2019年4月24日
ウイリアムズ症候群(WS)は、言語と脳が話題になる時必ず言及される病気だ。というのも、知能の発達の遅れにも関わらず、言葉を話す能力が極めて高い不思議な特徴を持つからだ。これと並行して、「天使のように愛くるしい」と形容される人懐っこさ、そして初めて人でも不安を持つことなく近づく社交性を同時に持っていることから、言語能力が社会性と強く相関していることを示す一つの例になっている。
病気の原因は7番染色体の一部が大きく欠損するため、片方の染色体で26種類の遺伝子が欠損するため、実際には様々な身体の発達障害を示す複雑な疾患だ。最近、同じ領域の小さな欠損を持つWSが発見され、GRF2I転写因子の欠損が特徴的な顔貌と精神発達障害に関わることが明らかになった。
今日紹介するマサチューセッツ工科大学からの論文はマウス神経細胞のGtf2i遺伝子を欠損させたモデルマウスがWSのモデルとして利用でき、さらに発達障害の治療も可能であることを示した画期的な研究でNature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Neuronal
deletion of Gtf2i, associated with Williams syndrome, causes behavioral and
myelin alterations rescuable by a remyelinating drug (ウイリアムズ症候群に関わるGtf2iの神経細胞特異的ノックアウトは再ミエリン化薬剤で治療可能な行動とミエリンの変化の原因)」だ。
この研究では前頭葉の興奮ニューロン特異的にGtf2i遺伝子をノックアウトしたマウス(cKOs)を作成し、WSと比べながら調べ、以下のような結果を得ている。
- WSでは大脳皮質の縮小が見られるが、同じような皮質の現象が見られる。
- WSは高い社交性と、不安の欠如が見られるが、cKOsの行動解析でも、同じように、他のマウスに対する高い社交性と不安行動の低下が見られる。
- cKOsの遺伝子発現を調べると、なんと低下する遺伝子の7割がミエリン合成に関わる分子で、実際脳のミエリンの厚さが低下して、神経伝達速度が低下していることがわかった。そこで、WSの脳の遺伝子発現とミエリンを調べると、cKOsと似たミエリン厚の低下と、ミエリン関連遺伝子の発現低下が見られた。
- カリウムチャンネルをブロックして神経伝達機能を高めるアミノピリディンを投与すると、運動機能が正常化し、さらに社会性が高いという変化も正常化する。
- オリゴデンドロサイトの文化を誘導しミエリン形成を高めることが知られており、現在はアレルギー症状改善に用いられるクレマスチンを投与すると、ミエリンの厚みが増し、社会性も元に戻る。
- Gtf2iを片方の染色体のみ欠損させた、よりWSに近いモデルマウスでもWSと同じような症状とミエリン形成異常が起こる。
以上の結果から、WSの精神発達障害のかなりの部分はGft2i遺伝子の欠損で説明でき、しかも薬剤による治療可能性があることを示した画期的研究だと思う。臨床試験がうまく進むことを期待したい。
2019年4月23日
絶対的な善悪が神により決められるとされていた時代に、人間の善悪の判断は好きか嫌いかの感情に深く根ざしていることを率直に指摘したのはスピノザだが、この好き嫌いの感情に関わる重要な脳領域の一つが扁桃体だ。例えば自閉症スペクトラムの子供が、他人の目を見たときより、口を見たときに強く反応するといった不思議が起こるのも扁桃体で、多くの研究者がこの領域の解明にしのぎを削っているという印象がある。
そんな中で今日紹介するケンブリッジ大学からの論文は単一神経の記録から扁桃体で自分の行動と他人の行動をどのように処理して社会性を学習するかを調べた古典的な研究で、クラスター電極や光遺伝学などを多用した研究が圧倒的多数を占める中で、不思議な新鮮さを覚えた。タイトルは「Primate Amygdala Neurons Simulate Decision Processes of Social
