2016年10月26日
APC遺伝子は、家族性大腸ポリポーシスの原因遺伝子として現シカゴ大学の中村祐輔さんらにより特定された分子だが、ポリポーシスの患者さんは高率に大腸癌へと進展すること、また多くの原発性の大腸癌でも変異が見られることから、大腸癌発生の鍵になる分子と考えられている。ただ私もそうだが、多くの人はAPCはガン抑制遺伝子なので、この分子に対する薬剤の開発は難しいと思い込んでいたようだ。
今日紹介するテキサス大学サウスウエスタン医療センターからの論文は、この思い込みが間違いで、APCを標的にした薬剤が開発できることを示した研究で10月19日号Science Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Selective targeting of mutant adenomatous polyposis coli (APC) in colorectal cancer (大腸癌のAPC遺伝子変異を選択的に標的にする治療)」だ。
この研究では、ガン抑制遺伝子とはいえAPCはほとんどの直腸癌で、ただ欠損するわけではなく、短い分子が発現していることに注目した。すなわち、この短い分子がガン抑制というより、ガン増殖促進作用があると考えた。
そこで、この短いAPC遺伝子APC-mを持つ大腸上皮細胞株を樹立し、APC-mを持つ細胞株の増殖のみ抑制する化合物を探索し、20万種類の化合物の中から最終的にTASIN-1と名付けた化合物を特定している。
あとは、期待どおりTASIN-1がかなりの割合の大腸癌細胞株の増殖を抑えること、正常のAPCには全く影響がないこと、大腸ポリポーシスの動物モデルで、ポリープ発生と増殖を抑えられることなどを示している。
最後に、なぜTASIN-1がAPC-mだけを効果があるのかについて調べ、TASIN-1がコレステロール合成系のEBPを阻害作用を持ち、ガン特異的コレステロール合成阻害を介して増殖を抑えることを明らかにしている。
この結果は、大腸癌でAPCは、従来考えられていたWntシグナルを介する増殖異常のみならず、コレステロール代謝を細胞の増殖に都合のいい様にかく乱していることを示唆している。この経路のさらに詳しい解析が進むと、大腸癌の弱点がさらに明らかになり、根治は無理でも、ガンの進行を遅らせることができる様になるだろう。
APCの作用について、一つのシナリオで納得するのではなく、それに対する小さな疑問から薬剤の開発まで進んだいい研究だと思う。APC-m特異的なので、実用化は早いのではと期待する。
2016年10月25日
人類の歴史を遡る考古学は、「骨と石」の学問と呼ばれている。最近、骨の役割は、そこに含まれるDNAまで広がっているが、石、すなわち石器により人類をサルから区別することはこれまでと同じだと考えていた。この分野を知りたい人たちにはRobin Dumbar 「Human Evolution,(邦訳あり)」を進めるが、この本でもアフリカで2足歩行の先祖がサルから別れた後、かなり時間が経った後Homo Habilisの出現とともに石器を使うようになったと書かれている。
では、サルは石器を作らないのか?これまで道具を使うサルは、ニホンザルも含め何度も記述されてきた。ただ、石を貝殻状に割ってナタのように加工したり、尖らせたりすることはほとんど観察されていなかった。特に、ボノボに石器作りを見せても、自分から石器を作ることがないという観察から、石器は人類の証拠という枠組みを疑う人は少ない。
これに対し今日紹介するオックスフォード大学からの論文ではブラジル国立公園に棲むカプチンザルの一種は、石器(のようなもの)を繰り返し作ることを報告した研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Wild monkeys flake stone tools (野生猿は石器を削る)」だ。
ただ、タイトルは少し誤解を招く。というのも、本当はこれが石器、すなわち道具として使われるという証拠がないからだ。
