2020年8月21日
ミトコンドリアは細胞の代謝を調節する中枢で、広い意味で細胞とは独立した器官として分裂や融合を行っているが、当然細胞の増殖や分化状態とは無関係にミトコンドリアが振舞うことはなく、細胞の必要性に応じて分裂・融合過程は調節されている。しかし、ミトコンドリアの状態を決めるのは、細胞の方だと個人的には思っていた。
今日紹介するベルギーLeuven大学からの論文は、ミトコンドリアの状態に合わせて細胞の運命が決まる場合があることを示した研究で8月14日号のScienceに掲載された。タイトルは「Mitochondrial dynamics in postmitotic cells regulate neurogenesis (分裂後の細胞でのミトコンドリアの動態が神経形成を調節する)」だ。
神経発生は、幹細胞の増殖と、分化の調節で決められており、幹細胞から分化細胞へのコミットメントには非対称分裂による運命決定機構が働いており、そのメカニズムは多くの研究者を引きつけてきた。このときミトコンドリアは細胞の分裂時に分裂して小さくなるが、その後融合して元の大きさを取り戻す。
この研究ではこの時のミトコンドリアの回復を調べ、分裂後12時間まででは、次にまた分裂する幹細胞ではミトコンドリアの融合が進みサイズが大きくなるが、分化する側の細胞ではミトコンドリアは小さいまま維持されていることを発見する。
もちろん、これが幹細胞と分化細胞との代謝の違いを反映した結果だと考えられるが、このグループはミトコンドリアの融合を強制的に高めてやる、あるいは分裂を止めることで、逆に細胞の運命が決まらないか、阻害剤を用いて調べてみている。阻害剤自体の影響が強く、解釈は難しい点もあるが、分裂後の細胞でミトコンドリアの融合が高まり、断片化したミトコンドリアの数が減ると、増殖する幹細胞の数が増えることがわかった。すなわち、ミトコンドリアの状態が、細胞のコミットメントを決めている。
次に、同じことが実際に胎児脳で起こっているか、融合を高める薬剤処理を胎児脳に投与し調べると、予想通りミトコンドリアのサイズが高まると、幹細胞の比率が増える。
最後に、ミトコンドリアの動態が細胞の分化を変化させるメカニズムについて検討し、ミトコンドリアの電子輸送を高めるCCCP処理は神経細胞分化を誘導し、一方その下流で活性化されるサーチュインの阻害剤では逆に細胞分化が抑えられることを示している。
以上をまとめると、一般的に不等分裂で決まると言われている細胞の運命も一定程度の可塑性があり、この時ミトコンドリアの状態が運命決定過程に介入する。この時、なぜ分化細胞で融合が抑えられているのかわからないが、この結果おこるミトコンドリア代謝変化がサーチュインを介して(サーチュインはヒストン脱アセチル化酵素)染色体構造を変化させ、転写のプログラムを最終的に決定するというシナリオになる。
これは神経幹細胞の話だが、他の幹細胞システムでも同じようなことが観察されるのか、重要な問題だろう。ただ、これを解明するためには、最終的に分化細胞でミトコンドリア融合が遅れるメカニズムを明らかにする必要があると思う。
2020年8月20日
私自身、ガンや新型コロナウイルスに対する免疫について書くとき、ともするとCD4T細胞とCD8T細胞が独立しているように扱ってしまうが、実際にはCD8キラー細胞が誘導され、記憶細胞へと分化するときにCD4T細胞の助けが必要であることが知られており、この反応にはIL−2やCD40が関与することが知られていた。
今日紹介するワシントン大学からの論文はガン免疫をモデルとしてCD4T細胞とCD8T細胞の相互作用の条件を調べた研究で8月12日Natureにオンライン掲載された。タイトルは「cDC1 prime and are licensed by CD4 + T cells to induce anti-tumour immunity (ガン免疫誘導時、cDC1はCD4T細胞を感作しまたCD4Tからライセンスを受ける)」だ。
この研究ではまずマウスにガンを移植するモデルで、CD8キラーT細胞が誘導されるとき、および記憶キラー細胞が呼び起こされるときに、抗体を用いてCD8、CD4T細胞をそれぞれ除去する実験を行い、両方の細胞がないとガン免疫が誘導できないことを確認している。これは重要なことで、例えば単独のガンのネオ抗原ペプチドで機能的なキラー活性は誘導できるのか心配になる。
