5月6日:Leber黒内症の遺伝子治療(The New England Journal of Medicine紹介論文)
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5月6日:Leber黒内症の遺伝子治療(The New England Journal of Medicine紹介論文)

2015年5月6日
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おそらくほとんどの読者は、白内障だけでなく黒内症があると聞くと驚かれるだろう。通常黒内症とは、全身性の病気が原因で視野が失われる状態を意味しており、高血圧や糖尿病による視力障害もこの中に含まれる。逆に、目だけに起こる異常による視力障害、例えば黄班変性症や色素性網膜炎などはこれに該当しない。この中に、遺伝的原因で視覚が障害される黒内症の一つが先天性Leber黒内症で、網膜色素細胞で発現しているRPE65遺伝子の突然変異が病気の原因であることがわかっている。今日紹介するロンドン大学からの論文はレーバー黒内症の遺伝子治療臨床研究で、5月4日発行のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Long-term effect of gene therapy on Leber’s congenital amaurosis (先天的Leber黒内症の遺伝子治療の長期効果)」だ。視細胞は光を感じるロドプシンの活性を維持するためにレチナールのリサイクルが必要だが、RPE65分子は網膜色素細胞に発現し、レチナールをリサイクルする分子だ。従って、この分子の突然変異の結果起こる症状は、ビタミンA欠乏で起こる鳥目と同じだが、機能低下にとどまらず時間が経つと視細胞が失われていく。幸い眼球はもともとアデノウイルスベクターを使った遺伝子導入に適した組織で、この疾患は最初から遺伝子治療の重要な標的として研究され、2008年には幾つかのグループが遺伝子治療が有効であることを示している。今日紹介する論文はその延長で、3年という長期の効果を報告したものだ。結論だが、RPE65遺伝子を運ばせたアデノウイルスベクターを直接に中心窩近くの網膜内に投与することで、50%の患者さんで光感受性が上昇し、薄暗い場所での視力が回復している。また、この回復は投与後徐々に進み、6−12ヶ月でピークに達し、その後はまた低下することが確認された。一見期待できる結果だが、患者さんに使ってみて初めて多くの問題も明らかになっている。まず25%の患者さんで網膜の炎症が副作用として現れ、2例では炎症による視力の低下が起こっている。安全な遺伝子治療実現には、免疫反応を起こさないベクターの開発が急務になる。さらに、今回使われたウイルス力価による治療では、かなりの時間暗闇で慣らさないと視力回復効果がない。今後なんとか副作用を抑えたベクターを開発し、もっと高力価のウイルスを使う必要があるだろう。今回の研究で最も期待に反していた結果は、視細胞の変性が進んだ17−25歳の患者さんで遺伝子治療の効果が最も著銘に見られ、、まだ変性の進んでいないもっと若い患者さんでは大きな効果が見られなかった点だろう。おそらくリサイクルできるレチナール量の回復が不十分なため、変性が進んで視細胞の数が減ったことで、リサイクルされたレチナールが細胞に行き渡るようになり、細胞数の減少という災いが幸いしているようだ。また、1年を過ぎると効果が落ちることから、細胞の変性を食い止めるところまでは至っていないことがわかった。以上のことから、副作用のない高力価ウィウルスベクターの調整が今後最も重要な課題であることは間違いない。とはいえ、このように数多くの問題を抱えながらも、一定の治療効果が示されたことは、この治療法のコンセプトが正しかったことを示している。このように、確かに遺伝子治療は幾つかの疾患で実用段階に来たが、本当の普及には、医師、研究者、患者が一体となって取り組まなければならない多くのハードルはあるようだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

5月5日:私たちの先祖がネアンデルタールを滅ぼした(Scienceオンライン版掲載論文)

