2022年7月19日
今回ワクチンの作用や副反応について広く知られるようになり、一般の人にも免疫成立に必要なアジュバント効果やそれを支える自然免疫の重要性が広く知られるようになったのではと期待している。ガンに対する免疫反応成立も当然同じことで、腫瘍局所での自然免疫の重要性が認識されている。
中でも、マクロファージや樹状細胞から分泌され、T細胞をヘルパーなどへと誘導する IL-12 とT細胞から分泌されるインターフェロンγ 経路は、ガンの自然免疫システムとして重視されており、コレラのサイトカインをガン免疫に応用できないか模索が続いている。しかし、IL12 を全身に投与してしまうと、強い副作用が必死で、効果は証明されていても臨床利用が難しい。そこで、アデノウイルスベクターを用いたワクチンと同じような局所投与が試みられていた。
今日紹介するバーゼル大学からの論文は、アデノウイルスベクターを用いた IL12 局所投与の臨床試験患者の解析から生まれた課題を、マウス実験で調べ直すサイクルをうまく組みあわせた研究で、IL12 治療の鍵を握るのが NK細胞であることを示した面白い研究で、7月13日号の Science Translational Medicine に敬愛された。タイトルは「NK cells with tissue-resident traits shape response to immunotherapy by inducing adaptive antitumor immunity(組織滞在型 NK細胞が抗腫瘍免疫治療の反応性を決める)」だ。
この研究では、アデノウイルスベクターに組み込んだ IL12(Ad-IL12)治療を行ったメラノーマ患者さんで、高い反応を示した患者さんの腫瘍組織でNK細胞が CD8T細胞と同時に増殖をしていることに着目し、マウスの実験系で、Ad-IL12投与時の NK細胞の役割をまず調べ、Ad-IL12 の効果には NK細胞が必須で有ることを証明している。
さらに、血管からの免疫細胞の遊走を阻害するフィンゴリモドを用いた実験で、IL12 により刺激された NK細胞が分泌するサイトカインにより、血液が腫瘍組織に集まることが重要で、やはり患者さんの組織の解析から CCL5 が NK細胞が分泌するケモカインであること、さらに、動物実験系で NK細胞がなくても、Ad-CCL5 を局所投与することで、抗腫瘍活性を高められることを明らかにしている。
同時に、CCL5 を分泌するNK細胞の解析から、元々組織内に常在するタイプのNK細胞であること突き止めた。さらに、患者さんのガン組織をそのまま培養してそこに Ad-IL12 を加える実験から、組織に常在するタイプの NK細胞が CCL5分泌細胞であること、そしてこの IL12-CCL5セットが、PD-L1抗体によるチェックポイント治療の成否を決める鍵になることを動物実験で確かめている。
以上の結果は、
全身投与は難しい IL12 を Ad-IL12 の形でガン局所に投与することで、全身のガン免疫を誘導できること、 ガン組織の NK細胞の重要性、 NK細胞が少ない場合は、Ad-CCL5 を加えることの重要性、
など、いくつかの臨床介入手段を示唆している。チェックポイント治療を、ワクチンレベルの確実な治療へと高めるための重要な研究だと思う。
2022年7月18日
以前、カロリーのない人工甘味料と、カロリーを持つショ糖の違いを感じて、最終的にショ糖を選ぶ脳回路が存在することを示した論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/18825 )。このように、味や臭いだけではわからない栄養を直に感じるシステムは、野生動物がどの食物を選ぶのかにとって極めて重要なはずだ。
同じように、水はもっと重要かもしれない。液体だからいいというわけではない。高張液では脱水は改善されない。今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、血中の脱水状態をモニターして、どの液体を飲めばいいのか選ぶための脳回路を明らかにした研究で、7月13日 Nature にオンライン掲載された。
食物の摂取や水の摂取などの行動をドーパミン神経が支配していることは、一般の人にも広く知られている。この研究でも1日飲み水を与えなかったマウスに5分間自由に水を摂取させたときの、腹側被蓋野(VTA)ドーパミン神経(DA)の活動をまず調べている。これまで報告されているように、水を大喜びで飲んでいるときに興奮する DA の興奮が記録されるが、これ以外に水を飲んだ10分後ぐらいに興奮する DA を突き止め、これが水を腹で感じるときの脳回路ではと当たりをつけた。
このことは塩水を飲ますとわかる。喉が渇いて水にありついたという最初の興奮は塩水でも見られるが、10分後の興奮は見られない。また、飲むという行動をスキップして水を直接胃に入れたり、腹腔注射でも後の興奮は見られる。一方、高張液を注入した場合は、興奮が逆に抑制される。また、これまで栄養をとることで興奮する DA とは別の集団であることも確認している。以上のことから、摂食行動を支配する感覚は極めて複雑で、今回特定された DA は、喉の渇きではなく、血液の水バランスを感じる回路であると結論している。
DA はご褒美回路と言われたりするエフェクター回路で、行動を直接支配する。この興奮が、脳のどの領域で働いているのかを次に調べ、扁桃体基底核外側部(BLA)が、満足感を示す舌なめずりとともに興奮することを特定している。即ち、VTA-DA から BLA 回路を通じて、より身体な脱水感覚の正常化が満足感に変化している。
次に、VTA-DA 神経興奮に関わる上流の回路を検討する目的で、摂食行動に関わることが知られている視床下部外側部(LH)の GABA ニューロン(GA)との結合に着目して、水バランスの変化による興奮を調べると、水を注入後に LH-GA が興奮することを発見する。ただ、LH-GAの興奮を誘導する実際のセンサーについては、脱水により活性化される脳球下器官が関わっていることを確認しているが、完全には特定できていない。どのように水バランスという微妙な調節なので、複雑なセンサー群があるのかもしれない。
以上、SFO、LH-GA、VTA-DA、そして BLA と水バランスを満足に変換する回路を特定した後、この回路が本当にご褒美による行動変容につながるかを、異なる臭いを嗅がした後、胃に直接水と高張液を投与して、条件化する実験を行い、最終的にマウスが水が注入される方の臭いを選ぶことを確認している。
以上が結果で、喉の渇きを一瞬癒やすことで終わらず、しっかりその後で効果の評価をして、満足中枢反応をより安全なものへと変える複雑なメカニズムの一端がよく理解できた。最近確かに暑くなってきたことも一因とは思うが、熱中症が昔より多発しているような気もする。このような無意識の身体感覚を理解することで、新しい対処法が可能になればと考える。