この研究ではブラジルのカプチンザルが小さい石に重い石をぶつけて、貝殻状のシャープな刃を持った石器様の石を多く作ることが詳しく観察されている。重い石は600gに及ぶことを考えると、間違いなく偶然ではなく、何かの意図を持って作っている。そして、この方法で生まれる石器様の石は、Homo habilisとともに発見される石器に酷似している。
実際話はこれだけだが、「猿も石器を作る」とは結論できない。
まず、この石器様の石には植物であれ、動物であれ生物を処理するのに使った痕跡がないことだ。著者らも、石と石をぶつけるのは、それにより生まれる石の粉を食べるため、あるいはそこに付着している地衣類を剥がして食べるためではないかと考えている様で、決して道具作りとは考えていない。
しかし、この発見は「骨と石」の考古学にとっては重要な意味を持つ。すなわち、初期石器時代と言われる、石と石をぶつけただけの石器が、実際に石器だったかどうかを証明しないと、これからは石器=人類とは言えないことだ。過去についての学問の難しさがはっきりと示された研究だ。
次にどんな反論が出るのか、あるいは旧石器時代の研究がどう変わるのか、楽しみだ。
2016年10月24日
昨日に続いて、今日も人間の免疫機能に関わる研究を紹介しよう。屠殺して様々な臓器を調べることができる実験動物と異なり、末梢血に流れるリンパ球だけが利用できる条件で、ヒトの免疫反応を詳しく解析することは難しい。しかし、そのような制限と格闘しながら、研究を進めているグループは増えてきている。
今日紹介するベルリンのシャリテ病院と、ドイツリュウマチ研究センターからの論文は抗原特異的な制御性T細胞(Treg)が確かに人間で働いていることを証明した研究で11月3日号のCellに掲載予定だ。タイトルは「Regulatory T cell specificity directs tolerance versus allergy against aeroantigen in human(制御性T細胞の特異性がヒトの飛沫抗原に対する免疫寛容かアレルギー科を決めている)」だ。
Tregは、言わずと知れた、現在阪大の坂口さんが免疫寛容のメカニズムを研究する過程で発見したT細胞の亜集団で、この細胞を無視して免疫系は語れない中心的概念になっている。抗原に反応して活性化され、同じ抗原に対する免疫反応を抑制するために存在し、自己に対して免疫反応が起こらないようにしている。
坂口さんによってTreg誘導のキー分子として特定されたFOXP3が機能不全に陥ると、新生児期から強いアレルギーに陥ることが知られており、ヒトでもTregが免疫調節に重要であることが明らかになっていた。しかし、通常の抗原特異的T細胞を検出する方法でTregが検出できないため、抗原特異的なTregの機能を厳密に調べる研究は遅れていた。
抗原特異的Tregを直接検出できないため、この研究では、ヒト末梢血を試験管内で刺激後、Tregを純化する新しい方法を用いて、すでに抗原に感作されたメモリーTregを定義することで、なんとか抗原特異的Tregを検出している。この方法を用いると臍帯血ではTregを検出できない。
この方法で検出されるTregは、卵を含む食物に対しては誘導されにくいこと、一方吸い込んでアレルギーになる花粉やダニ抗原などに対しては反応性が高いことがわかり、Tregの誘導しやすさが抗原により違うことが明らかになった。以上の結果は、成長過程で誘導されたTregは、ヒトの末梢血に存在し、いつでも抗原に反応できることを示していることを示している。
次に、アレルギーを起こすT細胞も同じように刺激して、使っているT細胞受容体遺伝子を解析すると、同じ抗原でも違った受容体が反応していることが明らかになった。
この基本実験システムを用いて、次に樺由来抗原(Birch)に対してアレルギーになっていない正常ヒト末梢血を調べ、Birchにより誘導されるTregが存在し、Birchが空気中に飛散する3−5月には上昇して、免疫反応を抑えるのに一役買っていることを示している。
一方アレルギーになっているヒトでは、Treg自体の反応性は変わらないものの、アレルギーに関わるT細胞の数が著明に上昇している。この結果は、アレルギーになるヒトでは、Tregとは異なるタンパク質が通常のT細胞を刺激するため、反応が抑制できないと考えられる。
