12月15日、埼玉県永井クリニックで行われた、卵子若返りのための核交換技術についての毎日新聞の記事を紹介した。この話の背景には、ミトコンドリア異常が老化の一つの原因だと言う考えがある。この考えは広く受け入れられているにも関わらず、老化に伴うミトコンドリア異常の本態については明らかではなかった。今日紹介する論文は、この異常の一端を明らかにしたハーバード大学の研究で、12月19日号のCell誌に掲載されている。タイトルは「Declining NAD+ induces a pseudohypoxic state disrupting nuclear mitochondrial communication during aging (老化に伴うNAD+の低下により擬似的低酸素状態が引き起こされ核とミトコンドリア間の連絡が途絶える)」。ミトコンドリアは細胞から独立して増殖出来る細胞寄生体としてよく知られている。とはいっても、細胞内に寄生してから進化の長い時間の間に、ほとんどの遺伝子はホストの核に移り、現在では13種類の遺伝子がミトコンドリアゲノムに残るだけになっている。このグループは元々老化に伴って、ミトコンドリア遺伝子にコードされている酸化的リン酸化システムの選択的低下が起こることを発見していた。今回の仕事では、この異常に関わるミトコンドリア側の遺伝子と、ホスト側の遺伝子にコードされた分子の相互ネットワークの詳細を明らかにしている。それぞれの分子の詳しい説明は専門的すぎるので省くが、老化によって、酸素消費型の呼吸に必須の電子伝達体NAD+が低下することがそもそもの異常の始まりであることを明らかにしている。この結果、酸素消費型の呼吸が低下するが、この異常を細胞は酸素がないと間違った解釈をし、酸素はあるにもかかわらずHIF-1aという低酸素に反応する分子を上昇させて、低酸素に対する防御反応を起こしてしまう。この結果細胞の核とミトコンドリアの連絡が絶たれてしまって、細胞の様々な異常が引き起こされるという結論だ。重要なのは、メカニズムがわかると老化防止も可能になることだ。カロリー制限が老化防止に役立つことは知られていたが、老化マウスのカロリーを6週間制限することで、低酸素状態と錯覚する反応が止まり、ミトコンドリア機能が正常化することが今回示された。さらに、引き金になるNAD+を補ってやっても同じようにミトコンドリア異常が元に戻ることもわかった。残念ながら筋肉の機能低下までは正常化しなかったようだが、今後、より長期の実験がヒトでも行われると、若返りのための科学的方法として定着するかもしれない。また、冒頭で引き合いに出した卵子若返り術も、核交換等しなくとも卵子にNAD+を補給するだけで解決する可能性は十分ある。一つ重要な問題が解決した。
ミトコンドリアが原因の老化は元に戻る?(Cell誌12月19日号掲載論文)
細胞の中の遺伝子を生きたまま見る(12月19日号Cell誌掲載論文)
山中iPS論文に少し遅れた2007年、CRISPRと呼ばれる、生きた細胞の遺伝子を高効率に編集するテクノロジーが報告され、今や大フィーバーになっている。サイエンス誌でも今年の十大ニュースのトップにあげており日本語版では、「大衆のための遺伝子マイクロサージェリー」と紹介されている。この技術のお陰で、どんな細胞でも遺伝子のノックアウトや入れ替えが簡単に出来るようになった。勿論山中iPS等にも利用され、遺伝子を元に戻して患者さんに移植する可能性についての論文が既に発表されている。しかしこの方法は遺伝子改変にとどまらない。詳しくは述べないが、この方法を基礎に細胞の遺伝子発現調節を中心に多くの更なるテクノロジーが生まれることが期待されている。今日紹介する論文は12月19日号のCell誌に掲載されたカリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究で「Dynamic imaging of genomic loci in living human cells by an optimized CRISPR/Cas system (CRISPR/Casテクノロジーを至適化して生きたヒト細胞で遺伝子座のダイナミックな動きを観察する)」がタイトルだ。CRISPRの原理をここで詳しく述べることはしないが、操作したいホストゲノム部分に相補的に結合するガイドRNAに結合するCASという蛋白によって遺伝子を切断することが基礎になっている。