11月8日新しいしょうこう熱の危険(Scientific Reportsオンライン版掲載論文)
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11月8日新しいしょうこう熱の危険(Scientific Reportsオンライン版掲載論文)

2015年11月8日
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よく考えてみると、医学部を卒業してから今日紹介するオーストラリア・クイーンズランド大学からの論文を読むまで、しょうこう熱のことを考えたことはなかったように思う。実際、私が臨床をやめてすぐからしょうこう熱ではなく、溶連菌感染症の一つの症状として扱われるようになっていた。発熱とともに全身に発疹が現れ、舌にイチゴのようなつぶつぶが現れる特徴的な症状から、医学部ではテストに出る頻度の高い定番の病気だった。ただ同じ溶連菌によっておこる、扁桃腺炎や、トビヒと呼ばれる皮膚感染症などではこの特徴的全身症状は出ない。というのも、しょうこう熱はスーパー抗原と呼ばれるほとんどのT細胞を刺激できるタンパク質SSAを発現する溶連菌に感染するときだけ起こってくるからで、溶連菌感染は今も世界中で蔓延しているが、しょうこう熱の原因となるSSAやSpeCを発現している溶連菌はほとんど見られなくなっていた。ところが2011年中国や香港で10万人を超えるしょうこう熱の患者が発生し、2013年に英国でも50000人規模の発症が見られた。なぜ今しょうこう熱が新しく発生し始めたのか原因を探るため、中国と香港の患者さんから分離された溶連菌のゲノムを調べたのがこの論文でScientific Reportsオンライン版に掲載された。タイトルは「Transfer of scarlet fever-associated elements into the group A streptococcus M1T1 clone (しょうこう熱誘導因子のM1T1溶連菌クローンへの移行)」だ。この研究では全部で34人の患者さんから分離した溶連菌ゲノムを調べ:
1) しょうこう熱を起こした溶連菌はすべて1980年初めて分離された溶連菌株で、多くがマクロライド系抗生物質に対する耐性遺伝子を獲得したM1T1系統。
2) 溶連菌に感染するバクテリオファージを媒介にしょうこう熱を引き起こすスーパー抗原SSA, SpeCを獲得している。
ことを明らかにした。この結果は、今後抗生物質耐性を獲得した溶連菌が、いつでもバクテリオファージ感染によりスーパー抗原を獲得し、しょうこう熱を引き起こす可能性があることを示唆している。従って、このスーパー抗原遺伝子の広がりを世界規模で調査するとともに、耐性をもつ溶連菌の発生をできる限り防ぐことが重要になる。論文でも、溶連菌感染はできる限りペニシリンで治療し、マクロライド系抗生物質への耐性菌の出現を防ぐよう具体的提言も行っている。今後もしょうこう熱のことをすっかり忘れて生活できるよう対策を打ってほしいが、Scientific reportsの論文を臨床の先生は読むのだろうかとちょっと気になった。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月7日:肥満を防ぐ樹状細胞(10月20日発行Immunity掲載論文)

