10月15日:膵臓癌の見方を変える発見(Natureオンライン版掲載論文)
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10月15日:膵臓癌の見方を変える発見(Natureオンライン版掲載論文)

2016年10月15日
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   このホームページではなんども膵臓癌のことを扱ってきた。これは、膵臓癌治療成績が、がん研究の進歩をあざ笑うかのように、半世紀以上も変化していないからだ。
   ゲノムから見ると、膵臓癌のほとんどがRAS, p53, SMAD4, CDKN2Aと典型的なガン遺伝子、ガン抑制遺伝子が積み重なった、ガン多段階説の手本のような存在で、同じような組み合わせは他のガンにも見られることから、膵臓癌の群を抜く悪性度を理解することはできていなかった。
   しかし、今日紹介するカナダ・オンタリオガン研究所からの論文は、膵臓癌が、他段階的に変異を積み重ねて進化するのではなく、或る日突然カンブリアの大爆発のように大変革を起こして悪性化していることを示し、私の膵臓癌についての見方を完全に変えた。タイトルは「A renewed model of pancreatic cancer evolution based on genomic rearrangement patterns (ゲノムの再構成パターンに基づく膵臓癌進化の新しいモデル)」で、Natureにオンライン掲載された。
   確かに膵臓癌では遺伝子のコピー数が変化することがわかっており、大きなゲノム変化が起こりやすいことはわかっていた。しかし、ゲノム研究が遺伝子配列の比較に偏り、例えば染色体の数が変化するような大きな変化について詳しく調べた研究は、あまり目にしたことがなかった。
   この研究では、まず100に及ぶ膵臓癌の全ゲノム配列を解読している。ただ、これまでの研究と異なり、膵臓癌細胞だけをセルソーターで集め、ゲノム解析を行っている。膵臓癌では線維芽細胞の増殖が強く、がん細胞の割合が少ない。それでもインフォーマティックスでガンゲノム配列を解読することは可能だが、ガン以外の細胞が多いと、染色体全体の数が増えるような大きな変異を見落としてしまう。
   次に、シークエンサーのリード回数からゲノム各部のコピー数の変化を正確に推定できるソフトを開発して染色体レベルの変化を調べることができるようになった。
   これに加えて、細胞レベルで特定の遺伝子数をカウントするFISH法を用いてゲノム解析の結果を確認するともに、異なる時期に採取したガン細胞を比較し、ガンの進展過程を追求している。
   この改良により、なんと膵臓癌の半分で全染色体の数が倍化、あるいは3倍化する場合もあること、またこれに伴い、クロモスプリシスと呼ばれる一部の染色体の断片化と再構成が起こり、遺伝子変異が急速に積み重なることを発見している。
   この100例のゲノム解析に加え、個々の患者さんのガンの進化過程のゲノム解析を加えて、次のような結論に至っている。
1) 膵臓癌でも、最初はRASガン遺伝子とともに、p53、CDKN2Aのようなガン抑制遺伝子が変化する通常の発がん過程から始まる。
2) しかし、染色体の不安定性を誘導する変異が入ると、まず染色体が倍化が起こる。これにより、発ガン遺伝子のコピー数は増大し、染色体もより不安定になる。
3) ここに、クロモスプリシスが起こることで、一挙にガン遺伝子やガン抑制遺伝子の大きな再構成が起こり、ガン抑制遺伝子がさらに失われ、ガン遺伝子はコピー数が増える。
4) この大きな変化に呼応して、悪性度が進み、転移が広がる。
以上の結果は、膵臓癌の予後診断にとって、遺伝子変異だけでなく、染色体検査が極めて重要であることを意味する。すなわち、染色体の大きな変化が起こる前と後でガンを分類し、それぞれに特異的な治療を考える必要がある。また、化学療法に関しても、染色体が極めて不安定になっている点を突いた治療が重要であることも示唆している。
   一見救いのない論文に見えるが、ガンをよく知ることが制圧のための第一歩だ。その意味で、優れた研究に出会ったと喜んでいる。
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ボランティア精神はボケを防ぐ(10月3日号Journal of American Geriatrics Society掲載論文)

2016年10月14日
