自閉症の科学15 睡眠障害についての調査
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自閉症の科学15 睡眠障害についての調査

2019年8月25日

今年6月、天才ディーラーと呼ばれたジェームス・シモンズとその妻マリリンが設立したシモンズ財団の助成を受けて進められている、目標5万人の自閉症の子供たちの追跡調査(コホート研究と呼ぶ)SPARKについて紹介した。ゲノムも含め、さまざまな項目について調べる意欲的なコホート研究だ。

これに先立ち、3000人の自閉症児を持つ家族についての様々なデータがSimons Simplex Collectionとしてデータベース化されている。この調査項目の中には、睡眠障害についての調査も含まれており、それもアンケートに記入させるのではなく、11の項目について、親に直接、あるいは電話でインタビューするという徹底的な調査だ。

このSimons Simplex Collectionに集められた睡眠障害についての調査をまとめたデータが、ピッツバーグ看護大学の研究者によりResearch in Autism Spectrum Disordersという雑誌に報告されたので、簡単に紹介しておく(Johansson et al, Characteristics of sleep in children with autism spectrum disorders from the Simons Simplex Collection (Simons Simplex Collectionに集められている自閉症スペクトラムの睡眠に関する問題)Research in Autism Spectrum Disorders 53:18, 2018)。

基本的には、4歳から18歳までの自閉症スペクトラム(ASD)児の両親に睡眠について聞いたインタビューのまとめだが、データとして2600人を超えるというのは、これまで調査された数をはるかに超えており、シモンズ財団のあつい支援の賜物だと言える。

質問の項目だが

夜間の問題(1、ベッドに行かせるのが難しいか?2、寝つきが悪いか?3、親の添い寝が必要か?4、夜中に何度も目を覚ますか?)

お昼の問題(1、寝起きが悪いか?2、うたた寝の長さや回数が多いか?3、昼間でもいつも眠たがる?4、十分寝ているか?)

睡眠時間の問題(1、就寝や起床時間が規則正しいか?2、睡眠時間は一定しているか?3、実際には1日何時間寝ているか?)

これまでの調査でも多くのASD児が睡眠障害を訴えていることが知られていたが、この大規模調査によって詳しい実態が見えてきた。

1)まず11項目のうちのどれか一つの症状があると答えた両親はなんと62%に達している。また、2項目以上が合併して、間違いなく睡眠障害があると診断できるのが41%に上っている。その結果、2-3割の子供が、学会が推奨している睡眠時間が確保できていない。

2)夜、昼を問わず、女性の方が睡眠障害を示す率が高い。

3)知能障害を持つ子供の方が、持たない場合より睡眠障害の率が高い。

4)若いほど睡眠障害が重い。すなわち、年齢に合わせた知能の発達により睡眠障害が抑えられる。

5)自閉症の症状が強い方が、睡眠障害が強い。

データはこれだけだが、睡眠障害が起こる原因の一つは、ASDでは消化管症状が多発するので、これが眠りを妨げている可能性がある。さらに、ASDの子供は、痛みの閾値が低いため、普通なら眠りを妨げることがない消化管の症状でも睡眠障害の原因になることも考えられる。従って、睡眠障害の治療としてまず考えるべき治療は、消化器症状があるかを診断して、この症状を改善させることだと言える。

その上で、難しくとも気長に規則正しい睡眠時間を取るよう指導することが重要になる。睡眠は、私たちの精神性や記憶に大きな影響がある。従って、なんとかASDの睡眠パターンを正常域に戻すことは、ASDの治療にもつながる可能性がある。そのためにも概日周期に関わる遺伝子も含め、このデータベースに集まる様々な検査データの相関を調べることが重要だと思う。その意味で、このデータベースの価値は計り知れない。

自閉症の科学14: 注目すべき自閉症の遺伝子研究

2019年8月24日

今日は自閉症の遺伝子研究の解説も兼ねて、スペインからの論文を紹介したい。一般の人には難しい箇所も多いと思うが、ぜひ紹介したい重要な論文なので、なんとか読破してほしいと願っている。

自閉症遺伝子研究の難しさ

自閉症スペクトラム(ASD)は、一卵性双生児間での発症一致率が高いことから、遺伝的要因が高いと考えられている。しかし病気のゲノム研究が進むにつれ、何か特定の遺伝子がASDの発症を促すというケースはまれで、遺伝性はあっても、たくさんの遺伝子が様々な程度に複雑に絡み合って出来上がった脳の状態であることがわかってきた。こうしてASDリスク遺伝子としてリストされた遺伝子は今や100以上になっている。

もちろんASDの原因として単一の遺伝子変異を特定できる場合もある。しかしこの場合も、特定の分子の変異が多くのASDリスク遺伝子の表現に影響を及ぼし症状が出ることが普通だ。

一般の方は、遺伝子変異による病気というと、例えば凝固因子遺伝子の変異で、血液が固まりにくくなる血友病のようなケースを想像されると思うが、実際にはこのように多くのリスク分子の表現が絡み合っている遺伝性の病気も数多くある。

突発性のASD研究の難しさ

このように、ASD発症の原因として一つの遺伝子変異が特定される場合もあるが、ASDの大半は遺伝性はあっても、その遺伝子変異を特定することが難しい。医学ではこのような場合を突発性と呼んでいる。原因遺伝子が特定できる場合でも、また突発性でも、ASDは、1)社会性の低下、2)言語発達の遅れ、3)反復行動、など共通の症状を示すことから、突発性のASDの背景に、多様ではあっても共通の分子メカニズムが存在していると予想できる。しかし研究の攻め口が見つからず、分子メカニズムの研究は難航していた。

自閉症関連遺伝子を調節する分子 CPEB4の発見

今日紹介するスペインのオチョア分子生物学研究所からの論文は、突発性ASD患者さんに共通に存在する分子レベルの手がかりを見つけることに成功した画期的研究で、昨日発行のNatureに発表された(Parras et al, Autism-like phenotype and risk gene mRNA deadenylation by CPEB4 missplicing (CPEB4のスプライス異常による自閉症様形質とリスク遺伝子mRNAの脱アデニル化), Nature 560:441-446, 2018)。

あらゆる詳細をすっ飛ばして、この研究の発見を一言で表現すると「突発性のASDでは短いCPBE4分子の割合が多く、その結果多くのASDリスク遺伝子の発現がまとまって低下してしまう」になる。しかし医学研究者でもこれを聞かされただけでは、なんのことかわからないと思うので、できるだけわかりやすく解説してみよう。

CPEB4とはどんな分子か?