2015年11月7日
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京大に在籍した頃、当時助教授だった故横田君がId2遺伝子をノックアウトし、私たちが研究していたLTi(リンパ組織のインデューサー:誘導細胞)がナチュラルキラー細胞や、一部の樹状細胞とともにId2陽性細胞から分化してくることを発見し、私を驚かせた。その後、現理研の吉田君が3種類の細胞へ分化できる前駆細胞を特定し、試験管内で3種類の細胞をすべて誘導して見せた。特にナチュラルキラー細胞と樹状細胞に分かれる前駆細胞の存在から、樹状細胞がキラー活性を持てもいいのではと考えたのを思い出す。しかしこれらの話を更にたどると、熊本大学医学部の教授になる頃に私のカミさんが樹立した様々な血液系の細胞と相互作用する前脂肪細胞株ST2に行き着く。この熊本・京都と続く長い話のまるで逆の話が今日紹介するイスラエル・ワイズマン研究所からの論文で10月20日号のImmunityに掲載されている。タイトルは「Perforin-positive dendritic cells exhibit an immuno-regulatory role in metabolic syndrome and autoimmuneity (パーフォリン陽性の樹状細胞はメタボリックシンドロームや自己免疫病の調節する役割を持つ)」だ。この研究の主役はパーフォリン陽性の樹状細胞だ。パーフォリンはキラー細胞の細胞を殺す働きを担う分子で、京都時代の話から考えると樹状細胞の一部がキラー活性を持っても私たちには不思議はない。この研究では少し凝った方法でパーフォリン陽性樹状細胞が欠損したマウスを作成し、この細胞が肥満やインシュリン抵抗性の糖尿病など、いわゆる脂肪細胞の異常によるメタボリックシンドロームを抑制している細胞であることを示している。これはパーフォリン陽性の樹状細胞が自己免疫性のT細胞の脂肪組織での増殖を抑制する機能を持つためで、この樹状細胞が欠損すると、自己免疫性のT細胞が増殖し、脂肪組織を刺激する。その結果、脂肪細胞由来の様々なアディポカインが産生され、いわゆるメタボリックシンドロームから肥満になる。すなわち、脂肪細胞もそれが支える血液系細胞によって様々な刺激を受けるという話だ。タイトルを一見すると、「なになに」と不思議そうな話だが、よく読んでみると教室の歴史が思い出されて懐かしい気分になる。少し残念なのは、私たちの研究の主役だったLTiの姿が脂肪組織には全くないことで、著者らが気にしていないのか、あるいは本当にないのか少し気になる。
カテゴリ:論文ウォッチ

シンポジウム「生命論の歴史を探る――カントからオートポイエーシスまで」案内

2015年11月6日
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アップするのが遅れましたが、明日13時、生命誌研究館1階で、ゲーテ自然科学の集い主催のシンポジウム「生命論の歴史を探る――カントからオートポイエーシスまで」が開催され、理事の西川が「18世紀有機体論から考える21世紀の課題」というタイトルで話をします。他の演者として、東大名誉教授佐藤泰邦さん「ヘーゲルから現代に至る生命論の系譜」、河本英夫さん「ゲーテ自然学とオートポイエーシス」でお話をされます。主催の高橋先生のシンポジウムの狙いを掲載しておきます。

今日、文理融合の必要性が一部で唱えられていますが、ゲーテ時代において自然科学はまだ哲学の一部をなしていました。特に生命論や有機体論は哲学と自然科学を結ぶ重要な媒介項をなしていました。そこで今回は医学と哲学のコラボとして生命論のシンポジウムを開くことになりました。まず哲学にも造詣の深い西川伸一先生(医学)に、カントを中心とした18世紀の有機体論から現代における生命論の課題について問題提起していただいた後、和辻哲郎からルーマンにいたる幅広い守備範囲をもたれる佐藤泰邦先生(哲学)に、カント『判断力批判』を中心にしながら生命論の系譜をご考察いただき、最後に「オートポイエーシス」に関する10冊以上の著作によって生命論と哲学の新しい地平を切り開かれた河本英夫先生(哲学)に、ゲーテ自然学とオートポイエーシスの関係について論じていただきます。  シンポジウムではカントからオートポイエーシスまで多岐にわたるテーマが取り上げられますが、その中心にはやはり自然科学者としてのゲーテがいます。みなさまとご一緒に生命論に関する考察を深めたいと存じます。皆様お誘いあわせの上、ご参加くださいますよう、ご案内申しあげます。
カテゴリ:ワークショップ

11月6日:神経芽腫の新しい標的(11月4日号Science Translational Medicine)

