食塩の取りすぎは高血圧を招き、健康寿命を障害する重要な原因になるとして、減塩政策を呼びかけるWHOに呼応して、世界中で減塩の取り組みが進んでいる。英国などは、食品工業会を巻き込んで、食塩の消費量を1日6gに低下させるキャンペーンを行い、成功を納めているようだ。しかし、だれもが同じ方向を向くときは、少し気持ちが悪いと思ったほうがいいのかもしれない。今日紹介するドイツ・エアランゲン大学からの論文は、高食塩食がマクロファージの抗菌作用を活性化させることを示した研究で、3月3日号のCell Metabolism誌に掲載された。タイトルは「Cutaneous Na storage strengthens the antimicrobial barrier function of the skin and boosts macrophage-driven host defence (皮膚にNaを貯蔵することにより皮膚の抗菌バリアー機能を高め、マクロファージによる防衛機能を高める)」だ。この研究のきっかけは、体内のNa濃度を測定できるMRIを使った検査で、皮膚の感染部位のNa濃度が上昇しているという発見に始まる。本当に感染局所のNaが上昇するのか調べるため、マウス皮膚に感染を起こして実際の濃度を調べてみると、 MRIの結果に一致してNaの上昇が確認できる。この結果から、感染した皮膚ではなんらかのメカニズムで局所的Na濃度が上昇し、これがマクロファージなどを活性化して感染の拡大を防ぐのではないかと仮説を立て、実際に高濃度の食塩がマクロファージを活性化できるか調べている。その結果、マクロファージがLPSやTNAで活性化されるとき、高Naだと、Nos2と呼ばれる分子の産生が増強し、食菌作用が高まることを確認している。詳細は省くが、Naが細胞内のp38/MAPKシグナル分子を経て、NFAT5転写因子に至るシグナル経路を増強することで効果を発揮することをマクロファージで確認している。最後に、食塩の多い食事が原生動物ライシュマニアの感染を抑えるか調べ、感染後そのまま慢性炎症が続く通常の経過が、感染後20日後から炎症が抑えられることを観察している。確かに、傷口からの感染を食塩で防ぐ古来の知恵と会っているし、変に納得する結果だが、高塩食を食べさせると効果があるというのは驚きだ。ただ、普通点滴にはNaは入っているので、病人にわざわざしょっぱい食事を取らすこともないだろう。しかし、他の問題を引き起こす可能性が高い経口摂取の実験より、軟膏か何かで局所の濃度を上げる工夫の方が、皮膚の感染に対してなら安全に思えるのは私だけだろうか。とはいえ、感心するというより、面白い研究をしている人たちがいるものだというのが正直な印象だ。
3月8日:高食塩食の効果もある(3月3日号Cell Metabolism掲載論文)
3月7日:エボラビールスの侵入経路(2月27日号Science掲載論文)
昨年8月15日、エボラウイルス感染による激烈な症状が、ウイルスVP21分子が、ホスト細胞のSTAT1分子の核移行の阻害することでおこることを示した、Cell Host Microb8月号に掲載された論文を紹介した。この論文を読んで、ウィルスの巧みな戦略にも感心したが、世界中で研究が急速に進んでいることにも驚いた。今日紹介するテキサス大学ガルベストン校からの論文は、ウイルスが細胞に感染する時の侵入経路についての研究だが、全く同じ印象受けた。論文のタイトルは「Two-pore channels control Ebola virus host cell entry and are drug targets for disease treatment (Two-pore channelsがエボラウイルスの細胞へ侵入を調節しており、治療の標的になる)」だ。タイトルにあるtwo-pore channelとは、TCP1,TCP2の膜タンパクにより形成されるカルシウムチャンネルで、NAADPとPIP2により活性化される膜タンパクだが、細胞表面ではなく、細胞内のエンドソームに存在し、カルシウムの細胞質内への移動に関わっている分子だ。