2022年7月17日
腸管上皮は、クリプトと呼ばれる組織内構造から管腔に突き出した絨毛まで、一続きの幹細胞システムを形成しており、古くからアクティブな研究対象になっている。この領域の研究の質を一変させたのが Hans Cleavers らによる幹細胞マーカー Lgr5 の発見で、この遺伝子を基板に様々な遺伝子操作を加えることで、腸管幹細胞のダイナミックスとともに、発ガン過程も詳しく理解することが出来るようになった。また、ここから現在慶応大学の佐藤さんたちは、試験管内のオルガノイド培養を完成させた。
この成果を Cleavers らは一本のビデオにまとめよくミーティングで使っていた。今でもよく覚えているが、クリプトにある幹細胞が移動しながら Lgr5 を失って分化したり、クリプトでパネット細胞に分化したり、さらには上部に移動し始めた幹細胞がパネット細胞を超えて移動したりと、まさに見てきたようにモデルが作られていたが、実際には断片を組み合わせて考えられたものだ。
今日紹介するオランダ ガンセンターからの論文は、Cleavers の名前こそ載っていないものの、今やオランダの伝統となった Lgr5 細胞を中心にした幹細胞研究なのだが、Lgr5を標識する研究手法に生きたマウスの腸管のクリプト部位を直接顕微鏡で観察するという離れ業を組み合わせて、小腸と大腸での幹細胞ダイナミックスの違いを見事に示した研究で、7月13日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Retrograde movements determine effective stem cell numbers in the intestine(細胞の逆行が腸管幹細胞の有効数を決めている)」だ。
腸管の Lgr5 陽性細胞を、生後タモキシフェン注射で蛍光ラベルして生きたマウスでその細胞を追跡できるようにしたことがこの研究の全てだと思う。光を発する一つのクリプトを他のクリプトから区別して観察を続けることは決して簡単でないはずだ。ただ、それをやり遂げたとき、新しい発見があった。
まず、小腸と大腸のクリプトには、ほぼ同適度の数の Lgr5 陽性細胞が存在し、それぞれがオルガノイド形成能をほぼ同等に持っており、機能的にもほぼ同じと考えられるが、大腸と小腸では幹細胞の遺伝子発現は大きく異なっており、これは大腸ほど Lgr5 陽性細胞が中心から離れるほど、幹細胞性が失われること、逆に小腸ではクリプトのボーダーを超えなければ、Lgr5 細胞はほぼ同じ幹細胞性を持っていることに起因することを確認している。
次に、様々な場所の Lgr5 陽性細胞をラベル実験で、いくつぐらいの機能的幹細胞が1つのクリプトに維持できているかを調べると、小腸では大腸より多くの幹細胞が維持されていることを発見している。即ち、大腸では古典的な幹細胞システムの図に近く、中心から離れるに従ってすぐに幹細胞性を失うのだが、小腸では中心から離れても、また幹細胞として復活し、結果多くの幹細胞を維持している可能性が示唆された。
この精細な観察を説明できるよう、幹細胞モデルを形成すると、いったん中央から離れた幹細胞がもう一度中央へ戻るという、細胞の逆行現象がないと説明できないことが示唆された。そこで、今度は低い量のタモキシフェンで Lgr5 細胞が、ランダムに異なる蛍光マーカーを発現するように細工したマウスを用いて、細胞の逆行が観察できるか調べると、モデル通り小腸で10%近い細胞が、クリプトのボーダーまで来ても、また中心に戻る逆行が認められること、一方、大腸ではこの逆行が全く見られないことを発見した。
このボーダーからの逆行を誘導するシグナルを探し、最終的にボーダーにあるパネット細胞が発現する Wnt により細胞の遊走活性が上昇することが、逆行のシグナルで、パネット細胞が存在しない大腸では、当然この逆行が存在しないことになる。そして、傷害後の再生では、多くの幹細胞が維持できている方が、高い再生能力を示すことも示している。
以上が結果で、パネット細胞の Wnt により、一度クリプトから離れかけた幹細胞も、もう一度元に戻って他の幹細胞と場所争いをするという競争を維持することで、様々な状況に即応できる幹細胞システムが形成できるという面白いシナリオだ。著者らがいうように、この競争により常に幹細胞が置き換わることが、小腸にはガンがほとんど起こらない原因かもしれない。
骨髄細胞のクローン増殖が老化を促進していることがわかってきたが、幹細胞システム内で競争を維持する仕組みの重要性を実際に目で見えるようにしたという点でもこの研究は面白い。百聞は一見にしかず。
2022年7月16日
17世紀を代表する大陸合理主義哲学を終え、今回から、ロック、バークリー、そしてヒュームと進んでいく。
ジョン・ロックは、医者で、植物収集でも有名な、即ち自然科学の素養のある英国の哲学者で、英国経験論の中では我が国でもよく知られているのではないだろうか。特に「生まれたとき私たちは白紙(タブララサ)で、経験と内省を通して観念が形成される」という言葉は広く知られている。とはいえ、デカルト、ライプニッツ、スピノザと見てきた大陸の哲学と比べると、本当はあまり読まれていない印象で、講義をしていてもロックについて話をしてきた学生さんにはまだ会ったことはない。一方、「人間は自然状態では理性に従って、決して争いを好まない」とする理想主義をもとに、ホッブスに対抗したロックの「統治論」は、現在もなお読まれ、また大学の講義でも必須項目として取り上げられているのではないだろうか。
例えば現在進行しているロシアによるウクライナ侵略を、「統治論」の中の「戦争の状態について」を頭に置きながら眺めてみると、ウクライナの抵抗とそれを軍事的に支援することの正当性をロックは支持しているように思う。
まず戦争状態を、「人間を奴隷化しようと企てる者」 によって始められる「生命を奪おうという意図の宣言」 であり、この結果「戦争状態」 に入る、と定義する。
そして、「自然の状態において、その状態にある全ての者に帰属する自由を奪い去ろうとする者は、その自由がそれ以外のあらゆる者の基礎であるが故に、他の者も全て奪い去ろうともくろんでいると当然推測しなければならない」 、「生命というものはひとたび失われると取り返しのつかないものだから、私には自己防衛と戦争の権利、すなわち攻撃者を殺す自由が許される」 、と侵略された側も戦争に入って相手を殺す権利が生じることを明確に述べる。
とは言え、「基本的な自然の法によって人間はできるだけ保全されるべきだから、・・・全ての人が保全され得ないときは、まず罪のないものの安全が優先されるべきである」 と、一般市民の保全の重要性も加えている。