2015年11月6日
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MycやRasは発ガン遺伝子として研究の歴史も長く、また多くのがんのドライバーとして働いている。ただ分子構造上薬剤の開発が難しく、これらの分子の機能を直接抑える薬剤はまだ実用化できていない。代わりに、この分子によって活性化される下流の分子を標的にした治療薬の開発が進んでおり、Rasについては幾つかの薬剤が実用化されている。一方Mycは多くの遺伝子に働くため、下流で転写が活性化される分子も多く、臨床応用へと進める標的を見つけることは容易ではない。昨年11月17日このホームページで紹介した研究では(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2442)発想を転換させてCDK17というMyc自体の転写を促進する分子を標的にした治療法を開発していた。
   今日紹介するオーストラリア・ニューサウスウェールズ大学からの論文は粘り強くMycにより転写が誘導される分子を探索し新しい治療法を開発した研究で11月4日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Therapeutic targeting of the myc signal by inhibition of histone chaperone FACT in neuroblastoma (神経芽腫ではヒストンシャペロンFACT阻害によりMycシグナルを抑制できる)」だ。
  この研究ではまず649人の患者さんの神経芽腫の遺伝子発現データを調べ、Mycとともに発現して悪性度ともっとも関わっている遺伝子を洗い出し、最終的にDNAがヒストンと結合してヌクレオソームを形成する時ヒストンのリクルートや交換に働くヒストンシャペロンと呼ばれる分子複合体の一つFACTが見つかった。この分子はMycによって転写が活性化されるとともに、シャペロン機能を通してMycの転写をあげることから、両者が促進しあう関係にある。幸いこのシャペロンに対しては米ベンチャー企業がCBL0137という阻害剤を開発しており、この阻害剤を使って神経芽腫の発生、腫瘍増殖の抑制などについて検討している。この薬剤投与でMycを強制発現させたマウスの神経芽腫発生を抑えることができるとともに、すでに発生したMycの発現が亢進している神経芽腫の増殖も抑えることができる。おそらく臨床的に重要なのは、FACTを抑制するとDNA損傷修復が抑制されるため、DNA損傷を誘導してガンを叩く薬剤との相性が良いことだろう。残念ながら、経口投与ではこの薬剤は効果がなく、すべて点滴で投与する必要があるが、抗がん剤との併用で最初から使う方法は期待が持てる。
  ClincalTrial.gov.で調べると、ようやく固形癌やリンパ腫の第1相試験のリクルートが始まったところだが、神経芽腫の治験も視野に入っているのではと期待する。ただ、このような標的薬剤のほとんどは根治に至らず、最終的に再発することが経験から明らかになってきている。その意味で、多くの標的薬が開発された今、根治をキーワードに開発方法を一度見直すことが必要ではないだろうか。アカデミアもメーカーも特定の標的分子に対する化合物が発見できれば良いと、このためにひた走っているが、そろそろ視点をずらせてこれまでの開発手法を再検討する時が来たような気がする。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月5日:英国の大規模乳児コホートの挫折(11月29日号Nature掲載レポート)

