2024年2月7日
食事が健康に重要なことは誰も異論がない。ただ、その効果は習慣として根付いた長い「養生」の結果だとされてきた。ところが、今日紹介する米国衛生研究所からの論文は、2週間だけケトン食、あるいは菜食を続けたときのインパクトを調べた珍しい研究で、短い期間でもケトン食や菜食が我々の身体に一定の効果を及ぼすことを示した論文。1月30日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Differential peripheral immune signatures elicited by vegan versus ketogenic diets in humans(菜食とケトン食によって末梢血の免疫指標が変化する)」だ。
研究は20人を NIH に1ヶ月間缶詰にした上で、無作為に2グループに分け、一つのグループにはまず菜食を2週間、その後ケトン食を2週間摂取してもらう。もう一つのグループはその逆でケトン食から始めている。そして、実験前、2週間目、4週間目に血液、便、尿を採取、 フローサイトメーター、RNAseq、プロテオーム、メタボローム、細菌叢など、考えられる検査を徹底的に行い、それぞれの食による身体の変化を調べている。一つ問題があるとすると、菜食からケトン食、ケトン食から菜食への移行が急に行われ、ウォッシュアウト期間がないことだが、これは仕方ないだろう。
勿論参加者個人個人の多様性は大きく、全体を平均したときのトレンドが示されていると考えて欲しい。
まず驚くのが、どちらの食事も免疫系の細胞の変化を誘導できる点で、CD4、CD8エフェクター細胞が有意に上昇する。あまり議論していないが、ケトン食と菜食を比べると、Treg がケトン食で高まり、NK が菜食で高まることだ。
末梢血の RNAseq 解析ではもっとはっきりした傾向があり、例えばインターフェロンや自然免疫に関係する RNA は菜食で高い。逆に獲得免疫に関わる RNA はケトン食で高いと言った具合だ。
一方で、血清中蛋白質を網羅的に調べるプロテオーム解析では、それぞれに特徴的な差があるにはあるが、変化は大きくない。強いて言えばケトン食では肝臓だけでなく、様々な臓器由来蛋白質の変化が見られる。
食で直接影響を受ける細菌叢もそれぞれ独自の変化を示す。多様性などに変化はないが、細菌種に変化が見られる。この研究で用いられたケトン食は、低炭水化物、高脂肪、高蛋白質になっており、便中の代謝物を調べると、高タンパク食であるにもかかわらず、ケトン食では様々なアミノ酸が低下している。一般的にケトン食では細菌の代謝が低下しているように見られるが、これは菜食が多くの植物繊維を含むからかも知れない。
これとは逆に、メタボローム解析から、ケトン食では血清のアミノ酸の量が上昇するのがわかる。さらに、脂肪酸を調べると、当然のことながら不飽和脂肪酸が菜食で多く、ケトン食では飽和脂肪酸が高まっている。この結果はケトン食の設計をするとき、高脂肪を植物由来の脂肪を増やすと良いことを示唆するように思う。
結果は以上で、ではなぜこのような変化が起こるのかについては追及されておらず、また被験者数も少ないので、一般化できるかどうかはわからない。元々ケトン体には様々な急性効果があることが知られているので、納得できるのだが、これほど急性の効果が、特に菜食にあるのには驚いた。食に関してはほとんど個人の思いつきで議論されることが多いので、このような地道な研究の積み重ねの重要性は高い。
2024年2月6日
CRISPR/Cas システムは一般的に遺伝子編集機構と考えられているが、基本は外来遺伝子をクリスパーアレーに記憶して、同じ遺伝子が感染したときにキャッチして除去するシステムと考えればいい。従って、外来遺伝子を除去するためのエフェクターであるCasシステムは現在もなお多様化している。
このなかの Type III と分類されるシステムは、非特異的に RNA など一本鎖核酸をズタズタにする Cas7 や Cas10 分解酵素を持っている。すなわち、外来遺伝子に限らず核酸を分解するため、核酸を分解すること以外の目的が存在すると考えられてきた。特に、Cas10のPalmドメインには環状核酸を合成する活性があることから、これをシグナル分子として使っている可能性が追求され、いくつかの面白い経路が特定されている。
