメカニズムを明らかにした研究。さすがフッックス研と思わせる論文で、8月21日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Stem cells tightly regulate dead cell clearance to maintain tissue fitness(組織の適応性を維持するために幹細胞は死細胞の除去を厳密に調節している)」だ。
休止期の後期になると、毛根は下部を失い上部だけになるが、この過程を詳しく観察して、生き残る幹細胞が周りの死細胞を貪食することを確認している。その上で、本来存在しない貪食能がいつどうして誘導されるのか、休止期後期の細胞を取り出して遺伝子発現を調べ、死細胞とブリッジを作って取り込む過程に関わる分子が、この時期に誘導され、これら分子の阻害実験から、この新しく誘導された分子が隣の細胞だけ幹細胞内に取り込む働きをすることを明らかにする。
論文はここからが圧巻で、この貪食分子を誘導するマスター調節因子を探索し、ほとんどがレチノイン酸受容体 RXRα により調節されており、クロマチンの状態を調べる ATAC-seq によって、レチノイン酸シグナルにより急速にこれら遺伝子のクロマチンがオープン型に変化することを示している。すなわち休止期に、幹細胞のクロマチンが変化して RXRα シグナルに反応できる様になる。
マクロファージの貪食能も RXRα により調節されるが、ケラチノサイトの場合は RXRα と共同するパートナーが RXRγ で、これらが死細胞に隣接する幹細胞で強く誘導されていることから、死細胞自体が RXR 誘導因子ではないかと考え、幹細胞培養に死細胞を加える実験を行い、死細胞に由来する何らかの因子が幹細胞の RXR 誘導に関わることを突き止める。
次に、死細胞由来のシグナルを探索し、死細胞からでる lysophosphatidylcholin (LPC) とアラキドン酸(AA)が RXR 発現に必須であることを阻害実験から明らかにしている。一方、レチノイン酸は幹細胞の周りの上皮から供給されている。そして、LPC、AA、 レチノイン酸の3シグナルが揃えば、幹細胞の貪食能誘導に十分であることを試験管内で示している。
最後に、幹細胞の貪食能がなくなったとき、毛根はどうなるのかを調べ、幹細胞の代わりにマクロファージが進出してくるが、これは死んだ細胞が除去できないための自然免疫系活性化によるもので、幹細胞でも STAT3 や AP-1 活性化が起こり、損傷時と同じストレス反応が起こり、幹細胞の増殖が誘導されてしまうことを明らかにする。
結果は以上で、幹細胞が周りの死細胞を認識し、それを除去する毛根特異的な仕組みによって、死細胞による組織反応を抑え、最適の数の幹細胞とぞしょくを維持し、毛根サイクルを長続きさせていることがよくわかる。おそらくこれが狂うと、毛根が消失するはずで、ハゲのメカニズムにも間違いなくこのシステムは関わっていると思う。読み応えがある論文だと思う。
2024年8月22日
2019年のノーベル賞は、低酸素反応の研究に与えられたが、このシステム異常により発ガンする典型が腎臓の clear cell carcinoma で、低酸素反応を誘導する転写因子 HIF の分解に関わる VHL の変異により、HIF が壊されずに低酸素状態が続くことが発ガンに寄与する。この過程で重要なのが、グルコースを分解する glycolysis の低下と糖新生の上昇とされているが、実際の人間の身体の中に存在する腎ガンでそれを調べることは簡単ではない。
今日紹介するテキサス・サウスウェスタン大学からの論文は、手術2−3時間前に C13 アイソトープでラベルしたトレーサー分子を点滴し腎臓組織や腎ガンに取り込ませたあと、代謝を調べて、腎ガン特有の異常、そして腎ガンの転移持の変化について調べた、人間でここまでやれるかと思えるダイナミックな研究で、8月14日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Mitochondrial complex I promotes kidney cancer metastasis(ミトコンドリアの ComplexI が腎ガンの転移を促進する)」だ。
マウス生体内で行われるアイソトープトレーサーによる代謝実験は数限りなく存在するが、人間のガン患者さんとなるとほとんど見たことはない。しかし、極めて重要な実験で、この研究ではまず標識グルコースのトレーサー実験を行い、グリコリシスによりアセチルCoAまでは進むが、Citrate以降の TCA サイクルの中間体への導入が半減していることを確認する。
次に同じ citrate を通る acetate を標識したトレーサー実験を行うと、やはり TCA サイクル内の代謝物への導入が抑えられる。では、TCA サイクルはどのように維持されているのか標識グルタミンを使って調べると、TCA サイクルに導入されることが明らかになり、TCA サイクル自体は正常に回っていることが確認できる。
