12月19日 骨髄腫に対するCAR-T治療後の神経変性(Nature Medicine 12月号掲載論文)
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12月19日 骨髄腫に対するCAR-T治療後の神経変性(Nature Medicine 12月号掲載論文)

2021年12月19日
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Nature Medicineが選んだ今年の10大ニュースの最初が、CAR-T治療が骨髄腫にも拡大されたというニュースだった。今年の3月The New England Journal of Medicine(384:705)、140人の再発や治療の難しい骨髄腫患者さんを用いた第2相の試験で、なんと73%のレスポンスが見られ、そのうち33%は完全寛解を経験したというめざましい結果だ。他にも7月には、同じ抗原を標的にした異なるCAR-T治療がThe Lancet に発表され、こちらはレスポンスが97%、完全寛解が67%と驚くべき結果だった(The Lancet 398,314)。 このとき標的に使われた抗原が、B cell maturation antigen と呼ばれるTNFファミリー分子で、これまで抗体薬としても使われ、骨髄腫治療に最適と選ばれている。このときの副作用としては、一般的なサイトカインストームとともに、白血球減少、貧血、血小板減少などが指摘されるとともに、18%に神経症状が指摘されていた。

今日紹介するマウントサイナイ医学校からの論文は、7月に報告された方の、B cell maturation antigen(BCMA)を標的にしたCAR-T治療を受けた患者さんの一人が、進行するパーキンソン病様の運動障害を発症し、亡くなったことを報告し、人によってはBCMAが脳で発現する可能性を示した重要な論文で、Nature Medicine12月号に掲載された。タイトルは「Neurocognitive and hypokinetic movement disorder with features of parkinsonism after BCMA-targeting CAR-T cell therapy(認知症とパーキンソン病様の運動能低下がBCMAを標的とするCAR-T細胞で誘導された)」だ。

これは一例報告で、神経症状が副作用として現れた患者さんで同じことが起こっているのかわからない。

この患者さんは、サイトカインストーム症状は比較的長引いたようだが、2ヶ月前に退院している。しかし、101日目には運動障害が認められ、震え、さらに記憶障害が起こり、脳に強い変性があることが認められる。運動障害はパーキンソン病に似てはいるが、ドーパミン治療は全く効かず、広範囲で脳の活動の低下が見られている。

最も驚くのは、末梢血中のT細胞のほとんどがCAR-Tで閉められるようになったことで、実際にメモリー型のT細胞が発生して、大量のCAR-Tが作られるようになってしまっている。そして、脳脊髄液にもCAR-Tは認められ、脳への浸潤が疑われた。最後の手段として、CAR-T増殖を抑えるため、抗がん剤の投与が行われ、少し効果は見られたが、患者さんは162日目に亡くなっている。

解剖では、リンパ球浸潤と、グリア細胞の増殖が認められ、脳で炎症が広く起こっていることがわかる。そして、一部の神経細胞とアストロサイトでBCMAの発現が認められ、これにCAR-Tが反応して脳症状が発生したことが結論された。

以上のことから、

  1. 脳でもBCMAが発現していること、
  2. CAR-Tは脳血管関門を超えて脳に浸潤できること

が明らかになり、この治療を受けるときに、必ず同じ危険は覚悟する必要がある。面白いことに、3月に発表されたide-cellではまだ同じ報告はなく、さらにリスポンスも低いことから、ひょっとしたら抗原へのアフィニティーを変えれば、反応は落ちるが、副作用は防げるのかもしれない。

これまでガンに対してメモリー型の細胞の出現を望むことも多かったが、この例を見ると、それもほどほどであることもわかった。しかし、この症例でこれほどのメモリーが形成された原因は是非知りたい。

いずれにせよ、ide-cellとcita-cellの治験の長期予後をさらに注視する必要がある。

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12月18日 重症統合失調症のゲノム構成 (12月13日 米国アカデミー紀要 オンライン掲載論文)

2021年12月18日
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現在では、自閉症スペクトラムや統合失調症の形成に、遺伝子が深く関わっていること、またその中の多くは遺伝していることは広く受け入れられるようになった。しかし、私が学生の頃、統合失調症に一定の家族性が見られるから遺伝性があると言ったため、暴行を受けた先生がいたぐらいで、遺伝性をタブーとする医師が多くいたように思う。

これまでゲノム解析によって、統合失調症と相関するSNPの数は100を遙かに超えていると思う。ただ、このほとんどは頻度の高いバリアント(common variant:CV)で、これらによる多因子支配となると、ほぼ性格と同じレベルの差になってしまう。その後、何万もの患者さんのゲノム解析が進んでくると、何千人、何万人に一人といった希なバリアント(rare variant:RV)が特定され始めた。この結果、統合失調症はCVが集まって生まれた性格的傾向の上に、RVが決定的な発病原因として後押しをすると考えられるようになった。

