昨日(1月6日)肥満の薬剤治療について紹介した。しかし、本当に薬を飲んでまで減量する必要性があるのかには疑問を持った。かくいう私も、15年前に85Kgを超える肥満になり、その後カロリー制限(アルコールは含まず)と運動などで77Kgまで減量に成功した。神戸に来て10年ほど80Kgを切る体重を維持して来たが、最近少し気が緩み、特に退職後は80Kg−81Kgを行ったり来たりするようになってしまった。それでも、最も太ったときよりは5%は減っているだろう。このように、減量を目指して一度は頑張る人は多いはずだ。ではどこまで摂生が必要なのだろう。そんな疑問を抱きながら文献を見ていたらうってつけの論文を見つけた。ブラウン大学の研究でAmerican Journal of Preventive Medicineという予防医学の雑誌の今月号に掲載されていた。「Weight-loss maintenance for 10 years in the national weight control registry (全国減量登録参加者は10年間減量を維持できている)」がタイトルだ。先ず感心するのは、全国減量登録がブラウン大学により1994年から行われている事だ。このサイトには現在約1万人が登録している。研究はこの登録の中から最初の努力で30ポンド(13.6Kg)減量できた人をピックアップし(2000人を超えている)その人達を10年間追跡した研究だ。これまで何度も繰り返して来たが、多くの人を登録し記録を蓄積する事は科学的な健康維持に必須の要件だ。はっきり言って、この研究では減量しようと頑張った人だけが対象になっており、その頑張る気持ちが維持できたかどうかを体重の変化として調べている。結果は90%近い参加者が調査開始時よりは太ってしまうものの、まだ10%程度の体重減を維持できていると言う結果だ。参加者のほとんどは、日に1回以上体重測定をし、運動を欠かさず、脂肪の少ない食事を10年にわたって続けることが出来ている。昨日紹介した最も強い食欲抑制剤でも1年で10%の減量と考えると、やはり頑張って痩せる方が良さそうだ。痩せようと先ず頑張ってみる事の重要性を実感した。また各自治体でも是非減量登録などを始めたらどうだろうか思った。
1月7日:当たり前だが頑張れば痩せられる(American Journal of Preventive Medicine1月号掲載論文)
肥満の薬剤による治療(アメリカ医師会雑誌1月1日号掲載)
8月30日「火に脂肪(油)を注ぐ」と言うタイトルで、6月アメリカ医師会が肥満を病気と認定した事をこのホームページで伝えた。その時、これまで患者でなかった人が患者になる事で医師会や製薬業界が潤うのではと懸念を示した。一般的に肥満の人の体重が5−10%減るだけで様々な成人病の予防に大きな効果がある事がわかっている。しかし、自己努力のダイエットはなかなか難しい。もし安全なら、せっかくだしアメリカ医師会の決定に従って医師の管理の下に痩せようかと考えるのが普通だ。こんな折、医師会にとって(?)タイムリーな論文がアメリカ医師会雑誌の1月1日号に掲載された。アメリカ国立衛生研究所からの論文で「Long-term drug treatment for obesity A systematic and clinical review (肥満の長期薬剤治療、臨床研究の包括的検討)」がタイトルだ。研究と言うより調査で、これまでに正しい統計的手法を用いて行われた抗肥満薬の臨床治験論文をリストし、それを再評価する事で薬剤が本当に効果があるかを検討している。驚くべき事に抗肥満薬の臨床研究論文が2013年までに597報もある。ただ、十分大規模で統計的にも適性に研究が行われている論文は21報になり、それを詳しく再検討している。このうち15報はオリスタット(リパーゼの阻害剤で脂肪をそのまま便に排出させる)、4報がロルカセリン(セロトニン受容体刺激で食欲抑制)、2報がフェンテルミン+トピラメート(GABA受容体刺激/AMPAグルタミン受容体抑制を合わせて食欲抑制)についての論文だ。勿論個人の努力も促しての事だが、オリスタットやロルカセリンでは3%、フェンテルミン/トピラメート合剤では9%の体重削減効果が1年の経過観察期間で得られる。また、論文によって効果を示した患者(?)の率は違うが、それぞれ37−47、35−73、67−70%と効果てきめんで、心臓やメタボのリスクファクターもはっきり低下したと言う結果だ。いずれにせよ、効かない人もいるので医師の管理下に投与して、効かないときは治療を中断すれば有効な治療(?)になるが、長期に投与する事で本当に心疾患が減るかどうかは更なる研究が必要と結んでいる。これに従うと、アメリカでは3割以上の人が病気になる。さ〜て我が国でも保険薬として認定されるのかどうか興味がある。