2015年11月5日
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今日紹介するのは論文ではなく、Natureが提供する科学ニュースだ。11月29日号「Massive UK baby study canceled(英国の大規模乳児研究が中止された)」という大きな見出しで紹介された記事だ。  記事は、2011年に計画され、2015年にスタートにこぎつけた英国の乳児研究が登録者が少なく中止に追い込まれたというものだ。この記事はHelen Pearson記者によって書かれたが、彼女がこの問題が特に重要と思ったのは、10万人の乳児を対象に生涯を記録しようとした米国NIHの計画も同じく中止に追い込まれたところだったからだ。   
両方の研究が目指したのは、大規模かつ長期に個人の詳細な記録を残しデータベースを構築することだ。事実この研究では、出産前の両親をリクルートし、出産時に子供や親の置かれた社会的状況、妊娠中の生活に至るまで調査し、将来子供の身体や精神の成長に及ぼす要因を研究するための基盤にしようとする野心的計画だ。21世紀ゲノム時代に始まった個人に集まるあらゆる情報を統合し、その意味を探る研究を代表する点で意義は大きい。特に社会科学をより客観的に変革したいとする英国経済社会科学審議会(ESRC)が強く後押しし、なんと2019年まで日本円にして70億円の予算が認められた。   
 本年1月にまず16000人の登録を目指して研究がスタートしたが、ふたを開けると9月時点でようやく249人が登録したという有様で、これを見たESRCが即座に中止を決定したというものだ。1年も経たないうちに中止を決定することは我が国ではほとんどありえないと思うが、英国でも早すぎるのではという批判が渦巻いているようだ。おそらくこの背景には同じ目的で始まり、2014年12月に中止が決まった米国子供研究の影響があるのだろう。   
この二つの例が示しているのは、個人を記録するというプロジェクトを国や研究者主導でトップダウンに行うことが今後ますます難しくなるということだ。我が国と比べた時、英国はコホート研究大国で、いじめや語学教育の意義にいたるまで、様々なコホート研究が発表され、観察期間が50年を越すのはざらだ。これららのコホート研究はすべて、科学者ができるだけ科学性を担保できる計画を立案し、長期にわたってデータを取り続ける手法だ。ただこれを21世紀型に拡大しようとすると、ゲノム、エピゲノム、脳活動、身体(医療)記録、教育記録、個人で残すライフログまで調べられる項目の数がきわめて多くなり、当然コストも多くかかる。この時、国や研究者が用意したデータベースがライフログの置き場所として提供されるが、問題はそれが信用されるかどうかだ。おそらくNOだろう。多くの国民は、国家や権力は情報を集めても、それをそのまま公開することはなく、そこから発信される歴史が都合よく書き換えられていることを知っており、信用しない。本当に21世紀型のコホート研究が必要なら、まず国家の影を消すことから始める必要がある。個人が自由に自分の好きな項目についてだけライフログをのこし、そこにゲノムを含む身体記録も合わせ、自分で管理する個別の記録から始めるコホート研究を考えることだ。すぐ科学性がないという批判が聞こえてくるが、そのようなデータからどう科学性を担保すればいいかの学問を確立すればいい。また自分の記録を公的に利用させるかどうかは個人の自由だ。しかしせっかく集めた自分のデータだ。これまでは死ねば跡形もなく消えていた記録だが、ゲノムも含めて情報として残せる新しい時代が来たことを賢い個人はわかるはずだ。  
 例えば我が国では、子供のゲノムは公的に管理する目的でなら調べてもいいが、自分や子供のために調べて、自分で情報を維持することはほぼ禁止されていると言っていい。これは、21世紀のトレンドから見ると全く逆行しており、役所も学者もこれまでの中央集権的発想から抜け出せていない。来年には個人の全ゲノム配列を信頼できる程度まで読むためのコストが5万円を切るという。英国と米国の二つのプロジェクトの中止決定は、中央集権的思考を捨て、個人ネットワークを基礎に考え始めるいい機会だ。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月4日:寄生虫がアレルギーを防ぐ仕組み(11月17日掲載予定 Immunity論文)

2015年11月4日
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アトピーや喘息などアレルギー疾患は、寄生虫が蔓延していた頃にはほとんど存在しなかったと言われている。私たちの小学校時代は、寄生虫駆除剤投与が学校行事として行われていた時代で、たしかにアトピーなどは少なかったように思う。ただそんな世代も、寄生虫とは無縁の生活を続けた今、ふと気がつくと、私も含め花粉アレルギーの友人は多い。これについて私は、寄生虫に対してIgE抗体反応が誘導されるため、他の外来抗原への反応を抑えているからだと説明してきた。事実回虫のエキスはIgE反応を誘導するときのアジュバントとして使っている。今日紹介するスイス・ローザンヌEPFLからの論文は、寄生虫のアレルギー予防効果が寄生虫自体の作用によるものだけでなく腸内細菌の変化を介して起こる可能性を示唆する研究で、11月17日のImmunityに掲載予定だ。タイトルは「Intestinal microbiota contrib.utes to the ability of helminths to modulate allergic inflammation (寄生虫によるアレルギー性炎症の抑制作用は腸内細菌叢が媒介する)」だ。このグループは以前からアレルギー反応を抑制する寄生虫の能力に注目していたようだ。細菌叢が存在する条件で寄生虫を感染させると、気管のアレルギー性炎症が抑制できるが、実験で使われる細菌叢を除去したマウスでは寄生虫のアレルギー抑制効果がないことに気づいていたのだろう。細菌には効くが寄生虫には効果がない抗生物質の投与実験で、寄生虫によるアレルギー抑制効果が腸内細菌叢を介していることを確認する。すなわち、アレルギーに対する寄生虫の効果が、直接効果ではなく、腸内細菌叢を介しているという結果だ。確かに寄生虫を感染させると、腸内細菌叢の種類が変化し、アセテートやブチレートなどの短鎖脂肪酸の産生が上昇する。また、寄生虫を感染させた腸内細菌叢だけで寄生虫を感染させたのと同じ効果が出る。これらの結果から、寄生虫感染は腸内細菌叢を短鎖脂肪酸を作る細菌優勢へと変化させ、これが免疫機能を抑えアレルギー反応を改善させるというシナリオだ。このシナリオを証明するため、短鎖脂肪酸の免疫機能への作用を媒介する受容体を欠損させたマウスに寄生虫感染させると、アレルギー抑制効果が消失することを確認している。最後に、この効果の少なくとも一部が、抗炎症性のIL-10産生と、制御性T細胞の誘導によるけっかであることを示している。また、短鎖脂肪酸の上昇がマウスだけでなく豚や人でも同じであることを感染実験で行っている。十二指腸虫をボランティアに感染させる実験を行えるというのが驚きだが、ブタもヒトも寄生虫感染により短鎖脂肪酸の産生が上昇することを確認している。   汚い環境で生活した昔はアトピーなどなかったと懐かしむのはいいが、では昔に還る方がいいのかと聞かれると、答えはNOだろう。もし「汚い環境」のいいところだけ取り出して使えればと思うが、無毒化ができたとしても寄生虫を飲みたいという人は出ないだろう(世紀のソプラノ、マリア・カラスは痩せるためにサナダムシを自ら感染させていたとはいうがこれは例外だ)。この点、今日紹介した論文は、寄生虫の効果の一部を短鎖脂肪酸に置き換えた点で、アレルギー予防法開発へと至る可能性がある。もちろん、回虫エキスの免疫効果から見ても、寄生虫自体の能力も今後明らかにする必要があるだろう。今子供を持つお母さんの多くがアトピーになるのではと心配されていると聞く。その意味でこの研究は期待できる。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月3日:神経堤細胞の進化(Natureオンライン版掲載論文)

