乳児期の腫瘍で最も多いのが神経芽腫だ。網羅的にガンのエクソームを調べる国際プロジェクトの結果を見ると、突然変異はほとんど見つからない腫瘍だ。しかし、突然変異はなくともMYCNと呼ばれる遺伝子が増幅することで腫瘍化していることが確認されている。最近この腫瘍もゲノム解析が進み、MYCN以外にも腫瘍化に関わると推定される遺伝子の変異が発見されてはいるが、やはり治療の本命はMYCNの機能を抑制することだ。しかし乳児期に最も多い腫瘍とは言っても、大人のガンと比べると創薬標的としては商業的魅力が少なく、大手の企業はなかなか薬剤開発に参入しない。さらに、MYCNをはじめ、MYC,MYCLの3種類のMYCファミリー分子は転写因子で、しかも多くの遺伝子の発現に関わっており、創薬標的としては極めてハードルが高い分子だ。しかしMYCファミリー分子はRASと並んで多くのガンの原因となっていることが確認されている分子で、この機能を抑制できるとガンの治療可能性は一段と拡大する。今日紹介するボストン小児病院からの論文は、スーパーエンハンサー説としてYoungらが提唱しているメカニズムを標的として創薬に成功したとする面白い仕事だ。当然のことながらYoungも著者に名を連ねている。タイトルは「CDK7 inhibition supperss super-enhancer-linked oncogenic transcription in MYCN-driven cancer (CDK7はMYCNによりガン化した細胞のスーパーエンハンサーに関わるガン遺伝子の転写を抑制する)」で、11月20日号のCell に掲載された。研究の内容は極めて専門的で、どこまでうまく説明できるか心もとないが、重要な仕事でありなんとか紹介してみようと思っている。まず、タイトルにあるCDK7はDNAからRNAを転写するRNAポリメラーゼの特定の部分をリン酸化して、転写を開始させる働きがある。この機能を抑制すると、転写は全般的に低下するが、特に寿命の短いRNAの転写が強く影響を受け、抑制に選択性が現れる。神経芽腫でのMYCNもCDK7抑制で選択的に転写が抑制されるのではと期待して、神経芽腫のCDK7RNAをshRNAで抑制すると期待通り、MYCNの転写が下がり、細胞の増殖も抑制された。そこで、同じグループが開発していたCDK7と共有結合して機能を抑制するTHZ1を神経芽腫の培養に加えると増殖が止まる。特に、MYCNが増幅している腫瘍でより高い効果が得られ、嬉しいことに、マウスに神経芽腫を摂取してガンの抑制実験を行うと、副作用なく腫瘍細胞を殺すことができる。またこの効果のほとんどが、MYCNを間接的に抑制した結果であることも確認している。おそらくこの仕事は最初にこの薬剤の開発があり、その後このMYCN抑制の解析に進んだと思われる。創薬研究としてはかなり有望に見える。したがって、患者さんにとっての情報としては、ここまでで十分だろう。神経芽腫のほとんどは自然治癒するが、一部は今も治療法がない。この薬剤そのものでもいいし、さらに改良した後でもいいが、早期にCDK7に対する標的薬が副作用の少ない神経芽腫治療として利用できるようになることを願う。一方、なぜCDK7のようなあらゆる転写に関わる分子を標的とする薬剤が、MYCNの機能を選択的に抑制するように見えるのかは基礎的には重要な課題だ。この研究の後半は、このMYCNの転写、特に増幅したMYCNの転写がYoung達が提唱しているスーパーエンハンサーに依存していること、スーパーエンハンサーによる高いレベルの転写は、普通のエンハンサーの転写よりCDK7の抑制の影響を受けやすいことを示そうとしている。実際、MYCNは27番目のリジンがアセチル化したヒストンの密度が高いことから、スーパーエンハンサーに依存するガン遺伝子発現の典型かもしれない。しかし、これがCDK7抑制の効果をより強く受けるかどうかについては正直なところ説得力が弱いと思った。当然流行りの話を取り込んだ方が論文は通りやすい。しかし、メカニズムはともかくTHZ1は間違いなく患者さんの光明であることは確かだ。期待したい。
11月17日神経芽腫の犯人MYCNを抑制する新しい道(11月20日発行Cell誌掲載論文)
11月16日遺伝子検査の有効性を検証する(PlosOne11月号掲載論文)
