12月2日獲得形質の遺伝の話としてエピジェネティックスについて書いたが大好評のようだった。この時、遺伝子の配列はそのままで、長期間遺伝子の発現を調節するスウィッチに影響を与えるエピジェネティックスと呼ばれる現象を、妊娠中の母体の経験の影響が生涯続くエピジェネティックな変化を子供に誘導する現象を例に短く触れた。この現象を理解させてくれる最も有名な研究が、ドイツ軍占領下に飢餓を経験した母体から生まれた子供を長期間追跡したコホート研究で、「オランダ飢餓経験者のコホート研究」として専門家にはよく知られている。1944-1945の冬の話で、飢餓をなんとかしのいで生まれることが出来た対象者は既に70歳に近づいている。飢餓当時の母親の状態など詳しい聞き取り調査の上で、これまでも定期的に様々な角度から調査が行われ重要な結果がその度に得られている。中でも、50−60歳になった頃の研究で、飢餓を経験したお母さんから生まれたグループでインシュリン分泌能が低下していた事についての報告は反響が大きかった。今日紹介するのは同じ対象者で本当に遺伝子上のエピジェネティックスの変化が見られるのか(DNAのメチル化を調べている)を調べたオランダの研究で、「Persistent epigenetic differences associated with prenatal exposure to famine in humans (出生前の飢餓にさらされたヒトで見られる持続するエピジェネティックな変化)」がタイトルだ。対象者から血液を採取、その全血から得られるDNA上にあるIGF2遺伝子のDNAメチル化を調べている。この遺伝子は、母方から来た染色体上ではインプリントと言って発現抑制がかかっている。このインプリンティングはIGF2遺伝子DNAがメチル化されることによるエピジェネティックな変化であるわかっている。このメチル化の度合いが、母体内で妊娠初期に飢餓を経験したグループではっきりと低下していると言うのがこの研究の結果だ。結論をわかりやすくまとめると、発生途中の一回の飢餓経験が、生涯続く遺伝子の発現調節の変化を誘導できる事を示した研究だ。今の日本には飢餓など無縁だと考えられる向きも多いだろう。しかし妊娠中にもスタイルを保とうと過度のダイエットをしたりすると同じ結果を来す恐れがある事は知っておいて欲しい。
オランダ飢餓コホートは、不幸な経験はほとんど繰り返す事の出来ないチャンスでもあり、科学的に調査する事が重要である事を示している。戦争による飢餓もそうだが、我が国では被爆と言う不幸な経験をコホート研究を通して新しい世代に伝える事業が行われて来た。また広島、長崎で研究している友人から、被爆者の高齢化とともに新しい問題が見つかる事も聞いている。同じように、私たちは福島と言う不幸な経験に出会った。この経験を不幸で終わらせず、本当に長期的視野で次世代に伝えられる科学的調査として残していって欲しいと思う。コホート研究とは本来、自分は現役で結果を見られない事を覚悟した研究者が始め、新しい世代へと受け継ぐものだろう。
12月11日:飢餓とエピジェネティックス(11月4日号アメリカアカデミー紀要)
論文のレフリーは必要?(12月10日 Natureオンライン版掲載)
今日紹介するのは、一般の方にはあまり関係ない話だとお断りしておく。
さて、科学は一つの意見を、他の多くの人が認めるコンセンサスにしていく手続きだと言っていい。だから、論文に書いてあることがいくら審査を通ったからと言って、正しいとは限らない。また、コンセンサスに反する論文を通すのはエネルギーがいる。ミトコンドリアが細胞内に寄生した細菌の末裔だとする説についての論文が受理されるまで5年以上かかったとリン・マグリスは彼女の本の中で書いていたが、研究者なら誰でもレフリーの横暴だと納得する。では、最近流行りのレフリーを通さないオープンアクセスの雑誌の方がいいのか?そんな問題をシュミレーションモデルを使って考えた論文がNatureオンライン版に掲載された。なんと英国ブリストル大学の経済学部からの仕事で「Modelling the effects of subjective and objective decision making in scientific peer review (科学の論文審査での主観的及び客観的意思決定の効果についてのモデル)」と言うタイトルがついている。