1月31日:公的バンクへ預けたデータは預けた個人の自由なアクセスを補償すべき(1月24日号Science誌掲載の意見)
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1月31日:公的バンクへ預けたデータは預けた個人の自由なアクセスを補償すべき(1月24日号Science誌掲載の意見)

2014年1月31日
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私は21世紀文明の柱の根幹の一つはゲノムだと考えている。なぜそう思うかについては、「21世紀ゲノム文明」に詳しく述べようと現在奮闘中だが、様々なゲノムデータベースの充実や、考古学や歴史学がゲノム解析と融合して新しい科学へと変化していく様を見ると、書かなければならない事が増えて焦ってしまう。現在進む個人ゲノム解読の先には、ゲノムも含めた個人の情報が蓄積された途方もないビッグデータが生まれる。我が国でも、このビッグデータをどう扱うのかと同時に、セキュリティーやプライバシー保護といった新しい倫理問題についても議論が始まっている。先週号のScience誌にバンクのあり方について核心をついた意見がでていたので紹介する。ハーバード大、アムステルダム大、ロンドンキングスカレッジの研究者の発表した共同意見で、「Raw personal data:providing access (生の個人情報:アクセスの提供)」がタイトルだ。意見は明確で、私たち個人が医学研究に提供した材料から得られるゲノム情報などの全ての情報は、提供者に自由に利用させるべきだと言う主張だ。もちろん自分でお金を払ってゲノム解読を依頼するサービスの場合には、これは当たり前だ。しかし公的なバンクになると様子は違っている。例えば我が国では、患者さんとデータが連結されていたとしても、患者さんのリクエストに応じてその人のデータを提供しない事を納得した上での協力を要請している。しかし例えば提供組織からゲノムが読まれてそれがバンクに保存されている場合、研究用のデータとしてだけではなく、提供者個人にとっても貴重な情報になることは間違いがない。Scienceに掲載された意見では、提供者が自分のデータに自由にアクセスできる事の積極的な意味を提示している。1)全体の中の砂粒でしかない個人データにアクセスできると言う事だけで透明性が上がり、研究する側もデータ改変などがしにくくなる。2)研究者と研究対象者の対称性が確保され、この新しい関係から複雑な人間の病気や性質に関する新しい科学が生まれる、3)研究対象者が自分のデータを見る事で、何を提供しそれが何に使われるかはっきりと知る事が出来るため、自分で研究参加への決断が出来る、の3点だ。もちろん研究の秘密厳守(例、2重盲検)、セキュリティー、ハッキングなど多くの問題がある。ただ、それを理由に提供者のアクセスを遮断するのではなく、逆にそれを補償するためのテクノロジーを開発して解決すべきと主張している。そして最後に、「生のデータにアクセスできる過程は、後で研究についての情報を貰う権利を確保する事とは全く別の話だ。どんなに包括的な情報を被験者が理解できるようにして提供したとしても、生のデータセットにアクセスできる権利を差し止める事にはならない」と締めくくっている。私もこの意見に完全に賛成だ。当分我が国ではこの様な議論が官やアカデミアからは生まれることはないと思い、あらゆる公職を辞して、民間からこの様なデータバンクを造れないか活動している。しかし、もし我が国政府やアカデミアがこの方向を真剣に目指すなら、もちろん協力は惜しまないつもりだ。
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1月30日:酸浴による体細胞リプログラミング(1月30日Nature誌掲載論文)

2014年1月30日
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メディアはこの話題で持ち切りだ。何人かの知り合いの記者からもコメントを求められた。自分の考えは全て自分のチャンネルを通してだけにしようと決めているので、メディアにコメントするのは全てお断りした。勿論このホームページ(HP)に書いた事を私の意見としてメディアに載せていただく事は、HPの宣伝にもなるので歓迎だ。さて、この論文については私も関係者の一人なので、まずそれを断っておく(神戸理研発生再生研究センター(CDB)に昨年まで在籍、現在も顧問)。意見にバイアスがかかるのを恐れ、これまでCDBの研究を取り挙げる事を控えていた。しかし小保方さんの論文への反響が大きいので、禁を破ってこのHPでも自分の考えを書き残す事にした。    この論文には私も思い出が深い。最初にこの話を聞いたのは仕事でイスラエルに滞在していた約1年半前の事で、メールでの依頼に応じて論文のレフェリーコメントにどう答えればいいのかなどボストンのバカンティさんと電話で話をした。