2015年11月3日
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進化の過程ではそれまでに全く存在しなかった新しい細胞や器官が生まれる。例えば四足類という名前からわかるように、手足は魚類には存在しない。一方、全く新しい器官や細胞を一から創造するのは難しい。実際にはすでに存在するシステムを土台に新しいシステムができる。四肢の場合ヒレがそれにあたる。すなわち、全く新しいように見える器官や細胞には必ずルーツがある。様々な動物のゲノムが解読されてからは特に、新しいシステムとそのルーツを特定し、共通性と相違を明らかにし、その背景にあるゲノム変化を対応させる研究が進化発生学の重要な分野になっている。   脊椎動物はホヤなどの属する尾索類から分離してきたと考えられているが、この過程で新しく生まれる細胞の一つが神経堤細胞だ。脊椎動物の神経堤細胞は上皮が落ち込んで神経管ができた時、背中側の細胞が神経管から剥がれ落ちたあと目的の場所に移動して、感覚神経、色素細胞を始め頭の骨や筋肉、さらには心臓弁の一部にまで分化する細胞だ。今日紹介するニューヨーク大学からの論文は脊椎動物に近いユウレイボヤで神経堤細胞に相当する細胞を探した研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Migratory neuronal progenitors arise from neural plate borders in tunicate(尾索類では移動性の神経前駆細胞は神経板の境界から発生する)」だ。丁寧とは言え、かなり古典的進化発生学の研究で、脊椎動物神経堤細胞から分化する後根神経節細胞に焦点を当て、発生過程で発現する遺伝子の共通性を手がかりにホヤの幼虫を検索し、ホヤの神経板の境界に接する細胞から由来するBTN系列が、脊椎動物の後根神経節細胞のルーツ細胞として特定している。この細胞は神経堤細胞と同様に体内を移動し、感覚受容体を発現する感覚細胞と結合する。残念ながら脊椎動物神経堤細胞のように明確な接着分子の変化を特定できていないが、関係のないカドヘリンを強制的に発現させるとBTN細胞は上皮から分離できないことから、この点でも接着性を変化させることで神経管から剥がれ落ちる神経堤細胞と似ていると結論している。この過程の鍵になる最も重要な分子が環境からのシグナル(MAPKを介する)により発現するneurogeninである点も似ている。ただ、大きな違いはBTNが神経板由来ではなく、中胚葉とともに神経板の境界へと移ってきた細胞である点だ。著者らは、ホヤのBTNは色素細胞と発生初期に共通の細胞から分かれるが、この分化タイミングがずらされ神経板細胞と統合されることで、神経堤細胞が神経板、そして神経管から生まれる様式が誕生したのではと結論している。   期待して読んだのだが、実際には少し失望した。はっきり言って、しっかりとした発生研究だが、進化発生学としてはあまり面白いとは思えなかった。古典的なレベルに留まって視野も狭い。例えば、タイミングをずらすヘテロクロニー進化は閉鎖血管系が生まれる際の血管内皮と血液の間にも見られる。何よりも、共通性と相違を定義する時に利用した遺伝子上に起こった変化との対応が全く取れていない。この過程は故大野博士が提唱した全ゲノム重複が起こった過程だ。これと形質変化を対応させて初めて面白い研究になる。しかもこの過程を代表する多くの種のゲノムも解読されている。この話が全くないのは興ざめだ。おそらく日本の若手が同じ研究の論文を送っても採択されないのではないだろうか。頑張っていると思えても、読んでがっかりする論文はトップジャーナルにも多い。この点はブランドワインと同じだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月2日:抗原受容体遺伝子再構成研究の進展(Cellオンライン版掲載論文)