このことはCAS蛋白が標的遺伝子部分に結合したガイドRNAに結合することを意味するので、このCASを使えば生きた細胞の標的遺伝子部分を標識できることになる。ただ、CAS蛋白はホスト遺伝子に切れ目を入れる機能があるので、この研究ではこの活性をつぶしたCAS蛋白に蛍光蛋白が連結したキメラ遺伝子を作り、CASが結合する遺伝子座、すなわちガイドRNAが結合している部分が光って見えるようにした。一般の人にはなかなか理解してもらえないだろうが、生きた細胞の核の中のどこに調べたい遺伝子が位置しているのかがついに見えるようになったかと思うと、急速に科学が進んでいることを感じて興奮する。しかし、このCAS分子自体は日本で発見されたことを知ると、これを今あるようなテクノロジーにして行くために必要な科学者間のコミュニケーションに日本は難点があることも理解出来る。いずれにしても、次にどんなテクノロジーがCRISPRから生まれるか、当分目が話せない。
古い創薬手法の復活(Nature Chemical Biologyオンライン版掲載)
ほとんどの公職を辞した後も、実は後藤先生率いる理研創薬プログラムには積極的に関わっている。というのも、患者さんが本当に待ち望んでいるのは新しい薬の開発なのに、私自身の創薬経験は皆無だ。その意味で、藤沢薬品時代にFK506を開発し臓器移植をより安全な治療にするのに多大な貢献をされた後藤先生のチームの活動を見ることで学ぶことは大だ。こんな訳で、新しい創薬手法については大変興味がある。以前(12月8日)、なぜ骨髄腫にレナリドマイドが効くのかを明らかにした論文を紹介した時、細胞に対して効果がはっきりしている化合物があれば、異なる重さのアイソトープを用いるSILACという方法で標的分子を明らかにする方法があることを知った。今日紹介する研究は、activity based protein profiling(ABPP)というタンパク質の活性を用いることで迅速に化学化合物の標的蛋白を特定出来るという論文だ。サンディエゴにあるスクリップス研究所の研究で、「Integrated phenotypic and activity based profiling links Ces3 to obesity and diabetes(形質と活性に基づく蛋白のプロファイリングを統合することでCes3を肥満と糖尿病に関連づけることが出来た)」というタイトルがついている。
SILACとは異なり、この方法は最初どのような分子を標的にするかある程度あたりをつけておく必要がある。しかし、元々薬剤になりやすい標的の活性はある程度限られてくるので、この方法も今後十分期待出来る。この研究ではセリン加水分解酵素を標的にしている。論文では、脂肪細胞の分化培養を用いて、セリン加水分解酵素を抑制する化合物をスクリーニングし、有望な化合物をいくつか選んだ後、次にABPPを用いてどの分子が選んだ化合物の標的かを決めると言う順序で、肥満や糖尿病に有効な薬剤開発が出来ることを示している。私に取ってこの仕事の重要性は、肥満の薬剤が出来たということではない。それよりも細胞自体の活動変化を指標に化合物を見つけてしまえば、迅速に標的分子を特定し化合物が効くメカニズムを明らかに出来る時代が来たという点だ。現在分子生物学が発達して、分子の機能を指標に化学化合物を探す方法が創薬のための柱になっている。しかし、分子レベルではっきりした効果があっても、複雑な細胞で検査すると効果が出なかったり、副作用が出ることが多かった。この論文でも、1999年から2008年で創薬に成功したお薬の6割近くがまだ細胞の活性を指標にした古い手法を用いていたことを紹介している。勿論後藤さんのFK506も細胞活性を抑制する分子として見つかっている。即ち、細胞の活性でスクリーニングした方が、良い薬剤に当たる確立が高いということだ。ただ、発見出来た化合物がなぜ効くのかを明らかにするために今度は時間がかかってしまっていた。この意味で、SILACや今日紹介したABPPが利用出来ることで、古いとされて来た細胞活性を指標にする薬剤の開発がもう一度表舞台に登場し、さらに有望な化合物を発見するための時間も短縮すると期待出来る。そしてこのことは患者さんたちにとっての朗報だ。今後も新しい創薬手法を学んでここで紹介しようと思う。