遺伝子(DNA)から読み出されるmRNAには、タンパク質を作る工場、リボゾームと結合するためのアデニンの繰り返すPoly-A tailが付いている。CPEB4はこのpoly-A tailから少し離れた場所に結合して、poly-A tailの長さを調節する起点となる働きを持っている。もしpoly-A tailが削られてしまうと、リボゾームにmRNAを届けられず、タンパク質の合成が低下することになる。これまでの研究で、CPEB4は神経細胞間の連結部位、シナプスでの神経伝達の強さを調節するタンパク質の合成を調節し、学習や記憶に重要な働きをすることがわかっている。

CPEB4は多くのASD関連遺伝子のmRNAと結合する

CPEB4は全てのmRNAと結合するわけではなく、支配するmRNAは3000種類ほどだ。そして驚くことに、これまでのゲノム研究で自閉症リスク遺伝子として特定された遺伝子のmRNAの多くがCPEB4と結合することが明らかになった。すなわち、初めてASDと自閉症リスク遺伝子セットを結合している分子の手がかりが見つかった。

ASD患者さんでは4番目のエクソンが欠損したCPEB4の割合が多い

ではASDの人と、一般の人のCPEB4に何か違いがあるのか?もちろん遺伝子自体の変異はないが、CPEB4 mRNAの中の、4番目のエクソンが欠損しているmRNAの比率が、突発性ASDでは高いことが明らかになった。

DNAから読み出されたmRNAは、核の中でタンパク質の情報部分(エクソンと呼ぶ)だけを選び出す切り貼りが行われ、短いmRNAに変換される。これをスプライシングと呼んでいるが、この時遺伝子の一部を飛ばしてしまって切り貼りすることがよく起こる。この結果短いmRNAができる事自体は多くのmRNAで普通に起こっているが、4番目が飛んでしまったCPEB4mRNAの比率だけがASDの脳で高いというのは、何かありそうだと思える。

しかも、4番目のエクソンが飛んでしまったCPEB4の割合が多い脳細胞では、自閉症リスク遺伝子の25-40%でmRNAのpoly-A tailが短くなり、その結果これらASDリスク遺伝子のタンパク質が作られにくくなることがわかった。影響を受けるASDリスク遺伝子をよく見ると、社会性に関わるオキシトシンシグナルに関わる分子の合成が最も影響を受けていた。

4番目のエクソンが欠けた遺伝を持つマウスはASDの症状が出る

最後に、人の自閉症に症特異的に見られた4番目のエクソンが欠けたCPEB4遺伝子を導入した遺伝子改変マウスを作成し脳を調べると、多くのASDリスク遺伝子のpolyAが短くなり、タンパク質への翻訳が低下し、そしてその結果マウスが自閉症に似た症状を示すことがわかった。一方、単純にCPEB4を神経細胞からノックアウトしただけでは、このような変化は見られず、エクソン4の欠けたCPEB4が多い時にASDの様な症状が起こることが明らかになった。

まとめ

以上が結果で、これまで読んだ自閉症ゲノムの研究では、最も感銘を受けた。何よりも、自閉症リスク遺伝子としてまとめられる遺伝子群にも、明確な分子生物学的特徴(CPEB4結合性)があることがわかった。このような性質が、脳の進化の中でどう誕生したのか?またこの性質が進化的にマウスから保存されているとすると、CPEB4結合性はどの脳機能に関わっているのか?疑問は尽きない。もしこれらの疑問が解けてくれば、自閉症理解は大きく進むだろう。

自閉症理解という観点からいえば、なぜASDで4番目のエクソンがスキップされた短いCPEB4mRNAが増えるのか。これがわかると、治療も可能になるかもしれない。

最後に、突発性ASDのマウスモデルができたことも、今後の研究にとって大変重要な進歩だ。今後の進展に期待したい。

自閉症の科学13:光遺伝学を使った動物実験

2019年8月24日

オキシトシンによる自閉症治療

自閉症は社会性の低下、言語発達の遅れ、そして反復行動を共通に持つ一種の脳の状態と言えるが、他人や社会との関係を嫌う社会性を正常化させることが、最も重要な治療の目標となる。これまでの研究で、対人関係を保つことに密接に関わるとされているのがオキシトシンで、我が国でもオキシトシン投与により、自閉症の対人コミュニケーション能力を回復させることを目標にした臨床研究が2013年から行われている。これまで発表された論文から見る限り、効果は期待できそうで、是非さらに効果を高める投与法、時期を決めてほしいと願っている。

ただオキシトシンが社会性の低下を回復させる作用を持つとしても、そのメカニズムを脳回路レベルで明らかにするのは、人間では行える検査に限界があり簡単ではない。これまでの研究でオキシトシンは側座核(NAc)と呼ばれる脳の奥の方にある領域のセロトニン分泌神経に働いて作用すると考えられているが、この回路を調べようと思っても、たかだかオキシトシン投与による脳イメージング検査の変化を症状の変化と対応させるのが関の山だった。このギャップをうめるためには、どうしても動物モデルを使う脳研究が必要になる。