2015年5月5日
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なんども紹介してきたが今考古学分野が面白い。石器などの遺物と骨格による解剖学的解析を組み合わせて、当時の出来事を推察するのがこれまでの考古学だったが、そこにゲノムとして記録されていた情報が加わった。文字の記録がない時代の歴史を有史以前、すなわち記録のない時代と区別してきたが、ゲノムを高次の記録のない時代についての記録された情報として利用できることが明らかになってきた。そのおかげで現代人の祖先(anatomically modern human解剖学的現代人:AMHと呼ぶ)が、いつどこでネアンデルタール人と交雑したのかかなり正確に推察されている。しかし考古学と生物学が別個に研究されるのではなく、両方の協力や統合が必要になる。今日紹介するイタリア・ボーローニャ大学からの論文はこの典型で、Scienceオンライン版に掲載された。タイトルは「The makers of the Protoaurignacian and implication of Neandertal extinction (原始オーリニャック文化の担い手から考えるネアンデルタール人消滅)」だ。ネアンデルタール人の文化はムスティエ文化となずけられ、その後現れる私たちの先祖の形成したオーリニャック文化から、石器の形状などで区別されている。ただ昨年8月このホームページでも紹介したが( http://aasj.jp/news/watch/2061 )、この二つの中間段階にある原始オーリニャック文化については、私たちの先祖の文化と決めつけていいのか異論があった。昨年紹介したのは、石器の詳しい年代分析から、ウルッツァ文化やシャテルペロン文化のような原始オーリニャック文化は、私たちの先祖の形成した文化であることを結論した論文だった。このように意見が分かれる最大の理由は、石器が発見された場所から解剖学的特徴がはっきりした人骨が発見できず、文化の担い手を解剖学的に特定できなかったからだ。この研究では、私たちの先祖かネアンデルタールか議論が続いてきたイタリア各地の原始オーリニアック文化で発見された歯の化石を解剖学及びゲノムレベルで調べることで、誰が文化の担い手だったか特定しようとしている。まず出土した歯のエナメル質の厚さを精密にネアンデルタールの歯と比較し、原始オーリニャック石器とともに出土した歯が私たちの先祖の歯に近いと結論している。この結論を、記録としてのゲノム情報を用いてさらに確実にしようと、ミトコンドリアゲノムを完全に解読し、このゲノムが約45000年前の私たち先祖のものであることを決定した。この時代は北イタリアにもネアンデルタールが生存していた時代と重なるため、おそらくより精度の劣る石器しか使っていなかったネアンデルタール人は、刃の鋭さを再調整した優れた石器を持つ原始オーリニャック文化に滅ぼされることになったのではと結論している。ゲノムという記録された情報が時代と系列を明らかにすることで歴史の理解に大きな貢献をしていることを示す典型的論文だと思う。今後も目を離さず紹介していきたいと思っている。
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5月4日:アフリカツメガエルが発生学最前線に帰ってきた(Scienceオンライン版掲載論文)

2015年5月4日
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私の学生時代は、発生学にシュペーマンの伝統が脈々と生きており、実験動物もアフリカツメガエル(Xenopus )の独壇場だった。しかし今やXenopusを用いた研究は地盤沈下が激しく、発生学の専門誌Developmentでもエディター仲間に一人Xenopusを使った研究者がいたが、Xenopusの論文はかなり少数派だった。この理由は、Xenopusの持つ実験上の優位性が失われ、この実験システムでないと研究できないテーマが激減したためだと思う。Xenopusを用いる発生学の伝統が復活するためには、Xenopusに向いたしかも普遍的なテーマを探すことが必要になる。今日紹介するノースウェスタン大学からの研究はこれに成功した研究でScienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Shared regulatory programs suggest retention of blastula-stage potential in neural crest cells(共通の調節プログラムの存在から、神経堤細胞の多分化能は胞胚期の多分化能が維持された結果であることを示唆している)」だ。この論文を理解するには神経堤細胞の多分化能について最低限の知識が必要だろう。神経堤は神経管の上部から発生し、神経や色素細胞へ分化する細胞だが、頭部の神経堤細胞はさらに骨や筋肉を含む多くの細胞系列へ分化する多分化能を持つことが知られている。多分化能といえばもちろんES細胞が由来する胞胚期の細胞の特徴だが、神経堤細胞は発生中期にできてくる細胞にもかかわらず、最も未熟な多能性細胞に匹敵する分化能力を持っている。このため分化能が一度制限された神経細胞が神経堤細胞へと分化する時多能性が新たに誘導されると考えられていた。この研究を行ったLaBonneさんたちはこの通説に反し、神経堤細胞の多分化能は胞胚期の多分可能に関わる分子ネットワークがそのまま維持され続けた結果ではないかとこの論文で提唱した。この仮説が正しければ、神経堤細胞も胞胚期の細胞と同じ多分化能の維持に関わる分子を発現しているはずで、この点の検討から研究を始めている。期待通り、山中4因子を含む多能性維持に関わる分子が両方の細胞で発現していることが確認された。次に、Xenopus胞胚期の多能性細胞を代表するアニマルキャップ細胞を分化させる時、神経堤が誘導される条件でだけ多分化能を持った細胞が誘導でき、この細胞から普通神経堤細胞からは分化しない内胚葉細胞まで分化してくることを発見した。すなわち、神経堤細胞は、ほぼ胞胚期の細胞と同じ多分化能を持っていることを示している。これが人為的な実験的条件がもたらした結果でないことを示すため、正常胚から神経堤細胞を取り出して培養し、胚内の神経堤細胞も条件さえ整えば内胚葉へ分化できることを示している。これらの結果から、LaBonnaさんたちは、神経堤細胞の多能性は、胞胚期の多能性維持機構の全部、あるいは一部が維持された結果だと結論している。論文は論理的で、実験もしっかりしている。ただ完全に納得したかと言われるとそうはいかない。研究はXenopusを用いた比較的古典的実験系だけで行われており、この説が正しいかどうか、あるいは全ての脊椎動物で同じことがいえるのかさらに検討が必要だと思う。特に多能性の分子ネットワークが維持され続けている途中段階の細胞を特定する必要があるだろう。同じような研究をマウスES細胞で行った(Cell 129,1377)本人としては、単一細胞レベルの追跡実験が必要だと思う。とはいえ、Xenopus研究の歴史で培われた全てのテクノロジーを重要な問題に集中させる方法には好感が持てる。興味があったので調べてみると、神経堤細胞分化の第一人者Bonner-Fraserさんのポスドクから独立した若手のようだ。今後Xenopusを用いる発生学のリーダーとして活躍を期待したいと思う。
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5月:空腹の記憶(Natureオンライン版掲載論文)