前NY市長の健康政策評価(Frontiers in Public Health Services and Systems Research誌掲載論文)
新しくニューヨーク市長になったデブラシオ氏は黒人の奥さんのいること、一貫したリベラル政策などで話題を呼んでいる。特にその庶民性から、富裕層の典型だった前職のブルームバーグ氏と対比され、全米中が興味津々だ。同じようなことになれば日本でも大騒ぎだろう。しかし、新しい都知事候補の名前としてメディアに上がる名前を聞くと、まあこんな熱狂は望みようもない。
今日紹介する論文を見るとアメリカの底力にさらに驚いた。論文はEvidence Use in New York City Public Health Policymaking (NY市公衆衛生政策へのエビデンスの利用)」というタイトルのコロンビア大学からの仕事で、Frontiers in Public Health Services and Systems Researchという雑誌に先週掲載された。短い論文で、ブルームバーグ市長の公衆衛生政策の成果を聞き取り調査で調べた論文だ。論文自体はシンクタンクの意見と言った感じで他愛無い。しかし、ブルームバーグが押し進めた公衆衛生政策については(それが本当なら)感心する。要するに科学的エビデンスを重視した政策を行ったということだが、その徹底ぶりは我が国とはだいぶ異なる。論文であげられた政策の5本の柱は以下のようだ。
1)公衆衛生政策担当者は論文の見出しやサマリーだけでなく、あまり有名でない論文の方法論や項目ごとのデータにもしっかり目を通すことを推進。(日本の自治体の役人がどのぐらい生の論文を読んでいるのだろう?)
2)地域レベルの健康データを出来る限り集めて対策を打つ。例えば、ある地域でのタバコの消費が上がっていることがはっきりしたらすぐにキャンペーンを打つ。
3)地域住民に対して具体的に役に立つ政策のために、小規模の調査を積み重ねる。例えば、NY市は他地域と比べ外食が多いことがわかると、レストランの健康メニューのサンプルをNY中のレストランに送る。
4)部局間の風通しを良くして政策を実行する。例えば、健康のため自転車使用を推進するとき、各道路の自転車事故率がすぐわかり、それに会わせて道路局が道路の改善や自転車レーンを整備する。
5)公衆衛生担当部局に査読がある雑誌に論文を出すことを推進し、就任期間中に300以上の論文が発表された。
経営者としてのブルームバーグならではの思想の一端を示す政策だと思う。しかし、これは日本の自治体でも可能で、行うかどうかは首長の意志一つだろう。厚生労働省の号令のもと、我が国の自治体でも特定検診等様々な市民の健康を促進するための政策が行われている。ただこの論文に紹介されているNYの取り組みと比べた時、中央主導でほとんど自治体としてのアイデアが見えない。特に見習わなければならないのは、最後の柱だ。自治体行政からしっかりした論文が生まれるということは、自治体自体がしっかりとしたシンクタンク機能を持つということだ。私の持論だが今我が国に最も必要なのは、国や自治体自体が政策立案のためのシンクタンクとしての自らの能力を磨くことだ。その意味で、5番目の目標はどの自治体にとっても挑戦する意味は大きい。ただ、査読を受けて批評にさらされる論文でなければならないと釘を刺しておく。
12月20日朝日新聞記事 自閉症ホルモンを鼻に噴射して改善 東大チーム
私自身の興味もあって、このコーナーで自閉症の最新研究を紹介して来た。読んでいるうちに、将来は必ず治療の可能性が生まれるという確信を持てるようになった。アメリカアカデミー紀要に発表されたエール大学の仕事も、12月3日ここで紹介した。この仕事は、自閉症の子供に表情を見て他人の心を読む課題を行うときの脳の活動をfMRIで調べた研究で、オキシトシンが社会性に関わる脳機能を確かに促進するということが示されていた。この研究を紹介したあと、日本での研究状況はどうだろうかと気になっていた。しかし心配することはなかった。12月19日のJAMA Psychiatry誌に発表された東大精神科からの仕事は日本もこの分野をリードする研究が我が国で行われていることを示していた。研究からのメッセージは、私が12月3日に紹介したエール大学の仕事とほぼ同じだ。