11月16日:霊長類に見られる脳進化を推進した分子(11月10日号Nature掲載論文)
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11月16日:霊長類に見られる脳進化を推進した分子(11月10日号Nature掲載論文)

2016年11月16日
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    げっ歯類から霊長類への進化では、脳皮質の増加とそれに伴う神経細胞ネットワークの複雑化が最も著名な変化として認められる。この変化に、刺激に応じて脳回路をシェープアップする、脳の可塑的な発達期間の延長が重要な要因になっていると考えられてきた。しかしこの過程に関わる分子を特定しようと、ネズミの皮質には存在せず、類人猿には存在する遺伝子の探索が行われているが、研究の進展は遅い。
   今日紹介するハーバード大学からの論文は培養皮質細胞の遺伝子発現をマウスと人で比べて見つかったOsteocrinが脳皮質の進化を解くカギになることを示した論文で11月10日号のNatureに掲載された。タイトルは「Evolution of osteocrin as an activity-regulated factor in the primate brain(Osteocrinの進化が類人猿の活動依存性の神経因子として特定された)」だ。 
     培養細胞を用いてネズミとヒトの遺伝子発現の違いを調べる研究はこれまでも数多くあるが、この研究のユニークな点は、ヒト胎児脳皮質の培養細胞をカリウムの高い培地を用いて神経興奮と同じシグナルを与えてから比べた点だ。これにより、ヒトでも普通は発現していないが、神経刺激を受けると発現が上昇してくる遺伝子を特定することができる。
   この条件に適う幾つかの遺伝子を発見しているが、その中でOsteocrinと呼ばれる骨芽細胞の成熟を抑制する分子をさらに詳しく解析している。機能からわかるように、この分子はヒトやネズミの骨芽細胞で発現している。しかし、ヒトだけで脳皮質で、しかも神経が刺激を受けることで初めて発現する分子であることが分かった。この結果から、Osteocrinは類人猿への進化の過程で、脳皮質でも発現するようになり、新しい機能を発揮するようになったのではと仮説を立て実験し、以下のことを明らかにしている。
1) 類人猿のみでosteocrinが脳皮質で発現するのは、進化過程で遺伝子発現に関わるプロモーターにMEF2結合部位が新たに加わったためで、この領域に変異が入ると、ヒト皮質での刺激に応じた発現が失われる。
2) この部位は調べたヒトを含む全ての類人猿で保存されている。
3) 生後の視覚を遮断した視覚野と正常の視覚野を比べると、刺激を受けた視覚野のみでosteocrinの発現が見られる。
4) 培養細胞でもカルシニューリン阻害剤で興奮を止めると、osteocrinの発現が止まるため、刺激依存的にだけ発現する。
   そして、最後にこの分子をノックアウト、あるいは過剰発現させた培養皮質細胞を調べ、この分子は分泌されると神経の樹状突起の伸長を抑制することを明らかにしている。おそらく、最初に形成されたランダムな神経結合を、刺激に合わせてシェープアップするときに樹状突起の抑制が重要だと考えられる。可塑性の研究にとって重要な発見だと思う。
   進化上の大きな変化も、全く新しい遺伝子が生まれるのではなく、既にある遺伝子の発現場所を変えて新たな機能を付与することで行われることを明確に示した面白い研究だと思う。今後、この分子が欠損したサルで何が起こるのか発表が待たれる。
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11月15日:くすぐられると笑ってしまうメカニズム(11月11日号Science掲載論文)

2016年11月15日
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   誰でもお腹を触られるとくすぐったい。くすぐったいと、思わず「やめて」と笑いながら叫んでしまう。誰もが同じように反応するので、不思議と思ったことはなかった。今日紹介するドイツ・フンボルト大学からの論文は、「なぜくすぐられると笑うのか?」「どうして背中はくすぐったくないのか?」「どうして自分で触ってもくすぐったくないのか」という、誰もが当たり前と思っていることに不思議を見出し、実験的に調べた研究で、11月11日号のScienceに掲載された。タイトルは「Neural correlates of ticklishnesss in the rat somatosensory cortex (ラットの脳皮質体知覚野のくすぐったさに対応する神経活動)」だ。筆頭著者Ishiyama(石山?)とあるので、おそらく日本人だろう。