何れにしても、キラー誘導にヘルパーが必要であることはすでに明らかにされている。この研究では、このヘルパー、キラー活性を誘導するときに必要な樹状細胞について焦点を当て研究している。樹状細胞は様々な種類に分けられるが、ガン免疫にはcDC1およびcDC2が関わるとされ、cDC1がキラーT細胞、cDC2がヘルパーT細胞誘導に関わると教科書的には理解されてきた。
この研究では次に、本来なら免疫が成立しない肉腫に卵白アルブミンを発現させるという系を用いて、このDCに関するドグマを再検討している。cDC1が存在しないマウスを用いてキラー細胞誘導を調べると、cDC1が必要なキラーT細胞は全く誘導できない。ただ、これまでの見解とは異なり、このマウスにアルブミン特異的CD4T細胞を移植すると増殖は抑えられる。すなわち、ガン細胞内で生成されるガン抗原に対する反応では、CD4T細胞の増殖にもcDC1が必要であることを示している。
さらに、cDC1だけでクラスI、クラスII組織適合性抗原(MHC)をノックアウトする実験系を用いて、細胞内で生成されるガン抗原に対するCD4T細胞の反応は、cDC1が発現するクラスII-MHCが必要であることを示し、またクラスIIがノックアウトされるとキラー細胞も誘導されないことから、cDC1だけがガン抗原に対するCD8キラーT、CD4ヘルパーTの両方を刺激するハブになっており、クラスII-MHC依存的ヘルパー細胞が誘導できないとキラーも誘導できないことを明らかにした。
最後にヘルパーT細胞がCD8細胞をヘルプするメカニズムについて検討し、おそらくリンパ節に移動したcDC1がCD4T細胞を誘導するとき、CD4T細胞からCD40刺激を同時に受けて活性化され、これがCD8キラー細胞の誘導と記憶に重要であることを、cDC1特異的CD40 ノックアウト実験から示している。
他にも様々な結果が示されているが、以上紹介したことでポイントはカバーできていると思う。すなわち、ガンの細胞性免疫に関して言えば、ガン細胞が一度cDC1に貪食されることで、ガン抗原がクラスI、クラスII-MHCに提示され、これによりヘルパー、キラー両細胞のハブになると同時に、自らもCD4T細胞により活性化されることで、CD8キラー反応に対するヘルパーT細胞の作用を媒介するという話だと思う。
ガン免疫だけでなく、ウイルスに対する細胞性免疫を考える意味でも、頭の整理ができた面白い研究だった。
2020年8月19日
スマートフォン(スマフォ)は様々なセンサーを持つコンピュータで、当然体の様々な指標を集める道具として使える。このブログでも血圧測定、小児中耳炎診断、皮膚ガンの診断などを紹介してきた。これらの測定をさらに医学的に利用可能にしているのがAIの利用で、医者に行く前にかなり正確な診断を可能にしようとしている。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文はスマフォのフォトセンサーを用いて血管を調べ糖尿病を診断する方法の開発で8月17日号のNature Medicineに掲載された。タイトルは「A digital biomarker of diabetes from smartphone-based vascular signals (スマートフォンを用いた血管検査による糖尿病のデジタルバイオマーカーの開発)」だ。
この研究ではphotoplethsmography (PPG:光電容積脈波)を用いて指の血管の状態を調べ、そのパターンと糖尿病との相関を機械学習させ、糖尿病の診断を行おうとしている。PPGは血管床の血流の変化を検出する方法で、血液量の変化によりできる後方散乱を検出するもので、脈拍、酸素飽和度、そして脈波を通した心疾患診断に用いられてきている。
さらに最近では、スマフォのカメラとLEDライトを用いてPPGを計測する方法が開発されており、この研究でもAzumio Instant heart rateとして知られる広く使われているアプリをそのまま使っている。
このパターンを脈拍や心臓病の診断に使うというのはよくある話だが、この研究では糖尿病診断に使えるかを探っている。確かに、糖尿病の器質的変化は必ず血管にくるので、見ただけではわからない小さな変化を機械学習させれば不可能ではない。
この研究では、既存のアプリで採取した脈波と、自己申告による糖尿病の有無を5万人近い対象者からデータを得て機械学習させ、心臓など他の状態に左右されない糖尿病の指標として使えるかどうか調べている。