2015年5月3日
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喜んでダイエットに挑戦する人たちはともかく、私たちは空腹を不快と感じ、不快な空腹をもたらす条件を記憶に残し、次にはなるべく避けようとする。このような空腹の感覚は視床に存在するAgouti-related peptide (AGRP)を分泌する神経細胞の興奮と相関することがわかっている。今日紹介するバージニアのハワードヒューズ医学研究所からの論文は、マウスモデルを用いて、このAGRP神経細胞を刺激した時、空腹を感じるだけでなく、その状況についての記憶を促進する刺激としても働いているかどうかを調べた論文で、Natureオンンライン版に掲載された。タイトルは「Neurons for hunger and thirst transmit a negative-valence teaching signal (空腹や渇きに関わる神経は負の経験としてシグナルを送ることができる)」だ。この論文ではまず、匂いだけが違っている2種類の食べ物を自由に食べさせる条件で、光遺伝学を用いて片方の匂いとAGRPニューロンの刺激を結合させると、その匂いの食べ物が避けられることを確認し、AGRPニューロンの刺激で空腹感を与えると、その時の匂いを忌避すべき条件として記憶することを示している。次に逆の実験を行っている。即ち、こAGRPニューロンの興奮を阻害できるように遺伝子操作したマウスを、食べ物を与えず空腹感を感じる条件に置き、即ち普通ならAGRPニューロンが活性化される条件で、AGRPニューロンの興奮を阻害するとともに、同じ匂いを経験させる。すると今度は阻害により空腹が去ったと勘違いし、ニューロン興奮を阻害した時嗅いだ匂いを好むようになる。これらの結果は、1)空腹の起こった条件は記憶される、2)この空腹感はAGRPニューロンの刺激の度合いで決まる、ことを明らかにした。この条件は決して嗅覚で感じる条件に限るものではなく、空腹を経験した(AGRPニューロンが興奮した)場所も記憶として残る。おそらくこのような記憶は動物が食物を探す時重要な役割を果たすだろう。最後に他の条件反射との関連を調べるため、レバーを押すと食べ物が得られることを教えたマウスのAGRPニューロンを刺激すると、レバーを押す回数が減ることを示している。即ち、レバーを押して食物を得たとしても,AGRPニューロンが刺激されると空腹感が残るため、レバーを押して食物を得る行動に熱が入らなくなるということだ。さて、行動学的解析についての解釈が正しいとすると、食物を摂取することで、空腹によるAGRPニューロンの興奮が消失するはずだ。これを調べるため、AGRPニューロンの興奮を生きたままモニターできるように細工したマウスを使って確かめている。結果は予想通りで、空腹時におこるAGRPニューロンの興奮は、接触行為自体ではなく、栄養を摂取した時だけ抑制されることを示している。そして最後の仕上げとして、同じ記憶を渇きで興奮する神経の刺激でも誘導されることも示して論文は終わっている。空腹をなるべく経験しないように、動物にとって必須の脳機能を明らかにした重要な研究だ。このように、光遺伝学や、化学物質を使って特定のニューロンを刺激したり、抑制する実験が可能になり、これまで明らかになっていなかった様々な行動の背景にある神経ネットワークがどんどん明らかにされていく。しかし対象とする行動だけ変えて、同じパターンの研究が続くとすこし飽きが来る。このブームの次に何が来るのか。より複雑化した行動へ挑戦していくのか、霊長類などより人間に近い動物へと移っていくのか?素人の私から見ると、人間にしか見られない性質が細胞レベルで語れるようになるのは、まだ新しいブレークスルーが必要な気がする。それまで生きていられるか、すこし不安だ。

