7月2日:エイズウイルスに対する幼児の抗体(6月30日号Cell掲載論文)
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7月2日:エイズウイルスに対する幼児の抗体(6月30日号Cell掲載論文)

2016年7月2日
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   急性感染症と異なり、慢性で複雑な生活サイクルを示し、変異が早い病原体に対するワクチンの開発は難航を極めている。例えば6月30日号のThe New England Journal of Medicine (Olotu et al, 374:2519, 2016)に、7年間にわたるマラリアワクチンの効果に関する論文が発表された。確かにワクチン接種後1年間は感染を抑える効果が見られたが、その後は効果が薄れてしまうという残念な結果の報告だ。同じ状況は、エイズを引き起こすHIVに対するワクチン開発にも見られる。長年にわたって開発が試みられているが、ウイルス中和抗体を安定的に誘導するワクチンはまだ開発されていない。
   そこで、まず変異体も含む様々なHIV系統の感染を食い止める抗体とはどのような抗体かをまず明らかにし、同じような抗体を誘導する作戦を考える方向で研究が始まっている。すなわち、多くのエイズ患者さんの血清中の抗体を調べて、中和抗体の特徴を探ろうとする研究だ。この研究から、中和活性の強い抗体が出来ていることは確認できるが、そのほとんどが長い年月をかけて抗体遺伝子が変異を積み重ねた結果出来てきた抗体であることが明らかになった。すなわち、一回や2回のワクチン接種で同じような抗体を誘導することは難しいことが明らかになった。
  そこで、大人の抗体を探す代わりに、エイズに感染して時間が経っていない幼児に高い活性のある中和抗体が存在していないか探索が始まっていた。
  今日紹介するフレッド・ハッチンソンがん研究所からの論文は、生後3日ではウイルスが検出されず、3ヶ月にはエイズ感染が確認された幼児の血清を15ヶ月齢で調べ、発見された中和抗体についての研究で6月30日号のCellに掲載された。タイトルは「HIV-1 neutralizing antibodies with limited hypermutation from an infant (一人の幼児に見つかった突然変異の少ない抗HIV-1中和抗体)」だ。
  結果だが、十人の感染幼児から10種類の中和抗体を分離することが出来、特にその中の一人から、多くのウイルス系統にわたって高い中和活性を示す抗体を分離することに成功している。この抗体を成人から得た抗体と比べると、多くの系統に反応できる点では同等だが、活性は低いことがわかる。しかし期待通り、抗体遺伝子にほとんど突然変異は蓄積していない。このことは、ワクチン接種後すぐに誘導される抗体の中にも、ウイルス感染を防御できる抗体が存在することを示している。
   使われている抗体遺伝子は成人から分離された抗体と全く異なることから、おそらく大人の場合長期間の刺激により、最初は親和性が低く、弱くしか刺激されなかったB細胞が、時間をかけて進化し、優勢な抗体になっただろうと結論している。すなわち大人の反応と異なり、幼児の場合抗原刺激にすぐに反応できる抗体遺伝子を特定できることになる。他にも幼児の抗体が外殻の3量体を認識する、大人では見られない抗原特異性を持つことなど多くの結果が示されているが、重要な結論は突然変異を蓄積しない抗体遺伝子でウイルスに対応できる可能性を示したことだろう。
   確かにワクチン接種後すぐに有効な抗体が作られる可能性は示されたが、例えば幼児で反応する抗体遺伝子のレパートリーの違いや、その違いが最初に持っている抗体遺伝子の差を反映しているのかなど、もう少し詳しく示してほしいと思った。さらに、同じ抗体が持続的に作られるのかもわからない。結局ワクチン開発への道はまだまだ険しいという印象を持った。
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7月1日:クライオ電子顕微鏡による筋肉収縮の観察(6月30日号Nature掲載論文)

2016年7月1日
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    21世紀に入って、DNAシークエンサー、iPS、CRISPR、光遺伝学、超解像顕微鏡と新しいイノベーションが相次いでいるが、忘れてはならないのが今日紹介するクライオ電子顕微鏡だろう。最近論文を読んでいると、この技術を使ってタンパク質の構造を高分解能で観察する研究が目につく。例えば3月31日にはジカウイルスの外殻タンパクの構造解析がScienceに発表されたが、この論文はクライオ電子顕微鏡が大きなタンパク質の迅速な構造決定を行う能力を持つことを教えてくれた。さらに6月16日号のCellに、この技術が大きなタンパク質だけでなく、100KDaぐらいの小さな化合物とタンパク質の結合解析も可能で、創薬領域で期待できることを示す論文が発表されている。