この様な内容の論文が掲載される事に実際驚くが、レフリーが主観的な意見をどのぐらい主張するかを変数にして、大勢に流されてしまう効果や、誤解の生じる確率を計算して、論文の内容が確率的に信頼できるようにするにはどうすればよいかが計算されている。結果は少し常識的で、レフリーがある程度主観的である方が大勢に流される効果は減ると言うものだ。従って、審査のないオープンアクセスは期待薄と言う事になる。実際のデータの分析も少しはあるが、結局この仕事はモデリングと計算の話だ。多分レフリーと格闘している多くの科学者には納得しがたい論文だろう。しかし、経済学の発想で科学者世界に対して「科学的?」フィードバックを行う事は、捏造・誤解・誤りのない科学雑誌のためには少しは役に立つかもしれない。いずれにせよ、Natureの編集方針に新たな息吹を感じる。とは言え、この論文は投稿が8月、受理が10月と、短い審査期間で審査を通っている。この審査過程も是非公開して欲しいと思った。
12月9日 新薬開発促進に関する動向
臨床関係の雑誌を見ていて、創薬や診療に関してアメリカ政府が創薬促進に本腰を入れている様なので紹介しておく。
最初は、遺伝子特許についてのアメリカ最高裁の判決についてで、Annals of Internal Medicine に掲載された(6月11日に既に公表されている)。現在最も広く利用されている遺伝子診断の一つが乳がんのBRCA1とBRCA2遺伝子の突然変異に関する検査だ。日本では一検査あたり20-30万円かかるが、その多くの部分はアメリカのMyriad社に対する特許料だ。この突然変異は乳がんの予後を知るために極めて重要であるため世界的に行われており、そのおかげでMyriad社の2013の4半期の売り上げは500億円を突破している。勿論BRCA1と乳がんの関係はMyriadが発見したにしても、突然変異は個人の遺伝情報であり、例えば全ゲノムを調べると自然にわかる事だ。もしBRCA1/2を含む全遺伝子を調べる際にMyriad社に特許を払うとすると、何となくおかしいのではないかと言う疑問が持たれていた。即ち、各人が自然に持つ遺伝子配列が特許の対象になるのかと言う問題だ。これについてアメリカ最高裁は、ゲノム遺伝子配列については特許の対象にならない事を明確に決定した。一方、検査のための方法や、試薬類全ては特許として認められる。この結果、全ゲノムや全エクソーム解析自体に特許がかかる事は無くなり、個人ゲノムビジネスは更に発展すると予想される。
次はFDAが新しい「ブレークスルー治療」と認定した薬剤の開発を別枠で促進する道を開いたと言う報告で、The New England Journal of Medicineの11月19日号(p1877)に紹介されていた。2012年新薬開発促進のため、FDA Safety and Innovation(FDASIA)が制定された。この中の一つのプログラムが「ブレークスルー治療」プログラムで、生命の危険が高い病気に対する薬が一定の条件(動物実験などメカニズムを明らかにする前臨床研究で現在利用できる薬剤より優れた効果が十分予想される場合など)を満たしておれば、FDAは集中的にサポートして、薬剤として許可するかどうかを4ヶ月程度を目処に行うと言うプログラムだ。2013年に80以上のプロジェクトが申請され、現在26プロジェクトが個のプログラムとして認定されている。認定された薬剤の多くは、ガン、希少疾患が標的であり期待できる。
最後が、Nature Medicine、11月19日号(p1353)に紹介されていた新しい治験方法についての記事だ。現在薬剤の有効性は、いくら分子メカニズムが明確であったとしても、ランダム化した患者さんを対象にする二重盲検法に従う治験を経て始めて判断される。この際、半分近くの患者さんについて偽薬と呼ばれる、まさに毒にも薬にもならない薬が与えられ、心理的効果による効果が除外される。しかしこれを患者側から見れば、全く治療を受けないで放置される可能性を認めた上で治験に参加しなければならない事になる。特に、効果が初期から予想される場合は、いくら医療統計上必要と言え、残酷な方法だ。また、必要な患者さんの数も多く小さな会社にとっては負担になる。この問題を少しでも緩和した治験方法として、偽薬効果がなかった患者さんを早期に再編成して、実際のお薬を服用するグループへとリクルートする方法でsequential parallel comparative designと呼ばれている。この論文ではこの方法を用いた治験、特に精神疾患に対する薬剤の治験が現在14進行中で、徐々に普及し始めた事が紹介されている。更に、この偽薬効果がなかったグループを一定期間ごとに再編成を繰り返すTEDと言う方法も始まっているようだ。規制当局もともに、薬剤の有効性を早く確かめ、患者さんの元へ届ける努力が続いているようで、期待できる。