今日紹介するテキサス・ベイラー医大からの論文は、統合失調症をさらに重症度で分けて、RVの関与を調べた研究で12月13日米国アカデミー紀要にオンライン掲載された。タイトルは「High-impact rare genetic variants in severe schizophrenia(重症統合失調症での高い影響力のあるrare variant)」だ。

医師から見ると、統合失調症も多様だ。特に、様々な薬剤が利用できるようになって多くが社会生活を送れるようになっているが、中には治療抵抗性で長期の病院生活を強いられるケースも多い。

この研究では5年以上入院を必要とした患者さんを重症の統合失調症(実際にはDSM-5と呼ばれる診断基準で決めている)を、社会復帰可能な典型的統合失調症から分けている。じっさい、重症患者さんの平均入院年数は25年に及ぶ。

こうして選ばれた112人の患者さんの全ゲノム解析を行い、このゲノムと、変異により発生異常などが発生することがわかっているRVリストと比較し、統合失調症に遺伝子機能異常を起こすRVの影響を測定している。

結果は明確で、コントロールと比較したとき、典型的統合失調症、重症統合失調患者さんで、遺伝子機能が損なわれるミスセンス変異の現れるオッズ比は0.9 vs 3.55、機能が変化する変異は1.3 vs 1.6と、大きな差がある。さらに、重症患者さんのほぼ半数で、ミスセンス変異か機能ロス変異が見られる一方、典型例では28%にとどまっている。

これまで症状の重さを区別せず数多くの統合失調症エクソーム解析から作成されたRVリストがあるが、その上位遺伝子変異の頻度は、逆に重症患者さんでは低い。すなわち、一般の脳形成、発達、維持に影響するRVが重傷者に見られ、典型例とは遺伝構成で大きく異なることを示している。

このような重症者で見られた遺伝子の例を見ると、

  1. FOXP2:この遺伝子が欠損すると、特異な構音障害が起こることがわかっている。
  2. WBP11:脳神経症状を伴う全身の発達異常を示す。
  3. DIS3L2: 神経発達障害パールマン症候群の遺伝子

などがあり、マイルドな発達障害が重症統合失調症発症に関わることがわかる。

最後に、同じような遺伝子背景で発生すると考えられている自閉症で、重症統合失調症に関わる変異がオーバーラップするかも調べているが、こちらも全く重ならない。すなわち、重症統合失調症は全く異なるメカニズムで発生する。

以上、今後遺伝子診断を早期に行って、病気のコースをしっかり調べる研究は重要になると思う。この論文で、現在でも20%の重症統合失調症は遺伝子診断できると言っているので、これにより統合失調症のみならず、私たちの精神についても理解が進むと期待したい。

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12月17日 大腸ガンへの2本の道 (12月14日 Cell オンライン掲載論文)

2021年12月17日
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腸の幹細胞マーカーを駆使した遺伝子操作によるHans Clevers研究室からの数々の仕事によって、直腸ガンは幹細胞で遺伝子変異が起きたことで発生するという考えがドグマ化していた。しかし考えてみると、これはAPC/ras をガンのドライバーとした研究で、直腸ガンへの他の道はないのか、見直すことは重要だ。

今日紹介する米国バンダービルド大学からの論文は、ガンになる前のヒトのポリープの細胞遺伝学的解析からヒントを得て、直腸ガンへは幹細胞ルートの他に、メタプラジア(異形成)ルートが存在し、両方のガンは特に誘導される免疫反応などで大きく異なっていることを示した、重要な研究で、12月14日Cellにオンライン掲載されている。タイトルは「Differential pre-malignant programs and microenvironment chart distinct paths to malignancy in human colorectal polyps (異なる前ガンプログラムと微小環境がヒトの大腸ポリープの悪性化の異なる道を示す)」だ。

ガン発生への道を知るためには、もっと早い段階での解析が必要と考え、この研究では62のポリープを、組織、エクソーム、そしてsingle cell RNAseq(scRNAseq)を用いて調べ、

  1. ポリープは、従来から指摘されているように、組織学的に2種類(AD型、SER型)に区別できる。
  2. AD型はWntシグナルなど幹細胞の特徴を残し、一方SER型は分化した細胞が障害により異形成を起こしたときに見られる特徴を持っている。
  3. ガンドライバー変異は、AD型でras変異、SER型ではBRAF変異が多い。
  4. scRNAseqを用いた系統樹から、AD型は幹細胞由来で、SER型は分化した栄養吸収を行う細胞由来。
  5. オルガノイド形成は、AD型のほうが遙かに簡単。