   この技術は、タンパク質をそのまま高電圧の電子線で観察する技術で、私がドイツから帰国して京大で研究を始めた頃、理学部の山岸さんたちが核酸を観察するためこの技術を開発しており、ヘリウムで冷却したステージの振動にどう対処するかなど、苦労話を何度も聞いたのを覚えている。
  その後、ゲノムプロジェクトの進展、リコンビナントタンパク質合成、CMOSセンサーによる直接撮影、そして何よりもコンピューターによる画像処理技術の進展で、単一粒子クライオ電子顕微鏡法という技術が開発され、多くの単一分子の画像を集めて高解像の解析像を得ることが可能になり、2010年以降急速に普及してきた。
   今日紹介するドイツ・マックスプランク分子生理学研究所からの論文は、この技術を使った極め付けのような例で、この技術の要点を知るには格好の論文と言える。タイトルは「Cryo-EM structure of a human cytoplasmic actomyosin complex at near-atomic resoluteion (クライオ電子顕微鏡方によるヒトの細胞室内アクトミオシン複合体のほぼ原子レベルの解像度の構造)」で、6月30日号のNatureに掲載された。
   もちろん結晶化したミオシンを使った研究は古くから行われている。また、筋収縮の構造解析は、電子顕微鏡が最も活躍した分野だった。ただ、アクチンとミオシンによる複合体は結晶化が難しく、収縮力がどう発生するかについての構造解析は遅れていた。この研究では、アクチン、ミオシン、トロポミオシンなどを別々に合成し、これを混合してできたアクトミオシン複合体を、単一粒子クライオ電子顕微鏡で観察し、それぞれの分子がどう相互作用しているのかを原子レベルの解像度で明らかにしている。
  さて結果だが、これは言葉で表すのはほぼ不可能だ。もともと構造解析の結果は、いくら眺めていても意味がない。一方、その分子について様々な疑問を持っている時には、構造はほとんどの生化学実験に優る価値を持っている。従って、読者の皆さんには、アクトミオシンの構造に関わる疑問を持った時、ぜひ参照して欲しいというほかない。
  ただこれで終わるのはあまりにそっけないので、最後に、アクチンとミオシンが弱い会合から、互いに強い結合に至る分子過程が手に取るように示されていることを付け加えておこう。
   35年を経て、クライオ顕微鏡技術がついに花咲いていることを伝えるのが今日の目的だ。
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6月30日:サリドマイド系薬剤の新しい作用(Nature Medicineオンライン版掲載論文)

2016年6月30日
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   サリドマイド系の薬剤はその催奇形性作用で使用が中止されたが、その後骨髄腫や、骨髄異形成症候群のうち5番染色体の一部が欠損している患者さんに治療効果があることが明らかになり、より催奇形性の少ないレナリドマイドは、これらの病気の最も重要な治療薬になっている。この薬剤の抗腫瘍作用のメカニズムについては最近研究が進み、タンパク分解酵素(ユビキチンリガーゼ複合体CRL4)をcereblon(CRBN)分子を介して細胞増殖に必須のIKZF転写因子に連れてきて分解することが明らかになっている(http://aasj.jp/news/watch/827)。これ以降、この薬剤は標的分子を分解できる新しい効果を持つ薬剤として研究が加速している。
   今日紹介するミュンヘン工科大学からの論文は、この薬剤がタンパク分解とは異なるメカニズムを介しても効果を発揮していることを示す論文でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Immunomodulatory drugs disrupt the cereblon-CD147-MCT1 axis to exert antitumor activity and teratogenicity (免疫修飾薬剤はcereblon(CRBN)-CD147-MCT1結合を切断して抗腫瘍作用と催奇性作用を発揮する)」だ。
様々な実験が行われておりわかりにくいと思うので、結論だけを述べよう。この薬剤が結合するCRBNはCRL4をタンパク質にリクルートするだけでなく、CD147やMCT1に関しては、出来たばかりのタンパク質に結合してタンパク質の正常な形を保障し、また正常な糖修飾を進めるシャペロンとして働いている。すなわちCD147,MCT1が合成され、細胞膜へ輸送されるためには必須の分子として働いている。ここにCRBNに結合するサリドマイド系の薬剤が介入してくると、CRBNのシャペロンとしての機能が阻害され、その結果、裸になったCD147やMCT1の安定性が損なわれ、これらの分子の機能が失われるという結果だ。
  では、この機構が抗がん作用や催奇性作用にも働いているのか?