今日紹介するオランダ、ワゲニンゲン大学からの論文は、Haliangium ochraceum 粘液細菌類の CRISPR/Cas10 に続いてコードされている SAVED-CHAT遺伝子以下、5種類の遺伝子の機能を調べ、この系が、我々の細胞が Caspase3 によりアポトーシスを誘導するのと同じような、細菌のアポトーシス誘導システムであることを明らかにした研究で、2月2日号 Science に掲載された。タイトルは「Type III-B CRISPR-Cas cascade of proteolytic cleavages(IIIB型クリスパー/Casは蛋白分解カスケードのスイッチを入れる)」だ。
この研究では Haliangium ochraceum の type III B クリスパーシステムが SAVED-CHAT や PC-σ、そして細胞死誘導に関わると思われるPCカスパーゼを含んでいることに注目し、これら遺伝子の機能を詳しく調べている。この領域にはもう一つキナーゼ活性を持つと考えられる PCk も存在するが、これについてはほとんどタッチしていない。
まず、SAVED-CHAT が Cas10 により合成された環状ATP(cA) をシグナルとして、蛋白分解連鎖の始まりとなることを調べている。すると期待通り、cAで活性化された SAVED-CHAT は、同じオペロン内の PCaspase を見事に切断する。
さらに、SAVED―CHAT により切断され活性化された PCaspase は、同じオペロン内の PC-σ と PCi を分解することもわかったが、これは特異的な反応ではなく、PCaspase が非特異的に様々な蛋白質のアルギニン部分を切断することがわかった。すなわち、SAVE-CHAT/PCaspase システムは Cas10 が合成する cA で活性化されると、細胞内の様々な蛋白質を分解することがわかった。とすると、最も考えられるのは、外来遺伝子の伝搬を防ぐため、細胞死が誘導されることだ。
これを確かめるため、CRISPR/Cas10 とともに、SAVED-CHAT/PCaspase を別々に大腸菌に導入し、外来遺伝子を感染させスィッチを入れると、外来遺伝子が感染した細胞だけが細胞死に陥ることを確認し、このシステムが細胞自体を守るのではなく、逆に細胞死を誘導して集団を守る働きがあることを示している。
他にも、構造学的に SAVED-CHAT が cA で活性化するメカニズムや、同じく PCrisper で分解された Ciがこの反応を抑制することなどを明らかにしているが、割愛する。要するに、クリスパーシステムは外来遺伝子の分解に加えて、細胞死を誘導するシグナルを入れることで、感染の伝搬を防いでいる系を作り上げおり、我々の自然免疫と細胞死の一体化されたメカニズムのルーツがここにあることがわかる。
2024年2月5日
私たちの身体で働く分子の中には、ウイルスがコードする分子を拝借したケースがあることが知られている。神経細胞でシナプス形成に関わるArc分子はその典型で、Ty3レトロトランスポゾンの Gag蛋白質と相同性があり、実際神経細胞内に存在するRNAを取り込んだウイルス様粒子を形成し、他の細胞へ伝搬させることが知られている。
今日紹介するユタ大学からの論文は、同じTy3由来と考えられる神経細胞分子PNMA が、Arc と同じようにウイルス様粒子を形成して細胞外に分泌され。これが一種の自己抗体を誘発して認知症を誘導するというシナリオを示した、ちょっと恐ろしい研究で1月31日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「PNMA2 forms immunogenic non-enveloped virus-like capsids associated with paraneoplastic neurological syndrome(PNMA2は免疫原性の強い非エンベロップ型ウイルス様粒子を形成し、ガンに随伴する神経症状を誘発する)」だ。
PNMA2 は、Paraneoplastic Ma antigen の略で、文字通りガンに随伴しておこる神経症状の患者さんの抗体が認識する抗原(Ma)のことで、神経細胞で発現しているのはわかっているが、一種の自己抗体を誘発する以外の機能はわかっていない。