   繰り返すが、誰もが当たり前と思っていることに不思議を見出したことがこの論文の全てだ。用いられている実験手法も、生理学の研究室ならどこでも可能な実験だ。
   まずくすぐると、「ヒッ、ヒッ、ヒッ」と笑ってしまう点に注目し、人間のこの笑いに対応するラットが超音波で発する音(USV)を特定している。そして、お腹をくすぐられるとこのUSVの数が増え、声が大きくなること、そのあとでくすぐった手を追いかけたり、喜んでジャンプしたりして、決して不快に思っていないことを示すなどの特徴的行動を記載している。
   次に、脳の体知覚野に単純な電極を留置して神経興奮を連続的に調べると、USVと同じようなパターンで興奮が記録されること。たとえば、手を休めた時にも興奮が観察でき、またくすぐられた後その手を追いかける時でも興奮が見られることから、単純な感覚刺激に対する興奮でないことを確認している。
  重要なことはこの領域であれば、ほとんどの神経細胞が同じように反応することで、ほぼ全ての神経細胞が興奮している状態であることがわかる。まれに、興奮が抑えられた神経細胞も検出しているが、これが何を意味するのか答えは示されていない。
   私たちも不安な時はくすぐられても喜べない。同じように、ラットを強い光に晒すと、くすぐっても声も出ないし、神経細胞も興奮しない。
   最後に、USVと神経細胞興奮との因果性を調べるため、発声と神経興奮の相関を調べている。くすぐる手を休めている時にもUSVが出るのを利用して、USV発声前後で興奮を調べると、発声前から興奮があり、特にL5aと呼ばれる深さの細胞の興奮により発声する可能性が示唆された。
   最後に、体知覚野の様々な深さに電極を挿入してパルス刺激を与え、期待した通りL5a層にある神経を刺激した時はUSVを100%成功率で誘導できることを示している。
   まとめると、お腹をくすぐられると、体知覚野のL5a層を中心にほとんどの神経が興奮し、この興奮はそのまま笑いの誘導に直結するという結論になる。
   よく考えてみると、体知覚野の感覚興奮がどうリレーされるのか、伝達因子は何かなどはほとんど触れられていない現象論的研究だ。しかし、そんな理屈より、研究テーマ自体が楽しめるので、「ヒッ、ヒッ、ヒッ」と笑いながら読んだ。
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11月14日:大麻による物忘れのメカニズム(Natureオンライン掲載論文)

2016年11月14日
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    医師の指導下に、ガンによる痛みや難治性てんかんの治療に大麻を用いることは、様々な国で認められるようになっている。例えば現存の薬剤で治療の難しいてんかんや痛みに効果がある場合、我が国でも利用できるようにすべきだと個人的には思っている。しかし、治療用ではなく個人の精神安定などの目的で大麻を使用していいかというと、タバコより習慣性がなく、安全という意見もあるが、まずほとんどの国で禁止されており、私もこれを支持する。これは、大麻使用により記憶障害などの副作用が誘導されることが経験的にわかっているからだ。
   今日紹介するフランス国立神経センターを中心とする共同論文はこの大麻による記憶障害の分子メカニズムを明らかにした研究でNatureにオンライン出版された。タイトルは「A cannabinoid link between mitochondria and memory (カンナビノイドはミトコンドリアと記憶を関連づける)」だ。
   大麻には何十種類もの生理活性物質が含まれているが、鎮痛作用などの重要な作用は、カンナビノイド受容体と結合する3量体Gタンパク質を介するシグナルを活性化させ、シナプスでの神経伝達を変化させることで得られる。この研究は、カンナビノイド受容体CB1が、細胞膜上だけでなく、ミトコンドリア膜上にも発現していることの発見から始まっている。タンパク質のミトコンドリアへの輸送はよくわかっているので、これに関わる領域を除去したCB1受容体を作ると、細胞膜上に発現して正常に機能するが、ミトコンドリア上には全く存在できないことが分かった。
   次に、CB1の発現が異なるミトコンドリアを用いて、CB1のミトコンドリアでの機能を調べると、Gタンパク質を介してPKAを活性化し、cAMP-PKAシグナルカスケードの引き金を引き、その結果5つあるミトコンドリア電子伝達系のうちComplexIを阻害することが明らかになった。すなわち、カンナビノイド刺激により、神経興奮への作用だけでなく、ミトコンドリアの呼吸系が抑制され、細胞でのエネルギー生産が低下することが分かった。
   最後に、ミトコンドリアでのPKA活性化により記憶障害が起こるか調べるため、正常PKAの機能を阻害する変異型PKAをミトコンドリアに移行するように改変した遺伝子を作成し、これを海馬で発現させると、発現自体では何も起こらないが、CB1刺激による記憶障害を抑制することが明らかになった。すなわち、ミトコンドリアでの電子伝達系阻害が、カンナビノイドの記憶障害の原因であることが明らかになった。
