2022年5月18日
皮膚の病変診断のために様々な方法が開発されている。皮膚の極めて浅い部分であれば反射光を拾う共焦点顕微鏡、もう少し深いところでは眼科で用いられるのと同じ optical coherence tomography が開発されている。ただ、網膜が、像と比べると、皮膚での解像度は低い印象がある。実際には皮膚科や形成の先生に聞いてみないとわからないが、普及していないのではないだろうか。
これに対し、今日紹介するミュンヘン工科大学からの論文は、光を当てて組織内に超音波を発生させるという神業で、皮膚の深部画像を撮影できる optoaxoustic mesoscopy を開発し、乾癬治療効果判定に用いた研究で、5月11日号の Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは、「Enabling precision monitoring of psoriasis treatment by optoacoustic mesoscopy (optoacoustic mesoscopyを用いると乾癬の治療効果を正確に診断できる)」だ。
タイトルにある mesoscopy は巨視的と微視的の中間という意味で、共焦点顕微鏡のように微視的な解像度と、超音波診断のような巨視的画像の中間になると考えてもらえばいい。基本的に対象は表皮から真皮までの皮膚の構造の画像化だ。
我々素人から見ると、こんなことが可能なのかと驚く。すなわち、当てた光が吸収されると熱を発生し、この結果組織が拡大する。この時発生する超音波を拾って、組織構造を推定する方法だ。実際には、発生する超音波の波長の異なる組織を画像化することが出来る。皮膚の場合、メラニン色素、酸化ヘモグロビン、そして脱酸素ヘモグロビンを検出できる。従って、画像化されるのは短い波長をだす皮膚表層の毛細血管と、長い波長を発生する皮膚深層の少し大きめの血管網になり、それぞれの波長に応じて緑と赤で色分けして表示できる。
この研究では、皮膚科で患者さんの多い乾癬の治療効果をこの器械で正確に診断できるか調べている。画像だが、ケラチノサイトの肥厚部は真っ暗に、表層の毛細血管は緑に、そして深部の大きめの血管は赤に染め分け、上部と下部をつなぐ血管も画像化できている。この結果、毛細血管のループの長さ、太さ、厚さなどを数値化することが出来て、画像の印象だけでなく、治療効果を数値で表すことが出来るという結論だ。
おそらく、経験豊富な皮膚科医なら、視診と触診などで十分診断できるレベルかもしれないが、光と超音波を組みあわせた面白い診断機器が完成したことは間違いない。乾癬だけでなく、例えば糖尿病などの微小血管の変化を伴う病気や、あるいは歯肉などにも応用可能だろうと思う。さらに発展することを期待したい。
2022年5月17日
ガンのステージングは、ガンの大きさ、浸潤とともに、リンパ節転移の有無と広がり、そして他の臓器への遠隔転移の有無を元に決められる。リンパ節への転移と、遠隔臓器への転移は、通常リンパ管、血管とそれぞれ異なるルートを通って起こるため、独立して進んでいいのだが、医者の頭の中ではどうしてもガンが拡がる一つの過程として捉えがちだ。すなわち、リンパ節転移が先にあって、そこでより転移しやすいガンに変化するのではと思ってしまう。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、リンパ節転移しやすいガン細胞を分離して、リンパ節転移と遠隔転移の関係について、かなり古典的な方法を用いてアプローチした研究で、5月26日号の Cell に掲載された。タイトルは「Lymph node colonization induces tumor-immune tolerance to promote distant metastasis(ガン細胞のリンパ節への転移はガンの免疫トレランスを誘導し遠隔転移を促進する)」だ。
これまで遠隔転移しやすいガン細胞を分離して、転移に必要な条件を調べた論文は数多く読んできたが、リンパ節転移しやすいガン細胞を人為的に分離するという論文は読んだ記憶はほとんどない。この研究のハイライトは、ガン細胞株を移植後、リンパ節を採取して、そこに含まれるガン細胞をまた移植するサイクルを何度か繰り返して、リンパ節へ行きやすくなったガン細胞を分離したことだ。