その後帰国してから、若山研に寄宿して実験をしていた小保方さんと出会って論文についてアドバイスをした。話を詳しく聞いて研究の内容についてももちろん驚いたが、小保方さんと言う人物にも強い印象を受けた。特に最初の論文のドラフトを読んだ時、自分の気持ちをそのままぶつけた初々しい書き様に、普通の研究者とは違うことを確信した。その時と比べると、今回久しぶりに目にした論文は堂々とした成熟した論文に変わっていた。苦労が実ってよかったと我が事のように思う。    個人的感想はこの程度にして論文について述べよう。最初話を聞いたときと比べるとずいぶん進んでいる。新しく研究を支援した笹井さんや丹羽さんのアドバイスのおかげだろう。内容は、体細胞を酸性溶液に30分ほど浸けるだけで、ES細胞とは違う、おそらくESより未熟な段階の多能性幹細胞へとリプログラミングが誘導でき(リプログラムと言う非生理的状態について議論する場合未熟・成熟を云々するのは間違っているのかもしれない)、またこの未熟性のおかげで、このSTAP細胞からES細胞株や、これまで知られていなかった全能性の幹細胞株を、培養に加える増殖因子を変える事で樹立できると言う結果だ。面白いか?と問われると当然yesだ。大体、酸にさらすと言う発想は尋常ではない。また、増殖性の低い全能性幹細胞STAPと言う概念、さらにSTAPを起点とすると、これまで難しかった全能性の細胞株や、これまで知られている多能性幹細胞とは少し違った性質を持つ細胞株が出来た事もオリジナリティーに富む大きな貢献だ。ただ問題は、驚きが論理的な納得に変わらない点だ。おそらくこの点が論文採択までに苦労が強いられた原因だろう(新聞を見ると採択されず泣き明かしたとまで書いてある)。論理的に納得できるようになるには、この現象の背景にあるメカニズムを理解する必要がある。酸や他のストレスでエピジェネティック機構が影響を受ける事は私も想像できる。再現性の高い実験結果である事も十分示せていると思う。しかし、エピジェネティック機構の揺らぎが、なぜ全能性のネットワーク成立に落ち着くのかなど、納得できない点が多い。おそらく体細胞では厳密に押さえられている多能性遺伝子が、酸や様々なストレスで開放され、多能性の転写ネットワーク形成を自然に促すのだろう。Octなど多能性ネットワークの核になる遺伝子の決定力が他の分子を凌駕しているなら、あり得る話だ。まただからこそ、多くの多能性に関わる遺伝子が体細胞では絶対に発現しない様抑制を受けているのかもしれない。事実Octだけでリプログラムが進むと言う話はこれまでも報告されている。ただ、これは全て私の想像だ。いい仕事は更に多くの疑問を発生させる。   何れにしても小保方さんの結果により再認識させられるのは、どの方法でリプログラミングを誘導しようとも、リプログラミング自体が生理的な過程ではないことだ。事実、私たちのゲノムは30億塩基対という膨大な物だ。この30億塩基対のエピジェネティックな状態の細部を思い通りに制御するなど至難の業だ。このため、表面的な転写ネットワークは同じでも、リプログラムのされ方が異なる多様な状態が可能なのだろう。おそらく、今後も様々な状態の全能性・多能性の幹細胞が報告される事だろう。山中さんのiPSが火をつけた「誰でも簡単に試験管内で誘導できる体細胞リプログラミング」と言う革命はますます拡がりを見せている。    さて報道の方だが、安全で早い多能性幹細胞の新しい作成方法と言う点を強調した記事と、独特のキャラクターを持つ若い女性と言う小保方さんを強調した記事とに分かれているようだ。後者の記事は私も大歓迎だ。特に多くの女性が理系を目指すようになるのではと期待する。理研で独立研究者として小保方さんを採用したのは彼女が20代の時だ。慣例や階層性にとらわれずに組織さえその気になれば日本の女性はもっともっと活躍する。    一方、この方法がこれまでの方法より安全で役に立つと言う記事は願い下げたい。例えば樹立までのスピードを考えると、このHPでも紹介したJacob Hannaの全ての体細胞が7日でリプログラムできるという研究は論理的な説得力がある。更に強調したいのは、これまでの方法に基づく臨床研究実施が、我が国ではすぐそこまで来ていることだ。ここでどちらがいいかと議論を始めるとすぐ時間が過ぎる。おそらく、治療を心待ちにしている患者さんは間違いなく混乱しているはずだ。この領域は急速に進歩している。従って、新しい方法が続々生まれる事を最初から予想して、その時々の手順、指針、規制を常にアップデートできる方策を考える必要がある。最終的にどの樹立方法が選ばれるかは、将来リプログラミングが広く臨床に普及すれば、自然に消費者が決めるだろう。また、STAPだろうとESだろうと、そのまま移植する事はない。再生医学への応用で考えると、本当の勝負は大量に分化した細胞を調整する方法の開発だ。