   これを理解するためにはCD147,MCT1の機能を知る必要があるが、CD147はMCT1と結合して細胞膜で発現し、骨髄腫や骨髄異形成症候群で見られる芽球細胞で発現が上昇している。この複合体は、糖分解などの細胞代謝に関わるトランスポーターとしての作用のみならず、血管増殖因子やメタロプロテアーゼなどの発現を誘導して、ガンの増殖を助けていることが知られている。
   そこで、CD147・MCT1分子の発現を直接抑制して、これらの分子が抗がん作用に関わるかを調べ、骨髄腫、骨髄異形成症候群ともにこの分子が抑制されるとガンの増殖が低下することを確認している。
   興味を引くのは、CD147/MCT1が5q欠損の骨髄異形成症候群だけで発現していることで、なぜレナリドマイドが5q欠損のグループに高い効果を持つのかが初めて説明できている。
   これまでサリドマイドの催奇形性はFGFを分解することによることが示されていたが、このグループはCD147をノックダウンするだけで、fgf8の発現が低下することを示し、CRL4タンパク分解系のリクルート以外に、この分子が重要な役割を演じている可能性を示唆している。
   以上サリドマイド系薬剤の研究に新しい可能性を示した重要な研究だと思う。何よりも新しいメカニズムがわかることで、ガンのモニタリングも可能になる。とりあえずは、患者さんのがん細胞のCD147発現を調べ、薬剤の効果を予測することは明日からでも可能だろう。ぜひ試していってほしい。
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6月29日:ウィルソン病の特効薬の開発(Journal of Clinical Investigation オンライン版掲載論文)

2016年6月29日
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   ウィルソン病を知っている読者は少ないと思うが、ATP7Bと呼ばれる銅輸送に関わるATPaseをコードする遺伝子変異による病気だ。
銅は肝細胞内でセルロプラスミンと結合して血液、胆汁に分泌されるが、この分子が欠損すると銅が徐々に肝細胞のミトコンドリアに蓄積し、最後はミトコンドリア機能不全で変性性の肝不全に陥る。幸い、血中の銅を補足して尿中に排出させるキレート剤が有効で、一生服用が必要だが、病気の進行を止めることができる。しかし、この方法は血中の銅には有効だが、一旦細胞内に蓄積し始めた銅を処理することはできない。このため、診断が遅れてミトコンドリアの障害が進行した患者さんを救うことはこれまで難しかった。
   これに対し、遺伝子治療や肝細胞を保護する新しい方法で開発が進んでいたが、今日紹介するドイツ・ヘルムホルツセンターからの論文は、細胞内で銅をキレートできる分子を使う画期的治療法の開発について報告している。タイトルは「Methanobactin reverses acute liver failure in a rat model of Wilson disease (メタノバクチンはウィルソン病モデルラットの肝不全を正常化できる)」だ。
     要するに細胞内に蓄積した銅も処理してくれる新しいキレート薬メタノバクチンが見つかったという研究だ。メタノバクチンはプロテオバクテリアから最近単離された分子量1154Daのペプチドで、これまで知られているキレート剤と比べて数オーダー高い銅への親和性を持つことがわかっている。
  この研究では、ATP7B遺伝子が欠損したラットモデルを使い、 1) このモデルが人のウィルソン病とほぼ同じ病態を示すこと、
2) ミトコンドリアに銅が蓄積すると、ミトコンドリア膜の電位や透過性の維持が破綻すること、
3) 肝障害が発症したモデルラットにメタノバクチンを投与すると、65−85%の銅を除去することができること、
4) 短期治療プロトコルでも、効果は2−3週間続くこと、
5) これまでのキレート剤と比べて副作用がないこと、
を示している。
  実際にはまず急性肝障害が出始めた患者さんに使ったあと、これまでの傾向キレート剤と組み合わせるといった治療が行われると思われる。早速治験登録サイトを調べてみたが、まだ全く登録はないので、臨床応用まで時間はかかりそうだが、大いに期待できる薬だと思う。
   しかし、人知の及ばない分子を合成できる細菌の力にはいつも驚かされる。
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6月28日:パーキンソン病と免疫(7月14日号Cell掲載論文)