   他にも、PKA-cAMP経路の標的分子などについて詳しい解析も行っているが、この論文のハイライトは、カンナビノイドによる記憶障害が、神経回路への直接作用ではなく、ミトコンドリアの呼吸反応を変化させてしまった結果であることの発見だろう。
   今回明らかになった新しいカンナビノイドの標的から考えると、大麻は副作用が必至の医薬品として扱われるべきだとわかる。許可されている国が存在することを根拠として個人使用を認めるべきだという要求もあるようだが、判断は科学的エビデンスに基づいて行うべきだ。その意味で、今回の研究は、大麻の個人使用の新しい危険性を指摘した。一方、メカニズムが明らかになることで、ミトコンドリアのCB1を刺激しないCB1アゴニストなどが開発されるだろう。それにより、より副作用の少ない鎮痛剤や抗てんかん薬が開発されることを期待する。
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11月13日:米国科学界のトランプに対する懸念(今週号Nature, Scienceから)

2016年11月13日
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半分以上の人が投票に行かず、わずかとはいえ得票率で劣るドナルド・トランプが次期米国大統領に決まった。選挙制度だからと言ってしまえば簡単だが、8年前の熱狂の代わりに、双方の支持者を隔てる大きな溝だけが残る選挙だった。この溝はアメリカ国内にとどまらない。選挙直後にドイツ首相メルケルが心配したように、これからのアメリカ政府は「自由と民主主義」という価値を他国と共有するかどうかすら懸念される。同じように、米国科学界もトランプとの間に横たわる大きな溝に立ちすくんでいる。トランプが反グローバリズムなら、あらゆる分野の中で最もグローバルな科学は槍玉に上がる可能性がある。またこの溝を直感するからこそ11月1日に紹介したように米国科学界はトランプ嫌い一色になっている(http://aasj.jp/news/watch/5995)。
   このように、科学界はトランプ政権の科学技術政策に大きな懸念を抱いているが、選挙後に発行されたNatureとScienceはともにトランプの科学技術政策について記事を掲載している。
   両紙に共通するのは、トランプ政権が地球温暖化ガス削減のためのパリ議定書に反対するだろうという予想だ。TPPと同じで、選挙中も温暖化ガス問題は中国に責任があると言い放っている。とはいえ、米国議会もパリ協定を批准しており、大統領といえども反故にするわけにはいかない。おそらく、目標達成にむけた実行策を話し合うマラケシュ会議に協力的に参加しないという方法で、アメリカの責任を放棄するだろう。
   これと並行して、この法案の審議を行う最高裁判事に反対派を指名して、法案を事実上無力化することも行うと予想している。
   この問題に対してScienceは米科学界がこれまで以上に温暖化問題の重要性を証拠で示していくほかないと科学者に檄を飛ばしている。
   温暖化問題ほど明らかではないが、科学界が抱くトランプ政権への懸念の一つが、ヒトES細胞研究に代表される、胎児組織の研究利用の問題だ。もともと、ブッシュ大統領はキリスト教原理主義的信条から、連邦予算をヒトES細胞研究に使うことを禁じていた。さらに大統領の指示で、議会でもES細胞研究禁止の法案を通過させようとする動きがあり、実はこれを阻止するロビー活動として友人のZonやDaleyの呼びかけに集まった有志で国際幹細胞会議をスタートさせ、最初の会議はワシントンで開催した。
   幸い法案は通らず、また大統領禁止令はオバマ政権で廃止、現在では約190億円の連邦予算がヒトES細胞研究に拠出されている。
   トランプは選挙中に、中絶胎児組織利用に反対する団体を支持する発言を行っている。ただトランプ自身のヒトES細胞に対しての発言はほとんどないが、ペンス副大統領は常にヒトES細胞研究に反対していることから、ブッシュ時代に逆戻りする可能性は高い。
   やはり両紙が共通するのは、移民審査が厳しくなることで、アメリカ研究機関への優秀な人材リクルートが滞る可能性だ。さらに、一般的に科学者のトランプに対する印象は悪く、アメリカで働く外国人研究者が帰国する可能性が高まるのではと予想している。
   以上が、両紙がトランプに対する科学界の懸念として取材した内容だが、おそらく最も大きな懸念は、科学者との接点がほとんどないという点だろう。これを補足する意味で、ScienceのMalakoff記者はトランプ政権再重要閣僚として取りざたされているギングリッチと科学について記事を寄せている。