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5月2日:識字障害と書字障害の脳構造(Neuroimage:Clinical印刷中論文)

2015年5月2日
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これまでこのホームページで、2013年9月(http://aasj.jp/news/watch/509)、及び2014年9月(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2128)の2回、識字障害について紹介してきた。特に昨年紹介した論文は、識字障害の人に文章を黙読してもらって、その間の脳内活動をMRIで検討した論文で、今日の論文ウォッチを読まれた方は是非再読してほしいと思う。このように高次機能を脳構造の問題として捉えようとする試みは続いているようで、今日紹介するワシントン大学の研究も最新のMRI計測技術を使って識字障害と書字障害の脳構造を比べた研究でeuroimage:Clinicalに掲載予定だ。識字障害と書字障害の比較ということで興味を持ったが、実際には私のような素人には詳細の理解が難しい論文だった。タイトルは「Contrasting brain patterns of writing-related DTI parameters, fMRI connectivity, and DTI-fMRI connectivity correlation in children with and without dysgraphia or dyslexia. (正常、書字障害、識字障害の子供の文字を書くことに関連するDTI, fMRI結合性、そしてDTI –fMRI関連性に関わる脳ネットワークパターンは対照的な違いを示す)」だ。タイトルにあるDTIというのは拡散テンソルイメージの略で、私の理解する範囲でいうと、MRIで検出される水の拡散は神経系が発達すると均一ではなくなり、神経ネットワークに沿って早く拡散するようになることを利用して、神経の結合状態を推察する方法のようだ。例えば、神経の太さやミエリン化の程度まで分かるらしく、ネットワークの発達の程度をある程度推察することができる。fractional anisotropyと呼ばれる指標はミエリン化を反映し、axial diffusibilityは軸索の太さと相関することがわかっているようだ。研究では、識字障害と書字障害の児童に、単語の虫食い部分を推察して書かせる試験を含む4つのテストを、字を実際に書かせて答えさせ、その思考過程をこのような最新の測定法を駆使した脳計測を用いて調べている。正直なところ、データのほとんどが脳イメージではなく、脳各部の反応の数値で示されているため、丹念に追う気にならない。ただこの研究から、書字障害、識字障害それぞれの児童は、脳のネットワークレベルに質的な違いがあることは明らかなようだ。さらに、書字障害も識字障害も文字の認識の問題だが、様々なテストと脳イメージを組み合わせることで、それぞれの状態が脳の発達の質的な差を反映していることも示されている。例えば脳の白質のネットワークを調べると、書字障害の子供はミエリン化の遅れが見られる一方、識字障害の子供は神経軸索の太さの違いが見られると結論されているのに驚く。もちろんこのような違いは、それぞれ異なる特定の脳部位に認められる。他にも、識字障害の子供が外から指示を受けることなく文字を見ている時は、普通の児童や書字障害の子供と比べて、文字を最初に認識する視覚野と、見た文字と記憶を結合させて、文章の中の文字とへとプロセスするのに関わる脳領域が過剰に結合しているという分析も面白い。ともかく膨大な仕事で、詳しく述べる気持ちになれないが、高次機能をなんとか脳ネットワークの違いとして定義するための努力が進んでいることを伝えたいと思った。このような解析が面白い分析に終わらず、新しい治療法の開発につながることを願う。ただ、識字障害を全て直すべき対象と考えていいのかは疑問だ。特に、識字障害を持つ人にはクリエーティブな人が多いことを示す様々な調査がある。だとすると、識字障害があるからと言って、闇雲に治療を行う対象として考えることは問題だ。加えて、おそらく3種類の文字を使う日本語に、英語圏の研究をそのまま当てはめられるのかも疑問だ。おそらく、もっと複雑で面白い問題が日本人の頭に潜んでいるはずだ。今後言語自体の違いに起因する脳ネットワークの違いを理解できれば、もっと面白い分野になるのではと思った。