この研究では PNMA2 がなぜ Ma抗原に対する抗体を誘導するのか、またそれが神経症状を発生するまでのメカニズムを探っている。
まず、PNMA2 は哺乳動物の進化過程で Gag抗原の一部が DPYSL2遺伝子近くに挿入され、この遺伝子のプロモータを発現に使うようになったこと、その結果海馬で強い発現が見られることを明らかにしている。
次に大腸菌で合成させた PNMA2 を電子顕微鏡で解析、ヒトPNMA2、マウスPNMA2ともにHIVに似たウイルス粒子を形成すること、また皮質神経の培養上清を精製すると、同じような粒子が特定されること、そしてこの粒子はエンベロップでくるまれずに細胞外へ排出されることを確認している。
次に粒子形成が出来ない変異を導入したPNMA2分子を設計し、細胞外への PNMA2分泌には粒子形成が必要であることも明らかにしている。
この粒子5マイクログラムをマウスに注射すると、アジュバントなしに強い抗体産生を誘導し、特に粒子表面でスパイクのように突き出た5‘末端部に対する抗体が誘導される。この強い免疫原性のメカニズムを探ると、PNMA2粒子が樹状細胞に取り込まれると、成熟を誘導し、T細胞刺激に必要な共受容体分子とともに、炎症性サイトカイン分泌を誘導する結果であることを示している。
最後に、PNMA2粒子に対する抗体をマウスに注射すると、認知機能の低下が見られること、しかし神経実質に対する免疫細胞の浸潤は見られないことを示し、例えばシナプス機能を直接阻害するような抗体が誘導される結果であることを示している。
最後の症状につながるメカニズムは明らかになってはいないが、1億年前にウイルス分子を自己として取り込んだ結果の、自己と他かの区別がつかないような免疫病が存在することがわかった。
2024年2月4日
子供は1歳前後で言葉を覚えだし、2歳までに300語程度の単語を理解するようになる。そして、その後、砂が水を吸い込むようにボキャブラリーを含む言語能力が指数的に高まる。例えばドイツ語圏で子供は2-3歳で格変化を正しく使って話せるようになる。このように、子供の言語学習過程は、言語の構造を知るための鍵で、これまでは子供の発話パターンを中心に研究されてきた。例えばチョムスキーの生成文法や普遍文法のアイデアはこのような観察に基づいている。
しかし、発話パターンは子供の学習結果で、肝心の脳内での学習がどう行われているかは実験のしようがないと考えられていた。しかし人工知能はこれを可能にし始めている。すなわち、子供の体験をインプットとして人工知能を学習させることが可能になってきた。
今日紹介するニューヨーク大学からの論文は、頭にカメラを装着して視線の先を撮影するとともに、その時子供が聞いている言葉を記録したスナップショットを人工知能に学習させたとき、言葉を学習できるかどうか調べた研究で、2月2日号の Science に掲載された。タイトルは「Grounded language acquisition through the eyes and ears of a single child(一人の子供の目と耳を通して獲得される基本的言語)」だ。
ChatGPTを使うようになってから、いつかこの大規模言語モデルは、私たち一人一人の経験を記録したアバターとして利用される日が来ると確信しているが、その始まりを感じさせる研究だ。
ビデオカメラを目として一人の子供の視線の先を記録し、その時の子供が聞く音を記録し、1-2秒の画像と音のスナップショットをまず作成している。16時間ぐらいの記録で、最終的に60万イメージと、38000の短い文章を採取し、画像と文章を連結されたスナップショットを人工知能に学習させる。
一般的な教師付学習では、一つ一つの画像にアノテーションをつけて学習させるが、この研究ではContrastive learning と呼ばれる方法を用いて学習させている。実際、子供が目で見たときに聞いている音は「これは何々ですと」というラベルがあるわけではない。見ている対象に関係する様々な内容、すなわちラベルなしデータを学習していることになる。従って、Contrastive learning を用いるのは納得できる。
こうしてラベルなしContrastive 学習させたモデルは、画像からそれに対応する単語を答えることが出来るか?