     この記事によると、ギングリッチはこれまで科学と多くの接点を持っており、動物園好きで、さらに演説で例えばDeWahlの類人猿の研究についての本を引用し、アメリカ神経科学会で演説したこともあるようだ。
   まずトランプと同じで、温暖化問題については国際協調による温暖化ガス削減には反対しており、ヒト受精卵を研究に利用するには反対するだろう。ただブッシュと異なり、もともと稀代のプラグマティストで、これまでの主張はいくらでも翻る可能性がある。また、共和党が伝統的に掲げる小さな政府に基づく連邦予算削減の対象から、科学技術予算を削らないよう働きかけも行っている。
   このように先が読めないのがギングリッチだが、おそらく有人火星探索など大型予算をスケープゴート的にカットする一方で、脳科学など科学予算はできるだけ確保するという政策をとるのではと予想している。 このような記事から分かるのは、どんな政策が取られるにせよ、科学界にはこれまで以上に、一般人と科学界の溝を埋める新しいアイデアが必要とされていることが間違いないことだ。当然、我が国の科学者にも同じことが言える。Nowotonyの「Rethinking science」をもう一度読み直す時が来たようだ。
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11月12日:ネズミの縦縞形成メカニズム(11月2日号Nature掲載論文)

2016年11月12日
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  マウスc-Kitに対する抗体を作成してから、私たちは色素細胞の研究を始め、発生過程を抗体で操作する手法を用いて、色素細胞の初期発生の理解に貢献することができたと思っている。もちろん実験マウスはげっ歯目の仲間で、その中にリスもいることは知っていたが、この論文を読むまで頭から尻尾へ走る縦縞について考えたことは全くなかった。しかし言われてみれば、縦縞を持つげっ歯類は多く、私たちが明らかにしてきた色素細胞の発生シナリオの枠内で縦縞について説明することは難しい。
   今日紹介するハーバード大学からの論文はげっ歯類の縦縞の謎が残っていることを私に思い起こさせ、完全ではないが、納得のいく説明をしてくれた研究で11月2日のNatureに掲載された。タイトルは「Developmental mechanisms of stripe patterns in rodents(げっ歯類の縦縞の発生メカニズム)」だ。
   この研究では背中に4本の黒いストライプの走るアフリカ縞ネズミを材料に研究を行っている。それぞれの縞と周りの毛根の色素を調べると、当然のことながら縞上の毛ほど色素を多く含んでいる。また、色素細胞が毛根に取り込まれる胎児期にすでにこの縞をはっきりと見ることができる。
   この色素の欠損が、色素細胞の欠損によるのかc-Kitに対する抗体を用いて染めると、色素細胞自体は縞以外にある毛根にも同じ数だけ存在している。しかし、色素細胞分化のマスター遺伝子であるMITFの発現が、縞以外では低下していることがわかった。すなわち、縞の無い領域では、色素細胞幹細胞が毛根に存在しても、分化できないことがわかった。
   次に、黒い縞部分と、その周りの遺伝子発現を比べ、色の薄い場所で発現の高い遺伝子を探すと、AslpとAlx3の二種類が挙がってきた。Alx3は間質細胞に発現している転写因子であることから、以後この分子に注目して研究を進めている。
   期待通り、Alxは縞のできる発生時期に、縞のない皮膚のケラチノサイトとメラノサイトの両方に発現している。次に、マウス培養色素細胞、およびマウス胎児内にAlx3遺伝子を持つレンチウイルスを感染させ、Alx3の色素細胞への影響を調べると、MITFのプロモーターに結合することでその発現を直接抑制して、その結果色素の産生が低下することを明らかにしている。
   以上の実験から、色素細胞でのAlx3の発現は縞上の毛根で抑制されており、Mitfが正常に発現して色素細胞分化が進み色素ができるが、それ以外の場所ではAlx3が発現して、色素細胞の分化が抑制され、色の薄い毛ができるというシナリオだ。
   残念ながら、特定の場所(縞ができる場所)だけで、Alx3の発現が抑えられているメカニズムについては明らかにできていない。しかし、縦縞の場所が決まってからの分子過程については、私たちが考えたシナリオの枠内で理解ができたと思う。
   まががりなりにも色素細胞分化については専門家だと思っていたが、思いもかけないメカニズムでできる毛色のパターンがあることがわかり、動物の多様性にまた驚嘆した。
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11月11日:脊髄損傷による運動障害をエレクトロニクスで軽減する(Natureオンライン掲載論文)

2016年11月11日
