4月1日:抗がん剤のさじ加減(Natureオンライン版記事)
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4月1日:抗がん剤のさじ加減(Natureオンライン版記事)

2014年4月1日
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昨日は抗がん剤耐性の乳がんについての研究を紹介し、標的は同じでも異なる薬剤を使うと耐性を克服できる可能性があると期待を述べた。今日は同じ薬でも使い方で耐性を克服できるかもしれないと言う可能性を示す論文を紹介する。オランダがん研究所の研究で、論文はNatureオンライン版に掲載されている。「Reversible and adaptive resistance to BRAF(V600E) inhibition in melanoma(BRAF経路を抑制した時の悪性黒色種の耐性は可逆的で適応的だ)」がタイトルだ。研究はわかりやすい。このページでこれまで何回か紹介して来たように、悪性黒色腫の約半分がBRAF遺伝子の特定の突然変異が原因で発生する。従ってBRAFやそのシグナル経路に対する薬剤がよく効く。しかし薬剤を続けていると他のシグナル経路が活性化され薬剤が効かなくなる。悪性黒色種の場合細胞表面にEGFRやPDGFRなどの増殖因子受容体が出てくる場合が耐性獲得の最も多い原因である事が知られている。なぜ抗がん剤治療でこのような別のシグナル経路が現れてくるのかを明らかにするのがこの研究の目的だ。この反応に働く遺伝子をしらみつぶしにあたり、遺伝子の発現を誘導するSox10分子が抗がん剤治療により活性化され、これがもう一つのTGF-βシグナル経路を介して薬剤耐性の原因となる増殖因子受容体の出現を促している事を突き止めた。ただこのEGFR分子の発現は新しい遺伝的変化が起こる結果ではなく、がん細胞の薬剤に対する反応で、薬剤を中止するとEGFR やSox10の発現はがんから消えると言う事が明らかになった事が重要だ。この結果に基づきこのグループは、がんの標的治療を少し休む「休日」をもうければがんの薬剤耐性を克服して同じ薬をより長く使えるのではと提案している。がん治療にさじ加減大事だと教えてくれる面白い研究だ。
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3月31日:非小細胞肺がんの新薬(3月27日号The New England Journal of Medicine掲載)

2014年3月31日
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非小細胞性肺がんの原因遺伝子ALKは我が国の間野さん(現東大)達によって特定された。このおかげでこの分子を標的とするファイザー社発治療薬クリゾティニブが開発され、末期の患者さんのがんを大幅に縮小する事が可能になった。しかし治療例が増えるに連れ、ほとんどの症例でクリゾティニブ耐性がんが出現する事もわかって来た。耐性がんは、これまで働いていなかった増殖シグナルががんの増殖に働き始めることにより生まれる可能性がある。この考えで、EGF受容体シグナルを抑制する治療法が開発され試されているが、約10%程度の患者さんにしか有効でない。このため、クリゾティニブ耐性になった非小細胞肺がんにも効く薬剤が待たれていた。今日紹介するのはこの目的でノバルティス社が開発したALK阻害剤セリティニブの第1相、第2相の試験の報告で、マサチューセッツジェネラルホスピタルを中心とする国際チームにより3月27日号のThe New England Journal of Medicineに発表された。タイトルは、「Certinib in ALK-rearranged non-small-cell lung cancer(ALK遺伝子再構成による非小細胞肺がんに対するセルティニブの効果)」だ。研究では投与量を調べる目的の第一相に続き、効果検証への治験へと拡大している。研究では1日400mg以上投与した患者さんについて詳しく報告している。結果は極めで有望で、クリゾティニブの効果がなくなった耐性がんの患者さんも約6割がセルティニブに反応し、がんの増殖が止まったと言う結果だ。今後第三相試験による治療効果の詳しい検証が行われるだろう。今回報告された結果を見ると、完全治癒をもたらす薬剤かどうかは疑問だ。ただクリゾティニブを使った事のない患者さんでは半分近くで25ヶ月間がんの進行が止まっており、これまで以上のより有効な薬剤として第一選択薬になる可能性は大きい。もちろんいい事ばかりではない。副作用についてはセルティニブの方が強いようで、約10%の患者さんが薬剤の服用を中止している。この研究からわかる最も重要な点は、ALK阻害活性がより強い薬剤なら、耐性発生のメカニズムに関わらず耐性がんに効果がある事だ。即ち、耐性が獲得された場合もALKは増殖ドライブに重要な働きをしており、より効果の強い薬剤が発見されればがんをコントロールできる可能性だ。11月13日このページで紹介した様に、同じ事はホルモン療法抵抗性乳がんにも言える。いい標的分子の発見ががん治療の可能性を拡大する事がよくわかる仕事だ。