Karl Deisserothと光遺伝学

神経回路の興奮を直接調べるためには、動物モデルが必要だが、社会行動時の脳の記録や操作は簡単ではない。というのも、マウスでも社会性を調べることができるが、それには動物が自由に行動できるという条件がある。そのため、自由に行動している脳の活動を調べ、さらに特定の神経集団を刺激するための方法の開発が必要だった。これを可能にしたのが本年度の京都賞受賞者Karl Deisserothで、脳内とつながった光ファイバーを通して光を照射することで、自由に動いている実験動物の特定の神経細胞を刺激したり、抑制したりする「光遺伝学」という手法を開発した、まだ40代の研究者だ(京都賞ウェッブサイト参照)。

少し難しい話になるが、せっかくだし原理をごくごく簡単に説明しよう。まずマウスの遺伝子を操作して、特定の脳細胞だけに光に反応して開くカルシウムチャンネルやイオンポンプ分子を導入する。詳細は省くが、この操作により光を脳の広い領域に当てても、特定の神経細胞だけを興奮させたり、抑制させたりすることができるようになる。シナプスでの神経伝達がカルシウムの流入によることをうまく利用した方法で、光遺伝学による実験動物の脳操作は今や脳研究分野を席巻し、クリスパーによる遺伝子編集に匹敵する現代生命科学に欠かせない実験手法になっている。

マウスの社会性に関わる細胞

今日紹介したいスタンフォード大学からの論文は、この光遺伝学を駆使して、マウスの社会性に及ぼすセロトニンの作用を調べた論文で、次週号のNatureに掲載される予定だ(Walsh et al, 5-HT release in nucleus accumbens rescues social deficits in mouse autism model(則座核でのセロトニン分泌はマウス自閉症モデルの社会性の欠如を回復させる), Nature in press, 2018)。

この研究では自閉症の一つの遺伝的原因として知られる16番染色体の一部の欠損と同じ変異を起こさせたマウスモデルを用いて、このマウスが示す社会性の欠乏を治す回路を明らかにしようとしている。このように、同じ遺伝子変異でよく似た症状が見られる場合は、動物モデルの価値は高い。またこのタイプの自閉症では、社会活動時のNAcへセロトニン神経の端末を送っている縫線核(DR)のセロトニン活性が落ちていることが知られており、これを正常化することで社会性を回復できるかどうかは、オキシトシンの作用を理解するためにも重要なテーマと言える。

研究ではまず、NAcとDRをつなぐセロトニン神経回路が社会性を支配しているか調べている。方法は、DRのセロトニン神経に光で興奮させるチャンネルロドプシンを発現させ、この刺激によりセロトニンがNAcで分泌されると社会性が高まるかを調べている。DR領域に光を当てても、またNAcに来ているDRからのセロトニン神経端末に光を当てても、同じように社会性が高まることから、DRからNAcへ伸びるセロトニンニューロンが社会性を支配する回路であることが確認できる。もちろん、光遺伝学的にこの神経結合を阻害する実験も行い、この回路の働きが落ちると社会性が低下することを確認している。

次は16p11欠損を再現した自閉症モデルマウスでこの回路を調べている。この遺伝子領域を生後すぐに欠損させると、確かに社会性の低下が見られる。そしてこの症状に対応して、DRのセロトニン神経細胞の興奮が強く押さえられていることがわかる。そこで、この神経を光遺伝学的に刺激してセロトニンを分泌させた時に症状が改善するか調べると、期待通りNAcに来ているDRの端末からのセロトニン分泌を誘導したときだけ社会性が改善する。詳細は省くが、この回路でのセロトニン分泌だけが社会性を回復させる効果があることを様々な実験で確認している。

次に、セロトニン分泌刺激が神経回路の特性を変えて長期的効果を持つかを調べている。もちろん、セロトニン分泌の効果が長く続けば願ったり叶ったりだが、残念ながら社会性の回復は、神経細胞が刺激されている時だけ見られる一過性のものだ。最後に、光刺激の代わりに、セロトニン受容体の刺激剤CP93129を投与してもこのマウスの社会性欠乏を治療できることを示している。

結果は以上で、一過性とはいえ、セロトニン分泌回路をうまく刺激できれば、16q11変異を持つ自閉症の社会性を回復させられる可能性を示す重要な結果だと思う。同時に、現在行われているオキシトシンによる治療を、基礎脳科学からに支持している結果だと言える。残念ながら、この研究はセロトニン分泌の社会性への影響は一過性であることを示した。おそらく同じことはオキシトシン治療にも言えるだろう。しかしこのような結果を考慮した上で、さらに有効な治療プロトコルが開発されることを期待したい。

現役時代京都賞選考にも関わる機会があったが、このように、人の病気と実験動物をつなぐ研究を可能にしたKarl Deisserothの京都賞受賞を本当に喜んでいる。

自閉症の科学12 乳児の脳の発達を知る。

2019年8月24日

子供の発達に伴う行動の変化については詳細な記録の蓄積があると思います。またこの蓄積は、育児書などを通して、一般の方も子育ての参考にされていることでしょう。しかし、この過程を、脳の機能発達の過程とつなげるのは、簡単なことではありません。でも発達障害を理解し、治療法を開発するためには避けて通れない重要な課題です。幸い乳児期から脳の機能を調べる様々な方法が開発され、この分野にも少しずつ日が差してきたのが現状ではないでしょうか。

人間を脳の発達の結果として捉えた科学者の中ではフロイトが最も有名だと思います。もちろん、脳機能を調べる方法は皆無と言っていい時代でした。それでも、彼は間違いなく脳の発達の結果として、人間を捉えていたように思います。多くの著書があり、日本語にも訳されていますが、一般の方が読まれる機会はほとんどないと思います。しかし、行動の背景に必ず脳に刻まれた様々な過程があることを、精神の病気を例に説明する迫力には圧倒されます。