しかし、臨床研究として無作為化された研究で、対象として調べた患者さんの数も多い。しかも論文を送った日付はエール大学より半年も早い。要するに東大の研究の方が早く完成している。それだけではなく、研究の内容もより包括的な印象だった。さらに、文科省もこの分野を支援していることを知ってはっきり言って安心した。ただ一つ気になったのは、エールは思春期の児童について調べているのに、東大の研究は軽度自閉症の成人だ。ひょっとしたら、インフォームドコンセント等で日本の規制があまりに厳しすぎて、自閉症の児童を調べることが難しいのではないのかと心配する。少子高齢化が進む我が国で発達は最も重要な課題だ。以前も述べたが、オキシトシンの長期効果については否定的な論文が多い。これを克服するには、発達期の神経回路形成に介入することが必要になる。是非長期的研究も日本から生まれることを願う。
朝日の今さんの記事は正確で良くまとまっていると思う。(http://digital.asahi.com/articles/ASF0TKY201312190021.html?_requesturl=articles/ASF0TKY201312190021.html&ref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASF0TKY201312190021)しかし欲を言えば、自閉症研究についてのある程度の背景説明がないと、本当の内容は理解されないのではないだろうか。見出しについても、「自閉症:ホルモンを鼻に噴射して改善」は見出し用語としても何か変なことをしている印象がある。是非小児の脳研究等のあり方も含めた良い記事を目指してほしい。
12月19日日経新聞掲載:ロシアで出土のネアンデルタール人、両親は近縁かDNA解析結果
このホームページで10月15日、11月14日、12月5日に紹介して来たドイツライプチッヒ、マックスプランク人類進化研究所からの仕事がまたまたNatureオンライン版に発表された。おそらく、世界中の科学研究に関わる研究所の中で最も生産性が高く、世界的にも注目を集めている研究所といえるだろう。今回は、前に紹介したデニソーバ人の発見された同じ場所の違う地層から見つかった骨から回収されたDNAの全ゲノム配列決定の論文だ。タイトルは「Complete genome sequence of a Neanderthal from the Altai Mountains (アルタイ山から見つかったネアンデルタール人の全ゲノム配列)」。日本では12月19日付けの日経新聞が報道した。
(http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20131219&ng=DGKDZO64295120Z11C13A2CR8000)
「既にネアンデルタール人のゲノム配列は報告されているのに?」と思われるかもしれないが、これまでの論文より更に興奮度は高い。まず、上質のDNAが見つかっており、そのおかげで、普通にゲノム解析で行われる精度で全ゲノム配列が決まっている。更に興奮するのは、デニソーバ人が見つかった同じ場所の違う(古い)地層から骨が見つかり、それがネアンデルタール人だった点だ。高々数千年ぐらいしか離れていない時間帯に、全く異なる原人が同じ場所で見つかった。これからも様々な層からの骨が見つかると、当然期待出来るから、原人の像はますます生き生きとした物になること間違いない。しかし、技術の方も着実に進んでいることがこの論文からわかる。この精度で更に多くの原人のDNAが見つかって行けば、彼らがどのように暮らしていたのかがわかってくるはずだ。実際この仕事はそのことをはっきり教えてくれた。この精度のゲノム解析を基準として使えたことで、現在までに調べられた複数のネアンデルタール人、および1体の謎のデニソーバ人のゲノムを比較する際、様々な数理を安心して使えるようになる。この結果、この論文はネアンデルタール人の生活まで覗くことが出来ている。まず、ネアンデルタール人とデニソーバ人で遺伝子の交流がある。すなわち、何らかの形で交雑が行われている。また、ネアンデルタール人の遺伝子多様性から、彼らも普通の例えば類人猿のグループのように小さな集団で生活し、交雑していたことがわかる。更に驚くべきことは、これまでゲノムが調べられた原人と100万-400万年前に分離した新しい原人の存在が予想出来ることだ。勿論現代の私達日本人にとっても興味津々だ。既にわかっているように、私達はネアンデルタール人と共通する遺伝子を持っているが、これまでポリネシア人だけとされていたデニソーバ人の遺伝子もほんの少し共有しているようだ。当分外野でルーツ探しが楽しめること間違いないと、心躍る。
