2024年7月16日
同じ遺伝子を持っている細胞でも、例えばリンパ球や皮膚細胞のように、機能や形態が異なるのは、遺伝子の使い方が異なるからで、このメカニズムをエピジェネティックスと総称している。すなわち、細胞の分化を調べるためには様々な方法で遺伝子の on/off を調べる必要があるが、ほとんどの方法はクロマチンを形成するヒストンをはじめとするタンパク質に依存しているため、DNA が分断され、タンパク質の多くが分解、拡散してしまっている古代生物の解析には使えない。すなわち、古代生物のエピジェネティックスを研究することは不可能と考えられていた。
ところが今日紹介する米国ベーラー医科大学、スペイン国立遺伝学研究所、デンマークコペンハーゲン大学を中心とする国際チームからの研究は、5万年前のマンモスでも保存状態がいいと染色体の核内での3次元構造を調べることが可能で、この構造からエピジェネティックな情報を引き出せる可能性を示した画期的な研究で、7月11日号 Cell に掲載された。タイトルは「Three-dimensional genome architecture persists in a 52,000-year-old woolly mammoth skin sample(52000年前のマンモス皮膚サンプルに残っていた3次元ゲノム構造)」だ。
シベリアの永久凍土から発掘されたマンモスの皮膚を組織学的に調べると、細胞構造や核が保存されていることはこれまでも報告があった。とすると、核内にゲノムが収納されるときに折りたたまれたパターン、3Dゲノム構造も保存されているのではないかと考え、これまで何度も紹介してきた Hi-C と呼ばれるゲノム領域同士の接触を測定する方法を適用して調べると、驚くなかれ比較的鮮明な結合パターンを抽出することに成功している。このパターンから、活性化された部位と非活性部位の境界を特定できることは、これまで何度も紹介してきた。
最初にこのマンモスで 3D構造が保持された理由について種明かしをしてしまうと、マンモスが永久凍土の閉じ込められる際に、フリーズ・ドライ状態が形成され、水を含む分子の一種のガラス化が発生・保持されることで、分断されたDNAが拡散せずにその場に残る可能性が発生したと結論している。要するに、分子の水中での拡散が抑えられることで、3D構造が維持される。これを確かめるため、肉を4日間そのまま室温に置くと、完全に Hi-C パターンは得られないが、水分を急速に飛ばして一種の干物にすると、1年後も 3D構造を検出することができることを発見している。すなわち、水がなくなって分子の拡散が抑えられると、5万年前の 3D構造もある程度維持できる。これは将来、干物になった動物やミイラの解析に朗報になる様に思う。
とはいえ、フレッシュな核を調べるのとは全く異なり、DNAは断片化しているし、5万年という時間で拡散もおこって構造は失われていく。しかし、全ては確率論的で、実験を繰り返せばゲノム同士の接触箇所を特定することができ、最終的にゲノム間接触場所の40億回の読み出しデータを得ている。
古代ゲノムの場合、DNAが分断しているのでゲノムを統合することは難しい。そこで、ゲノムがわかっている現存の象のゲノムをレファレンスとしてこの40億の接触ペアを調べ直すと、その2.5%、一億ペアが実際のゲノム接触部位を反映しており、そのうち500万近くは20k以上離れたゲノム部位の接触を反映することを明らかにしている。幸い、マンモスと現存の象のゲノム構造はかなりよく似ているので、信用できる Hi-C マップが可能になった。
もちろん離れた場所の接触箇所500万というと多いように思うが、フレッシュな細胞での実験を考えると、何百倍も少ない。それでも、構造を読み出せたことが重要で、3D構造が活性化部位と非活性か部位の境界を示すことでエピジェネティックスと相関することを考えると、古代ゲノムのエピジェネティックスが初めて可能になったと宣言できる。
そして500万カ所について活性型、非活性型を決める境界を探索すると、例えばX染色体の不活化状態をマンモスでも検出することができ、人間と同じで CTCF 結合部位が繰り返すスーパードメインにより調節されていることもわかる。ただ、現存の哺乳類と同じと言うだけでなく、マンモスはX染色体不活化のさらに複雑な様式をとっており、接触部位の解析から現存の CTCF結合スーパードメインだけでなく、他の2種類の接触場所を決める新しいドメインが特定できる。
一番面白かったのは、皮膚や毛根の維持に関わるゲノム部位が、マンモスと現存の象では異なる活性状態にあることを示したデータで、毛の発生に関わる EDAR や EGFR 部位の活性化状態が、寒冷地の適したように変化しているという結果には感銘を受けた。
最後に、やはり組織構造がよく残っている39000年前のマンモスについても同じ解析を行い、ほぼ同じ 3Dゲノム構造が存在することを示している。