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3月30日:自閉症の脳組織障害(3月27日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2014年3月30日
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これまで自閉症児の研究については重点的に紹介して来た。子供の育成は我が国の重要課題である事は当然だが、将来の科学研究助成政策を考えるためにも重要だと思っている。まず自閉症は人間特有の脳の病気だ。たしかにモデル動物はあるが断片的でしかなく、メカニズムの一部の検証に利用できても、病態の全像理解には向かない。ゲノム研究からも何百もの遺伝子が関わる複雑な病態である事がわかっている。しかし早期診断が可能になって来ており、脳の可塑性を信じて様々な治療法を試してみる事が出来る。また、自閉症の東田さんが自ら語る本を始め、ブログなど自閉症児自身からの主観感覚の記録が始まっている。無論動物の脳ですら複雑でそのいつになれば理解したと言えるのかわからない事は確かだ。しかしだからといって、動物脳の理解の延長がそのまま人間の脳の理解はでない。質的に違う対象であり、人間の理解は後からと言う話にはならない。さらに人間の脳や病態を理解するためには他にも社会と真の対話による様々な社会的準備も必要だ。最先端の研究を知って、これが我が国でも可能かチェックリストを作る必要がある。その一つが自閉症患者さんの脳組織の利用だ。今日紹介する研究は自閉症児脳組織を用いて遺伝子発現を調べたカリフォルニア州立大学サンディエゴ校からの仕事で、3月27日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Patches of disorganization in the neocortex of children with autism(自閉症児大脳新皮質にパッチ状に現れる脳組織構成異常)」だ。研究では2歳から15歳までの自閉症児の凍結脳組織を組織バンクから手に入れて、様々な遺伝子の組織内での発現をin situ hybridizationと言う方法を用いて調べ、全く新しい重要な発見に至っている。先ずこの仕事の重要性は子供の脳を調べている点だ。これまで大人の脳を調べた仕事はあったが、治療可能性を考えると様々な変化が加わる前の子供の脳を調べる意味は大きい。結果だが、自閉症児の脳は普通の染色で調べても正常人と変わる事はない。しかし遺伝子発現を調べると、普通なら大脳皮質の特定の層全体で発現が見られる遺伝子が、自閉症時の脳では虫食い状に欠損している場所が見つかると言う結果だ。さらに、欠損した領域の周りでは同じ遺伝子発現が亢進しており、特定の分子を発現した細胞の分布や移動に異常がある事を疑わせる。この異常は調べた11例中10例に見られるが、正常児では11例中1例にしか見られない。異常の見られる遺伝子は、自閉症に関わりのある遺伝子だけでなく、様々な遺伝子発現で見られ、また皮質の3、4層に強く見られる事から、細胞移動などの脳細胞分布異常の結果ではないかと結論している。事実この結果は、これまでこのページで紹介して来た生理学的解析や、ゲノム解析結果とも一致する点が多い。何よりも、欠損が部分的である事は治療可能である事を期待させる結果だ。私の様な素人にも大変説得力のある研究だった。   この1年自閉症についての研究を読んで来て気づくのは、特にアメリカで自閉症の研究が急速に進みつつある事だ。完全な理解は到底無理とあきらめず、出来る所から様々な研究を積み重ねて行く。臨床と基礎が連携して実際の人間をしっかり研究する。そして今日紹介するように、患者さんの貴重な資料が利用できる対話と体制がある。助成額も大きいと思うが、それだけでない社会的支援を感じる。我が国では何が可能で何が可能でないのかチェックリストが必要だと思った。