2015年11月2日
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今日紹介するハーバード大学からの論文の内容はかなりプロ向きであると最初から断っておく。ただこの論文で研究しているRAG分子は私自身にとって思い出の深い分子で、久しぶりにこの論文の責任著者Fred Altの論文を読んで、改めてここまで研究が進んでいるのかと感心した。医者をやめてドイツで基礎研究を始めた時選んだテーマがBリンパ球の発生だった。私のテーマは未熟B細胞増殖調節だったが、同じ過程で何百万種類の抗体遺伝子の組み合わせが選ばれ、一個のBリンパ球が1種類の抗体を発現する遺伝子再構成が起こることから、遺伝子再構成のメカニズムについての研究が利根川,Baltimore,本庶など当時のスター研究室で進んでいた。同じ細胞を扱っていたことから、私自身もこの分野の研究者と交流が深かった。当時は現在の教科書に書かれている再構成のルールが明らかになり、焦点はどの分子がこの再構成を行っているのかに絞られていたが、最終的にBaltimoreの研究室のShatzがRAG1,RAG2遺伝子が遺伝子再構成の主役であることを発見する。その後私自身は研究を血液の発生全体に広げたため、これ以降の進展については、時折目に止まった論文を読む程度だったが、今日紹介するAltたちの論文はこのRAG1,2分子がどのように広い範囲のゲノム領域の中から再構成する相手を決めているのかを研究したものでCellオンライン版に掲載された。タイトルは「Chromosomal loop domains direct the recombination of antigen receptor genes (染色体上のループ領域が抗原受容体遺伝子の再構成を指示している)」だ。
極めてマニアックな研究で、生物学の研究のプロでもおそらく理解に時間がかかる論文だと思う。研究ではRAG1,RAG2の遺伝子への結合を決めている真性のシグナル配列(RSS)とは別の、RSSに配列が似ているため間違ってRAGが結合してしまうoff target配列を全てリストする方法を開発し、RAGによる再構成はゲノム全体に散らばるoff-target配列と真性のRSS間で起こるが、その範囲は染色体のトポロジーを決めているTADという構造内(http://aasj.jp/news/watch/3533参照)に限局されるようになっており、これが抗体遺伝子再構成が他の領域を巻き込まない理由であることを明らかにしている。さらに、再構成の相手を選ぶ時の方向性がCTCFと呼ばれる分子が結合する遺伝子配列の向きによって決められていることを明らかにしている。わかりやすく図式的に言うと、真性のRSS配列に結合したRAG1,RAG2はCTCFが決める方向性に従って遺伝子をたぐって相手方を決めるが、TADの境界を決めている場所に来ると手繰り寄せが止まり、それ以上進展されないようになっている。この時、どの部位と実際結合するかはおそらくIGCR−1領域のノンコーディングRNA存在と深く関わっており、この部位を欠損させると再構成される領域が強く抑制されるという結果を示している。この分野の研究者が他の領域に移っていく中で、Altは抗原受容体遺伝子再構成のメカニズムを極め、新しい普遍性を持った領域を開拓しつつあると実感する論文だった。   結局分野の違う人にはわかりにくい話だったと思うが、読んでみてここまでわかったのかという感慨を持つと共に、抗原遺伝子再構成というマニアックな領域が、ガンやCRISPRまで巻き込む、本当は多くの普遍的重要性を含んだ分野になってきたと私は確信した。若い人は「関係ない」と決めつけず、ぜひ一度論文を手に取ってほしいと思い紹介した。
カテゴリ:論文ウォッチ