以上、様々な方法で特定できる異なるポリープ形成の道が存在すること、特に幹細胞型だけでなく、腸内の細菌叢などの作用で起こった障害により誘導されるメタプラジア(細胞の胎児化を伴う)を基盤にする道の存在を特定した後、このデータにもとづいて大腸ガンのデータを見直している。

結果、ガン化の過程で、ポリープ発生時の特徴は強く抑えられるものの、元の性質は残っており、従来の大腸ガン分類の多様性と一致する。さらに驚くことに、染色体不安定を示す直腸ガンのほとんどは、幹細胞型由来ではなく、分化マーカーを発現したメタプラジア由来であることがわかった。

染色体不安定を示す直腸ガンは、ネオ抗原が多く、高い免疫反応が誘導されることが知られているが、実際キラー細胞の浸潤はメタプラジア型ポリープ由来ガンで多い。しかし、この浸潤はまだ染色体不安定性のないポリープ段階から存在し、そのまま直腸ガンまで維持されている。一方で、抑制性T細胞は、幹細胞型のポリープで多く見られる。

この結果は、染色体不安定性によるネオ抗原の生成がガン免疫反応を誘導すると言った単純な関係以外に、メタプラジアからポリープ段階で、すでに免疫監視との関係が成立している可能性を示唆する。一方、抑制性T細胞が幹細胞型ポリープに多く浸潤するのも、深い意味がある可能性がある。

結果は以上だが、ポリープからガンまで、2つの道筋が示され、診断法が示されたこと、そして、それぞれの道が免疫と異なる関わり方を持つことが示されたのは、直腸ガンの臨床に大きなブレークスルーになるのではと期待できる。

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12月16日 トランスポゾン活性化が炎症を起こすメカニズム(12月3日号 Science Immunology 掲載論文)

2021年12月16日
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炎症はもともと症状で定義された病理学的概念だ。その後、原因によって炎症が考えられるようになり、細菌やウイルスによる炎症概念が確立していった。しかし、炎症の症状は感染がなくても起こる。わかりやすいのは、外傷で起こる炎症で、その原因を探っていくと、細胞内寄生バクテリア、ミトコンドリアが壊れて、細菌と同じようにDNAやformyl peptideが遊離されて、TLR9とformyl-peptide receptorを刺激することがわかった。すなわち、内因、外因を問わず、同じメカニズムで炎症が起こる。

この概念がさらに拡大させたのがインフラマゾームの発見で、外部からのバクテリアに限らず、DAMPと呼ばれる内因性の様々な分子(自由脂肪酸まで含まれる)このインフラマゾームを活性化して炎症を誘導することが明らかになった。その結果、動脈硬化、糖尿などの生活習慣病から老化に至るまで、炎症という枠内で捉えることが可能になった。

外因性および内因性の炎症刺激物質をそれぞれPAMP、DAMPと名付けているが、今回Covid-19感染で問題になったRNAウイルス(=PAMP)と同じように炎症を誘導する内因性のRNA(=DAMP)も存在することがわかっている。特に、内因性のトランスポゾンが活性化されると、炎症を誘導してSLEや黄斑変性症が起こることが知られている。

今日紹介するバージニア大学からの論文は内因性トランスポゾン由来RNAがインフラマゾームを活性化する機構を解明した研究で12月3日Science Translational Medicineに掲載された。タイトルは「DDX17 is an essential mediator of sterile NLRC4 inflammasome activation by retrotransposon RNAs(DDX17はレトロトランスポゾンRNAによるNLRC4インフラマゾームの活性化に必須の因子)」だ。

地味だが堅実に実験を積み重ねるタイプの研究で、トランスポゾン由来RNAを導入した時に誘導されるインフラマゾーム活性化のメカニズムを丹念に追いかけている。詳細を省いて結果をまとめると次のようになる。

内因性のトランスポゾンが活性化され、RNAが転写されると、これにRNAヘリカーゼDDX17が結合し、この複合体がインフラマゾームの核になるNLRC4とNLRP3と結合する。このRNA-DDX17複合体が、NLRC4インフラマゾームにNLRP3インフラマゾームを引き込む機能を有している。ただ、このインフラマゾーム複合体形成に必要なASC分子のリクルートを誘導する引き金は、外因性のPAMPで誘導される場合と異なり、NAIP分子は利用されず、逆にPAMPではめったに利用されないPKCδ活性化経路が利用され、ASCがリクルートされる。