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  我が国を含む長寿国の高齢者にとって一番気になるのは、このままボケずに暮らせるかだ。実際、書店に行くとボケを防ぐと称する本が平積みになっている。目を通したわけでないので論評を控えるが、ボケ防止と推奨されている方法のうち、どの程度が科学的に確かめられた方法か気になるところだ。元気なお年寄りの個人的経験をそのまま集めた本も多いのではないだろうか。
   若い時の教育や、経験が本当にボケを防止するか調べるためには、長期の追跡が必要だ。例えば2014年6月に紹介した外国語学習がボケを防止するという研究は1936年から追跡されているスコットランド人の集団が高齢になるのを待って集計され、2014年に論文にまとめられたものだ(http://aasj.jp/news/watch/1660)。なんと足掛け70年にわたる研究と言っていい。このように積み重ねられた研究結果をもとに、ぜひ一般向けの本を書いていただきたいと思う。
   今日紹介するアリゾナ州立大学からの論文は、70年とはいかないものの、1998年から2012年までほぼ15年にわたって高齢者を追跡した研究で、ボランティア精神があると認知症になりにくいことを示唆する論文だ。タイトルは「Volunteering is associated with lower risk of cognitive impairment (ボランティア精神があると認知症リスクが低い)」だ。
   研究では1998年時点で60歳以上(平均71歳)の13262人をリクルートし、インタビューにより様々な質問に答えてもらい、14年にわたって記憶力テストにより確認できる認知症の発症を追跡している。    この研究で調べたのは、ボランティア精神があるかどうかで、最初にこれまでボランティア活動に参加したことがあるかどうかを聞き取り調査し、その後もボランティア活動に参加したかどうか調べ、認知症の発症率と相関させている。
   驚くべき結果だ、まず認知症を発症した群と、発症しなかった群でボランティア経験を調べると、発症した群でのボランティア経験率は約50%、発症しなかった人のそれより低い(0,23vs0.33)。 
  今度は逆に調査開始後ボランティアに行ったことのある回数と認知障害の発症率を調べると、全くボランティア経験がない人の認知症率が17.3%に対し、1回経験で14.3,2回経験で14.9%、そして3回以上でなんと7.6%に低下している。すなわちボランティアに行く人ほどボケないことがわかる。
  これはボランティアで汗を流すからという話ではなく、おそらくそれまでの生涯でボランティア精神をつちかったことがボケを防止していると解釈すべきだろう。ボランティアの盛んなアメリカならではの話だが、優しい心はボケを防ぐなら、優しい人間をどれだけ増やすか、教育を考えることが重要なようだ。
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10月13日:卵巣癌に対するPARP阻害剤の効果(10月8日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2016年10月13日
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   現在のところ卵巣癌を根治するためには早期に発見して手術を受けるほかなく、ステージが進んだ症例に使われる化学療法では、多くの場合ガンを叩き切ることが難しい。その意味で、ガンのチェックポイント治療への期待が高まっており、またこれまでの治験で効果が示されている。一方、これまでの抗がん剤による治療をさらに高めることができないか模索も続いている。    今日紹介するコペンハーゲン大学を中心とするヨーロッパ、アメリカ、カナダ107施設が参加する第3相国際治験に関する論文は、従来のプラチナ製剤を中心とする治療にDNA修復に関わるPARP阻害剤を組み合わせることで高い再発予防効果が見られることを示した論文で10月8日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。
   PARPはDNA2本鎖にできたブレークを検出して塩基除去修復機構システムをリクルートする重要な酵素で、抗がん剤などによってできたDNA損傷の修復を妨げる効果があり、抗がん剤の効果を高める新しい治療法として治験が始まっていた。この治験では、すべてのステージの卵巣癌(1or2期を10%前後含むが、ほとんどは3期以上)で、プラチナ製剤による化学療法で反応が見られた患者さんを選び、8週以内にPARP阻害剤ニラパリブ300mg、1日2回投与を続け経過を観察、ガンの進行が抑えられるかを評価している。また、治験途中で亡くなった場合、その原因を問わず再発例として扱っている。治験は偽薬を用いた無作為化二重盲検法で、再発の判断も主治医以外が行うという完全なものだ。