これを確かめるため、それぞれの抗原を構成タンパク質に分けて反応を調べると、構成している抗原によりTregと通常のT細胞の誘導性が異なること、そして、抗原粒子から溶け出やすい分子量の小さなタンパク質ほどアレルギーを誘導するT細胞を活性化できることを明らかにしている。
まとめると、空気中に飛散しているアレルゲンはTregを誘導して、アレルギーを誘導するT細胞の活性化を抑え続けているが、アレルゲンを構成するタンパク質の中で溶けやすく、アレルゲンから分離しやすい抗原はTregの抑制から逃れて、アレルギーを誘導するという結論だ。
今後、抗原特異的Tregを直接検出する方法の開発など、やらなければならないことは多いが、ヒトでも抗原特異的Tregが体内を循環し、通常のT細胞の抗原反応を抑制していることを示す実験系を確立したことは重要な貢献であることは間違いない。他にもガンや自己免疫病など、多くの分野で役にたつ方法が確立された。
この概念を最初に確立した坂口さんを擁する我が国にとっては、ヒトでもこの概念の正しいことが明らかにされるのは嬉しい話だ。ただ、次世代シークエンサーが普通に利用されるようになってから、ヒトの免疫機能を解析した研究がトップジャーナルに多く掲載されるようになったにもかかわらず、ヒトの免疫機能研究で我が国のプレゼンスが低いように見えるのは問題だ(私の見落としならそれでいい)。免疫に限らず、人間についての研究も我が国でどう取り組むのか真剣に考える時が来ている。
2016年10月23日
アフリカ祖先の人種とヨーロッパ祖先の人種で免疫機能が大きく異なることはよく知られている。例えば、SLEはアフリカ祖先で重症化しやすい。また、この差をもたらす一塩基遺伝子変異SNPや遺伝子欠損や挿入の多くがすでに特定されており、遺伝子診断サービスにも生かされている。ただ、病気ではない正常人の免疫機能の違いを決める遺伝子背景を特定する研究は始まったばかりだ。
今日紹介するフランス・パストゥール研究所からの論文は、末梢血から採取した単核球の自然免疫に関わる3種類のTRLシグナルを試験管内で刺激した時の反応の差をアフリカ祖先とヨーロッパ祖先で比べ、この差を生むSNPを特定した研究で10月20日号のCellに掲載された。
異なる刺激方法を使ってはいるが、ほとんど同じラインの論文がカナダ・モントリオール大学から発表されているが、私自身がわかりやすいと印象を持ったパストゥール研からの論文を選んだ。
まず大変な力作だ。アフリカ祖先、ヨーロッパ祖先それぞれ100人づつボランティアを募り、単核球を3種類の異なる方法で刺激し、刺激前後の遺伝子発現を次世代シークエンサーを用いたRNAの配列決定により測定する。並行して、それぞれのゲノムを調べて遺伝子発現の差をゲノム上のSNPの差と相関させている。
詳しい方法は一般の人にはあまり重要でないのでわからない単語はすっ飛ばして読んでほしい。この研究ではまず、刺激により変化する遺伝子を、感染症に対する防御反応に関わる4種類のモジュール(それぞれNFκb、IRF1、GATA2反応性を反映している)に分けられることを示している。
次にこの遺伝子リストの中で、アフリカ系とヨーロッパ系で差がある遺伝子リストを、ゲノム解析データと相関させて、その遺伝子発現の差を説明できるゲノムレベルの遺伝子変異を幾つか特定している。
中でもヨーロッパ系に特異的に見られるTLR1シグナルに対する反応の低下に関わるSNP、rs573618が、ヨーロッパ系とアフリカ系の免疫機能の差の重要な部分を説明できることを突き止める。アフリカ系にはrs573618はAAとCA型しか見られないが、ヨーロッパにはCC型が存在し、CC型ではTLR1に対して反応する多くの遺伝子の発現が低下することを示している。すなわち、TLR1シグナルがヨーロッパ系だけで弱まっている。
それぞれのSNPを持つポピュレーションの進化過程を計算すると、rs573618など、明確な差を示すSNPがヨーロッパでの生活で選択されていることがわかる。すなわち、感染等に対する優位性で選択されてきたことがわかる。