重要なことは、この経路は通常のウイルスRNAとは反応しない点で、内因性トランスポゾン由来RNAで炎症が誘導されるには特別なメカニズムが備わっていることがわかる。

最後に、SLE患者さん、黄斑変性症の網膜色素上皮を調べ、トランスポゾンRNAが誘導されていること、PKCδ活性が高まってNLRC4のリン酸化が見られること、インフラマゾーム形成部位にこれらの分子が見られることなどを示し、実際にここで示された結果が起こっていることを示している。

以上が結果で、トランスポゾンはDAMPとして、炎症の原因になることがよく理解できた。この研究はほんの一例だが、今炎症研究は目が離せないほど面白い。

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12月15日 ALSでの神経死に関わるTDP-43フィラメントの分子構造が明らかになった(12月8日 Natureオンライン掲載論文)

2021年12月15日
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多くの神経変性性疾患が、細胞内のタンパク質沈殿により誘導されることは、広く認められるようになっている。ハンチントン病のような遺伝的異常(CAGリピート)によるものに限らず、アルツハイマー病ではTauタンパク質、パーキンソン病やレビー小体認知症ではαシヌクレインの細胞内沈殿が見られる。

同じように、運動神経の麻痺が進行的に進む筋萎縮性側索硬化症(ALS)や、行動異常を示す前頭側頭型認知症の一部では、TDP-43と名付けられたRNA結合タンパク質の沈殿が起こることが知られており、この沈殿構造の解明が待たれていた。

今日紹介するケンブリッジ大学からの論文はTDP-43の細胞内沈殿の構造をクライオ電顕で解読した研究で、12月8日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Structure of pathological TDP-43 filaments from ALS with FTLD(ALSと前頭側頭葉変性症が合併した患者さんからの病理的TDP-43フィラメントの構造解析)」だ。

論文には都立臨床研と愛知医科大学の研究者が共著者で参加しており、コントリビューションを読むと、2人のALSとFTLDが合併した患者さんからTDP-43フィラメントを調整したのは都立臨床研の長谷川さんになっていることから、日本人患者さんのサンプルから調整されたフィラメントではないかと推察する。この研究が、このTDP-43フィラメント精製なしにあり得ないことを考えると、貢献は大きい。

患者さんはALSを誘導するC9orf72のGGGGCCリピートが見られるものの、TDP-43遺伝子には全く変異は存在しない。すなわち、正常のTDP-43が沈殿を起こしている。この沈殿の核になっている構造は、タンパク質分解酵素に抵抗性で、フィラメントを精製後、タンパク質分解酵素処理した後に残る分子をクライオ電顕で解析している。実際には282番目から360番目までの78アミノ酸からなるコンパクトな構造が、フィラメントの核になっている。

タンパク質構造解析には疎い方なので、個人的に重要と思った結果を以下に紹介しておく。

  1. 異なる患者さん、前頭側頭皮質と運動皮質という異なる領域から精製されたTDP-43フィラメントの構造は完全に一致しており、この構造が神経変性の鍵を握ると考えられる。
  2. 疎水性の中心が、グリシンの多い領域と、グルタミンアスパラギンの多い領域で囲まれた平板な構造を形成し、この平板な構造が積み重なって、右回りのらせん構造をとって、フィラメントができあがっている。同じ構造のフロアーがらせん状に積み上がった高層ビルディングとも言える構造は極めて美しい。
  3. 試験管内でTDP-43の沈殿を形成させる研究が行われていたが、この構造と生体内で出来た構造とは全く異なる。
  4. Tauやシヌクレインのような、長いβ鎖を使って起こる重合とは全く異なるメカニズムの重合が起こっている。実際に、アルツハイマー病やパーキンソン病でもこの構造が発生することが指摘されており、TDP-43はこれらの病態に深く関わる可能性がある。
  5. ALSの発症を早めるTDP-43分子の24種類の突然変異のうち、18種類がこのコアで起こっており、この構造が形成されるプロセスの理解につながる可能性がある。
  6. 病型の異なる前頭側頭葉変性では、タンパク質分解酵素に対する異なる感受性があり、これもこのコア構造が形成される過程理解の手がかりになる。

以上が重要と思った結論だが、構造が明らかになったことで、今後はこの特殊な構造が縦走するメカニズムの解析が進むと思われる。その意味では、試験管内でこの構造を形成させる系の確立が必要だが、相分離から繰り返し構造が形成されるという生命発生過程と共通する面白い過程だ。もちろん、ALS治療法開発にも大きく貢献すると期待している。

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12月14日 匂いのアナログ性のメカニズム(12月7日 Cell オンライン掲載論文)