統治論にこれ以上深入りする気はないが、ホッブスの現実主義に対する、理性主義とも言える思想が、ロックの哲学の根底にある。私自身も親近感を持つ。このように現代に通じる思想にもかかわらず、彼の哲学を読もうとするとき、一つ大きな問題に突き当たる。先に引用した「統治論」と今回紹介する「人間知性論」を、私はこれまで中央公論社の「世界の名著:ロック、ヒューム」で読んではいたが、残念ながらこれらは抜粋で大幅に省略されている。今回読み直すに当たって「人間知性論」全巻を読もうと思い立ったが、イギリス経験論の要と言ってもいいロックの「人間知性論」全巻は新刊では手に入らないことがわかった。政治論については多くの著作が訳され読むことが出来るのと比べると、ロックの哲学の我が国での位置を反映している。
ただ、ものを探して手に入れるという点で、今は素晴らしい時代だ。これまで利用したことがなかったメルカリに、「人間知性論、岩波復刻版」が出品されていたおかげで、ほとんど無傷の全巻を手に入れることが出来た。そして、全巻を読んで、ロックの素晴らしさがわかるとともに、なぜロックの哲学は人気がないのかもわかった気がした。
図 ロックについては写真に示す本を読んだ。引用は全てこれらの本から。
最初からネガティブな評価をして、これからロックを読もうと考えている若者をめげさせては申し訳ないので、まず私の個人的評価を正直に述べよう。読んだあと確かに「これなら人気が出ないかな」という感想を持ったが、今回改めて読み直して、私は、「現代に通じる素晴らしい哲学で、私自身が持っている考えにも近いと感じた。大陸合理主義哲学を間違いなく発展させており、多くの若者に是非読んでほしい。特に脳科学を目指す研究者には、研究の課題が見つかるのではないかと勧めたい」になる。
なのに、どうして人気がなさそうだと感じたのか。人間知性論は膨大な著作なので、詳細の紹介は省かざるを得ない。そこで今回は、17世紀哲学を前進させたにもかかわらず、ロックの哲学が確かに人気が出ない原因を入り口にして、ロックが到達した「人間が理解する」時の原則について議論したいと考えている。
さて、我が国であまり人気が出ない問題の1は、日本固有の翻訳の問題だ。例えば「人間知性論」も古い翻訳では「人間悟性論」と、一般の人が理解しにくい言葉をわざわざ用いている様に思える(学問の囲い込みか?)。その最たるものが「悟性=understanding」で、調べてみると禅の言葉に由来するようだが、今の人たちには全く見知らぬ外国語の単語と同じだ。と言うより、なまじ漢字が使われているため、混乱の元になること間違いないと思う。
この本の英語版タイトルは「An essay concerning human understanding」だが、英語と対比すると人間知性論でもピンとこない。一方、英語の方は誰もが内容をイメージできると思う。すなわち、この本は私たち人間が世界を理解する能力について、徹底的に思いを巡らせた著作だ。「私たちの理解する能力とは何か?」についての本なら、自分自身の脳に興味ある若者なら読んでみようと思うはずだ。是非もっと魅力的な和訳版が出版されることを期待している。
そしての問題の2が、ロックが独断的主張を嫌うためか、時に議論が首尾一貫していないことを物足りなく感じる点だ。すなわちこうしなさいと言うHow To哲学ではないため、一貫した主張がないように感じられ、印象が弱いのではないかと思う。しかしそのおかげで、10000ページ近い本なのに、押しつけがましくなく、読後感は極めて爽やかだ。おそらく、独断的なはっきりした考えを哲学書に求める人は、がっかりするだけだろう。
実を言うと、最初ロックを「世界の名著」で読んだとき、この優柔不断さに、経験論哲学から唯物論への展開へ大きな期待を描いて読んだ私も裏切られた気がした。結果、今回まで再読することなしに放っていた。しかし、今回読み直して、この優柔不断さこそが、イギリス経験論のスタートを後押ししたのではないかと考えるようになった。
ロックの最も有名なテーゼは、この本の1巻、2巻の中心的議論、すなわち私たちの持つ観念は全て感覚を通した経験の積み重ねで生まれてきたもので、生まれついて持っている観念、生得観念はないというものだ。「人間知性論」第二巻「観念について」から一節を引用しよう(全ての引用は先に挙げた岩波書店「人間知性論」復刻版から)。
「そこで心は、言ってみれば文字を全く欠いた白紙で、観念は少しもないとと想定しよう。どのように心は観念を備えるようになるのか。人間の忙しく果てしない心想がほとんど限りなく心へ多様に描いてきた、あの膨大な蓄えを心はどこから得るのか。・・・・これに対して、私は一語で経験からと答える 。この経験に私たちの一切の知識は根底をもち、この経験から一切の知識は究極的に由来する。・・・・私たちの観察こそ、私たちの知性へ思考の全材料を供給するものである。」
もちろんドグマを排し、考える自分の存在から始めよと主張したデカルトも、同じ考えからスタートしている。考える私から始めるということは、経験から始めることを意味する。しかし、ロックだけが経験論と呼べるのは、彼が先験的な概念を神や道徳に至るまで否定している点だ。一巻4章の「神の観念は生得ではない」のなかで、世界中の民族と話してみれば、神の概念を全く持たない人間や、無神論を唱える人たちに会えると述べて、私たちの心の中にキリスト教を受け入れる心が生まれてついて植え付けられていることはない、と、明確に述べている。
そして「人が違えば神の観念も様々」という章では、
「一神だけを承認するユダヤ教徒、キリスト教徒、マホメット教徒の間にあってさえ、正しい教説はそれほど行き渡っておらず、人々に神なるものの同じで真の観念を持たせてはいなかったのである。私たちの間でさえ、探求してみればどれほど多くの人が天に座す人間の姿で神なるものを心に描き、その他数多くの不合理で適当な想念を持つとわかるだろうか」
とまで述べて、「神の観念すら人それぞれ」と、まさに彼が観察を通して感じていることを率直に述べている。
もちろんデカルトの時代でも、世界中に様々な宗教が存在し、キリスト教の神の概念が生得的に私たちに刻まれている訳ではないことも理解されていたのではないかと思う。しかし、17世紀を代表するデカルトですら、「神の観念は人それぞれ」などとここまで踏み込んだ議論を展開できなかったのは、決してキリスト教に遠慮してだけのことではなかった。すなわち、自分のもつ観念と自己の精神を考えるとき、自己精神を観念から切り離して絶対性を付与したいという欲求に負けていたのではないかと思う。