Partners(サルの扁桃体ニューロンが社会的パートナーの決断過程をシミュレーションする)」だ。
この研究では、大きな褒美をもらえる確率が一方は85%、もう一方は15%という2枚の絵を選ぶ課題を、テーブルを挟んで2匹のサルに行わせ、相手がうまく選んで満足するのを見ている時と、自分が選んで満足するときの扁桃体のニューロンの活動を一個一個比べ、それぞれの過程に関わるニューロンの特性と場所を記録して、自分の判断と、他人の判断をどのように統合して、社会性を獲得するのかを理解しようとしている。課題はあまりにも単純だが、実際には課題を行なっている途中で確率がスイッチするようにして、この急な変化にどう対処しているかも記録している。
一つの神経を記録しながら、いくつかの課題を行わせ、行動と単一神経の興奮との関係を解析、これが終わるとまた次の異なる場所の神経を記録して行動との関連を記録するという、気の遠くなるような実験を繰り返し(サルも大変だと思う)、最終的に以下の結果を得ている。
- 行動と神経活動の記録から、異なる過程に関わる3種類のニューロンが特定できる。
- まず絵を見たときにその価値を判断するとき反応する神経細胞で、自分が課題を行なっている時も、他人が課題を行なっている時も同じ神経細胞が反応する。
- 絵を選ぶとき、相手が選んでいるときに反応する神経と、自分が選んでいるときに反応する神経は異なる。すなわち、自己と他の区別がはっきりしている神経。
- そして、ある対象に対して他人がこれから行う判断を、自分の頭の中で予想するときに反応するシミュレーションを行う神経。
- 自己と他の価値判断に共通に関わる神経は、外側に偏るが、あとは扁桃体の中で混ざって存在している。
そして、自分と他の選択を区別するニューロンと、対象物の価値を共有するニューロンの統合により、他人の行動をシミュレーションする神経が生まれることで、他人の考えを想像できる社会性が生まれるとしている。
同じような研究は、他の動物でも行われている。ただ、古典的な方法でこの問題にアプローチしている新鮮さからこの論文を紹介した。しかし、どのような系を用いるようにせよ、価値を決め、行動を選択する過程が扁桃体の神経活動に表象されていることは、自閉症スペクトラムの治療や理解にとってもとても重要だと思っている。
2019年4月22日
この歳になると、なぜか周りに心房細動でアブレーション治療をしたという人が増えてくる。実際、心房細動の最も重要なリスクファクターは加齢だ。実際には急な生活の変化や疲労の蓄積などで一過性に起こるAFは多くの人が経験しているのではないだろうか。もちろん、弁膜症や心筋梗塞など、血行動態の変化を伴う基礎疾患のある人に心房細動が起こる場合は、すぐ治療が必要だが、初期の一過性の心房細動の治療が必要かどうかは議論が分かれているようだ。
特に基礎疾患がない場合でも、心房細動になると1)胸の不快感が続く、2)当然新機能が低下する、3)血栓の危険性が高まる、ことから、初期であっても積極的に薬剤や、電流によるリズムの調節などで正常化させる方がいいことは間違いない。そこで、最近ではカルディオバージョンと呼ばれるいわゆる電気による除細動が行われる。今日紹介するオランダ・マーストリヒト大学からの論文は、このときも最初からカルディオバージョンを行うべきかどうか調べた研究で4月18日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Early or delayded cardioversion in recent-onset atrial fibrillation (最近始まった心房細動のカルディオバージョンはすぐにすべきか、待つべきか?)」だ。
一般的に除細動というと、心室細動に対して行ういわゆるカウンターショック治療を思い浮かべるが、心房細動でも心臓の拍動(QRS)に同期させて通電してリズムを元に戻す治療が行われ、これを除細動ではなく、カルディオバージョンと呼んでいる。少しでも早く細動を止めるため、最近では救急でのスタンダードになってきている。