基本的には腎ガン特有の低酸素反応により、ミトコンドリアの呼吸系が低下することがトレーサー実験を説明できることから、酸素消費などミトコンドリア機能を調べ、最終的に Complexl の異常がこの代謝状態を形成することを突き止める。
この研究のハイライトは、同じ実験を転移ガンで行ったとき、ComplexI の機能が回復して呼吸が高まった細胞だけが転移していることを突き止めたことだ。実際、ComplexI を薬剤で阻害すると転移が起こらなくなる。また、ガンデータベースで酸化的リン酸化が高い腎ガンと低い腎ガンを比べると、生存率が圧倒的に異なることも示している。
最後に、では ComplexI が腎ガン特有の代謝システムを形成するメカニズムについて、人間の酵素をバクテリアの酵素で置き換えるという離れ業の実験を行い、NADH オキシダーゼによる NADH / NAD のバランスによる酸化還元バランスが変化することにより、腎ガンの呼吸機能が高まることが転移の引き金になることを示唆している。
結果は以上で、全く新しい話ではないが、手術という機会を捉えて、人間で実際に調べたことが重要だと思う。人間を直接使った研究の重要性は言うまでもない。例えば脳の皮質電極を用いた研究は我々脳の理解に大きく貢献している。同じように、ガンの代謝を標的にする治療のために、同じような実験が行われてもいいと私は思う。
2024年8月21日
バクテリアから人間まで、抗菌作用がある比較的短いペプチド(anti-microbial peptide :AMP)は、細菌感染の第一線、あるいは細菌同士の競合に関わることが明らかになっている。さらに、このような抗菌ペプチドを薬剤として使うための開発も進んでおり、すでに使われている AMP としては、ポリミキシンB、コリスチン、バンコマイシンなどが挙げられる。
今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、人間の腸管、口腔、皮膚、膣の細菌叢の全ゲノム解析データの中から AMP 候補を323種類見つけた研究で、8月19日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Mining human microbiomes reveals an untapped source of peptide antibiotics(ヒトの細菌叢を探索するとまだ知られていない抗菌ペプチドソースが明らかになった)」だ。
現在ヒトの様々な組織から分離した細菌の全ゲノム解析データベースが整備されているが、このデータから、まず50アミノ酸以下の44万種類のペプチドをリスト、その中から抗菌活性を予測する AI モデルを用いて、最終的に323種類の、AMP 候補をリストしている。
In silico で候補を323種類にまで絞れれば、あとは抗菌活性が本当にあるのかを調べるだけになる。まず、それぞれの AMP の由来を調べているが、これは簡単ではない。323種類のうち294種類については属レベルで由来が特定できるが、系統レベルまで特定するのは難しい。驚くことに、78種類がウイルス由来であることもわかった。また、細菌叢の mRNA 解析データと比較し、これら AMP が実際細菌で作られていることも確認している。
ここまで来ると、あとはペプチド一つ一つについて抗菌活性を調べる段階に入る。このため、抗菌活性予測値が高い78種類のペプチドを全て合成し、11種類のバクテリアを用いて抗菌活性を調べている。この結果、半分以上55種類の AMP が少なくとも一種類の細菌に対する抗菌活性があることがわかった。
また、十分臨床的にも用いられる広範囲の細菌に活性を持つ AMP を5種類選び、さらに詳しい解析を行っている。構造的には多様で、αヘリックスが多いが、βシート型のペプチドも存在する。そして、抗菌メカニズムは、膜の破壊で、細胞膜の電位が AMP により脱分極することが示されている。
最後に、マウスの皮膚膿瘍モデルを用いて抗菌活性を調べ、特に5種類の中の prevotella 由来の Prevotellin-2 がポリミキシンB に匹敵する抗菌活性を持っていることを示している。
以上、ペプチドに絞って探索すれば我々の身体からも有用抗生物質を特定できるという話になってしまうが、本当はもっと重要な内容も含んでいる。すなわち、AMP の細菌叢での役割と、細菌叢形成過程の理解だ。今回特定された AMP は様々な抗菌活性を持っている。例えば AMP 同士が協力して、その細菌叢には存在しない細菌を除去しているケースや、さらには同じ種類同士で作用し合ってニッチを巡る競争に関わる AMP もある。さらに、動物は常に大便からの感染が起こる習性を持つが、口内細菌の一つ fusobacterium 由来の AMP が直腸の細菌叢常在菌に高い活性を示すのも意味深だ。このように、細菌間の関係を AMP を通して整理することで、細菌叢の成立と機能をより深く理解できる様になると思う。
2024年8月20日