そう考えると、自己の全てが経験を通して形成されてきたと言い放ったロックの哲学は、人間は特別で生得的に刻み込まれた観念が存在するとする考えが当たり前の、17世紀以前の哲学には青天の霹靂だった。さらに、神も含めて自己の観念を経験の蓄積でしかないと言い放ったロックの思想が新しいのは、「自己が、それまでの経験と、それを保持する脳と身体である」ことを明示している点だ。これにより観念についての学が、経験する私の脳の問題に転換する道がついに開かれた。
実際彼は、2巻1章で、
「魂が思考し、人間はこれを知覚しない、そう想定することはすでに述べたとおり、一人の人間のうちに二人の人物を作ることである」
また2巻23章では、
「誰しも自分の魂がそのいる場所で思考し、意志し、自分の身体に作用できるが、100マイル隔たったある身体に作用できず、あるいは100マイル隔たったある身体に作用できないことを自分自身に見いだす」
「死ねば霊魂が身体から出て行くとか、身体を去るとか考えて、しかも魂が運動の観念を持たないことは私には不可能のように思える」
と明確に二元論を否定し、身体と自己の観念が一体化していることをはっきり述べている。
このように、ロックは身体に結合された脳の中に発生する観念=自己であるとして、まさに近代脳科学の先駆けとも言えるのだ。ロック以前の哲学に述べられている哲学にも、脳科学のヒントとなる点は数多くあると感じてきた。しかし、著作を読んで、脳科学が始まったという感触を持てるのは、ロックが初めてになる。一種の唯脳的思想の始まりだ。
ロックを褒めすぎで、どこが期待を裏切ったのかと問われそうだ。しかし、この本を読み進むと、確かに一貫性のなさをしばしば感じる。例えばここまで貫徹した経験主義を述べているロックは、一方で彼自身がキリスト教徒であることを隠さない。例えば4巻10章「神なるものの存在の私たちの真知について」では、私たちの脳と身体は神により与えられたものであり、神を感覚、知覚、理知を通して神を知ることが出来ると述べている。我々の脳に生得概念はないと言い切り、個人の神に対する概念も人それぞれだとまで言っているロックのこの言葉を聞くと「え!」と驚いてしまうのだ。
ロックは言う。
「どのようにして絶対確実な神についての知をえられようかを明示するために、私の考えでは、私たちは自分自身より、つまり、私たちが自分自身の存在について持つ、あの疑いない真知より、先に行く必要はないのである」
このセンテンスは二つの意味を持つように感じる。まず私の身体と脳がここに存在していることが、神が存在する証拠だという意味。これを読むと、デカルトが自分の存在から神を演繹したのと同じ論理ではないかと、がっかりしてしまう。実際、ロックの経験論も口だけかと思って、学生時代、裏切られた気がした。しかしもう一つの意味を考えることが重要だ。即ち、私には先得的観念は存在しないという原則があるので、神も経験を通して形成される私たちの理性から生まれたものだということが同時に示唆されている点だ。ここに17世紀の合理哲学と大きな差がある。
いずれにせよ、今回全巻を読み通して、ロックの特徴をつかんでくると、この本の中にしばしば見られる矛盾する記述も、気にならなくなってくる。要するに、論理的一貫性を大事にするあまり、わからないことまで独断的に主張することをロックは拒否しているだけで、「今は説明できないが、自分の思考は神の存在を示しているので、キリスト教を信じている」と率直に述べているように思える。そしてさらに、他人にこの思想を絶対的真実として押しつける気はないと語っている。彼は清教徒であったと言うが、
「私たちの理知は次の絶対確実で明白な心理すなわちある永遠の、もっとも力能あり、最も知るものがいるという絶対で明白な心理の知識へ私たちを導く。誰かある人がこのものを神と呼びたがるかどうかは問題でない。そうしたものがいるというそのことは明白だ」
と述べており、決して原理主義的キリスト教徒ではなかったことがわかる。要するにロックは「今自分が生きていること自体人知を超えており、これを探求することが難しいため、私の理性はこれが神の業だと示している」と言っている様に思える。大事なことは、彼の理知が指し示す神を他の人に押しつけることは狂信であり理知に反すると拒否している点だ。
「ある人々では同じ権威をもち、信仰にせよ理知にせよ、そのどちらとも同じように自信を持って頼られる。私の意味するのは狂信である。狂信は理知を脇へ置いて、理知なしに啓示を立てようとした。しかしそうすることで、実際は、理知も信仰も捨て去って、それらの代わりに、人間自身の頭脳の根拠のない空想を代用し、この空想を説と行為の双方の根拠とするのである」(4巻4章)
検証出来ない独断や憶測を自信を持って強要するのは狂信であり、頭脳を拒否した空想だと述べている。
私自身、キリスト教の家庭に育ち、洗礼も受けているため、キリスト教徒の友人は多いが、少なくとも私の友人から狂信的にキリスト教を強いられたことは一回もない。すなわち皆狂信的ではないクリスチャンだ。その意味で、ロックを読んでいると、キリスト教の友人と哲学の話をしているような気になる。重要なのは、神は信じるのではなく、理知的に理解するものだと彼が考えていた点で、デカルトと同じだ。
ただ、ロックはさらに先に進んでいる。デカルトが「わからないこと=神の領域」と棚上げした問題を、神が介入する領域を拒否してーすなわちわからないことを神の領域に棚上げしないでーただ「明確にわかることと、現在ではわからないこと」の二元論へと転換させた。
「精神の実態は私たちに知られず、物体の実態も等しく私たちに知られない」
「非物質的精神のこうした思念は、容易に解明されない難点をおそらくうちに含もうが、それだからと言ってそうした精神の存在を否定して疑ったりする理由のないことは、物体の思念が、私たちの説明もしくは理解することの甚だむずかしい、おそらく不可能ないろんな難点を背負っているからと言って、物体の存在を否定したり疑ったりする理由の同じである。」
これらの引用からわかるように、
我々には、確実に感覚を通して知りうることと、まだ確実な理解をえられないことが全ての分野に存在する。
わからないことは決して精神の領域だけではない。物質の世界だってわからないことは無限に存在する。
精神の世界とはいえ、決してこれを永遠にわからない神の領域にすることは間違っている。即ち、物質の世界のわからないことも、精神の世界のわからないことも質的に変わりはない。
説明できなくとも、自分の感覚を通して脳に入ってくるものは、自分も含めて実在している。
と、結局は人間の understanding の問題だと明確に述べている。哲学が好き嫌いを別にして、これを読んでいるほとんどの人はこの考えに何ら問題を感じないはずだ。その意味で、ロックは17世紀の哲学をさらに近代化したと言える。
