2019年4月5日
写真はWikipediaより転載。生命科学誕生を考えるときに是非総括したいと思っている哲学者や科学者。
CDBの職を辞した後、生命科学の過去、現在、未来を考えてきた過程を、一種のノートとして3月まで在籍していたJT生命誌研究館のウェッブサイトに書きためてきた(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/)。おそらくしばらくはこのまま閲覧可能だと思うが、いつかは削除されると思うので、AASJサイトで閲覧できる形にして、再掲を予定している。
これまで5年にわたって書きためてきたノートのほとんどは、生命科学の現在、および未来について考えるためにまとめてきた。研究館を辞したのを機会に、生命科学の誕生に至る過去について是非考えてみたいと思い、過去の哲学書をもう一度読み直してみようと考えている。そしてこの作業から出てくるノートを「生命科学の目で読む哲学書」と題して、書きためて行こうと計画している。
哲学といっても、そこは生命科学者だった私が独断と偏見で読むわけで、決して堅苦しいものにはしないでおこうと決意している。是非、これまで通り多くの方に読んで欲しいと望んでいる。
2019年4月5日
本日より、新しいホームページに変わりました。一見したところ何も変わっていないように見えますが、バナーを大きく整理しました。右には、「生命科学の目で読む哲学書」および「西川伸一のジャーナルクラブ」を追加し、「論文ウォッチ」以外は全て整理しました。
生命科学の目で読む哲学書については、4月中旬以降原稿を入れていきますので、ぜひお読みください。
今後もぜひ多くの人に読んでいただけるホームページにしていきますのでよろしく。
2019年4月5日
遺伝子ノックアウト技術が完成して、多くの研究者が遺伝子ノックアウト競争を繰り広げた時代、それに関わった若手研究者の恐れは、ノックアウトしても動物に何の変化も出ない可能性だった。実際、かなりの割合でこのようなことが起こるのを、私たちの世代は目にしてきている。このような場合、生命は複雑な代償システムを備えており、一個の遺伝子が欠損しても、他の遺伝子でカバーできるようになっていると説明されて来た。私自身も、この説明で納得してしまって、では何故普通は発現していない遺伝子が発現して代償が起こるのか考えてみることはなかった。
今日紹介するドイツ・バードナウハイムのマックスプランク研究所は、この皆が納得してその理由を問い直すことのなかった問題に挑戦した研究で4月4日号のNatureに掲載された。タイトルは「Genetic compensation
triggered by mutant mRNA degradation (遺伝的代償は変異mRNAの分解により誘導される)」だ。
繰り返すが、この研究のハイライトは、これまで真剣に考えられなかった遺伝子の代償がなぜ起こるのかという問いに取り組んだ点だ。Stainierはゼブラフィッシュの遺伝子変異を用いた血管発生の研究を長年続けており、いつも同じ問題に直面していたはずだ。考えてみると、エピジェネティックな調節といえども普通安定で、一つの遺伝子の機能が消えたからといって、おいそれとその機能を代償できる遺伝子が誘導されると考えるのは確かにおかしい。
この研究ではゼブラフィッシュで代償性が見られる遺伝子の変異が持っている共通性を調べ、例えばmRNA内の変位で誘導される代償性遺伝子の転写は、外来遺伝子によるタンパク質の発現では抑えられないこと、また変異を持つmRNA自体が転写されないと、代償性遺伝子誘導がないことを突き止め、代償性遺伝子の誘導は、変異遺伝子のmRNAが細胞内で分解される時だけ起こること、またプロモーター活性を介する転写レベルで起こることを明らかにする。そして機能のないmRNAの分解に関わるUpf1をノックアウトすると、この代償性遺伝子誘導が起こらないことを突き止める。
さらに、代償性に誘導される遺伝子はほぼ全て、mRNAの分解された断片に相同性を持っていることを明らかにしている。
ここまでくると、mRNAの断片が相同性を持つ遺伝子のエピジェネティックな制御を変化させることで、代償性の遺伝子誘導が起こることを誰でも思いつく。この研究では、メカニズムとして分解されたRNA断片が分解に関わる分子を核内にリクルートし、相同性を持つ遺伝子のヒストンを転写誘導型に変える可能性の例と、mRNA断片が遺伝子発現を抑制するアンチセンスRNAをブロックする両方の例を挙げて、いくつかのメカニズムで代償性の遺伝子誘導が起こることを示唆している。