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5月1日:X染色体不活化の分子機構(Natureオンライン版掲載論文)

2015年5月1日
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哺乳動物の性染色体はオスがXY,メスがXXだが、オスメスでX染色体の数が違うとことが細胞の活動にとって調整しなければならない問題になる。確かに多くの遺伝子は、片方の染色体で欠損が起こっても、問題がないことが多いが、中には少しの発現量の違いが致命的になる遺伝子も存在する。このため動物はX染色体上の遺伝子発現を調整する様々な仕組みを進化させてきた。その中でももっとも巧妙な仕組みが哺乳動物で見られる。片方のX染色体だけを不活化するX性染色体不活化と呼ばれる仕組みで、この機構により女性の体細胞ではどちらか片方のX染色体がランダムに不活化されている。X染色体の不活化の鍵を握っているのがXistと呼ばれる長いRNAで、片方のX染色体の不活化中心から転写され、その染色体全体を覆い、染色体構造を遺伝子が発現できない抑制型にしている。ただ、XistはRNAであり、それ自身で染色体の構造変化を誘導する力はない。Xistが様々な分子をリクルートし、最終的にヒストンの脱アセチル化、抑制型メチル化と進める必要がある。実を言うと、私はこの分子機構はすっかり明らかになっていると思っていたが、様々な技術的な問題のため、Xistと直接結合している分子についてはほとんど分かっていなかったようだ。今日紹介するカリフォルニア工科大学からの論文はXistに結合している分子を独自に開発した方法で特定した研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「The Xist lncRNA interacts directly with SHARP to silence transcription through HDAC3 (長い非翻訳性RNA・Xistは直接SHARPに結合しHDAC3を介して転写を抑制する)」だ。この研究のハイライトは何と言ってもXist結合タンパクの新しい精製方法だろう。RNAはその配列に相補的配列を持つ核酸と結合することから、Xistを精製するのは難しくないはずだ。しかしXistと結合している分子と結合したまま、相補的核酸で精製するのが極めて難しかったようだ。この研究では、まずXistに結合するタンパク成分を紫外線を使ってXistに共有結合させた後、核酸を変性させ、ビオチン標識した相補的配列でXistごとタンパク成分を精製し、そのアミノ酸配列を質量分析法で特定している。書けば簡単だが、本当は大変な苦労だったと推察する。それでも非特異的に結合している分子を拾ってしまうようで、2013年12月8日、このホームページで紹介したSILACと呼ばれる方法を用いて(http://aasj.jp/date/2013/12/08)、同じようにU1・ RNAに結合している分子と比べることで、Xist特異的結合分子の特定に成功している。最終的に10種類の分子が特定でき、遺伝子ノックダウンを用いてX染色体不活化に関わる分子を特定することができた。後は、それぞれの分子とXistの相互作用を丹念に調べた実験から、次のようなシナリオを提案している。Xistの転写が始まると、まずSAF-A分子が結合しているX染色体部位に結合する。このXistにはSHARP, SMRT,そしてHDAC3が結合し、このHDAC3がヒストンのアセチル基を外して転写を抑制する。その後この不活化された状態はPRC2を介するヒストンをメチル化により安定に維持されるというシナリオだ。分子が特定されたことで、このシナリオはさらに詳細になると想像する。このように分子の機能と相関させたシナリオが示されると、私のような素人の頭の中もうまく整理できる。重要な貢献だと思う。

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4月30日:思いもかけない癌治療標的(Natureオンライン版掲載論文)