以上が結果で、染色体沈降法や、ATAC-seq などが使えなくても、構造が残っているだけで、活動している場所と活動していない場所の境界を特定して、一定のエピジェネティック情報が得られることは理解できていても、実際にそれが可能であることが示されたことで、古代エピゲノム解析への道を開く大きな一歩だと思う。こんな日が来るとは、生きていて良かったと感慨深い。
2024年7月15日
昨日紹介した論文はブラストシスティスという珍しい原虫の研究ということで、現象論的な研究にとどまっていても Cell に掲載されているが、最近の細菌叢研究メカニスティックなデータがないとトップジャーナルには掲載されなくなってきている。そして、今後のメカニスティックな研究を支えると思われるのが、細菌叢の遺伝子操作で特定の細菌を変化させる技術の開発だ。この領域については2022年に単純に病原菌をファージで溶解する方法の開発を一度紹介しているが(https://aasj.jp/news/watch/20285 )、最近はより複雑な遺伝子編集を目指した研究へと進化してきている。
今日紹介するフランス パッスール研究所からの論文は、大腸菌やクレブシエラ菌に特異的に感染するファージを開発して、マウス腸内細菌の遺伝子操作の可能性にチャレンジした研究で、7月10日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「In situ targeted base editing of bacteria in the mouse gut(マウス腸内の細菌の塩基編集)」だ。
この研究のゴールは腸内の特定の細菌に比較的大きな遺伝子を送り込み、遺伝子編集することなので、このためにはどのような開発が必要かがよくわかる。
まず、細菌に効率よく遺伝子を送り込むためにファージを使っているが、目的の細菌だけにとりつくファージを作成する必要がある。標的に大腸菌を使っているので、普通のλファージデいいのではと思うのは我々の感覚で、大腸菌でも腸内でファージ結合に必要な分子発現が低くなっているという事実に基づいて、尾部に存在する2種類の分子を様々なファージ由来の分子とキメラを作成し、その中から効率よくしかも特異的に遺伝子を供給するファージを作成している。
次はこのファージカプシドの中に詰め込む遺伝子だが、CRISPR-Cas をベースにした、一塩基だけを変化させる編集システムを用いている。これにより、組み替えを促進する遺伝子切断を避けて編集が可能になるが、これまでの研究ではファージなど遺伝子を運ぶ効率が低いため成功していなかった。
この研究では、大腸菌に導入するプラスミドを細菌の中で増殖できないように変化させて、編集可能かも調べている。実際には、複製オリジンの活性を調節できるようにして、プラスミドが増殖できる場合と、増殖できない場合で遺伝子編集効率を調べ、両者に変わりがないことを示している。これは、編集システムが他の細菌に広がることを避けるという意味では重要なポイントになる。
こうして作成した編集システムを詰めたファージを使って、いよいよマウスに移植した大腸菌の遺伝子編集にかかっている。ストレプトマイシン耐性遺伝子を編集したあと、腸内細菌を取り出しストレプトマイシン存在下で培養すると、なんと93%ものバクテリアが編集されており、増殖できなかった。また、期待通り導入したプラスミドは便中に全く検出できず、プラスミドの他の細菌への感染が起こっていないことを確認している。
さらに、いくつか用意したファージベクターのうち一つを用いると、クレブシエラ菌への遺伝子導入も可能なことを示し、病原菌を標的にした編集が可能であることを示している。
確かにこれまでの研究と比べてかなりの効率で病原菌を編集できることが示されたが、この方法だけでは編集できないバクテリアが残ることはあきらかで、細菌感染症などを標的にする場合はすぐに編集できなかった細菌が増殖して、治療効果は高くないと考えられる。
そこで病原性を調節する代わりにシヌクレインの沈殿を誘導したり、あるいは自己免疫疾患を誘導する細菌のアミロイド分子CsgA の編集を最後に試み、連続投与を行うことで CsgA産生バクテリアの数を1/4まで減らせることを示している。
結果は以上で、大腸菌という研究の進んだ標的ではあっても、これだけ様々な検討が必要で、また完全に編集することは不可能であることがよくわかる。しかし、特定の細菌の量の変化による細菌叢の変化と言ったメカニスティックな研究に一歩踏み込んだことは明らかだ。とはいえ、腸内細菌のほとんどは、遺伝子導入の方法すら確立していない暗黒の世界だ。細菌叢操作という大きなゴールにはまだまだ基礎的研究が必要だと思う。
2024年7月14日