アメリカの医学研究助成の低下傾向への懸念 (1月2日号The New England Journal of Medicine記事)
日本にいると、圧倒的な欧米の医学研究シェアの中で日本は如何にリーダーシップをとればいいかについての議論ばかり聞こえてくる。例えば山中さんが何度も口にした「1対10」で戦うと言う言葉がその典型だ。しかし、アメリカにいると違う風景が見えるようだ。先週のThe New England Journal of Medicineの冒頭に掲載されたThomas McNerny and Partners(医療系ベンチャー)を中心の調査研究はアメリカの医学研究助成のシェアが低下している現状を嘆いている。「Asia’s ascent – Global trends in biomedical R&D expenditures (高まるアジアのシェア — 医学生物研究開発費での世界的傾向)」がタイトルだ。基本的には2008年から2012年までのアメリカ、欧州、アジアの医学研究助成の推移を調べた統計資料調査で、インフレ率相殺という手が加わっている。この結果、アメリカでは1310億ドルから、1190億ドルへと低下した一方、欧州全体では830億ドルから、818億ドルへと微減、そしてアジア全体では410億ドルから620億ドルへと激増し、アジアがリーダーシップをとる時代が来るのではと心配している。この中で我が国は280億ドルから、370億ドルへと32%の増加になっている。しかし、2007年が年末まで1ドル120円前後の円安で、2012年は80円を切る事もあった円高の年である事を考えると日本でも欧米と同様研究費は減り続けていると言った方がいいだろう。結局、中国を中心にアジア新興国の台頭がはっきりして来たと言う事だ。逆に私は、中国の研究助成が2012年でも日本の1/4にとどまっている点に驚いた。というのも2013年Nature Publishing Indexによる世界の科学勢力調査によると生命科学分野での日本と中国の差はほとんどない。人口が10倍違うとはいえ、中国は効果的な助成を行っている事になる。おそらく我が国がこの統計から学ぶべき事は、日本の助成金の効率が悪い事ではないかと思った。私見だが、優秀な人材を集める事が研究効率に関わっており、我が国はこの点で特に低落傾向が激しいのではないだろうか。英国やドイツの研究所を見れば、助成金より先に世界中から優秀な人材を集めるための競争をアメリカと行う気構えがある。またこの論文で嘆かれているアメリカは元々優秀な人材を世界から集めて研究の効率を高めており、この結果助成金をはるかに上回る成果を生んでいる。そう考えると、我が国に求められる政策の課題は助成金額に相応した優秀な人材を集めるための方法を確立する事に尽きる気がする。20世紀の終わり、フランスの経済学者ジャックアタリが「21世紀の歴史ー未来の人類が見た世界」と言う本の中で、日本は外国人への門戸を開かないままアジアの島国として孤立していくだろうと予言している。最も近い国々と連帯できない最近の内閣の外交政策とそれに喝采を送る人達の多い現状を見ていると、この予言が既ね的中しつつある事を実感する。しかし、この論文の最後が「The lack of coordinated national biomedical R&D strategy is disappointing at a time when mature economies such as those of Japan and Europe have maintained their level of investment in this area (アメリカに生命科学分野のR&D戦略がないと言う事は、日本やヨーロッパの様な成熟経済がこの分野の投資を続けている現状を考えると残念だ)」と結ばれているのは、わたしには皮肉としか聞こえない。日本に本当に戦略があるのか?この統計を真摯に眺めるときだろう。