おそらく著者らにとっても期待以上の結果だったと思うが、スマフォによるPPGのみで、AUCと呼ばれる性能指数で0.7前後(0.5がランダム、1.0で完全に正確)をたたき出した。他のPPGに関わる指標との重なりを調べると、独立した糖尿病指標として用いられることも確認している。その上で、他の指標、例えば年齢、性別、人種、BMIを組み合わせたモデルを作って調べるとAUCが0.83まで高めることができるので、自宅でできる糖尿病診断レベルでは使えるという結果だ。
またデータは示していないが、この指標とHbA1Cの値が相関することから糖尿病の重症度もある程度知ることができるかもしれない。
脈波だけで糖尿病まで診断してしまう機械学習の力に恐れ入るが、研究する側としては、どの変化が糖尿病特有の脈波変化として拾われ、その変化を起こす病理組織的ベースは何かを知るという、全く新しい課題が生じたことになる。しかし、スマートフォンおそるべしだ。
2020年8月18日
チェックポイント分子に対する抗体治療以前にも、ガンに対するモノクローナル抗体治療が行われてきたが、中でも最も広く使用されているのが抗CD20抗体だ。現在利用されている抗体薬は、リツキシマブ、オビヌツズマブ、そしてオファツムマブで、B細胞系のガンや、自己免疫病の治療に使われている。
いずれも同じ標的で何種類も必要ないように思えるが、リツキシマブの抗原結合部分がマウスの抗体由来なので、ヒト化したオビヌツズマブとオファツムマブが開発された。それぞれはガンやB細胞を障害する目的で使われるが、同じIgG抗体なのに補体の活性作用が大きく異なることが知られていた。
今日紹介するパストゥール研究所からの論文は実際に利用されている3種類の抗体薬がCD20と結合した時の立体構造をクライオ電顕で解析した研究で、同じ抗体でもこれほど違うのかということがよくわかる研究だ。タイトルは「Binding mechanisms of therapeutic antibodies to human CD20 (ヒトCD20に対する治療抗体の結合機構)」で、8月14日号のScienceに掲載された。
この研究では、抗原との結合能や補体結合能を生化学的に検討して、抗原結合部位は、モノマーでも、ダイマーでも機能することを確認した上で、通常の抗体からFc部分のみを削ったFab2(ダイマー)と精製したCD20(ヘテロダイマー)との結合させ、その構造をクライオ電顕で解析している。
クライオ電顕はもちろん精密な構造解析に用いられるが、同時に実際の分子の大まかな形をそのまま画像としても見ることができる。まさに百聞は一見にしかずで、構造は全く違っている。補体結合能が高い(TypeI)として知られているリツキシマブ(RTX)およびオファツムマブ(OFA)は、CD20とFab2が2:2、3:3、4:4で結合した様々な複合体を観察できる。ところが、補体結合能が低い(TypeII)オビヌツズマブ(OBZ)は一個のFab2に2個のCD20が結合した構造だけがみられる。言い換えると、TypeIは一個のCD20にFab2の両方の抗原結合部位が結合できるのに、TypeIIは一個のCD20にFab2の片方の公言結合部位しか結合できないことを示している。
この研究ではこの構造学的ベースについて、3.7-4.7オングストロームの解像度で解析を行っているが、視覚的な構造をうまく説明できるとは思わないので、詳細は割愛して、結論だけを紹介する。
要するに抗体とCD20が結合すると、CD20側も、抗体側も立体構造が変化する。この時、Type IIの場合CD20ダイマーの片方に抗体のFabが結合すると、もう一つ抗体結合部位があるにも関わらず、他のFab結合が立体的にできなくなる。この結果、Type II抗体はCD20を媒介として抗体が大きな複合体を作れず、結果として補体結合効率が低下する。
一方TypeIの場合、一つのCD20ダイマーに2個の抗体のFabが結合できるため、同じ数のCD20あたり倍の抗体が結合でき、大きな複合体ができ、補体結合能が上がる。
以上が結果で、これだけ広く使われている抗CD20抗体薬の立体構造のこのレベルでの解析がまだだったことに驚くとともに、それぞれの特徴がよくわかった。CD20抗体は様々な疾患に使われており、それぞれの抗体に得意、不得意があると思うので、今回の構造解析を頭に、新たに生物活性の違いを整理するのも面白いと思う。