2021年12月14日
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デジタルコンピュータと違って、私たちの神経はずっとアナログなことがわかっている。しかし脳とコンピュータのイメージが重なってしまうため、刺激をどうしてもオンオフで考えてしまう。例えば、私は自分の家を始め、複雑な匂いの組み合わせを認識することが出来るが、匂いの入り口の1000個近くある嗅覚ニューロンのオンオフパターンが中枢で統合されているからだと考えてきた。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、匂いのアナログ性は、匂い分子に反応する一個一個の嗅覚ニューロンの発現する70種類程度の分子の発現パターンで表象されていることを示した研究で、匂い受容についての私の理解を完全に変えてくれた。タイトルは「A transcriptional rheostat couples past activity to future sensory responses(過去の活動を将来の感覚反応にリンクさせる転写レベルの可変抵抗器)」で、12月7日Cellにオンライン掲載された。塚原さんという日本人が筆頭著者になっている。

このHPで、何度もsingle cell RNA sequencing (scRNAseq)のパワーを紹介してきたが、この論文を読んで、匂い受容体の解析ほどこのテクノロジーが有用な領域はないのではと思った。

研究の基本は、scRNAseqを用いて様々な臭い環境を経験したマウスの嗅覚ニューロン(OCN)を解析している。OCNは1000個程度存在する臭い受容体(OR)の中の一つだけを発現しており、また神経投射も発現しているORにより誘導されるので、ORごとに遺伝子発現が変化すると考えられる。これにより、臭いを嗅いだとき、どの神経が興奮したのかなど、詳細に調べることができる。例えば単純な化学物質に対する臭いでも、異なるORを持つOCNセットが反応しているのがわかる。

ただ予想したとおり、それぞれのOCNのオンオフによるデジタルパターンではなく、それぞれのOCNレベルで70種類程度の遺伝子発現パターンで多様性が存在し、このパターンはORの種類や刺激の有無だけでなく、OCNの組織学的位置などによって変化する。

次に、100万近い様々な条件の神経細胞の遺伝子発現パターンの解析から、マウスが経験した臭い環境を推定できる指標の開発を試みている。実際この指標を使うと、複雑な環境からの臭も、scRNAseqの発現解析で特定のパターンを安定に示すことがわかる。すなわち同じ臭いを経験したかどうかを予測することができる。

個人的な意見だが、この時、臭い刺激による変化だけでなく、鼻にプラグを入れて、匂わない環境での変化も調べ、その差をもとに臭い環境スコア(ES)を開発したことがこの研究のハイライトだと思う。神経研究はどうしても刺激したときの変化だけに注目しがちだが、私たちの認識は、「有る」という認識と「無い」という認識のセットで出来ている。この、「無い」認識も含めることで、個々のOCNの状態を定義できるようになった。

膨大な実験が行われており、一つ一つ創意工夫に満ちた面白い研究だが、それを全て割愛して結論だけをまとめておく。

  1. 個々のOCNは、70種類の異なる遺伝子の発現パターンで定義できる状態の連続的変化に基づいて活動が規定されている。可変抵抗器のポジションの違いに近いという意味で、可変抵抗器というタイトルをつけている。
  2. このポジションは、一種の細胞レベルの記憶と考えられるが、環境を経験した後すぐに起こってくる変化と、4時間ぐらい後でも残っている変化に分けられる。これが、個々のOCNに起こるが、その全体のパターンが統合され、匂いのアナログ的記憶を支えている。
  3. これまで、個々のOCNを刺激したときの変化として特定されていた遺伝子発現変化ではこの状態を定義できない。(おそらくこれまでは刺激への反応だけが注目されていたが、この研究では臭わない時の反応まで組み入れている)。

これまで、OCN刺激実験は、できるだけ単純な刺激を強く与えるという形で行われていた。この研究では、わざわざ食べ物や床敷きを混ぜて新しい環境を形成し、これがにOCNのESスコアとして表現できることを示しており、匂いのアナログ性が見えるようにした優れたアイデアだと思う。

神経認識についていろいろ学ぶところの多い論文だった。

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12月13日 固さを嗅ぎ分ける細胞移動:アフリカツメガエル発生学の真骨頂(12月8日 Nature オンライン掲載論文)

2021年12月13日
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私が大学に入学した頃は、発生学と言えばカエルやイモリの両生類を用いた生物学が中心で、教養でも「Developmental Biology of Amphibian」を用いて発生学を習った覚えがある。もちろんシュペーマン、マンゴルトの歴史的実験が多く記載された本で、古典的研究者像が湧き出ていた教科書だったと覚えている。