   さらに患者さんを、遺伝的なBRCA遺伝子の変異を持つかどうかで分けて効果を評価している。BRCAが欠損すると相同組み換えがうまくいかないため、この薬剤の効果がより高くなると想定されるためだ。さらに、遺伝的BRCA変異がないケースも、がん細胞の相同組み換え機能を確かめる検査を行い、この機能の有無で薬剤の効果に違いがあるか調べている。すなわち、将来ニラパリブの効果を前もって予測できるかについても検討している。
   結果はめざましいもので、最初からBRCA遺伝子に変異を持つ群でみると、偽薬群では5.5ヶ月で再発したのに対し、21ヶ月再発が起こらない。また、遺伝的BRCA変異がなくとも、相同組み換え機能が欠損しているガンでみると、再発までの期間が偽薬群の3.8ヶ月に対し、12.9ヶ月だ。もちろん、相同組み換え欠損がない場合でも一定の効果があり、偽薬群の3.9ヶ月に対し9.3ヶ月に伸びている。
   一方、 PARP阻害剤はガン特異的ではないため、一般抗がん剤と同じように吐き気、血小板減少症、貧血などは半分以上の患者さんに見られる。また、14%の患者さんが副作用のため服用を中止している。ただ著者らは患者さんの生活の質に関しては、自覚的にも我慢できる範囲だったと結論している。
   ガン特異的ではない薬剤としてはかなり期待できる結果だと思う。特に、プラチナ製剤でDNAに傷をつけ、その修復を止めるという作戦は、論理にかなっている。また、完全とは言えないものの、効果を前もって予測できる検査があることも重要だ。今後、再発ではなく、生存率などさらに詳しいデータを待つ必要があると思うが、難治の卵巣癌にも光が差してきた印象を持つ。期待したい。
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10月12日:なぜ指は5本になったのか(Natureオンライン版掲載論文)

2016年10月12日
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   稲盛財団研究助成の審査委員を務めていた頃、生物系だけでなく、様々な分野の先生とご一緒したが、数学者の広中先生と交わした会話は今でも覚えているものが多い。その中の一つを紹介すると、審査委員会前に急に寄ってこられて、今も新しい問題にチャレンジしていること、そして今取り組んでいる問題が解ければ、指がなぜ5本かわかる、と言われた時、数学と聞くと怖気付く私は、合いの手も入れられず話を聞くだけだった。
   今から考えてみると、生物学者としてはっきり言うべきことはたくさんあったはずだ。まず、指が5本というのは、すべて必然(物理的)で決まるわけではなく、基本的に無作為な進化過程を経て生まれた結果であること。それでも、フィボナッチの級数に従う葉の並びのように、必然的過程の関与はあるはずで、数学から習うことは多い、などだ。まあ今からではもう遅い。
   今日紹介するモントリオール大学からの論文は、哺乳類の指が5本になった理由を考える論文でNatureオンライン版に掲載されたが、読んで広中先生のことを思い出した。タイトルは「Evolution of Hoxa11 regulation in vertebrates is linked to the pentadactyl state (脊椎動物でHoxa11遺伝子調節領域の進化が指が5本あることに関わっている)」。
   おそらく一般の人には馴染みがないと思うが、Hox遺伝子は1番から13番まで、ゲノム内でクラスターを作って存在し、ゲノム上でのHox1-13の並びの順序が、体の前後軸に沿って発現する順序と相関している。これにより、体の前から後ろまで、各体節で異なるHoxセットを使うことで、適切な場所で、例えば肋骨と腰骨をプログラムすることができる。
   またHoxのうち後方の遺伝子は、四足類ができる時に四肢のプログラムに使われ、その後手のひらができる時にも形を決めるのに使われる。
   この研究では、Hox11とHox13のクラスターが、魚のヒレでは同じところに発現しているのに、哺乳動物になると手のひら全体に発現するHox13に対して、Hox11が手のひらの根元だけで(すなわち指になる領域以外)発現するのが、哺乳類特有の5本の指に関係しているのではと考え、この発現パターンのメカニズムを探っている。
   結果をまとめると、
1) Hox11,Hox13遺伝子自体は同じ調節を受けており、Hox11遺伝子全体を標識分子に置き換えると、Hox13と同じ発現パターンを示す。
2) 1)の結果は、Hox11遺伝子から転写されるRNAがHox11遺伝子自体の指での発現を抑制していることを示唆する。
3) 実際、Hox11遺伝子の最初のエクソンから逆さまに転写されるRNAは、指の領域で発現し、Hox11の発現を抑える。