11月1日:フォルクス・ワーゲン不正による被害推定(10月29日号Environment Research Letter掲載論文)

2015年11月1日
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巷では旭化成建材の杭打ちデータ流用の拡大がメディアを賑わせているが、東芝不正経理、東洋ゴムデータ改ざん、VW排ガス不正と、大企業で続く不正を目にすると、昨年小保方問題の原因について、大学や理研は企業では当たり前のコンプライアンス対策や人事管理ができていないからだと記者会見で語っていた人たちの顔が浮かぶ。これだけ続くと、おそらく現在の大企業が作り上げた利潤追求システムを構造問題として分析する必要がありそうだ。ただ今続発している企業不正には被害者があり、司法の場に持ち込まれるケースも多いはずだ。このとき被害の全体をどう科学的に、しかも迅速に評価するかが問題になる。   この問題にアメリカのアカデミアがどう迅速に対応できるかを示すマサチューセッツ工科大学とハーバード大学からの論文が10月29日号のEnvironmental Research Letterに掲載されていたので紹介する(Environ.Res.Lett. 10(2015) 114005)。タイトルは「Impact of the Volkswagen emission control defeat device on US public health(フォルクス・ワーゲンの排ガス制御装置のdefeat deviceが米国の公衆衛生に与えるインパクト)」だ。幸いこの論文はクリエーティブコモンズに登録されており、図の引用が可能だ。   しかしアメリカ環境局(EPA)がVWの不正について発表したのは9月18日であることを思い起こすと、この論文がその後1ヶ月半で発表されたことは驚くべき速さで、社会の要求に迅速に答えることを使命の一つとして自覚しているアメリカアカデミアの底力を見る思いがする。さてタイトルからわかるように、この研究ではフォルクス・ワーゲンとアウディがアメリカで2009-2015年に発売したディーゼル車の排ガスがアメリカ市民の健康に及ぼす影響を算定したものだ。タイトルに登場するdefeat deviceとは、状況に合わせて排ガス処理をバイパスする装置で、今回の不正では排ガス検査以外の正常走行でこの装置が働くようにしたことが問題になっている。推計学的方法の詳細はすべて省くが、研究では、販売台数、これまで蓄積した一般車の走行パターンから割り出したNOxとPM2.5の排出量を、すでに環境評価で確立している幾つかの推計シミュレーションモデルに当てはめて、premature death (早死に)する確率や、様々な疾患の発生率を推定したものだ。論文に示された表をそのまま転載するが、2015年までの排出によるpremature deathを59人、社会コストを4億5千万ドルと推定している(図をクリックしてください)   
  • VW2   そして、VWが約束した通り2016年末までにリコールを終わらせれば将来のpremature deathを130人減らし、社会コストも8億4千万ドル減らせることを強調している。他にもこれまでの排ガスにより31人の慢性気管支炎と34例の入院例が発生したはずだとする推計も示している。その上で、現在EPAなどが推定しているVWへの罰金額が4万ドルを超えている点について、今回の研究から推定される実際の被害は一台あたり高々2600ドルで、EPAの算定は高すぎるのではと指摘している。さらに、被害のほとんどはPM2.5によるもので、NOxによるオゾン層破壊の影響はほとんどないことも強調している。役に立つことを絵に描いたような研究だが、使った推計学モデルが正しいかどうかは議論が必要だ。我が国を含め、公的資金を使ってビッグデータ・シミュレーションモデルが作成されているはずだ。このようなモデルは本当は今回のような問題が勃発したときのために作られてきているはずだ。こうした蓄積が役に立つことを迅速に示して、市民社会の期待に応えた点はさすがだ。次はこの論文がどのようにEPAや司法の判断に利用されるかが見ものだ。とはいえ、今回の推計データを実際の死亡率や発病率と照らし合わせて推計モデルの正統性を示す科学側の新たな責任も生まれたと思う。繰り返すが、9月16日のEPAの発表後すぐに計算を始めて、10月2日には論文を投稿し、10日で掲載が決まるというアメリカの学界のスピード感には舌をまく。
    カテゴリ:論文ウォッチ