2015年4月30日
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細胞の異常増殖が始まると、それを抑える仕組みを私たちの細胞は何重にも持っている。このため増殖促進だけではガンは発生せず、異常増殖を抑制する仕組みが失われてはじめてガン化が始まる。このような遺伝子はガン抑制遺伝子と呼ばれ、ガンのゲノムを調べると抑制遺伝子のどれかが不活化されていることが知られている。この代表がp53分子で、半分近くの腫瘍でp53遺伝子が不活化されている。当然失われたp53の遺伝子を導入しガンの増殖を止めようとする試みが行われてきたが、まだ大きな成果は出ていない。今日紹介するテキサスMDアンダーソンからの論文は、皆が注目していたp53の陰に隠れていた新しいガン治療標的を特定した新しい発想の研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「TP53 loss creates therapeutic vulnerability in colorectal cancer (TP53喪失が直腸癌の治療の弱点を発生させる)」だ。なぜこの可能性を思いついたのかはっきりとしないが、著者らは発ガン過程でp53遺伝子領域が欠損する時、同時に近くにある生命に必須の遺伝子も道連れになり、結果がん細胞の弱点が生まれるのではないかと思いついた。まずガンゲノムのデータベースを調べたところ、期待通りp53遺伝子の欠損は、ほとんどの場合その周辺の大きな領域にわたる欠損を伴っており、たまたまp53遺伝子近くに存在する転写に必須のRNAポリメラーゼの構成成分POLR2A遺伝子も道連れになっていることを突き止めた。もちろんPOLR2Aを完全に失うと細胞は生きていけないため、ガン細胞といえどももう一方の染色体は正常だ。ただ、POLR2A遺伝子発現量は遺伝子の数を反映し半減している。次に、POLR2A発現量が半分になっていることを弱点として利用できないか調べるため、ポリメラーゼ機能を阻害するαアマニチンを様々な濃度で加えると、片方の染色体でPOLR2A欠損した細胞は正常細胞と比べて10分の1の濃度で死ぬことがわかった。すなわち、POLR2A遺伝子量が半減したため、少しの量の阻害剤でも殺せる。試験管内の実験でこの弱点を確認したあと、ではこの着想が臨床に応用可能か調べるために、POLR2A遺伝子を半分欠損したガン細胞を免疫不全マウスに移植、増殖させたあと、αアマニチンで治療可能か前臨床実験を行っている。この時問題になるのが、αアマニチンが特に強い肝毒性を持っていることだ。転写全般を抑制する作用機序から考えて当然で、実際αアマニチンはテングタケのようなキノコが作る典型的毒素だ。従って本来の致死量よりずっと低い濃度で使う必要があるが、濃度が低すぎるとガン細胞にも効かなくなる。著者らはこの問題を、ガン表面に発現している抗原EpCAMに対する抗体にαアマニチンを結合させ、ガンだけに集まるようにして解決した。論文では、体全体にはほとんど影響のない濃度で、片方のPOLR2A遺伝子を喪失したガン細胞を除去できることを示している。結果はこれだけだが、1)p53遺伝子が欠損する際、他の重要な遺伝子が道連れになっているのではと考えたこと、2)発現が50%減っただけの分子も標的になるのではと考えたことが、この論文の全てだろう。少し出来すぎだと疑いたい気持ちもあるが、ガン治療に新しい可能性を開いたことは確かだ。臨床応用がスムースに進むことを期待したい。

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4月29日:子供の命を救った7つの成果(アメリカ小児科協会発行パンフレット)

2015年4月29日
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捏造問題について講演をよく頼まれるが、その際、倫理とコンプライアンスを強調する思考停止で終わるのではなく、必ず具体的な提言で終わるようにしている。その一つ、政府が明日からでもできる事として提言するのが、業績として新聞記事の添付を求めることを中止することだ。研究に税金を使っているなら一般の方へその成果を示すのは当然のことだが、それを新聞記事に代えてしまうことは、百害あって一利もない。その理由については長い話になるので別の機会にするが、市民への情報提供にはもっと様々な方法があるはずだ。そんな例をAmerican Academy of Pediatrics (米国小児科協会)が最近発表したレポートに見ることができる(https://www.aap.org/en-us/advocacy-and-policy/aap-health-initiatives/7-great-achievements/Pages/default.aspx)。このレポートは、小児科領域の研究に対する長期的支援の重要性を訴えるため小児科協会が作成したもので、タイトルは「7 great achievements in pediatric research in the last 40 years (過去40年に小児科領域の研究が成し遂げた7つの大きな成果)」だ。これを読めば、一般の人だけでなく、臨床に当たる医師も、小児科研究について新しいイメージを得ることができるよう作られている。さて7つの成果とは何か?