4) このノンコーディングRNAの転写を調節するエンハンサーをノックアウトすると、Hox11が指領域でも発現する。
5) このノンコーディングRNA転写に関わるエンハンサー領域は、なんとHox13の支配を受けており、Hoxa13,Hoxd13両方の遺伝子をノックアウトすると、Hox11の発現は手のひら全体に広がる。ただ、Hox13のみのノンコーディングRNAの転写は説明できない。
6) Hox11を指の領域で発現させると、指の本数が上昇する。
7) ノンコーディングRNAの調節領域は哺乳動物になるとよく保存されている。
すなわち、進化の偶然で、Hox11のノンコーディングRNAがHox13の支配を受けるようになり、この作用でHox11の発現が指の領域から排除されることが、5本の指の形態と関わるという結論だ。
   とはいえ、なぜ5本かについては、この研究では答えられない。もう一度広中先生の説を拝聴してみたいと思う。
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10月11日:円形脱毛症治療薬治験(10月5日Journal of Clinical Investigation/Insight 掲載論文)

2016年10月11日
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    覚えておられる方もおられるかもしれないが2014年8月20日「円形脱毛症が本当に治る」というタイトルで、円形脱毛症の患者さん3例にJAK阻害剤を服用してもらうと、全員完全に治ったことを示したコロンビア大学からのNature論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/2050)。完全な脱毛状態が正常化した写真を見て大変感激したのを覚えている。
   今日紹介するスタンフォード大学からの論文は同じ治療をもう少し大規模に行った治験で10月5日号のJournal of Clinical Investigation/Insightに発表された。タイトルは「Safety and efficacy of the JAK inhibitor tofacitinib citrate in patients with alopecia areata (円形脱毛症の患者さんに対するJAK阻害剤トファシチニブの安全性と効果)」だ。
   この論文を読むと、JAK阻害剤を使って円形脱毛症が治療できることについては紹介したコロンビア大学だけでなく、このグループを含め全部で3編の論文が発表されていたようだ。いずれにせよ実験的治療から2年で治験がここまで進んだのは驚きだ。
   この治験では、少なくとも6ヶ月脱毛が改善しない被験者を70人募って、トファシチニブを1日2回服用させ、3ヶ月後の回復状態を調べている。病気の性格上か、対照は2人だけと医療統計学的には問題があるが、毛が生えてくればよしとする治験だ。
  円形脱毛症は一種の自己免疫疾患で、毛根の活動期への誘導が抑制されており、トファシチニブは免疫系への抑制効果を期待する治療だ。
  さて結果だが、頭髪だけが脱毛する円形脱毛症では70%の人で症状の改善が見られるが、全身の脱毛がある場合は10%程度の人しか改善が見られていない。したがって、この治療はまず頭髪のみの脱毛患者さんだけに適応がある。
   次に、すぐ治療に反応したグループと、反応が遅い、あるいは全く反応しなかったグループの、治療前の皮膚で差が見られる遺伝子をリストし、それを元に予後が予測できるかを調べ、一つのマーカーではなく、多くのマーカーを組み合わせて皮膚を調べることで、治療に反応できるかどうか予測できることを確かめている。
   他にも、治療開始までの時間が長いほど反応が遅いことも明らかになった。
  以上の結果をまとめると、円形脱毛症で、他の部分の体毛に影響がないばあい、できるだけ早く皮膚バイオプシーによる遺伝子発現検査で予後を予測し、トファシチニブ治療を始めることで、かなりの効果が期待できると結論できる。
   ただ、一つ大きな問題が残っている。すなわち、薬をやめると2ヶ月ほどでまた脱毛が始まることだ。すなわち薬剤の服用を続ける必要がある。
   今回の治験では安全性が確かめられているが、3ヶ月の服用の話で、もっと長期については心配だ。    完全な治療法確率までは、まだ時間がかかりそうだ。
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10月10日 Theory of Mind (10月7日号Science掲載論文)

2016年10月10日