2016年6月28日
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   私が学生の頃、病理学は病理学総論と病理学各論に分かれていた。そして、病理学総論で習ったことを要約すると、病気は変性、炎症、腫瘍の3種類の状態が単独で、あるいは組み合わさって現れるということだった。乱暴な議論に思えるが、しかし動脈硬化や肥満まで、炎症の関わりが重要だとされる昨今の風潮を見ていると、炎症の関与が疑わしい病気について、可能性を再検討することは重要な課題であると思う。
  変性性疾患の代表とも言えるパーキンソン病でも、ミクログリア反応が見られるため、病気の進行に及ぼす炎症の関わりは研究されてきた。今日紹介するカナダ モントリオール大学からの論文はさらに進んで、ミトコンドリア上のタンパク質に対して自己反応性T細胞が誘導されることがパーキンソン病の引き金になる可能性を示唆する研究で、7月14日号のCellに掲載された。タイトルは「Parkinson’s disease-related proteins PINK1 and Parkin repress mitochondrial antigen presentation (パーキンソン病発症に関与するPINKとParkinはミトコンドリア抗原提示を阻害する)」だ。
   読んでみると、この研究は細胞生物学の研究で、抗原提示能は細胞内過程を特定するための一つの標識として使われているに過ぎないことがわかる。すなわち、抗原が組織適合抗原(MHC)と結合して細胞膜上に提示されるためには、抗原が分解され、MHCが発現するエンドゾームでMHCと結合し、最後にエンドゾームが細胞膜に運ばれるという細胞生物学的過程が必要だ。
    しかも、抗原が分解される経路は様々で、それに応じて細胞膜までの経路も変化する。例えばミトコンドリア内の抗原はオートファジーでミトコンドリアごと分解されると予想される。この研究では、ミトコンドリアに局在するウイルス抗原がどの様な経路で細胞表面上に提示されるかについて研究している。この過程で、ミトコンドリア抗原が提示される経路は、オートファジーではなく、ミトコンドリアの一部が離脱したミトコンドリア小胞(MDV)がエンドゾームに取り込まれる特殊な過程であることを細胞生物学的に示すとともに、この過程に関わる分子Snx9,Rab7,Rab9などを特定している。
   オートファジーが関係ないとすると、パーキンソン病とどう関わるのか?この研究では、パーキンソン病でのオートファジーに関わるParkinやPINKが欠損した細胞ではMVDの生成が促進し、その結果ミトコンドリア抗原提示が上昇することを示している。
  シナリオをまとめると、ミトコンドリア抗原は様々なストレスで誘導されるMVD経路でのみ提示される。ただ、ParkinはMVD形成に関わるSnx9を分解し、またミトコンドリア全体がそのまま分解されるオートファジーを促進するため、ミトコンドリアからのMVD形成は抑えられている。ところがParkin/Pink機能が低下するパーキンソン病では、MVD形成の抑制が外れるため、ミトコンドリア内の分子が抗原として提示され、自己免疫を誘導する可能性が高くなるという話だ。
   示されたデータだけですぐパーキンソン病に免疫性の炎症が関わると結論するのは早いと思うが、十分考慮に値する面白い論文だと思った。
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6月27日:マイケル・トマセロの発達心理論文(Psychological Scienceオンライン版掲載論文)

2016年6月27日
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    マイケル・トマセロは、おそらくほとんどの読者にとって馴染みのない名前だろう。私も、言語学についての著作を集中的に漁っている時、たまたま「Origins of human communication(人間のコミュニケーションの起源)」という彼の著作を手にとって名前を知った。人間特有と思われる行動について、チンパンジーと、人間の子供を直接比較する実験を通して、コミュニケーションの必要条件を探るアプローチについて学ぶことができる優れた科学書だった。