またこのHPで紹介した膵島を体内で維持するためのチェンバーのように、医療材料の開発により違ったレベルの安全性が実現されるようになるかもしれない。   メディアも競争について気になるなら、特許が日本かアメリカかを調べた方がいい。元々この仕事は小保方さんがバカンティ研で一人で始めた研究だ。ハーバードでもプレス発表があった。我が国独自の技術だなどと考えると、ぬか喜びになるかもしれない。もちろん、特許が全てアメリカに握られていたとしても、小保方さんを我が国にリクルートできた事の方が大事だ。優秀な人材確保は人口の減り続ける我が国に取っては急務だ。さらに、この仕事によってリプログラミングや多能性の研究に新しい展望が開かれた。なぜこんなことが起こるのか?リプログラミングの研究は加速し、私もこの現象を納得して理解できる日も近いだろう。幸い丹羽さんや若山さんなど、この分野のエキスパートが近くにいる。楽しみだ。   我が国の助成方針や報道の仕方を見ていて一つ懸念するのは、小保方さん自身が「ヒトSTAPの樹立を急ごう」などと臨床応用を目指した研究に移ってしまう事だ。幸い小保方さんを採用するときのインタビューで、彼女は私たち凡人の頭では思いつかない研究計画を提案していたので安心している。日の目を見なかったが最初のドラフトで「生への欲求は生物の本能だ」と、なぜ細胞にストレスを与える気になったのかの説明を始める感性は尋常ではない。彼女の様な人に自由にやってもらう事こそ我が国のためになる。小保方さんも是非国民の期待を手玉に取りながら、気の向くままに研究をして行って欲しいと願っている。
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1月29日慢性リンパ性白血病の抗体治療(1月26日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2014年1月29日
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ホームページでは出来るだけ治療法に関する大規模治験の論文を紹介したいと思っている。今日もその一つだ。高齢者に多い腫瘍の中には白血病がある。中でも骨髄異形成症候群(MDS)と慢性リンパ性白血病(CLL)は頻度が高く、ゆっくりとした経過をとるとはいえ根治が困難だ。この状況を打開しようと新しい薬剤の開発が続けられており、今日紹介するのは、CLL治療に使える新しい抗体薬の効果を確かめる臨床治験の結果を報告したドイツからの論文で、1月26日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。「Obinutuzumab plus chlorambucil in patients with CLL and coexisting condition (CLLとそれに併発する条件を持つ患者に対するObinutuzumab+chlorambucilの併用の効果)」がタイトルだ。研究では781人の患者さんが無作為的に3群に分けられ、これまでCLLに用いられるアルキル化剤(DNAを断裂させる)単独、あるいは抗CD20抗体との併用で治療を受ける。抗CD20抗体はrituximabと呼ばれ、既にCLLに高い効果を示す抗体薬として利用が進んでいる。今回の研究は抗体薬の効果を確かめる事が目的ではなく、この抗体に特別な糖鎖を加えて効果を高めた抗体薬Obinutuzumabとrituximabを比較するのが目的だ。治療効果の判定は、細胞や遺伝子検査で検出される白血病細胞が消失している期間を調べている。まず、両方の抗体とも、chlorambucil単独と比べると、白血病細胞なしで過ごせる期間は格段に伸びる。実際、治療終了後すぐに行われた検査でも、治療効果の高さははっきりしている。更に、新しい改変抗体を使うと、完全に白血病細胞が消える率がrituximab併用に比べて2.5倍以上になり、改変によって確かに効果が上がっている事が確認されたと言う陽性の結果だ。この研究では約3年後までしか追跡が行われていないので、更に長期の追跡を行う必要がある。それでもこの期間内で白血病細胞が消失した患者の割合が高い事から、長期に追跡すれば更に良い結果になるのではと期待が述べられている。製薬会社から見れば、そろそろ特許が切れそうなrituximabより効果の高い新しい抗体を開発できた事は将来のセールスを約束してくれるうれしい結果だ。もちろん、患者にとっても朗報だが、治療にどの程度のコストがかかるのか、いつ健康保険でカバーされるのかなど問題はある。また、血液細胞の減少や感染、注射に対する過敏反応は効果の最も高いobinutuzumabの方に高い頻度で見られたのも問題だ。ただ、副作用による死亡例はobinuzumabの場合が最も低く、全般的には対処可能な範囲で収まりそうだ。今回対象になった患者さんの平均年齢は72−74歳だった事からもわかるように、CLLは高齢者の病気だ。あと5年もすれば私も危険年齢に達するが、この様な結果を見ると励まされる。