2020年8月17日
リンパ球が20種類を越すサブセットに分かれて、免疫の微細な調節が行われており、その中一つがチェックポイント調節であることは、かなり広く知られるようになった。しかし、白血球となるとついつい単球、好中球、樹状細胞ぐらで済ましてしまう傾向があるが、実際には単球にも様々なサブセットがあり、免疫反応や炎症に異なる役割をしていることが明らかになってきている。例えば最近の新型コロナ感染でいうと、non-classicalと呼ばれる単球が低下し、好中球から吐き出されるcalprotectinが高い人は高率に重症化することが示されており、これまでこのブログでも強調してきたような細胞性免疫だけを見ていると、思わぬ落とし穴に落ちる可能性を示唆している。要するに、感染症の理解は一筋縄ではいかない。
同じように、チェックポイント治療で一躍主役に躍り出たガンに対する免疫反応も、周りに存在する白血球により強く影響されていることがわかっている。例えばCSF-1受容体を阻害して単球の増殖を止めたり、腫瘍局所への単球の移動を止めると、チェックポイント治療の効果が高まることが明らかにされ、治験まで進んでいる方法も多くあると思う。
今日紹介するワシントン大学からの論文は単球による腫瘍免疫の抑制効果のシグナルとして、マイクログリアの活性化因子として知られているTREM2が関わることを明らかにした研究で8月20日号のCellに掲載された。タイトルは「TREM2 Modulation Remodels the Tumor Myeloid Landscape Enhancing Anti-PD-1 Immunotherapy (TREM2シグナルを偏重すると腫瘍組織の顆粒球の状況が変化して抗PD-1免疫治療効果が高まる)」だ。
この研究はTREM2ノックアウトマウスに肉腫細胞株を移植すると、正常に比べて腫瘍の増殖が低下し、この低下がCD8陽性キラーT細胞の作用を介していることの発見に始まる。
この原因を調べるためにsingle cell RNA sequencingを用いて腫瘍組織に浸潤する顆粒球系細胞の種類を調べると、正常マウス腫瘍組織で見られる単球のサブセットが大きく変化し、その結果T細胞やNK細胞の浸潤が高まることがわかった。さらに、抗PD-1抗体をノックアウトマウスに投与すると、腫瘍の増殖が完全に抑制されることも示している。ただ、残念ながらこの研究ではなぜTREM2シグナルが欠損すると、このような変化が起こるのか、またなぜTREM2が腫瘍組織で免疫を抑制するタイプの細胞浸潤を誘導するのかについては、全く解析できていない。
その代わりに、ノックアウトの代わりに抗TREM2抗体を作成して、抗TREM2抗体と抗PD-1抗体を組み合わせたガン治療の可能性を探り、TREM2抗体でもノックアウトマウスと同じようなガン浸潤白血球の状況を変化させ、肉腫モデルではほぼ全てのマウスでガンを除去することに成功している。
最後に、人間のいくつかのガンのバイオプシー標本の免疫組織学をおこない、TREM2が浸潤マクロファージ特異的に発現しており、ガン自身では発現がみられないことを確認したあと、様々なガンのデータベースを用いてTREM2の発現と予後との関係を調べ、TREM2の発現がガン組織で高いケースでは、ガンの予後が悪いことを明らかにしている。
以上、TREM2に対する抗体も、ガン治療の新しいレパートリーに加わった。手段が増えることは良いが、本当に適正価格の治療が実現できるのか少し心配になる。
2020年8月16日
知り合いのKさん家族の中学1年のお嬢さんが、学校検診で急速に近視が進んでいることを指摘され、驚くとともに、どこまで進行するのか心配になったことをFBに書いておられた。何かアドバイスができないかと、いろいろ近視の治療を調べていたら、メガネ、ソフトコンタクト、眼内レンズ、コンタクトレンズによる角膜形状の矯正、そしてアトロピン点眼まで多くの方法が開発され、実際に臨床に提供されている。しかし、それぞれの方法の効果判定は経験的観察研究で行われた場合が多く、厳密な臨床治験として行われていないため、その効果についてはエビデンスに乏しいと一刀両断にしている先生もおられるので、軽々に推薦できないなと思っていた。