YahooやDeNAが個人向け遺伝子サービスを始めた今年は、我が国のDTC (Direct to consumer:個人向けの遺伝子サービスをこのように表現している)元年と呼んでいいかもしれない。しかし、DTCに対しては様々な批判がある。ここでも紹介したが、年齢を重ねると遺伝的な傾向は生活習慣などで変化したエピジェネティックな傾向にマスクされてしまう。他にも、一般の人のゲノムに対する理解がどこまで進んでいるかもわからない。このため、DTCを商業的に提供することを規制すべきであるという声が様々な筋から聞こえてくる。しかし、はっきり言ってどちらの意見にも一理あり、結局議論を続けるしかないと思う。ただ大事なことは、議論を常に科学的土俵の上で行うという点だ。欧米では将来を見越して、DTCからリスクを知ることで私たちの生活態度が本当に変わるかどうかを調べるための臨床研究が行われ、論文も出始めている。例えば診断や治療について常に検証を怠らないコクラン財団ではすでに遺伝子診断に基づくアドバイスが生活習慣を改めさせられるか調べた研究を行い、効果がないと厳しい結論を出している。今日紹介するトロント大学からの論文は、コクラン財団の調査を踏まえた上で、自分の遺伝子を知ってアドバイスを受けた方が、知らずに一般的栄養指導を受けるより効果があるかどうか調べた研究で、11月号のPlosOne誌に掲載された。タイトルは、「Disclosure of genetic information and change in diet intake: A randomized controlled trial (遺伝情報の開示と食習慣の変化:無作為化比較研究)」だ。研究では呼びかけに応じた1600人ほどのボランティアの中から、最終的に様々な条件に適った157人を選び4種類の遺伝子検査を行っている。遺伝子は、カフェインを摂りすぎると心筋梗塞になる危険がある遺伝子、ビタミンC欠乏症に陥る遺伝子、糖分の摂りすぎになりやすい遺伝子、そして食塩を摂りすぎると高血圧になる遺伝子が選ばれているが、だいたいそれぞれの検査で50−70%の人がリスク遺伝子を持っている。この人たちを無作為に2群に分け、片方には遺伝検査の結果リスクがあることを知らせ、栄養指導を行い、もう一方には結果を知らせずに栄養指導を行い、1年間経過を観察し、食生活を変えるかどうか調べている。結果は、最初の3種類の遺伝子については遺伝子検査結果を教えたか否かにかかわらず、実際の食生活はどれもほとんど変わることはなかった。一方、食塩を摂りすぎると高血圧になりやすいACE遺伝子については、遺伝子検査の結果とリスクを知らせて指導すると、食塩摂取量を1日1.5g以下に制限した人が、遺伝子検査結果を知らせない場合より1.5倍ほど増加し、はっきりとした有意差が出たという結果だ。この結果は、心筋梗塞や、ビタミンC欠乏症のようなあまり身近でない病気については、諦めるのか、信用しないのか、指導を受けても食事生活を変えることはあまりない。一方、高血圧のような身近な病気だと、DTCが確かに効果があることを示している。これに習って、我が国でもDTCの効果について議論するとき、効果の検証をしっかり行い、エビデンスに基づいた議論が行われることを期待する。間違っても、有識者がエビデンスのない意見を押し付けるということはやめたほうがいい。一方、リスク管理に有効としてDTCを提供する側は、結果に応じて様々なアドバイスを提供できる体制を構築するよう努力することが必要だろう。さて私の意見だが、役に立つ、立たないを問わず、個人ゲノムを自分の意思で読むことが、21世紀では当たり前になると確信している。この観点から、是非議論を進めて、我が国でもDTCを根付かせるべきだと思っている。
11月15日:長寿の秘密はそう簡単に姿を現さない(11月号PlosOne掲載論文)
長寿が遺伝することを示唆する多くの論文がこれまで報告されている。ところがゲノム解析時代に入って100歳を超える長寿の人達のエクソームやゲノムの配列が決定され始めたが、期待に反して長寿に関わるとはっきり特定できた遺伝子はまだないようだ。今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、おそらく人間の寿命の限界に近い110歳以上の長寿者を調べれば遺伝子が特定できるのではという期待で始まったと思われる研究で、11月号のPlosOneに掲載された。タイトルは「Whole-genome sequencing of the world’s oldest peoplee (最も長寿の人達の全ゲノムシークエンス)」だ。