だからこそ、4巻3章の「人間の真知の範囲について」で、人間の理解はどこまで進むのかという問題を議論し、なんと「道徳は論証できる」という項までもうけて、まだ複雑すぎる様々な観念を誰もが納得出来る形で整理することが出来れば、数学と同じように道徳も論証できるとまで言っている。当時は間違いなくセンセーショナルな言明だったはずだ。
「知性を持つ理知的な所有者としての私たち自身の観念とは私たちのうちで明晰なものだから、もし適正に考察し追求すれば、道徳を論証できる学間におけるような、私たちの義務、行動の規則の根底を供与しただろうと、私は思う。論証できる道徳では、私は疑わないが、数学の帰結と同じように抗弁できない必然的帰結によって自明な命題から正不正の尺度が、誰にとっても・・・・誰にとっても・・・公平無私と注意を持って道徳に専心しようとする誰にとっても使用されることが出来ただろう。数と延長の様相だけでなく、道徳のような他の様相の関係も絶対確実に知覚されることが出来よう。」
私もいつの日か道徳を科学のように理解できるのではと思っているが、同じことを18世紀にロックは確信していたと思うと興奮する。とはいえ、なぜ彼がここまで言えるのかという点についての根拠は薄弱だ。まさにこの点が、ロックを読んでいるときのイライラ感の原因だろう。ただ、根拠はなくても、数学と同じように道徳は理解できるかもしれないと考えたことは、当時の思想背景を考えると先進的だ。この革新的言明は、デカルトと異なり、わからないことも自分の世界の問題として捉え、いつかわかるかもしれないと考えることが出来たことに起因している。すなわち、全ては所詮 Understanding のレベルの問題であると言い放っているのだ。
私が理解するロック=人間知性論のメッセージと問題点は以上だ。人間知性論は膨大な著作なので、個々の内容を解説することははじめから諦めている。ただ本の構成を知ってもらう意味で、英語版の目次を上に掲載した。一つ一つの目次を読んでもらうと、ロックがまず経験論の原則を述べた後、その原則に基づいてあらゆる課題を考えていたことがわかる。
面白い例は3巻で、言葉と私たちの理解について議論しており、言葉とは「内的想念を記号として使用できる」 人間特有の能力であると、極めて現代的・脳科学的な理解を示している。私なりに説明し直すと、たとえば「机」という言葉で共有されている「机という実体の持つ本質(形相)」は、それまでの哲学では、私たちの認識とは独立した本質として考えられてきたが、実際は想念が記号化された言葉として使われているうちに、言葉に本質が備わっているように思えるようになっただけだと言い放っている。さらにいえば、我々一人一人が個別に経験する様々な実体の想念を、言葉に転換して使っているうちに、多くの人が認める普遍的な観念へと形成させることが出来ると言って、実体の本質とか形相が私たちの観念とは別に存在すると考えてきた従来の形而上学や、スコラ哲学を否定している。当然この考えを延長すると、神の観念も私たちの想念が表現されたものが、多くの人に共有される普遍性を獲得したものであるということになり、「神という絶対性」の否定につながっていくのだが、残念ながらロックはそこまでは議論を進めていない。
そして最後の4巻では、いかにして正しい理解を得ることが出来るのか、前回議論したドクサとエピステーメーの問題へと議論が進む。ただ、この巻に来ると最初に述べたロックの首尾一貫性のなさが気になる。すなわち、何が正しい理解か、何が真知かを、個人の経験から判断できるのかという、経験論の最大の問題が現れてくる。すなわち、我々が経験し、その想念を言葉として共有している実体が、他人にとっても実在なのか証明できないことだ。すなわち、世界が全て感覚を通して私たちの脳の中に形成される観念であるとすると、私の観念と、あなたの観念が同じと思えても、それを証明するすべがないことだ。さらにいえば、実在の世界などなく、私の頭の中のバーチャルリアリティーだけがあるのかもしれない。
結局この問題は、ロック以前も以後も、前回述べたガリレオが示した科学的方法以外に、解決する道は示せないと私は思っている。すなわち、それぞれが同じ世界を見ていると仮定して、それを数理、測定、実験などを繰り返して確認していく方法だ。
17世紀の哲学が、ガリレオの示した新しい真知のあり方に驚愕して始まったとすると、ロックもガリレオについて知らないはずはないし、英国でのニュートンの影響力も大きかったはずだ。実際、4巻の3章では、
「二つの三角形の等しさでの一致、あるいは不一致は、両者を直接に比較しては決して知覚できない。形の違いが2つの三角形の部分を直接正確に当てることを出来なくする。それ故、両者の部分を測定するようなある介在する量を必要とする。これが論証すなわち理知的真知である」
「もし出来たら経験をさらに進歩させること、これは願望されることだったのである。私たちはニュートンのようなある人々の惜しみない骨折りがこの経験というやり方で自然の真知の蓄積にもたらしてきた利点を見いだしている。」
などと述べて、科学的アプローチに対する評価を述べている。しかし、残念ながら科学的手法を、経験論哲学に欠けている「万人に共通な世界」の形成へと積極的に取り込むことはなく、結果、公理や法則と、神と道徳が同じレベルで議論されても、そのための方法論は示されないで終わっている。ここに、ロックを最大限に褒めつつも、最後に物足りないと感じる原因があるように思う。
以上、人間知性論の全容については伝え切れていないと思うが、ロックの思想のエッセンスは伝えられたのではないだろうか。読むのは大変だと思うが、高次の認知科学を研究したいと考えている若者なら読んでみる価値は絶対ある。この本には、私たちの理解とは何かについて、一人の人間の頭で考えられる様々な課題が示され、それについての彼の考えが述べられている。例えば、言語、道徳、宗教のような人間独特の脳機能にチャレンジしたいと思う若者だけでなく、意識、認識、感情、記憶といった脳科学の根幹に関わろうと考えている人たちも、「単純概念とは何か」「快楽や苦悩とは何か」と言った脳科学の課題が提示され、脳科学など全く知らない人間の思考の過程が残されているこの本は絶対参考になるはずだ。このように徹底した経験論は、そのまま科学へと直結しているのだ。
ただ科学という解決策を別にすると、経験論の根本問題、即ち「共通の世界は実在するか」という問題は残る。これを哲学から考えるとどうなるのか、次回はバークリーを取り上げる。
2022年7月16日
2014年5月、老化に伴ってY染色体が欠損(mLOY)した血液の割合が増加し、この増加率に反比例して寿命が短くなることを示すスウェーデン・ウプサラ大学からの論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/1506 )。 男性にとっては恐ろしい話なのだが、その後喫煙によりmLOY 確率が高まること、心血管障害、ガン、アルツハイマー病の発症率も、mLOY の頻度に比例することなどが報告されている。