原生動物と人間の関係というと、マラリアやアメーバ赤痢と言った感染症を思い浮かべるが、病原性がないどころか、人間に益をもたらす原虫も存在するようで、今日紹介するイタリアトレント大学を中心とする国際チームからの論文は、ブラストシスティスと呼ばれる、大量に増殖すると消化管症状を起こすことがある病原性の低い原虫の存在が、健康的な生活スタイルのバロメータとして使えることを示した不思議な研究で、7月8日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Intestinal Blastocystis is linked to healthier diets and more favorable cardiometabolic outcomes in 56,989 individuals from 32 countries(腸管のブラストシスティスは健康的な食事とリンクしており、代謝系や循環器の健康増進と関わる可能性が32カ国56989人の研究から明らかになった)」だ。
元々イタリアのコホート研究でブラストシスティスの腸内での存在がグルコース代謝や脂肪代謝の健康度にリンクしていることが明らかにされており、この研究はそれを確認するための共同研究になる。
便を採取して細菌叢を調べた世界中のコホート研究データから、ブラストシスティスゲノムの存在を探し出し、様々な健康指標と相関させたのがこの研究になる。しかし、世界32カ国でこのレベルのコホートデータが存在し、探す気になれば原虫のデータも集められることは素晴らしい。ただ、はっきり言って、データは多様で、一定の相関が検出できても、原因か結果かを示すところにまでには至っていない。
それでも面白いデータが満載で、まず世界分布を調べると、最も感染が多いのがフィジーで、あとはヨーロッパやアフリカが多い。一方、我が国は中国とともに感染者の低い国になる。面白いのは、ヨーロッパに多い原虫と、アフリカに多い原虫が異なる点で、生活スタイルに強くリンクしていることが示唆される。
調べたコホートでは、新生児の便にはブラストシスティスは全く検出されない。従って、成長する間に感染することになるが、人間で見られるブラストシスティスは動物には全く存在しないので、主に家族内で経口的に伝搬していると考えられる。
一卵性、二卵性双生児での感染様態を比べると、ホストの遺伝的要因には全く影響されず、基本的には生活スタイルを共有することが感染を決めていることがわかる。
この研究のハイライトは、いわゆる健康的食事と言われる食事の摂取とブラストシスティスの相関が、世界中のコホート研究で認められていることで、食の健康度の指標として用いられる指標 hPDI を使うと、ブラストシスティスの感染程度と hPDI に正の相関が見られる。
実際に食が原因である可能性を調べるために、食事を改善するコホート研究のデータを調べ直すと、改善することで新たにブラストシスティス感染した人の数が増えたことを示しているが、メカニズムもよくわからないので、このデータだけでは原因か結果かは結論できないだろう。
次に、病気や健康指標との関係を調べている。便の細菌叢を調べた様々な病気に関するコホートでは、ブラストシスティスはほとんどの場合健康コントロール群で多いことから、健康のバロメータにはなっている。
また、BMI など体脂肪や血圧などの健康指標と相関する。ただ、これも食事と相関するとするとブラストシスティスの直接の影響かどうかわからない。
最後に、細菌叢とブラストシストィストの相関を調べると、一般的に健康的細菌叢と言われているパターンと相関しているが、これも原因か結果かはわからない。
以上が結果で、原虫という意外な健康的食生活のバロメータが見つかったという以外にはなかなかはっきりした結論が出ないが、しかし目の付け所は面白い。おそらく、感染実験まで行く予感がするが、非病原性の原虫を含む飲料まで行ってしまうかもしれない。
2024年7月13日
現在、糖尿病治療薬の市場規模は、抗腫瘍治療薬の半分に達しようとするところまで進展しており、これは患者さんが増えるだけでなく、新しい糖尿病治療薬が使われるようになったことが大きい。中でも GLP-1 阻害薬は、糖尿病患者さんにとどまらず、糖尿病予備軍の抗肥満剤として使われるようになり、大ブレークしている。さらに、安全性が高いことが治験で示された結果、診察なしのオンライン診療による処方が我が国で拡大し、製薬会社も対応に困っているようだ。
GLP-1 の抗肥満作用はもちろん膵臓への作用を介する部分もあるが、もう一つの重要な経路は脳に働いて食欲を抑える作用だ。その結果、副作用として特に治療開始時に吐き気が見られるが、これは GLP-1 が直接脳に作用することを示している。今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、マウスを使って GLP-1 阻害薬に対する脳の反応を調べた研究で、7月10日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Dissociable hindbrain GLP1R circuits for satiety and aversion(後脳の食への満足と忌避の GLP-1 受容体回路)」だ。