   その後、ネアンデルタール人ゲノムを解読したペーボさんが書いた「Neanderthal Man」の中で、戦後ドイツのタブーを破ってマックスプランク人類進化研究所が設立された時、発達比較心理学部門を設けてトマセロさんに教授就任を依頼したことが書かれており、高い理想で研究所を計画しているなと感心すると同時に、一度実際の研究論文を読んでみたいなと思っていた。
   とは言っても分野が異なり、なかなか私の網に引っかかってこなかったが、先週ようやくトマセログループからの論文を読むことができた。タイトルは「One for you, one for me: human unique turn-taking skills(一つは君に、一つは僕に:人間独特の交代制を設定するスキル)」だ。
   この研究では、二人のどちらかしか褒美を得ることができないが、得るためには協力が必要な課題を、競合するのではなく、交代に褒美を得る様交渉しあって行う共同行動がいつ発達するのか、3歳半、5歳の子供と、大人のチンパンジーにほぼ同じ課題を行わせて調べている。ビデオも添付された論文で、本を読むのとは違って、トマセロさん達が課題を設定する過程を詳しく理解することができた。
   結果は5歳にならないと、「まず君、つぎ僕、OK?」といったコミュニケーションが成立しないことを示している。チンパンジーも共同作業を行うが、順番を決めて褒美を得るまでには全く至らない。同じ様に、この様な行動は3歳半でも発達できていない。
  トマセロさんの本を読んだ時、人間の心理発達は思いの外遅いという印象を持ったが、この順番に獲物を得る交代制も、5歳まで発達できないのかと驚いた。今後はこの背景にある、例えば、未来の成果が想像でき、自分の欲望を抑えて一回待てる脳ネットワークなど、メカニズムの解析が必要だろう。
  言語も含めて人間特有の脳機能の中心に、同じ概念をシンボル化して他人と共有できる能力がある。実際に論文を読んでみて、一見他愛ない様に思える実験の中に、深い構想があることがよくわかる。言語の発達もこの様な研究の繰り返しの上に進むのだろう。
  しかし、人類進化学研究所を作って最初にトマセロさんに教授就任を依頼したペーボさんの構想力には脱帽。
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6月26日:RAG遺伝子のルーツ(6月30日Cell掲載論文)(論文ウォッチ1000回記念)

2016年6月26日
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    生きている限り時間は流れる。論文ウォッチ(=報道ウォッチ)を始めて、ついに1000稿を書く日がやってきた。要するに元気で生きている証拠で、感謝。
   特に記念の論文を探したわけではないが、私がドイツに渡って基礎医学に専念したときに選んだ、「抗原受容体遺伝子の再構成を観察できるB細胞分化系の再構築」というテーマともどこかで関係する上海・中山大学からの論文を見つけた。タイトルは「Discovery of an active RAG transposon illuminates the origin of V(D)J recombination(RAGトランスポゾンの発見によりVDJ遺伝子再構成の起源が明らかになった)」で、6月30日発行のCellに掲載された。
   言うまでもなく抗原受容体遺伝子再構成(VDJ再構成)は、利根川さんがノーベル賞に輝いた発見だが、David SchatzによりRAG1/2遺伝子が再構成のための必要十分な分子であることが示されるまでに約10年かかっている。今日紹介する研究はこの RAG遺伝子の起源がナメクジウオの持つトランスポゾンにさかのぼれることを明らかにした論文. 楽しく読むことができる力作で、1000回目に紹介する価値があると思う。
   RAG1/2分子は共同して再構成標識配列(RSS)が標識するDNA部分を切り出し、隔てられていたVとD,DとJ各遺伝子を再結合させる。このプロセスは、トランスポゾンが自分を切り出し、他の部位に挿入されるプロセスと似ているため、RAGがトランスポゾンに由来することは、遺伝子再構成が明らかになった当時から想定されていた。このグループは、脊椎動物へ進化する前のナメクジウオのゲノムに散らばるトランスポゾン配列の中から、低いがRAGと相同性を持ち、RSSに似た配列(TSD)と近くに再挿入時にできるトランスポゾン特有のリピートを持つ配列を発見する。
  あとは、
1) この分子がトランスポゾンとして働く過程は、RAG遺伝子がVDJ再構成する過程に似ていること、
2) RAG1/2両遺伝子がナメクジウオでもセットでゲノムに存在するが、脊椎動物とは異なり、それぞれの遺伝子はイントロンを持つこと、