1月3日日経記事「メダカ恋の秘訣は見合い」
新年早々日経は意欲的に基礎研究を紹介した。記名でないのでどなたの記事かわからないが、メダカが我が国発のオールジャパンの研究モデルである事を考えると、よく取り上げていただいたと思う。紹介されたのは東京大学生物学科の奥山さんの研究で、多くの日本の機関が協力して生まれた論文である。1月3日付けのサイエンス誌に掲載された。「A Neural Mechanism Underlying Mating Preferences for Familiar Individuals in Medaka Fish (なじみの個体との選択的交尾傾向に関する神経機構)」がタイトルだ。我が国のメダカ研究の裾野を示す素晴らしい研究だ。おそらくこの研究は、メダカの交尾と言う行動研究から始まっているのだろう。この中で、なじみの雄を雌が受け入れる行動に気づき、この行動の分子細胞学的基礎を丹念に調べている。行動を科学的に調べる方法が確立すると、次は行動異常を示す突然変異を探すのが常道だ。幸い長い研究を通して日本ではそのような突然変異体のストックがある。これを利用して、細胞の移動を調節するケモカイン受容体突然変異が交尾行動異常を示す事を発見した。分子の一端がわかるとこの異常に関わる細胞が性腺刺激ホルモン(ゴナドトロピン)を誘導するホルモンを造っている細胞である事がわかった。透明な魚ではこの細胞をレーザーで焼く事も出来、実際この細胞がこの行動に関わる事も確認された。そして、この細胞が失われると交尾行動全体が促進する事がわかった。即ち、この細胞は交尾行動の抑制に関わっている事になる。とすると、どうしてなじみの雄と選択的に交尾すると言う行動が生まれるのか?これを調べるべく、今度は突然変異体を分離し、この細胞の興奮状態を生理学的に調べるなど、このモデルで行える全ての技術を動員して原因に迫っている。そしてついに、この細胞が成長前は交尾行動の抑制に、成長後は視覚に反応してホルモンを分泌する事で選択的交尾行動を誘導するというモデルに到達した。さらに、このモデルの妥当性を、実際の交尾行動の結果なじみの雄からの子供が生まれる事を調べる事で確かめている。今流行りのCRISPRこそ使われていないが、考えられるほぼ全ての手法を駆使した文字通りオールジャパンを実感する研究だ。既にこのホームページで紹介したように、ハタネズミなどでは、交尾期前にオキシトシンが分泌され、その結果としてステディーのつがいが生まれる事が知られている。このように使われるホルモンは違っても、この様なスウィッチがどう起こるのかの生理的なメカニズムは参考になる事が多いかもしれない。
さて記事だが、内容は簡潔にうまく伝えている。ただ、出来る事ならメダカが我が国発のモデル動物で、この研究がまさにオールジャパンを象徴する研究である事を強調して欲しかった。現在iPS細胞研究ではオールジャパンと言う事が叫ばれ、文科省や内閣府はその実現に腐心している。ただ論文を見ても、本当にオールジャパンを実感する事はまだ出来ず、うまく行っていないからオールジャパンが叫ばれているように思える。その意味でiPS細胞研究も、メダカ研究から学ぶ事は多いのではないだろうか。
1月3日:医療保険の種類で救急の利用率が変わる(Journal of General Internal Medicine 12月24日号掲載論文)
最近Jonathan Cohnさんの書いた『Sick:The untold story of Americas health care crisis and the people who pay the price.』という本を読んだ。アメリカの医療保険が市民を守るという視点で見た時破綻に近づいている事について、様々な実例を挙げて示した本だ。邦訳されているのかわからないが、オバマケアがなぜ急がれるかも含め、アメリカの医療保険システムの現状を知る上で大変参考になった。今日紹介する論文は、このアメリカの医療保険制度の問題点を指摘している。コロラド大学とエール大学の共同研究で、タイトルは、『National study of health insurance type and reasons for emergency department use (救急外来を利用する健康保険の種類と理由についての全国調査)』だ。研究は救急外来を利用した人達がなぜ家庭医の代わりに救急外来を利用したか、またどのような医療保険に加入しているかを聞き取り調査した研究だ。