このグループがエボラウイルスの感染を防ぐ薬剤をスクリーニングしていた時、その過程で不整脈に利用されているベラパミルや、ミモディピン、ディリテイアゼムなどのカルシウムチャンネル阻害剤がウイルスの侵入を抑制することに気がついた。中でも、植物由来のアルカロイド、テトランドリンが最も高い効果を示した。エボラウイルスが、マクロファージの食作用でエンドソームに取り込まれ、細胞内に侵入するというこれまでの知見を考え合わせ,エンドソームに取り込まれたウイルスが細胞質に侵入する段階で、Two-pore channelが働いているのではと気がついた。後は簡単で、TCP1,TCP2遺伝子をノックアウトしたマウスの細胞をつかって感染実験を行うと、結果は予想通りウイルスはエンドソームに取り込まれたまま細胞質に侵入できない。最後に、マウスに感染できるようにしたエボラウィルスを使ったエボラ発症実験を行うと、テトランドリンは病気発症を強く抑えることが確認できた。これらの結果から、エンドソームに取り込まれたウイルスが、エンドソーム膜と融合して中のウイルスゲノムをホストの細胞質に注入するとき、Two-pore channelの機能が必須で、この機能を抑制する薬剤がウイルス感染を防ぐと結論している。この研究により、ウイルスの感染経路がほぼ明らかになったこと、そして何よりも、高い効果を発揮し、すぐに臨床に使える薬剤が発見できたことは大きいと思う。いずれにせよ、今の医学の実力を感じる研究だった。
3月6日:先制医療の可能性を探る(3月4日号The Lancet掲載論文)
先制医療は、神戸先端医療財団の井村先生が会頭をされる29回医学会総会のテーマの一つの柱になっている。病気のリスクを探り出して、早期に手を打つことができれば、個人にも社会にもメリットが大きい事まちがいない。ただ問題は、どの程度正確にリスクを判定できるかだ。もともと生活習慣病となると、読んで字のごとくで生活習慣が発病に強く関わっており、リスク判定を待たず、誰もが努力すればいいことだ。ただ、節制が難しいから生活習慣病になる。できれば、危ないと警告でもあるとその気になるかもしれないと思って、遺伝子検査を受けることになる。今日紹介するハーバード大学を中心とする国際チームからの論文は、この問題に取り組む研究だ。タイトルは「Genetic risk, coronary heart disease events, and the clinical benefit of statin therapy: an analysis of primary and secondary prevention trials (冠動脈イベントの遺伝的リスクとスタチンの臨床的有効性:一次及び二次予防試験の解析)」で、3月4日号のThe Lancetに掲載された。この研究では、心筋梗塞や狭心症など冠動脈イベント発症を予防するスタチンの効果を調べる2つの1次予防試験と2つの2次予防試験、及び地域住民のコホート研究の参加者の遺伝子検査を行って、冠動脈イベントに関わると特定されてきた27個のSNPを調べ、リスクを計算して、実際のイベントと遺伝子診断によるリスクとの相関を調べている。タイトルの、一次予防試験とは、特に病気と診断されていない健常人を対象としてスタチンの予防効果を調べる研究をさし、2次予防試験とはすでに冠動脈硬化症と診断がついた群に対するスタチンの予防効果を調べる研究だ。さて結果だが、27種類のSNPを統合した指標を使うと、冠動脈イベントの発症と遺伝子検査によるリスク判定とはかなり相関する。従って、他のバイオマーカーとともに、遺伝子検査も役に立つ。特に面白いのは、すでに動脈硬化症を発症している群でも遺伝子リスクが相関することだ。今後、血中脂質などのバイオマーカーも含めた複雑な相関解析が必要に思う。おそらくこの研究の最も重要な発見は、スタチンが遺伝子リスクの高い人ほどよく効くという点だ。例えば1次予防試験では、遺伝子リスクのない人でのスタチンのイベント抑制効果は30%ほどだが、遺伝子リスクの高い人では50%を超える。既に他の検査から病気が認定されている人たちを対象とした2次予防試験でも遺伝子リスクの高い人ほどスタチンが効く。おそらく、これまでの検査で用いられるバイオマーカーとは異なるリスクを検出できているのかもしれない。病気が発症した後でも、遺伝子診断を行う意味がある場合もあることを認識した。さて、もしこの結果を私が臨床現場で使うとするなら、動脈硬化と診断されても「薬なんか飲めるか」と啖呵をきる患者さんをさらに不安にさせる一撃として使い、生活習慣の改善と、スタチン服用を認めさせる方策として使う。実は、その患者とは、私だ。