こうして分離したリンパ節転移の起こりやすいガン細胞株と親株を、それぞれ異なる蛍光色素で標識し、皮下に注射する実験を行い、
- リンパ節転移能力で分離したガン細胞株の方が、親株と比べ、圧倒的にリンパ節転移を起こしやすい。
- しかし、肺転移で見ると、起こりやすさに両者の差はない。
- しかし、リンパ節転移を起こしやすいガン細胞と同時に移植すると、親株だけの場合より遠隔転移が促進される。
ことを発見している。すなわち、遠隔転移とリンパ節転移は全く別の過程ではあるが、リンパ節転移が起こると、遠隔転移が起こりやすくなることを明らかにしている。
この二つの現象の発見が研究の全てで、後はそれぞれの過程を支えるメカニズムを探求している。
まずリンパ節転移だが、転移しやすくなるとともにインターフェロン反応性の遺伝子の発現が上昇していること、またこの上昇がエピジェネティックなリプログラミングによるという結果から、リンパ節で免疫システムからのインターフェロンにより、リプログラムされた結果転移が起こりやすくなること、そしてインターフェロン反応性遺伝子の中でも、クラス1組織適合性抗原と PD-L1 の発現が、NK細胞からガン細胞を守ることでリンパ節転移能を高めることを明らかにしている。
一方、リンパ節転移により、他の遠隔転移が起こりやすくなる点については、ガンの転移によりリンパ節内の免疫システムの大きな変化が起こり、特にガン特異的な抑制性T細胞が誘導されることで、ガンに対する免疫が低下し、遠隔転移が促進されることを示している。
結果は以上で、古典的な病理研究といった感じで読んでいてほっとする研究だが、今後この発想の元、例えば乳ガンのケースで検証する必要があるだろう。
2022年5月16日
睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠の2相が存在することは、専門家以外にも広く知られている。また、レム睡眠が私たちが覚醒時に獲得した記憶を統合して強固にするために必須の過程であることも広く知られている。即ち海馬や前頭全皮質もシナプス結合が一夜にして大きく変化することを示す。実際、シナプスを支える細胞構造、スパインの形態を観察すると、特定のスパインが形態的にも大きくなり、しっかりとしたシナプス結合が形成する一方で、最終的に剪定されてしまうスパインも存在する。機能的にも、レム睡眠は記憶を強固にするだけでなく、記憶を積極的に消失させる、忘れる過程にも関わっている。
このように、レム睡眠のメカニズムは、一般に語られる以上に複雑で、わかっていないことが多い。今日紹介するスイス・ベルン大学からの論文は、強い感情を伴う重要な記憶の強化に焦点を当て、この記憶強化に関わるレム睡眠の神経回路を調べた研究で、神経科学になれていないと少しわかりにくいかもしれないが、学ぶところの多い研究だ。タイトルは「Paradoxical somatodendritic decoupling supports cortical plasticity during REM sleep(逆説的細胞樹状突起デカプリングがレム睡眠中の皮質可塑性を支持している)」で、5月13日号 Science に掲載された。
この研究では電極で脳波を記録しつつ、前頭全皮質の錐体細胞の興奮をマウス睡眠中にモニターする実験をまず行って、レム睡眠時は、目が動くなど覚醒時に似ているにもかかわらず、錐体細胞の興奮がノンレム睡眠時より低下していることを発見する。一方、樹状突起に焦点を当てて局所の興奮を見ると、逆にレム睡眠では樹状突起の興奮がノンレム睡眠と比べて強く上昇していることが明らかになった。すなわち、樹状突起と細胞体のデカプリングが明らかになった。
これは、記憶の強化を錐体細胞が覚えるのではなく、樹状突起のスパインの局所ネットワークの変化によることを考えると、デカップリングにより刺激や興奮が局所でとどめることが重要で、意にかなった結果であることがわかる。当然、このデカップリングを積極的に進める仕組みがあるはずで、この研究ではまず錐体細胞と樹状突起を別々に支配している制御する抑制精神系の興奮とレム睡眠について調べている。