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    現役時代には個人的興味として読んでいた様々な本も、現役をやめてから本や講義の下調べとして読み直す必要が出てくる。ダーウィンの残した課題、すなわち無生物から生物への過程についてはだいたい調べは終わり、自分でも納得できるシナリオができたが、デカルトの残した課題、すなわち二元論の克服になると先が思いやられる。
   ともかく本を読むことからしか考えはまとまらないので、イメージが湧いてくるまでいろんな本を読むしかない。今はジョン・サールのDiscover Mindを読んでいるが、クワイン以来のアメリカの現代の哲学者の多くは二元論の克服を模索している点、そして脳科学や心理学研究についての科学的研究を積極的に取り込んでいる点で群を抜いている。
    私自身、脳科学の多くの問題を彼らの著作から知ることが多かった。今日の話題「Theory of Mind」について初めて知ったのは、デネットの「Consciousness explained」だった。しかしデネットに限らず、サールも、ネーゲルもアメリカの哲学者たちは、Theory of Mindを哲学と科学をつなぐパイプとして考えてきたことは間違いない。
   Theory of Mindとは、「他人の心を知ることはできないが、他人は決して心のないゾンビではなく、自分と同じ心を持っている」と私たちが信じていることを指している。
   Theory of Mindを私たちが確かに持っていることを実験的に確かめるためには、間違った思い込みを持つ他人の行動を予測できるか調べる実験が行われる。実験では、ある人間が間違った思い込みを得るまでのすべての過程を見せたあと、実際にその思い込みに従って行動するとき、その行動を予測できるかどうかを調べる。要するに、経過を見た後、自分だったらこう間違うだろうなと思うのと同じ行動を他人もとると予測できるかどうかを調べるテストだ。ただ、「あのおじさんどちらを選ぶ?」と聞く必要があり、質問を理解するための被験者の能力が必要なため、Theory of Mindは4歳児以降の人間にしか認められなかった。
   ところが、視線を追跡する方法が開発され、研究は新たな進展を見せる。すなわち、質問を理解する能力の縛りがなくなり、どこを被験者が見ているかで被験者が考えていることを判断できるようになった。この結果、Theory of Mindは2歳児にも認められることが明らかにされた。
   この進展を受けて、人間特有とされていたTheory of Mindがチンパンジー、ボノボ、オランウータンにも存在することを示した画期的な研究が今日紹介するデューク大学と京都大学からの論文で10月7日号のScienceに掲載された。タイトルは「Great apes anticipate that other individuals will act according to false beliefs(類人猿は他の個体が間違った思い込みに従って行動することを予測できる)」だ。
   実験は熊本にある京大のチンパンジー施設と、ドイツ・ライプチヒにある類人猿施設でそれぞれ独自にデザインされた課題で行われている。要するに、一人の人間が、キングコングの縫いぐるみを着た人間に騙される過程をビデオで見た類人猿が、最後に騙された人間がとる行動を予測しているかどうか、視線の方向を記録して測定して判断する実験だ。実験の様子は百聞は一見に如かずで、論文の動画が朝日新聞に転載されているのでそれを参考にして貰えばいい(http://www.asahi.com/articles/ASJB64STSJB6PLBJ002.html)。
   先にも述べたが、同じ課題を全く異なる状況を設定して行い、騙された人間が行う選択を類人猿は前もって予測し、先に選択するアイテムに視線を集中させることを明らかにしている。すなわち、自分の心に浮かんだストーリーを、他人も持っていることを類人猿も想定できているという結論だ。
   私自身はこの実験だけで最終結論とするのはまだ早いと思うが、しかし同じシステムで、様々な課題を工夫することでTheory of Mindの科学は進むと思う。
   アメリカの哲学者も即刻この結果に反応するだろう。この論文のラストオーサーは言語の起源について優れた著書を書いているマイケル・トマセロだが、このような研究者が人文科学とのパイプとして大きな役割を演じ、アメリカ特有の哲学の発展に寄与しているのだと思う。しかし、この論文を読んで、熊本のチンパンジー施設が京都大学に移管されたことを初めて知ったし、トマセロがライプチヒからデューク大学に移りつつあることもわかった。両施設から今後も面白い研究が生まれることが期待している。
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10月9日:寝る前に水を飲む習性(9月29日号Nature掲載論文)