最近になってフロイトの文章を読み返していたとき、脳科学の発達した今、彼の文章をそのまま理解するよりは、新しい脳科学の考え方で彼の文章を読むほうが、はるかに納得できることに気付きました。。そんなわけで、フロイトを脳科学的に捉え直してみることを一度大胆にも試みたことがあります。顧問先の生命誌研究館のウェッブサイトに2回に分けて書いています。一般の方は間違いなく難しいと感じられると思いますが、もし興味があれば是非読んでほしいと思い、私の解釈を簡単に紹介したいと思います(フロイトの意識と自己 第1回第2回)。

このブログではフロイトの「自我とエス(中山元訳ちくま学芸文庫)」から引用した一文

「個人の発展の最初期の原始的な口唇段階においては、対象備給と同一化は互いに区別されていなかったに相違ない。のちの段階で性愛的な傾向を欲求として感じるエスから、対象備給が生まれるようになったと想定される。最初はまだ弱々しかった自我は、対象備給についての知識を獲得し、これに黙従するか、抑圧プロセスによってこれから防衛しようとする。・・・・少年の成長について簡略化して記述すると、次のようになる。ごく早い時期に、母に対する対象備給が発展する。これは最初は母の乳房に関わるものであり、委託型対象選択の原型となる。一方で少年は同一化によって父に向かう。この二つの関係はしばらくは並存しているが、母への性的な欲望が強まり、父がこの欲望の障害であることが知覚されると、エディプス・コンプレックスが生まれる。」 

を中心に解説しました。

(おそらく、このフロイトの文章を読まれただけで頭が大混乱かもしれません。普段使わない言葉が多すぎるのです。例えばここで備給と訳されているのは、ある対象で心が占拠されることを意味します。ドイツ語ではBesetzungですが、わざわざ普通使わない単語を使うのが我が国の翻訳の重大な問題だと思います。もう一つ一般的哲学書の例を挙げると、understandingを悟性などと訳してしまうことで、古典を読む意欲を削いでしまっていると思います)。

さて、この文章を私なりにまとめてしまうと次のようになります。

「赤ちゃんは最初唇を通してしか外界を感知できないため、最初の自己はこの感触との関係で形成されます。このため、当然母の乳房が世界の全てとして脳内に刻まれるはずです。ただ、脳内のイメージは発達とともに変化していきます。唇から描かれた世界に、手や足、匂い、音を通して新しい世界が開かれ、これによって脳内の外界についてのイメージが変化していきます。そして最後に、遅く発達してくる視覚を通して世界が見えてくるわけです。このような、新しい外界のイメージをそれ以前に形成した自己と統合し、自我を形成する過程の最初が、唇を通した母のイメージで、身体の直接的触れ合いを通して形成されることから、身体的、性的な対象として描かれるのでしょう。そこに、視覚のような高次の感覚からだけ形成される父親のイメージが入ってくるのです(お母さんに依存して生きている子供を急に、匂いも雰囲気も違うお父さんが抱き上げたことを想像してください)。当然、母親を争い合う競争相手としてイメージされるはずです」

少しわかりやすくしすぎましたが、このような脳の発達過程は必ず機能的にも検証できると思っています。

乳児が唇を通して世界を感じていることは、唇に触れたものを追いかける口唇反射を見ると納得できます。これをフロイトは口唇期と呼んでいます。この唇からの感覚に対する脳内の反応について脳波を用いる機能的検査で確かめたワシントン大学からの論文がDevelopmental Scienceに先行出版されたので、最後に紹介します(Meltzoff et al, Neural representations of the body in 60-day-old human infants(60日齢の子供の脳に形成された身体の表象)Developmental Science in press,https://doi.org/10.1111/desc.12698 )。 

研究は極めて単純で、60日目の乳児の脳波をとりながら、左手、左足、そして上唇をタッチセンサーを兼ねた棒で触り、その時の脳の反応を比較的簡単な脳波計で調べているだけです。結果も簡単で、乳児ではそれぞれの場所を触られた時、だいたい0.2秒ほどで脳の反応が見られますが、反応の強さは唇の刺激が他の刺激と比べて圧倒的に強く、電位差にして2倍以上の反応が記録できるという結果です。さらに、反応する脳の範囲について見ると、唇への反応は脳の大きな領域で見られますが、手足に対する反応は小さな領域にとどまっています。

フロイトを読むより、口唇期の行動と脳がよく理解できる論文だと思います。私たち大人でこのような体の感覚の脳地図を作ると、感覚の発達した手や、顔が大きな領域を占める小人が描けますが、大人になっても唇があれほど大きな場所を占め、さらに食欲や性欲といった、重要な機能を今も担っているのは、この感覚から私たちの自己が生まれるからではないでしょうか。

体の感覚が、このような単純なイメージからどう複雑になっていくのか、この発達の経過を脳機能と結びつけて理解することが、必ず発達障害に対する科学的治療開発につながることを確信します。

自閉症の科学11 てんかん発作を抑える腸内細菌

2019年8月24日

てんかんの発作に対して様々な抗けいれん薬が開発されてはいるが、治療に反応しない「難治性てんかん」と呼ばれる症例が数多く存在する。これまでは手術的にてんかんが起こる場所を取り除く以外方法がなかった難治性てんかん治療に、最近になって新しい治療法が開発され期待されている。一つは、大麻やその成分の使用で、子供にも使えるよう大麻成分を用いた治験が進んでいる。もう一つの方法が、糖質制限を中心にしたいわゆるケトン食による治療で、様々なタイプのてんかんに効くことがわかってきた。