驚くことに GLP-1 受容体(G1R)は脳の様々な場所に発現している。この研究ではまず異なる部位の G1R 発現細胞を特異的に除去したときの GLP-1 の体重抑制作用への効果を調べ、後脳の背側迷走神経(DVC) を除去したときのみ体重減少が抑えられることを明らかにする。マウスの結果ではあるが、正常マウスへの影響と比べると、脳への作用が体重減少にかなり寄与していることがよくわかり、まさに GLP-1 作動薬が脳作用薬であることがわかる。
これまでの研究で、GLP-1 は脳で満腹感の誘導とともに、食べ物への拒否感を誘導することで体重抑制に寄与していることが知られている。すなわち、GLP-1 により反応する異なるDVC回路が存在するはずで、それぞれの機能に対応するDVC領域の特定を次に行っている。
DVC には GLP-1 に同じように反応する2つの部位(APとNTS)が存在し、APは吐き気を誘導する薬剤刺激に、NTSは満腹感を誘導する経腸栄養薬刺激に強く反応することがわかった。
そこで、それぞれの領域を個別に遺伝的操作を行い、GLP-1 刺激に対しても、AP領域が吐き気などの食への拒否感、NTSは満足感の誘導に関わることを明らかにする。それぞれの領域は外側結合腕傍核と視床下部室傍核へ投射しているが、異なる神経細胞と結合して、食への拒否感と満腹感を誘導していることを示している。
そして、AP領域の神経活動を抑えて食への拒否感を消失させても、NTS刺激による満腹感の誘導だけで GLP-1 は十分体重減少効果を発揮できることを示している。
以上が結果で、まとめると元々食欲の調節のために独立の回路として存在する、食への拒否感と満腹感は、GLP-1 に同時に反応する。しかし、副作用として捉えられる吐き気といった食への拒否感は、基本的に体重減少には必要なく、GLP-1 は主に膵臓への刺激と満腹感の誘導を通して体重を抑制しているという結論だ。
いずれにせよ、これほど脳への作用があるということを説明した上で、処方することが重要で、私の場合すでに GLP-1 作動薬を使う年齢を遙かに超えているのだが、もし若かったとしたても利用はためらうように思う。
2024年7月12日
タスマニアデビルの感染するガン細胞については何度も紹介してきたが(https://aasj.jp/news/watch/21958 )、孤島に閉じ込められた固有種で、ガン細胞が感染できるぐらいMHCの多様性が低下し、さらに死骸をあさるという食行動を考えると、絶滅の危険は高いといえる。今年、タスマニアを旅行した時、野生のデビルには出会わなかったが、サンクチュアリーでの行動を見ていると、一緒に死骸をあさるというのが正解ではなく、餌の周りでともかく喧嘩をする。当然口腔のガンが感染しやすい性質だと納得した。絶滅を防ぐためには、ゲノムの定期的モニターが必要で、特に個体数が減り近親間交雑が増え、有害遺伝子変異が増加する、遺伝子変異のメルトダウンという現象の兆しをキャッチする必要がある。
絶滅危惧種を科学的に守るためには、絶滅した種についてのゲノム研究は有用だ。その意味で、全ゲノムが解析できるレベルで保存されているマンモスからは絶滅までの軌跡を多く学べる可能性がある。特に、1万年前に起こった水位上昇でユーラシア大陸から孤立したロシア領ウランゲリ島(タスマニアの10分の1の大きさ)に残されたマンモスは、人間が島に上陸するより前に絶滅していたこと、水位上昇で個体数が大きく低下したあと、5000年近く孤立して生存していたことから、絶滅を研究する重要な材料となっている。
今日紹介するスウェーデン自然史博物館からの論文は、ウランゲリ島に孤立する前後のマンモス21頭の全ゲノムを解析し、絶滅までに変異メルトダウン現象が起こっていないか調べた研究で、6月27日 Cellにオンライン掲載された。タイトルは「Temporal dynamics of woolly mammoth genome erosion prior to extinction(絶滅前のマンモスのゲノム崩壊の時間的ダイナミックス)」だ。
この研究では、ウランゲリ島で孤立したあとのゲノムから、特に近親間交雑の程度を知る同じ配列が両方の染色体で続いている Run of homozygocity (ROH) を調べ、ゲノム多様性の減少と、それに基づく個体数を推定している。
まず島に孤立した結果、当然個体数の急激な減少が起こる。この結果、近親間交雑でしか繁殖できなくなり、ROH の数が上昇する。そのときの多様性の変化から島に孤立したマンモスの個体数をシミュレーションすると、なんと多くて8頭。実際にはそれ以下の数から、島全体で2-300頭へと急速に回復したと推定される。すなわち、島に残った一つの群れから20世代ぐらいで一定数に達し、これを維持している。