結果は明確で、樹状突起を直接調節する抑制精神系の活動はレム睡眠時に低下しているが、細胞体を直接抑制する神経の活動はレム睡眠で上昇していることがわかった。すなわち、細胞体の興奮を選択的に抑えることでデカップリングが実現している。面白いことに、ノンレムからレム睡眠に移行するときは、細胞体の抑制を上げて、樹状突起の抑制を下げる方向に反応が起こるが、レム睡眠から覚醒するときには、逆に細胞体への抑制が低下し、樹状突起を抑制する神経細胞の興奮が高まる。これを見ると、睡眠がいかに大変なプロセスかがわかる。
次に、この細胞体を抑制する神経細胞のスイッチを調節するのが、視床から皮質への投射回路であるという可能性について、神経投射の追跡および活動記録を行い、細胞体抑制型神経は、視床腹側基底核から投射を受け、腹側基底核の興奮によりこのスイッチが入ることを明らかにしている。
次に細胞体抑制神経に投射している視床腹側基底核の細胞の活動を光遺伝学的に抑える実験を行い、視床細胞興奮が抑制されてもレム睡眠は起こるが、細胞体の活動は抑制されないこと、即ちデカプリンが出来なくなることを示している。
この条件で、恐怖発作でフリーズするという感情的要因の強い記憶の強化について調べると、レム睡眠は起こっていても、記憶の強化が全く起こらず、マウスは恐怖経験を忘れていることが明らかになった。すなわち、レム睡眠自体ではなく、レム睡眠時に細胞体と樹状突起の活動をデカップリングさせて、シナプスの再構成を局所でとどめることが、記憶の強化に必須であることを示している。
以上が結果で、レム、ノンレムという区分だけでなく、その間に様々な複雑な過程を組み入れることで、毎日記憶を整理し、必要なものを強化、他は忘れることが出来るようになっていることを示す、面白い生理研究だ。
2022年5月15日
昨日に続いて今日も老化と神経再生の論文を選んでみた。昨日のスタンフォード大学からの論文をまとめると、老化とともに脳脊髄液中の Fgf17 が低下し、その結果オリゴデンドロサイトのリクルートが低下し、シュワン細胞によるミエリン形成が低下し、老化による白質障害が生じるが、若い脳脊髄液、あるいは Fgf17 を脳に投与することで、オリゴデンドロサイト再生を促し、認知機能を正常化できるという話だった。
ただ、老化を一つの分子の欠損だけで説明することは難しい。今日紹介するインペリアルカレッジロンドンからの論文は、神経系の老化には炎症により誘導される一種の自己免疫的反応による神経再生能の抑制が存在することを明らかにし、これを正常化する方策を示した研究で、5月13日号の Science に掲載された。タイトルは「Reversible CD8 T cell–neuron cross-talk causes aging-dependent neuronal regenerative decline(CD8T細胞と神経細胞の可逆的な相互作用により老化依存的神経変成がおこる)」だ。
この研究では脊髄後根神経で発現している遺伝子を、若いマウスと年寄りのマウスで比較し、CXCL13 を中心にリンパ球浸潤を誘導するケモカインが老化とともに強く上昇することを発見する。また、CXCL13 の作用により、老化マウス後根には多くのCD8T細胞とB細胞が浸潤していることを発見する。
すなわち、一種の自己免疫現象が老化により生じる可能性を示唆するが、実際の老化による再生能力の低下がリンパ球浸潤によるのかはわからない。そこで、座骨神経を傷害する神経再生モデル実験で、CXCL13 を抗体により阻害すると、神経再生能を若いマウスレベルに快復させることが出来ること、逆に若いマウスの神経細胞に CXCL13 を強制発現させると、神経再生が抑えられることを示している。
では、浸潤してきた細胞が本当に自己抗原に対して反応しているのかについて、人工的自己抗原を神経に発現させる実験を行い、CD8T細胞が、神経細胞の MHC に提示された自己抗原ペプチドに反応するれっきとした自己免疫反応であることを証明している。また、この反応によりおそらく granzymeB 依存的に神経細胞細胞死が誘導されルことも示している。従って、老化による神経の喪失も、同じように自己免疫性の炎症が関わっている可能性を示している。
以上、神経細胞で CXCL13 のようなケモカイン分泌が上昇することが、老化に伴う再生能力低下、および老化による神経細胞喪失につながることを示しているが、この変化を NFkB 刺激を介して誘導するさらに上流の刺激については、リンフォトキシンである可能性が示されているが、なぜ老化でリンフォトキシンシグナルが神経に働くのかはこれからの研究になる。