  • 1970年代半ばから始まった様々なワクチン開発のための研究。特に子供に関わるワクチンとしてロタウイルスワクチンやインフルエンザ菌(インフルエンザウイルスではない。)に対するワクチンを例示し、安価に多くの子供の命を守っていることを示している。
  • 乳幼児の就寝時に襲う突然死が、仰向けに寝させることで防ぐことができることの発見。1994年に始まったキャンペーンのおかげで、年間4000を越していた突然死が半減した。
  • 小児癌治療の進歩。ここでは頻度の高い急性リンパ性白血病について説明されており、標準治療で90%の子供が5年以上生存できるようになったことを述べている。
  • 肺の表面活性物質を気管内注入することによる未熟児の呼吸窮迫症候群治療。これにより未熟児の出産直後の死亡は半分以下に減少した。
  • エイズウイルスの母子感染予防法確立。現在では母親がエイズに感染していても90%の子供は感染なしに生まれる。
  • 鎌形赤血球症など、根治の難しい小児慢性疾患管理法の進歩。もっぱらアメリカ黒人に多い鎌形赤血球症を例に、ハイドロオキシウレア治療、ワクチンや抗生物質による感染予防、骨髄移植による根治などの地道な進展で、現在平均寿命が40歳まで延びてきたことを示している。
  • 幼児用チャイルドシートの開発による、幼児の交通事故死の減少。この開発が、ドライバーと同乗している幼児の行動解析から生まれた成果であることを示している。

そして最後に、次に続く7つの成果を上げるためこの領域全体への助成の継続を求めて、パンフレットは終わっている。

 予想していた研究だけでなく、予想外の分野の進歩が示されることで、医学研究に対する先入観が取り除かれ、様々な分野での科学的研究が子供の命を救っていることを実感できる。また科学者社会が子供の命を救うという目的で一致して研究に取り組んでいることがよく伝わる。伝えられる内容が自分の成果を強調するペラペラの新聞記事とは大きく異なる。我が国で同じような取り組みが難しいなら、我が国の科学者は連帯のない競争だけを繰り返す人種ということになる。

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4月28日:マンモスから学べること(5月1日号Current Biology掲載論文)

2015年4月28日
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アメリカの社会学者リチャード・フロリダはゲイの人口比を都市のクリエーティビティーの指標に使い物議をかもした。もちろんゲイがクリエイティブだと言ったのではない。ゲイを始め様々なマイノリティーを許容する都市や社会がクリエイティブな個人を引き寄せることを社会学的調査をもとに指摘した。この点で我が国政府が向かおうとしている方向は多様性を抑圧する非寛容な世界に見える。ただ政府を批判しても始まらない。程度の差はあれ、あらゆる政府は自然選択と同じで、多様性を減じる方向へ作用する。進化もゲノムに備わった自然に多様化し無秩序になろうとする力が、選択という多様化を抑える圧力とぶつかって初めて新しい多様性をうむ。この衝突の中で、新しいニッチを探すクリエイティブな個人が、新しい集団を作るだろう。ただ、多様性を失うと選択圧が集団の絶滅をもたらすことも確かだ。種の絶滅は進化の条件とさえ言える。このように、私たちは進化から多く学ぶことができる。特にゲノム解析が進んだ絶滅種は、得られる情報が大きい。今日紹介するスウェーデン国立博物館からの論文は異なる時期に生息したマンモスのゲノムを解析し絶滅の謎を探ろうとした研究で5月1日号のCurrent Biologyに掲載された。読者の一部には周知のことだと思うが、マンモスのゲノム配列は2008年に報告されている。しかしこの論文は古代ゲノム解析の一番乗りを目指すことが目的のような論文で、カバー率も低く様々な誤解をうむもとになっている。この研究ではWrangelとOymiyakonの異なる地域から出土したマンモスゲノムを11−17倍のカバー率で解読している。放射性炭素を用いた解析からWrangelマンモスは4000年前に、Oimyakonマンモスは45000年前に生息していた種で、ミトコンドリアのタイプでは異なっていることがわかっている。しかしWranelマンモスが生きていた4000年前というと人類はすでに文字を獲得していた時代で、シベリアの離れ小島であってもマンモスがついこの前まで生きていたことがわかる。4000年前と新しく、シベリアで保存されていた条件でも、マンモスのDNAは断片化していることが分かった。この事実は、クローン技術を使ってマンモスを復活させる試みが困難であることを示している。ただ、現在の象と比べると差は0.6%程度の違いなので、象をマンモス化するというプロジェクトは可能かもしれない。さて詳細を省いて、ゲノムからわかった結論をまとめると以下のようになる。まず、生息時期は違うが、2匹のマンモスは種としてほとんど同じで、別れたのはたかだか5万年前で、まあ私たちの人種差と同じ程度といっていい。ただ、4000年前まで生きていたマンモスは多様性が大きく減じている。といっても、ゴリラのように近親交配のせいではなく、おそらく集団自体の多様性が減じていたためだ。またマンモスが数を減らすのは28万年前、そしてWrangelでは1.5万年前の地球の温暖化であることがわかる。おそらく離れ小島で集団として多様性を失ったWrangelマンモスは、クリエイティブな個体がニッチを発見できず、温暖化という選択圧に耐え切れず全滅したのだろう。そして、4000年前に生きていたマンモスよりはるかに多様性が失われた野生動物が地球上には多いこともわかる。マンモスから学べることは多い。例えば政府として重要なのは、自分が選択圧として常に多様性を減じる方向性で作用している自覚と、少なくともクリエイティブな個人が生き残るニッチを残すことだろう。また、マンモスから考えて現在地球上に存在する多くの絶滅危惧種が結局失われる可能性は高く、緊急対策が必要だ。しかし、絶滅危惧種が生き残るニッチが用意されたとしても、それが動物園では困る。