ただ大麻成分を用いる治療と比較した時、ケトン食によるてんかん治療は効果のメカニズムが明らかでなく、また多くの家庭にとっては導入が難しいため、普及が遅れていた。今日紹介するUCLAからの論文はケトン食により腸内細菌の構成が変化することが、ケトン食で神経興奮性を抑制されるメカニズムではないかと着想し、それを確かめた研究だ(Olson et al, The gut microbiota mediates the anti-seizure effects of ketogenic diet(腸内細菌叢がケトン食の抗けいれん作用を媒介する)Cell 173:https://doi.org/10.1016/j.cell.2018.04.027)。自閉症の中にはてんかんを併発する場合もあるので、紹介することにした。

食を通した治療の効果や副作用はまず腸内細菌叢を疑うのが今の常識になっている。この研究ではまず、ケトン食が効果を示すてんかんモデル系を作成した上で、効果が見られたマウスの腸内細菌叢を調べ、アッカーマンシア(AK)とパラバクテロイデス(PB)と呼ばれる2種類の細菌の割合が著明に上昇していることを発見する。

あとはこれらの細菌が発作の抑制に関わるか因果性を確かめる必要がある。まず細菌叢がケトン食の効果に関わることを調べるため、無菌マウスや抗生物質で腸内細菌を除去したマウスにケトン食を食べさせる実験を行い、ケトン食の効果には細菌叢が必要であることを確認する。

そしていよいよ細菌を移植する実験を行い、最終的にAKとPB両方の細菌を移植すれば、普通食でも神経が興奮しにくくなり、発作の回数を減らせることを発見する。すなわち、ケトン食はこれらの細菌の選択的な増殖を促すことで、発作を起こりにくくしていることになる。

では、なぜこの2種類のバクテリアが多いと、神経の興奮性が抑えられるのか?

細菌が移植された動物の腸内や血清中の代謝物を調べ、ガンマグルタミン酸化されたアミノ酸の低下が最も激しいことを発見する。また、この全身性の変化に対応して、海馬の神経伝達因子のうちGABAの方がグルタミン酸より割合が高まることを突き止めている。この結果は、腸内でのアミノ酸のガンマグルタミン酸化を止めてガンマグルタミン化されたアミノ酸の量が減ることで、抑制性の神経活動が上がり、発作を防げる可能性を示している。

そこで普通食のマウスにガンマグルタミン酸化を阻害する分子を投与すると、発作を減らせることも証明している。マウスの話とはいえ難治性てんかんを抑える新しい切り口が間違いなく示されたようで、個人的には期待している。例えば、AK+Pbを腸内に移植する治療法、さらには腸内細菌にのみ効果があるガンマグルタミン酸化阻害剤など、比較的導入しやすい治療法に思える。

同時にケトン食サプリとして使われるアミノ酸を直接取り込むと、腸内でガンマグルタミン酸化がおこり、逆に興奮性が高まることも示し、ケトン食ならなんでもいいというわけにはいかないことも示している。これまでのケトン食の再検討も含め、新しい治療法が本当に期待ができるのか、是非研究を加速してほしい。

8月24日: シュワン細胞は皮膚のメカノセンサーとして働いている(8月16日号 Science 掲載論文)

2019年8月24日

先月皮膚の感覚神経が、痛みや温度を感じるだけでなく、刺激されるとCGRPαを分泌して炎症を誘導するという論文を紹介した(http://aasj.jp/date/2019/07/27) 先月皮膚の感覚神経が、痛みや温度を感じるだけでなく、刺激されるとCGRPαを分泌して炎症を誘導するという論文を紹介した。光遺伝学によりこれまで照明が難しかったことが明らかになる例の一つだ。ただ、この時感覚神経は、裸で皮内に端末を投射していると考えていた。

ところが一月も経たないうちに皮膚感覚にかかわる神経にシュワン細胞がぴったりと接着して走り、特に触覚のセンサーとして働いていることを示す論文がスウェーデンのカロリンスカ研究所から8月16日号のScienceに発表された。タイトル「Specialized cutaneous Schwann cells initiate pain sensation (特殊な皮膚シュワン細胞が痛みの感覚の起点になる)」だ。

おそらくこの研究は皮膚のグリア細胞の分布を調べるために始めたと思うが、グリア細胞特異的に蛍光タンパク質が発現するようにしたマウスを調べると、なんと真皮と上皮の間にシュワン細胞が存在して、そこから神経を囲むようにして真皮に伸びていることを発見する。ミエリン鞘こそ形成しないが、まさに感覚神経とセットになっている。

もちろんグリア細胞は神経に栄養を与えたり様々なサポートを提供する細胞だが、この研究ではひょっとしたら感覚にも関わっているのではないかと、チャンネルロドプシンをシュワン細胞特異的に発現させ、光を当てた時の行動や神経の興奮を調べると、シュワン細胞の興奮が感覚として神経に伝わることを発見する。

さらに、光をあてると神経興奮を抑制する逆方向のチャンネルを導入して、どの刺激に対する感覚が抑制されるか実験を行い、熱や寒さには関係ないが、抑えた時のメカノセンサーに関わることを確認する。

最後に直接興奮を記録する方法で、機械刺激に対するシュワン細胞の反応特性を調べると、押す、引くなどポジティブ、ネガティブな刺激に極めて迅速に反応するが、すぐにアダプテーションして持続刺激には反応しなくなることを示している。

皮膚の感覚は極めて繊細で、その異常は持続すると不快感につながるが、このような精密な分業体制があるとすると、今後の薬剤開発も神経だけではなく、シュワン細胞も含めて考える必要があるだろう。高齢者としてすぐ考えるのは、老化した皮膚ではどうかという問題で、ぜひ人間で詳しい研究を進めてほしいと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

ニーマンピック病遺伝子治療の大きな進展(Science Translatioal Medicine掲載論文)(08/23/2019)