今日紹介するバージニア大学からの論文は、mLOY のマウスモデルを作成し、これまで報告されてきたmLOYの臨床例を説明しようとした面白い研究で、7月15日号 Science に掲載されている。タイトルは「Hematopoietic loss of Y chromosome leads to cardiac fibrosis and heart failure mortality(造血細胞のY染色体欠損は心臓の線維化と心不全死を誘導する)」だ。
この研究の目的は、mLOY による死亡率の上昇をモデルマウスで明らかにすることで、そのために Y染色体中心体に存在する繰り返し配列を CRISPR/Cas9 で切断することで、Y染色体全体が欠損した血液幹細胞を作ることに成功している。
こうして作成したmLOY血液幹細胞を放射線照射マウスに注射し、老化するのを待って研究に使うという長丁場の実験だ。ただ、その前にUKバイオバンクのデータを用いて、mLOYと特に心血管系の疾患との相関を調べ、mLOY の増加に応じて心血管系の疾患が増えること、なかでも高血圧性心疾患、心不全、うっ血性心不全、動脈瘤などが mLOY と相関することを確認している。
さて、9割以上の血液が mLOY を持つマウスでは、期待通り老化が促進し、心臓だけでなく、肺や腎臓の線維化が進むことを示し、老化や線維化の原因が、移植した血液の問題であることを確認している。
さらに、大動脈を狭窄させて心臓負荷をかけると、mLOY を持つ血液を移植されたマウスでは、心不全の程度が高まり、組織学的には線維芽細胞の数が特に上昇していることを確認する。
次に single cell RNA sequencing を行い、mLOYに起因する異常の細胞レベル、分子レベルのメカニズム解析を行い、細胞では骨髄で作られ循環しているマクロファージが、心臓に生まれたときから存在しているマクロファージを置き換える能力が mLOY血液では高まっていること、そして一般的な炎症に関わる IL1β ではなく、このマクロファージが分泌する TGFβ により線維化が誘導されることが、血液のmLOY に起因する心臓線維化及び心不全の原因であることを突き止めている。
最後に、循環から心臓組織へのマクロファージの浸潤や、TGFβ の作用を抗体を用いてブロックすることで、血液 mLOY に起因する病理を抑えることが出来ることを示している。
これまで、mLOY は一種のロシアンルーレットみたいなものとして諦めていたが、この論文を読んでまだまだ対応のしようがある状態であることがわかった。また、マウスモデルの研究から、mLOY が起こっても、血液自体の増殖には影響がないことから、今問題になる血液幹細胞のクローン増殖とも異なることもよく理解できた。
2022年7月15日
2015年4月、「膵臓ガンの早期診断は可能か」と題して、スウェーデン・カロリンスカ大学で行われた、遺伝的ハイリスクグループについて定期検診による膵臓ガン発見スクリーニングの試みを紹介した(https://aasj.jp/news/watch/3240 )。ただこの時は、対象人数が少ないことなどから、確かにステージⅠのガンを発見できるようだが、今後の大規模調査が必要だと結論しておいた。
同じような試みは各国で行われているようで、今日紹介するジョンズホプキンス大学を中心とした多施設共同研究の論文は、やはり遺伝的ハイリスクグループでも、1年に1回の検診で進行前の膵臓ガンを見つけられることを明らかにした研究で、6月15日 Journal of Clinical Oncology にオンライン掲載された。タイトルは「The Multicenter Cancer of Pancreas Screening Study: Impact on Stage and Survival(膵臓ガン早期発見のための多施設研究;定期検診のステージと生存に対するインパクト)」だ。
このグループは早期診断のための臨床治験を大規模に行っており、この論文では、まず、その中のCAPS5と名付けられた2014年から2021年まで追跡しているコホートについての中間報告になっている。
早期診断のための検査は、内視鏡による超音波検査か、MRCPと呼ばれる MRI を用いて胆管膵管を調べる方法が用いられ、他の検査は診断基準から外されている。
対象は、BRCA1 など何らかの膵臓ガンリスク遺伝子が有る、近親者に膵臓ガンがいる、そして既に他のガンにかかった、などの条件を満たす人たちを1年に1回検査し、膵臓ガンを発症した人をフォローアップしている。
ハイリスクでも、ガンの発見率は1年で160人に1人ぐらいなので、驚くほど高いというわけではない。この研究で最も重要な点は、定期検診により発見された9人の膵臓ガン患者さんのうち、7人がステージⅠで、さらにもう一人はステージ IIA で、手術が行われた点だ。一方、一人はステージⅢで発見されているので、1年(実際には6−14ヶ月の間隔)では、完全というわけではない。
膵臓ガン発見後、現在までの時間経過はそれぞれ違うので、この結果だけからは正確な統計はとれないが、推計学的計算を行っているが、生存期間は3.84年と、平均の1.5年を大きく上回っている。いずれにせよ、印象としてはかなり良い。
このような検査で問題になるのは、過剰診断だ。この方法で膵管の嚢胞が発見されると、やはり念のためと手術が勧められる。このコホートでは、8例が嚢胞と診断され、そのうち3例だけで前がん状態が発見されている。この3例は全員生存しており、経過観察中だ。
これに加えて、これまでの CAPS1-CAPS4 も合わせた結果も示されている。対象は同じで遺伝子診断を含むハイリスクグループで、結果は驚くべきものだ。一般に膵臓ガンの診断時、85%がステージⅣで、生存期間が平均1.5年だが、定期検診で見つかった膵臓ガンの57%がステージⅠで、平均生存期間は9.8年で、素晴らしい結果だ。一方手術して悪性所見がなかったケースは13例あるが、基本的に全員生存している。
以上が結果で、内視鏡超音波かMRCPによる検査は、間違いなく膵臓ガンの早期発見を保証することが示されており、少なくとも遺伝リスクのある人は、考えて損はないように思う。
2022年7月14日
組織再生をリンパ球が助ける可能性はこれまでも指摘されてきた。かなり古くは、γδ細胞が欠損すると、腸の絨毛の長さが短くなることが報告されていたし、今では腸管や皮膚の修復に機能しているということは、広く認められている。