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3月29日:治験参加者とソーシャルネットワーク(Nature Medicine3月号掲載意見)

2014年3月29日
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ちょうど1年前あらゆる公職を退き、私人に戻ることを私が決断した一つの理由は、患者さんたちがソーシャルネットワーク(SNS)でつながり、医療システムの主役になる時代に参画したいと考えたからだ。既にこのページで紹介したPatientlikemeはその典型で、特定疾患の患者さんが集まる会とは違った可能性を持っている。確かにSNSには暴露性、セキュリティーなど様々な問題がある。ただSNSの抱える問題の反対側にとてつもない可能性がある。例えば今大騒ぎになっている小保方さんの捏造問題もそうだ。SNSがなければ秘密を発見できなかったかもしれない。それ以外にも、匿名でないSNSで語る多くの人の言葉にそれぞれの人となりが自ら暴露されて行く。その集まりが科学界と思うと、この問題を梃に日本の科学者、報道、役所の関係をしっかり分析したいと思う。同時にSNSが科学的論文のコモンズ化(一般の人が利用できるデータにすること)を加速させている事も実感する。MITメディアラボ所長の伊藤穣一さんと科学論文がコモンズ化できるか議論した事を思い出す。当時私は否定的だったが、今は特に医学分野で重要な課題だと思っている。しかし、今日紹介する意見で問題にされている医学治験に対するSNSの問題は考えた事がなかった。ファイザー薬品の臨床研究部門のヘッド、Craig H Lipsetさんの意見で、3月号のNature Medicineに掲載された。タイトルは「Engage with research participants about social media (治験の参加者のソーシャルメディアへの関わり)」だ。問題にしているのは、患者さんが参加する臨床研究の秘密性とSNSの暴露性の間に生まれる対立の問題だ。患者さんの身体を実験台に使ってしか出来ない治験を最も厳密に行う場合、無作為化した2重盲検法が採用される。即ち出来る限り秘密性を上げ、治験参加者を出来る限り「物化」する努力が行われる。しかし人間を物化する事ほど困難な事はない。特に他の患者さんと比べて自分だけ改善しない事がわかったりすると、精神的に参ってしまって病気は悪くなる危険がある。パリ・ネッカー病院の私の知り合いから聞いた話だが、ハンチントン病の細胞治療で実際には幹細胞治療を受けていたにもかかわらず、プラシーボコントロールに回されたと自分で判断して自殺した患者さんまでいたようだ。この状況はSNSが普及し、アメリカでは59%の人がネットを通して健康情報を得るようになった今はより深刻になっているというのがLipsetさんの意見の要点だ。即ち治験の秘密性が暴露される危険が増している。幾つかの例が挙げられている。このページでも紹介した日本発の多発性硬化症に対する薬剤フィンゴリモドの治験が2007年に行われたとき、一人の患者さんがFTY720という薬品名まで出して、治験過程での自分の経験や症状をブログで克明に発信していたようで、当然他の参加者もこれを見て自分と比べたはずだ。また、ベルテックスファーマが行ったC型肝炎薬の治験では、最初の段階で参加者がウェッブ上で議論を行いそれがそのまま発信されている。他にもPatientlikemeに登録する患者さんの多くが参加したALSの治験では治験の論文が出るより前にPatientlikemeでの情報の解析から治験結果が論文報告される自体に至っている。もちろんLipsetさんにもどうすればいいと言う方策はない。おそらく陪審員制度に見られるように治験参加者により積極的な秘密保持をお願いする事が当面の方策だろう。しかしSNSの暴露性をそのまま取り入れた無作為化2重盲検法に代わる新しい科学のあり方を考えるのも21世紀ではないかと思っている。この問題は間違いなく私たちAASJの最重要課題だ。
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3月28日:減量手術の意外な効果(Natureオンライン版掲載論文)

2014年3月28日