2016年10月9日
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     脳梗塞は早朝から朝にかけて起こりやすいことが知られているが、この理由の一つが、睡眠中に脱水が進み血液成分濃度が高まるためだ。従って、大量の汗をかく夏は寝る前の水分摂取が大事になる。しかしこのことを知って就寝前に水を摂取することはあっても、寝る前に水が飲みたくなることは普通はないように思う。
   これに対し今日紹介するカナダ・マクギル大学からの論文は、ネズミは就寝中の脱水を予想して、就寝前に盛んに水を飲む習性を持っていること、そしてそれが概日周期にリンクしていることを示した研究で9月29日号のNatureに掲載された。タイトルは「Clock-driven vasopressin neurotransmission mediates anticipatory thirst prior to sleep (概日周期によって誘導されるバソプレシンが寝る前の予見的渇きを誘導する)」だ。
   この研究のハイライトは、実験室で飼われているマウスが、寝る前の準備として水を飲む習性を持つという発見だろう。これがわかってしまえば、現在の脳科学でこの習性の背景にあるメカニズムを解明することは簡単だ。
   もともと渇きはOVLT(終板脈管器官)と呼ばれる、脳弓の下部にあって血液のイオン濃度を感知して体液バランスを調整している部位により調節されていることがわかっているので、この部位の興奮を記録すると、期待どおり寝る前に活動が高まる。すなわち、通常はイオンやホルモン濃度で興奮するOVLTが概日周期とリンクしていることになる。
   実際、概日周期に関わる視神経が交差する視交叉上部のSCNとOVLTの結合をトレーサーで調べるとSCNからOVLTに神経が投射している。また、就寝前の最初のシグナルはSCNが興奮することで発生し、このシグナルが体液バランスを調節するバソプレシンを分泌する神経投射を介してOVLTを刺激、これにより水を飲む行動が誘導されることを明らかにしている。最後は、光遺伝学でOVLTの興奮を操作し、この行動を思うように亢進させたり、低下させたりすることができることを示している。また、バソプレシン受容体遺伝子を欠損させたマウスでは、寝る前に水を飲まなくなることも示している。
   一つの行動が明らかになると、解剖学、生理学、行動学をつないでシナリオを仕上げる現代脳科学の到達点を示してくれるいい例だ。いずれにせよ、マウスでは本能的に寝る前に渇きを覚える回路があるようだ。しかし、自分自身の経験では、特に寝る前に渇きを感じて水を飲みたくなるわけではない。だとすると、私たちの渇きは概日周期から解放されたのだろうか?もしこの本能がそのまま残っていたら、脳梗塞はもっと防げるのかもしれない。
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10月8日:着実に進む核酸薬治療(The Lancetオンライン版掲載論文)

2016年10月8日
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    実験室ではアンチセンスRNAやRNA干渉を当たり前のように使っているのだが、個人的にはRNAを用いる核酸薬開発は、分子の安定性と細胞内へのデリバリーの面から難しいのではと思っていた。たしかに、肝臓ではこのような核酸薬の取り込みがよく有望な分野だと聞き知ってはいても、それほど大きな期待を持ってはいなかった。
   しかし今日紹介するイオニス・ファーマとワシントン大学からの論文を読んで、RNA薬は難しいという私の考えが間違っていることを思い知った。タイトルは「Antisense oligonucleotides targeting apolipoprotein(a) in people with raised lipoprotein(a): two randomized double-blind, placebo-controlled, dose-ranging trials (アポリポ蛋白質(a)が高い人に対するアンチセンス核酸薬の効果:偽薬を対照とした二重盲検無作為化治験)」だ。
   この研究が標的にしたのはリポプロテイン(a)で、肝臓の膜上でLDLを構成するアポプロテインBと共有結合し、アポリポプロテインへ転換される。なぜこのような分子が必要なのか完全にわかっているわけではないが、動脈硬化を促進する独立の因子として現在注目されている。問題は、リポプロテイン(a)の血中濃度と、虚血性心疾患との関連が明確に示されているにもかかわらず、現在開発されている高脂血症治療薬には全く反応しない。そこで、アンチセンスRNAを用いて肝臓内でのリポプロテイン(a)の生産を止めてしまおうというのがこの治療のアイデアだ。