以上老化による神経再生能の低下には、れっきとした自己免疫反応を呼び込んでしまう仕組みが働いていることが明らかになった。幸い昨日の研究と同じで、このプロセスは可逆的で、介入可能なので、これから様々な方法が開発されると思うが、免疫自体を抑えるような方法は、逆にガン発生を促進するので、簡単ではないように思う。
2022年5月14日
一般受けを狙った論文は中国からのものが多い印象を持っているが、もちろん日本も含め、世界中から「え!」と驚く論文は出てくる。マウスの話だとしても、今日紹介する若いマウスの脳脊髄液を注射された老化マウスで、認知機能が戻るというスタンフォード大学からの論文は、誰もが驚くとともに、人間に応用することを想像しておぞましいと思う人も多いと思う。
このような論文はタイトルが決め手だが「Young CSF restores oligodendrogenesis and memory in aged mice via Fgf17(若い脳脊髄液は老化マウスのオリゴデンドロサイトの増殖と記憶を Fgf17 を介して回復させる)」というタイトルは、十分なインパクトがある。
若いマウスと血液を交換することでマウスが若返るという論文は数多く存在し、読むたびにドラキュラ伝説を思い出すが、若いマウスの脳脊髄液を老化マウス脳に注射したという実験は、生まれて初めて読んだ。
はっきり言って、これで記憶が戻ると考えるのは乱暴な気がするのだが、老化マウスで低下している恐怖経験に対する記憶が回復することが示され、これが研究の発端になっている。
次に、この若い脳脊髄液がどの細胞に働きかけているのかを調べ、老化とともに減少するオリゴデンドロサイト(ODC)の数が、若い脳脊髄液を注入することで上昇し、この結果、神経のミエリン鞘が再生すると結論している。
次に、若い脳脊髄液により転写が誘導される分子を探索し、若い脳脊髄液の効果が、転写因子の一つ SRF を介していることを特定し、SRF の ODC での発現が老化とともに低下し、一種の白質障害が発生することが脳老化に関わっていること、ただこれは可逆的な変化で、若い脳脊髄液の成分により SRF が誘導されることで、白質障害を正常化させられることを示している。
そして、最後に若い脳脊髄液に含まれるどの成分が ODC の SRF 誘導に関わるかを、SRF の活性をモニターできる ODC を用いてスクリーニングし、脳内で発現している分子の中では Fgf17 が最も高い SRF 誘導能を持つことを突き止める。
そして、Fgf17 を老化した脳脊髄液に混ぜて注入しても、若い脳脊髄液と同じ ODC を増殖させ記憶機能を元に戻すことが出来ることを示している。さらに面白いのは、Fgf17 に対する中和抗体を若いマウスに投与すると、認知機能が抑制されること、すなわち若い脳では常に Fgf17 がはたらいて ODC の機能を維持しているが、老化ではこの機能が低下することを明らかにしている。
以上が結果で、若い脳脊髄液を老化マウスの脳に注入するという少しおぞましい感じの研究から始まってはいるが、老化過程の中でも比較的可逆的な過程として、ODC によるミエリン化の傷害を特定し、これを正常化する分子を特定したことは面白い。おそらく老化だけでなく、他の白質障害についても重要なヒントになるかもしれない。
2022年5月13日
個人的印象だが、中国からの論文には最初からかなり一般受けを狙っているのではないかと思える論文が多いように思う。タイトルに惹かれて、「え、そんなことがあるの」と読んだ後で著者欄をみると、結構中国からということをしばしば経験する。
今日紹介するのは浙江大学からの論文で、匂い刺激が悪性の脳腫瘍グリオーマの発生を促すことを示した研究で、臭いなしに生活できないことを思うとちょっと恐ろしい内容で、結局私も紹介することにした。タイトルは「Olfactory sensory experience regulates gliomagenesis via neuronal IGF1(匂い感覚刺激は IGF1 分泌を介してグリオーマ発生を助ける)」だ。
断っておくが、この研究は全てマウスモデルで、人間でどうかはこれからの話だ。ただ、人間でもマウスでも、嗅神経が投射する嗅球からグリオーマが発生しやすいことが知られている。