なぜレナリドマイドが骨髄腫やBリンパ腫に効果があるのか?(骨髄腫、リンパ腫)
骨髄腫は化学療法治療により長期の生存が可能になって来た腫瘍の一つだが、それでもなかなか完治の難しい腫瘍だ。しかし最近サリドマイド及びサリドマイド由来の化合物レナリドマイドが骨髄腫特異的な効果があることが分かってきて、生存率の大幅な改善につながっている。ほとんどの年配の方なら大きな薬害事件としてサリドマイドという薬を覚えておられると思う。これは本来鎮痛催眠剤として用いられたサリドマイドを妊婦さんが服用し、そして生まれた多くの子供が四肢の発育異常を示した世界的に大きなスキャンダルになった事件だ。サリドマイドはセレブロンと言う分子に結びつく事で手足の成長に関わる増殖因子が壊されてしまうためである事がわかっている。サリドマイドによる四肢の成長阻害のメカニズムについては、半田さん(東工大)や小椋さん(東北大)の貢献により明らかにされている。しかし、骨髄腫で同じメカニズムが働いている証拠はなく、解明が待たれていた。先週サイエンス誌オンライン版に掲載された2報の論文はこのメカニズムがついに明らかになったと言う事を報告している。両方とも同じ内容なので先に掲載されている方だけ紹介しよう。タイトルは「Lenalinomide causes selective degradation of IKZF1 and IKZF3 in multiple myeloma cells (レナリドマイドは骨髄腫細胞内でIKZF1, IKZF3分子の特異的分解を誘導する)」で、ボストンのBrigham Women’s Hospitalの研究だ。結果はわかりやすい。先ず入り口は半田さんや小椋さんがサリドマイドで明らかにした結果と同じで、骨髄腫細胞でレナリドマイドが結合するのもセレブロン分子を含む蛋白質分解に関わる複合体だ。ただ、骨髄腫細胞ではこの複合体によって分解される分子が、半田さん達が見つけた増殖因子ではなく、リンパ球の発生や増殖に重要な働きをする事が知られている二つの分子、IKZF1, IKZF3である事が明らかになった。なぜこの二つの分子が骨髄腫の増殖に必須であるかなどの詳細は省くが、レナリドマイドによりIKZF1, IKZF3の2種類の蛋白質が特異的に分解され、その結果細胞が増殖できなくなることが、骨髄腫にこの薬剤が効くメカニズムだ。しかし、特定の蛋白質の分解を化合物で誘導できると言う今回の研究は、新しい可能性を示している。先ず、メカニズムが明らかになる事で、レナリドマイドより更に優れた薬剤の開発が可能になる事だ。もう一つの可能性は、同じメカニズムを使って、異なる腫瘍で、異なる分子を特異的に分解する可能性だ。いずれにせよ、この重要な研究のルーツに半田さんや小椋さんの研究がある事も是非銘記しておきたい。
ダライラマ法王との講演会の様子についての写真をいただきました。
報告が送れましたが、11月17日ホテルオークラで行われたダライラマ法王と科学者などとの対話集会に参加しました。主催者より写真を送っていただいたのでアップします。新しい科学の課題についてお話をしましたが、やはり聴衆の多くはダライラマ法王のお話を期待してこられているので、話はかみ合ったとは言えないと反省しています。しかし今後も機会があれば出来る限り多くの方と対話を繰り返していきたいと思います。
12月6日朝日新聞記事(福島)細胞内で異物につく分子、東北大・東京医科歯科大が発見。
朝日新聞の福島さんが東北大学のオートファジーに関する研究を紹介した。(http://www.asahi.com/articles/TKY201312040406.html)論文はMolecular Cell誌に掲載され、タイトルは「Endogenous Nitrated Nucleotide is a key mediator of autophagy and innate defence against bacteria(細胞内のニトロ化核酸はオートファジーと細菌に対する自然防御に必須の役割を持つ)」だ。しかし、「細胞内で異物につく分子・・・発見」と言う見出しを見た時、一般の人はどう感じるのだろう。私は見出しを見た時何を言っているのか全くわからなかった(勿論記事を読んで納得したが)。多分中途半端にものを知っていると、コミュニケーションが図れないのかもしれない。