ところがなんとタイムリーに、オハイオ州立大学のグループが、多焦点ソフトコンタクトレンズを用いた近視の進行阻止に関する無作為化治験を行なっていたので紹介することにした。タイトルは「Effect of High Add Power, Medium Add Power, or Single-Vision Contact Lenses on Myopia Progression in Children The BLINK Randomized Clinical Trial (学童の近視の進行に及ぼす、強い屈折率の違いを持つ多焦点コンタクトレンズ、中程度の違いをもつ多焦点コンタクトレンズ、そして単焦点コンタクトレンズの効果)」だ。
近視は、網膜より前方で焦点が合ってしまうため像がボケる。すなわち、眼球が奥に伸びてしまう結果だ。従って、凹レンズで焦点を奥に伸ばすのが一般的な矯正だが、矯正を行っても近視は進行することがわかっている。これは同じ屈折率のレンズの場合、辺縁は網膜より後ろに焦点がくるため、これに合わせるうちに眼球が伸びてしまうと考えられていた。
そこで、網膜中心窩に焦点を結ぶようにしたソフトコンタクトレンズの周辺に度数を加えて(加入度数:add power)、辺縁でも網膜に焦点が結ぶようにした多焦点レンズ、あるいは加入度数をさらに強めて辺縁では網膜より前に焦点が合うようにしたソフトコンタクトレンズを使うことで、物を見るときの焦点調節運動を変化させることで、視力が回復するのではないかと考えられ、主に観察研究でその効果が示されてきた。
この研究では、7歳から10歳の-0.75~-5Dの近視の学童294人を、単焦点ソフトコンタクトレンズ、辺縁が中程度の加入度数(+1.5D)を持つコンタクトレンズ、そして高度の加入度数(+2.5D)を持つソフトコンタクトレンズの3群に無作為に振り分け、3年間装着した結果近視の進行度を調べている。実際には極めて専門的な検査方法が用いられているが、詳細は割愛していいだろう。
結果は期待通りで、高度の加入度数が辺縁に配置されたソフトコンタクトレンズを装着した群では、3年目の近視の進行程度が-0.5Dに抑えられていたが、単焦点では-1D、中程度加入度数では-0.85D進行が見られた。これと対応して、眼球の軸の長さも、高度の加入度数を持つ多焦点レンズを装着した群では、伸びが抑えられていた。
全研究機関を通じて-1D近視が進行した児童の比率を調べると、単焦点レンズ装着群では56%だったのに対し、中程度加入度数レンズで36.5%、高度加入度数多焦点レンズではわずか16.5%と、はっきりと進行が抑えられた。
児童が遠近両用とも言える多焦点レンズを使って、副作用はないのかについても詳しく調べているが、コンタクトレンズを装着したことによる問題以外は、ほとんど副作用が見られなかったと結論している。
以上の結果は、多焦点ソフトコンタクトで児童の近視の進行を抑えることができることを示しており、コンタクトレンズ装着で問題が起きない場合は、使ってみても良さそうに思った。
2020年8月15日
この論文を読むまで、ハンチントン病(HD)はHantingtin(HTT)遺伝子のCAG繰り返し配列が増大し、時間をかけて神経細胞が消失する病気だと考えていた。しかしよく考えてみると、グルタミンが余分についたHTT分子が正常な機能を完全に果たせるとはなかなか考えにくい。事実、動物実験モデルではHDと同じCAGリピートの変異を導入したマウスの神経発生に異常が見られることは知られていたようだ。
今日紹介するグルノーブル大学からの論文はHD変異を持つヒトの胎児と、マウスモデルの両方を比べながら、HDの胎児では神経発生異常が存在することを示した研究で8月14日号のScienceに掲載された。タイトルは「Huntington’s disease alters human neurodevelopment (ハンチントン病はヒトの神経発生を変化させる)」だ。
この研究のハイライトは、HD変異を持つ受精後13週目のヒト胎児の脳組織でHTTがアピカル側に偏在し、ZO-1やβカテニンなどの細胞接着分子がそれに引っ張られてアピカル側に偏在する一方、極性を調節する分子PAR3のアピカル局在が障害されており、神経細胞の極性異常が見られることを明らかにし、人間のHDも動物モデルと同じように神経発生異常が見られることを明らかにした点だ。
あとは、変異型HTTの機能についてマウスモデルを用いて検討し、そこから得られたデータに基づきヒト組織を見直すという作業を進めている。詳細を省いて結果をまとめると、