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1月28日 聴診器のなくなる日(Global Heart誌12月号掲載)

2014年1月28日
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すこし古くなったが、12月号のGlobal Heartという心臓関係の雑誌に興味をひく編集者のコメントが出ていたので紹介する。「How relevant is point-of-care ultrasound in LMIC? (低開発国でのベッドサイドでの携帯型超音波診断装置はどれほど適切か?)」と言うタイトルで、最近市場に出回って来たポケットにも入る携帯型超音波診断装置が個人医師の必携器具になり、聴診器を医師のポケットから駆逐する日が近いかもしれないと占っている。私も不勉強で、超音波診断装置と言うと小さいと言っても高々パソコン程度の大きさかと思っていた。しかし、アメリカ陸軍の肝いりで、戦場でも使える携帯型超音波診断装置の開発が行われ、現在では大手GEヘルスケアを始めアメリカで幾つかの会社がポケットに入るサイズの超音波診断装置を数千ドルで販売している。我が国でも、コニカミノルタから同様のスペックの装置が販売されているようだ。コメントでは、アメリカ陸軍の期待通り、既にこの装置はpoint-of-care、診療現場になくてはならない機器になりつつあるらしい。先ず戦場や救急車、患者運搬リコプターなどに急速に軍で普及したようだ。コストが下がると普及は加速する。ハリケーン被災者や、ハイチ地震では、これまで他の機器が必要だった症例の半分以上の正確な診断に役立った。この結果を見て、WHOも設備が整っていない医療現場で最初に導入すべき装置であると勧告を出した。そして今や世界各地の難民キャンプではこの装置の使用方についての訓練が最優先に行われていると言う。この様な状況を見た上で、聴診器が発明されて200年になる今、ついに聴診器が医療現場から消えるプロセスが始まったのではと結論している。即ち携帯型超音波診断装置はそれほど破壊的ポテンシャルを持っているようだ。実を言うと、私が病院で働いていたときはまだ超音波診断自体が普及していなかった。超音波診断になれていない古い世代の私にとってもこのコメントは説得力があり、病院から聴診器が消える姿が想像できる。当然明日聴診器が消える訳ではない。ただ、初診時に極めて高い診断を可能にする安価な機器の利用法の教育は急務だ。この機器に聴診器機能を与える事は簡単だろうし、ウェアラブルにする事も出来るだろう。この様な機器は医師とともに使い易さを磨く事が商品競争力につながる。幸いまだ日本企業もこの分野でしっかり勝負をしているようだ。ひょっとしたらウォークマンのように世界中の家庭に普及させる事も出来るかもしれない。我が国の教育現場や、医療イノベーションでもこの状況が把握されているのか心配だ。
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1月27日がんのエクソーム検査はつらい真実も告げる(1月13日号Cancer Cell掲載論文)

2014年1月27日
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これまでがん細胞の持つ遺伝子の中で蛋白質へ翻訳される部位(エクソンと呼ばれる)のDNA配列を全て決定するエクソーム研究の急速な進展を紹介して来た。これはほとんどのがんが遺伝子の変化によって起こる事、そのため出来るだけがんについて知る事が治療戦略を練るのに役立つと考えるからだ。事実悪性黒色腫、乳がん、肺がんの一部などではエクソーム解析が治療戦略に役立つという勇気づけられる報告が相次いでおり、がんのエクソーム解析を20万サンプルまで行い、完全なカタログを造ろうと動きが加速している。しかし研究が進む事で、逆に一筋縄では行かない腫瘍が存在する事もまた明らかになって来た。元旦に自戒も込めて紹介した低グレードのグリオーマがその例だが、今日紹介する論文もがんの難しさを思い知らされる研究だ。ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学のグループが1月13日付けのCancer Cellに発表した論文だが、またボストンからかとため息が出る。タイトルは「Widespread genetic heterogeneity in multiple myeloma:implications for targeted therapy (多発性骨髄腫に見られる遺伝的多様性:標的治療に対する含意)」がタイトルだ。この研究では200を超す多発性骨髄腫のエクソームが調べられ、その中の17腫瘍についてはエクソームだけでなく全ゲノムを解読して、この腫瘍の発生に共通のメカニズムがないか調べている。