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   最近手足の運動機能を、脳と運動をエレクトロニクス的に結合させるインターフェースを用いて回復させる研究が急速に発展している印象がある。その要因の一つは、脊髄神経一本一本を電気的に刺激しなくとも、硬膜外から運動時におこる興奮の総和に対応した電気刺激を与えることで、重要な筋肉の運動をかなり制御できることがわかってきたからだ。特に手で掴む機能を回復させたり、義肢の動きに転換する研究は著しく、今年4月、頚椎損傷で四肢麻痺に陥った脊損患者さんの腕と手の機能をかなり回復させるのに成功したという報告がオハイオ大学からNatureに報告された(Nature 533, 247, 2016)。
   今日紹介するスイス・ローザンヌ工科大学からの論文は、サルの脊髄損傷モデルを用いて、自分の体重を支えるための下肢の機能を同じ方法で回復させられる可能性を示した論文でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「A brain-spine interface alleviating gait deficits after spinal cord injury in primates (脳と脊髄のインターフェースにより猿の脊髄損傷後の歩行障害を軽減する)」だ。
   この研究では、足の筋肉を支配するほとんどの神経が通っている第5腰椎(L5)の硬膜外に平面的に刺激の強さを変化させられるパルサーを設置し、このパルサーを運動時の脳活動と同調させることで、下肢の運動を制御することを目指している。このため、下肢を制御する脳領域に96チャンネルの電極を設置、足の運動時の筋肉やL5の神経活動と同時に記録して、脳の活動と、脊髄での運動神経の活動、そして筋肉の運動がどう相関するかを計算し、脳活動記録を硬膜外刺激へと変換するインターフェースを作成している。すなわち、脳からのシグナルを無線でインターフェースへ送り、次にインターフェースで脳活動を解読し硬膜外からの平面的刺激に転換することで足の動き全体を回復できないか調べている。
   これまでラットを用いた実験ではうまくいっているが、今回はより人間に近いサルを用いてこの技術を検証している。サルを用いているため、全損傷実験などは倫理上許されないようで、片方だけ損傷して、インターフェースと硬膜外電極を損傷した側に設置し、電気的接続をオンにした時とオフにした時で比べる手法を取っている。
   結果だが、自然に再生が起こる前の、損傷後6日からこの方法でサルはトレーニングしなくとも自然に運動機能を回復し、この回復はインターフェースをオフにすると失われるので、脳・脊髄インターフェースのおかげで回復していることが確認でき、この方法の可能性を期待させる。
   もちろん、人に応用するためには、正常人での記録、正常人と麻痺患者さんの硬膜外刺激での筋肉運動の記録など、まだまだ乗り越える課題は多い。しかし、原理的にはこの方法で大きな運動の枠組みを保証できる可能性が生まれたと思う。例えばこれに細胞移植を組み合わせるなど、まだまだ発展できる余地があり、期待できる結果だと思った。
   今年の3月、講義のためにローザンヌ工科大学に行ったが、その時様々なエレクトロニクス機器を制作してくれる専門家のバックアップ体制に驚いた。このような体制があって初めて、生物や医学の研究者がアイデアを実現できる。一方、我が国ではまずパートナー探しから始めなければならず、この差は大きい。我が国の問題は、決して基礎研究軽視だけではない。トランスレーションですら、異分野連携の難しさなど、要するに体制疲労が目立ち始めている。根本的改革が必要だとおもう。
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11月10日:X染色体不活化のシナリオ(10月28日号Science掲載論文)

2016年11月10日
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  男女の性でX染色体の数は、男性1本に対し、女性2本と数が違う。一見何の問題もないように思うが、このまま何もしないで遺伝子が発現すると、X染色体上に存在する遺伝子の発現量が女性では常に男性の2倍になってしまう。これがいかに重大な問題かは、ダウン症で染色体が正常の1.5倍になるだけで様々な異常が起こることから理解できる。このため、X染色体上の遺伝子発現をそれぞれの性で別々に制御する仕組みが発達している。女性だけでX染色体の遺伝子発現を半分に低下させる種もあるし、逆に男性でX染色体の遺伝子を倍に強める転写制御を行う種もあり、その仕組みは多様だ。
  私たち哺乳動物では、女性のX染色体の一本だけでクロマチン構造を変化させ、遺伝子の発現を抑えてしまう方法が取られている。この過程では、まずXistと呼ばれる長いRNAの転写が始まったX染色体だけが、このXistに覆われ、そこにoff型の染色体構造を形成する様々なタンパク質がリクルートされることで、X染色体全体が不活化される。