この研究では、最近始まった心房細動の症状で救急にやって来た患者さんの中から、発症後36時間以内で、他の心臓基礎疾患がない患者さんを選んで、カルディオバージョンを行わず、薬剤のみで様子を見、もし次の日に来てもらって治っていない場合はカルディオバージョンを行うグループと、最初からカルディオバージョンによる治療を行う群に分け、4週間後に心房細動が再発しているかどうかを調べている。最初様子を見る群でも、48時間経っても心房細動が止まらないグループは、もちろん薬剤やカルディオバージョン治療を行なっている。したがって、最初の段階で様子を見たか、すぐに介入治療を始めたかどうかだけの差を調べている。
最初、3700人の心房細動患者さんがリクルートされているが、そのうち上に述べた条件に合うのは、1125人で、残りの患者さんは診察前36時間以上細動が続いていたり、これまでも細動の発作が繰り返していたり、基礎疾患を持っていたため対象から除外されている。
結果だが、最初からカルディオバージョンを行わない場合でも、行なった場合もどちらも90%以上の患者さんが、4週目で再発はなく、両群に差はなかった。また、副作用でも特に差はなかったという結果だ。ただ最初薬剤からスタートした様子見群では約3割の人で薬剤のみでは治らず、次の日に結局カルディオバージョンを行う必要があった。
以上が結果で、最近始まった心房細動の場合、まず薬剤を処方して帰らせて、治らない場合次の日カルディオバージョンを行うので十分だという結果になる。もちろん、患者の立場から言えば早く直してもらったほうが安心できる。一方、救急の立場で考えると、カルディオバージョンには鎮静剤の投与など、時間と人手がかかるので、できたら薬剤処方だけでとりあえず帰ってもらって問題なければ、その方がいいことになる。この研究のモチベーションは、おそらく後者だと思う。
2019年4月21日
最近は当たり前の技術になってしまって驚きが無くなったためか、このブログで、クリスパー自体や、それを用いた研究について紹介する回数は減ったが、実際には利用の裾野は広がり、何らかの形でこの技術を使っている論文数は増加の一途をたどっている。また、この系の臨床応用についても、前臨床研究の数が着実に増えてきており、医療として使われるのも近いことが実感される。
臨床応用を目指した研究に関しては、さらに安全な技術に改良するとともに、現在ある技術でも十分メリットが期待できる病気を選ぶための探索研究が中心になっている。今日紹介するペンシルバニア大学からの論文もそんな例の一つで胎児期に羊水へベクターを注射して直接つながる肺の遺伝病を治すという面白い試みだ。タイトルは「In utero gene editing for monogenic lung disease(子宮内での遺伝子編集により肺の単一遺伝病を治療する)」だ。
胎児は羊水に浸かっており、消化管や肺は羊水に直接接している。従って、羊水に遺伝子編集ベクターを注射することで、これら器官に関わる遺伝病を治療する可能性がある。この研究では、羊水への遺伝子注入法がどの程度の効率で遺伝子を編集できるのか、ストップコドンをノックアウトすると蛍光が赤から緑に変化する遺伝子を導入したマウスを用いて調べている。
導入した遺伝子の蛍光をスイッチするには、2箇所の正確なカットが必要だが、約20%の上皮細胞で蛍光のスイッチが認められる。また同じ上皮でも、SCGB1A1を分泌する細胞では特に遺伝子発現効率が高いことを示している。上皮には様々なタイプがあり、それぞれ遺伝子導入効率は異なるが、羊水からのアプローチで上皮特異的に遺伝子編集が可能であることが示された。
次に、この技術が使える疾患選びになるが、肺胞のAT2上皮細胞が分泌するサーファクタント分子の変異により胎児内で肺胞細胞が障害されて、生後死亡する突然変異を標的に、この技術で治療が可能か調べている。
まず切断場所を決めるガイドRNAを至適化した後、同じように羊水にアデノ随伴ウイルスでCASやガイドRNAを導入して出生前の肺を調べると、毒性のある変異サーファクタントの量が低下して、肺胞細胞への分化も正常化していることが明らかになった。