- もともとHTTはエンドゾームからゴルジへの小胞体輸送に関わっているが、この機能が変異型HTTで障害され、HTTがエンドゾームに停留する。
- この小胞体輸送の異常が、先に述べた神経細胞の極性の異常の原因になっており、その結果細胞同士の接着機構が障害される。
- この結果、神経細胞核のエレベーター運動が阻害され、増殖が抑えられ、神経細胞分裂が低下する。
- 組織全体の極性が障害され、アピカル側の未分化型幹細胞の増殖が阻害されることで、分化型前駆細胞の比率が増える。
以上が結果で、神経発生の初期過程を調節する細胞極性維持機構がHDで障害されており、その結果正常な脳構造発生が強く阻害されていることがよくわかった。
一方、実際にはHDの人は発症するまではっきりとした神経異常を示さないことを考えると、発生初期の異常はその後ほぼ完璧に代償されていることも示している。この発生過程での異常が後期の異常とどう結びつくか、また早期に介入して病気を止めることができるかなど、まだまだ研究が必要だが、HDの概念が大きく変わろうとしていることは確かだ。
2020年8月14日
先日AASJの理事の一人藤本さんから「巷では、新型コロナウイルスが世界中に広がる間に感染力の高い突然変異が選択されている。」とか「わが国で発生した変異が第二波として広がりつつある。」という話を聞くが、それを裏付ける論文を紹介してほしいと頼まれた。
その時、このウイルスは他のRNAウイルスと比べると複製を正確に行う検閲機構を持っており、変異速度は比較的低いこと、また突然変異による系統樹は詳しく調べられており、ウイルスの広がりを予測するには極めて重要だが、それぞれの変異の機能的検証は極めて難しくほとんどできていないため、感染性の高いウイルスが選択されたなどといった話は全て推察で、エビデンスに基づく話はほとんどないと答えておいた。
幸い、今日紹介するワシントン大学からの論文はウイルスが細胞に侵入する際に使うスパイクタンパク質だけに焦点を当てた研究で、ウイルス全体の感染性を必ずしも反映するものではないが、3000種類を越す突然変異についてその機能を調べた研究で8月6日Cellにプレプリントが掲載された。タイトルは「Deep mutational scanning of SARS-CoV-2 receptor binding domain reveals constraints on folding and ACE2 binding (SARS-CoV-2の受容体結合ドメインの網羅的突然変異スキャニングはタンパク質の折りたたみとACD2結合での制限を明らかにした)」だ。
この研究では現在発見されている突然変異の機能を一つ一つ調べるのではなく、スパイクタンパク質のACE2と結合するドメイン(RBD)にあらかじめ突然変異を導入したライブラリーを作成し(理論的に3819種類の変異が考えられるが、そのうち3804種類の変異が生成されている)、それぞれの変異は16塩基のバーコードで特定できるようにしている。
次にこのライブラリーを酵母の細胞表面に発現できるようにして、それぞれの変異を細胞表面上のRBDと細胞側の受容体ACE2との結合などを指標に、機能的検証を行えるようにしている。酵母を使うことで、糖鎖の負荷による影響も調べることができる。
この研究では基本的にRBDに導入された一個のアミノ酸変異のみに絞って検証を行い、
- 酵母を使った方法で、タンパク質の細胞表面への発現量と、ACE2結合の生化学的検査が可能であること。すなわち、各変異の帰結を正確に記述できること。
- 半分以上の変異が特に大きな機能変化を誘導しないこと。すなわち、途中性の変異が蓄積しやすいこと。
- 多くの変異では、タンパク質の3次元構造が形成できないため、細胞表面に発現できなくなったり、ACE2との結合が失われること。一方、実際に発見されるウイルス変異ではこのようなケースは少ないことから、このような変異は活動性のプールから除去される。
- ACE2結合能が高まる突然変異もかなりの数存在するが、実際の患者さんから分離したウイルスで、特にそのような変異は見られない。一方、SARSと同じ程度のACE2結合親和性を持つ程度の機能低下変異は数多く存在する。
- 人工的に多くの変異を導入し、そのタンパク質の機能を調べることで、RBDの構造学的特徴を明らかにすることができ、この情報はワクチン抗体のエピトープ解析に重要な資料を提供できること。