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手術で胃を80%削り取る手術は肥満に対する治療としては現在最も効果が高い事が証明されている。1月6日にこのページで肥満に対する薬剤を紹介したが、現状では減量手術の効果のほうが勝っている。更にこの手術を受けた糖尿病患者さんの40%が1年で完全寛解したと言う結果を見ると、内科「真っ青」の外科パワーと言っていい。しかも胃をバイパスして栄養摂取を減らすという誰もがわかるロジックだ。と思っていたら「え?本当?」と驚く論文がシンシナティ大学からNatureオンライン版に発表された。タイトルは「FXR is a molecular target for the effects of vertical sleeve gastrectomy (FXR分子が垂直スリーブ状胃切除の効果を決めている)」だ。要するに減量手術をして栄養摂取が減ると言うのは間違った先入観で、実際には胆汁のなかに含まれるステロイド物質胆汁酸の血中濃度が上昇しFXRホルモン受容体が活性化される事で、耐糖能を始め大きな代謝の変化が起こると言う事が示されている。このグループは先ず手術によって起こる遺伝子変化を調べ、脂肪代謝に関わる核内ホルモン受容体の活性が手術の結果亢進していると言う意外な結果を発見する。もともと術後ほとんどの患者さんで胆汁酸の血中濃度が上昇する事に気づいていたこのグループは、胆汁酸に結合するホルモン受容体FXR遺伝子を欠損したマウスを作成して、減量手術の効果を調べてみた。予想通り、FXR遺伝子が欠損したマウスは減量手術を受けても、最初は手術の直接効果で体重が減るもののすぐに元に戻る。詳しく調べると、手術を受けると食思行動変化し過食が減り、耐糖能が改善し、更に腸内細菌叢が善玉に変わるが、FXR遺伝子がないとこれら全ての効果が消える。即ち手術で胆汁酸の血中濃度が上昇し、FXR受容体が活性化することで、行動も含めて全体のバランスが体重を減らす方向へシフトすると言うシナリオが正しい事を示している。とすると、わざわざ手術をしなくとも胆汁酸の血中濃度を上げれば手術と同じ効果が得られる事になる。新しい肥満の内科治療を開発出来るかもしれない。結果が楽しみだ。ただ断っておくが、この研究は全てマウスのモデル実験での話だ。人間で遺伝子ノックアウトは出来ないため、やはり血中胆汁酸を上げる臨床研究が鍵になるだろう。しかし私たちの身体は浅い知識で理解しているよりははるかに複雑で面白い事を思い知った。
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3月27日:トリプルネガティブ乳がんの悪性度に関わる遺伝子XBP1(Natureオンライン版掲載)

2014年3月27日
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乳がんの遺伝子についてはこれまでも紹介して来たが、今日は最も悪性度が高いことが知られているトリプルネガティブ(TN)乳がんについての研究を紹介する。TNと言うのは、乳がんの多くに発現が見られる遺伝子エストロジェン受容体、プロゲステロン受容体、そしてHER2と呼ばれる増殖因子受容体が全く発現していない乳がんだ。現在乳がんの治療の主力が、この3つの遺伝子を標的にしているため、TN乳がんは治療が困難である事が多い。TN乳がんの悪性度を決める分子に迫ろうとしたのが今日紹介するコーネル大学からの論文でNatureオンライン版に掲載された。「XBP1 promotes triple-negative breast cancer by controlling HIF1a pathway (XBP1分子はHIF1a経路を調節してトリプルネガティブ乳がんを促進する)」がタイトルだ。この研究はTN乳がんでXBP1と呼ばれる分子の発現が高いと言う発見から始まる。XBP1は免疫反応に関わる遺伝子発現調節に関わる分子として研究されて来たが、最近ではこのホームページでも紹介した小胞体ストレスに反応して遺伝子発現に関わる機能に注目が集まっている。そこでXBP1とがんの悪性度との関係を調べるため、RNAを使って遺伝子発現を押さえる手法を使ってTN乳がんでのXBP1遺伝子の発現を押さえると、期待通りがんの増殖や転移が押さえられた。また、ヒトTN乳がんをマウスに移植して抗がん剤で治療するモデル系で、XBP1抑制により再発を防ぐ事が出来る事も示された。最後に実際のTN乳がんでXBP1の発現量が高いほど再発が早い事も明らかにし、XPB1がTN乳がんの悪性度を決める鍵である事が示された。一般の方にとってはこの発見で十分だろうが、将来の創薬可能性などを考えると、この分子がどう悪性度と関わるのか分子経路を明らかにする必要がある。