その上で治療としての効果を調べると、通常生後すぐに死亡する胎児の6%が168時間を超えて生存できることを示している。
もちろん、この前臨床データでそのまま臨床試験へゴーサインが出るとは思わない。もともと、マウスを使う実験系では、羊水への注射自体が高い危険性を伴う。したがって、効率をより高めること、羊水注射の容易な大型動物で確認することなどが重要だと思うが、現在のままでもこの技術を利用できる病気のリストが一つ増えたこと、そして皮膚、肺上皮といった、胎児期の治療の可能性がはっきりと示せたことは重要だと思っている。
2019年4月20日
光を感知する分子を用いて生体機能を調節する光遺伝学は、何も神経操作に限った手法ではないが、何と言ってもチャンネルロドプシンを特定の神経細胞に導入して神経興奮を短い時間間隔で変化させる技術のインパクトはダントツで、クリスパー/Casと並んで、ノーベル賞を受賞するのが時間の問題だろうと思える研究領域だ。
光遺伝学の難点は、光で刺激するためどうしても動物を光ファイバーで繋ぐ必要があり、自由に動けるといっても限界がある点だ。そのため目的によっては、光刺激の時間的特性を犠牲にしても、動物を拘束しない方法、例えば磁場を用いて神経を刺激したり、化学物質を用いる「化学遺伝学」などが開発されてきた。
今日紹介するハワードヒューズ財団の独自研究施設、ジャネリア研究所からの論文はこの化学遺伝学による神経操作法を飛躍的に高めるための開発研究で4月12日号のScienceに掲載された。タイトルは「Ultrapotent chemogenetics for research and potential clinical applications (研究及び臨床応用を目指した超高性能の化学遺伝学)」だ。
もちろんこれまでもcloza;ine-N-oxideに反応する受容体を用いた化学物質による神経操作法が開発されていたが、特異性も含めて様々な問題があり、新しいプラットフォームが待たれていた。この研究では、1)人間に投与してもほとんど副作用がない、2)脳へ速やかに移行する、3)血中濃度を長期間維持できる、という条件で、α7アセチルコリン受容体をベースに突然変異を導入し、最終的に禁煙のために使うVareniclineに極めて特異的に反応できるプラットフォームを開発した。
あとはこのシステムがどのように使えるかを示す目的で、マウスやサルを用いた実験を行なっている。
まずこのシステムが一番期待される、神経活動の抑制効果を調べる目的で片側の黒質のGABAニューロンにこのシステムを導入し、遺伝子興奮が下がるとマウスがくるくる回り出すという行動を用いてこのシステムの効果を調べ、低い濃度でも注射後20分で効果が発揮され、4時間続き、濃度が下がると行動は完全に元に戻ること、他の神経作用はほぼないことを示している。
次にvareniclineの方を改変して、新しいシステムにより高い結合力を持つリガンドを開発し、彼らが817と番号をつけたこのシステムにさらに100倍以上高い特異性を持つリガンドを開発している。
つぎにこのリガンドにフッ素18を結合させ、このシステムを導入した神経細胞を脳内でイメージングできるかを調べている。画像で見る限り、受容体が導入された領域だけでポジティブ画像が得られ、特異性が高いことが確認できている。
他にもサルの実験、海馬の神経興奮を抑える実験などを示しているが、割愛していいだろう。要するに、極めて特異性の高い、しかも副作用の心配が少ないリガンドを用いて神経を興奮させたり、抑制したりする方法が開発できた。
著者らは、この系を外科的に人間の脳に導入して、1)鎮痛剤では治せない痛みを抑制する、2)局所性の巣てんかんを手術なしで抑制する、3)舞踏病などの不随意運動の抑制などに利用できるのではと考えているようだ。この論文を読むと、確かに実現性は高いと思う。いよいよ、光遺伝学や化学遺伝学も臨床応用が始まる予感がする論文だった。
2019年4月19日
