膵臓ガンや肺ガンではある時点でいわゆる激やせが始まる。この症状はガンが栄養分をとってしまうとか、食欲が低下するとか、抗ガン剤の副作用として単純に理解できるものではなく、全身が悪液質として捉えられている状態に移行するためであることがわかっている。実際、悪液質を抑えることができれば、ガンが大きくなっても正常の活動を保つことができ、何よりも延命効果がある。
これまでの研究で、脂肪減少に関わる自然炎症サイトカイン、食欲抑制にかかわる GDF15 、そして筋肉減少に関わるアクチビン経路などが悪液質の分子機構として特定され、主に抗体薬が開発されている。
これに対し、今日紹介するイスラエルワイズマン研究所と米国MDアンダーソンガン研究所からの論文は、右頸部迷走神経をブロックするだけで悪液質を改善できることをマウスモデルで示し、人にトランスレートできれば安全で安上がりな悪液質治療に発展する可能性を秘めた研究で、8月7日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Vagal blockade of the brain-liver axis deters cancer-associated cachexia(脳・肝臓軸を形成する迷走神経のブロックによりガンの悪液質を治療できる)」だ。
このグループは一貫して悪液質の研究をマウスモデルを用いて研究しており、マクロファージ浸潤に関わるケモカインが欠損したマウスではガンを移植しても悪液質が生じないことを報告していた。この研究はその続きで、CCL2 が迷走神経に働いて迷走神経興奮を誘導できることから、悪液質が迷走神経の過興奮により起こっているのではないかという、これまでとは全くことなる着想を得ている。
まず悪液質を誘導するガンを移植すすると横隔膜下迷走神経が持続的に小さな興奮を繰り返すことを発見する。そして以前の研究で明らかにしたように、悪液質発生を CCL2 シグナルブロックにより抑制できることを確認し、CCL2ブロックの効果を迷走神経ブロックで再現できるか調べている。
結果は予想通りで、右頸部迷走神経を切断すると、ガンは大きくなっても体重減少、筋肉減少を抑制し、生存期間を著しく延長することがわかった。さらに、マウスの気分が行動上からも改善していることがわかり、よく動くし、他の個体とも交流を普通に行い食欲も落ちない。即ち、悪液質に伴う脳症状も大きく改善することが明らかになった。そして、抗ガン剤による治療にも耐性が高まり、結果として抗ガン剤治療による生存期間を延長させることができる。
この原因を調べると、悪液質発生による肝臓代謝のマスター転写因子の発現低下を迷走神経ブロックにより正常化することができ、その結果肝臓の代謝が元に戻ることが迷走神経ブロックのメカニズムであることがわかった。
この実験系では迷走神経を完全に切断しても大きな副作用は出ていないが、実際の臨床にトランスレートするためには他のブロック方法が必要になる。そこで痛みを抑えるために用いられる、低周波・交流刺激を一日一回30分行うブロック法をガンを移植したマウスに使うと、迷走神経切除に匹敵する悪液質抑制効果が得られることを明らかにしている。
最後に、さらに臨床応用を容易にするため、皮膚の上から迷走神経の低周波・交流刺激を行い、迷走神経の直接刺激と同じレベルの効果が得られること、その結果、行動も活動的になり化学療法の耐性が上がり生存期間を延ばせることを明らかにしている。
以上メカニズムをまとめると、ガンが誘導する自然炎症の結果 CCL2 ケモカインの濃度が上昇し、脳では迷走神経の興奮状態が誘導される。この興奮は肝臓へ分布する遠位迷走神経からアセチルコリンを介して幹細胞に伝わり、HNF4 の転写を抑制して肝臓の代謝を抑え、悪液質の引き金を引く。同時に脳内での CCL2 によるマクロファージを中心とした炎症が、食欲を抑制して悪液質を悪化させる。この悪性サイクルを迷走神経ブロックは正常化して、悪液質を防止することになる。
以上が結果で、この効果が人間でも確認できれば、悪液質の切り札として、ガン患者さんの治療効果だけでなく、ウェルビーイングにも大きな効果が期待できる。