この研究では、XBP1がHIFaと呼ばれる分子と結合してHIF1aを活性化し、低酸素反応と同じ細胞反応を引き起こしている事がわかった。とすると、XBP1とHIF1aの結合を抑制できる様な薬剤が開発できればTN乳がんの治療にも光が見えるかもしれない。   この様な研究が示すのは、がん細胞自体の遺伝子診断が急速に普及している事だ。事実患者さんがこの様な専門情報に面してどう決断すればいいか迷うのではと心配されている。しかし同じ事は医師の側にも言える。実際がんの専門家が複雑ながんの遺伝子解析結果を理解し臨床に生かせるのかが心配だ。特に、エクソームやマルチプレックス解析(多くの遺伝子を同時に調べるテスト)の結果は単純ではない。この点について研究した論文がJournal of Clinical Oncology3月24日号に掲載されていたので紹介しておく。タイトルは「Physicians’ attitudes about multiplex tumor genomic testing (がんゲノムのマルチプレックステストに対する医師の対応)」で、ダナファーバーがん研究所からの論文だ。研究では、ダナファーバーがん研究所でがんの治療に当たる専門医についてアンケートを行い、この研究所で開発されたOncoMapによるがんゲノム検査結果をどう理解し使っているかを調べている。詳しい内容は省くが、この様なトップの病院の専門医の間でさえ遺伝子検査に対する理解や利用に大きな差がある。ましてや乳がんの患者さんを治療している一般病院となると理解度ははるかに低いだろう。ゲノムは21世紀文明の基盤になるとは言え、人間の頭がついて行かない状況がよくわかる。しかし逆さまから見ると、人間の思考がついて行けないこの分野は21世紀最も期待が持てる分野だ。
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3月26日:脳の老化防止遺伝子(Nature誌オンライン版掲載論文)

2014年3月26日
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RESTと呼ばれる遺伝子がある。胎児性幹細胞(ES)に強く発現しており、現在山中CiRAに在籍する山田さん達の仕事によりES細胞分化を増強する遺伝子である事が示されている。元々は胎児の脳に強く発現するとして興味が持たれて来た遺伝子だが、やはり山田さん達の仕事で発生時期に発現するRESTが発現しなくても脳はなんとか発生するようだ。今日紹介する論文は、これまでとは逆にRESTと脳老化の関係を調べたハーバード大学からの研究で、結果を見て私も大いに驚いた。論文はNatureオンライン版に掲載されており、タイトルは「REST and stress resistance in ageing and Alzheimer’s disease (老化とアルツハイマー病でのREST遺伝子とストレス抵抗性)」だ。論文は極めてわかりやすい。先ずRESTが老化とともに誘導され、アルツハイマー病(AD)ではこの誘導が見られない事を発見している。その結果、老化した脳ではRESTが調節している遺伝子の発現が抑制されているが、同じ遺伝子発現の抑制がADではみられない。さらに軽度の認知障害を持った脳では認知の程度に応じてRESTの量が低下している。老化脳ではどのような遺伝子がRESTによって調節されているのか調べると、細胞死を誘導する様々な遺伝子を抑制しているのがわかる。さらにADと正常老化脳を比べる実験から、染色体を抑制的に変化させるヒストンのアセチル化が上昇している事もわかった。このように、RESTは老化脳を細胞死から守るために大事な時に発現するレスキュー隊の様な遺伝子だ。しかもRESTを誘導しているのは老化に伴う様々なストレスだ。もちろん他のシグナルでも誘導できるが、老化脳を考えるとやはりストレスから私たちの脳を守ってくれていると考えた方が良さそうだ。しかし、ADや他の神経変性性疾患ではこれまでも紹介したようにオートファジーが亢進しているため、RESTが分解されて脳を守れなくなっている事もわかった。様々な臨床例の脳標本の解析から、認知機能や寿命はRESTのレベルと明らかな相関が見られるため、RESTをなんとか維持すれば認知機能も守れるかもしれないと言う結果だ。この論文からわかるのは、RESTは老化と戦うためのスーパーマンに思える。しかしこの仕事を逆から見ると、老化した脳は本当にストレスにさらされているようで、できればRESTの厄介にならない様脳細胞を休ませる方法はないのだろうか。私の年齢になると気になる。