大きく分けて2型糖尿病は、インシュリン分泌が低下と、インシュリンに対する細胞の反応性の低下(インシュリン抵抗性)のメカニズムが関わる、多様な代謝機能が変化した状態と考えることができる。そして、インシュリンをシグナルとして細胞内に伝える受容体は、チロシンキナーゼタイプのインシュリン受容体だけしか存在しないことは確認されていた。従ってこの一つの受容体で生物のエネルギー代謝の根幹を全て調節することになるが、今日紹介するハーバード大学からの論文を読むまで、私はこの多様なインシュリンの機能がチロシンキナーゼの活性化に始まるPI3Kを中心としたシグナルカスケードで進むと思っていた。
この「Insulin Receptor Associates with Promoters Genome-wide and Regulates Gene Expression (ゲノム全体にわたってインシュリン受容体はプロモーターに結合し遺伝子発現を調節する)」と題された論文は、タイトルからわかるようにインシュリン受容体がチロシンキナーゼとしてではなく、なんと核内受容体のように働く新しい経路が存在することを示した研究で、4月18日号のCellに掲載された。
以前からインシュリン受容体が核内に移行する可能性は指摘されていた。このグループは細胞を溶解して核内タンパク質を調整する条件を工夫して、核内に存在するインシュリン受容体がどの分子と結合しているかを調べ、なんと転写を行うポリメラーゼ(PolII)と直接結合していることを発見する。この発見がこの研究のハイライトで、あとは核内へどのように移行し、どの遺伝子の発現を調節しており、これまでのシグナル経路とどこが違うのかを明らかにすればいい。
結果は、
- インシュリン受容体はαβの2種類のタンパク質からできているが、それがそのまま核内に移行する。
- この時、核膜はインポーティンを介して超える、
- 転写されている遺伝子のプロモーター上でPolII複合体の一部になっている。
- 多くの遺伝子のプロモーター上に存在するが、トップに来るのはインシュリンが関わるとされてきた脂肪代謝に関わる分子で、炭水化物の代謝に関わる遺伝子にはあまり関わらない。
- インシュリンの作用で核内に移行し、転写量を促進する。従って、インシュリンが存在しないと転写は変化しない。
- インシュリン受容体の作用は、全部ではないがほとんどの場合HCF-1の転写活性の調節を介して行われる。
- インシュリン抵抗性の肥満マウスではこの経路が低下している。
とまとめられるが、この結果はインシュリン受容体が、チロシンキナーゼ活性と、核内ホルモン受容体に似た転写促進活性の両方の経路を介して、複雑な代謝機能を調節していることを示している。肥満マウスを用いた実験から、いわゆるインシュリン抵抗性がこの経路に関わることが示されたことは、糖尿病研究がまた大きく変わる可能性を示している。さらに、インシュリン抵抗性に関わる炎症との関わりで見たとき、自然免疫に関わる細胞でこの受容体がどの遺伝子を調節しているのかを知ることは重要なテーマになるように感じた。
しかし、思いもかけないことが続々明らかになる。
2019年4月18日
ラクビーはボデイーコンタクトが激しいスポーツで、時に脊髄損傷が起こることすらある。しかし、サッカーと比べても頭への繰り返すショックはあまり強くないようで、慢性外傷性脳症(CTE)の頻度は低いと思う。そしてあらゆるスポーツの中でアメリカンフットボールは、CTEになるリスクが高く、2年前にはプロ選手の9割以上が何らかのCTEに悩まされていることが発表された。当然対策が必要だが、この確定診断は病理検査になるので、生存中にCTEを確定するマーカーが求められていた。
最近になってPETでTauの沈殿が検出できるようになり、CTEではアルツハイマー病などと同じようにTauタンパク質の沈殿が起こっていることが示唆され、今日紹介するボストン大学からの論文は、これを確かめる目的で26人のCTE症状を示す元フットボール選手を対象に、PETによりTauタンパク質の沈殿について調べた研究で、4月11日のThe New England Journal of Medicineに掲載した。タイトルは「Tau Positron-Emission Tomography in Former National Football League Players (元NFLフットボール選手のTau PET)」だ。