  この治験はまだ第2相までの小規模治験で、それぞれ50人程度の対象者で行われているが、偽薬を用いた完全な統計学的手法で行われている。    結果はすでに述べた通り、素晴らしい。
    リポプロテイン(a)のmRNAに対応するアンチセンスオリゴ核酸を100mgから300mgまで、週一回皮下に注射、12週まで続けている。皮下に注射するだけで、肝臓でのリポプロテイン(a)生産を低下させられるのかと思うが、なんと血中リポプロテイン(a)を80%低下させることができている。また、リポプロテイン(a)と結合する様々な分子も同時に低下し、LDL-Cすら25%程度低下する。また、注射を止めた後も効果は2ヶ月ぐらい持続する。
   その後、このアンチセンスオリゴ核酸に糖鎖を結合させることで、効果を三十倍に高められることがわかり、新しいフォームのオリゴ核酸も同じように治験を行っている。結果は期待通りで、今度は10mg-40mgという1オーダー低い濃度で治験を行い、80%以上血中リポプロテイン(a)低下に成功している。また、糖鎖を結合させないオリゴ核酸で見られた様々な副作用は、糖鎖結合型では全く見られなかったという結果だ。
   皮下に週1回注射するだけで効果があるということは、アンチセンスオリゴ核酸は使いにくいという私の先入観を完全に払拭した。特に糖鎖をつけたフォームは驚くべき効果だと思う。今後、リポプロテイン(a)の数値を改善させるだけでなく、虚血性心疾患の頻度を減らせるかなど、時間のかかる治験が必要だろうが、期待を持てる。あとは、値段だが、長期間投与が必要なはずで、手頃な価格設定をお願いしたいと思う。
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10月7日:人間の寿命(Natureオンライン版掲載論文)

2016年10月7日
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   20世紀が始まったとき、人間の平均寿命は「人間50年、化天のうちを比ぶれば・・・」と唄われたように50歳だった。その後、平均寿命は男女共80歳を超え、女性は90歳に近づこうとしている。ではどこまで寿命は伸びるのか、誰もが関心がある。これとは別に、人間の寿命の限界を科学は予測できるようになるのかも知りたいところだ。
   この問題に人口統計学から迫ったのが、今日紹介するアルバート・アインシュタイン大学からの論文でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Evidence for a limit to human lifespan (人の寿命の限界を示す証拠)」だ。すでにマスメディアの多くも、人間の寿命が分かったとして取り上げているようだ。しかし、よく読むとそんな単純な話ではない。
   研究は先進国の人口統計を元に、様々な計算をしただけの研究で、特に方法に工夫があるわけでもない。ただ、「人間の寿命の限界」をストレートに問うたという話題性でNatureに掲載されたと思う。
   まず平均寿命から見ている。これまで、感染症や栄養など、人間の寿命を縮める外的な要因を一つ一つ解決することで平均寿命は延びてきた。そして今先進国はガンと生活習慣病を克服することで、平均寿命を伸ばせるのではと考えている。これに対し、年次ごとに平均寿命の上昇率をプロットし直すと、1980年でほぼ横ばいになっていることを示して、今後平均寿命は大きく伸びないと予想している。要するに、今の医学は平均寿命を伸ばすという観点から見たときの健康に対して対策がないということだ。
   次に、平均寿命が向かう限界、すなわち人間の寿命の限界を、フランス、日本、英国、米国での最高齢者の年齢を年次ごとにプロットして算出しようとしている。これによると、2000年の115歳前後を境に、最高齢者の年齢は低下傾向にあり、2010年では110歳を少し超えたぐらいになっている。これは最高齢者だけでなく、1位から5位までの最高齢者の年齢をそれぞれプロットしても同じになる。これらのデータから計算すると、125歳に達する人がでてくる確率は、0.01%、すなわち「万に一つもない」ようだ。以前紹介したように、115歳の方の血液幹細胞がたった2個まで減っているよう(http://aasj.jp/news/watch/1464)ではさもありなんと思う
   結局この研究は統計という科学からうまれた結論で、ガンや生活習慣病に対する対策が進み、また人間の老化について理解が深まれば、違った結論になる可能性はある。逆に言うと、命を相手にする医学と寿命を相手にする統計学のギャップを示している