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3月25日:悪性膠芽細胞腫治療薬の開発(4月10日号Cell誌掲載予定論文)

2014年3月25日
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新しいメカニズムに基づく抗がん剤開発の報を耳にするのはうれしい。従来方法の改良とは違って、治療が根本的に変わる可能性があるからだ。その典型を慢性骨髄性白血病の治療法に見る事が出来る。私が約40年前医者を始めたとき、慢性骨髄性白血病は経過は長いが治療法のない病気だった。その後骨髄移植が始まると根治可能になったが、骨髄移植は今でも専門医の集中的な努力の上に成り立つ治療法だ。しかしこの白血病の原因遺伝子に対する標的治療薬により、治療法は薬剤を服用するだけでよくなる。あらゆるがん治療が同じ様な歴史をたどって根治に至る事が私たち共通の夢だ。この夢のもと様々な薬剤が開発され、今では多くのがんを根治できないとはいえ、コントロールできるようになっている。しかし取りつく島もないがんが今も存在する。その代表が悪性の膠芽細胞腫だ。これまで放射線療法、細胞死誘導剤、オートファジー阻害剤など治療法が試されて来たが、効果は大きくなかった。今日紹介する論文は、この厄介な相手に正攻法で挑んだ研究でスウェーデン・カロリンスカ研究所から4月10日号のCell誌に掲載される予定だ。タイトルは「Vulnerability of glioblastoma cells to catastrophic vacuolization and death induced by small molecules (膠芽細胞腫は化学薬剤により破滅的な空胞変性を起こし細胞死に至りやすい)」だ。 研究は極めてオーソドックスで、人の膠芽細胞腫細胞株には細胞毒性を示すが、正常細胞株には影響のない化学物質を1200程度のライブラリーの中から探し出している。次に、この化学物質の作用機序を調べ、膠芽細胞腫細胞株に破滅的空胞形成を誘導する結果、細胞が死ぬ事を突き止めている。この細胞死のメカニズムはアポトーシスでもオートファジーでもなく全く新しいメカニズムだ。最終的な経路はまだ不明だが、この薬剤はMAPKK4(マップ4K)を介するシグナル経路を使って細胞膜と細胞骨格の繋がりを不安定にし、調節の利かない空胞形成が誘導する。この作用がが死のメカニズムだ。この作用に基づいてこの化学物質はVacquinol-1(Vacuは空胞)と名付けられている。この分子はゼブラフィッシュやマウスに投与しても大きな副作用はなさそうだ。今の所、膠芽細胞腫特的と言える。マウス脳内にヒト膠芽細胞腫細胞株を移植し治療実験も行い、かなりの効果も確認されている。即ち、薬剤は脳内にも分布し、膠芽細胞腫特異的効果を示すと言う結果だ。この地点から実際の臨床応用までまだ時間はかかるだろう。しかし勇気づけられる結果だ。この20年分子生物学に基づく効率のいい創薬が続けられている時代に、今日紹介する研究のような古典的創薬方法がまだまだ有効である事は肝に銘じるべきかもしれない。
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3月24日:ジュラ紀の化石にDNAは残っているのか?(3月21日号Science誌掲載論文)

2014年3月24日
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私たちAASJも小保方さんの論文についてニコニコ動画も含めて独自の発信を行ってきた。そのせいか取材申し込みを様々な形で受ける。実際家の前で記者の方が待っていたりすると、世の中の関心の高さが理解できる。ただ私自身は、取材に応じて何かを話す事はしないと決めている。じっくり独自の調査を続けて、計画中の本の中で取り上げようと考えている。また分析に十分な確信が持てた時点で、ニコニコ動画等を使って、しかるべき人と対談してそれを公表したいと思っている。期待して欲しい。    こんな折なので少し世間離れした話題を取り上げよう。遺伝情報解読はどの時代の化石まで可能か?あるいは限界はないのか?この問いに対する研究は今多くの期待を集めている。この一年だけでも70万年前の馬の化石の全ゲノム解読、45万年前の原人のミトコンドリア全ゲノム解読等を紹介して来た。一方琥珀の中に閉じ込められた昆虫や植物の遺伝情報を読む事は全く不可能で、DNAは50年も経てば完全に分解されるという残念な結果も報告して来た。噂によると、この分野の次の目標は既に1000万年前の生物のゲノム情報解読に拡大されているようだ。