この現象を、著者らは、おそらく臭い刺激により嗅球神経が興奮することが、発ガンを促すからではないかと着想した。そこで、まず、発生したばかりのグリオーマが観察できるようにした発ガンモデルマウスを観察し、嗅球が腫瘍発生のホットスポットであることを確認する。
次に、化合物の全身投与で嗅球細胞の興奮を選択的に刺激、あるいは抑制出来る遺伝子改変マウスを作成して嗅球の刺激が腫瘍発生に関わるか調べている。結果は期待通りで、嗅球を慢性的に刺激すると腫瘍発生が上昇し、嗅球の興奮を慢性的に抑えると、腫瘍発生が低下する。
次に、このような人工的セッティングではなく、日常での匂い刺激の影響を調べるため、片方の鼻腔にプラグを入れて匂い刺激が入らなくして、もう片方と比べる実験を行い、臭い刺激の抑えられた側の嗅球細胞では腫瘍発生が減少することを明らかにしている。
最後に、臭い刺激から嗅球細胞の興奮が、グリオーマ発生を助けるメカニズムを探り、
- IGF1 が興奮した嗅球細胞から分泌され、これがグリア細胞の増殖を誘導し、腫瘍発生を助けること。
- 嗅球細胞から分泌された IGF1 はシナプスを介さず、直接細胞に働くこと。
- 嗅球細胞の IGF1 遺伝子をノックアウトすると、腫瘍形成が抑制されること。
- この IGF1 が嗅球細胞からノックアウトされた細胞では、嗅球の慢性的刺激を加えても、腫瘍発生は上昇しないこと。
などを明らかにしている。
以上が結果で、匂いに敏感な人や、強い匂いにさらされて生きていると、グリオーマが発生しやすいという恐ろしい結論になっている。とはいっても、匂いのない生活は困難なので、気にせず生きていった方が良さそうだ。
2022年5月12日
シナプスでのニューロトランスミッター遊離による神経伝達は、極めて複雑に調節されているが、多くの研究によりその細胞生物学的メカニズムはかなり理解できるようになってきた。しかし、個々のシナプスでの小さな違いが、脳全体の高次機能へどう展開するのか研究することは簡単でない。というのも、このような目的で利用される遺伝子変異のほとんどは、機能欠損型で、ポジティブな側面を調べることは出来ない。
今日紹介するドイツビュルツブルグ大学からの論文は CORD7 変異と呼ばれる、一部の高次機能を高める変異について、その分子細胞メカニズムをショウジョウバエを用いて調べた研究で、5月号の Brain に掲載予定だ。タイトルは「The human cognition-enhancing CORD7 mutation increases active zone number and synaptic release(人間の認知機能を促進する CORD7 変異はシナプスのアクティブゾーンを増やし、シナプス遊離を高める)」だ。
この論文を読むまで、言語能力や作業記憶を高める遺伝子変異があるとは知らなかった。これはシナプスベシクル遊離を調節する分子の一つ RIMS1/RIM1 の変異で、実際には頭が良いから見つかるのではなく、Cone-rod dystrophy 症候群として知られる、視細胞が変性する進行性の視覚障害で発見される。
ところが、2007年、この患者さん達の認知機能を調べた英国国立神経病院からの論文が発表され、様々な認知機能とともに作業記憶が著しく上昇していることが示された。すなわち、シナプス変化により脳の高次機能が高められる可能性を示した結果だが、そのメカニズムについては明らかになっていなかった。
この研究では、ショウジョウバエの RIMS 遺伝子に、人間で見られる変異を導入して、シナプス電位や、シナプスの形状を調べ、認知機能が高まるメカニズムを探っている。
まず、ショウジョウバエの RIMS がラットの分子と、構造的にほとんど同じで、変異の効果もほぼ同じと想定できることを、分子構造学的に確認した後、この変異を持つショウジョウバエ系統を作成し、神経筋接合部位でのシナプスを調べている。
すると、期待通りシナプス電流の振幅が上昇し、上昇と下降のスピードが高まることが明らかになった。すなわち、シナプスのシグナルが高まっている。
組織学的に調べると、シナプスでの伝達が行われているアクテゥブゾーンの数が増加しており、またシナプス小胞の数が増え、利用できるシグナルプールに余裕があることがわかる。これらによりシナプスシグナルの効率化に関わっている。