今日紹介するニューヨーク大学からの論文は、皮膚の損傷修復時の γδT細胞が分泌する IL-17 が、皮膚上皮の低酸素応答システムの発現を維持することに働いているという重要な発見で、7月8日号 Science に掲載された。タイトルは「Interleukin-17 governs hypoxic adaptation of injured epithelium(インターロイキン17が傷害された上皮の低酸素適応を調節する)」だ。
まず損傷治癒の初期過程で傷口に浸潤するT細胞を調べ、傷口には様々なT細胞が浸潤していることを確認した上で、中でも IL-17 産生細胞の発生に必須の RORγ遺伝子を発現した γδT細胞が急速に上昇することを発見する。
そこで RORγ遺伝子を蛍光マーカーで置き換えたマウスを用いて修復過程を調べると、治りが50%遅くなること、すなわち修復に RORγ陽性細胞が必須であることを明らかにする。
これがわかると、後は順々にその機能を追求していけば良い。RORγが調節する IL-17 が修復促進に関わることを、ノックアウトマウスで確認した後、上皮細胞での IL-17シグナル伝達経路を追跡している。
まず、上皮の修復に必須の低酸素応答システムHIF1の発現維持に、IL17が必須であることを明らかにしている。すなわち、急性の低酸素で HIF1 は誘導されるが、それが長期間維持されるためには IL-17 が必須で、これが修復に際しての RORγ陽性γδT細胞の主要な役割になる。
そして、主に阻害剤を用いたシグナル研究で、IL-17が ERK 及び AKT のリン酸化を介して mTOR を活性化するという、まさに代謝の核となるシグナル経路を介して HIF1 の転写及び翻訳を維持し続けていることを明らかにしている。
詳しいことはほとんど省略したが、この結果は重要で、大きな皮膚損傷での修復を、IL-17が促進できることを意味している。このサイトカイン自体は炎症誘導など様々な問題を引き起こす可能性はあるが、培養に使うことも含めて、様々な可能性が生まれたと思う。
また、これまで HIF1 が誘導されると、低酸素による反応として片付けていた過程も、総合的に見ることの重要性を示している。特に低酸素環境に対する、急性の反応と、慢性の反応は区別してかかることの重要性もよくわかった。
IL17 というと悪いイメージしかないが、新たな組織形成は全て炎症を元にプランされていると思うと、納得する。
2022年7月13日
今でこそ本庶先生はがんのチェックポイント治療の開発者として奉られているが、私が現役の頃は、なんと言っても免疫グロブリンクラススイッチ研究で有名で、最終的にクラススイッチに関わる分子 AID の発見と遺伝子クローニングに結実している。AID の機能を証明した論文が出たとき、本庶先生は医学部長だったが、教授会で「そろそろ上がりですね」と言って、「馬鹿な」と一括された。そのときは、PD1 という第二章があるとは想像だにしなかった。
さて、このAIDはクラススイッチだけでなく、リンパ節の胚中心と呼ばれる場所で、抗体遺伝子にさらなる突然変異を誘導して、より抗原にフィットした抗体生成に大きな働きをしている。ただ特定の領域に限られるとは言え、ゲノムに突然変異を積極的に導入する分子なので、AID が発現する細胞では腫瘍発生のリスクが高い。
今日紹介するコロンビア大学からの論文は、クラススイッチと変異が進行中のB細胞に由来するびまん性大細胞型リンパ腫(DLBL)でのスーパーエンハンサーの解析から、AIDによるエンハンサー部位の変異により腫瘍が発生していることを明確に示した研究で7月6日 Nature にオンライン出版された。タイトルは「Super-enhancer hypermutation alters oncogene expression in B cell lymphoma(スーパーエンハンサーの高頻度変異はガン遺伝子の発現を変化してB細胞腫瘍を誘導する)」だ。
これまでエンハンサーが集まって強い転写が起こるスーパーエンハンサー(SE)が発ガンにも関わることは何度も述べてきたが、では SE 自体の変異がガンで起こって、SE が形成されるのかという問題については、あまり研究が進んでいない。というのも、エンハンサーの変異を機能的に調べるのは簡単でない。
ただ、先にも述べたように DLBL は AID により変異が起こりやすいこと、また抗体遺伝子発現のための SE が形成されていることから、SE 自体の変異を調べる目的には最もかなった対象だと納得する。
アセチル化ヒストンの免疫沈降法で、SE と一般のエンハンサー(NE)を特定し、特定された SE 領域で変異を検索すると、DLBL 細胞株、実際の白血病細胞を問わず、SE 領域で突然変異が高いことがわかった。
抗体遺伝子の変異率の高い胚中心由来と考えられるリンパ腫のみで、SE の変異頻度上昇が認められることから、AID が SE の変異に関わると考えられるが、予想通り変異の種類を見ると、AID=deaminase活性による変異と断定できるの。以上のことから、DLBL では AID が上昇しており、SE として集まった領域を標的に変異が蓄積しやすく、これがリンパ腫発生に関わること想像される。
後は、SE に起こった変異が白血病発生に関わるかを調べる実験が行われ、
リンパ腫での転座が認められる BCL6 では、転座がなくても遺伝子内のイントロンの SE に高率に遺伝子変異が認められ、通常はこの部位にリンパ球の分化を誘導する BLIMP1 が結合しているが、変異によりこの結合が消失し、分化が止まって増殖が起こると考えられる。同じ変異を持つ細胞株をの変異部位を遺伝子編集で正常化すると、腫瘍増殖がなくなるので、BLIMP1 結合が消失して、BCL6 の転写が高まることが白血病化に関わると考えられる。 同じように、SE により転写が上昇する BCL2 や CCR4 の SE を調べると、本来グルココルチコイド受容体が結合しており、転写が抑えられているのが、変異によりこの結合が壊れ、腫瘍発生に関わる。事実、SE 領域の変異を正常化すると、細胞の増殖は低下する。
以上、SE の中に、正常の分化では発現を抑える働きを持つ領域が変異により SE としてそれぞれの遺伝子の高発現に関わることで、白血病誘導に関わることを示した力作だと思う。他の腫瘍でも SE の関与が示されていることから、同じ手法で解析することで、難関だったノンコーディング領域の変異の機能がさらに明らかになるのではと期待している。
2022年7月12日
チェックポイント治療は、ガン治療を変えたといっても過言でないが、分子標的治療などとは異なり、ガンの現場で何が起こっているのか正確に捉えることは難しい。というのも、モニターできる免疫システムがほとんど末梢血に限定されていた。
これを大きく変えたのが、チェックポイント治療(ICT)を手術の前に行うガンのネオアジュバント治療だ。これにより、チェックポイント治療のガン組織での効果を、切除した標本ではっきりと調べることが出来る。