さて、アフリカ祖先とヨーロッパ祖先が決定的に異なる大きな差は、ネアンデルタール人遺伝子の流入だ。当然この研究でも、免疫反応に関わるSNPのどれがネアンデルタール人から流入したのかを調べている。残念ながらrs573618自身がネアンデルタール起源ではなさそうだが、PNMA1遺伝子発現に関わるハプロタイプを特定し、それがヨーロッパ系で選択されていることを示している。
おそらくデータが膨大で、解析を続ければこれからさらに面白い遺伝子座が見つかるだろう。特に、ほとんど同じ研究を行ったカナダのデータと比べる研究は面白い。
このようにヒトを使ったポピュレーションレベルの機能ゲノミックスが急速に進んでいる。このような論文を読むと、我が国のゲノム研究の遅れが気になる。ゲノム研究は通常大型プロジェクトで、大隅さんが基礎研究といった分野とは違う。しかし、このような大型プロジェクトでさえ、我が国は何か脇道に逸れてしまっている気がする。科学研究のあり方について、根本的に見直す必要があると思う。
2016年10月22日
最初の体外受精は英国の医師ロエドワーズ博士により1978年に行われた。そして、普及は急速に進み、我が国では全出産の2%を超えているのではないだろうか。様々な批判はあったが、この普及ぶりを認めて、エドワーズ博士には2010年のノーベル医学生理学賞が送られている。
すでに30年以上が経過し体外受精が当たり前の技術になっても、この技術については倫理的、医学的な根強い批判が続いている。その最大の理由は、生殖補助医療(ART)による出産では、発生異常の確率が高いことと、この治療を受けるカップルの経済的・精神的負担の問題だ。
今日紹介するオーストラリア・アデレード大学からの論文は、南オーストラリア地区で1986年から2002年にかけて生まれた児童を対象にARTの影響を追跡調査した研究だが、私の予想を完全に裏切る結果に驚いた。タイトルは「Maternal factors and the risk of birth defects after IVF and ICSI: a whole of population cohort study(体外受精と顕微授精による出産時異常発生リスクに関する母体要因:全出産児対象コホート研究)」で、10月17日にInternational Journal of Obstetrics and Gynecologyオンライン版に掲載された。
この調査では約30万人の出産を対象に、自然妊娠、体外受精、顕微授精による出産に分け、死産、早産、異常発生の診断に基づく人工流産、400g以下の体重など全てを出生に関わる異常としてカウントし、統計を取っている。
さて結果だが、予想通り体外受精、顕微授精では出生時異常が7.1%, 9.9%と自然妊娠の5.8%に比べるとかなり高く、これまでの統計を裏付けている。しかし驚くのは、出産時の年齢を30歳から40歳以上と、5歳づつ区切って統計を取ると、正常妊娠では出産時異常率が、年齢とともに上昇する(30歳前は5.6%だが、40歳異常では8.2%)のに対し、驚くことに体外受精と顕微授精での異常率を各年齢ごとに調べると、30歳以前(9.4 and 11.3%), 30−34歳(6.1 and 9.9%), 34歳から40歳(7.7 and 9.4%)、そして40歳以上では(3.6 and 6.3%)と年齢が高いほど異常率が著明に低下している。
もちろん母親の他の健康条件により、異常率は大きく左右されるが、30万人という十分な数で見たとき、予想に反しARTによる出産は、年齢が高いほど異常率が低下するという結果だ。
体外受精の場合、受精後試験管内で胚を培養して正常胚のみを着床させるが、おそらくこの選別過程で年齢の高い母親からの胚ほど選別容易であるためだろう。要するに、年齢の高い母親からの胚では小さな異常でも試験管内及び着床までの過程が損なわれ、よほど強い胚だけが着床できるため、その後の異常率が減るのだろう。他にも様々な理由は考えられ、今後基礎的な研究も必要だ。研究から、新しい正常胚の選び方が明らかになるかもしれない。いずれにせよこの分野にとっては、重要な発見だと思う。
もちろん年齢が高くなるほどARTの成功率は落ち、またこの技術は個人のスキルに負うところも多い。従って、一概にこの調査結果が我が国に当てはまるかどうかはわからないが、我が国でも正確な調査を行って欲しいものだ。