3月5日:ヒト免疫系の発生(2月25日号Science Translational Medicine掲載論文)
母親の体内で進むヒト発生過程を研究することは容易ではない。このためヒト胎児となると、「え?こんなことがまだわかっていなかったのか!」と思うことがよくある。今日紹介するテルアビブ大学からの論文はそんな典型で、ヒト胎児免疫系の発生過程を追跡している。タイトルは「Timely and spatially regulated maturation of B and T cell repertoire during human fetal development (時間空間的に調節されているヒト胎児内で進むB、T細胞のレパートリー成熟)」で、2月25日号のScience Translational Medicineに掲載された。研究では、妊娠3ヶ月から6.5ヶ月までの胎児の血液を採取して、その中の抗体遺伝子(IG)やT細胞受容体(TR)遺伝子の再構成の様子を次世代シークエンサーを使って調べている。もちろん血液といえども、母親の胎内の胎児から採取は不可能だ。この研究では、多胎妊娠の母親が一部の胎児だけを中絶する減数手術を行った時に中絶された胎児の末梢血を採取している。ただ、後期の中絶胎児については、明らかな遺伝的異常が認められたため中絶に至った場合が多く、完全な正常胎児を反映しているかどうかは明らかでない。こうして得られた末梢血からIG,TR遺伝子を調べるのだが、これらの遺伝子が再構成する時にできるゲノムから切り出された環状DNAと、再構成後ゲノムに残っているIG,TR遺伝子の両方を調べている。抗体やTCRは外界に無限に存在する多様な分子を認識するため、ゲノム内に数多く存在する抗原結合部位の遺伝子を再構成により選ぶ。環状DNAはその時ゲノムから切り出された側だ。また再構成時、組み合わせる各遺伝子(V—D—J)の結合部位にさらに小さな配列の挿入や欠損を発生させて、レパートリーを増やす。この過程を地道にヒト胎児で調べたのがこの研究だ。結果だが、一言で言うとこれまで動物でわかっていたことの再確認と言っていい。まず抗体の遺伝子再構成から始まり、その後少ししてTR遺伝子再構成が始まる。また、時間とともに個体中のIG,TR遺伝子の多様性は急速に増加する。実際これ以上詳しく結果を解説しても、退屈なだけだろう。強いて新しいと思う結果を探すとすると、胎児期から免疫グロブリンのクラススイッチが起こっており、多くはないがIgGだけでなく、IgAやIgE遺伝子の発現が見られる。これと並行して、普通抗原に刺激された時だけに進む体細胞突然変異がかなりの程度見られることだ。この結果は、低い確率でランダムに起こる遺伝子変化として済ますこともできるが、おそらく胎児期から抗原に反応してレパートリーを調整している可能性の方が高そうだ。とすると妊娠中期以降は、胎児も抗原に反応することをしっかり頭に入れて、妊娠と向き合う必要があるだろう。結果はこれだけで、わざわざヒト胎児で調べる必要はないと考える人たちもいるだろう。しかし、子供の育成という観点からは、今後も数を増やして、地道なトランスレーショナル研究が行われるべきだと思う。一方筆者にとっては、抗体のレパートリー形成は、臨床を辞めドイツで基礎研究を始めた時(30年前)最初に選んだテーマだったこともあり、今長い時間を経てトランスレーション研究が進んでいるという感慨が深い。
3月4日:アレルギーとDNAメチル化(Natureオンライン版掲載論文)