多発性骨髄腫とは、抗体を造るリンパ球が最終分化した形質細胞の腫瘍だ。進行は比較的ゆっくりしているが、根治がなかなか難しい。12月8日にこのホームページで紹介したレナリドマイドなどが効果を持つ事が知られているが、更に多くの薬剤の開発が期待される。あまりに専門的になるので、結果の詳細について紹介する事は差し控えるが、この腫瘍の共通の弱点を見つけて治療すると言う点では、残念な結果が報告された。もちろん多発性骨髄腫でも他の腫瘍と同じ細胞の増殖に関わると思われる遺伝子の突然変異が見られる。その中には、黒色種の半分以上に見られるBRAFと呼ばれる遺伝子や多くのがんで見られるRAS遺伝子の突然変異も含まれている。ただ問題は、多くの患者さんで、一人の患者さんの中に既に違った突然変異を持つ数種類のがんが混じっており、共通の分子経路が見つけられない。結局、薬剤だけでは全ての腫瘍を殺す事が期待出来ない事になる。治療戦略を考えるため、この研究でも試験管内で薬剤の効果を調べる実験を行っているが、予想通り一部の腫瘍細胞にしか効果がない事が示されている。このように、腫瘍についてよく知る事が逆に治療の困難を予測する結果に終わることもある。科学は時に残酷だ。私見だが、それでも私はがんのエクソームを知る事は、何も知らずに治療を行うより大事だと思う。もちろん現在でも幾つかの遺伝子に狙いを絞って遺伝子検査が行われるようになって来た。ただ、エクソーム解析では情報のレベルが格段に違う。例えばこの研究でも、患者さんの中には共通の機序で発生した一種類の腫瘍だけしかない場合もある事が示されている。特定の遺伝子だけについて調べてこの分子の変異が見つかっても、他の全ての遺伝子まで情報が得られるエクソーム解析と比べると、他の遺伝子はどうなのか不安が残る。また、異なる突然変異が混じっている場合も、エクソーム全部がわかっていると、そのデータから薬剤を組み合わせる事で効果的戦略を立てる事が出来る場合もあり、実際そのような例がこの論文でも示されている。現時点では検査が失望に終わるとしても、腫瘍の事を出来る限り知る事は意味があると私は思う。現時点でエクソーム解析はまだ大きな大学でだけ可能な検査だ。また、現在50万円程度かかる検査コストも問題だろう。ただこの費用は普及が始まれば急速に低下することは間違いがない。私は余裕のある人から調べて行く事で、普及が促進すると思っている。このため、まだ自分でコストを負担する必要があるとは言え、希望すればこの検査を受けられるようにする事の意味は大きい。検査はDNA配列を決定すればそれで済む事ではない。配列に現れる意味を正確に理解するための情報解析が必須だ。この分野の人材が我が国には不足している。特に将来サービス提供の主体になる民間企業の人材についてはほぼ無いに等しい。私も公的な職は辞したが、民間セクターの確立のために努力したいと思っている。
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1月26日:朝日新聞記事(1月24日)「幹細胞周りにがん化防ぐ遺伝子 東北大などが発見」

2014年1月26日
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1月24日、カルテックDavid Anderson研究室の雄の攻撃性に関わる細胞についての研究を紹介したとき、ショウジョウバエの行動研究の開祖、ベンツァー、堀田のコンビに言及した。さて現代日本でショウジョウバエの行動学者と考えると、山本大輔さんが浮かんでくる。24日朝日新聞が紹介したのは山本さんの研究室からの研究で、サイエンスオンライン版に掲載された。「Btk29A promotes Wnt4 signaling in the niche to terminate germ cell proliferation in Drosophila (Btk29A分子はニッチ細胞でWnt4シグナルを促進してショウジョウバエ生殖細胞の増殖を止める)」がタイトルだ。タイトルからわかるように、この仕事は行動の研究ではない。山本さんは特に性行動を研究しているため、この現象に行き当たったのだろう。もし、日本では行動研究に対して助成を受けにくいためこの分野に研究を拡げたとしたら少し寂しい。とは言え、研究はショウジョウバエの利点を駆使したシグナル伝達経路を明らかにしたプロの仕事だ。現役時代私も幹細胞とそのニッチについて研究していたが、幹細胞分野でのショウジョウバエ研究の層は厚い。ハーバード大のLen Zonの呼びかけで国際幹細胞研究学会(ISSCR)の発足準備をしたとき、この分野の開拓者Allan Spradlingにもボードになってもらった事はもう昔の事だ。Allanの話を初めて聞いた当時は、ニッチと幹細胞の関係を明確に研究できるシステムはうらやましいと思った。朝日の福島記者が紹介した仕事は、卵巣構造の異常の突然変異の一つがBtk遺伝子の突然変異であると言う発見から始まる。