結果は、救急外来を病気の緊急性から利用した人達では加入している保険に差は認められないが、救急の方が診療してもらえる可能性が高いとアクセスの点から救急を選んだ人達では、低所得者層対象の公的な医療保険メディケイドや高齢者対象のメディケア保健の人の割合が多いという結果だ。結局救急外来の機能が低下し、何の治療も受けずに帰される患者さんだけが増える。結論として、この問題を解決するには、公的医療保険の人にも救急外来以外に相談出来る場所を提供すべきと提言している。昔から指摘されている事だが、改めて確認された。アメリカの医療保険は、基本的には私企業によって提供される医療保険プログラムと、それを購入する個人が制度の基本だ。保健が買えない低所得者層に対するセーフガードとしてメディケードが1965年に創設されているが、税負担の理由からこのシステムの維持に必要な資金は常にショートしている。このため多くの州ではメディケードのカバー出来る医療は厳しく制限されており、病気になっても一般医によって見てもらえる可能性は著しく低くなってしまっている。このため、法律上差別なしに診察する事が義務づけられている救急外来(これも有名無実になりつつある現状もあるようだが)を選ぶ事になる。冒頭にあげた本で紹介されているアメリカの問題を確認出来る論文だった。(サイエンス誌オンライン版にも同じ趣旨の論文が掲載された。機会があれば紹介する)
アメリカではリーマンショック以来、個人の医療保険に入れず、さらに低所得者のカテゴリーにも入らないため、メディケードでもカバーされない人達が増加している。この結果、5000万人と言う多くの人が医療保険を持たないという状況が生まれ、この数は増え続けていると言う。さらに、アメリカンドリームを支えて来た中産階級ですら高齢化とともに私的保険システムから排除され始めており、医療保険の根本的改革が求められている事をひしひしと感じる。一方、我が国では保険間で受けられる診療に差別はなく、ほぼ平等の原則が守られている。一定の個人負担に加え、税が使われているが、医療へのアクセスの自由という点から患者に取っては世界一と言うシステムだろう。ただ、国の借金を考えるとこの維持は簡単ではない。このすばらしいシステムをどう持続させるのか、自分たちの課題として今後議論して行きたい。
低グレードグリオーマの遺伝的多様性(サイエンスオンライン版掲載論文)
正月なのにめでたい話が出来ないのは残念だ。しかし、病気になると盆も正月もなくなる。出来るだけ多くの情報を届ける事を今年も心がけたい。しかし、今日紹介する論文は、明らかにされた事実に戸惑う典型だ。論文は先週サイエンス誌のオンライン版に掲載されたグリオーマのゲノム研究で、カリフォルニア大学サンフランシスコ校を中心に我が国からは東京大学のゲノムサイエンス研究室や脳外科等も加わった国際共同研究だ。タイトルは「Mutation analysis reveals the origin and therapy-driven evolution of recurrent glioma (再発グリオーマの起源や治療により誘導される進化が突然変異解析で明らかになった)」で、これもガンのエクソーム解析の例で23例のグリオーマを発生時と再発時で比べている。私はこれまで、ガンのエクソーム解析によりうまく行けば次の手を打つチャンスがある事を強調して来た。この背景には、再発してくるがんは、元のがんが時間とともに新しい変異を積み重ね進化した結果だという考えがある。しかし、同じ話は低グレードグリオーマでは通用しないことがこの論文で明らかにされた。グリオーマと言うと悪性で予後の悪い腫瘍の代表だが、その中で低グレードグリオーマは進行も遅く、手術が治療の中心になる腫瘍で、患者さんも手術を繰り返しながら長期に生存される事が多い。ただ、なかなか完全に切除する事が困難で、再発・再手術が必要な事が多い。このゆっくりと進行するグリオーマの再発はただの取り残しなのか、あるいはグリオーマが進化して新しい突然変異を蓄積しているのかということをこの研究は調べている。結果は、驚くべき物だ。まず、最初切除された腫瘍と再発腫瘍に明らかな連続性が見られる(即ち多くの同じ遺伝子突然変異を共有している)ケースもある。しかし、半分(43%)近くの再発腫瘍では1−2の遺伝子変異は別として、最初切除した腫瘍の持っていた突然変異とは全く異なる遺伝子が突然変異を起こしていたという結果だ。