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4月27日:呼吸と迷走神経(4月23日号Cell掲載論文)

2015年4月27日
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私たちは別に意識して呼吸をしているわけではないが、突発的な要因でいやでも意識させられる。例えば刺激物を吸った時ハーハーと浅い呼吸になるのがわかるし、誰でも経験する横隔膜の痙攣シャックリの時も呼吸を意識する。さらにシャックリの場合、呼吸を止めたり迷走神経を刺激すると止まることが知られている。これは迷走神経が肺の呼吸状態をモニターして中枢に伝えているためだが、生命の基本である呼吸のモニターの研究はあまり進んでいなかったようだ。今日紹介するハーバード大学からの論文は迷走神経と呼吸の関係について明らかにした力作で、4月23日号Cellに掲載された。タイトルは「Vagal sensory neuron subtypes that differentially control breathing (呼吸を別々にコントロールする迷走神経のサブタイプ)」だ。この論文を読んで感じたのは、この研究だけで教科書をかけるぐらいの膨大な実験が行われていることだ。極めてオーソドックスな仕事をトップジャーナルに掲載しようと思うと、ここまで時間と労力がかかるようだ。研究ではまず呼吸に関わる迷走神経をさらに分別するため、Gタンパク結合型の受容体(GPCR)の発現を調べ、別々のGPCRを発現する3種類の迷走神経群に分けている。この研究ではこのうち、ほとんど研究がされていなかったP2ry1とNpry2を発現する迷走神経に焦点を当てている。細胞を、それが発現している分子を標識として区別できると、この標識遺伝子に様々な細工をしてその細胞が肺のどの組織につながり、また脳のどの場所にシグナルを送っているか、そして何よりも光遺伝学を使って光でそれぞれのサブタイプを刺激できるようにし、それぞれの神経が呼吸のどの反応に関わっているのかを明らかにすることができる。この膨大な実験の詳細を割愛してまとめると、次のようになる。P2ry1を発現する迷走神経は、神経上皮小体と呼ばれる上皮に存在する神経端末につながっており、ミエリンで囲まれた早い伝達速度の神経で、触覚と同じ物理的刺激(すなわち肺が伸びたというテンション)を感知している。これを刺激すると急速に呼吸が止まる。一方Npy2r陽性細胞は痛み刺激と同じ刺激に反応し、肺胞に分布している、伝達速度の遅い神経で、肺胞への障害刺激を感知している。これを刺激すると、ハーハーという浅い呼吸が誘導される。この反応の違いは、最終的にそれぞれのサブタイプが到達する延髄の場所が違うためで、それにより異なる反応が誘導できるようになっている。まとめるとこれだけだが、この研究は呼吸反射についての様々な分子基盤を大きく進展させているように思う。何よりも私のような素人にもわかりやすい論文だ。呼吸が生命の基礎であることを考えると、救急医療の現場で役に立つ様々な創薬につながるのではと期待したい。

カテゴリ:論文ウォッチ
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