驚くのは、ROHの上昇と多様性の低下のスピードがその後緩やかになっている点で、当初群れの中での近親間交雑が起こっていても、できるだけ遠い関係の間で交雑するという習性が自然に戻っていることを示している。
しかし免疫に関わるMHCの多様性は40%も低下し、そのまま維持されていることから、感染症などの抵抗性が低下していることは確かだ。
それでも孤立語5000年近く個体数を維持できた原因を調べると、生存に関わる遺伝子変異が集団から自然選択で排除される一方、影響の低い変異はそのまま維持されていることを明らかにしている。
結果は以上で、絶滅までの5000年、ウランゲリ島の環境変化がわからないと、この現象を説明するのは困難だが、個体数が減り、近親間交雑が増加、ROHが増加することで異常遺伝子が蓄積し、メルトダウンを起こすという単純なシナリオは必ずしも正しくなく、特にインパクトの大きな変異を個別に除去し続けることで、5000年という種の維持が可能であることを示している。
一方、2-300頭のマンモスが4000年前にランゲリ島から姿を決した原因がわかると、より面白いシナリオが現れてくると思う。例えば、多様性の減少したポピュレーションに急にストレスがかかって個体数が減ると、その後の回復が強く抑制されるように思うが、そのためには絶滅前の状況を示すゲノムが見つかる必要がある。しかし当分ロシア領での研究は難しいと思う。
2024年7月11日
コレラやペストのように、細菌性感染症がパンデミックとして人類に立ちはだかってきた歴史はよく知っていても、例えば現在最も重要な細菌感染症といえる肺炎球菌感染、嚢胞性線維症や気管支拡張症患者さんの緑膿菌感染などは、人から人へと伝染する伝染病のイメージは少ない。基本的には感染のための条件が多く、感染性が低い結果と考えられるが、間違いなく感染症であることを示す論文が2報 Nature と Science に報告されていた。
Nature に報告されたケンブリッジ大学の論文は、南アフリカで患者さんから分離された肺炎球菌6910ゲノム解析から、感染の広がりを調べた研究で、新しく発生した細菌がゆっくりと広がり、50年ほどかけて南アフリカ全土に広まること、そして肺炎球菌ワクチンが使われるようになり、ワクチンに含まれない肺炎球菌が広がり始め、治療を通して抗生物質耐性を獲得することが示され、肺炎球菌も感染症であることを実感させてくれる論文だ。
今日紹介したい論文はやはりケンブリッジ大学から7月5日号 Science に発表された論文で、世界各地の患者さんから100年近くにわたって分離された9829の緑膿菌ゲノムを解析した研究だ。タイトルは「Evolution and host-specific adaptation of Pseudomonas aeruginosa(緑膿菌のホストへの適応と進化)」だ。
この研究では、機能的実験も行って緑膿菌の進化を示してくれる。
まず、ゲノム解析から特定の菌が伝搬した経緯をたどることができる。これにより、例えば南米で発生し、北米を通ってヨーロッパへ伝搬し、その後アジア、アフリカへと広がった系統を特定し、緑膿菌も人間の移動で広がることがわかる。また、この進化では水平遺伝子伝搬が進化の強いドライバーとなっている。
緑膿菌感染で最も重要なポイントは、ホストに完全に適応していることで、嚢胞性線維症患者さんに感染する緑膿菌は、嚢胞性患者さんだけに感染し、気管支炎や気管支拡張症患者さんの緑膿菌は同じ病気の患者さんにしか伝搬しない。
これは緑膿菌がマクロファージの中に侵入して増殖するときの環境を反映しており、嚢胞性線維症患者さん由来の緑膿菌は、嚢胞性線維症の患者さんのマクロファージでよく増殖し、これには緑膿菌の Dsk1 発現が関わることを、遺伝子ノックアウトしたバクテリア感染実験で示している。
このような適応を決める遺伝子は、ホストの自然免疫系をすり抜けるための機構に関わる遺伝子などで、ホストの環境に適応するため変化した数多くの遺伝子変異を特定している。
胸部内科医なら誰でも経験すると思うが、慢性閉塞性呼吸器疾患で緑膿菌は最大の敵だ。ホストの環境に合わせた進化の道筋を探ることで、今後緑膿菌のようなやっかいな感染症に新しい治療法が見つかることを期待したい。
2024年7月10日
補体成分の発現異常が統合失調症で存在するという発見以来、補体と神経細胞の関係を研究する論文を見かけるようになったが、補体カスケードの最初を担う C1q に関しても、ミクログリアが分泌してシナプス剪定に関わるという研究を2020年2月に紹介したことがある(https://aasj.jp/news/watch/12355 )。
しかしこれだけでは終わらないようで、今日紹介するハーバード大学からの論文は C1q が細胞内に取り込まれ、しかもタンパク合成を調節しているというのだから驚く。タイトルは「Microglial-derived C1q integrates into neuronal ribonucleoprotein complexes and impacts protein homeostasis in the aging brain(ミクログリアが分泌する C1q は神経細胞のリボゾームタンパク質と統合され老化した脳のホメオスターシスに関わる)」で、6月27日 Cell にオンライン掲載された。