などを明らかにしている。
要するに今後感染者から新たに分離される変異の機能的側面を推察するための重要なレファレンスデータが揃った。ただ、このレファレンスをもとに、これまで分離された変異を見直すと、特にACEと結合性が高い変異が選ばれているような傾向はない。
もともとSARSに比べてCoV-2のRBDは高いACE2結合性があることから、より感染性が高まったとされてきている。ただ、これが新型コロナ誕生の要因とするにはまだまだ早い。驚くことに、この方法でも、またこれまでの研究でも、CoV-2の起源とされるセンザンコウのコロナウイルスの方がACE2に対する親和性は高い。従って、ACE2結合性を単純にウイルスの感染性と決めつけるのは早すぎる。
一方、抗体やワクチンによる介入が始まると、強く選択圧が働いて特定の変異が選択される可能性がある。この時、その変異の特徴を特定し、新しい治療抗体を用意するという意味で、今回得られたライブラリーの意味は大きい。
以上、RBDだけでもこれほど複雑で、多くのウイルスタンパク質が働くこのウイルスの場合、感染力はこれらの分子の総合結果であり、悪性、良性などと軽々しく決められないことがよく理解できた。
2020年8月13日
自閉症スペクトラム(ASD)に見られる高次の行動変化をマウスモデルで研究できるかどうか、昔から議論されている。しかし、人間のASDの中にもrare variantと呼ばれる直接異常につながる遺伝子変異が明らかになってきたこと、またモデル動物から何らかの治療のヒントが得られる可能性があることから、遺伝子操作によるモデルマウスはアクティブに利用されている。
モデル動物で研究する場合、行動変化の一致だけでASDと対応させるのは無理がある。そこでよく利用されるのがオキシトシンの効果で、ヒトASDでも短期的に行動異常を正常化させる効果が知られている。
今日紹介するバーゼル大学からの論文は、遺伝子変異、行動異常、オキシトシンの作用を結びつけるタンパク質翻訳システムの異常を明らかにした研究で8月13日号Natureに掲載された。タイトルは「Rescue of oxytocin response and social behaviour in a mouse model of autism(オキシトシンへの反応と社会行動をマウス自閉症モデルで治療する)」だ。
この研究で使われたモデルマウスはシナプス間の接着に関わるとされているニューロリギン3(Nlgn3)ノックアウトマウスで、人間のASDでも変異が見つかっている。マウスでは新しい事物に対して示す好奇心の低下が明確な症状として特定できる。この研究では、同じような好奇心の欠如が、オキシトシンの機能を阻害する化合物を投与することで起こること、そしてこの症状が、オキシトシンが作用する腹側被蓋野から側坐核へ投射するドーパミン神経で発現するNlgn3の作用でおこっていることを特定する。すなわち、Nlgn3変異、行動異常、オキシトシン、そしてそれに関わる神経回路が特定できたことになる。
この結果に基づいて、次にオキシトシンによる作用のメカニズムについて、Nlgn3ノックアウトによる発現タンパク質の変化を網羅的に調べ、mRNAの翻訳に関わる分子が大きく変化していることを突き止める。翻訳というのは細胞機能の核といえるので、本当にそんなことが起こっているのかメチオニンアナログの取り込みを脳スライス培養で行い、Nlgn3ノックアウトマウスの被蓋野では翻訳全体が亢進していることを発見する。さらに驚くことに、翻訳を調節しているエロンゲーション因子elF4Eのリン酸化を阻害して、elF4EがmRNAとより強固に結合させる働きをしているMNK1/2を阻害すると、翻訳レベルが低下し、その結果Nlgn3欠損マウスのオキシトシンに対する反応が正常化し、さらに新しいものへの好奇心が現れることを示している。
結果は以上で、そのまま人間に当てはめるのは危険だが、オキシトシンの作用の一つが被蓋野ドーパミン神経の翻訳を低下させる効果があることがわかる。この研究ではMNK1/2阻害剤がすでにガン治療の目的で治験が行われているので、少なくともNlgn3の変異のあるASDには使用可能であると示唆しているが、もし翻訳レベルを変化させるという治療が可能なら、画期的なことだと思う。
2020年8月12日