この分子は抗体が出来ない無ガンマグロブリン血症の責任遺伝子である事がスウェーデンのSmithによって示された遺伝子で、彼もこの仕事の共著者になっている。Smithさんも私には思い出深い。熊本大学で、血液系の突然変異の遺伝子を見つける研究を行っていたとき、いつも会議で一緒だった。脱線したが、今回発見した突然変異ハエの卵巣では、分化が一つ進んだシストサイトと呼ばれる段階の異常増殖が見られる。同じ様な症状を示す突然変異が他の分子でも既に見つかっており、これを手がかりにBtkから生殖細胞増殖を止めるニッチ作用が発揮されるまでのシグナル伝達過程を決定した事がこの研究のハイライトだ。さて、朝日の福島記者の記事だが、シストサイトの増殖にだけ注目した記事になっている。これはBtkと単純にがんを関連づけて記事を書いた結果だ。確かに昨年Btkに対する標的薬剤がリンパ性白血病の治療薬としてFDAの承認を受けた。しかし、山本さん達が明らかにしたのは、Btk活性化が直接細胞のがん化につながると言う話ではない。記事にある様な単純な話なら、おそらくこの論文がサイエンスに掲載される事はないだろう。実際には、この分子が様々な発生過程で重要なWntシグナルに介入できる事を示した点が評価されたと思う。私が知る限り、Wnt経路が山本さんが示した様な形で増強されると言う研究はなかったと思う。今回示された可能性は、ヒトでのBtkやWnt機能の理解にもヒントになるかもしれない。記事はこの研究の最も大事なメッセージを無視して、読者に媚びた間違った記事になっている。メディアのこの様な扱いが、山本さん得意の行動研究が助成を受けにくい我が国の現状を反映しているとすると本当に残念だ。最後にまた繰り返す事になったが、朝日のデスクのつける見出しは今回もひどい。一般の読者は「幹細胞周りにがん化防ぐ遺伝子」等と聞いた時何を想像するのだろう。
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1月25日:学習の「後」のコーヒーは記憶の固定に効果がある。(Nature neuroscienceオンライン版掲載)

2014年1月25日
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コーヒーは世界中で楽しまれる最もポピュラーな嗜好品だ。このため、カフェインが記憶にいいか悪いか古くから議論されて来た。今日紹介する論文はこのカフェインの記憶に対する効果を、ボランティアーを集めて調べている。研究は薬剤の効果を調べる臨床研究と全く同じで、集めた被験者を無作為化し、カフェインと偽薬を与える無作為化2重盲検試験を行っている。Nature Neuroscience誌オンライン版に先週掲載された。ボルチモアにあるJohn Hopkins大学の仕事で「Post-study caffeine administration enhances memory consolidation in human(勉強後のカフェイン投与は人間の記憶の固定化を促進する)」というタイトルがついている。この研究では、被検者に、家の内外にある物の絵を見せながら内か外かのどちらかを判断させ、見た物を記憶させる。その後カフェインか偽薬を投与して自宅に帰らせる。次の日今度は1日目何を見たのかを判断する課題を行う。この課題では、最初に見せなかった絵や紛らわしい絵も混じっており、記憶の確かさをテストする。24時間後に施行するこのテストの結果は、記憶が固定されたかどうかに関わっている。答えは、カフェインを投与したグループは検査の成績が良いと言う結果で、記憶学習後カフェインは記憶の固定を促進する効果があると結論している。不思議な事に、この研究以前は、カフェインを記憶学習より前に投与する実験しか行われていなかったそうだ。この研究でも学習前にカフェインを投与する実験も行っており、促進効果は見られなかったと結論している。学習した後でのカフェインが記憶促進に役立つなら、コーヒー愛好家にとっては朗報だ。ただ水をさすようで申し訳ないが、幾つか問題もある。先ずコーヒー一杯に含まれるカフェインは大体100mgぐらいだが、この量では効果がない。すぐに2杯は飲まなければならない。もう一つは、「統計的な優位差」が実際に日常の記憶の差に反映されているのかはわからない事だ。いずれにせよ、学習の後に飲むのが大事なようだ。
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1月24日雄にしかない攻撃性に関わる神経細胞(1月16日号Cell 誌掲載論文)

2014年1月23日