さて、他誌が取り上げない中で人類起源についての興奮を日経が取り上げたことは高く評価したい。ただ、やはりこれまでの背景が示されないと多分一般の人は縄文人の骨が見つかったという報道程度にしか興奮しないだろう。だから、「近親での関係が一般的」と、現代人との違いだけが強調されている。しかし、うまく伝えればこの興奮はiPSに劣らない。いつかもう少し長い記事で、私達の同族たちを詳しく紹介してほしい物だ。
12月19日 長期的視野の母体保護(12月12日 Nature寄稿記事)
このホームページで12月11日、妊娠期(特に初期の)母親の状況が胎児に影響して、障害続くエピジェネティックス変化を来すことを紹介した。これは、戦時下で飢えにさらされた妊婦さんの話として紹介したので、戦後豊かになった日本には関係ないことと受け止められることだろう。しかし、体型を気にしたダイエットや、格差による新しい貧困問題が広がりつつ在る我が国でも本当は「今そこにある危機」だ。そもそも妊婦さんの栄養指導を、子供へのエピジェネティック状態を正常にするためと位置づけたのはほんの最近のことで、これまでは妊婦さん自体の健康の観点から論じられることが多かった。そんな中で先週号のNatureに、低所得層の母親の教育に取り組んで来たDavid Baker(英国MRCの疫学研究所、今年8月他界)さんたちはこのような状態で生まれる子供が増加して、生活習慣病や精神疾患が増えることを心配して、妊婦さんを教育し、また支援することの重要性を訴えた短い意見を寄稿している。タイトルは「Support mothers to secure future public health (将来の公衆衛生を確かな物にするためお母さんたちを支援しよう)」だ。私達AASJも病気とともに発達が我が国の重要課題と思っており、自閉症をはじめ重点的に紹介しており、この寄稿文も紹介することにした。
寄稿文では、
1)母体の状態が子供のエピジェネティックス状態に大きな影響を持っていることが続々明らかになっていること。
2)これによって発達障害だけでなく、中年以後の生活習慣病の上昇が予想されること、
3)母体の栄養状態と子供の将来を調べた長期コホート研究の結果が発表されるようになったこと(例えば出生児体重と心臓病の相関等)
4)より詳細な聞き取りを基礎とした長期コホート研究がBakerさんたちにより始まったこと、
5)サザンプトンでは不利な環境にあるお母さんたちの食生活を変えるための指導がコホートと組み合わせて始まっていること
6)新しいコホートを科学的基礎に、政府にソフトドリンクの税を上げたり、食品会社と交渉したりする様促して行きたい
などが書かれている。
我が国ではエピジェネティックスと言うとすぐがんや生活習慣病等が考えられ、特別の研究支援も行われている。ただ、これまで最も多くのデータがあるのが胎児期のエピジェネティック状態の書き換えの話だ。人間の発達について長期間科学的なデータを集めるのはコホート研究しかない。前にも強調したが、それには長期的視野が必要だ。そして、それを始める人は自分が結果を見ることが出来ないという覚悟がいる。英国は保健等や格差等様々な点で我が国より問題が多いが、しかし長期コホート研究となると亡くなったBakerさんをはじめ多様な研究が進んでいることをひしひしと感じる。アメリカの中高での自然観察研究には、40年をかけて地球温暖化について調べると言うプログラムが行われるそうだ。長期の観察が必要な研究があることを実感させるプログラムだ。このような母体と胎児を保護のための科学的方法を決めるための長期研究への意志と支援が今後ますます必要になると思う。
12月13日毎日新聞(河内)記事。卵子の若返り「染色体置き換え」で可能に。高齢出産に光