しかし21世紀に入ってから、両生類を用いた発生学をトップジャーナルで目にする機会は大きく減った。様々な理由はあるだろうが、他の動物での胎児操作技術が進展して両生類を使う理由が減ったのと、職人肌の研究者を育てる場所がなくなったのが大きな理由だと思っている。

しかし「どっこいカエルは生きている」、と思える、アフリカツメガエルの胚を使った楽しい論文がUniversity College Londonから、12月8日Natureにオンライン出版された。タイトルは「Collective durotaxis along a self-generated stiffness gradient in vivo(自発的に形成される固さの勾配に沿った様々な要因が共同したDurotaxis)」だ。

タイトルのdurotaxisとは、細胞外マトリックスなどのメカニカルな固さの違いを感知して、基本的には固いマトリックスの方に細胞が移動する過程を指し、化学的分子の勾配を感知するChemotaxisと区別して使われている。

この論文は、神経堤細胞が頭部のプラコードと呼ばれる感覚器源基に移動する過程にdurotaxisが関わることを証明することを目的にしている。

まず結論をまとめると、

  1. 神経堤細胞がプラコードの端に移動してくると、上皮組織からなるプラコードでフィブロネクチンなどのマトリックス産生が上昇して、固さの勾配ができ、それに沿って神経堤がさらに移動する。
  2. この勾配は神経堤細胞がプラコード上皮と相互作用することで形成される。すなわち、神経堤細胞が勾配を誘導する。
  3. この移動には、Chemotaxisを誘導するSdf1も関与するが、組織の硬さ勾配が形成されないと、Chemotaxisは機能できない。
  4. 勾配によりRACとそれによって調節されるアクトミオシンの極性が生じて移動の方向性が決まる。
  5. プラコードの固さをNカドヘリンが低下させる。従って、Nカドヘリンの発現がないと固さの勾配が形成できない。

以上が結論で、書いてしまうとなるほどで終わるのだが、実際に行われた実験は、まさに職人研究者復活と言うべき実験のオンパレードだ。Sdf1を塗布したビーズを胚に導入してそのビーズを引っ張って正常より急な勾配を誘導して、正常のプラコードと競争させたり、プラコード上皮を胚から除いて神経堤細胞のランダムな移動を誘導したり、固さ勾配のあるポリアクリルアミドゲルを胚内に誘導して神経堤の動きを観察したり、その職人芸には驚かされた。

珍しく著者は2人だけだが、職人芸を研究者だけの手作りの世界が示されているので当然だろう。

若い研究者の人たちには、結論だけでなく、こんな実験の仕方もあるのだと是非論文を直に読んで欲しい。

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12月12日 アディポカインFABP4は膵臓のインシュリン分泌を抑える:糖尿病治療の画期的標的になるか?(12月8日号 Nature 掲載論文)

2021年12月12日
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なぜ肥満は健康を冒すのか、阪大の松沢先生など多くの開拓者の研究が行われてきたが、脂肪細胞から分泌されるアディポカインがその鍵を握っていることは確かだ。この中にはメタボに対してよい効果を示すアディポネクチンのようなアディポカインも存在するが、逆にインシュリン抵抗性を促進すると考えられているのがFABP4だ。FABP4はもともと自由脂肪酸の脂肪組織からの分泌に関わり、飢餓状態でエネルギーを脂肪組織から他の組織に移動させる役割を担っていた。さらに、脂肪組織だけでなく、アディポカインとして体の様々な細胞を、飢餓に適応したエネルギー代謝に統合する役割も担っていた。ところが、人間が飢餓を経験せず過食になると、飢餓に備えるFABP4は逆にメタボを促進する原因になる。特に、インシュリン抵抗性と糖尿病のリスク因子になることが、FABP4ノックアウトマウスの解析から示唆されていた。

今日紹介するハーバード大学からの論文は、FABP4の膵臓β細胞への作用の分子メカニズムを解明した重要な研究で、12月8日、Natureにオンライン掲載された。タイトルは「A hormone complex of FABP4 and nucleoside kinases regulates islet function(FABP4のホルモン複合体とヌクレオシドキナーゼが膵島の機能を調整する)」だ。

FABP4ノックアウトマウスでは、ブドウ糖に反応するインシュリン分泌反応が高いことが知られており、この研究ではこの原因の一つが、膵臓の膵島の数がFABP-KOマウスで高まっていることを確認する。すなわち、FABP4は膵島に直接働くアディポカインであることがわかる。実際、2型糖尿病だけでなく、1型糖尿病でもFABP4の分泌が高まり、またFABP4ノックアウトマウスを1型糖尿病マウスと掛け合わせると、β細胞数が低下するのを抑えることができる。また、FABP4に対する抗体でも、1型糖尿病の進行を遅らせることができる。