この研究では、26人の症状を示す元NFL選手と31人の対照をリクルートし、沈殿型のTauに結合するFlortaucipirと、βアミロイドに結合するFlorbetapirを用いたPET検査で調べている。
結果は予想通りで、元NFL選手では両側上前頭回、両側側頭葉内側部、および頭頂部に、対照群と比べ著しい蓄積が見られるが、βアミロイドタンパク質は対照群と比べて差が無かったという結果だ。さらに、フットボール選手を続けた長さと、PETで測定されるTauの蓄積は上昇しているが、症状の強さとTauの蓄積はあまりそう感がなかった。
以上、Tauの沈殿場所、βアミロイド沈殿が見られないことから、CTEがアルツハイマー病と関係しているというのははっきりと否定できるが、TauがCTEの神経変性にも関わっている可能性が示唆された。しかし、症状とTauの蓄積が創刊しないので、直接の神経変性の引き金かどうかははっきりしない。一方、プレーヤー生活の時間とTauは相関しているので、今後脳へのショックの繰り返しがなぜTauの沈殿につながるのか調べる必要があるだろう。また、PETの結果と病理との相関についての研究も必要だと思う。
どんなスポーツでも、プロになるということは文字通り体を担保にして初めて成り立つ厳しいことであることが理解できる論文だったと思う。
2019年4月17日
ミクログリアは発生の極めて初期に他の血液細胞系列から分離することで形成され、それが長期間脳の貪食細胞として機能している。この貪食機能は、老化とともに低下し、例えば沈殿アミロイドタンパクの除去機能低下が老化とともに発生する一つの原因は、このミクログリア機能の低下に起因するのではないかと考えられている。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、ミクログリアが老化に伴って貪食機能を低下させる分子メカニズムを特定しようとする研究で4月11日号のNatureに掲載された。タイトルは「CD22 blockade restores homeostatic microglial phagocytosis in ageing brains (CD22阻害は老化脳でのミクログリア貪食機能のホメオスターシスを回復させる)」だ。
この研究では現在盛んに用いられるクリスパー/Cas9と薬剤の標的になりそうな遺伝子の機能をノックアウトするためのガイドRNAライブラリーを用いて、ミクログリア細胞株での貪食を抑える分子を探索し、その中から老化とともにミクログリアで発現が上昇する遺伝子を海馬から集めたミクログリアで調べている。
普通このようなスクリーニングでは、多くの分子がリストされてくるのだが、この研究は幸か不幸か、なんとこの基準に合う分子として、シアル酸と結合する能力がある細胞表面分子CD22だけが残っている。実際、若い時のミクログリアには全く発現がなく、老化とともにミクログリアで発現してくる。
そこで、CD22に対するリガンド(シアル酸をN-acetyllactosaminと結合させた分子)で処理すると、貪食能を強く抑えることができる。もちろんCD22が欠損したマウスではこのようなことは起こらない。以上の結果から、CD22がシアル酸が結合したリガンドで活性化されることで、貪食能が低下することが明らかになった。
次にこの逆、すなわちCD22のシアル酸結合を抗体で阻害する実験を行うと、ミクログリアの貪食を高め、脳からのミエリン分子の除去が高まることを示している。また、抗CD22抗体投与ではなく、CD22がノックアウトされたマウス脳もミエリン沈殿を除去する力が高いことを示している。すなわち、老化に伴ってCD22がミクログリアに発現してシアル酸からのシグナルを受けてしまうことで、貪食能が低下することが示唆された。