私たちはノックアウトの代わりに、抗体を用いて遺伝子機能をブロックする実験を行なっていたが、この方法だと確かにあまり機能が代償されることはほとんどなかった。この論文を読むと、当時感じていた疑問に対して充分納得できる回答が得られた気がする。
もちろん個人的な感慨にとどまらず、この結果は人間の遺伝病の表現の多様性理解する上でも重要な結果だと思う。深く物事を考えるStainierらしさが出ているという印象を強く持った。
2019年4月4日
西川伸一のジャーナルクラブ、次回は「組織学のバーコード革命」と題して、吉田医師を聞き役に、バーコードを用いて行う組織上での分子発現検出法についての論文を紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=k4YMvL46ksQ
2019年4月4日
抗体を用いる世界初の治療を行なったのは、ドイツ留学中の北里柴三郎と同僚のベーリングで、当時は動物の体内にできる破傷風やジフテリア毒素に対する抗体を抗毒素と呼んでいた。それ以降、現代のオプジーボまで、血清療法といえば必ず静脈注射(もちろん腹腔内等の投与もあるが)、すなわち体内へ注射することが抗体治療の原則だった。
とはいえ、人間や多くの動物で乳児期の抵抗力は母親の母乳に含まれるIgAによって行われ、一定期間は抗体が循環にも取り込まれることは、自然では飲む抗体が可能であることを示している。
ここに着目したのが今日紹介する論文で、ベルギー ゲント大学から発表された。なんと、抗体を酵母に作らせて、家畜の餌に混ぜて消化管感染症を防げないか調べた論文で、4月1日Nature Biotechnologyにオンライン掲載された。タイトルは「Yeast-secreted, dried and food-admixed monomeric IgA prevents gastrointestinal infection in a piglet model (酵母により分泌された後、乾燥させて餌に混ぜることができる1価IgAは子豚を消化管感染から防ぐ)」だ。
このグループの目的は食べられる抗体を作ることで、そのためにこれまで様々な方法を試み、植物に作らせた抗体では成果をあげていたようだ。抗体はH鎖とL鎖からできている複雑なタンパク質であるため、血中では安定だが厳しい条件では失活が早いが、これまでの研究でL鎖のない抗体を持つラクダ科のラマを抗原刺激して誘導されたB細胞から抗原と結合するH鎖遺伝子をクローニングし、これをブタのIgAの定常部分と融合させ、これを植物や、酵母で合成できるようにしている。
モデルは養豚で問題になる大腸菌感染症を用いて、大豆に発現させた抗体の感染防御効果を調べている。結果は上々で、抗体を含む大豆を食べさせた子豚では、大腸菌を感染させてもすぐに便の中から大腸菌が消失する。
大豆を食べて子供の食中毒を防げるなら素晴らしいが、人間の場合大豆を生で食べることはないので、粉にしてから食べさせる工夫が必要だろう。
この研究では、大豆にこだわらず、もっと多くの抗体を安価に製造するため、酵母が利用できないかチャレンジしている。そして、最終的に酵母の培養液に分泌された抗体をなんと乾燥させ、一般飼料と混ぜて食べさせる方法を開発し、その効果を同じ観戦実験で確かめている。驚くことに、短い時間170度で消毒しても活性が保たれるようで、こうして出来た乾燥抗体は、大豆で作らせた抗体より効果が高いことを示している。
結果は以上で、IgAの安定性を改めて思い知ると同時に、L鎖がないラマの抗体の用途が今後ますます広がることを予感する研究だ。何れにせよ、消化管感染には抗体を食べる時代が意外と早く来そうな気がする。
2019年4月3日
ガン免疫の回避についての研究紹介2日目は、Trogocytosisの話だ。Trogocytosisはおそらく免疫学特有の現象だと思うが、抗原提示細胞(APC)上のMHCとT細胞受容体が結合した後、MHC+抗原の濃縮したAPCの細胞膜がT細胞に取り込まれ、その後T細胞の膜上に発現するという複雑な過程をさす。この現象はMHCだけに限らないようだが、T細胞の場合細胞内小胞に抗原とT細胞受容体コンプレックスができると刺激が維持されるように思えるし、キラーT細胞の場合T細胞表面に抗原が出てしまうと、今度はT細胞同士で殺し合いになるのでは、などと素人ながらに考えてしまうプロセスだ。