世界には74人の110歳以上の高齢者が生きておられるようだが、そのうち17人がアメリカ在住だ。研究では、この方々から血液の提供を受け、全ゲノム配列を同じ場所を最低40回以上は繰り返して調べる精度で決定している。この中には1人だけアルツハイマー病の人が含まれているが、心臓病や糖尿の人は誰もいない。また、110を超えて生きるような人はカクシャクとしており、一人は103歳まで現役で仕事を続けており、また107歳まで運転をしていた人までいる。さて結果だが、残念ながら結局長寿と有意に相関する遺伝子変異は何も見つからなかったというのが結論だ。言ってみればこの論文は、膨大な失敗記録と言える。事実、相関がないということを結論することは簡単ではない。「うまくいかないのは、方法が間違っているからだ」とか「データは本当に正しく取られているのか」とかいくらでも文句がつけられる。このため、この論文には結局徒労に終わった様々な検討が正直に全て示されている。普通、ネガティブデータは論文にならない。しかし本当はこのようなネガティブデータも論文として残す価値が大きい。データベースに登録しておけばいいと考える人もいるだろうが、後で調べるとき、論文として残っているだけで格段に検索がしやすくなる。その意味で、このネガティブデータを論文として掲載したPlosOneには敬意を払う。何れにしても失敗の連続が正直に記録されている珍しい論文だ。例えば、長寿者とそれ以外とを比べても統計的には優位差がないが、それでも疑わしいと思える、呼吸のリズムを決める神経回路形成に関わるTSHZ3と呼ばれる遺伝子を探り出して、他のデータベースを加えた解析まで行って、その結果を示している。100歳以上の人ではアミノ酸の配列が変化する変異が4%に対し、一般のポピュレーションでは2.5%だ。ただし、有意差検定をすると統計的には両者に差がないことになる。他にも、今回対象となった人たちには心臓病の経歴は全くないのだが、一人だけ右心室肥大を伴う不整脈と密接に関係する変異を持っている。おそらく多くの遺伝子検査でこの変異は使われていると思うが、陽性となっても110まで生きている人もいると思えば安心できるだろう。多大な努力を払って調べた著者たちには申し訳ないが、やはり長寿の秘訣は日々の節制ということだろう。
11月14日:眠っているうちにタバコをやめる(J. Neuroscience12月号掲載論文)
実を言うと、私は大学入学以来長く喫煙を続け、この習慣から抜け出したのは京大分子遺伝に移って少ししてからだ。この時、ニコチンパッチを処方してもらって、やめるまで2ヶ月近くかかったと思う。今日紹介するイスラエル・ワイズマン研究所からの論文は、やめるのに苦労した私にとっては驚きの研究だ。タイトルは「Olfactory aversive conditioning during sleep reduces cigarette-smoking behavior (睡眠中に臭いの嫌悪条件付けを行うとタバコが減る)」だ。この論文を読んで最初の驚きは、この研究が神経科学の専門誌では格の高いJ.Neuroscience12月号に掲載されていることだ。確かにタバコの数が減ることは脳の問題だろうが、これを神経科学とみなしでいいのか少し戸惑う。ただJ.Neuroscienceは懐の深い雑誌であることは実感した。この研究は極めて単純な実験プロトコルで行われている。まず愛煙家を選び、これまでの喫煙歴、毎日の喫煙本数などを自己申告してもらう。次に、1週間の喫煙日記を付けてもらい、筋金入りの愛煙家であることを確認する。次に腐った魚の匂い、硫酸アンモニアの匂いを嗅がして、これを不快な臭いと判定するのかどうか確かめる。このような条件をくぐり抜けて残った愛煙家に、一度研究所に来てもらい、起きているとき、あるいは睡眠中にタバコの匂いと一緒に、不快な臭いを嗅がして条件付けを行う。この条件付けは1日で終了し、終了後もう一度条件付けに使った臭い匂いを実験前と同じように不快に感じているか確かめ、実験により感覚に対する身体的変化が起こっていないことを確認する。その後は帰宅させ、1週間喫煙日記を付けてもらって、喫煙本数を条件付け前と比べて実験は終了だ。この実験の詳細を読んで次に驚くのが、脳波を取りながら条件付けの臭いを嗅がす装置を鼻につけて本当に寝ることができるのかという疑問だ。