神経的に食事を拒否するため極端に体重が減少し、10%近い患者さんが死に至る病気は、神経性食思不振と我々の頃は習ったが、検索してみると最近では神経性やせ症と呼ばれている様だ。どちらもAnorexia Nervosa (AN) となっているので同じ病気と考えていいのだろう。AN だけでなく、食事をする気にならない症状は抗ガン剤治療でも起こり、有効な治療法の開発が急務になっている。
今日紹介するフランス INSERM からの論文は、ちょっと変わったメカニズムで症状を軽減できるかもしれない治療法の研究で、8月14日号 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Acyl-CoA binding protein for the experimental treatment of anorexia(食欲不振に対する Acyl-CoA 結合タンパクを用いた実験的治療)」だ。
Acyl-CoA は TCA サイクルと脂肪代謝をつなぐ必須の補酵素だが、この輸送に関わると考えられている結合タンパク質 (ACBP) が AN で低下することが知られていた。この研究ではまず AN 患者さんのコホートを重症者と軽症者に分けると、体重減少で入院が必要な患者さんのほとんどで ACBP の血中濃度が低下していることを確認している。
次に動物モデルとして、強いストレスを与えて食欲を抑える実験系でも、ACBP が低下することを確認し、今度は逆に血中の ACBP を上昇させると食欲が出ないか調べている。
実際静脈に ACBP2 を注射すると、食欲が回復して体重減少を抑えられるのだが、よりストレスのかからない方法として、肝臓に遺伝子を発現させる LIVE ベクターを用いて、ビオチンを注射したときに ACBPが末梢血に現れる様操作した遺伝子を、ACBP 欠損マウスに導入し、ACBP の食欲や体重に対する影響を調べている。結果は同じで、血中 ACBP が上昇すると、食欲が出て、体重減少が防がれる。この効果は、抗ガン剤シスプラチンを投与したときに起こる食欲減少も抑えてくれる。
面白いのは、ACBP は脳血管関門を通らず、例えば GLP のような食欲中枢に直接働く効果を持たない。逆に、脳に投与する実験では ACBP は食欲を抑えることがわかっており、末梢での上昇と中枢での上昇の効果が全くことなる。
詳細は省くが、ACBP の効果の背景にあるメカニズムを様々な角度で調べ、ACBP2 の効果はグルコース濃度を一定にすることで消失することから、グルコース代謝を変化させることが最初のトリガーになっていることを明らかにする。
ここからの経路は明確ではないが、この肝臓内での変化が神経炎症の原因になる GDF15 や lipocalin-2 の合成を抑制し、その下流にある食欲を抑えるメラノコルチン受容体の活性化を抑えることで、食欲を正常化させる。さらに、コルチゾンやノルエピネフリンの様なストレスホルモンも正常化する働きがある。
結果は以上で、さらにメカニズムの詳細がわかれば、他の薬剤開発も可能かもしれないが、生体タンパク質で副作用に問題がなければ、とりあえず ACBPを、他の方法が効かない患者さんに使ってみる価値はあると思う。これは AN だけでなく、抗ガン剤治療の食思不振を抑えることは最重要課題だ。
2024年8月19日
進化の大きなエポックの一つは生物の海から陸への上陸作戦だ。植物や節足動物では4億5千年前前後に陸上進出を果たしたと考えられているが、脊椎動物となると、かなり遅れて3億7千万年前のデボン紀の肉鰭類や四足類の間に位置するアカントステガなどが知られているが、ゲノムを調べることは難しい。その代わりに、シーラカンスや肺魚など現存の肉鰭類のゲノムから、エラ呼吸から肺呼吸への転換、四肢の発生など上陸作戦の道程を調べる研究が進んでいる。
今日紹介するドイツビュルツブルグ大学とコンスタンツ大学からの論文は、アフリカ、南アメリカに生息する2種類の肺魚のゲノムを解析し、2021年に発表していたオーストラリア肺魚ゲノムと比較しながら、上陸への道程を調べた研究で、8月14日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「The genomes of all lungfish inform on genome expansion and tetrapod evolution(全ての肺魚のゲノムはゲノム拡大と四肢の進化の道程を教えてくれる)」だ。
肺魚は、4億年前に進化しているが、現存しているのは分布が異なる上に挙げた3種類で、この中で先祖に最も近いとされているオーストラリア肺魚(AL)については2021年の論文で、エラ呼吸から肺呼吸への進化、嗅覚の発生、鰭から足への進化などに必要な遺伝子に焦点を当てて詳述している。
この研究では、さらにジュラ紀(1億8千年前)にアフリカと南アメリカが分かれた際に分岐したアフリカ肺魚と南アメリカ肺魚のゲノムを、long read 可能なシークエンサーを使って解読し、染色体3次元トポロジー解析も合わせて、最終的にゲノム全体の構成を明らかにしている。すなわち、現存3種類全部の肺魚ゲノムを比べることで、さらに詳しく進化の道筋を探っている。