   このメカニズムの理解は急速に進んでいるが、今日紹介するカリフォルニア工科大学からの論文は、X染色体全体にXistが広がる過程にX染色体が核膜にアンカーされることが重要であることを示した研究で10月28日号Scienceに掲載された。タイトルはXist recruits the X chromosome to the nuclear lamina to enable chromosome-wide silencing (XistはX染色体を核膜近くの核ラミナにリクルートすることで染色体全体の遺伝子発現の不活化を可能にしている)」だ。
   核ラミナとは核膜直下に形成されたラミンというタンパク質が濃縮された構造で、この近くに存在する染色体では遺伝子の転写が不活化されることが知られている(JT生命誌研究館に連載中の「進化研究を覗く」参照http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000014.html)。
   この研究ではXist結合タンパクの中に核ラミナ構造分子ラミンBが結合しているという発見から、X染色体が核ラミナ構造に取り込まれることが一本だけのX染色体が不活化できる鍵になるのではと考え、XistとラミンBの結合と、X染色体上のクロマチン変化の過程を詳しく比べている。
   実験の詳細を省いて、この研究から明らかになったシナリオをまとめると次のようになる。
1) Xistは転写されると、近くにある転写の低い場所をカバーし始める。
2) こうしてXistと結合したX染色体部分は、XistのラミンB結合により、核ラミナにアンカーされる。
3) これにより、X染色体を核内の転写の高い場所から隔離し、またその動きを制限する。
4) こうしてアンカーされた部位を中心に徐々に転写活性の高いX染色体部分も核ラミナに取り込まれ、Xistが転写されている部位の近くに引きずりこまれることで、Xistにより覆われる。
5) Xistに覆われた染色体では、クロマチンをoff型に変える分子と結合し、遺伝子転写を抑える。
   要するに、XistがラミンBに結合することで、核ラミナという場所を利用してX染色体を徐々にXistが作られている場所に寄せて、最終的に全体をXistで覆い、クロマチンをoff型にかえることでX染色体全体の遺伝子発現を抑えるというシナリオだ。
   これまでXistがX染色体全体に広がると言われても、実際どのように片方のX染色体だけに広がるのか疑問だったが、この点についてはよく理解できた。
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11月9日:ゼブラフィッシュの視覚運動反応の全体像を見る(11月3日号Cell掲載論文)

2016年11月9日
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   見たものに反応しておこる運動では、視覚入力が複雑な神経ネットワークで統合された後、出力刺激へと転換されるが、この視覚入力から運動出力までの神経活動の全体像を見ることは簡単でない。技術の進歩で脳の活動を発光に変えてモニターすることは可能になっているが、脳全体について発光を調べるためには、生きて運動している脳が透き通って見えることが必須になる。すべての脊髄動物では脳は頭蓋骨に囲まれており、外から蛍光を観察することはほぼ不可能に近い。唯一の例外が、孵化したばかりのゼブラフィッシュの幼生で、この系を用いた研究が始まっている。
   今日紹介するハーバード大学からの論文は、このゼブラフィッシュ要請を用いて、左右の目からの別々の刺激が一定の運動出力として現れるまでの、感覚、統合、運動の過程に関わる脳活動の全てを記録して、視覚から運動が誘導される過程の回路モデルを明らかにした研究で11月3日号のCellに掲載された。タイトルは「From whole-brain data to functional circuit models: The zebrafish optomotor response (脳全体のデータから機能的回路モデルまで:ゼブラフィッシュの視覚運動反応)」だ。
   研究ではまずゼブラフィッシュ幼生をペトリ皿の中で自由に泳がしながら、左右の目に別々のパターンを提示し、それにより誘導される運動のパターンのリストを作っている。この最初の図だけでも、こんなことが可能なのかと、技術の進歩に驚く。
   刺激により誘導される出力パターンは前向きの動きの速さと、左右への動きの組み合わせになるが、例えば両方の目に左へ向くよう指令する刺激を入れることができる。両方の目に入る刺激が矛盾しないと判断すると、そちらを向くと同時に、泳ぐ速度が高まる。一方、それぞれの目に入るパターンの方向性が一致しない場合、向きは変わらず泳ぐ速度が落ちる。また、片方の目だけに刺激が入る場合は、矛盾は起こらないので、やはり刺激の支持する方向へ向きを変えるがスピードは遅い。