勿論普通のラベル付き学習と比べるわけには行かないが、人工知能は画像とともに聞いた音の関連性から、6割の対象については正しい単語を示すことが出来ている。
しかも、一種のカテゴリー化も出来ており、全く同じ画像でなくとも異なる種類の蝶々やボタンといったアイテムを、ボタンとして答えることが出来る。
言語発達研究に人工知能を用いる最大の利点は、知能の内部の解析が行えることで、例えば経験した画像と単語の関係を分析することが出来る。この結果、例えば「車」と「道」という単語が比較的近接したベクトル空間に存在していることがわかる。逆にこのようなスナップショットだけでは「手」と「オモチャ」と言った関係性を整理するのが苦手なこともわかる。さらには、ビジョンマップなので、単語と関連させてどこを見ていたのかも解析出来る。これにより、ボールという言葉と、視線上のボールが一致していることも確認できる。
結果は以上で、要するに、聞いた文章を画像とともに記録する中で、人工知能の中にコンテクストが形成できている。個人の体験を人工知能に移して、その解析から個人の脳内過程を知るための研究が可能なことを教えてくれる論文だ。驚くのは子供の体験時間から言えば本当に短い時間での体験だけで、ここまでの言語が獲得できる点で、今後連続的時間の記録が可能になれば、さらに面白い研究が可能になる。
ChatGPTでは自然言語だけ、すなわち我々の脳内を一度通ったデータばインプットととして使われているが、マルチモーダルな埋め込みでの学習法開発が進んでおり、よりより人間の体験を今後学習させられるようになると、脳の解析が難しい実験は人工知能に移して調べることが普通になるだろう。
こんな面白い時代までなんとか生きることが出来ている喜びを感じる。
2024年2月3日
昨日に続いて、今日、明日と言語に関する論文を紹介する。今日は手話の系統樹だ。
手話が体系的に作られるのは近代に入ってから聾唖の子供達が学校に集められるようになってからで、多くは自然に発生してくる。手話が自然発生する過程が最も詳しく研究されたのは、ニカラグアの聾唖ストリートチルドレンが集められた施設で発生したニカラグアの手話で、我々人間が一定数集まると言語が自然発生することの証拠と考えられている。ただ、完全に自然発生するのは稀で、多くの場合聾唖学校が設立され、自然発生的手話が体系化されるという経過を辿ることが多い。
今日紹介する論文が対象とする手話は、音に対応させた手話とは異なり、例えば日本には日本語対応手話と日本手話が存在するが、日本手話の方にあたる。手話は各国に存在し、それぞれの関係については歴史的記述に基づいて記述されているが、言語のようにコンピュータを用いた解析はほとんど行われてこなかった。
今日紹介するワシントン大学からの論文は、手話をコード化して、19カ国の手話の系統樹をコンピュータに描かせようとした論文で、2月2日号の Science に掲載された。タイトルは「Computational phylogenetics reveal histories of sign languages(コンピュータによる系統樹により手話の歴史が明らかになる)」だ。
この研究の核は手話で使われる100の単語を、1)利き手、2)手の形、3)手の場所、4)動きをもとにコード化し、類似性をコンピュータで計算させることでそれぞれの系統樹を書かせることだが、この方法部分は私の理解を超えているので、結果だけを紹介する。
要するに、各国で現在使われている手話の系統樹が描けたということが重要だ。系統樹は、アジアとヨーロッパで完全に分離している。すなわち、元になった共通の自然発生手話が全く存在しないことを示している。この理由についてははっきりしないが、少なくともアジアの手話にグループとしての一定の共通性があるということは、さらにルーツを遡る重要性を示している。
解析されたアジア4カ国の手話は、中国/香港型と日本/台湾型に分かれる。手話が音や文法とは独立して形成されるとしても、日本と台湾が同じグループというのは不思議に思う。この論文には各国手話形成の歴史についてのサマリーもついており、これによると台湾の手話は、日本人の教育者の影響下で形成されたようだ。すなわち、ゲノムと同じようにコンピュータ系統樹を歴史と対応させることもできる。とすると、韓国も入れた比較は面白いと思う。
ヨーロッパ各国は1700年代に聾唖学校を設立し、これが手話成立のきっかけになっている。例えば、ドイツ、オーストリア、チェコ、あるいはエストニア、ラトビア、リトアニア、ウクライナ、ロシアが一つの系統に分類されるのは、歴史的経緯を反映しており、コンピュータ解析の妥当性をよく示している。