チェックポイント治療やCAR-Tの登場で、それまで行われていた様々な免疫治療はエビデンスがない治療法として退けられる傾向にある。しかし、今もCAR-Tの利用ができない多くのガンが存在し、またチェックポイント治療はすでにガンに対する免疫が成立していることが条件になると、やはりガンで自分のT細胞を免疫する方法はこれからも開発を続けていく必要がある。
この時ガン抗原として何を使うかが重要な問題になる。理想的な方法として、ガンのエクソーム解析から突然変異を特定し、それをネオ抗原ペプチドとして用いる方法がある。すでにサービスも提供されているようだが、解析からペプチド作成までの時間を考えると、対象は限られる。
これに対して、ガンが発現している正常細胞では、ほとんど発現が見られない様々なガン抗原を利用することが可能だが、キラー細胞が認識するクラス1MHCに使うためにはあらかじめペプチドにしてロードする必要があった。しかしどのペプチドがガン抗原として使えるのかは組織抗原がそれぞれ異なっており、決めるのは難しい。
今日紹介する米国ベイラー大学からの論文は4種類のガン抗原から生成されることが予想される何十種類ものペプチドをあらかじめ作成してそれを抗原に末梢血を刺激し、T細胞を増殖させ、それを末期の骨髄腫患者さんに投与した臨床研究で7月29日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「The safety and clinical effects of administering a multiantigen-targeted T cell therapy to patients with multiple myeloma (複数のガン抗原に対するT細胞による骨髄腫治療の安全性と効果)」だ。
すでに新型コロナウイルスに対する反応性T細胞をMHCに関わらず検出するための方法として、理論的にウイルスタンパク質から生成される何百種類のペプチド抗原を使う方法を紹介したが、この研究ではまさにこの方法の一種コンパクト版を使っていると考えていい。
骨髄腫で特異的に発現していることが知られている4種類のガン特異的分子それぞれに対する20merペプチドを用意し、患者さんの末梢血から調整した樹状細胞にロード、これを抗原として、やはり末梢血から調整したT細胞を刺激、様々な増殖因子を加えて反応するT細胞を増殖させる。これを、患者さんに投与して、安全性と効果を調べている。
今回治療の対象になったのは、これまでの治療で再発した骨髄腫の患者さん21人で、半分は他の治療薬に加えるアジュバント治療として、残りは使える薬がないことから、T細胞治療単独で経過を見ている。この研究では治療法を検証するために、遺伝子解析やscRNAseqなどのハイテク解析が行われた意欲的な臨床研究だ。
結果だが、
- この方法で全ての患者さんから増殖するT細胞集団を調整することができ、遺伝子解析から、平均で4000種類のT細胞クローンから構成されており、ペプチドをロードしたガン細胞のキラー活性も存在することを示している。すなわち、この方法でT治療用のT細胞を増殖させることができる。
- 2〜8回に分けて細胞を投与しているが、CAR-Tとは異なりほとんど自己免疫症状は起こらない。一人強い貧血になっているが、治療を止めることなく回復している。
- アジュバント治療として行ったグループでは、9例全員が完全寛解し、2例を除いて、最長で40ヶ月近く再発が見られていない。続けている薬剤の効果も当然考える必要があるが、これまでの経験から考えると間違いなくT細胞の効果がある。
- 一方単独で治療した群では、1例を除いてほとんどで再発が見られている。それでも平均22ヶ月間進行を止めることができた。
- 複数の抗原を用いているので、ガン抗原が失われて効果がなくなるより、T細胞の方でチェックポイントが働いたり、共シグナル低下によりガンの抵抗性が上がる。
他にも、かなり詳しいデータが集められているが割愛する。結論としては、ペプチドミックスを用いれば、ガン特異的T細胞を、遺伝子操作なしに調製して治療に使えるということで、
- 末梢血をそのまま用いることができる。
- ペプチドミックスはガンに合わせてあらかじめ用意しておけばいい。
- これまで免疫治療を行ってきたクリニックでも実施可能。
- 将来ペプチドの相性についても、MHCに合わせて選ぶことも可能。
など、新しい免疫治療として発展できるのではと期待する。