私がまだ政府の生命倫理委員会のメンバーだった頃、一度未受精卵の核交換技術について議論をした覚えがあるが、その時議論の的はミトコンドリア病の治療にこの技術を許可して良いかだった。折しも、Nature Medicineの12月号に、「The path to prevent mitochondrial disease(ミトコンドリア病防止のための方法)」と言うタイトルの技術紹介記事が出ていた。詳細については、ミトコンドリア病についてニコ動で解説する時に紹介する予定にしているが、マウスやサルを用いた長期の研究が行われ、未受精卵の核交換により異常ミトコンドリアをどの程度減少させられるか、人間に利用する時想定される問題は何かなどがわかって来た事などが詳しく書かれている。この背景には、英国のNuffield委員会が、ミトコンドリア病の治療のための核交換に倫理的問題がない事を結論し、イギリスで生殖技術について議論するHFEAが核交換についてのガイドラインを発表した事がある。HFEAのガイドラインでは、応用が始まった時点で、長期に経過を追跡するコホート研究の重要性もしっかりと指摘されているようだ。
今回毎日新聞の河内さんの紹介した埼玉永井クリニックからの研究は、この意味ではタイムリーだと言える。(http://mainichi.jp/select/news/20131212k0000m040094000c.html) 特に、減数分裂で染色体が分離し始めるより前に核を取り出せばミトコンドリアも一緒に移植される確率がずいぶん減るだろうと言う素朴な発想で、技術的可能性に挑戦した仕事は、この分野のプロの目を感じさせる。しかし、この研究では国の遺伝子検査のガイドラインを満たせないと言う理由で、本当にミトコンドリアの持ち込みはないのかなど、必要な検討が全くなされていない。そのため、この論文にはアイデアと技術紹介以上の価値はない。この様なアイデアは先ず動物実験でしっかり確かめる事が重要で、特にミトコンドリアの持ち込みの様な複雑な現象を扱う場合、主義の有効性の評価は出来ない。従って、最初から無理をしてヒトでやるのではなく、長期的視野の計画を立て、データの取れる動物実験から始めるのが当然だと私は思う。
さて、河内さんの記事だが、先ず出だしに問題がある。即ち独立行政法人「医薬基盤研」などの研究チームとしているが、筆頭・責任著者の所属は埼玉の永井クリニックだ。研究助成金についてもほとんど記載がないと言う事は、永井クリニックが自前で行っている研究だろう。実際、医薬基盤研がどのような役割を演じたのか、論文からはほとんどわからない。この様な倫理的に特別の注意が必要な仕事の場合、それぞれの貢献をしっかり調べて記事を書くのが大事だと思う。もう一つの問題は、記事が全て卵子若返りの話になっている事だ。Nature Medicineの総説にもあるように、この技術が期待されているのはミトコンドリア病の防止のためで、英国のNuffield委員会やHFEAも卵子若返りのための応用は視野に入れていない。この様な背景をほとんど調べる事なく、浅い知識でプレス発表をジャーナリスティックに処理してしまうとこの様な記事になってしまうのだろう。特に見出しで「光」と書いて、最後に「倫理的な問題生浮上しそうだ」などと紋切り型の処理を白々と書かれると、科学報道ウォッチも当分続ける必要があると思った。
12月13日日経記事 iPS細胞から腎臓組織・熊本大・世界初の立体構造
ES/iPS細胞は身体のあらゆる細胞へ分化できる。ただ、細胞が出来たからと言って、正しく構造化された組織や臓器が造れる訳ではない。ただ、臓器形成する未熟な細胞を取り出して、その細胞が本来持っている自然の力をうまく引き出してやると、臓器様の立体構造を形成する事が知られており、我が国でも盛んに研究されている。例えば理研の笹井さんは大脳立体組織形成に成功しているし、このホームページでも7月4日に紹介したが、横浜市大の谷口さんは肝臓の立体組織形成に成功している。ただ、私自身はこのトレンドについては理解した上で、それでも腎臓の様な複雑な構造は当分できないだろうと考えていた。この予想を覆す仕事が12月13日日経の朝刊で紹介された熊大西中村さん達の仕事だ。(http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20131213&ng=DGKDASDG1205K_S3A211C1CR8000 )日経ではこの立体組織構造が形成できた事をそのまま腎臓移植と関連させて記事を書いている。