2016年10月21日
今年8月18日、「RNAワールド完成にもう一息」というタイトルで米国アカデミー紀要に掲載されたスクリップス研究所からの論文を紹介した(
http://aasj.jp/news/watch/5653)。複雑な2次構造を持つtRNAを転写するリボザイムが設計できたという論文で、全く複製という過程が存在しなかった生物が存在しない物理世界で、複製が十分可能であることを示す論文だった。
今日同じタイトルで紹介するジョージア工科大学からの論文は、粘性の高い液体の中ではRNAの2次構造形成が遅れ、500塩基程度の長さなら、相補的な短い核酸配列(オリゴヌクレオチド)を用いて複製が可能であることを示した研究でNature Chemistryに掲載された。タイトルは「A viscous solvent enables information transfer from gene-length nucleic acids in a model prebiotic replication cycle(粘性の高い溶液により、生命のない世界で遺伝子のサイズの情報を伝達することができる)」だ。
この研究の目的は、高粘度溶液中で、RNAの2次構造形成を抑え、これにより維持される線状の一本鎖RNAを、相補的オリゴヌクレオチドでカバーし、最後に鋳型上でアッセンブルされたオリゴヌクレオチドをリガーゼで結合させてRNAが複製できることを示すことだ。研究では、このための条件を一つ一つ調べ、最終的に545塩基の長さを持つRNAの完全複製に成功している。ただ、詳細は紹介する必要はないだろう
残念ながら、この研究では大腸菌由来のリガーゼを用いてオリゴヌクレオチドを結合させているため、完全に生命非依存的に複製を行ったとは言えない。しかし、一部の脂肪酸などの有機分子が、RNAのポリメラーゼ活性やリガーゼ活性を持っていることが示されており(生命誌研究館HPより:
http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000021.html)、またリガーゼ活性を持つリボザイムの存在も知られている。従って、この系を完全に無生物系へと変換することはできるだろう。
また、この研究では粘性を高めるためにglycolineを使っているが、生命以前の地球にこのような高粘度の溶液が存在し得るかも気になる。ただ、太陽などの熱で蒸発が起こると、水たまりで同じようなことが起こってもいいだろう。実際、多くの有機物合成に、同じような溶液濃度の上昇が必要になる。
今後は、例えばニック・レーンたちが強力に進めている熱水噴出孔での有機物やエネルギー合成過程を(彼のThe Vital Question 参照)、もう少し安定な原始のスープにつなぐシナリオが必要かもしれない。
しかし、生命誕生過程についての理解は急速に進んでいる。
2016年10月20日
解剖学と組織学はセットになって、医学部学生が最初に触れる医学の伝統だが、私の時代ですでに学問自体はなんとなく古くなってしまっていた印象があった。しかしよく考えてみると、私たちの体がなぜこのような形態を持っているのかについて理解することは、分子の機能を理解するよりよほど難しい。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、人間の脳を理解するために形態学がいかに重要かを示す研究で10月20日号のScienceに掲載された。タイトルは「Extensive migration of young neurons into the infant human frontal lobe(新生児期に見られる若い神経細胞の大規模な前頭葉への移動)」だ。
脳の発達には、生まれてから様々なインプットに対応した成長が必要なことがわかっている。特に前頭葉の発達は著しく、当然細胞の増殖も伴っている。この新生児期の脳発達を担う細胞がいつ、どこで、どのように作られるのかは神経科学の重要な問題で、様々な動物を使ったモデル実験系で詳しく研究されている。しかし、ほとんど介入実験ができない人間でも同じことがいえるのかどうかは、細胞標識などの実験手法では明らかにできなかった。