今日紹介する米国スローンケッタリングがん研究センターからの論文は、モデルマウスを用いた白血病のCAR-T抵抗性獲得にtrogocytosisが重要な働きをしていることを示した研究で3月27日にNatureにオンライン掲載された。タイトルは「CAR T cell trogocytosis and cooperative killing regulate tumour antigen escape(CAR-T細胞のthrogocytosisと協調的細胞障害がガン抗原の逃避を調節している)」だ。
CAR-Tは原理がシンプルで、抗原からキラーまで全て治療側の手の内にあるので、高い効果を発揮し、ガン免疫治療の切り札として期待されているが、それでも一定の割合で再発が起こる。この研究は、ガンがCAR-Tから逃避するメカニズムを動物実験解析することを主目的としている。使ったのは現在ヒトで使われている、CD19を発現した白血病と、CD19抗体を抗原認識に使うキメラT細胞受容体を持つCAR-Tだ。この時、異なるcostimulatoryシグナル分子を持つCAR-Tを使っている。
CAR-T治療で問題になるのは、移植する細胞数が少ないと再発することだが、このとき何が起こっているのかを調べてみると、早期から白血病側のCD19の濃度が低下し、さらにCD19がT細胞側に移っていることを発見する。すなわちTrogocytosisによりガン抗原がCAR-T側に移動していることを発見する。
この現象が発生すると、後からフレッシュなCAR-Tを追加しても、ガンを制御することはできない。すなわち、抗原自体の濃度が低下してしまっている。したがって、最初から十分な数でガンを叩くことの重要性を強く示唆している。
そして、一個のがん細胞を培養中で殺す実験から、コシグナル分子としてCD28の細胞内ドメインを使うCAR-Tの方がより迅速にガン細胞を殺すこと、また一個の癌に対してCAR-Tの数が増えるほど細胞障害の効率が高まることを示し、中途半端に細胞障害性が発揮されるとtrogocytosisが起こることから、治療の鍵はtrogocytosisが起こるより前にガンを殺すことであることを示している。
そしてこの結果に基づき、CD19とCD22の2種類のガン抗原に対して、それぞれcostimulatorシグナル分子を変えた2種類のCAR-Tを用意することで、より失敗のないガン制圧が可能であることを示している。
以上が結果で、中途半端なCAR-T治療が trogocytosisを誘導することが、ガンのCAR-T抵抗性の主因であることを示した点では重要な貢献だと思う。確かに2種類のCAR-Tという方法もあるが、十分な数のCAR-Tを用意して治療することが現在取りうる最も重要な戦略であることがはっきりしたと思う。
2019年4月2日
CAR-Tやチェックポイント治療の実現で火がついたガン免疫研究は、研究分野の多様性を生み出し、論文を読んでいるとこんなことまで研究されているのかと、驚くことが多い。今日、明日と先週発表された中から、そんな例を2編紹介したいと思う。
今日紹介する米国、国立衛生研究所からの論文は腫瘍組織で起こるネクローシスにより局所濃度が上昇すると考えられるカリウムがT細胞の細胞障害性にどのような影響があるかを調べた論文で3月29日号のScienceに掲載された。タイトルは「T cell stemness and dysfunction in tumors are triggered by a common mechanism(腫瘍組織でのT細胞の幹細胞化と機能不全は同じメカニズムで誘導される)」だ。
この研究も最近目につく、ガンやキラーT細胞の代謝の変化が及ぼす機能や分化への影響の実験と言えるが、カリウムが上昇する状況に注目した点が変わっている。言われてみると確かに、ガン治療によりガン細胞の多くが死んでいる環境では、細胞内から流出したカリウムが上昇していることは十分考えられる。とすると、腫瘍部位にT細胞が浸潤していてもガン免疫がうまく働かないことも、この環境変化から説明することができる。
この研究ではガン組織で見られるカリウム濃度40mMにT細胞を晒した時に起こる遺伝子変化を調べ、カリウムが上昇すると栄養分の吸収が低下し、その結果細胞内での熱代謝が低下することを明らかにする。すなわち、カリウム上昇だけで、栄養飢餓が起こったことと同じになる。その結果、当然のように細胞でのオートファジーが上昇して、エネルギー自給体制へのプログラム変化が起こり、ミトコンドリアでのエネルギー代謝が高まる。