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私たちの脳は単純な動物の神経システムから進化して来た。言い換えると最初に出来てしまった神経システムから完全に開放される事はなく、それを少しずつ変化させる事でしか今の形にたどり着けなかった。この事から、人間の行動の様な複雑な高次機能の基本形を下等な動物に求める事が出来るはずだと予想できる。この信念でショウジョウバエを用いた行動研究を始めたのが、セイモアベンツァーと堀田凱樹だが、若い研究者になると名前も聞いた事がないかもしれない。ただ、今日紹介する論文を読んで、この伝統がまだまだ健在である事を知った。研究はBenzer博士が行動研究を始めたカリフォルニア工大からで、西海岸の神経研究の大御所David Andersonの研究室に在籍する朝比奈さんが筆頭著者だ。何か堀田・Benzer時代を彷彿とさせる。論文は先週号のCellに掲載され、「Tachykinin-expressing neurons control male-specific aggressibe arousal in Drosophila (ショウジョウバエの雄だけに見られる攻撃性の活性化を制御するタキキニン発現神経細胞)」がタイトルだ。    雄特異的な攻撃性に関わる神経細胞を同定するために、このグループは行動に関わる神経伝達物質はペプチド性のホルモンだろうと狙いを付けた。そして、もしペプチドを作っている神経が興奮すると、ショウジョウバエの攻撃性が増すだろうと仮説を立て、ショウジョウバエに存在する20種類、それぞれのペプチドを作っている細胞に、遺伝子改変手法を用いて温度が上がると興奮する受容体を導入した。この実験からタキキニンを作っている神経を興奮させたときだけ攻撃性が上がることを発見した。タキキニンの一種であるP物質はヒトの攻撃性と関わっている事がこれまでの研究で知られている。まさにヒトとショウジョウバエがつながる予想通りの結果だ。さらにこのタキキニンを造っている細胞を調べてみると、雄だけで存在し、雌には存在しない。これまでもホルモンなどで雄化したり雌化したりして新しい神経が現れ行動に関わることが知られていたが、ここで発見されたのは発生過程で雄だけに出来てくる神経だ。更に多くの実験を加えて、この細胞がタキキニンを分泌して、行動につながる神経回路を全体的に活性化させていること、求愛行動などには全く関わらず雄同士の攻撃性にだけ関わることを示している。攻撃性だけを担う細胞、面白い発見だ。同じような雄にしかない神経細胞が人間にも存在するのかは勿論不明だ。しかし雄雌を問わず攻撃性にだけ関わる細胞があるなら、それから解放されて、世界が平和になる薬剤の開発に是非つながってほしい。
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神経性食思不振症治療法の治験(1月11日the Lancet掲載論文)

2014年1月23日
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私事になるが、熊本大学から京大に移った時最初に秘書として雇ったMさんは、面接のときから重症の神経性食思不振症である事がわかる女性だった。普通は採用を敬遠するのだろうが、他の候補と比べて英語がはるかに堪能であり、私自身も医師の経験があるので何とかなるだろうと雇う事にした。実際期待通り、仕事については申し分なく、持てる能力を発揮してよく補佐をしていただいた。しかし、病気の方は一向に良くならず、結局体力が持たず退職された。その後入退院を繰り返されたあと、亡くなられた事を聞き、私の生半可の医学経験がこの病気には全く役に立たない事を思い知らされた。今日紹介する論文はドイツの研究で、この病気に対して3種類の治療方法を選び、それぞれの効果をBMI(体格指数)の増加を指標として1年間追跡した医療統計学に乗っ取った治験研究で、1月11日付けのThe Lancet紙に掲載された。「Focal psychodynamic therapy, cognitive behaviour therapy, and optimized treatment as usual in outpatients with anorexia nervosa (ANTOP study):randomized controlled trial (神経性食思不振症外来患者に対する3種類の治療法:局所精神分析治療、認知的行動治療、通常の至適治療の比較(ANTOP研究):無作為化比較研究)」がタイトルだ。専門的だがそれぞれの治療法を簡単に紹介しよう。まず全ての患者さんはかかりつけ医に月一回診てもらうようにしてある。また、かかりつけ医はこの治験に参加する際の決まり事についてマニュアルを貰いしっかり習得する。その上で、1)一定の方向性で行われる専門医による精神分析により患者さんの精神状態を改善させようとする治療、2)Fairburnさんの考えに基づくマニュアルを使った認知行動療法。この治療のために、セラピストはこのマニュアルに習熟した上で、低体重の問題や規則正しい食事の重要性を指導する、そして3)患者さんに心理療法士を紹介し、普通の治療を受けてもらうが、状態はかかりつけ医がきちっと追跡する、の3グループに分け追跡が行われている。