更に重要なのは、初回手術後テモダールというお薬を投与した10人の患者さんのうち6人で、薬剤を投与しない場合には見られないより悪性のグリオーマへの進化を示す遺伝子の変異が誘導されており、この治療がより広範な突然変異を誘導してしまう事を示した結果だ。残念ながら今回の研究から、この腫瘍がゆっくり進行するとはいっても発見時に既に多様な腫瘍細胞が脳内に撒かれている厄介な物で、これまでの方法では、その中から別の細胞が選ばれ再発する事を防げない事、そしてアルキル化剤の投与は突然変異を誘発して逆行化である事がわかってしまった。物事が明らかになる事で気分が暗くなる典型の仕事だが、ただ光がない訳ではない。例えばIDH1遺伝子突然変異のように初発腫瘍から再発腫瘍まで共通に見られる変異もある。今後はこのような標的の機能を調節する治療の開発が待たれる。
CRISPRを網羅的遺伝子改変による網羅的分子探索(Science誌オンライン版)
素晴らしい技術は様々なテクノロジーや分野を統合するハブになる力がある。12月26日ここで紹介した、生きた細胞で特定の遺伝子を視覚化することを可能にしたCRISPRという技術はその典型だ。これまで困難であった事を一つ一つ見事に可能にしていく。先週サイエンスオンライン版に掲載された2編の論文では、この技術を使ってほぼ全ての遺伝子にまんべんなく突然変異が導入された細胞のライブラリーを作成し、細胞の機能に関わる遺伝子をしらみつぶしに見つける方法を報告している。両方ともマサチューセッツ工科大学からだ。タイトルは一つが、「Genetic screens in human cells using the CRISPR/Cas9 system (CRISPR/Cas9系を使ってヒト細胞の遺伝的スクリーニングを行う)」、もう一つが「Gnenome-scale CISPR-Cas9 knockout screening in human cells (DRISPR-Cas9システムを使った、ヒト細胞での全ゲノムスケールの遺伝子ノックアウトスクリーニング)」だ。
前にも述べたが、この方法では短いガイドRNAを変異を導入するホストゲノムの場所決めに使う。このRNAの配列をヒトゲノム配列を参考に設計すれば、ほとんどの遺伝子に高率に変異を導入するためのガイドRNAライブラリーを作る事が出来る。このライブラリーを調べたい細胞に導入すると、別々の箇所に変異が入った何万種類の細胞ライブラリーを用意出来る。この細胞集団を例えば抗がん剤で処理すると、それに抵抗性の突然変異を持った細胞だけが生き残る。両方の研究とも、このガイドRNA配列に、遺伝子変異のためのガイドと、どの遺伝子に変異を入れたかを知るためのバーコードの両方の目的を担わせている。このため、残った細胞でどの遺伝子が欠損しているかを次世代シークエンサーを使って簡単に見つける事が出来る。同じ様な試みは他の遺伝子改変テクノロジーを使って試みられて来たが、それ等と比べてこの実験系の凄いのは、変異が導入される効率が高く、両方の染色体とも特定の遺伝子に同じ変異を入れる事が出来る点だ。このおかげで、遺伝子の機能を両方の染色体で完全に欠損させる事が簡単にできる。一つの論文ではこの方法を使って、前に紹介した悪性黒色腫がガンの標的治療に抵抗性を獲得する過程に関わる遺伝子を調べ、これまで知られていなかった薬剤抵抗性に関わる分子を発見している。これらの分子から薬剤抵抗性の黒色腫を治療できる新しい薬剤が開発される事を期待する。また、同じ方法でこれまで治療の困難であった細胞の増殖に必要な分子も簡単にわかるようになるだろう。CRISPRといいiPSといい、世紀が変わって、新しいハブが急速に発展している実感を持っている。
遺伝子異常 卵子で一括診断 高い精度、命の選択懸念も(12月30日朝日新聞(大岩)記事)