これに対し、この研究は、丁寧な解剖学的、組織学的な観察を積み上げることで、この問題をある程度解決できることを示しており、新鮮な印象を持った。
細胞が増殖する場所は脳室周辺帯とわかっているので、生後様々なステージの新生児の死後脳を集め、まず細胞の密度が高い場所を特定している。次に、この場所での、移動細胞が発現しているマーカー発現を調べ、移動細胞が脳の様々な層でどのように存在しているか明らかにするとともに、移動している細胞の形態学的特徴から、移動方向が推定できることを示している。さらに、移動中の細胞の形態学を電子顕微鏡を用いて調べ、確かに細胞の形態から移動の方向性がわかる組織学的理由についても示してくれている。
このような特徴から、脳室周辺帯で作られた神経細胞は、まず次の層へまっすぐ移動してから、脳皮質へ向かって様々な方向へと分散することを示している。この結果、脳出周辺帯にくさび形の神経細胞集団が形成され、そこから分散した細胞が、アーチ状の集まりを形成することを示している。そして、これらの一時的な構造が、MRIで確かに検出可能であることも示している。
最後は、比較的新鮮な脳スライスを用いて、実際に細胞が移動することをビデオで示しているが、そこまでしなくとも観察を頭の中でつないで見れば、十分説得力のあるシナリオだと思う。この論文を読んで、生後7ヶ月までに急速に作られた神経細胞のほとんどは介在ニューロン細胞へ分化し、さらに介在ニューロンとして多様化することで、神経間の結合を高度化していることがよくわかった。
このように、優れた解剖学的、組織学的理解は、ヒトの脳研究に欠かせない。AIだ、人工知能だと浮ついた議論を避けて、形態の美しさに魅せられる若者が生まれることは、我が国の脳研究に欠かせないと思っている。
2016年10月19日
ブルガリアを旅行した時、毎食何らかの形でヨーグルトが使われるのを見て、ヨーグルトがブルガリアの食の伝統として受け継がれているのを実感できた。ただ伝統は、体にいいからと続けられるものではなく、家庭、民族の味として受け継がれてきたのだろう。
一方、私も10年以上朝食にヨーグルトを食べ続けてきているが、なぜ今食べているヨーグルトを選んだかについては明確な理由があるわけではなく、たまたま目にしたメーカーの宣伝を真に受けて続けているだけで、その効果を本当は確かめられるわけでもないし、また食べた乳酸菌やビフィズス菌が腸内に定着しているかどうかもわからない。
今日紹介するカナダアルバータ大学からの論文はAH1206と名付けられたビフィズス菌の腸内での定着について調べた研究で10月12日号のCell Host & Microbeに掲載された。タイトルは「Stable engraftment of bifidobacterium longum AH1206 in the human gut depends on individualized features of the resident microbiome(bificobacterium longum AH1206菌の腸内での安定的な定着は個人の常在菌の特性に依存している)」だ。
私たちの素朴な疑問に答えようと、この研究では、AH1206というビフィズス菌株を7週間1セット(1週ベースライン、2週ビフィズス菌orプラセーボ投与、4週無投与経過)で投与し、AH1206投与の2群に分け、AH1206が腸内に定着するかまず調べている。結果は、約30%の人では定着し、服用をやめても菌は維持されるが、残りの人では投与を続けても全く定着しないことを明らかにしている。
後はこの定着に必要な条件を検討している。結果だが、これまで言われてきたように、既存の細菌叢の多様性や絶対量が定着を決めるわけではなく、また逆にAH1206が定着しても、既存の細菌叢を大きく変化させるものではないことも明らかにしている。すなわち、多くの人では服用しても菌は素通りで、また定着しても他の菌に大きな影響はないという結果だ。