20年前と比べると、喘息や花粉症などのアレルギー疾患にかかっている患者さんの数は大きく増加しているはずだ。この間に日本人の遺伝子に大きな変化があったとは考えられないので、環境要因の影響が大きいと思われる。このような場合、まず環境によりエピジェネティックな状態が変化した可能性を考えることが普通になってきた。ただ免疫反応となると、例えば最近大騒ぎしているPM2.5や食生活の変化など、環境にある抗原自体が時代に応じて大きく変化するので、アレルギーにかかりやすさの原因をエピジェネティックスに求めることはあまり行われていなかったようだ。今日紹介するハーバード大学を始めとする国際チームからの論文は、アレルギーと診断され、IgEが高い患者さんの末梢血のDNAメチル化状態を調べた研究で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「A epigenome-wide association study of total serum immuneoglobulin E concentration(血清IgE濃度と相関するエピゲノムについての研究)」だ。研究自体はどの施設でも実施可能なエピゲノム検査を、IgEが高くアレルギーと診断されている患者さんの末梢血で行っている。その結果、アレルギー症状の主役好酸球の活性や、IgE産生に関わるとして知られていた遺伝子のメチル化状態が正常と比べて大きく変化しているのが検出された。ただ検査は全末梢血で行われており、実際この変化が好酸球で起こっているのかを調べるために、喘息患者さんをIgEの高い群、低い群にわけ、それぞれの患者さんの末梢血から好酸球を精製してメチル化状態を比べている。結果だが、調べた好酸球の活性に関わる6種類の遺伝子全てで、喘息患者さん特異的にメチル化の程度が低下している。さらに、IgEレベルが高くなるほどバラツキ無く低メチル化状態が続いていることがわかった。このうち3種類の遺伝子については、350人程の喘息患者さんの末梢血でメチル化状態を調べ、IgEレベルとの相関を調べると、逆相関が見られ、いわゆるアレルギーにかかりやすさの指標としてこれら遺伝子のメチル化状態を使えると結論している。結果はこれだけで、現象自体の重要性を評価して論文を掲載したのだと思う。実際のところ、この研究ではこのメチル化状態がアレルギーの原因か結果かもよくわからない。ただ、検査は簡単で、正常群ではもともと大きなばらつきがある。今後、最初にこの指標で分けて経過を調べるコホート研究が行われるだろう。最近たしかにアレルギーで困っているという話を耳にすることが多い。この研究をきっかけに、気の利いた答えを伝えられる日が来るのを期待している。
3月3日:プレシジョンメディシンのプラットフォーム(2月26日号Cell掲載論文)
2月26日号のThe New England Journal of MedicineにFrancis CollinsとHarold Varmus、米国癌研究の両巨頭がプレシジョンメディシンの現在と将来についてコメントを寄せている。その冒頭に、オバマ大統領が1月20日に行った一般教書演説の一節が引用されていた。「今夜、私は癌や糖尿病といった病気をできるだけ完治することを可能にするとともに、私たちすべてにもっと健康な生活を約束する個人の情報を知ることを可能にするプレシジョンメディシン計画をスタートさせる。」このコメントを読むと、オバマ大統領には医学研究の方向性についての正しい情報が伝えられていると思う。同じ日発行のCellに癌のプレシジョンメディシンのための面白いプラットフォームを紹介したハーバード大学医学部からの論文が掲載されていたので紹介する。タイトルは「Drug-induced death signaling strategy rapidly predicts cancer response to chemotherapy (薬剤により誘導される細胞死シグナルを測ることで癌の化学療法に対する感受性を迅速に診断できる)」だ。プレシジョンメディシンというと、ゲノム情報に重点が置かれているが、ゲノムがわかっても、自分のガンに合わせた薬剤の選択を簡単に行えるようにならないと、安心して治療を行うわけにはいかない。しかし、ガンといっても簡単に試験管の中で増えるわけではないので、薬剤のテストは実はそう簡単でない。