写真が出ているが鼻の先からチューブが出ているのを見ると、まず私なら寝付けないなと思う。そして最後に驚くのが結果だ。まず、タバコの匂いと不快な臭いを睡眠中に同時に嗅がして条件付けを行うと、なんと次の週のタバコの本数が半分に減る。起きているときに同じ条件付けを行っても全く効果がない。さらに、寝ている時条件付けをするとタバコの本数は必ず減るようだが、熟睡しているときに嗅がしたほうがより大きな効果がある。あとは、タバコの匂いと、臭い匂いを同時に嗅がすのではなく別々に嗅がしたり、あるいはタバコの匂いを全く嗅がさない条件でタバコが減るかも調べている。しかし示されている実験のほとんどはコントロール実験で(もちろんコントロール実験が最も重要だが)、つまるところ寝ている時を狙ってタバコと臭い匂いを嗅がして条件付けをした時だけタバコが減るという結論だ。しかもタバコの本数は条件付けた次の日から、50%近く減っていのもまた驚きだ。思いついたら科学的に確かめて、結果が出たら論文にする根性には恐れ入った。しかし、こんな実験を思いつく責任著者は、愛煙家か、嫌煙家か一番気になる。
11月13日:ヒトゲノム解読は終わっていない(Nature オンライン版掲載論文)
これまで紹介してきたように、ヒトゲノムが解読できたおかげで、私たちは基準として参照できる下敷きを手に入れることができた。現在次世代シークエンサーで調べた個人ゲノム配列はこの下敷きの上に並べ直すことで一つのゲノム構造へと再構築されている。こうして再構築された何千人ものゲノムがデータベースに蓄えられ、新たに読まれた個人ゲノムの個別性が判断されている。この意味で、下敷きとなる基準ゲノムがどこまで完全かを理解しておかないと、様々な間違いが起こる。実際、基準を作る時に遺伝子を大腸菌の中で増幅しているが、大腸菌が嫌う配列はそれだけで取り除かれ、基準ゲノムには反映されないことになる。すなわち実際には完全な手本があるわけではない。さらに、現在使われている次世代シークエンサーにも読める長さが短いという限界がある。このような限界・不完全性のため、遺伝子の病気が疑われているのに、全ゲノム解析で原因遺伝子が特定できない場合は数多くある。このように、現在使われている基準やテクノロジーの不完全性について頭ではわかっているのだが、次世代シークエンサーから続々生まれる輝かしい結果を目にすると、この限界をすっかり忘れてしまっていた。今日紹介するワシントン大学からの論文は、PacBioという会社により開発された、さらに次の世代の一分子シークエンサーと呼ばれるシークエンサーを用いて、私たちが下敷きとして使っている基準の不完全性をはっきりと思い出させてくれる研究で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルは、「Resolving the complexity of the human genome using single-molecule sequencing (一分子シークエンサーを使ってヒトゲノムの複雑性を明らかにする)」だ。DNA一分子の配列をそのまま解読するということは、増幅が必要ないということで、現在の次世代シークエンサーより格段に長いDNA鎖を一気に読むことができる。論文を読むとなんと5000塩基対も読めるということで、現在のシークエンサーの読める長さの10−50倍になる。この研究では、母親の核が失われ、父親の遺伝子だけで異常発生してしまった胞状奇胎のDNAを調べている。このゲノムはほぼ精子のゲノムに等しいので、2本づつある染色体の片方だけ(ハプロタイプ)を調べることができる。あまりに専門的なので全て割愛するが、驚くべき結果で夢が覚めたというのが読後感だ。要するに、新しい技術を使わないと解読でないため、これまで全く検出されてこなかった遺伝子領域が20000箇所以上存在し、この中にはたんぱく質へと翻訳される遺伝子部位や、遺伝子の発現を調節している部分も多く含まれている。とすると、まず早急に下敷きとして使っている基準を改定する必要がある。この研究でこれまで繋がっていなかった部分を50箇所も埋めることができており、また40箇所についてはギャップの長さを短くできている。当面は、新しい機械で解析されるゲノムの数を増やすことが必要だろう。しかし、もう少し長い将来を見据えるなら、現在の次世代シークエンサーも、最終的に一分子シークエンサーで置き換えられるだろうと予想される。ただその時PacBioが笑っているかどうかはわからない。センサーになっている穴の中をDNAに通過させて塩基を読み取る方法の開発も進んでいる。10年先、研究室でどのシークエンサーが使われているかは予測できない。いずれにせよ、めまぐるしくイノベーションが進む分野は間違いなく将来性のある分野だ。とすると、我が国はこのイノベーションから取り残されてしまったのではと心配になる。