    行動実験だけでも詳細は説明しきれないが、こうして明らかになった、刺激と運動パターンの相関を明確にした上で、次にそれぞれのパターンを誘導する視刺激を入れた時の脳の全活動を記録している。この場合は流石に自由に泳がせてというわけにはいかず、アガロースの中に閉じ込めて脳活動を記録するとともに、それが運動につながっているかどうか筋電図をとることで確認している。
   結果だが、これも膨大で説明しきれない。各方向を向かせる刺激に特異的な脳全体の反応が見事に捉えられていると伝えるしかないだろう。
   一部を抜き書きすると、
1)網膜から直接神経が投射しているAF6、AF10の活動が最初に起こり、なかでもAF6は対側の目からの刺激だけに興奮する。
2)こうして誘導された両側AF6の興奮は次に視蓋前域で統合され、運動刺激へと変換される。
3)この統合と運動への転換を行う視蓋前域の個別ニューロンの興奮を拾うと、各刺激に対応するニューロンの存在が明らかになる。
4)刺激に合わせた方向を向く運動は、後脳との回路によりより正確になるよう調節されるが、早く興奮する後脳前部の興奮と、視蓋前域からの興奮が、後脳後部で統合され、運動刺激に転換される。
5)記録された活動から、視覚運動反応に至る回路図を作成することが可能になる。
   要するに、刺激と運動をつなぐかなり詳しい回路図が書けたとざっくり理解すればいいと思う。実際、今回の実験データだけでも、個々のニューロンの興奮の評価を行えば、さらに膨大なものになるだろう。当然、今後まだまだ話は続くと思う。
   興奮が見えるということは、神経の光刺激が可能であることを意味する。今後回路図に基づき、行動を光刺激で支配するところまで研究は進展するだろう。
ゼブラフィッシュが神経回路研究の重要なモデルになることを確信させる優れた研究だと思う。
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11月8日:喫煙と様々なガンに見られる突然変異との関係(11月4日号Science掲載論文)

2016年11月8日
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   大学に入った頃から50歳になる直前で止めるまで、私はタバコを欠かしたことがなかった。驚くことに、胸部疾患の医師として肺がんの患者さんもたくさん診たが、バイト先の病院の外来では患者さんを診察しながらタバコが吸えた。手術場の医師控え室にも灰皿があって、肺がんの手術の後一服するというのは当たり前の風景だった。今恩師の80歳の誕生祝いのためドイツに来ているが、恩師を始めほとんどの研究者がタバコを実験室の中で吸っていたのを思い出す。
   まあ、そんな悪癖の思い出はどうでもいいが、実際タバコが私たちのゲノムにどのような影響を及ぼすかを調べた論文が米国ロスアラモス国立研究所と英国のサンガー研究所から発表された。我が国のがんセンター、理研、京大も共同著者として参加している。タイトルは「ガンに見られる突然変異の内、喫煙による変異の特徴について」」だ。
  喫煙者のガンでは、非喫煙者のガンに比べ突然変異の数がダントツに多いことはすでに報告がある。ただ、タバコは、決してニコチンとタールの害と簡単に片付けられないほど複雑な化学物質を含んでおり、発がん性が認められるとされている化学物質が六十種類は下らないとされている。この研究の目的は、喫煙者に発生したガン2490、及び喫煙歴の全くない人に発生したガン1063を集め、全エクソーム解析(一部は全ゲノム解析)を行い、突然変異の起こり方の特徴から、タバコが私たちのゲノムにどのように働くのか調べることだ。
   さて、これまでの研究と同じでガンのゲノムに起こった突然変異は喫煙者で圧倒的に多い。例えば小細胞性肺がんでは非喫煙者で3個しかないのに、喫煙者のガンでは145個と跳ね上がる。肺だけではなく、ほとんどのガンで喫煙者の方が突然変異の数が多い。
   次に、それぞれのガンで多く見られる突然変異のタイプを詳しく分類して、4型と呼ばれる特徴が喫煙と強く相関していることを明らかにしている。
   4型はタバコに含まれる物質で言えばベンズピレンにより誘導される塩基置換に対応している。このタイプは、煙に直接晒される細胞のガン(肺がん、こう頭ガン、口腔ガン、食道ガンには見られるが、他のガンではほとんど見られない。したがって、タバコにより多くのガンで突然変異が増える場合も、全てが直接DNAに働いて変異を起こしているわけでない。
   では直接作用が認められない他のガンで喫煙はどのように作用しているのか?例えばどのガンでも普通に見られる5型の特徴を考えると、喫煙により全身の細胞の老化が進み、その結果としてこのタイプの突然変異が増えていると説明できる。