この研究では、薬剤に反応してガン細胞が死ぬよりずっと前から細胞死の引き金が入っており、この引き金が入った状態を検出すれば、ガンに対する薬剤の効果を簡単に調べられることが確かめられている。方法は簡単で、ガンを様々な薬剤で16時間処理、その細胞にBH3由来のペプチド(細胞死過程を促進させる)と、ミトコンドリア膜の状態を調べる蛍光物質JC−1染色をするだけの検査だ。もし死の引き金が入っていると、速やかに蛍光が減衰する。実験では、細胞株を使って、薬剤の作用機序を問わず、ガンに効果がある薬剤はこの方法で効果を確認できることを示している。そして、実際のCML症例に対する標的薬、および卵巣癌に対するカルボプラチンの効果を判定して、臨床に利用できることを示している。科学的な知見としてはこれまでの知識を組み合わせただけで、新しいところはそれほどない論文だ。おそらく細胞死の基礎研究なら我が国も勝るとも劣らない。しかし、最初から臨床のセッティングを想定した研究であり、何よりも細胞株を樹立することなく、採取した細胞の薬剤感受性がすぐに判定できるというのは、プレシジョンメディシンのプラットフォームとしては大きな前進だと思う。このようにトランスレーションになると、急にわが国は見劣りする。いずれにせよ、これが可能になると次の課題は、ゲノム解読とともにこのような個人に合わせた薬剤感受性検査を提供する仕組みをどう構築するかだろう。このためには、この課題に対応できるような検査サービスを官民を挙げて準備することだろう。そのためには、また構想を練ることが必要だ。オバマの演説から、アメリカでは様々なシンクタンクからの情報に基づき、志の高い具体的目標が策定されていることがわかる。かたやわが国では、ゲノム研究は悲劇的状況にあるし、創薬促進・再生医学と抽象的なお題目が唱えられても、政策として出てくるのは日本版NIHが精一杯のようだ。要するに科学技術政策のシンクタンクがない。この状況が当分変わりそうもないとすると、一番いい政策は、何も考えず、アメリカの科学技術政策を、身の程に合わせてそのまま取り入れると決断し公表することかもしれない。
3月2日:他人の心を推し量るための神経細胞(Cellオンライン版掲載論文)
考えてみれば、週刊誌は言うに及ばず、大手のメディアも、私たちが他の人間の心を知りたいという欲望を満たすために活動していると言える。逆にいうと、私たちはそれほど他人のことが気になる。あかの他人のゴシップでも気になるのだから、身近な人ならなおさらだ。しかし、他人の気持ちを汲もうとするこの欲求が、私たちの社会性の基盤になっていることは間違い無い。もちろん科学もこの気持ちを研究しようと努力している。例えば他人の行動を自分の行動と重ねるときに興奮するミラーニューロンが神経科学の大発見と言われる所以はここにある。今日紹介するハーバード大学からの論文も方向性は似ているが、さらに難しい課題、すなわち目に見える行動ではなく、他人の気持ちを推察するときに関わる神経活動をサルで調べた研究でCellオンライン版に掲載された。タイトルは「Neuronal prediction of opponent’s behavior during cooperative social interchange in primates (サルの社会交流時に相手の行動を予測する神経活動)」だ。この研究では、ミラーニューロン研究と異なり、相手の決断を知らない時に、それを自分の意図や行動とは切り離して推察するというさらに抽象的な過程を課題にしている。これをサルで調べるために、囚人のジレンマという課題をサルに行わせている。囚人のジレンマは2人の共犯者が、相手を裏切り警察と取引できるという状況での決断を調べる有名な行動課題だ。相手が裏切らず、自分が相手を裏切った場合が一番見返りが良い。逆に両方裏切ると、今度は刑が両方とも重くなる。両方裏切らなかった場合は、刑には服するが、量刑は軽いという設定だ。この研究では、懲役ではなく幾つのジュースを手に入れるかが褒美になっている。両方協力するときは4個のジュース、両方裏切った場合は2個のジュース、片方だけが裏切った場合は裏切った方に6個のジュースがもらえる設計だ。