3) ナメクジウオのprotoRAG遺伝子と相同の遺伝子がウニにも存在すること、
4) 切り出しの時の標識配列は完全に異なっていること、
5) RAGでは切り出し時に両方の断端がほぼ同時に切れるが、protoRAGはバラバラであること、
6) ProtoRAGが切り出した後の宿主の再結合様式が異なること
7) 試験管内でprotoRAG分子を用いてトランスポゾン挿入を再現できること、
など、利根川さんの論文以後RAGを求めて多くの研究者が開発した手法を駆使して、RAGとprotoRAG を比べている。
   これだけデータを見せられると、まず間違いなくRAGはトランスポゾン由来であることを確信するし、なぜRAG遺伝子が八つ目ウナギには伝わらなかったのかの説明もある程度理解できる。研究グループの高い実力と同時に、中国生命科学一般のの急速な発展を実感させる論文だった。

   最後に1000回ということで報道ウォッチに関して一言。
1000回にこだわるのは、松岡正剛さんの千夜千冊に綴られた書評のあり方に深い感銘を受けていたからだ。時代にとらわれず、古典を含む東西の著作について、一作品ごとに他の多くの本を引用しながら、思考を紡いでいく膨大な営みは、我が国の知識人から生まれた重要な貢献だと思っている (一般受けはしないので、多くの読者には馴染みがないと思うが)。
   もちろんこれと比較するのは難しいが、同じ様なことを生命科学でできたらいいなとぼんやり考えて論文ウォッチを始めた。幸い、始めた当時と比べるとずいぶん物知りになり、一つの論文を、様々な分野の状況との関わりで理解できる様になってきた。少なくとも生命科学についてはさらに知識を集め、時代の科学について適切に語れる様努力したいと思っている。
   折しも英国がEU離脱を決意した。この出来事を見て2つの問題を感じる。一つは年寄り(20世紀の遺物)が若者(21世紀)を支配しようとする傾向と、知識人の劣化だ。
   年寄りの若者支配については、言及は必要ないだろう。あらゆる分野で、未来の可能性を蝕んでいる。
   知識人の劣化は私一人の感覚だろうか?
  離脱派のボリス ジョンソンには、一般受けするために「知」を劣化させたエリートを感じるし(知識人の劣化にSNSの果たした役割は大きい)、残留派のデビッド キャメロンには「知」が「経済」以外の何ものも代表できないエリートを感じる。
   我が国も同じ様な状況で、世界は分断の危機を迎えている。こんな状況で知を磨くことは虚しいかもしれない。しかし欧州の人たちも、ロベール・シューマンらの知識人が磨いてきたEUの理想に共感したはずだ。
   私は英国のEU離脱は、知識人が一般人から分離したのではなく、SNS語に慣れて本当の知を磨くことをやめ、世俗に同化してしまったからではないかと思う。
  当分は2000回を目指し、「書を求めて書斎にこもろう」と思っている。
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6月25日:補体が細胞内で働いている(6月17日号Science掲載論文)

2016年6月25日
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    自然免疫は我が国の得意分野だが、様々なTLR刺激がNFkBを活性化してサイトカインを誘導して炎症を起こすという簡単なスキームが、最近複雑になってきている。これは自然免疫刺激によりNLRP3と呼ばれる分子が活性化され、インフラマゾームと呼ばれる分子複合体を形成し、caspase1を介して炎症に関わるサイトカインを活性化させる経路が知られる様になったからだ。特に、NLRP3変異による病気が発見されたのもインフラマゾーム概念形成に大きく貢献した。
   今日紹介する英国King’s Collegeからの論文は、インフラマゾームカスケードがさらに複雑な制御を受ける可能性を示した論文で6月17日号のScienceに掲載された。タイトルは「T helper 1 immunity requires complement-driven NLRP3 inflammasome activity in CD4+ T cells (1型ヘルパーT細胞免疫はCD4陽性T細胞内で補体により活性化されるNLRP3インフラマゾームの活性を必要とする)」だ。
このグループはT細胞の活性化に関わる補体の役割を研究している様だ。T細胞と補体との関係ではC3に結合して補体カスケードの活性化を抑えるとともに、T細胞内のシグナルに関わるCD46がよく知られているが、この研究ではなんと、細胞内のC5がヘルパー機能にどう関わっているかを研究している。