11月12日:信者に高い道徳を要求する宗教の維持に必要な条件(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
人間と神の関係が完全に非対称な一神教の誕生は、人類学の重要な課題だ。この基準を満たす一神教のうち信者が多い宗教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教になるが、ともにユダヤ教がルーツだ。では人間と神の位置が対称的な多神教から、完全に神が優位の非対称な関係を認めるユダヤ教が生まれるきっかけは一体何だったのだろうか。通説では、中東の砂漠地帯という厳しい自然の下で民族の団結を保つために、人間と完全非対称の関係に基づいて信者に道徳性を求める一神教が生まれてきたのではとされている。この通説の真偽を確かめることは難しそうだが、現在一神教を信じている社会がその信仰を維持し続けている共通性が明らかにできると、この通説を検証するための手がかりになる。今日紹介するワシントン大学からの論文を読んで、まさにこのような問題に科学的に取り組もうとしている研究者がいることを知って驚いた。論文は、信者に道徳性を要求する一神教を信じている集団とそれ以外の集団を比べ、共通の特徴がないかどうかを探った研究で、アメリカアカデミー紀要のオンライン版に掲載された。タイトルは「The ecology of religious beliefs.(宗教的信仰の生態学)」だ。研究では世界各地に散らばる583集団について、宗教、地理的環境、言語、生活様態などを詳しく調べ、道徳性を要求する一神教を信じている社会と相関する条件を統計学的に調べている。方法としては、極めてオーソドックスな文化人類学と言える。すでに一神教を信じる社会の条件として証明されている、農耕、共通の言語などに加えて、今回の解析から、1)家畜の利用、2)集団内の複雑な政治システム、3)食物や水を手にいれることの難しさなどが、一神教を信じる集団の条件として明らかになった。通説との関係でいうと、高い道徳を要求する一神教を信じる集団の多くは、気候変動など環境の変化が激しい場所に住んでいることがわかり、通説も一理あったと納得する。結局極めて常識的な結論が示されると、本当に500程度の集団の比較で結論していいかどうか、統計学的に問題ないことが強調されていても、正直なところ少し疑問を感じる。ただ。このような人間集団の精神的、社会的特徴を科学的に明らかにするという方向性は高く評価する。是非この論文一枚で調査を終えるのではなく、コホート研究として長期にこれらの集団を記録し、得られるビッグデータに基づいた研究へと発展することを願っている。もし通説のように「困った時の神頼みには、頼む側の道徳性を高める必要がある」なら、困難が社会経済的に克服された後は、「衣食たって礼節を知る」ための新しい道徳観が必要になる。
11月11日:白血病原因遺伝子の変異は発病以前に検出できる(Nature Medicineオンライン版掲載論文)
このホームページでも紹介したと思うが、長年働き続ける血液幹細胞には突然変異が積み重なっていることが知られている。しかし、明らかに白血病につながる突然変異がどの程度の正常人の血液に起こってくるのかについて詳しく調べられたことはなかった。今日紹介するワシントン大学からの論文はこの問題をなかなかうまいやりかたで調べた研究で、Nature Medicineオンライン版に掲載されている。タイトルは、「Age-related mutations associated with clonal hematopietic expansion and malignancies (年齢と相関して起こる、血液細胞の増殖や悪性化に関連する突然変異)」だ。私がうまいやりかたと言ったのは、この研究で使った血液ゲノムデータのことだ。現在がんのエクソーム解析を系統的に進めるThe Cancer Genome Atlasというプロジェクトが世界中の多くの研究室が参加して進んでいる。