同じ抗体の老化マウス脳への投与を1ヶ月間連続的に行うと、ミクログリアの発現している遺伝子が、若いミクログリアタイプに戻ることが明らかになった。そこで、CD22ノックアウトマウスで老化に伴う学習能力の変化を調べると、正常マウスでは老化により失われる学習能力(迷路テストで調べる)がなんと正常に近いことも明らかにしている。そして、この記憶の正常化は、海馬の活動細胞の上昇と並行していることを明らかにしている。
すなわち。CD22の発現と活性化によりミクログリアの貪食能が低下、脳内に沈殿する様々なタンパク質を処理できなくなることで、老化に伴う海馬の神経活動が低下するが、この異常はCD22に対する抗体で正常化することができるというシナリオだ。
CD22に対する抗体はすでにリンパ性白血病の治療に用いられており、明日からでも治験ができそうだが、B細胞への影響を考えると、やはり脳内への持続注入が安全だろう。これがヒトで可能か、そう簡単ではないような気がする。本当は、なぜCD22が老化とともに発現するのかを明らかにして、それを標的にしたほうがいいような気がする。
2019年4月16日
CD8陽性キラー細胞によりガンを殺すためには、ガン抗原ペプチドがガン細胞状のMHCに提示されれば良いが、がん免疫が成立する過程ではがん細胞が発現する抗原だけで十分かどうかについてははっきりとした答えはない。多くの研究は、ガン自体も樹状細胞DCに処理され、免疫系を刺激した方が有効であるという可能性を示唆しているが、うまくコントロールされた実験系でそれを証明した研究は多くない。
今日紹介するマウントサイナイ病院Ican医科大学からの論文は、本来抗原提示能力が十分なはずのBリンパ系腫瘍をモデルに、それでもDCの関与が免疫成立に必要であることを示した論文でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Systemic clinical tumor regressions and potentiation of PD1 blockade
with in situ vaccination(腫瘍内への免疫による全身性の腫瘍退縮とPD1阻害効果の促進)」だ。
まずDCによるcross presentationが必要であることを示すため、DCのMHCと腫瘍のMHCの一致だけが異なる凝った実験系を用いてガン免疫を調べ、ガン自体が抗原を提示できていても、ガンと同じMHCを持ったDCが存在しないと免疫が成立できないことを確認している。また、このとき働くDCはCD103陽性タイプで、これがないとPD1阻害療法にも反応しないことも示している。
すなわち、腫瘍細胞がDCにより処理され、免疫系を刺激する必要があることがはっきりしたわけで、あとは腫瘍内にどのようにDCを誘導して、ガン抗原を処理させるかが問題になる。
私も全く知らなかったが、FLT3に対するリガンドFLT3Lを腫瘍内に注射するとDCが集まってくることが知られていたらしい。この研究では次に腫瘍内にFLT3Lを注射し、これにより多くのCD103陽性DCが腫瘍内に集積することを確認している。
次は、集まったDCに癌を処理させる必要があるので、局所に放射線をあててガンを殺すのと同時にFLT3Lを投与する実験を行い、期待通りDCによるガン抗原の処理が行われることを確認する。
最後に、このDCの免疫刺激能力をさらに高める目的でpolyICをアジュバントとして用いて効果が高まること、そしてFLT3、放射線、pICで処理した上にPD1阻害治療を組み合わせると強くガンを抑制することを明らかにしている。
この前臨床研究を受けて、この研究では最後に8人のノンホジキンリンパ腫の患者さん11名を同じ方法で治療している。ただ、PD1阻害療法は今回は組み合わせていない。この治療では、末梢血中のDCも分化型に変換され、腫瘍組織へのDC浸潤も著名に見られる。
結果としては、3年近く病気が進行しなかったのは2例だけだが、半分以上は病気の進行を止めることができている。しかも、著効を示した患者さんでは、局所に治療を行っただけなのに、全身の転移巣も消失しており、全身性の免疫が成立したことを示している。著者らによると、人で局所に対する免疫治療が全身にも効果があることを示せたのはこれが初めてらしい。おそらくこれを示したいため、あえてPD1阻害療法は使っていなかったのだろう。