通常のゲノム解析とは異なる方法を用いる必要があったのは、肺魚はゲノムサイズが我々人間と比べてもはるかに大きく、繰り返し配列が多いためで、long read を繰り返す大変な作業だったと推察する。
そして新しく配列が決定されたアフリカ肺魚と、南アメリカ肺魚のゲノムサイズはそれぞれ 91G、40G で、アフリカ肺魚はなんと人間の30倍の大きさになっている。すでに報告されているオーストラリア肺魚は 40Gで、これまで知られている脊椎動物の中では肺魚のゲノムが一番大きい。一方で、機能的遺伝子の数は、どれも2万前後で、独立して2億年以上進化し、しかもゲノムのサイズが倍以上違うのに、遺伝子の構成は極めてよく保存されていることが明らかになった。遺伝子の大きくなったほとんどの原因はジャンクと呼ばれるトランスポゾンの数が増えた結果になるが、それにもかかわらず重要なゲノム構造は進化の過程で維持されている。
この研究のハイライトは、3種類の肺魚でトランスポゾンが現在も増大している原因を探り、トランスポゾンを不活性化するために使われる、PIWI と呼ばれる小さな non-coding RNA 量が、1/10程度に低下している結果であることを明らかにする。すなわち、現存の肺魚でもジャンク DNA は増大し続けていると考えられる。PIWI 合成が低下している原因については、合成システムが欠損しているのではなく、3種類それぞれに異なるメカニズムが働いていることを示している。
もちろん大きな形質の変化が必要な進化では、トランスポゾンであってもゲノムの多様性が重要になるが、人間の30倍というゲノムを複製するためには、細胞周期システムから、予想される DNA 損傷への対応など、多くの遺伝子が変化する必要があり、その一部はゲノム解析から推定できる。
他は、オーストラリア肺魚の論文で示されたことの追認だが、鰭から足への進化でまず失われる、鰭の複雑性を誘導するシステムは、古代型に近いオーストラリア肺魚では、鰭の遺伝子発生に必要なマスター遺伝子を導入することで、プログラム全体を再活性化できることを示し、今後さらに鰭から足への進化のメカニズムを追求できる可能性を示している。
2021年の論文とセットなので、是非両方読んでほしいが、上陸作戦の道程についていくつかのシナリオが示されたので、今後が楽しみになる論文だ。
2024年8月18日
人工知能と我々の脳を比べたときの大きな違いの一つが、我々の脳は睡眠し、しかもその間に覚醒時の記憶をよみがえらせ、その中から長期間留め置く記憶を形成する点だ。一方人工知能ニューラルネットは、神経回路の重み付けをするという意味では似ていても、常にインプットの嵐に晒される中での重み付けで、膨大なエネルギーを必要とする。
この睡眠時に行われる記憶の選択は、我々の人生そのものといえる脳の個性の基礎となっているが、睡眠中の記憶呼び起こしに海馬で観察される sharp-wave-ripple (SWR) という同期した神経興奮が関わることが知られていた。しかし、覚醒時のどの経験が SWR により組織化されているのかは、そのとき処理されている情報を特定する必要があり、簡単ではない。
今日紹介するコーネル大学からの論文は、まだまだ現象論ではあるが、これまで記憶の定着に関わるとされてきた SWR に加えて、新しいタイプの興奮が存在し、これが SWR による記憶への組織化を妨げていることを明らかにした研究で、8月16日号 Science に掲載された。タイトルは「A hippocampal circuit mechanism to balance memory reactivation during sleep(睡眠時の記憶呼び起こしをバランスさせる海馬の回路)」だ、
記憶の定着が覚醒時の神経興奮を SWR としてポジティブに選択するとしても、覚醒時の経験インプットは膨大で、ポジティブ選択だけで大丈夫かと思う。この研究ではマウス海馬の CA1、CA2、CA3 に複数の神経を同時に記録できる多重電極を設置し、睡眠中の神経興奮を記録し、これまで観察されてきた SWR に加えて、特に海馬 CA2 領域深部に BARR (barrage of action potentials)と名付けた、ゆっくりした周期の、しかも長時間続く集団的興奮が起こっていることを突き止める。
SWR は覚醒時の学習に関わった神経細胞で起こることが知られているので、学習時に活動した神経と、SWR、BARR の関係を調べると、SWR はこれまで知られている様に学習時に活動した神経が興奮するが、BARR は学習に関わった神経を抑える方向に働き、学習時と SWR に強く興奮した神経では、BARR時期には強く抑制されることがわかった。
また、このときの興奮に関わる神経細胞も、光遺伝学的に調べると、SWR では Parvalbumin 陽性介在神経、BARR ではコレシストキニン陽性のバスケット細胞が、錐体細胞と異なる回路を形成し、学習時の神経興奮を、それぞれポジティブ、ネガティブに調節していることがわかった。
最後に、BARR の発生を光遺伝学的に抑制する実験を行い記憶の定着について調べると、BARR を抑えても記憶の定着が抑えられることがわかった。