   また、APOBECと呼ばれるデアミネーゼが関わる2型、13型では、タバコの粒子により誘発される炎症が背景にある可能性を示唆している。
   タバコによって上昇する他の型についても議論しているが、これ以上紹介は必要ないだろう。
   要するに、タバコの害は含まれる突然変異誘発物質によるだけでなく、老化や炎症を介して全く異なるタイプの突然変異も上昇する。例えば、胃がんや膀胱癌もタバコにより突然変異が増えるのは後者によると考えて良さそうだ。
   肺ガンでいうと1日20本を一年吸い続けると150個の新たな突然変異が生まれるようだ。この計算でいけばタバコをやめたとはいえ、私の場合突然変異の数は5000個に近いことになる。
   ただ、一つだけ喫煙者を絶望させない話もしておこう。ここで数えられている突然変異はガンで見られる突然変異で、ガンになる前の細胞でも同じことが言えるかどうかはわからない。もちろんガンになる変異にも影響があることは間違いないが、あとは癌細胞が増殖しながら進化する中で急速に変異が蓄積されたと考えていい。実際、ガンになる前の細胞ではこれほど多くの変異はないという研究もある。
   いずれにせよ、私の場合もう手遅れだ。
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11月7日:冠状動脈閉塞には手術かステントか?(10月31日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2016年11月7日
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   ガンの治療でもそうだが、最初は治療のため手術しかなかった病気に、様々な新しい治療法が開発され、手術をするのか、他の治療を行うのかの判断が難しい局面が様々な疾患で増えてきている。中でも心疾患分野でのカテーテル治療はその典型だろう。動脈硬化で冠状動脈が細くなる冠状動脈疾患に対して、閉塞部位を広げるステント治療を皮切りに、弁の置換手術まで、カテーテルを用いた治療が開発され、また初期の方法の問題を解決した様々な改良が加えられてきた。こうなってくると、最初は手術が難しい場合に行っていたカテーテルによる治療も、一般的治療の選択肢として認められるようになる。一見この状況は患者さんにとっていいように思えるのだが、手術にするかカテーテル治療にするか、ますます判断が難しくなる。
   今日紹介する米国・コロンビア大学を中心とする他施設が参加した共同論文はまさに手術か、カテーテルかの問題を調べるために行われた研究で10月31日号のThe New England Journal of Medicineに掲載されている。タイトルは、「Everolimus-eluting stents or bypass surgery for left main coronary artery disease(左心主冠動脈疾患に対するエベロリムス溶出ステントとバイパス手術の比較)」だ。
   初期のステント治療の問題は、ステントの血管拡張能力が長続きせず、拡張局所に再狭窄が起こることだった。この問題を解決するためステントに塗り込んだ薬剤が溶け出すことで血管反応を抑えるステントが開発された。この結果、左心冠状動脈主枝の狭窄でもステント治療を安全に治療できるとする治験が相次いで報告されている。この研究では抗がん剤として使われるmTOR阻害剤エベロリムスで再狭窄を防ぐステントが用いられた。
  研究ではなんと1905人の患者さんを無作為にバイパス手術、ステント治療に割り振って、治療後三年間経過を観察、その間のあらゆる死因による死亡に加えて、新たな心筋梗塞や脳卒中の発症を合わせた問題の発生率で評価している。通常治験は治療に特異的な効果判定基準を決めるが、今回の場合は原因を問わず様々な問題を合わせて効果判断に用いることで、多くの施設からの結果を評価できるように計らっている。
   結果だが、三年間の死亡を含む複合的問題の発生を調べると、バイパス手術で15.4%、ステントで14.7%と両者ほぼ互角という結論だ。一方、術後30日以内での死亡は手術で4.9%、ステントで7.9%と、以外にもステントの方が最初の負担が大きい。事実治療すぐにおこる副作用は、手術で8.1%なのに対し、ステントで23.8%と高く、治療の完成度で言えば手術に軍配があがると言える。
   結局実際の判断になると、その病院で経験が豊富な方法を選ぶのがいいという結論になる。それぞれの治療のコストも今後の問題になるだろう。熟練した医師をどう育てるかも重要だ。
   ただ、素人の私から見ると、今回の結果は両方の治療もまだ改善の余地があることを示している。その意味で、さらに切磋琢磨してより安全な治療を達成した方に軍配をあげたい。
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