どの生物を選べばそれが可能になるのか?今日紹介する論文は一つの可能性を示しているかもしれない。スウェーデン自然史博物館からの研究で3月21日号のScienceに掲載された。タイトルは「Fossilized nuclei and chromosome reveal 180 million years of genomic stasis in royal ferns (化石化した核と染色体はシダ類ゲノムの安定状態を明らかにする)」だ。これまでジュラ紀の化石と言うと骨が中心で、皮膚や羽などが見つかれば大喜びだった。ところがこの研究で扱われたシダの化石は火山砕屑岩層から採取されており、カルシウムを多く含む熱水により急速にカルシウム沈着が細胞内にも起こる事で細胞内の様々な器官が保存されている化石だ。結果は単純で、この化石に含まれる一個一個の細胞は、核や核小体の形態は言うまでもなく、分裂期の染色体の構造まで、現存の細胞を顕微鏡下で観察するのと同じ分解度で観察できると言う事が示されている。その上で、核の大きや、染色体の数や形などを現存のシダと比べ、シダ類のゲノム量は2億年にわたってほとんど変わらず安定して現在に至っていると結論している。掲載された写真を見ると、本当に2億年も経っているのか不思議な気分になる。DNAの分解が最終的には分子衝突が積み重なって起こる事を頭ではわかっていながら、この特殊な保存のされ方ならひょっとしてDNAも残っているのではと期待してしまった。雑誌の編集者もひょっとしたらそんな気持ちで採択したのかもしれない。
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3月23日:ヒトは何種類の臭いを嗅ぎ分けられるか(3月21日号Science掲載論文)

2014年3月23日
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「一体何種類の色を見分けられるのか?」「一体何種類の音を聞き分けられるのか?」「一体何種類の臭いを嗅ぎ分けられるか?」と言った疑問を私自身いまだだかっていだいた事はなかった。しかし広い世界にはそんな疑問をいだくだけでなく、科学的に検証しようとしている人が必ずいる。今日紹介する論文は「何種類の臭いを嗅ぎ分けられるか?」についてのロックフェラー研究所からの研究で、3月21日号のScience紙に掲載された。タイトルは「Humans can discriminate more than 1 trillion olfactory stimuli(ヒトは1兆種類以上の臭いを嗅ぎ分けられる)」だ。   これまでの研究でヒトは750万の色彩、35万の音を区別できる事が示されていたが、臭いについては1927年の研究で約1万種類と決められた後ほとんど調べられていなかったようだ。しかし今、臭いの感覚機構についての理解は急速に深まっている。臭いは様々な脂溶性の化学物質が混じりあったものだが、私たちのゲノムの中にある1000種類以上の臭いセンサーを別々に発現している臭い細胞が様々な組み合わせで反応する事によりそれを嗅ぎ分けている。従って、臭いの嗅ぎ分け実験も一個一個の異なる臭い分子を分別できるかではなく、どれほど多様な分子の組み合わせを区別できるかを調べるべきだと言うのがこの研究の動機だ。研究では、128種類の単一分子を集め、その分子を組み合わせて臭いを作り、組み合わせる分子の数を10、20、30と増やす事で臭いの複雑度を上げている。実験では、26人のボランティアを用いて、2種類の違った組み合わせで調合した臭いを区別できるかどうかを調べている。10、20、30種類の組み合わせを作る際、分子の3割、6割、9割が重複する様にサンプルを調合する。要するに分子の重複度が大きいほど臭いの差が少ないと期待している。さて結果は驚くべき物で、確かに30種類の分子混合で90%分子の重複がある場合は誰も区別できないが、それ以外の組み合わせはかなりの人が区別できると言う結果だ。この結果から計算すると人間は少なくとも1兆種類の臭いを嗅ぎ分けられるといううれしい結果だ。しかしもっと驚くのは、26人程度の小さな集団の中でも大きな嗅ぎ分け能力の差が見られる事で、今回の実験では1000万種類をようやく嗅ぎ分けられる人から、10の28乗種類のようにとてつもない種類の臭いを嗅ぎ分けられる人が見つかっている。なら、次は職業と嗅ぎ分け能力の関係を調べるともっと面白いい研究が出来るのではと思った。
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