  最近補体がシナプスの剪定に関わるなど、思いもかけない機能が明らかになっているが、細胞内で働いているという話は初耳だ。
   この論文のハイライトは、
1) 1型ヘルパーT細胞のCD3とCD46を同時に刺激すると、細胞内でC5が産生されること
2) ヘルパーT細胞ではC5受容体のC5aR2は細胞膜、C5aR1は細胞内で発現すること、
3) C5aR1とC5の結合はミトコンドリアROSを介してLRP3分子複合体形成を活性化して、インフラマゾーム形成を促進すること
を発見したことだ。残りのデータは、この発見の意味を問うため、阻害剤やノックアウトマウスを使った詳細な炎症反応の解析で、C5の研究とインフラマゾームの研究が入り組んでしまってメッセージがわかりにくい。
   このシナリオはいいが、少し気になるのが細胞外のC5aR2の役割で、論文ではたしかにC5aR1とC5を奪い合って、C5aR1機能を阻害するとともに、直接インフラマゾームの活性化を抑制することが示されている。とすると、C5の刺激が複雑な回路を形成してしまうことになる。実験的に言えば、最終結果が何であってもC5誘導で説明ができてしまうのはスフェアではない様に思える。       とはいえ、C5が細胞内で働いているということ、インフラマゾームの活性化が、自然免疫だけでなくT細胞の抗原刺激でも起こることを示したことは、LRP3遺伝子変異による疾患の深い理解に貢献するだろう。
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6月24日:触覚障害と自閉症(心と体を結ぶ糸が切れたら):MECP2重複症勉強会に向けて(7月14日号Cell掲載論文)

2016年6月24日
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    昨日、医学において「心」と「体」を切り離すことが本当は難しいこと、そして逆に「心」を体から切り離して考える人工知能研究の問題を指摘した(http://aasj.jp/news/watch/5418)。参照した論文が他愛ない論文で、大上段の議論のためには少し物足りなかったと思うが、全ては今日紹介するハーバード大学からの画期的な論文を紹介するための伏線だったと理解してほしい。
   さて、明日(6月25日午後2時)私たちのAASJチャンネルで、MECP2重複症のお子さんを持つお母さんとこの病気の勉強会を行い、ニコニコ動画で放送する予定だ(http://live.nicovideo.jp/watch/lv265257395)。病気については、2時からの放送を見てほしいと思うが、この番組について今日宣伝記事を書くため、MECP2についての最新論文を探していたところ、この画期的な論文に行き当たった。論文のタイトルは「Perpheral mechanosensory neuron dysfunction underlies tactile and behavioral deficits in mouse models of ASDs(末梢の機械刺激ニューロンの異常が触覚異常とともに行動異常の背景にある)」だ。
   MECP2はメチル化されたDNAに結合するタンパクで、これが欠損するとレット症候群、この遺伝子が重複するとMECP2重複症になる。それぞれの症状は異なるが、ともに自閉症様の社会性発達異常を伴う。ただ、遺伝子についてわかってきても、なぜこの様な症状が出るのか明瞭な説明はまだできていない。
   自閉症スペクトラムの研究は専ら脳の研究に焦点が当てられている。しかし、MECP2機能が欠損するレット症候群では触覚過敏症が見られることが知られており、また多くの自閉症スペクトラムでも触覚異常が報告されている。この症状をヒントに、このグループは体の感覚を伝える体知覚神経異常が自閉症様症状の原因になっているのではと着想した。すなわち、中枢神経ではなく、体と脳を結んでいる体知覚神経の異常が自閉症を起こしているのではと考えた。この仮説を証明するため、マウスの体知覚神経だけでMECP2遺伝子を欠損させ、社会行動異常との関わりを調べたのがこの研究だ。
   断っておくが、これは全てマウスモデルで行われた研究で、ヒトにどれだけ当てはまるかは不明だ。ただ、MECP2欠損や重複に関しては、マウスやサルモデルとヒトの病気はよく相関していることは述べておく。
   さて、あらゆる詳細を省いて結論だけを述べると、