実験では、それぞれ別々の決断をさせ、決断結果を画面に示し、褒美を与えるという過程を何回も行わせながら、相手の行動を推察して協力することで褒美の量が安定することを学習させながら、推察に関わるとされている前帯状皮質にある300ぐらいの神経細胞の活動を同時に記録している。2匹のサルを同じ部屋で隣同士座らせ、囚人のジレンマを続けさせると、ヒトと比べた時サルは裏切りを選ぶ頻度が多い傾向はあるが、徐々に信頼を基礎とする決断をするようになる。この時、その前のトライアルで相手が裏切ったことを知ると、次の回は裏切る確率が上がる。すなわち、徐々に両方が相手の気持ちを推察すると得をすることを学習する。ただ、これは隣同士座っている場合で、相手をテレビ上のバーチャルのサルに変える、あるいは他の部屋に隔離し結果だけを提示するというセッティングで同じ実験を繰り返すと、協力する確率が半分以下に落ちる。すなわち、近い社会関係が存在していることが協力関係成立に必要なことがわかる。とはいえ、もし相手の決断が先にわかるようにしてやると、完全に自分が得する決断を行うので、純粋に利他的行動ではない。このような複雑な行動時の神経活動の記録を分析し、1)前帯状皮質に相手の決断を推定するときにのみ活動する神経細胞がる、2)これらは自分自身の決断で興奮する神経細胞とは重なっていない、3)この細胞は相手の以前の決断に影響される、4)相手の決断に関わる神経細胞は置かれた社会的状況に大きく影響される、5)この神経活動が抑制されると、協力関係が成立しない、ことを示している。その上で、推察する神経活動が確かに相手の決断と相関することを統計的に示している。少し長くなったが、要するに、行動結果を見なくとも相手の決断を想定して協力関係を成立させるために働いている独立した神経細胞が存在するという結果だ。論文を読むのは大変だが、行動に関する神経科学ほど外野の人間にとって面白い研究はない。ただ、やっている本人はおそらくサルを見たくなるほど大変だと推察する。
3月1日:老化を研究するための新しい動物モデル(2月26日号Cell 掲載論文)
老化の研究が進まない一因は、時間がかかりすぎることだ。モデル脊椎動物で老化の研究を行うとすると、マウスの寿命は3−4年、ゼブラフィッシュになると発生は早いが、寿命は5年もあるようで、老化を待つのが大変だ。例えば、多くの動物をその年齢まで生かしておくことで、餌代や場所代などコストが大変だ。この問題を解決するため、さらに寿命の短い脊椎動物を見つけ出してモデル動物に仕上げたのが今日紹介するスタンフォード大学からの論文で2月26日号のCellに掲載された。タイトルは「A platform for rapid exploration of aging and disease in a naturally short-lived vertebrate(生まれつき短命な脊椎動物を利用した老化や疾患研究のための新しいモデル)」だ。モデル化した脊椎動物はturquoise killifishと名がついたメダカに近い魚で、ターコイズというからにはトルコ石のような美しい色をしているのだろう。ウィキペディアで調べると大きくなっても全長6cmほどの魚らしい。しかしこんな魚をよく見つけてくると感心する。この魚はアフリカ原産で、短い雨季に一時的に現れる池に生息する。このため、雨季が終わるまでに急いで相手を見つけ、産卵した後、通常30−40日で、池から水がなくなるのと同時に一生を終える、いわば絶滅危惧種だ。この魚を実験室で飼っても、長く生きて6ヶ月だという。3ヶ月の寿命とされているショウジョウバエに匹敵する。逆説的な話だが、この短い寿命を利用して、老化や老化に伴う病気の研究モデルを開発したのがこの研究だ。このために、ゲノム、幾つかの組織の遺伝子発現を調べたトランスクリプトーム、エピゲノムなど基本となる情報を集め、データベースを構築している。その上で、CRISPR/Cas9によるゲノム編集が可能であることを確認してようやくモデル動物が完成する。構想してからここまで来るのにどれだけ時間がかかったのか、長期的視野に基づく大変な仕事だと思う。