2019年8月23日

ニーマンピック病はスフィンゴミエリナーゼと呼ばれる酵素が欠損する病気で、最も重いものでは早くから進行性の脳障害をきたす病気だ。酵素活性がある程度残っている患者さんでは、脳は正常だが、スフィンゴミエリンの蓄積によるライソゾーム機能異常により、肝臓脾臓腫大、呼吸機能低下が起こる。最近、この酵素を注射すると体の様々な臓器に取り込まれて、リソゾーム機能が回復することが示され、脳障害のない子供を治療する治験が進んでいる。しかし、酵素は脳に到達できないので、脳症状は遺伝子治療が最も近道と考えられてきた。

実際、モデル動物を用いて脳に直接アデノ随伴ウイルスベクターに組み込んだ遺伝子を注射する研究が行われてきたが、ウイルスベクターが万遍なく脳に広がらないため、局所的にスフィンゴミエリナーゼの発現が高くなりすぎ、その結果スフィンゴミエリンの分解物が強い炎症を引き起こすという問題が立ちはだかっていた。

これに対し、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究グループは、この問題をアデノウイルスに組み込んだスフィンゴミエリナーゼ遺伝子を小脳延髄槽に注入することで解決できることを示し、この病気の遺伝子治療を一歩進めることに成功した。(Samaranch et al, Adeno-associated viral vector serotype 9–based gene therapy for Niemann-Pick disease type A Science Translational Medicine 11, eaat3738).

この研究のミソは、向神経性の強いアデノ随伴ウイルスベクター(AAV9)を用いたことと、図に示したように小脳と延髄の間にある脳室にウイルスを注射した点にある。

詳細は全て省くが、私が理解した限り、マウスでは小脳だけでなく、海馬から皮質に至るまで神経細胞とグリア細胞の両方にスフィンゴミエリナーゼを発現させることに成功し、運動機能、記憶機能の回復とともに、通常30週ぐらいで始まる死亡を完全に抑制することに成功している。

もちろん同じプロトコルが人間で有効かどうかはやってみないとわからないが、脳症状については根本的治療方法がない現状で、一刻も早く実際の治験に進んで欲しいと思う。マウスでの前臨床データから見る限り、臨床治験に進むのを躊躇する理由は見当たらない。そして、ぜひ現実的な価格で治療を受けられるようにして欲しいと思う。


8月23日 統合失調症に見られる皮質遺伝子発現概日リズムの変化( Nature Communication:10, 3355 掲載論文 )

2019年8月23日

私たちの体内で発現している多くの遺伝子が日内変動しており、これによって体の様々な調子が調整されていることが知られており、研究も進んでいる。したがって、様々な組織の遺伝子発現についての研究も、対象となる遺伝子が概日リズムを刻んでいるかどうか、その場合は時間を決めて調べる必要がある。

このような事情で、概日リズムの研究は全て生きている時に行う必要があると思っていた。ところが今日紹介するピッツバーグ大学からの論文は、亡くなった統合失調症の患者さんの脳を用いて遺伝子発現の概日リズムを調べた研究でNature Communicationsに掲載された。タイトルは「Diurnal rhythms in gene expression in the prefrontal cortex in schizophrenia (統合失調症患者さんの前頭前皮質遺伝子発現の概日リズム)」だ。

この研究では病理解剖時に前頭前皮質を採取し、通常通りmRNAの配列を調べただけの研究だが、これに患者さんの死亡時間を調べて、組織が採取された時間を変数として加える一手間かけることで、多くの患者さんをプロットすると自然に遺伝子発現の概日リズムがわかると着想した。

概日リズムがこの方法でわかるか調べるために、おなじ実験をまず精神疾患以外の解剖例で行い、死亡時間を加えて遺伝子発現をプロットすると、期待通りこれまで知られていたのと同じ概日リズムを刻む遺伝子のリスト、そのリズムを抽出することができる。

この基礎データの上に、次に統合失調症の患者さんの解剖例で同じ実験を行うと、コントロールのサンプルで見られた概日リズムがほとんど消え、逆にコントロールでは概日リズムが見られなかった遺伝子が概日リズムを刻むことを発見した。実際にはコントロールで概日リズムを刻んでいた遺伝子のうち424種類の概日リズムが消失し、逆に560の遺伝子が概日リズムをスタートさせている。

面白いことに、新しくリズムを刻む遺伝子の多くはミトコンドリアに関係する遺伝子で、逆にリズムが失われる遺伝子の多くは免疫機能に関係する遺伝子だった。

最後に、これまで統合失調症に特異的としてリストされていた遺伝子を調べると、実際には新しく概日リズムが始まった結果リストされた遺伝子が多いことを明らかにしている。

結果は以上で、人間の解剖サンプルによる遺伝子発現を調べる時に、常に死亡時間を頭に入れて考えることの重要性を示した面白い研究だと思う。しかし、本当にこの方法で正確な遺伝子発現の概日リズムが測定できるのか、また統合失調症でこれほど大きな変化が起こっているのかについては、追試が必要だと思う。

またなぜこんなことが起こるのかも面白い。概日リズムが消える遺伝子の多くが免疫関係だということは、逆に統合失調症ではこれを上回る免疫反応が起こっているのかもしれない。薬の影響も知る必要がある。いずれにせよ、重要な指摘が行われたと思っている。

カテゴリ:論文ウォッチ

自閉症の科学10:新しい発想の大規模コホート研究SPARK

2019年8月22日

シモンズ財団

自閉症スペクトラム(ASD)に関する論文を読んでいて、研究の多くがSimons Foundation(写真は会長のMarilyn Simmons)の助成を受けていることに気づきました。この財団のことは全く知りませんでしたが、Webで調べると、数学者で天才ディーラーと呼ばれたJames Simonsとその妻Marilynにより1994年に設立された財団で、Simons氏の専門だった数学やコンピューターサイエンスを中心に基礎科学を支援している財団のようです。2015年の支出が4.3億ドルという規模は、東大の全収入約2000億円と比べて、かなり大きな財団であることがわかります。