さらに、電位依存性カルシウムチャンネルの活動も変異によって変化する。面白いことに目のリボンシナプスを調節する L 型シナプスの機能は低下する一方、一般神経デハツゲンスル P/Q 型カルシウムチャンネルの機能を高める。この結果、目では視細胞の変性が起こる一方で、脳では認知機能が高まるという矛盾する結果が起こっていることになる。
以上、一つの変異で様々な変化が生じる結果、認知機能が高まることがわかる。印象としては、始まったばかりの研究で、視細胞が変性する理由も含め、さらに研究が必要だが、要するにシナプス伝達の効率の上昇だけでここまで認知機能が高まることが示された面白い論文だ。今後患者さんでのより詳しい研究が進むことで、認知機能低下を防ぐ方法の開発も可能かもしれない。
2022年5月11日
大麻や合成カンナビノールには、これまでの薬剤では達成できなかった様々な神経作用が明らかになり、化学療法による嘔吐については FDA も合成カンナビノールをの使用を認可している。ただこれ以外にも、痛みやてんかんなどにも有効であることから、医療での使用を拡大する重要性は指摘されている。
ただ一方で、個人的大麻使用については規制を撤廃する国々は増加している。これはタバコと比べて習慣性がなく安全であるという結果に基づいた措置だが、大麻使用に副作用が存在することは間違いなく、以前紹介した脳に対する影響だけでなく(https://aasj.jp/news/watch/6051)、心臓血管系に様々な障害を誘導することが指摘されてきた。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、大麻と合成カンナビノールが血管内皮を傷害し、動脈硬化や心筋梗塞のリスクを高めることを示し、またこの副作用を大豆イソフラボンの一つゲニスタインが軽減できることを示した研究で5月12日号 Cell に掲載された。タイトルは「Cannabinoid receptor 1 antagonist genistein attenuates marijuana-induced vascular inflammation (カンナビノイド受容体1の阻害剤ゲニスタインはマリファナにより誘導される血管炎症を軽減する)」だ。
マリファナが心血管障害を誘導する可能性は以前から指摘されている。従って、この研究はこの可能性を皆が納得できる方法で証明し、治療方法を開発するかが課題になる。方法論的な新味はないが、このような目的に対して現在可能な一つのスタンダードを示している印象がある。
まず大麻使用が心血管系の副作用を有するか臨床的に検討するため、UK バイオバンクデータベースを用いて、大麻使用と心筋梗塞の発症率の相関を調べ、月1回以上大麻を使用していた人は、心筋梗塞の頻度が0.45%から0.57%へと上昇することを確認する。
次に、大麻を嗜好目的で利用している人について、様々な炎症性サイトカインの血中濃度がマリファナ使用で高まることを明らかにしている。
この結果から血管内皮に影響があると仮説をたて、まず血管内皮細胞株、そしてヒト iPS 由来血管内皮細胞を用いて、合成カンナビノール THC の効果を調べ、大麻が活性酸素を内皮で上昇させ、酸化ストレスを誘導することを明らかにしている。
これは大麻使用で炎症が抑えられるという、思い込みや、報道とは真逆の結果になるので、さらに iPS 由来血管内皮を用いて、カンナビノール受容体 (CB) が刺激を受けると、MAP キナーゼが活性化され、その下流で炎症を司る NFkB が活性化され、血管内皮炎症状態が持続することを明らかにしている。
次に、この副作用を軽減できる CB 阻害剤を探索し、大豆イソフラボンの一つゲニスタインが CB1 の阻害剤として利用できることを発見する。
そして最終的に、動脈硬化実験動物モデルを用いて、THC の連続等よにより動脈硬化が悪化すること、またゲニスタインはこれを阻害することを明らかにしている。ただ、CB 阻害によって、効果そのものも帳消しになれば元も子もないことになるが、ゲニスタインは脳への移行が低く、THC の神経作用は抑制しないことも確認している。