しかし、アメリカ合衆国と、イギリス/ニュージーランドグループが完全に分離しているのは面白い。すなわち、手話が体系化されるまでに国として別れると、同じ言葉を話していても、全く別の手話が発生することを示している。
さらに、同じルーツであっても、離れて発生すると、独自の変化を遂げることも言語と同じで、日本と台湾、あるいは英国とニュージーランドの手話を比べるとわかる。
結果は以上で、例えば完全に独立した手話と言える、イタリア、フランス、スペイン、ポーランド、アメリカなどを、もう一度脳科学を含む新たな視点から見直すことは言語の発生条件を知る意味で面白い。
最初に述べたように、手話は歴史が新しい点で、言語の発生を理解するために貴重な材料になる。現在使われているような体系化が起こる前には、より小さな集団で、聾唖者と正常とのコミュニケーションに使われた手話が存在し、また遺伝的に聾唖の多い地域、例えばアラブのベドウィン手話や、奄美大島の古仁屋手話なども存在する。コンピュータが導入されたことで、今後これらの統合的研究が加速すると期待する。
2024年2月2日
私たちが話しているとき、まず話したい内容に合わせて単語を並べるが、その単語は子音や母音が合わさったシラブルと、音素と呼ばれる(調子やイントネーションまで含んでいる)音の最小単位が組みあわせられる。
この作業を次から次へと出来る脳の仕組みが存在する言うことが驚きだが、21世紀はその驚きのメカニズムが明らかにされると思う。特に大規模言語モデルの能力を比較することが可能になった今、大きな進展が期待できる。ただ、そのためには感知から発話までの様々な過程の脳活動を記録していくことが必要になる。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、単一神経の活動を記録することが出来るクラスター電極を運動野に挿入した患者さんが、自然に話している時、発生した言葉の要素に対応する神経細胞を記録した研究で、1月31日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Single-neuronal elements of speech production in humans(人間の発話に関わる単一神経要素)」だ。
この研究では、細い一本の針に接触している異なる神経細胞の活動を拾うことが出来るクラスター電極を設置した患者さんで実験を行っている。実際には、自然に話してもらった時の、発生された文章を音素、シラブル、そして形態素(表現最小単位)に分解、これに対応する神経活動を拾っている。すなわち、考えた文章を音素、シラブル、形態素が集まる言葉として発話に至るまでの神経過程を解析した膨大な研究で、詳細は全て省いて、いくつかの重要な点を箇条書きにするが、発話を単一細胞レベルで調べられること自体が驚くべき話だ。
- この研究では、4000語の発話過程200あまりの神経を弁別して記録できているが、驚くのはこの小さな領域に、例えば全ての子音の発生と相関する神経が存在している点だ。言語のような複雑な研究では、広い範囲での記録が必要だと思うが、小さな領域にこれほどの多様性が備わっているのに驚く。
- 勿論発話に関わる神経の興奮は、実際の発話より前に起こるが、音素の指令に関わる神経は、音素の構造のプランにも関わっていることが時間差からわかる。そして、これらの要素から発話された内容を推定できる。
- 音素発話に対応する神経の一部は、話を聞いているときにも反応するが、これらは言葉のプランニングで反応する神経とは全く異なる。すなわち、発話とヒアリングは相互に補完してはいるが、全く別のプロセスであることがわかる。
- シラブルと音素の関係が異なっている単語の発話過程の解析から、シラブル、そして形態素に特異的な神経も存在し、発話のプランニング時に活動していることが明らかになった。
- これらの神経の活動ピークを並べると、形態素に対応する神経興奮の後(-400ms)、音素に対応する神経(-160ms)、そしてシラブルに対応する神経興奮(-70ms)と続いている。
- さらに、それぞれの要素に対応する神経は、空間的にもある程度まとめられており、早い反応を可能にしている。
以上が主な結果で、これから何を考えるか、それぞれの自由な世界が開かれていると思う。例えば言語に続いて文字が形成される過程をかぶせるのも面白いかも知れない。というのも、ほとんど母音を表記しないフェニキア以前の表音文字が、アルファベットで全ての音を表記できるようになる過程や、我々のようにシラブルを文字にするまでの過程を理解するにも、ひょっとしたらこのような研究が大きなヒントを与えてくれる気がする。