1) 体知覚神経だけでMECP2遺伝子を欠損させると、触覚過敏や新しい物体を触って認識する機能の低下などの体知覚異常がおこるが、これに加えて社会行動異常も起こる、
2) 成熟してから同じ様に体知覚神経のMECP2遺伝子を欠損させると、触覚異常は起こるが、社会行動異常は起こらない。
3) MECP2が完全に欠損したレット症候群モデルマウスで、MECP2分子を体知覚神経だけで発現させると、触覚異常とともに社会行動異常は正常化する。しかし、記憶や運動障害は治らない。
4) MECP2欠損は、GABA受容体の発現低下を介して異常の症状を誘導する。
になる。
  これらの結果は、MECP2欠損による自閉症様症状は、体と脳をつなぐ体知覚神経の異常が主因であることを明確に示した。もちろん、体知覚が障害されると脳発達が遅れ、その結果社会行動異常が起こるが、これは体知覚を刺激することで治せる可能性がある。重要な貢献だと思う。    「この様に、心の発達に体からの刺激は必須だ」とカミさんに熱っぽく語ったら、「体知覚刺激はオキシトシン刺激かも」と答えが返ってきた。マウスモデルとはいえ、今後様々なことが明らかになる予感がする。
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6月23日:モーツアルトはお好き?(ドイツ医師会雑誌国際版6月号掲載論文)

2016年6月23日
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   2年前高野山大学が大阪で毎年開催している一般向けの講演会で話をしたことがある。「生物学の成り立ち」などと堅い話をして、あまり受けなかったが、この講演会のプランナーであった京大医学部の大先輩、村上和雄筑波大学名誉教授は、心と体の関わりを面白おかしく話され、大受けしていたのを覚えている。この時村上さんは「笑いの身体的影響」についての自らの実験の話をされた。一般の方に昼食後、初日は「糖尿病のメカニズム」について話をし、2日目には同じ時間に生でコンビ漫才を聞かせた後血糖の上昇を調べ、漫才を聞いて大いに笑った場合、医学の講義を聞いた時と比べて、血糖の上昇が著明に抑制できたという結果だ。茶目っ気の多い村上先生ならではの実験だが、決して話題のための実験ではなく、論文として発表されているのを知って感心した。
   今日紹介するドイツ・ルール大学からの論文も同じ様に「心と体」の問題を、今度は音楽について調べた論文でドイツ医師会雑誌国際版6月号に掲載されている。タイトルは「Cardiovascular effect of musical genres(心血管に影響する音楽ジャンル)」だ。
  研究では平均年齢47歳、平均血圧が124/77mmHgの健康人120人をランダムに2グループに分け、片方にはモーツアルト交響曲40番、ヨハンシュトラウスワルツ集、そしてスウェーデンの音楽グループABAのアルバムを順不同に聞いてもらい、それぞれのジャンルを聞いた前後の血圧、脈拍数、そして血清コルチゾール濃度を調べている。対照群は静かな部屋で安静にしてもらった後、同じ検査を受けている。
  結果は全ての検査で、音楽を聞いた方が静寂より良い効果がある。血圧と脈拍に対しては、モーツアルトの交響曲が最も高い効果を示し、収縮期圧で4.7mmHg、脈拍数では毎分6回程度低下する。次に効果が高いのはヨハンシュトラウスで、ABAの音楽は静寂よりは効果があるが、モーツアルトやヨハンシュトラウスより少し劣るという結果だ。
    話のネタとしてはわかりやすいし、おそらく誰もが納得できる結果だと思うが、村上先生の実験も含め、この様な研究を「話題・ネタ」で終わらさないことが科学者にとっては重要なことだ。
   デカルトの2元論以来、科学者は「心」と「体」を分離して、一般の日常世界とは異なる生命科学領域を育成してきた。ただ、当時の「心」は「脳」という言葉でずいぶん置き換わっている。今日紹介した2つの話も、実際には「脳」と「体」との関係に変えることは簡単だろう。とは言え、「脳」の経験する歴史の違いが「心」になり、脳科学永遠の課題「私・自己」になる。そう思うと、人工知能研究にとって最も重要な課題は、人工知能が自己を持つ過程の解明ではないかと思う。この時、血糖検査や血圧を計れない「体」のない人工知能で、本当に自己が成立していることがわかるのか、興味が尽きない。   
カテゴリ:論文ウォッチ
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