この時がんのゲノムと比べる正常組織としてもっとも普通に使われるのが血液細胞で、がん患者さんのデータベースにはガンのエクソームとともに血液細胞のエクソーム解析が公開されている。がんの患者さんの血液とはいっても、血液に悪性細胞がないことが臨床的に確認されている。従って正常に見える細胞にどのような変異が起こっているのか調べるには格好の材料だ。この研究では、公開データベースからなんと2700人を超す人の血液ゲノムを手に入れることができており、まさに着眼点が全ての仕事と言っていいだろう。とは言え白血病の発症と老化を考えるヒントになる重要な結果が示されており、私にとっては大いに勉強になった。まず、臨床的に白血病になる前から、血液には多くの突然変異が蓄積しており、その中には白血病の原因として特定されているのと同じ突然変異が見つかる。驚くべきことに、このような変異は調べた中の2%の人で見つかり、変異が見つかった人では、血液細胞のかなり部分が同じ変異を持っている(場合によっては半分以上の血液が同じ変異を持っていることまで示されている)。おそらく、これらの変異によってより幹細胞の増殖力が高まり、正常細胞を押しのけて勢力を広げている段階だと言える。また、このような白血病と同じ変異を持っている確率は高齢になるに従って高まり、70歳以上ではなんと5−6%の人の血液に白血病の原因になる変異が見つかる。従って、白血病が発症する前から、かなりの人がその予備軍として変異を持っていることを示している。私自身がとりわけ感心したのは、白血病発症以前に見つかる遺伝子変異がこれまで特定されたに白血病の原因遺伝子にランダムに分布しているのではなく、その8割以上が限られた遺伝子に集中していること、及びこれらの遺伝子のほとんどがJAK2を除いて、遺伝子発現の調節、特にエピジェネティックな機能に関わる分子をコードしている点だ。これが正しいとすると、白血病が発症するためには、ただランダムに変異が積み重なってもダメで、まず染色体構造を変化させる変異が起こり、増殖能が少し高まって少しづつ正常クローンを駆逐していく中で、2次的な他の突然変異が付け加わって白血病に至ると想像される。この研究で2次的とされ、白血病発症以前の血液には全く見つけることができない変異の中には、私自身が絶対白血病のドライバー変異だろうと思っていたFlt3,Wnt1, n-rasなどのシグナル分子が存在しているのも驚きだ。専門的なので割愛するが、リストされた遺伝子変異は専門家から見ると実に興味深い。今後このようなケースから白血病が発症するまで追跡が行われれば私たちの白血病に対する理解は一段と深まると思う。そして今後ゲノム検査が当たり前になれば、おそらく発ガンリスクの判定にこのようなエクソーム検査が使われるようになるだろう。血液を研究してきた者にとっては学ぶところの多い論文だった。しかし、もし血液細胞にこれほど変異が多いとすると、がんのエクソーム検査に簡単に血液を使うのも気をつけたほうがいいと警告も発している。国際コンソーシアムも、この点についてはぜひ早急に対応策を示してほしいと思う。この研究はゲノム時代に本当に必要なのは問題設定と、情報処理であることを示す典型だ。我が国にもデータベースサーフィンから従来型の研究者を驚かせる若いインフォーマティシアンが出現するのを期待する。
11月10日:腸内細菌叢と種の進化の同調(アメリカアカデミー紀要オンライン版掲載論文)
便の話が続いて申し訳ないと思うが、まさに腸内細菌叢分野は百花繚乱の相を示していて、多くの研究者が自由な発想で便と取り組んでいるのを見ると、どうしても紹介したくなる。今日は、人類の進化と腸内細菌叢の変化が相関するかどうか調べたテキサス大学からの研究で、アメリカアカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Rapid changes in the gut microbiome during human evokution(人類進化過程で起こった腸内細菌叢の急速な変化)」だ。要するに、現存の人類、チンパンジー、ボノボ、ゴリラの腸内細菌叢を比べただけの仕事と言えるが、やってみようと思ったところが恐れ入る。もちろん動物園から便を調達するといった安直な研究ではない。チンパンジーとボノボの便はコンゴで、ゴリラの便はカメルーンで採取している。