単一神経の記録は、AIのニューラルネットの各要素での反応を記録するのと同じで、おそらく大規模言語モデルでもそんな実験が行われると思うが、これと比べるのも面白い。次に何が出てくるか楽しみだ。
2024年2月1日
補体は主に肝臓で作られ、抗体によって、時にはオルタナティブ経路で活性化され、バクテリアや細胞に穴を空けて傷害するというのが一般的な理解だが、最近では様々な細胞が補体成分を合成し、局所で働くことが知られるようになってきた。中でも面白いのは、補体が神経シナプスの剪定に関わり、この異常がアルツハイマー病や、統合失調症に関わるという話だ(https://aasj.jp/news/watch/5056)。また最近紹介したように、腸管感染防御に母乳由来の補体成分が関わるという話も(https://aasj.jp/news/watch/23772)、意外な場所で補体が作られ、抗体を介さず感染防御に活躍していることを示している。
母乳内の補体成分の役割について紹介したのが1月23日だが、1週間しないうちに同じ Cell からハーバード大学のグループが発表したのが大人の腸内で合成され働いている補体成分の研究で、1月26日にオンライン掲載されている。タイトルは「Gut complement induced by the microbiota combats pathogens and spares commensals(細菌叢により誘導される腸内の補体成分は病原菌と戦い常在菌を保全する)」だ。
補体の合成される細胞や場所を特定する試みが広く行われているようだが、この研究では便中の補体C3成分無菌マウスではほとんど存在しないこと、さらにSPFマウスの細菌叢移植で誘導されることに着目し、まず腸内のC3の由来を探索している。
C3遺伝子に蛍光マーカーをノックインしたマウスや Single cell RNA sequencing を用いた検討から、従来想定されてこなかったストローマ細胞が最も多くのC3を発現していることを明らかにしている。また組織内での遺伝子発現も調べ、大腸では粘膜下でリンパ球が集合している領域の間質細胞で特に強い発現が見られることを明らかにしている。
C3合成の誘導に関しては、マウス側のバクテリア感知システム(Toll like receptorなど)のノックアウトマウスを用いて、TLR4/Myd88経路が主に働いており、このシグナル系を刺激できる最近は、グラム陰性陽性を問わず、C3誘導能があること、なかでも Prevotella属に誘導能力が高いことを示している。
次に腸内でのC3の機能を調べ、母乳中のC3についての論文でも用いられたマウス腸炎を誘導するバクテリア Citrobactor rodentum 感染を抑える働きがあること、そして細菌傷害メカニズムは細胞壁にC3が結合することで、白血球に貪食され、除去されることを示している。
以上が結果で、母乳による感染防御では、全ての補体成分が細菌にとりついて穴を空けることで細菌を傷害していたのと比べると、大人の腸管では他の補体成分の合成がないため結局白血球の貪食能力に頼っているようだ。
以上が結果で、補体だけで感染防御の最前線を担っていることは間違いない。
2024年1月31日
通常アルツハイマー病(AD)は、遺伝的要因が強いグループと、特別な遺伝性が明確でない散発的グループに分けられるが、最近になって医療で使われた材料に紛れ込んでいたβアミロイドがプリオンのように伝搬して発生するケースが存在することが指摘されるようになってきた。
多くの報告があるのは、子供の頃の開頭手術時に、死体由来の硬膜が使われたケースで、この場合はCerebral Amyloid Angiopathy(CAA)と呼ばれる血管にアミロイドが沈着するタイプで、一般の AD とは全く症状が異なる。
ところが今日紹介する英国医学研究センターからの論文は、小児期にさまざまな理由で、ヒト下垂体から調整された成長ホルモンを投与された中に、CAAとは異なる脳内実質にアミロイドβ が沈着する AD が発生する可能性を示した研究で、1月29日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Iatrogenic Alzheimer’s disease in recipients of cadaveric pituitary-derived growth hormone(死体由来の下垂体から調整した成長ホルモン投与に起因すると考えられる医原性のアルツハイマー病)」だ。