   私自身は、どこまで寿命が伸びるかの予測が医学の問題ではなく、医学にとっての平均寿命は、病気を一つ一つ克服して個々の命を伸ばした結果だと思っている。その意味で、まだまだ克服できていない病気は多い。
   一つはっきりしていることは「死ぬまで私たちは生きていることだ」。その日を生きることが否定されない世の中を守るために、まだまだ努力が必要だと思う。
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10月6日:マイクロサテライト不安定性(Nature Medicineオンライン版掲載論文)

2016年10月6日
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    DNA合成時に高い確率で生じる塩基ミスマッチを修復する機能が低下すると、突然変異の頻度が上昇し、ガンになりやすいことがわかっている。実際、この機構に関わる酵素が生まれつき欠損した人では、高い頻度でガンが発生するし、またそのガン細胞を調べると、正常の何百倍もの突然変異を見つけることができる。
   また、大腸癌では、このミスマッチ修復機構の異常が他の遺伝子異常に先行するのではないかと考えられている。特に、最初にこの機構に関わる遺伝子が欠損した大腸癌では、突然変異が蓄積することから、リンチ症候群として特別に分類している。
   リンチ症候群のようなミスマッチ修復異常を診断するため、私たちのゲノムに広く分布する短い反復配列、マイクロサテライトの変異(マイクロサテライト不安定性:MSI)を調べるが、検査の基本は繰り返し配列をPCRで増幅して長さの分布を調べる方法が中心で、ゲノム上に分布した個々のマイクロサテライトを調べることはほとんど行われていない。
   今日紹介するワシントン大学からの論文は、ガンのエクソーム配列データベースから個々のマイクロサテライトを特定するソフトを開発し、ガンでMSIが起こっているかどうか調べた研究でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Classification and characterization of microsatellite instability across 18 cancer type(18種類のガンに見られるマイクロサテライト不安定性の分類と特製)」だ。
   この研究のハイライトは、多くのデータが存在するガンのエクソーム配列から、マイクロサテライトを抽出し、正常組織と比べて各マイクロサテライトの変異を算出するソフトを開発したことに尽きる。そのおかげで、私がこれまでマイクロサテライトやMSIについて持っていたイメージが大きく変わった。18種類、5930のガン細胞とそれに対応する正常組織のエクソーム配列を元にMSIを調べる膨大な研究で、詳細を省いて結論だけをまとめる。
1) MSIは特定のガンに集中するのではなく、頻度は異なるがほとんどのガンで見られる。すなわち、ミスマッチ修復機構の機能異常はガンで起こりやすい。
2) MSIは他の遺伝子に見られる変異と完全に相関するわけではなく、独自の変化を示す。
3) 全てのマイクロサテライトで変異が生じるのではなく、ガンに応じて変異が見られるマイクロサテライトは限られている。
4) MSIを示すマイクロサテライトの分布によりガンを分類することができるが、これはMSIが発ガン過程に何らかの影響を及ぼしていることを示唆する。
5) MSIにより変異の頻度は上昇するが、ガンの予後についてみると、MSIがあるほうが予後が良い。おそらくこれは、修復機能低下のため抗がん剤に対する感受性が上がったり、あるいは突然変異により新しいガン抗原が生まれ、免疫系の標的になるからだろう。
   今後、各MSIと発ガンについて研究が進むと、これまでわからなかった発ガンの仕組みも明らかになるかもしれない。また、新しく開発されたソフトは、エクソーム配列からMSIを正確に抽出してくれる。これは、ガンの治療戦略を決めるときの大きな力になる。
   現在PD1の使用をめぐって我が国では診療報酬の面から議論が行われているが、この研究からわかることは、チェックポイント治療にあたって、まずガンのエクソーム解析を行うことの重要性だ。今ならエクソーム解析はおそらく15万前後でできるのではないだろうか。抗体薬のおそらく1/4の価格だ。正しい順序で、効果の得られる人を予測し、適切に高額な薬剤を使うという順序が、価格議論の前に必要だが、我が国ではこの当たり前の議論を行うのは難しいようだ。
カテゴリ:論文ウォッチ
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