    10月31日:新しいトランスポゾン由来タンパク質(10月22日号Cell掲載論文)

    2015年10月31日
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    昨日、病気の発症メカニズムを研究するためにiPSが重要な手段になっていることを、双極性障害という一見iPSからかけ離れて見える精神疾患を例に紹介した。我が国でも山中さんを筆頭に、このような臨床応用がiPSの最も重要な分野であるとして、重点的な助成が行われている。しかし基礎科学としてみても、iPSの拡がりは予想を超える。例えばエピジェネティックスはESやiPSが利用できるようになり急速に進展した。ここでも紹介したゲノムのトポロジーや、スーパーエンハンサーなど、新しい遺伝子転写調節についての方法論や概念の形成にもES,iPSの貢献は大きい。これは、iPSにより、特定の分化段階のヒトやマウスの正常細胞を必要なだけ使って全ゲノムレベルの解析を行えるようになったからだ。他にも全く新しい有望分野を開発すべく活躍しているのがソーク研究所のGageグループだ。彼らはゲノム以外は細胞や組織レベルの実験に多くの制限のある猿からヒトへの進化の研究を、iPSを組み入れることで乗り越えられないかと挑戦を続けてきた。iPSが発表されるとすぐ、世界に先駆けて様々な霊長類のiPSを樹立し、ヒトと比べる研究を行っている。今日紹介する論文はその中から出てきた新しい発見について述べたもので10月22日号Cellに掲載された。タイトルは「Primate-specific ORF0 contribute to retrotransposon-mediated diversity (霊長類由来のORF0はレトロトランスポゾンによる多様性に貢献している)」だ。私たちのゲノムの半分がトランスポゾンと呼ばれるウイルスのような配列で占められているが、その中でL1と呼ばれるトランスポゾンはなんとゲノム全体の20-30%にのぼる。体を形作るタンパク質をコードする遺伝子が1.5%程度であることを考えると驚くべき数字だ。L1にはトランスポゾンの活性化に関わる2つのタンパク質をコードするORF1,ORF2と呼ばれる遺伝子が存在している。ただ30%ものゲノムが活性化されゲノムの他の場所に飛び込むことになれば私たちは生きていられるはずがない。幸いほとんどのL1には突然変異が入って不活性になっており、実際に活動できるのは100以下なので安心してほしい。この研究では、霊長類のL1遺伝子中にORF1,2とは別の転写、翻訳できる配列( ORF)が存在していることを発見しORF0と名付けている。もちろんORFが存在することと、実際のタンパクに翻訳されることとは全く別のことなので、この研究の大半は、このORF0がタンパク質として翻訳されていることを示すことに費やされている。詳細は省くが、チンパンジーやヒトには約3500の翻訳可能なORF0が存在し、作られたタンパク質は核内でPMLボディーと呼ばれる特殊な場所に存在していることを明らかにした。面白いのは、このORF0を持つL1は霊長類で急速に増幅・多様化したことで、霊長類以外の哺乳類には見られない。また、旧世界サルの代表ヒヒには50個程度のORF0しかない。さらに、ヒトとチンパンジーでも900のORF0はそれぞれの種特異的な場所に散らばっている。またORF0は多能性幹細胞(iPS)で発現が上昇しており、遺伝子内のスプライシングのシグナルを使って近くの遺伝子と融合タンパク質を形成していることも明らかになった。すなわち、全く新しい機能を持ったタンパク質が生まれる原動力になっている可能性がある。最後に、この遺伝子を大量に発現させると、L1活性化が高まることから、この分子の役割はL1活性化を促進して、霊長類のゲノム進化を促進することだと結論している。基本的には現象論だけだが、霊長類にしか存在しないこと、新しい融合タンパク質を形成できること、そしてL1活性化を促進すること、を知ると霊長類進化に確かに大きな役割を演じているのではと思えてしまう。次の一手が楽しみな論文だ。昨日紹介した中国の論文にもGageの名前は入っていたが、彼のグループの活躍が目立つ。
    カテゴリ:論文ウォッチ