さらに詳しく定着を支持する条件を検索した結果、同じ種類のビフィズス菌がもともと少ない人では定着しやすいこと、また、すでにビフィズス菌量が十分ある人でも、細菌叢全体が発現している遺伝子がAH1206が発現している遺伝子を欠乏している場合、定着できることを示している。わかりやすく言うと、遺伝子発現から見て既存の細菌叢にとってAH1206がユニークな場合は受け入れられるが、同じ特徴を持つ細菌が既に存在する場合は定着できないという結論だ。この定着条件になる遺伝子の多くは糖鎖の代謝経路に関わることから、服用した菌のニッチを作るのに必要だと結論している。
皆が知りたいと思っていた問題を取り上げ、結論も十分ありそうな話で、納得できる。
この論文を読むと、プロバイオといっても役にたつ菌を飲めばいいという話でないことがわかる。効果を調べる前に、まず定着するかどうか調べることが必須で、今後それぞれのプロバイオメーカーも定着について2ヶ月程度追跡したデータを示してほしいものだ。
2016年10月18日
染色体を様々な大きさの領域単位に区分し、遺伝子と遺伝子の発現を調節するエンハンサー領域との相互作用を区分された領域内に限ることで、エンハンサーなどの影響が、関係のない遺伝子に及ばないようにする仕組みの解明が急速に進んでいる。これは次世代シークエンサーを用いて、染色体内で相接している領域を特定する技術が開発されたためだ。ただ、この区分化の効果を明確に示すことはそう簡単でない。
今日紹介するベルリンにあるマックスプランク分子遺伝学研究所からの論文は、遺伝子重複によりこの区分化が狂うかどうかで、ほんの小さな違いが大きな形質の変化につながることを示した研究で10月5日号のNatureに掲載された。タイトルは「Formation of new chromatin domains determines pathogenicity of genomic dupl.ications(新しいクロマチン領域の形成の有無が、ゲノム領域の重複による異常を決める)」だ。
ヒトの突然変異の中には、ゲノム上の変異が完全に解読されても、その変異により起こる形質の変化を理解するのが難しい例が数多くある。特に、遺伝子調節領域だけに変異が起こると、解釈が難しくなる。
このような例の一つが、Sox9遺伝子上流の0.5Mbにわたる領域の重複により起こる、女性から男性への転換で、この場合性染色体はXXでも外見は男性になる。この形質から、この領域はsex reversal(性逆転)と呼ばれていた。ところが、同じ領域を含んだもう少し長い領域が重複すると、性転換は見られず、代わりに重複領域の長さに応じて、指が短く、爪が発達しない異常を特徴とするCooks症候群が起こることが知られていた。
これを染色体区分の変化による、遺伝子発現の変化から説明しようとしたのがこの研究で、性転換に関わるSox9エンハンサー領域、 Sox9遺伝子、そして隣の染色体区分に存在するKCNJ遺伝子が直接相互作用を起こしているか4C法を用いて調べている。
結果だが、
1) 正常と比べると、性転換型重複の場合、重複部位とSox9遺伝子との結合が上昇する。この結果、Sox9発現調節が乱れ、余分に発現した結果性転換が起こる。この場合は、しかし、染色体区分は完全に維持され、隣のKCNJ遺伝子と、重複領域との相互作用は阻止されている。
2) ところが、重複する領域が少し長いと、それまで2個の染色体区分の間に新しい染色体区分が生まれる。この新しい染色体区分の中に全く遺伝子が存在しない場合は、重複によっても異常は起こらない。
3) ところが、重複が少し長くなって、新しい区分の中にKCNJ遺伝子が引きずり込まれると、重複部位はSox9と結合せず、代わりにKCNJ遺伝子と相互作用を起こし、本来四肢での発現のなかったKCNJ遺伝子がSox9の発現部位に発現する。この遺伝子はBMP4シグナルの異常を誘導するのでCooks症候群が起こる。
とまとめられる。
実際にCooks症候群型変異でKCNJ遺伝子が発生段階で指に発現することを示すため、マウスでヒトと同じ重複を誘導、予想通り染色体区分の再構成により発生異常が起こることを示している。
これまで難しかったヒトの遺伝子変異を見事に説明した面白い仕事だ。