さて論文を読んでみるとこの仕事が、A型連鎖球菌が貪食細胞に食べられた後どう処理されるのかを丹念に調べた仕事だとわかる。一つ一つの分子の詳細は全て省くが、まず細菌成分による刺激でNO(一酸化窒素)が発生し、次にこれに反応してニトロ化cGMPが作られる。次にこの分子が細菌上の蛋白質を直接変化させることで、細菌はオートファジーが起こる様印がつき、オートファジーが進んで小器官に閉じ込められた後、分解されると言う一連の過程を解明している。この研究の売りは、NO発生によりニトロ化cAMPが作られ、これが細菌の蛋白を変化させることで、オートファジー経路に導かれると言うメカニズムの発見だ。はっきり言って、派手さのない極めて専門的な仕事で、一般の人にはわかりにくく福島さんも記事にするのに苦労したと思う。勿論、記事の最後にまとめられているメカニズムについてはうまく書けている。しかし、なぜこの論文を記事に選んだのか勿論私にはわからないが、おそらくオートファジーについての研究と言う事が理由ではないだろうかと推察する。オートファジーは、現東工大の大隅さんが酵母の電顕の観察から着想を得てライフワークとして進められた独創的な研究で、分子メカニズムが大隅さん達によって明らかになり、今では細胞内での不用な分子を処理する重要な機構である事が世界に認められている。即ち、我が国発のオリジナルな仕事だ。細胞内にはもう一つ不必要な分子を処理する機構がある。ユビキチン化と蛋白質分解による処理だが、この機構の発見には既にノーベル賞が与えられている。このため、大隅さんは今年のノーベル賞の有力候補だと言う記事が多くの新聞をにぎわせた。おそらく今回の記事も、この事が頭にあるのではないだろうか。それなら、日本の誇る大隅さんも含めて紹介すればもう少しわかりやすかった様な気がする。研究は歴史的に見てみると一般の人にもわかりやすい。特に日本オリジナルな重要な概念については、歴史についても紹介して欲しいと思う。ともかく、「どこかの誰かが、よくわからないけど重要な事をしたようだ」と言った記事はいただけない。
ハイデルベルグ原人のミトコンドリアゲノム解明(Natureオンライン版掲載:12月4日NY Times他多くの欧米メディアが掲載))
NY Timesを始め欧米のメディアが大騒ぎしている論文を紹介する。このホームページでも、11月14日に紹介したが、ドイツライプチッヒにあるマックスプランク人類進化研究所は今世界の目を引きつけている。これまで、ネアンデルタール人、及びシベリアで発見されたデニソーバ人の全ゲノムを解明し、私たちの起源の理解について極めて大きな貢献をしてきた。もし皆さんが遺伝子検査を依頼して、ネアンデルタール度2%などと返事を貰ったら、これは全てこのライプチッヒの研究所の成果に基づく計算と言っていい。そしてついに、私たちを含む4種類の新しい人類(デニソーバ、ネアンデルタール、フロレンシス、そしてホモサピエンス)の先祖と考えられるハイデルベルグ原人の遺伝子解明に成功した言う仕事だ。Natureオンライン版に掲載され、「A mitochondrial genome sequence of a hominin from sima de los Huesos (Sima de los Huesosで見つかった原人のミトコンドリアゲノム配列)」と言うタイトルがついている。このタイトルにある、Sima de los Huesosは多くのネアンデルタールを含む原人の骨が見つかって現在も発掘が続くスペインにある有名な場所で、特に温度が保たれ、化石にDNAが保存されている期待の大きな場所だ。またいつか詳しくニコ動で紹介したいと思うが、化石DNAの配列を決めるためには、やはりこの研究所で開発されてきた多くの方法やノウハウが必要で、その全てを駆使して今回の解析が行われた。結果はわかりやすい。先ず、今回選ばれた化石はハイデルベルグ原人とネアンデルタールの両方の特徴を持っており、分類がしにくい化石だが、ミトコンドリアDNAの配列を決める事が出来、遺伝子配列からもこの化石が40万年前の原人の物であることが明らかになった。