さらに人類代表として、アメリカ合衆国市民とともに、アフリカ・マラウィ共和国の田舎の住人(といっても想像はつかないが)、ベネゼラ熱帯林の原住民、ヨーロッパの都市住人、そしてアフリカ・タンザニアの狩猟民族から、それぞれ30−300人ずつの便を集めている。ともかくこの執念には感心する。結論から言うと、それぞれの腸内細菌叢を構成する細菌の種類は人からゴリラまで基本的には保存されている。違うのは、その構成比で、動物脂肪の多い食事をとると増えてくるBacterioidesが5倍以上になる。一方、食物繊維を処理する古細菌の種類は大きく減少する。詳細は割愛するが、同じように類人猿も、まずゴリラとボノボ・チンパンジーに分かれ、その後チンパンジーとボノボが分岐する系統樹を、腸内細菌からも書くことができる。この変化は全て食性の変化と片付けられてきたが、このような変化をプロットしてみると、実際にはゲノム系統樹から計算できる時間とよく相関している。ただ、人間の間の多様性は猿と比べると大きくなり始めており、これまでとは違うルールで多様化し始めているようだ。特に一人一人の個人の腸内細菌叢の種類を数えてみると、野生の類人猿の平均が85種類なのに対して、ベネゼラ熱帯雨林では70、マラウィの田舎では60、そしてアメリカ人では55というように、共存するバクテリアの数が低下の一途を辿っているようだ。話はこれだけだが、環境より進化の時間に細菌叢の構成が相関しているというのは驚きだ。しかし人間の腸内細菌叢はどうなっていくのだろう。これから様々な操作が行われるだろう。その結果が個人の腸内細菌叢の多様性を増大させる方向に行くのか、あるいは更に減る方向に進むのだろうか。ひょっとしたらゼロになった時がウンの尽きかもしれない。
11月9日:遺伝的体質が腸内細菌叢の組成に影響する:双生児を用いた研究(11月6日号Cell掲載論文)
腸内細菌叢の研究分野が急速に進展しているのを最近つくづく感じる。このホームページでも、多くの研究を紹介してきた。だだこの論文を読むまで、腸内細菌叢に私たち自身の遺伝的体質が大きな影響を及ぼす可能性は考えたこともなかった。なぜなら、これまでの研究で腸内細菌叢は生活環境に影響されることがわかっているし、その構成もちょっとしたきっかけで変化しやすい。また昨年の9月9日紹介した論文では、同じ家族で育った一卵性双生児の中に片方が肥満、片方は正常という稀な組み合わせを探し出して、遺伝的に同じホストからの細菌叢も大きく構成が変化しており、肥満防止効果も全く違っていることを示していた。今日紹介するコーネル大学からの論文も双生児を用いた研究だが、一卵性と、2卵性の双生児、及び双生児以外の間で腸内細菌叢を調べることにより、遺伝的体質が腸内細菌叢の構成に大きな役割を果たしていることを示す研究だ。タイトルは「Human Genetics shape the gut microbiome(ヒトの遺伝体質が腸内細菌叢の構成を方向付ける)」で、11月6日号のCellに掲載された。研究ではまず、一卵性双生児171ペア、2卵生双生児245ペア、98人のコントロールペアの便を経時的に集め、腸内細菌叢の細菌構成を調べて、ペア同士で比較して類似性を計算している。結果は、血縁がないペアより双生児ペア、2卵生双生児ペアより、1卵生双生児ペアの細菌叢構成が類似している。もちろん類似しているのはペア同士間の話で、双生児だから特定のパターンになるわけではない。また、対象は23歳から86歳までのペアで、調べたほとんどのペアは別々に生活している。したがって、この類似性は遺伝的体質を反映している可能性が高い。遺伝的体質がすべての細菌に影響するとは考えにくいので、大きく影響される特定の細菌種があるはずだと狙いを定め、最終的にChristensenellaceaeと呼ばれる最近特定されたばかりの細菌種がもっとも遺伝的体質に影響されることを突き止めた。この細菌は短鎖脂肪酸を合成して、その結果体重上昇を防ぐことで現在注目されている。確かにこの細菌種が多いホストペアは、おそらく短鎖脂肪酸の合成によるのだろう、痩せる傾向がある。事実、この実験でもこの細菌種を多く含む細菌叢を腸内移植すると、無菌マウスの肥満を防止できる。最後に、Christensenellaceaeを含まない、移植により肥満を誘導する便にChristensenellacaeを加えると、マウスが痩せるようになるという驚くべき結果を示している。