このグループは、以前成長ホルモン投与に起因すると思われるプリオン病で亡くなった患者さんが βアミロイド沈着を併発していることに気づいて、βアミロイドもプリオン型になると AD を起こすのではと研究を進め的ている。
今回は2017年から2022年に AD と診断された患者さんで、様々な理由で成長ホルモン治療を受けていた8例を特定し、報告している。
まず成長ホルモンだが、8例全てで様々な調整法で抽出されるなかでも、Wilhelmi or Hartree modified法を用いて大量に調整されたバッチを使っていることがわかった。
散発的ADと比較したとき、まず発症が38歳から56歳と若い。一方、成長ホルモン治療後の経過時間は33-44年と比較的狭い範囲で起こっており、成長ホルモン治療に起因する可能性を示唆している。
症状では、健忘に加えて行動異常、遂行障害、さらに言語障害が早くから現れる点で散発的ADとは異なる。
また剖検例でみると、新皮質に広くアミロイド斑が見られケース、あるいは脳全体に広くアミロイド斑が見られるケースが特定され、ADでの特徴的分布とは明らかに異なる。
以上が結果で、論文の多くの部分を成長ホルモン以外の原因は考えられないかについての議論に費やして、最終的に今回示されたケースは特別な方法で人間の下垂体から抽出された成長ホルモンが原因であると結論している。
我が国でも死体由来の成長ホルモンは使われた時期があるが、どの抽出法化までは把握していない。ただ、プリオン病の発症の報告がないと言うことで、問題にされていないが、これとは別に AD 発症の可能性があると、一度調べ直すのも重要かと思う。
2024年1月30日
今日は完全に専門的な話になることを断っておく。そもそもTwistの謎と言ったタイトルは一般の方には何のことかわからないと思う。一方で、発生学、特に神経堤細胞から様々な間葉系細胞の発生に関わる研究分野では、この分子を知らないと“もぐり”といわれても仕方がないほど重要な分子だ。かくいう私も常に興味をひかれていた。ただ現役時代でもその理解度は低く、SnailやSlugと同じで、上皮間葉転換に関わる、すなわち神経上皮から神経堤への分化過程のマスター因子ぐらいの理解でとどまっていた。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、私のTwist分子に関する理解を改めてくれた研究で、上皮間葉転換と言った単純な話ではなく、多くの遺伝子の調節領域と転写因子の特異性を調節する因子として働いているメカニズムを明らかにしており、最近読んだ転写機構についての研究では最も感動した。1月22日 Cell にオンライン掲載され、タイトルは「DNA-guided transcription factor cooperativity shapes face and limb mesenchyme(DNAによりガイドされた転写因子の相互作用が顔と四肢の間質細胞を調節する)」だ。
この研究は、発生学者なら誰もが感じる単純な疑問からスタートしている。すなわち、発生に関わる重要な転写因子は bHLH分子 とホメオボックス分子で、それぞれ E-box(EB)及びホメオドメイン(HD)と呼ばれるゲノム上の配列に結合するが、このような配列は無数に存在するだけでなく、結合するそれぞれの転写因子も一つの細胞の中で複数発現している。とすると、特定の発生に必要な調節領域だけをどのように選べるのか不思議に思う。
これに対し、発生で働いている転写調節領域はいくつかのドメインが隣接して存在しており、これにより複数の転写因子が共同することで特異性が保証できるのではと考えられてきた。
この研究では、神経堤由来間質細胞で働いている転写調節領域の中で、HD と EB が隣接している Coordinator motif が存在し、特に顔の形成にかかる間質細胞での活性が、人間とチンパンジーで大きく違っていることを見いだしていた。そして、アセチル化ヒストン結合から見られるこの領域のエンハンサー活性が、神経堤から間葉系への発生で最も高まることを明らかにした。すなわち人間とチンパンジーの顔や頭の形の違いは、この領域の活性の変化に由来すると考え、この部位に結合する転写因子の特定から始めている。
すると神経堤から間質系細胞への分化過程で発現する転写因子の中でトップにランクされたのが Twist分子で、これに続いてホメオボックス分子や bHLH分子も分子が特定されてきた。
ここでひらめいたのが、Twistにより bHLH とホメオボックス分子の相互作用が調節される可能性で、Twistと一緒に Cordinator 領域に結合する分子を調べてみると、いくつかのホメオボックス分子と TCF のような bHLH分子が特定され、仮説が正しいことが証明された。