中でもASD研究はこの財団が焦点を当てている分野の3本の柱の一つになっています。おかげで、財団のホームページの論文のリストを見るだけで、ASDの基礎研究の現状がよく分かるようになっており大変重宝です。この財団が助成する活動の中で最も注目したいのが、SPARKと名付けられた新しい発想のコホート研究です。これについては2月号のNeuronに現状報告が掲載されているので、今日はそれを紹介します(SPARK: A US cohort of 50,000 families to accelerate autism research (SPARK: 自閉症研究を加速するための50000家族のコホート研究), Neuron 97:488, 2018)。

このレポートはSPARKプロジェクトのコンソーシアムから発表されており、SPARKの目的や現状、そして解決すべき困難などが率直に述べられています。読み通してみるとよく練られた計画で、このような計画が民間財団のサポートで実現するところが米国の活力だと感銘を受けました。

コホート研究の困難

コホート研究とは、特定の集団を長期にわたって追跡する研究で、例えば肥満の児童は将来心臓発作を起こしやすいかなどを調べるとき、児童の時期に対象を選び、成人になるまで心臓発作の発症を追いかけるような研究です。私が読んだ最も長いコホート研究は、スコットランドで始められた2ヶ国語環境で育つと認知症になりにくいかという研究で、スタートしたのが1936年、調査が行われたのが2010年という80年近い追跡研究でした。

ただこのようなコホート研究は、対象に呼びかけ、登録してもらい、さらにコホート期間中に様々なデータを提供してもらう事が大変で、膨大な労力とコストがかかります。我が国では、研究のほとんどが公的な資金で行われるため、本当に長期の研究を支え続けるのが難しくなっています。

SPARKの概要

SPARK研究は、コホート研究の困難に、様々な新しい方法を用いて挑戦しようとする斬新な取り組みだと思います。何よりも、私的な財団支援することで、例えば政策変更で研究が中断する心配がありません。この安定した助成を基盤として目指しているのが、遺伝と症状の詳細な相関関係を明らかにする事です。

ASDは多様な脳の状態(neurodiversity)として捉えられるようになっています。というのも、400-1000もの遺伝子が関連する複雑な状態で、一つとして同じ状態はないのです。ただ、こう割り切ってしまうと話が終わってしまいます。Neurodiversityを認めた上で重要なのが、本人と家族の詳しいゲノム検査に、症状や生活についてのできるだけ詳しい情報を関連づける作業です。極めて多様な状態がありますから、このような関連づけが可能になるためには最低5万家族以上のデータが必要になります。しかし言うは易く行うは難しで、コホート研究について少しでも知識があると、とてつもないプロジェクトだと尻込みしてしまいます。

SPARKも困難を理解した上で、21世紀に進む個人と個人が直接つながる(ピア・ツー・ピア)ネットワークを利用して、患者さん、主治医、研究者をつなぐことでより少ない労力でこれを実現する様々な工夫を凝らしています。

まず感心するのが、最適な構築を最初から決めることは不可能で、様々な試行錯誤を繰り返しながら発展させるしかないと割り切っている点です。多くのコホート研究では、科学性を盾に最初から計画しすぎて、計画倒れに終わることが多いように思いますが、SPARKではともかくASDの子供、家族および主治医をSPARKとネットで双方的につないでデータを蓄積するとともに、SPARKをハブとして、外部のすべての研究者とネットで結合する構造の構築を進めているようです。

次に感心するのが、このネットワークを構築するため、当然のようにゲノム検査の結果を参加者に戻すことを決めていることです。児童に関わるゲノムデータを本人や家族に戻すことは、我が国でも議論になっていると思いますが、詳しい理由は述べませんが、私はこれなしに双方向性のネット構築はないと思っています。

また、ゲノムデータの戻し方もよく計画されています。最初に調べた結果を一回きりで戻すのではなく、メンバーのデータを毎年最新の研究に基づいて解析し直し、そこで何か見つかった場合に関係する家族に連絡するという方法を採用しています。家族とSPARKが長年にわたって対話するという意味では素晴らしい方法だと思います。すでに500家族のパイロットゲノム研究が行われ、5%の家族に結果を知らせることができたようで、計画の検証も着々と行っているようです。

もちろん遺伝子解析だけではこのプロジェクトは完成しません。最も重要なのが遺伝子の違いに関連する行動などの変化を可能な限り集める事です。考えるだけで大変だと思いますが、ネットを利用して、様々な可能性が試されると期待します。事実、問診票の結果や、行動解析などSPARK拠点で集めた個人データは、ほかの人のデータおよびゲノムと関連づけた後、家族に返す仕組みになっています。これもネットワークの活動性を維持するために重要なことだと思います。

とはいえ、行動をデータ化するのは簡単なことではありません。SPARKは最初から高望みはしないという戦略で、データは時間をかけて集めればいいと割り切っているようです。例えばいくつかの決まった質問票で簡単に得られるデータを核にして、そこに主治医からのデータや、米国では患者さんと研究者をつなごうと進んでいるSync for Scienceのような外部のデータシェアサイトからもデータを集められるオープンな構造にしているようです。Sync for Scienceについてはこのレポートを読むまで、全く知りませんでしたが、我が国のこの分野の政策に関わる人にどのぐらい周知されているのでしょうか。研究者や医師と患者さんや家族の関係を根本的に見直すチャレンジですから、後追いでも、マネでもいいので、我が国でも進めてもらいたいものです。