ただ、この論文を良く読んでみると、臓器発生研究のお手本の様な仕事だ。西中村さん達は腎臓構成細胞の発生過程を中間段階の細胞や未熟組織レベルでほぼ完璧に明らかにしている。次に、これらの細胞の分化の各段階を誘導するために必要な因子を、胎児から取り出した様々な段階の細胞を使って決めている。次にマウスES細胞を培養し、先に決めた因子によって狙いの細胞が予想通り誘導される事を調べて、必要な因子の組み合わせが正しい事を確認している。この詳細な検討の仕上げとして、マウスES細胞から立体的な腎臓組織が作成できるか調べ、ついに一定の構造化を遂げた腎組織の形成に成功している。これでも脱帽だが、さらにマウスで得られた知識がヒトでも通用するかヒトiPS培養を用いて検討し、細胞や構造化した組織の誘導に成功したと言うすばらしい結果だ。これまで腎臓組織は簡単ではないと思っていたが、改める必要がある。
さて、日経の記事だが、多分熊大のプレス発表をほとんど使っているようだ。とは言え、記事でも透析に代わる腎移植の話を研究の内容より先に、しかも研究自体の紹介よりはるかに詳しく紹介してしまうと、患者さんの誤解の元になる事間違いない。実際、私自身もさきがけメンバーの仕事に反応した患者さんから、透析は必要なくなるのかと何回か聞かれた経験を持つ。今後記事の書き方を更に工夫して欲しいと思う。また、今回は研究そのものの紹介がほとんどなかった。腎臓の発生過程の詳細を明らかにして始めて組織化された腎臓組織の再構成も可能になる。発生過程の理解をスキップして試行錯誤を繰り返す研究の多い中で、西中村さんの研究は発生の理解を積み重ねて技術に至るというグランドストーリーだ。そんな研究の最も核心部分が記事の中では全て省略されたのは本当に残念だ。
全エクソームDNA配列検査が一般検査になる(New England Journal of Medicine 10月17日号掲載)
私たちのゲノムは大きく、蛋白質へ翻訳される部分と、それ以外の部分に分ける事が出来る。前者をエクソン、後者をイントロンを含む非翻訳領域と呼ぶ。遺伝病やガンの多くは、この翻訳されるエクソンのDNA配列が変化する事によって起こる。このため、この変異を調べるための様々な方法が開発されていた。しかし考えれば、面倒な事は辞めて、最初から全てのエクソンのDNA配列を決めれば済むはずだ(これを全エクソーム検査と言う)。事実、がん研究の分野ではがん細胞の全エクソーム検査が行われ、ガンの原因や経過の詳細が明らかになり、新しい治療につながっている事をこれまでも紹介した。ただこれまではコストの問題があり、一般検査と言うより、研究室での話だった。幸い、DNA 配列決定にかかるコストはますます低下しており、現在信頼できる会社に頼んで解析を依頼すると50万円ぐらいに下がって来た。更にそのコストは低下し、10万円になるのも時間の問題だろう。この様な時代を背景に、診断のために遺伝子診断が必要と医師が考えた200例を超す神経疾患の患者さんのエクソーム検査を行い、一般検査としてのエクソーム解析の意義を調べた研究が行われ、The New England Journal of Medicineの10月17日号に報告された。ヒューストンのベーラー大学の仕事で、「Clinical whole-exome sequencing for diagnosis of Mendelian disorders (遺伝病診断への全エクソーム配列決定の応用)」。結果はわかりやすい。全エクソームのDNA配列決定を行えば25%の患者さんの遺伝子異常が特定できると言うものだ。これまで遺伝疾患である事が疑われても、ほとんど遺伝子が特定できなかった事を考えると格段の進歩だ。エクソームだけでなく、全ゲノムを調べるようになれば更に診断率は上がるだろう。
2004年日本の研究機関が次世代シークエンサーをこぞって導入しようとした時期、アメリカでは1000ドルゲノム計画がスタートした。ゲノム検査を研究室から診療現場、そして最後は個人へと言う明確なメッセージが示されたすばらしい研究プロジェクトだが、その成果がますます拡がって来たのを実感する。また、12月9日にナビ席で紹介した「個人ゲノム情報に特許はかからない」というアメリカ最高裁の判断もこの様な背景を考慮した判断だろう。私たちもどうするのか議論が必要になって来た。