40万年前にゲノムでさかのぼれるのも驚くべき事だ。しかしもっと驚くのは、この化石のミトコンドリアゲノム配列が、ネアンデルタールよりデニソーバに似ていたことだ。この研究を行ったMeyerさんもNY Timesのインタビューに対し、最初は初期ネアンデルタールの遺伝子を調べようと思っていたと答えている。(http://www.nytimes.com/2013/12/05/science/at-400000-years-oldest-human-dna-yet-found-raises-new-mysteries.html?hpw&rref=science ) 実際化石には、ネアンデルタールと言える特徴もある。しかし期待に反して、現在のところシベリアでしか見つかっておらず、東アジアに限局していたと考えられているデニソーバ人に近かった。と言うことから、この化石はネアンデルタールやデニソーバではなく、両方の祖先と言うことになる。考古学の常で、何かが明らかになると、更に大きな謎が残る。ハイデルベルグ原人から新しい人類への分離はアフリカで起こったとされているが本当だろうか?ネアンデルタールとデニソーバは同じ領域や時間を共有していたことはあるのか?そもそもデニソーバとはどんな人類か?これまでのシナリオが大きく書き換えられる可能性もある。当分はライプチッヒから目が離せない。
大気汚染と自閉症(Epidemiology誌オンライン版掲載)
今個人的に自閉症研究の現状を調べているため、自閉症についての記載が続く。さて、今日紹介する仕事ははっきり言って「本当か?」と言う疑問と、「こんな事まで調べているのか?」と言う驚きが混じっている。Epidemiologyという疫学関係の雑誌に掲載された南カリフォルニア大学の仕事だ。タイトルは「Autism Spectrum Disorder, Interaction of Air Pollution with the Met Receptor Tyrosine Kinase Gene (自閉症スペクトラム:大気汚染とMETチロシンキナーゼ遺伝子の相互作用)」。これを見ると自閉症と大気汚染?とだれでも先ずいぶかしがる。しかし、この仕事以前にもこのグループはハイウェイ近くの大気汚染と自閉症の関係を疫学的に調べている。即ち、自閉症の原因を求めて、可能なあらゆる事との相関性を調べるのが疫学研究だ。ではMET遺伝子はなぜ選ばれたのか。まずこの遺伝子のプロモーター部位の多型と自閉症との相関が既に知られている。その上で、母マウスが大気汚染物質に晒されると、生まれた仔マウスのMET遺伝子の脳内発現が低下する事が知られている。まさに12月2日に紹介したエピジェネティックな影響の例だ。いずれにせよ、これは疑わしいと言う直感を科学にする必要があるが、このための学問が疫学で、基本的に統計学的手法が用いられている。結果はタイトル通りで、MET遺伝子の一つのタイプと、大気汚染が重なると自閉症のリスクが上昇すると言うものだ。この研究の他にも母体へのストレスによる自閉症発症の研究は多くある(これも調べようと思っている)。有名な所では、第2次世界大戦中のアムステルダム封鎖に伴う飢餓状態の中で生まれた子供に自閉症の多いという報告を挙げる事が出来る。私はこれまで自閉症の分子遺伝学過程ばかりを紹介して来たが、このように遺伝とは異なる要素についての研究も進んでいることを改めて認識した。飢餓であれ、大気汚染であれ、自閉症に遺伝以外の要因の関与がはっきりする事は、予防だけでなく、治療への様々な可能性を開いてくれる。その意味では直感的に疑わしいあらゆる要因を科学的に調べる疫学は重要だ。
オキシトシンによる自閉症児治療の可能性(アメリカアカデミー紀要掲載論文)
11月29日ドイツボン大学の研究を少し面白おかしく紹介するため、このオキシトシンを恋人と添い遂げる媚薬と呼んだ。実はこのオキシトシンは媚薬としてより、人間の社会性を高める働きがある神経刺激ペプチドとしてもっと良く知られている。例えば仲間内での信頼性や、他人の感情を読むのがオキシトシンで高まる事が知られている。今日紹介するのは、アメリカアカデミー紀要に掲載されたエール大学の研究で、オキシトシンが自閉症の脳機能を高めるかどうか調べている。タイトルは「Oxytocin enhances brain function in children with autism(オキシトシンは自閉症時の脳機能を高める)」だ。