以上、新しいという印象は全くないが、一つの臨床的課題に、現在利用できるツールを駆使して取り組み、これまでの懸念を明確にするとともに、エビデンスのない思い込みを排除し、最後にすぐに可能な治療法まで開発したという、お手本のような研究だと思う。後は臨床試験だけだが、そう難しくはないだろう。いずれにせよ、大麻にも副作用があることは明確になり、嗜好目的で使っていいのかは疑問がある。
2022年5月10日
世界中で珊瑚礁が危機に瀕していることが明らかになっている。以前紹介したように、その主要な原因は地球温暖化により、サンゴ(刺胞動物)と共生する藻類の温度感受性が高く、温暖化でその数が急速に低下しているため、サンゴも生存できなくなっていることがわかってきた(https://aasj.jp/news/watch/6275)。一方で、珊瑚礁が死滅するスピードが場所により異なることから、当然人間が原因となる要因もあることが想定されていた。人的要因についての犯人捜しの過程で、最近注目されているのが日焼け止めクリームで、なんと水泳客の多いエリアでは、成分の一つ oxybenzone が 1.4mg/l にまで達することがわかっている。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は oxybenzone がサンゴを殺すメカニズムを明らかにした研究で5月6日号 Science に掲載された。タイトルは「Conversion of oxybenzone sunscreen to phototoxic glucoside conjugates by sea anemones and corals(イソギンチャクやサンゴは日焼け止めクリーム中の oxybenzone を光毒性を持つグルコシド化合物に変換する)」だ。
この研究では刺胞動物の代表としてサンゴの代わりにイソギンチャクの一種 Aiptasia を使っている。この種は、サンゴと同じで藻類と共生体を形成しており、珊瑚礁形成能はないが、サンゴ研究に使われている。
まず oxybenzone を Aiptasia の水槽に加える実験から、oxybenzone 自体は毒性がないことがわかる。ところが、そこに一定の波長の紫外線を当てると、8μMの濃度の oxybenzone で全ての Aiptasia が死滅する。即ち、UV から細胞を守る分子が、UV により光毒性を媒介するという皮肉な現象が起こっていることがわかった。
この原因を Aiptasia による oxybenzone の代謝物で光毒性を発揮できる分子にあるとみて、生化学的に調べると、最終的に oxybenzone がブドウ糖と結合した glucoside-benzone が UV により活性化され、細胞障害性の活性物質生成の触媒として働くことを発見する。すなわち、oxybenzone のような脂溶性の分子を水に溶けやすくして輩出する Aiptasia の機構が、oxybenzone と glucoside を結合させ、光により様々な活性分子の生成を促すことがわかった。
最後に、藻類と共生関係にある状況で gluoside-oxybenzone による光毒性が発生する過程を調べ、共生関係が成立している場合、毒性が強く抑制されることを明らかにしている。これは、glucoside-oxybenzone のほぼ全てが藻類により Aiptasia から隔離されてしまうためで、ここでも藻類との共生がサンゴを守っていることが明らかになった。
以上が結果で、地球温暖化でサンゴを守る藻類との共生が難しくなり、それに輪をかけて、日焼け止めを塗った水泳客の脅威にもさらされるという恐ろしい話だ。結局温暖化も人間が原因なので、これをなんとかするためには、温暖化を抑え、サンゴやそれと共生する藻類が分解しやすい日焼け止めを開発するしかない。さあどうする。
2022年5月9日
PI3Kはインシュリンシグナルを始め様々な生命シグナルに関わっており、また分子構成やその組織発現は極めて多様で、個人的には全く苦手なシグナルの一つだ。現役の頃から、真面目に勉強することはやめて、わからないことはプロの竹縄さんに聞けばいいと思っていた。とはいえ、細胞の生存に重要なシグナルであるということは、ガン細胞にすればもっと重要であると考えられ、抗ガン剤として PI3K 阻害剤が開発されてきた。私たち現役の頃はワートマニンぐらいしか阻害剤はなかったが、現在では異なる活性サブユニットに対する薬剤が開発されている。現在まで、PI3Kα に対する阻害剤が乳ガン、δ に対する阻害剤が B 細胞腫瘍に対する薬剤として、治験が行われているが、それでも副作用の強さが大きな問題になってきた。