朝日の大岩さんは日本以外で行われた研究で市民の関心の高いものを選んで紹介しているようだ。今回も、基本的には北京大学で行われた卵子の単一核のゲノムを調べる研究について紹介している。論文は「Genome analysis of single human oocytes (一個のヒト卵子のゲノム解析)」とタイトルがついており、12月19日号のCell誌に掲載された、ハーバード大学と北京大学を兼任しているXieさんのグループの研究だ。この研究の根幹は、単一細胞のゲノムを正確に調べる事を可能にする新技術の存在だ。Xieさん達はMALBAC(方法の詳細は専門的なので省く)と言うこの新技術の開発者で、これまでも精子を含む様々な細胞を調べてトップジャーナルに続々論文を発表している。私たちの身体は約50兆個の細胞からで来ているが、どの細胞でも一個の細胞だけでゲノム遺伝子を正確に調べる事ができる様になると、個々の細胞の個性や、ガンの危険がどの程度早くから用意されているのかなどを明らかにできるため、様々な分野への波及効果が大きい。その意味では、MALBAC法の開発はこの分野への重要な貢献と言える。この技術を卵子について応用したのが今回の研究だ。材料としての卵子はこの方法の評価にとっての最高の応用問題だ。何故なら、受精後の一個の卵子には2つの極体と、2つの前核と呼ばれる別々の核が存在しており、この4種類の核は卵子が2回の減数分裂という染色体の数を減らす特殊な分裂過程で起こったゲノム変化の記録になっている。実際、この過程では染色体同士での交叉と呼ばれる種に取って重要な遺伝子の交換が行われる。また、染色体重複などの異常もこの過程で生まれる事が知られている。従って、この極体と、前核のゲノムを別々に解析出来るようになった事は基礎研究としても極めて重要だ。事実この研究のハイライトはまさにこの点で、卵子での染色体組み替えの様子や、そのためにヒト卵子に備わっている様々なメカニズムが現象的にではあるが明らかになっており、予想されている結果とは言え基礎研究として高く評価できる。
さて、2個の極体は結局卵から排出され子孫に伝わる事はない。しかし、極体にはお母さんのゲノムの全て(第一極体)と、子孫に伝わらなかったゲノム(第2極体)が残っている。従って、両方別々に調べれば、卵に残った子孫に伝わるゲノム(雌性前核)の構成を予想できる。一種廃物利用により卵の雌性核の遺伝子診断が出来ると言う訳だ。朝日の大岩さんの記事はこの点を取り上げている。図入でうまくまとめてあり、特に新技術が使われている事も図を見るとわかるようになっている。ただ、単一細胞ゲノム研究が生殖補助医療にとどまらず、ガンなど多くの分野で如何に重要な技術であるかも紹介して欲しかった。Xieさん達もせっかく基礎的にも面白い結果を示しているにもかかわらず、ディスカッションではこの基礎的な結果はそっちのけで、生殖補助医療への応用ばかり強調している。このディスカッションを読めば、大岩さんが生殖補助医療部分を強調する記事にするのも仕方ないかもしれない。それを認めた上でそれでも、卵の遺伝子診断問題をデザイナーベービーに関連させるのは違和感がある。しかも専門医のコメントの中にこの言葉が使われるとよけいだ。この言葉はダーウィンの進化論の根幹に関わる問題なので議論は控えるが、デザインすると言う前向きの過程と、異常を見つけて選択すると言う後ろ向きの過程の間に横たわる大きなギャップを認識すると、軽々にデザイナーなどと言う言葉は使えない。デザイナーと言う単語の問題は、反ダーウィン主義の人達がよりどころにしている「インテリジェントデザイン」と言う言葉を見ても明らかだ。最後に一言。見出しはひどい。前回の自閉症に対するオキシトシンの効果についての朝日の記事もそうだった。ただ、友人から見出しはデスクがつけると聞いた。従って、大岩さんや今さんの問題ではなく、デスクの責任だろう。やはり見出しも記者が書いて欲しい。
家族性アミロイド症のジフルニサル治験で有効判定(アメリカ医師会雑誌12月25日号掲載)
家族制アミロイドーシスはトランスサイレンチンという分子をコードする遺伝子の突然変異による希少疾患で我が国では難病指定されている。突然変異によってこの分子の4量体の正しい構造の崩壊が促進し、代わりに異常な重合体が形成され全身の組織にアミロイド沈着が起こり、多発性神経炎をはじめ心臓、消化器などの全身症状を示す。この分子のほとんどが肝臓で造られる事から、肝臓移植が有効である事が証明されているが、日本では困難な治療法だ。ただ最近トランスサイレンチンの4量体の崩壊を止める薬剤の開発が進み希望が生まれている。事実2011年にはファイザーから新薬が発売され、本年我が国でも承認されている。ただ1カプセル5万円を超える高価な薬剤だ。利用される患者さんの少ない希少疾患に対する薬剤はどうしても高価になる。