できるだけ少ない労力でこうして立ち上げたネットワークを維持する様々な工夫も紹介されています。このために最も重要なことが、参加者に常にコミットしているという気持ちを持ってもらうことだというのは、納得です。そのため例えば、ASDについて学ぶことのできるスマートフォンプログラム、あるいは最近の注目すべき研究成果、そして何よりもSPARKから生まれた成果をスマートフォンやPCで知らせることを重視しています。

まだスタートしたばかりだと思いますが検証の目的で様々な研究を進めているようです。たとえば、ASDと診断された子供を妊娠していた時の環境暴露についてアンケート調査がすでに行われています。実際2000人近い対象に回答をお願いしたところ、なんと60%ものお母さんが妊娠時に暴露された様々な物質に対する回答を寄せており、現在のところメンバーとSPARKの対話が維持できていることを伺わせます。

現在約2万家族の登録が集まっているようですが、参加者がコミットメントする気持ちを維持するためのノウハウの蓄積も貴重です。例えば、登録の意思はあっても、必要項目を完全に書き入れ、またインフォームドコンセントを終えるのは面倒なものです。どうしても時間がかかっていたこの作業を、ユーモアたっぷりにお願いするSNSのメッセージを流す事で登録が72%まで上昇したこと、あるいは遺伝子検査のサンプル提出を抽選でiPadを提供するというプログラムで、3割から6割にアップさせたことなどが紹介されています。今後新しく計画するウェブを用いたコホート研究には本当に貴重な情報になると思います。

感想

さすが民間助成ならではの、長期的視野を持ちながら柔軟な、未来型のコホート研究だと感銘を受けました。何事も官に頼ってしまう我が国では、願うべくもない取り組みですが、ASD研究に国境はありません。SPARKから生まれる様々な成果が、我が国のASD診療にも生かされることは間違いないと思います。個人的にはシモンズ財団ウォッチを続けて、面白い話があればまた紹介したいと思っています。

自閉症の科学9 瞳孔反射で自閉症発症を予測する

2019年8月22日

「目は口ほどに物を言う」と言われているように、瞳孔は私たちに様々な事を教えてくれます。医師が死亡診断を下す時、必ず瞳孔反射を調べるのがその例ですが、実際には私たちが見ているものに興味を持っているかどうか、どのように物を認識しているのかどうかなど、様々な事を知る科学的手段として使われています。例えば、言葉でのコミュニケーションが取れない赤ちゃんの場合、興味を示しているかどうかは瞳孔の大きさで判断します。

とすると、当然外界への関心が低下するASDでも瞳孔の反応に何らかの変化が起こると考えられます。実際そのような研究がこれまでも行われ、ASDの児童や成人では瞳孔反射が遅くなっていることが報告されています。

今日紹介する論文を発表したウプサラ大学のグループも同じようにASDリスクと瞳孔反射の関係に興味を持ち、乳児期という早い段階にASDのリスクを予測する手段として使えないか調べていたようです。そして、2015年に発表した論文で、家族歴からASDのリスクが高いと推定される10ヶ月齢の乳児では、児童や大人とは逆に、光に対する瞳孔反射が早いことを報告しています(Nystrom et al, Molecular Autism, 6:10, 2015 )。

しかしこの論文で調べられた乳児は、あくまでもASDリスクが高いと想定されるだけで、本当にASDが発症するかどうかは追跡しないとわかりません。そこで最初の研究で調べた乳児をASDと診断できる3歳児まで追跡したのが今日紹介したい論文です(Nystrom et al, Enhanced pupillary light reflex in infancy is associated with autism diagnosis in toddlerhood (乳児期の瞳孔反射の亢進は幼児期の自閉症診断と相関する)Nature Communications 9:1678, 2018, DOI: 10.1038/s41467-018-03985-4)。

乳児が自然に行動している間に瞳孔反射を調べるのは簡単ではありません。この研究ではトビー社の視線追跡装置を用いて、自然状態で反射を繰り返し測定するのに成功しています。

最初の論文では、先に生まれた兄弟がASDと診断されている場合をハイリスク群、全くASDの家族歴がない群を通常群としてデータを比べ、ハイリスク群で瞳孔反射が高まっていることを報告していますが、この研究では147人のハイリスク群の中から3歳時でASDを発症した29人(20%)、ハイリスク群でもASDが発症しなかった118人、そして通常リスクで発症もなかった3群に分けています。

まず10ヶ月時の瞳孔反射をこの3群でプロットし直し、瞳孔反射とASD発症の相関を調べています。結果はシンプルで、ASDを発症した乳児は、ASDを発症しなかったハイリスク群の乳児と比べても瞳孔反射速度が高まっており、通常児と比べるとその差はさらにはっきりし、平均で20%ぐらい反射速度が上がっています。また瞳孔反射の数値は、2種類のASD診断指標を用いた重症度と正の相関を示します。そして、ASDの子供だけ発達に伴い瞳孔反射が大きく変化します。

もちろん他の臨床検査と同じで、実際には通常児とASDの間での検査値のオーバーラップは大きく、傾向は見られても、これだけで診断するとなると、かなりな異常値を示す乳児に限られるように思います。しかし、「瞳孔反射が高めで、次の年に変化が大きい場合は要注意」といった具合に一つの指標として使っていくことは可能だと思います。おそらく、個人差の原因を取り除いた検査の開発ができると、もっと正確な診断が可能になるかもしれません。

いずれにせよこの研究は、1)ASDという複雑な状態が、様々な神経活動の変化が総合された結果であること、2)ASDでは瞳孔反射のような感覚系の変化が強く見られること、3)このような変化は生まれた時には用意されており、発達を通して特徴的な状態が形成されること、を教えてくれます。

今後乳児期のこのような単純な反応がASD発症に関わるという発見を、現在進むMRIなどの脳構造研究と相関させることができると、ASDのメカニズム理解や診断に大きく貢献する予感がします。今後に期待したい研究です。