以前紹介したように C1q は老化とともに脳内に蓄積すること、さらに C1q ノックアウトマウスでは認知機能が保持されることが知られており、この研究もその延長で計画されている。まず、C1q と結合しているタンパク質を探索した結果、驚くことに神経細胞内でリボゾームタンパク質と結合しており、老化とともにその量が上昇することを発見する。
C1q の構造に disorderd region と呼ばれる相分離を誘導するドメインが存在することから、ひょっとしてリボゾームとともに相分離が起こっているのではないかと着想し、試験管内で相分離能を調べると、RNA と結合したときだけ相分離すること、そして実際の神経細胞内でも RNA とともに相分離体を形成しており、RNA を分解するとこの相分離体は解消することを示している。
C1q は神経細胞で合成されないため、外部から取り込まれると考えられる。これを確かめるため、脳内にラベルした C1q を注入する実験を行い、神経細胞のエンドゾームに取り込まれたあと、細胞質へと移動して相分離に関わること、そして disorderd region がこの取り込みに関わることを明らかにしている。
最後に神経細胞内での C1q の機能を調べるため、C1q ノックアウトマウスとの比較研究を行い、1年齢を超えたマウスでは、タンパク質合成がノックアウトマウスでは上昇していることから、C1q は一種の翻訳の抑制機構として働いている可能性を示している。ところが、特定のタンパク質について調べると、シナプスの細胞骨格に関わるセプチン、及びミトコンドリアタンパク質だけは、細胞内の濃度が高まっていることを発見している。
機能的には、これまでの研究と同じで、認知機能は C1q ノックアウトマウスで上昇するため、C1q の蓄積は認知機能を阻害する方向に働くといえるが、恐怖消去試験などでは逆にノックアウトマウスの方が異常を示すので、明確な結論は出せない。
以上、機能的意義についてはよくわからないが、しかしミクログリアの分泌する C1q 分子が神経細胞内に取り込まれ、タンパク質合成の現場で相分離を通して翻訳に影響していることは驚く。マウスと異なり、人間の寿命は長いので、今度はヒトでこの現象の意義を研究することが重要になる。
2024年7月9日
Single cell RNA sequencing などの大規模ゲノムデータは、極めてパワフルだがデータが多すぎて、自分の視点がないと、ほとんどの情報を見落として終わる。それでも、今やこの方法なしに論文が書けないほど普及し、おそらくほとんどは一般的に提供される解析方法を用いて論文が書かれていると思う。
今日紹介する横浜理研の統合医学センターからの論文は、10xGenomics が提供する single cell 5’ RNA sequencing データに含まれているにもかかわらずほとんどの研究者が無視しているエンハンサー部位で起こる転写RNA に注目し、これにより CD4T細胞の分化や反応を、これまでの single cell テクノロジーより遙かに詳しく解析できることを示した研究で、どうしても沈滞がちに見えていた我が国の機能ゲノミックス研究も捨てたものではないと実感できる素晴らしい研究で、7月5日号 Science に掲載された。タイトルは「An atlas of transcribed enhancers across helper T cell diversity for decoding human diseases(転写されるエンハンサーを多様なヘルパーT細胞で調べたアトラスは人間の病気の解読に役立つ)」だ。
この論文を見たとき、なんとなく日本の機能ゲノム研究の一種の集大成だと感じた。というのも、村川さんという若いオーガナイザーの下に、私と同世代の林崎さん、山本さん、Carninci (ちょっと若いが)さんが集まって研究を仕上げており、しかも林崎さんや Carninci さんは、CAGE法と呼ばれる 5’端から読む RNAライブラリー作成法を開発し、FANTOM と呼ばれる独自の優れたオープンデータベースを作成し、特にプロモーターやエンハンサーについての研究では重要なリソースになっていた。私のような老兵にこの研究は、この single cell 5’RNA sequencing(s5’seq) を FANTOM とつないでいるという点で、ジンとくるものがある。