以上のことから、FABP4 が直接β細胞に働き、様々なストレスによる細胞死を抑えることがわかるが、不思議なことにβ細胞の培養系にFABP4を加えても何の変化も起こらない。

この不思議を、FABP4がβ細胞に働くには、体内の他の分子と結合して初めて作用を持つと着想し、最終的にFABP4が細胞外のアデノシンキナーゼ(ADK)と結合したときに、試験管内でのβ細胞のブドウ糖依存性インシュリン分泌を誘導できることを発見する。すなわち、一般的なアディポカインと異なり、細胞外のADKとセットで効果を示す不思議な分子であることを明らかにした。

この複合体のβ細胞への作用をさらに詳しく調べ、ちょっと複雑でわかりにくいと思うが以下の様なシナリオを提案している。

まず、ADKはnucleoside diphosphate kinase (NDK)と複合体を作っており、細胞外のADPとATPのバランスをとっている(ADKはATPを上昇させる)。FABP4はADKと結合して、ADK活性を高め、NDK活性を抑えることで、細胞外のATPを高める。一方、FABP4が存在しないと、このバランスはNDKへ傾きADPが高まる。このADPは、P2Y受容体を介して細胞内のcAMP合成を抑える。β細胞ではこのcAMPシグナルがカルシウムの小胞体と細胞質間の移動に関わり、インシュリン分泌に必要なカルシウム流入効果を変化させる役割を持っている。すなわち、FABP4がNDKと結合して、ADP量が低下し、P2Y シグナルが低下すると、cAMPが上昇して、ERから細胞質へのカルシウム移動が誘導され、インシュリン分泌に必要なカルシウム流入効果が減弱し、インシュリン分泌が低下することになる。

少しわかりにくかったかもしれないが、FABP4がなぜインシュリン分泌を抑えるのかが初めて説明された。当然この結果、1型であれ、2型であれ、FABP4が高いとβ細胞へのストレスが上昇し、インシュリンが出ないだけでなく、β細胞の変成が起こり、糖尿病が進行すると考えられる。

もちろん、FABP4は様々な臓器に対して効果を持っており、全てがこの経路かどうかはわからない。従って、糖尿病の進行を抑える目的でFABP4の機能を抗体でブロックしていいかどうかは今後の研究が必要だろう。しかし、膵臓β細胞でP2Yシグナルをもし高めることができれば、細胞のストレスを改善できるという発見は、全く新しい糖尿病治療に向けた治療法の開発につながる期待を持っている。しかし、糖代謝は複雑だが面白い。

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12月11日 エクササイズの科学 II : 運動で筋肉老化が防げるメカニズム (12月8日 Science Translational Medicine 掲載論文)

2021年12月11日
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昨日はエクササイズが脳を活性化するという研究だったが、高齢者にとってエクササイズが重要な最大の理由は、もちろん筋肉の衰えを防ぐことだ。事実、筋肉が進行的に衰えるサルコペニアは高齢者にとって重大な問題で、これを防ぐには筋肉運動を維持するしかないのだが、ではエクササイズが筋肉ロスをなぜ予防できるのか、そのメカニズムはよくわかっていなかった。

今日紹介するローザンヌ・EPFLからの論文は、cytorと呼ばれるノンコーディング long RNAが運動により筋肉が維持される鍵となることを、人間から線虫までのモデルと、多彩なテクノロジーを駆使して示した研究で12月8日Science Translational Medicineに掲載された。タイトルは「The exercise-induced long noncoding RNA CYTOR promotes fast-twitch myogenesis in aging(エクササイズにより誘導されるノンコーディングRNA CYTORは高齢者の速筋形成を促進する)」だ。

すでに述べたように、データベースから細胞培養、線虫からマウス遺伝子操作、そしてよくまあここまでと思うぐらい様々なテクノロジーを用いた力作で、ここまでやらないとトップジャーナルには掲載されなくなっているのかと驚いてしまう。

この研究は最初からノンコーディング longRNA(nlRNA)に焦点を当て、すでに存在する筋肉運動と遺伝子発現に関するデータベースから、運動によって誘導されるnlRNA CYTORを特定している。

次に、CYTORの発現を様々な実験系でコントロールすることで、

  1. 運動によりCYTORが誘導されると、早い筋肉運動に関わるtype II筋管形成に必要な転写プログラムが発現し、速筋の筋管形成が促進されること、
  2. CYTORがノックアウトされると、若い筋肉でも筋量が50%低下すること、
  3. 老化マウス筋肉に遺伝子操作でCYTORを発現させると、筋肉の低下を抑えることが可能であること、
  4. 元々CYTORを持たない線虫でも、CYTORを発現させると、筋肉の老化を防げること、