影響は代謝だけにとどまらない。ミトコンドリアでのアセチルCoAの消費が上昇し、核での利用できるアセチルCoAが低下すると、今度はヒストンのアセチル化が低下し、転写のエピジェネティックプログラムが変化する。これ自体は遺伝子特異的とは思えないが、おそらくその時の分化状態が優先されるのか、T細胞の成熟が抑制され、未分化状態を保つ事になる。実際、カリウム濃度が上昇しても、T細胞は死ぬわけではなく、成熟が抑制されたまま生存し、状況が変わるとキラーT細胞として働くことを示している。T細胞移植でガンを殺す実験系で見ると、高いカリウム濃度で培養した方が、キラー活性が高いことから、細胞を未熟状態で維持することの有効性を示している。
あとは、この回路の中心がアセチルCoA代謝であることなどを示し、この回路をこの経路の操作により変化させられることを示している。
結果は以上で、面白い視点だと思うが、臨床的に最も重要な発見ではないかと思えるのは、高いカリウム濃度、あるい細胞内でのアセチルCoA合成を低下させる条件でT細胞を培養した方が強いキラー細胞を試験管内で誘導できる点だろう。腫瘍細胞内では、これがガン細胞を守っている条件だが、試験官内では分化能を保って細胞を増殖させるというメリットがあるようだ。腫瘍浸潤T細胞を試験管内で増殖させて治療する臨床試験が報告されているが、実際には失敗も多い。もしカリウム濃度を上げて培養することで、安定した浸潤T細胞が得られるなら、これは大きな進歩になるような気がする。
2019年4月1日
4月から「西川伸一のジャーナルクラブ」と題して、論文ウォッチで紹介した論文の中から1−2編を選んで、詳しく動画で解説します。https://www.youtube.com/watch?v=bSNPBMxtr34 をご覧ください。
最初は、明日の5時から3月に紹介したアルツハイマー病関係の論文を私一人で解説する予定ですが、まず練習で、ライブ配信がうまくいくかどうかはわかりません。その場合も録画を配信する予定です。
2019年4月1日
昨年9月南アフリカBlombos洞窟で発見された少なくとも7万年前の線描画についての分析結果についてのNature論文について紹介したが(http://aasj.jp/news/watch/8978 )、アフリカでの人類形成は、これまでユーラシアでの研究では分からなかったことが明らかになるとしてホットな分野になってきた。事実、ヨーロッパやアジアでのホモ・サピエンスの足取りと比べると、アフリカ内での人類形成についてわかりやすく述べた本や総説はあまりお目にかからない。最近読んだ中で敢えてあげるとするとGary Tomlinsonの「Culture and the course of human evolution」は、言語や音楽など文化の進化がテーマだが、アフリカでの人類形成についてもよくまとめられている気がした。
Tomlinsonはモンテベルディについての著書もある音楽史の研究者だが、情報科学、生物学、人類学、言語学、哲学にまたがる広い知識を基礎に優れた著書を発表している、Musicologyの教授を超えた科学者だと思う。残念ながら翻訳された著書はないが、若い人には是非一読を進めたい人だ。現役を退いてから、なんとか高いレベルの脳を形成してから死にたいと思って研鑽しているが、到底及ばないと諦めてしまう人の一人だ。
Tomlinsonについて書きすぎたが、今日紹介する論文は彼とは無関係で、ポルトガルMinho大学からの論文で、アフリカでホモ・サピエンスが形成される過程を現代人のミトコンドリアゲノムから再構成しようと試みた論文でScientific Reports(9:4728 | https://doi.org/10.1038/s41598-019-41176-3 )に掲載された。タイトルは「A dispersal of Homo sapiens from southern to eastern Africa
immediately preceded the out-of Africa migration(出アフリカに先立つホモ・サピエンスの南アフリカから東アフリカへの移動)」だ。
アフリカのホモ・サピエンスは様々な場所で独立に文化を発達させたと考えられるが、それでも様々な文化的共通性が存在する。すなわち、人的な交流があったと考えられるが、これが交雑を通じた融合で進んだのか、人間の移動に伴う文化の伝搬によるものなのか議論が行われている。特に、アフリカはミトコンドリア型で、L0と呼ばれるホッテントットに代表される南アフリカ民族と、L1を持った中央(西も含む)、東アフリカタイプに区別されている。