これまで数え切れないぐらいの研究で s5’seq が使われているが、この情報の中に CAGEライブラリー研究で明らかになった、転写されたエンハンサー領域(tE)が含まれることは全く無視しされていた。理由の一つは、転写物の量が少ないためだが、この研究では多くの細胞を解析することで、tE を検出し、他の転写データから特定される細胞の亜集団について、tE の発現、特に双方向に転写が見られる部位(btE) に着目して解析している。
どの細胞で研究しても良かったのだが、CD4T細胞を選んだ点もセンスが良く、この研究を成功に導く要因になった。この結果、これまでの方法で14種類の亜集団に分けることができる CD4T細胞のそれぞれの亜集団で検出できる btE を6万カ所特定することに成功している。これらはもちろん ATAC-seq で検出できるオープンクロマチン領域に存在するが、さらに特異的な転写状態を反映できる可能性を示している。この点については、Micro-C と呼ばれるゲノム領域間の相互作用を調べる方法を用いて、btE が実際のエンハンサーとプロモーターの関係性をより強く反映していることを確認し、さらに加えて、BRD4 や H3K27ac で調べられる実際のエンハンサー活性とも btE が相関することも確認している。このように single cell 5’ sequencing データの中から btE 部位を調べることの重要性を念には念を入れて、確認している。
そして、こうして特定した btE や tE と、ゲノム解析により特定された疾患と相関する多型とを比べ、btEで特定できるエンハンサーがより強く疾患の多型とリンクし、例えば多発性硬化症と、慢性腸炎を区別することもできることを明らかにしている。面白いのは、免疫疾患と関係する CD4T細胞で働いていると特定された606の btE の多くが抑制性T細胞に関わる点で、今後 Treg 専門家による深掘りが進むと面白い。
最後に文字通り機能ゲノミックスを進めるため、このグループは CRISPR を用いて btE を活性化する方法も開発しており、こうして特定されたエンハンサー領域の転写が、下流の遺伝子転写の量を決めていることが示されている。
膨大なデータで全部紹介しきれないが、CAGE法開発から始まる研究の一つの重要な節目に到達した気がする。この研究は始まりに過ぎなく、ATAC-seq と RNA転写のみで研究されてきた機能ゲノミックスが大きく変わる可能性を秘めている。発生学から様々な病気、特にガンやガン免疫のメカニズム理解に大きく寄与すると思う。
2024年7月8日
Covid-19感染は現在も続いているようだが、我々の側にも十分抵抗力が形成され、大きな問題にはならなくなってきた。一方で、感染後続く Long Covid と呼ばれる後遺症が問題になり、様々な研究が発表されている。例えば Nature Medicine 6月号には、13万人の感染者について後遺症を追跡した疫学調査が発表され、死亡率や症状は3年経つと消えていくが、それでも1%近い人、特に入院を必要とした重症者で、症状とともに死亡リスクが存在することが示された。
そして、入院した重症者では様々な臓器の症状が3年後も残る一方で、比較的軽度の感染者では、3年後に見られる後遺症は、神経系、呼吸器系、そして消化管に限られていたことが示された。この結果からも、Long Covid では感染が持続している可能性が示唆される。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、持続するコロナウイルスに対するT細胞の反応を人間でモニターできる PETリガンドを使って Long Covid を追跡した研究で、7月3日 Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Tissue-based T cell activation and viral RNA persist for up to 2 years after SARS-CoV-2 infection( SARS-CoV2感染後組織レベルの T細胞の活性化とウイルスRNA は2年は持続する)」だ。
この研究で用いられたのは、白血病診断用に開発された活性化 T細胞特異的に追跡する PETリガンド18-F-AraG を、Long Covid での持続的T細胞反応追跡に使った研究だ。18-F-AraG は抗がん剤 AraG に18-Fを標識し、これを取り込んだ活性化T細胞の局在を調べる方法で、核酸ENT1トランスポーターを通って AraG が取り込まれると、活性化T細胞で発現が上昇している deoxycytidine kinase によりリン酸化され、サルベージ経路を通って核酸の中に取り込まれるため、この酵素を強く発現する活性化T細胞がある程度特異的に検出できる。最近では、チェックポイント治療での T細胞の反応検出などにも用いられている。
この研究のハイライトは、Long Covid を訴える患者さんで、感染後様々な時期にこの検査を始めて行ってみたということになる。基本的には抗ガン剤を標識に用いてはいるが、特に副作用は観察されず、診断に利用できることがわかった。