さて結果だが、グラフの平均値は精神分析療法を受けた方が回復が進んでいるように見えるが、統計的には3グループで大きな差はないと言うのが結論だ。実際、最初16.5ぐらいしかなかったBMIが18近くにまで回復しており、素人から見ると今回選ばれた患者さん達についてみれば治療はうまく行っているようだ。    論文を読むとこの病気についてこれだけの規模の治験が行われた事は初めてらしいが、どの治療法が優れているかが決まらなかった事は残念だ。しかし論文からドイツではこの病気に対して心理療法士まで全てカバーする医療保険体制が整っていることがわかる。また、マニュアルに従ってこの患者さんをしっかり管理してくれるかかりつけ医が見つかるのも素晴らしい。今回治療法の間で差がなかったと言う結果は、ひょっとしたらこの様な心の病気に対するドイツの医療システムの水準の高さを示しているのかもしれない。事実、かかりつけ医さんが治験の重要な一端を担えるというのも優れた医療システムを反映している。いずれにせよ、マニュアル通り患者さんを診てくれるいいかかりつけ医がいる事がこの病気にとって最も重要な事だと実感した。
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1月22日:言葉の知覚と発語は左右の脳で同時に起こる(Natureオンライン版掲載論文)

2014年1月22日
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真実なら画期的な仕事だ。常識は覆るためにある。  医学生の頃臨床実習で経験した失語症の症例は忘れられない。失語のほとんどは卒中や腫瘍などの脳障害により起こる症状で、言語の様な複雑な過程でも障害される部位と症状が教科書通り一致して感銘を受ける。特に言葉を聞いて理解する事が出来ないウェルニッケ型の感覚性失語と、言葉を話そうとすると障害が現れるブロカ型運動性失語に症状が分かれる様を見ると、言葉の知覚から発語に至る高次機能を脳が確かに担っていると言う実感を得る。ただ、失語の症例は全て片方(左側)に器質的障害を持っており、言語中枢は左脳にあるというのが定説で、私もそう理解していた。しかし最近になって、言語の知覚は両側で行われると定説が変わりつつあったらしい。この論文は更に進んでこれまでの定説を完全に覆し、知覚過程も、発語過程も両側で同時に起こる事を示した研究で、ニューヨーク大学のグループがNatureのon line版に発表した。タイトルは「Sensory-motor transformations for speech occur bilaterally (言語過程での感覚—運動変換は両側で起こる)」だ。しかし、これだけの事がどうして今までわからなかったのだろう?この秘密は脳の活動を記録する方法にありそうだ。この研究では、脳の活動を様々な部位の脳皮質に直接電極を挿入する頭蓋内脳波計を用いて記録している。残酷な人体実験と思われるかもしれないが、この方法は癲癇のおこる脳部位を特定してその部位を取り除くために我が国でも行われている検査法だ。この方法を使うと、正確にしかもリアルタイムに脳の活動を記録できる。発語過程の様な筋肉運動を伴う検査では、顔の筋肉の活動に影響されず脳神経活動を調べる事が出来る。この研究では、この検査を受けている癲癇患者さんの許可を得て、言葉を聞いて、それに反応して言葉を発する過程でどの脳の場所が活動するかについて時間を追って記録している。結果は明白だ。言葉を聞いて、内容を把握し、適切な言葉を発する過程で右脳も左脳も同時に活動している。言語に関する新しい説が誕生した。私たち素人にはこれで十分だろうが、専門家を納得させるにはこの何倍もの実験が必要だ。言葉に反応して発語する代わりに、黙って頭の中で言葉を発してみたり、意味のない音を聞いてそれを繰り返したり、様々なコントロール実験を行い、他の解釈を除外している。除外実験に使った課題を読むだけで想像力にあふれている研究だと実感する。このコントロール実験を全てクリアして、この結論に達しているが、まだ卒中などの患者さんで蓄積された経験(右脳の障害では失語にならない)との違いも考える必要がある。これについては、更に高次の脳機能が関わる時、左脳の優位性が出るのではと考えているようだ。失語の病態についても今回の研究結果を受けて考え直す必要があるようだ。この論文を読んでいると、私の様な素人でもこんな事が出来るのではと想像力がかき立てられ、高次機能の理解に頭蓋内で脳波を記録する方法の果たす役割が大きい事を実感する。患者さんの了解さええられれば、言語など、人間にしかない機能の研究が進むだろうと感じた。
カテゴリ:論文ウォッチ
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