この研究ではアフリカ各地域の現代人のミトコンドリアゲノムおよびゲノムの多型を調べ、アフリカ内での2系統の動きを再構成した研究で、研究レベルとしてはなんということもない論文だが、これまでの問題をよくまとめてあり、明確なquestionを持って見直せば、新しい発見があるという典型的な論文だ。また、アフリカでの人類史について頭の整理には最適の論文だと思う。
さて結果だが、約20万年前に共通のイブから分かれた2系統はその後ほとんど交雑することなく、南、中央、東アフリカに限定して文化を発展させており、7万年になるまでほとんど地域間の異動はなかった。しかし、7万年前、おそらく大きな気候変化を引き金に、南の民族が中央アフリカへと移動し、また東アフリカの民族の一部は中央アフリカに移動する。実際、東アフリカでの人口増大は、この移動をきっかけとして起こっている。また、民族間の交雑は、中央、東アフリカのBantu民族が拡大するまで、限定的であったことを示している。もちろんこの結論については再検討が進むと思うが、アフリカの古代文化を理解するための重要なたたき台になると思う。この論文では出アフリカを7万年より少し前としている点で、10万年前と考えていた私自身の理解と少し異なるが、内部での民族移動については頭の整理ができた論文だった。
2019年3月31日
顧問先の研究員の人に面白いと勧められて、英国人Bee Wilsonが児童の食について書いた「First Bite: How we learn to eat」を読んでいる。子供の食に関する100年以上にわたる実験や調査が紹介された良書だと思う。その中にイスラエルの医師Jacob Steinerが赤ちゃんの表情をビデオに撮りながら、甘み、苦味、酸味、そして塩などで舌を刺激し、それぞれの基本の味に対する反応を調べた実験が紹介されている。予想通り甘味には舌舐めずりと喜びの表情、苦味には惨めな表情を、そして酸味に対しては口をつぼめたが、おそらく嫌がって泣くのではないかと予想した塩味に対してはほとんど反応しなかったらしい。
この結果から、生命に直接関わる塩味は単純な感情とは異なるサーキットがあるのかななどと思っていたら、カリフォルニア工科大学の岡さんの研究室から、塩味を感じる脳のサーキットに関する研究が3月27日オンライン出版されたNatureに発表されていたので、早速読んでみた。タイトルは「Chemosensory modulation of neural circuits for sodium appetite(食塩を求める神経回路の化学感覚的調整)」だ。
ナトリウムは身体のホメオスターシスに最も重要な成分であり、もちろんこれまでもNaを感じる化学感覚の研究は多く存在している(私は読んだことはないが)。ただ、上に紹介したSteinerの論文からもわかるようにNaの直接刺激がどのような感情を誘導するのかははっきりしていなかった。
この研究では味覚受容体から直接刺激を受ける延髄の孤束核と連結しているpre-LC(青斑核の前に存在する小さな神経細胞の集まり)に焦点を絞って、これまで明確でなかったNaに対する欲求を調節する中枢があるのではないかとあたりをつけ、Na飢餓に陥るとpre-LCの中で体内麻薬の一つprodynorphinを発現する神経細胞が興奮することを突き止めた。
これがわかると、あとはこの分子を発現するpre-LCM神経を狙った光遺伝学などの遺伝子操作を用いてこれらの神経細胞の機能を調べることになる。詳細を省いて結果をまとめると、
Pre-LCが刺激されると、Naに対する欲求が高まる。この興奮は、Naの飢餓状態で起こる。 Na飢餓によるPre-LCの興奮はマウスには不快で、それを避ける行動をとる。すなわち、Na飢餓になると不快感が増して、その結果Naを摂取する。 Pre-LC刺激は、舌からでの味の刺激を受けた孤束核からの刺激で即座に抑制できる。しかし、胃に直接Naを投与したり、Kでは変化がない。すなわち、味わったことに反応して不快感がなくなるという回路を形成している。 また、不快感やその記憶に関わる分界条床核から抑制性の神経投射を受け、外部の化学刺激を内部の感覚と統合している。
話は以上だが、子供が塩を舐めさせられても、それ自身は興奮を抑えて不快感を収めているのだとすると、子供が大きな興奮を見せなかったSteinerの実験結果は当然だと納得した。