さて結果だが、コントロールと比べると、Long Covid を訴える人では、様々な部位で AraG の取り込みが観察される。特に取り込みが顕著な部分は、脳幹、胸部脊髄、尾部脊髄を中心とする神経系に、大動脈弓、肺動脈、心室、そして大腸や直腸で、これらの部位の取り込みが強いほど Long Covid 症状が強い。これらの部位は上に紹介した Nature Medicine 論文での症状部位と一致する。
しかし、患者さんの訴える臓器症状と、AraG の取り込み部位は、肺症状以外は一致が見られず、今後もう少し大規模な調査が必要と思われる。
重要なことは、免疫系の検査と組み合わせてみたとき、抗体反応にかかわらず Long Covid が発生する点で、2年以上たった症例でも、活性化された T細胞が各組織に存在していることは確認された。
AraG 取り込みと直接相関しそうなマーカーを探索した結果、様々な炎症マーカーとの相関が見られたことから、Long Covid では持続するウイルス感染に対して T細胞の反応が維持され、炎症につながっていることが示された。
最後にバイオプシー可能な腸管で、AraG の取り込みが診られた患者さんの全てでウイルスが検出できることを示している。
以上、大体これまで知られていることなので、この検査がどのぐらい有効かは評価しにくいが、しかしT細胞の反応が持続していることは明らかで、今後の問題になる。
2024年7月7日
7月3日 Nature にオンライン掲載された論文の中に、2編考古学論文が含まれていた。
最初はオーストラリアのグリフィス大学からの論文で、インドネシア スラワジにある洞窟画の年代測定の研究で、タイトルは「Narrative cave art in Indonesia by 51,200 years ago(インドネシアの物語が描かれた洞窟画は51200年までに描かれた)」だ。
最も古い絵として知られているのは、スペインのネアンデルタール人が洞窟に残した手形で、これが絵と認めるかどうかは議論がある。一方、ショーベネやアルタミラなどに残る物語を描いた絵画は、ホモサピエンスによるもので、ショーベネのものが3万7千年前になる。
もう一つホモサピエンスの絵画が存在するのが、ホモサピエンスがヨーロッパより早く移動してきたインドネシ アスラワジの洞窟絵画で、鮮明ではないが狩の絵が描かれている。これまで、時代検証で4万5千年前とされてきたが、レーザーを用いた絵の具の採取とウラニウム年代測定から、それより5千年以上前で、おそらく51200年前と結論された。すなわち、ホモサピエンスはさらに早い時期から絵で物語を表現していたことになる
もう一編の論文は中国蘭州大学、デンマークコペンハーゲン大学などを中心に発表された論文で、チベットで続けられているデニソーワ人についての考古学研究の続報で、タイトルは「Middle and Late Pleistocene Denisovan subsistence at Baishiya Karst Cave(中期から後期更新世、デニソーワ人は白石崖溶洞に生きていた)」だ。
デニソーワ人は最初シベリアのデニソワ洞窟で発見された指の骨のDNAで初めて特定された人類だが、次の証拠はチベット白石崖溶洞から発掘された下顎骨がコラーゲン解析からデニソーワ人と判明し、2019年5月に Nature に発表された(https://aasj.jp/news/watch/10139 )。その後骨は発見されていないが、沈殿物からミトコンドリアゲノムを採取する研究で、デニソーワ洞窟及び白石崖溶洞からもデニソーワ人のミトコンドリアDNA が発見され、16万年から4万5千年前まで白石崖溶洞でデニソーワ人が暮らしてきたことがわかっている。
この研究では、この洞窟に残る哺乳動物の骨を徹底的に解析して、チベットに住むヤギ、牛、ヤク、そして馬や鳥を含む様々な骨が出土すること、そしてその骨には明らかに人間の手による様々な細工の痕跡が存在することを明らかにしている。すなわち時代によって使われる動物は変化するが、デニソーワ人は早くから骨を道具として利用していたことが明らかになった。
そしてこの骨の中から、骨が出土したデニソーワ人としては3人目の肋骨が見つかり、DNAは採取できなかったが、これまで通りコラーゲンなどのタンパク質を用いて、デアミネーションを指標とする時代測定、及びアミノ酸配列の解析から、間違いなくデニソーワ人の骨であることを確定している。また、この骨は時代の新しい地層から発見され、デアミネーションによる測定でも4万8千年から3万2千年の間に生存していたデニソーワ人の骨であると推定している。
現在、デニソーワ洞窟、白石崖溶洞、形態学的にデニソーワ人の歯が見つかったとされているラオス・Tam Ngu Hao洞窟などぼちぼちデニソーワ人の生活のあとが追えるようになってきた。次の新しい発見をわくわくしながら待っている。