今日紹介する La Jolla 免疫研究所からの論文は、PI3Kδ に特異的な阻害剤の副作用を徹底的に検証して、阻害剤の新しい使用法の開発を試みた研究で、5月4日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Intermittent PI3Kδ inhibition sustains anti-tumour immunity and curbs irAEs (間欠的に PI3Kδ 阻害剤を投与するとガン免疫を維持したまま免疫関連副作用を回避できる)」だ。
この論文の結論がわかってしまうタイトルで、要するに PI3Kδ 阻害剤は日を置いて使えばよいという結論だ。前置きに述べたように、PI3Kδ 阻害剤の最大の問題は副作用で、腫瘍の増殖を抑えたり、あるいはガン免疫を高めたりする効果は臨床治験でも期待通り見られている。しかし副作用が強くほとんどの人は薬剤を続けることが難しい。そして何よりもその副作用は、irAE と呼ばれる免疫関連副作用だ。
irAE はチェックポイント治療が始まったときから問題になっている副作用で、免疫が持続するのを防ぐ治療を行えば、ガン免疫だけでなく、自己免疫も高まることを示している。ただ PI3Kδ 阻害剤の irAE はPD-1に対するチェックポイント治療とはかなり様相を異にしており、重症の腸炎が最も大きな問題になる。これまでの検討から、PI3Kδ 阻害剤が特に Treg 機能抑制を介して、エフェクター機能を高めるからであることが示されていた。
この研究では、ネオアジュバント治療(腫瘍はその後切除する)として PI3Kδ 阻害剤を使用した頭頸部ガンの患者さんの治験を利用して、irAE の詳しい解析を、腫瘍組織の RNA 発現解析と、single cell RNAseq などを用いて行っている。読んでみると、確かに副作用はひどく、通常用量では15人中9人が薬剤を中止せざるを得ないほど強い腸炎にかかっている。また用量を少し減らしたぐらいでは、同じ結果で終わっている。
このような患者さんの腫瘍組織では期待通り、抑制性Tregが減少し、逆にCD4,CD8エフェクターT細胞が増加していることが観察できる。即ち期待通りirAEはPI3Kδ阻害剤がTregを抑えることで起こる。ただ解析の過程で、Tregの現象は一過性で、時間がたつと正常化することを発見する。おそらくこの時点で、間欠的に投与することで、副作用が抑えられるのではと着想したと思う。
そこで、動物実験に戻り、PI3Kδ 阻害剤が IL-10 を分泌する強い制御活性のある Treg の組織内へのリクルートを選択的に抑えること、その結果腸組織で CD8T 細胞の数が上昇し、炎症を誘導することを明らかにしている。
次に、硫酸デキストランで腸を傷害して炎症を誘導するモデルを用いて PI3Kδ 阻害剤投与実験を行い、PI3Kδ 阻害剤により増強される腸炎、および腸炎を誘導する CD8T 細胞が、4日投与、3日休みというプロトコルでは、ほとんど起こらないことを発見する。
また、single cell RNAseq を用いた解析で、PI3Kδ 阻害剤投与で上昇する IL-17 分泌炎症細胞の条床を、4日投与/3日休みという間欠的プロトコルではほ抑えられることを示している。一方で、誘導されたCD8 キラー細胞などは影響を受ける、そのまま維持される。
以上が結果で、間欠的 PI3Kδ 阻害剤投与で、炎症型T細胞の増殖を抑え、キラー細胞は高めるという、理想的な投与法が開発されたことになる。
最初は人間の研究から始まっていても、最後の結果は動物実験の話で、人間に利用するには時間がかかるだろう。ただ、薬剤自体は FDA に認可されており、またネオアジュバント治験という、薬剤効果を調べるための理想的治験が進んでいることから、間欠的投与プロトコルを加えることは、以外とスムースに進むかもしれない。長年期待された PI3K 阻害剤によるガン治療も少しづつ完成に近づいている。特に、免疫治療の分野では、大きな期待が得られる予感がする。