話はこれだけで、免疫の入り口を操作することの重要性を示し、これにガンのネクローシスと、DCの操作が重要であることを示す、新たな例になったと思う。熊本で、自らの判断でオプジーボと温熱療法を組み合わせているお医者さんと知り合ったが、これまで問題があるとされてきた免疫療法も、科学的なプロトコルへと変換できる可能性が高まったと思っている。
2019年4月15日
心地よい、気持ちが良いという快感が、美しいという普遍的な美の認識へどう転換できるのかについて、「完全なイデアが、現実や認識を超えて存在するのだ」というプラトンの超越論的な考えから、「物の中に形相因として存在する」というアリストテレスのように、哲学の始まりから盛んに議論されてきた。
ただ現代の脳科学に近いのはカントの「判断力批判」からだと思う。単純化して言ってしまうと、普遍的な美に到達するためには、心地よい感覚インプットが個人の能力や経験を通した判断を通して目的化される必要があると考えたが、この目的化の過程に芸術の普遍性もあるし、個性もある。特に、個性になってくると先天的、後天的を問わず芸術家ならではの能力が存在し、これは脳の多様性として現れるはずだ。
先週土曜日、芸大の油絵科の学生達と話す機会があったが(不思議と全員女性だったが)、彼女たちと話していて驚いたのは、鏡で確認しなくても、自分の顔を思い出せるそうだ。もちろんこの能力は芸術家に限らないと思うが、私たち凡人は自分の顔は言うに及ばず、顔を空で思い浮かべることは簡単ではない。絶対音感もそうだが、一つづつこのような脳の多様性を解明していくことは芸術に関わる創造性、すなわち脳の多様性を理解するためには重要だ。
前置きが長くなったが、今日紹介するニューヨーク大学からの論文は、人間のリズム感についての差の脳科学的背景を調べた研究でNature Neuroscience4月号に掲載された(22:627, 2019)。タイトルは「Spontaneous synchronization to speech reveals neural mechanisms
facilitating language learning(話し言葉への同調能力から言語学習を促進する神経学的メカニズムが明らかになる)」だ。
この研究ではまず言葉のシラブルの持つリズムの認知能力を、言葉を聞かせて、それをもう一度繰り返させるという課題で調べている。すると驚くことに、繰り返して同じシラブルを話すとき、聞いたリズムと同調したリズムで話せる人と、そうでない人がはっきり分かれることがわかる。
この2つのグループで、今度はもう少し複雑なシラブルを聞かせながら脳磁図で活動を調べると、同調能力の高いグループほど、左脳のブロードマン44領域と呼ばれる言葉を話すときのタイミングに関わる領域の活動が、聞いているリズムに強く同調していることがわかった。すなわち、言葉のリズムの認識力が脳の機能の違いとして検出できることになる。
そこで、ではこの機能的違いが脳のネットワークの違いを反映しているか、神経繊維を通る水分子の動きを調べる拡散強調MRIを用いて前頭葉と聴覚野の結合を調べ、左側の聴覚野への神経結合が高まっていることを明らかにしている。そしてこの能力が音を聞いて言葉を覚える能力とも相関する事を明らかにしている。
話はここまでで、高次の機能を支える脳の構造的違いを一つ明らかにした面白い研究だ。こうして特定された違いを、日本人と中国人や米国人と比べたり、あるいは音楽家と素人で比べたりすることで、さらに面白いことが発見できるような気がする。
このような論文を読みながら、土曜日の会話を思い出すと、芸術を鑑賞するとき、自分が心地よいというだけでなく、作者や演奏家の脳の多様性を楽しめる境地まで達することができれば、芸術のあり方ももっと大きく変化するような気がする。その意味で、科学者と芸術家が常に対話することは重要だ。