その上で、こうしてできたモデル実験系が確かに老化研究に利用できることを示すため、テロメアの長さを維持するテロメラーゼ遺伝子に変異を導入し、これまでマウスやヒトで得られた結果を、寿命が極端に短いこの魚でも見られるか調べている。テロメラーゼの活性がなくなると、期待通りテロメアの維持は不可能になるが、外からはあまり変化が見られない。詳細は省くが、詳しく調べると、1)生殖能がなくなる、2)血液や腸上皮などの増殖の高い組織での細胞数減少、3)上皮組織の構築異常、などを2ヶ月以内に検出することができる。さらに、CRISPR/Cas9を使うと、ヒトで見られるのと同じ様々な変異を導入できることも示している(何が起こるのかは示されていないが)。結果についてはこれだけで、何か新しいことが明らかになったわけではない。ただ最後に、これまで老化に関わることが明らかな13種類の遺伝子の変異導入ができていることも報告し、「今から解析を進めて面白い話が出てくるぞ」と期待をあおっている。研究としては、turquoise killifishの着目したことが全てで、あとはアイデア倒れに終わらず、モデル動物システムを完成させるために、長期視野に立って努力を重ねた点は高く評価したい。ただこの努力に水をさすようで悪いのだが、老化現象の大半は外界のストレスの積み重ねという側面が多い。遺伝的変異を導入して積み重ねの効果を促進できるにしても、寿命が短いという性質はこの目的と相反する。これをいかに克服出来るのか、次の論文ではぜひこの点を示してほしい。
2月28日:食品に添加された乳化剤の危険性についての警告(Natureオンライン版掲載論文)
Natureは最近社会派の編集者が増えたのだろうか?昨年9月。私たちが日常口にしている人工甘味料が、糖尿を防ぐどころか、腸内細菌叢を変化させてインシュリン抵抗性を誘導し、逆に糖尿病と同じ代謝障害をきたす可能性を示した論文がNatureに掲載され、驚いた(9月19日このHPで紹介http://aasj.jp/news/watch/2190)。今日紹介するジョージア州立大学からの論文も極めて深刻な警告論文だ。「Dietary emulsifyiers impact the mouse gut microbiota promoting colitis and metabolic syndrome (食品に添加された乳化剤はマウスの腸内細菌叢に影響して腸炎やメタボリックシンドロームを促進する)」というタイトルの論文で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルにある通り、今回問題になったのは、カルボキシメチルセルロース(CMC)とポリソルベート80(PS80)で、アイスクリームや多くの食品に乳化剤として添加されている。PS80は一時発がん性が問題になったが、FDAが1%までなら許容できると認可している。CMCに至っては安全性自体を問題にする必要がないとされてきた。このグループは、乳化剤が細胞自体ではなく、腸粘膜細胞を守っている粘膜層を破壊する可能性について調べた。すると予想通り、食品添加に許されている程度のCMC、PS80を飲ませたマウスでは、普通なら30ミクロン程度離れた場所に隔離されている腸内細菌が10ミクロン近くに迫って、粘膜の中に多く住めるようになっている。すなわち、粘膜の保護作用が破壊されている。この結果、粘膜の透過性が高まり、腸炎を起こす遺伝子変化を持つモデルマウスの腸炎発症が早まる。この結果腸の長さは2割も短くなる。さらに、いわゆるメタボリックシンドロームと呼ばれる状態になり、正常と比べると体重は増え、過食傾向が出る。大変なことだ。最後に、この効果が乳化剤が直接粘液に作用して破壊するのか調べるため、腸内細菌が全く存在しない無菌マウスに乳化剤を飲ませて調べたところ、粘膜は全く破壊されない。すなわち、乳化剤の効果がすべて腸内細菌を介して起こっていることが明らかになった。実際、先に述べた細菌の存在しないマウスに細菌叢を移植した途端、粘膜破壊がおこる。最後に人間の食生活に合わせた投与の仕方で、乳化剤の効果が実験的条件の結果でないこともはっきりさせている。