これまでも、オキシトシンを自閉症患者に投与すると社会性が増す事が知られている。ただ、その結果進められた長期効果を見る臨床治験ではこれまでのところあまり期待できる結果にはなっていないようだ(これについても一度詳しく紹介する)。この状況を受けて、オキシトシンが実際に脳機能に本当に影響があるかどうかを調べたのが今回紹介する研究だ。研究では、8−16歳の自閉症患者が選ばれ、オキシトシンを鼻にスプレーした後、目を見て他人の心を知るテストを行わせ、機能的MRIで脳機能を測っている。この研究により、オキシトシン投与により幾つかの脳内部分が活性化されるが、この部分は自閉症で異常があるとされている部分と一致する事が示された。そして、目から他人の心を読むなどの社会行動課題を行わせる時オキシトシン投与を受けた患者さんでは、これら領域の一部の活動が確実に促進しているが、社会性と関係のない課題を行うときの神経活動には抑制的に働く事が明らかになった。要するに、オキシトシンは確かに自閉症児の社会的行動に連動した脳活動を特異的に促進させている。ではなぜこれほどの効果があるオキシトシン投与の臨床治験がうまく進まないのだろう?この研究では、これまでの臨床治験が社会行動に関わる課題と無関係に投与されていることが失敗の原因ではないかと想像している。きめ細かに、先ずオキシトシンを投与し、その上で自閉症に効果があるとされている社会行動に関する課題を課すという、2段階の治療を積み重ねる治験を行う事を必要であるというアドバイスを論文の結論にしている。今後、この科学的知見に基づく新しい治療が始まると期待できる。
これまで見て来たように、自閉症は複雑で手の施しようがないと思われて来たが、脳内分子生物学的プロセスがゲノム研究をきっかけに明らかになりつつあり、早期発見が可能で、MRI検査レベルで特異的脳領域を調べる事が可能になり、薬剤と行動課題を組み合わせた治療が開発される、などの急速に研究が進んでいると言う感触を持っている。オキシトシンが媚薬だけではなく、心の特効薬になる日は十分期待できる。。
12月3日朝日新聞記事:赤ちゃん、目を見て人認識
最近希少難病ナビに自閉症についての最新の研究を紹介してきた。その中で11月7日赤ちゃんが人の顔のどこに注目するのかを調べると、自閉症の早期発見が出来ると言うNatureに掲載されたアトランタ自閉症センターの論文を紹介した。その時、日本では新生児の脳研究がどのように行われているのか少し心配になったが、今日朝日新聞は中央大学のグループがNeuropsychologia誌に発表した論文を紹介した(http://www.asahi.com/articles/TKY201312010064.html)
新生児の頭蓋は薄いため、酸化、非酸化ヘモグロビンの脳内分布を測る事で、機能的MRIと同じように脳内活動を調べる事が出来る。この仕事では、新生児が人の顔を認識する時、目と周りの顔との調和の重要性について調べている。これは、2009年に人の写真による顔認証について写真のポジとネガの様々な組み合わせを見たときの反応がMRIを用いて調べられ、大人では目の周りのコントラストが人の認識時の注目点になっている事がMITの研究でわかっていた。今回新生児の脳の反応を調べた研究により、新生児では顔写真の認識を主に右脳で行い、写真の目の部分がポジになっている時には反応するが、ネガに置き換えると反応しない事が明らかになっている。
これまで自閉症の研究を紹介して来た側から見ると、この研究は紹介して来た研究と一致する点が多い。即ち、11月7日に紹介したように新生児期早くから目を注目点とした顔認識が成立している事、また11月22日に紹介したように脳の扁桃体の神経が、目ではなく口を見た時に反応するなどの結果だ。これを念頭に考えると、目を見ないで口を見る様な自閉症の子供は、今回の研究で使われた同じような課題にどのように反応するのだろうか興味が尽きない。せっかくこの様な研究を進めているグループがあるのだから、様々な施設と協力して日本でも自閉症の脳認識研究が進んでいく事を期待したい。
記事は記名ではなかったが、内容は問題ない。ただ、結論が「赤ちゃんが普通の目の白黒のコントラストを見た時に、人と認識している可能性がある」と言う事だが、人と、他の動物や人形についての顔認識の違いを比べた仕事ではないので、少し結論が強すぎる気がした。