一方発生学者にとっては、染色体区分が変化するような重複で、これほど大きな形質の違いが起こりうることは進化を考える上で示唆に富む発見だ。おそらく、このような変化は、大きな形質の違いを生むための進化の駆動力として重要だったのではと想像される。病気から進化まで、想像をかきたてる面白い研究だと思う。
2016年10月17日
昨日はScience誌に掲載された難民問題に関する社会科学論文を取り上げたが、2大一般科学誌が社会問題を解決するための科学を重視し始めたことを示すもう一つの例として、Natureオンライン版に掲載された女子割礼の風習を変えるための一つの方法の有効性について示したチューリッヒ大学とスーダンのオムドゥルマント、カートゥームの地方政府の共同論文を紹介したいと思う。タイトルは「Changing cultural attitudes towards female genital cutting (女子外性器割礼に対する文化的態度を変化させる)」だ。
私自身が女児割礼について初めて知ったのは、大学6年の夏休み、刀根山病院で学生研修を受けたときで、ケニアの医療機関で指導された経験のある山村医師からこの風習を習った。この研究が対象にしているスーダンでもこの風習は現在も続いており、しかも外国に暮らすスーダン人の中でもこの風習を守る人たちがいる。すなわち風習と片付けられない、長い歴史で形成された文化になっている。
とはいえ、不衛生な環境で行われる割礼により多くの女児が死亡したり、感染に苦しむ現状は明らかなので、女児を守る意味では即刻やめるべき文化と言える。事実様々な機関が教育により、割礼をやめさせようと努力してきた。ただ、頭ごなしにその危険性を説く多くの試みは、現地の人たちに先進国の文化を強要するための活動に見え、新しい方法論の開発が必要とされていた。
この論文の著者らは、既に一般住民の中に女子割礼に反対する意見が生まれていることに着目し、多様な意見に住民が気づくことで、変えることができない文化として無意識のうちに従ってきたこの風習を自分の子供には受けささないという選択ができないか調べた研究だ。
女児割礼が続く背景には、それぞれの個人が持っている価値観、そして自分の子供が結婚できるかの2大要因が存在する。しかし、個人的価値観は純潔や文化を守るという立場だけではなくなり、衛生上の安全性を価値観として押し出す人たちも増えてきている。一方、子供が結婚できるかについては、自分の息子は割礼された女性を本当に喜んで迎えるか、疑念を持つ人たちも生まれてきている。
研究では住民の中にこの価値観の違いが生まれていることを、3本の娯楽映画で表現して、これを住民に見てもらった後、意見が変わったかどうかを調べている。3本の映画は、価値観の多様性、結婚可能性に関する考えの多様性、そして両方の要因についての意見の多様性をテーマとしている。それぞれの映画は90分の娯楽映画に仕立てられており、子供の割礼をめぐって夫婦が様々な議論を繰り返した後、自分たちの父親に止めたいという気持ちを伝え、父親もそれを許すという筋立てになっている。
それぞれの映画を見せた後、すぐに聞き取り調査で割礼に対する意見を聞くと、それまで割礼賛成の住民の多くが、反対に回るという結果を得ている。ただ、この場合どの映画を見ても同じ結果で、それぞれの映画の効果に差はない。
ところが、映画を見た後数週間後に意見を聞くと、価値観と結婚観の両方が扱われた映画を見た住民では割礼反対の意見が維持されていたのにもかかわらず、価値観、結婚観をそれぞれ別々に扱った映画の効果は大きく低下していた。
面白いのは家から離れることの多い遊牧民では、割礼を維持する考えを変えることは難しいようだ。
とはいえ、この結果から、できるだけ多くの要素について、住民の中で多様な意見があることを認識すること、また夫婦や家族の中で問題をタブー視せず話し合うことができることを認識すること、この2点について、決して上から目線の啓蒙映画ではなく、娯楽映画仕立てで見てもらうことで、住民の意識が変わることを示している。
繰り返すが、Natureがこのような取り組みを掲載するのは21世紀に入って大きな変化が進んできていることを示している。
もちろん、割礼については納得の論文だが、皮肉な見方をすると、洗脳技術を高めれば文化でさえも変わると読める論文でもあった。