この結果から得られるシナリオは、1)遺伝体質はChristensenellaceaeの比率を決める、2)この細菌の比率により腸内細菌叢全体の構成が影響される、3)この細菌はおそらく短鎖脂肪酸の合成を通して肥満を防ぐ、ということになる。とすると、これまで体質と相関するとしてきた肥満の中には、直接脂肪代謝と関わるのではなく、細菌叢を変化させることによる間接効果も存在することになる。残念ながらこの研究ではChristensenellacaeの比率と相関する遺伝体質の特定には至っていない。ただ、後からChristensenellacaeを加えても肥満が抑えられるなら、この細菌をカプセルに入れたり、あるいはヨーグルトに入れて肥満を防ぐ日が来るかもしれない。
11月8日:最古の現代人ゲノム(10月23日号Nature掲載論文)
これまで旧石器時代人のゲノムというとネアンデルタール人研究を紹介してきたが、もちろん私たちの祖先の旧石器時代人の骨もゲノム研究の重要な対象として研究が行われている。特に、ネアンデルタール人のゲノムの断片がヨーロッパ、アジア、アメリカ人に発見され、我々の先祖とネアンデルタール人が交雑していたことが明らかになったことで、ネアンデルタール人が地球上に存在していた時期に生きていた私たちの祖先のゲノム情報を知ることの重要性が増していた。今日紹介するドイツからの論文は、ネアンデルタール人ゲノム解読の立役者ペーボさんたちが10月23日号のNatureに発表したもので、シベリアで見つかった45000年前の私たちの祖先の全ゲノムを解読した研究だ。タイトルは「Genome sequence of 45000-year-old modern human from western Siberia (西シベリアの45000年前の現代人のゲノム)」だ。おそらく、ペーボさんのところには多くの考古学者からの相談が来るのだろう。経験も豊富だからゲノム解読もスピードアップしているようだ。今回解析された骨は2008年に発見されているが、この骨からDNAが採取され、すでに全ゲノムを40回繰り返して解読できているのに驚く。また、DNAだけでなく、例えば骨のコラーゲンの分析や骨格の検討などかなり総合に行われており、45000年前の先祖が植物、肉、そして淡水魚を食していたことまで知ることができる。論文の書き方も、私たち素人の読者についても配慮がされており、以前より大変読みやすくなっている。若い研究者は関係ないと毛嫌いしないでぜひ読んで欲しいと思う。では、ゲノムからどんなことがわかるのだろう。まず、ゲノムの主は男性で、ミトコンドリア、Y染色体からわかるタイプは、それぞれRハプログループ、Kハプログループと、現在ユーラシアに広く見られるタイプと同じで、確かに現代人の祖先だ。この体細胞ゲノムを、922人の様々な人種のゲノムと比べると、アフリカ人とはもっとも離れている。次に、現代ヨーロッパ人とアジア人で比べると、なんと東アジアの現代人に近く、現代のヨーロッパ人とは遠い。面白いことに、有名なアイスマンなど、8000年以上前のヨーロッパ人とはアジア人と同じぐらい近い。これらの結果から考えられるのは、このゲノムの祖先は、アフリカから北に中東を通ってヨーロッパ、アジアに広がったグループで、ヨーロッパに移動した同じグループはおそらく他の時代に北に移動したグループに征服されてしまったようだ。もちろん誰もがもっとも興味のあるネアンデルタール人との交雑についても調べている。これだけ古い骨だと、ネアンデルタールとの交雑はこのゲノムの持ち主が生きていた時代より後の出来事だったという可能性もある。実際には、現代人のゲノムの2%ほどがネアンデルタール人のゲノム由来である。とするとネアンデルタールとの交雑は45000年より前に起こっていたようだ。さらに、ネアンデルタール人から流入しているゲノムの割合は現代人とさほど変わらないが、ゲノムに残っているネアンデルタールのゲノムの断片の長さは我々現代人で見られる断片より2−4倍も長い。ここから計算すると、ネアンデルタールとの交雑はおそらく200世代遡って、6万年から5万年前に行われた可能性が高い。我々の先祖がアフリカ、中東をへて、西アジアに到達した時交雑が起こったと考えられる。新しいゲノム論文が出るたびに、私たちの先祖の行動が明らかになる。ゲノムがまさに歴史書としての役割を果たしている。しかし正直、こんなことを知る日が来るとは思わなかった。