そこで、ES細胞から神経堤由来間質細胞を誘導して、その細胞の中で Twistを人工的に分解する実験を行い、これによる転写因子の結合変化と、 Cordinator 領域のクロマチン変化を調べると、Twist がなくなると1時間でホメオボックス分子の結合が消え、その結果クロマチンが閉じて、エンハンサー活性が低下することを明らかにしている。
そして、今度はホメオボックス分子を分解させる実験と、Twist と結合するホメオボックス、bHLH そしてDNAの構造解析から、Twist と bHLH のDNAへの結合がホメオボックス分子が参加することで安定化することで、Cordinator のエンハンサー活性が転写因子特異的に調節されていることを明らかにしている。実際にはTwistが調節しているCordinator部位は数千存在するため、様々な親和性でそれぞれの領域を調節することで、間質細胞の移動や分化を調節し、顔、四肢、そして脳の形まで調節していることになる。
最後にこの Cordinator と Twist+ホメオボックス分子の結合で顔や脳の形態が実際に決定されている可能性を、顔や脳の形と相関する Twist 及び Twist と結合するホメオボックス分子の遺伝子多型、さらにはこれらが結合するCordinator領域の多型を例に検証している。
以上が結果で、ゲノムレベルのモチーフ解析から、最後は多型を利用した発生への影響検証まで、まさに重厚な発生と転写の研究で、現代の転写研究のあり方を示す見本になると思った。
2024年1月29日
蛋白質の三次元構造の予測が簡単になったとは言え、特定の蛋白質の機能をデザインすることは簡単でない。代わりに、機能を変化させたい遺伝子に突然変異を導入し、その中から目的の機能が達成された突然変異分子を特定する方法がある。すなわち、ダーウィン進化を用いる方法だ。
ただ、増殖速度の高い大腸菌とはいえ、導入した遺伝子だけに高率に変異を入れることは難しいため、変異が蓄積した遺伝子を特定するのが難しくなる。代わりに、大腸菌の増殖システムから独立したファージなどを用いて変異を導入することが行われており、最も有名な例がファージディスプレイを用いて抗体遺伝子を進化させる方法だろう。ただ、ファージに導入できる遺伝子の大きさはどうしても限られる。
今日紹介する英国ケンブリッジのMRCからの論文は、ファージシステムを借りつつ、線状DNAが独立に大腸菌内で増殖するシステムを作り、このDNAだけに変異を蓄積させる方法を開発し、様々な遺伝子の進化を加速させることに成功した研究で、1月26日号 Science に掲載された。タイトルは「Establishing a synthetic orthogonal replication system enables accelerated evolution in E. coli(ホストから独立した合成複製システムは大腸菌内での進化を加速する)」だ。
大腸菌複製から独立した線状DNAの複製システムの代表はファージだが、感染のために多くの遺伝子をコードしており、外部の遺伝子を導入する余地が少ない。そこで、ファージの複製システムに必要な4種類の遺伝子を大腸菌ゲノムに導入し、必要なときに転写を誘導できるようにした上で、この酵素が働く複製開始点を両端に持った遺伝子を作成し、さらに線状DNAが分解されるのを防ぐためのファージ由来RNA分解酵素阻害分子も導入している。
勿論、段階的に必要な条件をクリアする実験を繰り返した結果だが、最終的にエレクトロポレーションで導入した 20kb 近い線状DNAが大腸菌内で安定的に維持される系を作り上げている。
勿論選択がないと、外来のDNAは複製とともに脱落するが、カナマイシン耐性遺伝子を持つ線状DNAでは、カナマイシンさえ培地に加えておけばほぼ無限に遺伝子を維持することが出来る。
重要なことはファージ由来の4つの遺伝子の突然変異発生確率は、大腸菌の持つ複製システムの1000倍近くあり、しかも開始点の特異性から大腸菌の複製には全く関わらない。その結果、大腸菌のゲノムはそのままで、線状DNAの変異を短時間で蓄積させることが出来る。
これを利用すると、カナマイシン耐性遺伝子に変異を蓄積させ、なんとこれまでの方法で進化させることに成功した耐性能力のなんと100倍の耐性を発揮する新しい変異を特定している。
そこで同じ方法を蛍光蛋白質GFPに適用して、従来の蛍光強度を何千倍にも増幅することが出来ることを示している。
以上、機能を大腸菌内でテストできる方法さえあれば、今存在する蛋白質の機能をさらに進化させられる新しい合成生物学ツールが完成出来た。期待したい。