今日紹介するハーバード大学と中国の Guangzhou Laboratory からの論文は、頭頸部扁平上皮ガンで行われるネオアジュバント治療の機会を捕まえて、PD-1 抗体による治療、あるいは PD-1 抗体に CTLA4 抗体を加えた治療のガン組織及び末梢血細胞への効果を抗原受容体レベルにまで調べた、よくここまでと思える力作で、7月7日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Tissue-resident memory and circulating T cells are early responders to pre-surgical cancer immunotherapy(組織常在型と循環型T細胞は手術前のガン免疫療法に反応する)」だ。
研究では PD−1 抗体治療14例、PD-1+CTLA4 抗体治療15例の患者さんについて、一部の患者さんでは治療前の確定診断のバイオプシー、治療後に行われる手術切除組織、そして手術までの間の末梢血、術後の末梢血を採取、ここに存在する血液細胞、特にT細胞について、主に single cell RNA sequencing を用いて調べている。
まず知りたいのが、ICT により、ガン抗原特異的T細胞が増殖しているのかだが、上皮に対する強い接着力を持つインテグリンαEを発現したT細胞が強く増殖している。またこのポピュレーションは、ガンを殺す様々な分子を発現し、さらに他の免疫細胞を惹きつけるケモカインを発現している。
抗原受容体 (TcR) を調べると、まさにこの集団で同じ TcR が繰り返し認められるクローン増殖が起こっている。面白いことに、クローン増殖を起こしたT細胞の半分は元々ガン組織に存在し、そこで増殖したT細胞クローンだが、それまでガン組織には存在せず、末梢組織からリクルートされてきた TcR を持つクローンも新たに出現する。
これらのガン特異的 TcR は、様々なガン抗原を認識しており、中にはこれまで頭頸部ガンの抗原として知られていなかったものも見つかる(何万というペプチドを用いた大変な仕事の結果、TcR に反応するガン抗原を見つけているので、徹底性に感心する)。
T細胞の大きな変化に合わせて、白血球や樹状細胞なども再編成される。
ガン組織でクローン増殖しているT細胞は末梢血にも発見され、治療開始後2週間がピークで、それ以降は末梢には現れない。
増加している細胞の遺伝子発現から、ICT はこれまで言われていたように抗原刺激による疲弊を抑えるより、細胞の増殖を助けていると考えた方がいい。
以上が主な結論だが、ICTを免疫が低下しない時期に行う重要性がよくわかる研究だ。他のガンでは異なる可能性もあるが、臨床と基礎の協力が必要な分野が拡大していることを感じる。
2022年7月11日
自己と非自己を区別し、自己抗原に対する免疫反応を抑制する免疫寛容は、実験免疫学が始まった頃から多くの研究者を惹きつけてきた。そして1953年、Medawarらにより免疫寛容を人工的に誘導できることが示されることで科学的研究が始まった。今週13日水曜日の夕方5時から、胸腺内免疫寛容の仕組みについて明らかにしたDian Mathis論文をジャーナルクラブで取り上げるが、そのとき彼女の論文だけでなく、1953年 Medawar 論文からの免疫寛容研究史についても触れるつもりなので、是非期待して欲しい(https://www.youtube.com/watch?v=pitYM7YqUnY&list=PLxfkSUAJXxnF2xJ2DlTVYlLMcrkn8X6Fz )。
免疫寛容の理解が難しいのは、クローンレベルの選択によるトレランスから、制御性T細胞(Treg)による反応制御とともに、いわゆるアネルギーと呼ばれる、細胞はいるのに麻痺しているような状態まで存在することだ。特に食物アレルギーを抑えるため、抗原を食品として摂取する方法では、アネルギーも加わり解析が難しい。
.今日紹介するミネソタ大学医学部からの論文は、抗原を摂取して誘導する食物抗原への寛容誘導過程を、ストレートな方法で調べた研究で、何故今まで同じような研究がなかったのかと思う重要な研究で、7月6日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Immune tolerance of food is mediated by layers of CD4 + T cell dysfunction(食物に対する免疫寛容はCD4陽性T細胞の機能不全により媒介されている)」だ。
この研究では小麦アレルギーの抗原として知られるグリアジン由来のペプチドをはじめ、様々な抗原ペプチドを直接摂取させたときに、腸内に集まる抗原特異的免疫細胞を調べている。これまでの研究で、アジュバントなしにペプチドを投与すると、寛容が起こることが知られていた。マウスは、通常のSPFを用いている。
これまで、こうして誘導される寛容の主役はTregであることが知られていたが、この研究ではMHCとペプチドが組み合わさったテトラマー抗原への結合を指標に、抗原に反応するT細胞だけに着目することで、Tregとともに、どの系列と明確に特定できないヘルパーT細胞(Th-lin(-) )が増えていることを発見している。
後は、Th-lin(-)とは何かについて詳しく調べており、アジュバントなしに直接抗原ペプチドに出会うことで、IL2 が環境にあるとTregへの文化が進み、一方 IL-2 の濃度が低いとあまり増殖せず Th-lin(-) へと分化することを明らかにする。
一方、Th-lin(-) はペプチドとともにコレラトキシンをアジュバントにして投与することで、ほとんど消失し、Tfh や Th1/17 が増加することから、反応が出来なくなったアネルギー細胞で、分化能としてはTreg にも Th1 にも分化出来るナイーブ細胞に近いと結論している。
問題は、アネルギー細胞が積極的に免疫寛容維持に関われるかだが、いったんアネルギー状態に陥ると、アジュバントを加えて新たに免疫を誘導しようとしても一定期間腸内での Th1/17細胞のリクルートが抑えられることから、アネルギー細胞もある程度の効果があるのではと考えている。
以上まとめると、胸腺と違って末梢で抗原に対する寛容が誘導される場合は、まず第一に IL-2 の存在する状況で誘導される Treg が積極トレランスを担当し、いち早く Th1 へ分化しにくいアネルギー状態のナイーブ細胞を用意することで、抗原特異的に Th1 への漏れを防ぎながら、Treg の抑制効果を高めるという複雑な経路が存在することを示している。
とはいえ、印象としては複雑すぎる。これに細菌叢が絡んでくることを考えると、食物アレルギーに対する寛容誘導も簡単ではなさそうだ。