ディスカッションで、20世紀の中盤からクローン病や潰瘍性大腸炎といった腸炎やメタボリックシンドロームが増加した一つの要因は、乳化剤を食品に添加するようになったからではないかと、極めて強い警告を発している。これは大変だ。タバコと同じで、この因果性をヒトで疫学的に証明するためには時間がかかる。ただ、その気になれば、ヒトでの実験系を作ることも可能ではないかと思う。前回紹介した人工甘味や、今回の乳化剤の危険性を警告した研究は、これまで自分の体は一つのゲノムを共有する細胞だけからできていると考えてきた思い込みに対する警告でもある。腸内細菌叢も体の一部だということが明らかになってきた今、私たちは謙虚かつ真剣にこの警告を受け止めることが必要だ。このような警告を掲載したNatureを社会派という印象を持った私自身が間違っていた。このデータを得たなら警告するのが正常だ。今、20世紀の遺産にしがみつこうとする勢力と、21世紀を見始めた勢力の戦いが始まっているように思う。ただ、どちらが最終勝者になるかは明らかだ。勝者に賭ける方が得することまちがいない。
2月27日:地道に進むニーマンピック病治療の動物実験(Science Translational Medicine掲載論文)
ニーマンピック病は、NPC1,NPC2遺伝子の欠損によっておこる難病で、コレステロールを細胞に貯留し最終的に細胞死を引き起こす。この結果、神経細胞死による脳や運動機能の障害、肝細胞死による肝臓障害などが進行する。全く治療法がない遺伝病と思われてきたが、21世紀に入って様々な食品添加物として利用されているシクロデキストリンが病気の進行を止めることが動物実験で示され、2013年にはシクロデキストリンを髄啌内に注入する第1相治験も始まった。私自身も、この治験を皮切りに着々と治療法の開発が進むと期待している。ただ、それでも動物実験による詳しい研究が必要であることを示す論文がペンシルバニア大学獣医学部からScience Translational Medicineに発表された。普通なら全く新しい分子や薬剤についての論文を掲載しているトップジャーナルがわざわざ掲載を決めたのも、治験と並行して動物実験がいかに重要かを示すためだろう。タイトルは、「Intracisternal cyclodextrin prevents cerebellar dysfunction and Purkinje cell death in feline Niemann-Pick type C1 disease (猫C1型ニーマンピック病の小脳プルキンエ細胞死をシクロデキストリン脳槽内投与は抑制する)」だ。この研究では、ヒトと同じ遺伝子突然変異を持った猫ニーマンピック病をモデルに、シクロデキストリンの脳曹内投与の効果と副作用を調べている。まず手始めに、皮下注射を行って調べているが、予想通り肝障害の進行を遅らせられるが、小脳性の運動障害には全く効果がない。また、大量の投与は、肺障害をきたすことも分かった。次に、様々な用量のシクロデキストリンを猫の脳内、大槽と呼ばれる小脳のすぐ下の髄腔に2週間に1回投与を行っている。すると、症状の出ていない3週齢の猫に120mg投与し続ける群では、なんと2年にわたってほとんど症状が現れず、子供を作ることもできたという驚くべき結果だ。実際に脳細胞にも脂肪蓄積はほとんど起こっていない。障害の強い小脳に近い事、髄液の流れの溜まりになっていること、比較的多くの量を投与できること、などから大槽に投与したと思われるが、現在治験で行われている腰椎からの髄腔投与と大至急比べる必要があるだろう。もちろん副作用についてもしっかり調べている。間違いなく聴力障害が来るようだが、これはなんとか対応できるのではないだろうか。このホームページではこれ以上の詳細を紹介しても意味がないだろう。極めて期待できる結果だし、現在進行している治験のプロトコルにも影響を与える結果だと思う。さらに詳細知りたい、あるいは質問がある場合は遠慮なくメールを送っていただければ対応したいと思います。いずれにせよ、わが国も国際コンソーシアムに積極的に参加し、早期から治療が可能になることを願う。また、最も有効な投与方法について臨床治験を進めてほしい。