これに対し、アメリカ国立衛生研究所では既に承認利用されている特許切れのジェネリック薬剤を他の病気に利用できないか調べる再目的化(repurposing)研究を推進している。期待される薬剤の一つがジフルニサルで、サリチル酸系の抗炎症剤で歴史の古い安価な薬だ。この薬剤がなんと家族性アミロイドーシスの進行を止める可能性が報告され、小規模のパイロット研究でも患者さんへの効果が確認されていた。我が国の難病班の報告でも、この薬剤の治験が進行中である事が記載されている。今回効果を確かめる目的で、日本を含む5カ国にまたがる大規模臨床治験が最も厳しい条件で行われ、その報告がアメリカ医師会雑誌12月25日号に掲載された。「Repurposing diflunisal for familial amyloid polyneuropathy, A randomized clinical trial (ジフルニサルを家族制アミロイド多発性神経炎の治療へ再目的化する。無作為化臨床治験)」がタイトルだ。結果は明確で、神経症状にとどまらず、生活の質まで向上する期待以上の結果が得られ、有効と判断できると言う結果だ。ファイザーの新薬と比べると、既にジェネリック製剤として使われており、サリチル酸剤としての副作用はあるものの極めて安価である点が大きい。従って、まずジフルニサルから治療を始めてもよいと言う結果だ。折しも12月25日号と言う事で患者さんにはすばらしいクリスマスプレゼントになった。
この論文は1987年から約7年を熊大で過ごした私にも感慨が深い。当時熊本大学はこの病気の研究の中心だった。この疾患の世界の第一人者であった荒木淑郎先生や、この病気のマウスモデルを作成した山村研一先生とは教授会でご一緒した。今回も熊本大学は、我が国のセンターとしてこの治験に参加し、この結果に大きな貢献をした事を知って、伝統が生きている事を実感した。
がんゲノム解読ラッシュ:子宮頸癌(12月26日:Natureオンライン版掲載)
毎週がんのゲノム配列解読の論文が続く。今日紹介するのは子宮頸癌についての研究で、「Landscape of genomic alterations in cervical cancer (子宮頸癌のゲノム変異の全像)」とタイトルのついた、ハーバード大学、ダナファーバーがん研究所などからの論文だ。研究自体はこれまで紹介した他のがんについての論文と同じで、多くの患者さん(この研究の場合は115名のがんのゲノム配列(主に全翻訳部位の配列(エクソーム)が調べられている)を調べて、発がんに関わる遺伝子突然変異を特定している。勿論これまでの研究でも子宮頸癌でいくつかの突然変異が既に報告されており、同じ遺伝子の変異が今回確認された。ただ、エクソーム配列を調べる今度の研究では、それ以外に5種類の新たな遺伝子の突然変異が見つかっており、全遺伝子の配列決定が強力な方法である事がまた証明された。新しく見つかった遺伝子の中には、発がんのシグナルとして基礎的には良く研究されて来たMAPK1遺伝子や、肺がん等で既に分子標的として治療が行われているERBB2遺伝子等も含まれており、治療計画にとっても重要なヒントになる。ここまではこれまでのがんゲノム研究と同じだが、子宮頸癌にはもう一つ調べるべき項目がある。即ち、パピローマビールスのゲノムへの組み込みだ。子宮頸癌の発症にはパピローマビールスの関わりがドイツのツルハウゼンらの研究で明らかになっており、ワクチンによりガン発症を押さえられるという医学上の貢献にノーベル賞が与えられている。ただ、エクソーム解析は翻訳される遺伝子について調べているため、ビールスの組み込みについてはわからない。そのため、この研究では一部のガンではエクソームだけでなくそれ以外のゲノム領域も調べてビールスの組み込みがないかを調べるとともに、がんが発現しているRNAも調べてビールスの組み込みが特定の遺伝子の発現量を変化させていないかを調べている。結論は予想通りで、調べた全てのガンでパピローマビールスの組み込みが認められ、その付近の遺伝子の発現が上昇していることを確認している。専門的になるので詳しくは述べないが、パピローマビールスのゲノム組み込みによる発がん性のある遺伝子の発現上昇、特定された遺伝子の突然変異、更に免疫反応の修飾に関わる突然変異等の蓄積が子宮頸癌の発症に必要である事が理解出来て来た実感がある。最初の引き金を断つワクチンの重要性を認識するとともに、今後、がんのエクソーム解析がルーチンの検査になって行く事を予想させる。