などを示し、エクササイズと連動したCYTORが速筋のtype II筋管誘導を介して、筋肉機能の維持に関わっていること、また老化による筋肉低下を考えるときの鍵になる分子であることを明らかにしている。

次は、運動によりCYTORが調節されるメカニズムについて、CYTORの発現と相関するSNP、rs74360724をゲノムデータ解析から特定し、これがエンハンサー領域として運動によりCYTORプロモーターに近接することで、CYTORが誘導されることを明らかにしている。残念ながら運動により働く転写因子についてはまだ特定されていないが、クロマチン構造の変化や、エンハンサーとプロモーターのルーピングまで、本当によく調べている。

そして最後は、ノンコーディングRNA,CYTORがtype II筋管誘導をプロモートするメカニズムだが、クロマチン構造の解析から、メカニカルシグナルに関わるTead1の転写が低下することを示し、ノンコーディングRNAがこの過程をどう調節できるか明確なシナリオを提出している。

一般の人にはTeadといわれても何のことかはわかりにくいと思うが、発生に興味のある研究者にとって、最後にTeadが出てくると、なるほどと膝を打って納得するシナリオだ。

本当に高いレベルの力作だと思うが、我々高齢者にとっては、なんとかこのnlRNAを細胞内で高めて筋肉老化を抑えたいと願う。また、CYTORに関わるSNPが特定できており、今後筋肉ロスが起こりやすい人とそうでない人を前もって特定できる可能性も、臨床的には重要だ。

カテゴリ:論文ウォッチ

12月10日 エクササイズの科学 Ⅰ: ランナーの血清は炎症を鎮めて脳を活性化する(12月8日N ature オンライン掲載論文)

2021年12月10日
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昨日ピックアップした論文の中に、エクササイズについての面白い論文が2編発表されていたので、今日から2回に分けて紹介することにした。この2編にかかわらず、この頃エクササイズの効果を科学的に調べる論文が増えてきたように思える。様々なテクノロジーがそろってきて、これまで難しいと手がつけられなかった運動の科学が進んでいるのだと思う。我が国でも、東北大学の楠山さんは、なんと妊婦さんの運動が子供に及ぼす効果についての論文を発表している(Cell Metab. 2021 May 4;33(5):939-956.e8.)。

今日紹介するスタンフォード大学からの論文は1ヶ月、ランニングホイールで運動させたマウスの血液が、全身の炎症を鎮め、脳細胞の増殖を高める因子を含んでいることを示した研究で12月8日Natureにオンライン出版された。タイトルは「Exercise plasma boosts memory and dampens brain inflammation via clusterin(エクササイズ血清はClusterinを介して記憶を促進し、脳炎症を抑える)」だ。

エクササイズは、神経変性疾患の進行を抑え、記憶力を改善することが疫学的に示され、認知症の治療にも取り入れられている。運動はもちろん筋肉を中心とする身体の活動で、脳細胞も使ってはいるが、エクササイズの効果が脳に現れるためには、全身から何らかの因子が脳に指令を送ると考えられ、このような因子を特定し、治療に利用できないか研究が進んでいる。

昨年、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のグループは、エクササイズで誘導され、老化でレベルが低下し、投与することで認知機能が改善するGpld1を発見している。これがトランスレーション可能か、高齢者の一人としては気になるところだが、今日紹介する論文も全く同じ方向の研究になる。

28日間、自由にランニングホイールで遊べる環境で過ごしたマウスの血清は、普通に飼育したマウスの血清と比べ、海馬の神経の増殖を促進し、コンテクスト記憶を高める働きがある。

この血清により脳細胞に起こる遺伝子発現の変化を見ると、炎症抑制に関わる因子が含まれることがわかったので、LPS投与による脳炎症にエクササイズ血清を投与すると、炎症を抑制する効果がある。また、この効果が凝固システムと補体への作用を介して発揮されていることを特定している。

エクササイズにより誘導される血中分子のトップ4を個別に検討する研究から、最終的にタイトルにあるclusterinがこの作用を媒介する一つの要因であることを示している。

結果は以上で、もう一度まとめると、エクササイズは凝固や補体に作用する因子の合成を高めることで、炎症を抑えるが、その中の補体カスケード抑制因子clusterinは脳血管内皮に働いて、脳炎症を鎮めることで、間接的に脳細胞の増殖や活動を高めているということになる。

最初の脳活動への影響を調べた結果は本当に驚くが、後は普通の論文といった印象だったが、一つでも運動効果のメカニズムが解明されることは重要だ。

カテゴリ:論文ウォッチ
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