2014年12月30日
自己分析すると、理系志向と文系志向のバランスが常に揺れ動いていた気がする。学生時代、文系志向が強くなると、不思議と精神科に行こうという気持ちが高まって、様々な精神疾患に関する多くの古典を読んだ。ただ古典が書かれた時代には向精神薬などはほとんどなく、治療戦略は患者さんとの会話を通して病気の原因を探り、それを自覚させて直すという、ロマン溢れたものだった。ただ、臨床実習が始まると、実際の治療現場では患者さんの数があまりに多く、向精神薬を中心とする治療が中心になり、患者さんと相対して時間をかけて治療の糸口を探るといった古典的ロマンを追求することができないことはすぐ理解できた。そんな時理系志向が強まると、病理学に行きたいなど考えたこともあったが、結局どちらも選ばず現実的な進路を選んで今に至っている。このように自分自身の事でも、時々の行動を説明することは難しい。このような揺れ動く気持ちの中で高いモチベーションが発揮されてしまう深刻な例が自殺だろう。揺れ動く気持ちの中で自殺を選ぶというモチベーションの必要な決断をなぜ下したのかについての、真実を知ることは難しい。この問題は科学から程遠いなどと思っていたら、以外と神経生理学的探求が考える枠組みを提供できるという総説論文に出会った。少しマニアックかもしれないが、是非紹介したい。ドイツ マグデブルグ大学からの論文で、タイトルは「Dual serotonergic signals: a key to understanding paradoxicall effects ? (セロトニンシグナルの2面性:セロトニンの矛盾する効果を理解する鍵になるか?)で、Trends in Cognitive Scienceのオンライン版に掲載されている。私もほとんど知らなかったが、現在最も使われている抗うつ剤、セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)は、投与初期と後期で逆の作用があり、初期には時に自殺願望や自傷行為を高めてしまい抗うつ剤としてほとんど失格なのに、投与を続けると副作用の少ない優れた抗うつ剤として利用できるという2面性があるようだ。この総説はこの2面性を説明する神経生理学的仮説を提案する論文で、新しい実験結果を示した論文ではない。この仮説の理解には幾つかの知識が必要だ。まず、セロトニンを分泌する神経細胞は脳幹にある縫線核と呼ばれる部位に集中して存在し、脳内の様々な場所にセロトニンを供給することで多彩な機能を示す。うつ病の多くはこのセロトニン分泌が低下している。ただ、セロトニンは特別なトランスポーターによりもう一度細胞内に取り込まれることで、刺激を低下させている。この再取り込みを抑制するのがSSRIで、これによりセロトニンの細胞外濃度が上昇する。セロトニンを分泌する神経細胞自身にもセロトニン反応性の受容体が出ており、自分の分泌したセロトニンの刺激で、セロトニン分泌を低下させ、刺激が過剰にならないようにしている。これに加えて、細胞外のセロトニン濃度が高値で維持されると、受容体自体の感受性が低下する仕組みが存在し(脱感作という)、刺激が過剰にならないようにしている。この基礎知識を頭に入れて、次に著者らの仮説を見てみよう。
この仮説は、セロトニンを分泌する同じ細胞がもう一つの神経伝達因子グルタミン酸を分泌し、異なる機能を担っているという発見に基づいて考えられている。セロトニン分泌神経でのセロトニン再取り込みを抑制すると、細胞外のセロトニン濃度は高まる。これにより、抗うつ作用が働き何かをしようとするモチベーションは上がる。しかし、セロトニン分泌細胞はセロトニンにより興奮が抑えられる。このため、同じ細胞の分泌するグルタミン酸の分泌だけが低下した状態が生まれる。この結果、グルタミン酸によって調節されていた喜びの気持ちを通した行動報償系の機能は逆に低下する。ただ時間が経つと、セロトニンが高濃度に維持されることで誘導される受容体の脱感作が完成し、神経興奮は元に戻り、セロトニンとグルタミン酸のバランスも回復する。この結果、SSRIは投与を続けていくと優れた抗うつ剤として安心して使えるという仮説だ。要するに、SSRI投与初期にはセロトニンとグルタミン酸分泌のバランスが壊れ、報われない気持ちを強く感じる一方、行動へのモチベーションが上がっているため、自殺する可能性が上がる心配があるが、分泌細胞自身のセロトニン受容体が脱感作されると、両方の分泌量のバランスが回復し、また感情のバランスが回復して鬱状態から脱することができるという仮説だ。もちろん仮説だけでなく、それを支持する様々な研究結果が引用されている。この仮説も最近神経科学分野を席巻している光遺伝学からの成果から多くを学んでいることもよくわかり、私自身には大変勉強になった。
しかし、一種類の神経がモチベーションと、報われる喜びをバランスよく調節しているのは驚きだ。それを人為的に少しでも壊すとしっぺ返しがくる。これは重要な教訓だが、自殺のような複雑な感情も神経細胞学を通すと、違った角度から新しく整理できることもわかった。しかし、実際の臨床ではこの危険についてどこまで患者さんに理解させているのだろう。ましてや、服用を中断してまた再開したりするのは危険だろう。一度実態を調べてみようと思っている。
2014年12月29日
昨日紹介した、ヒト多能性幹細胞から始原生殖細胞を誘導する方法の開発は、再生医学にとって重要な一ページを刻んだ研究だと思う。同じ号のCell誌には、再生医学に大きな貢献を果たす可能性のあるもう一つの論文がオランダのユトレヒト大学だら報告された。タイトルは「Long-term culture of genome-stable bipotent stem cells from adult human liver (成人の肝臓から肝細胞と胆管細胞の両方に分化可能な幹細胞の遺伝的に安定な長期培養)」だ。要するに、大人の肝臓細胞を長期間培養して、そこから肝臓や胆管細胞を誘導して再生医学に使える方法が開発できたという報告だ。研究を行ったHans Cleversは、内胚葉の組織幹細胞研究の第一人者で、現慶応大学の佐藤さんが在籍中、Lgr5と呼ばれるR-spondin受容体を発現している腸管幹細胞の長期培養法を開発して、多能性幹細胞やリプログラム万能の風潮に一石を投じて脚光を浴びた。当時から会議で会うと、あらゆる内胚葉系の幹細胞は、Lgr5を発現しておれば培養できるようになると豪語していたが、今回ヒトの肝臓細胞のLgr5養成細胞の長期培養に成功した。彼らがこれまで開発した肝臓Lgr5陽性細胞培養法はたかだか2−3週間の培養が精一杯だった。この研究では、従来のWntシグナル経路刺激を中心とした培養に、増殖抑制を誘導する可能性のあるTGFβを阻害する科学化合物A8301とcAMP経路を刺激するフォルスコリンをさらに添加して立体培養を行うと、ヒト肝臓のバイオプシーサンプルから60時間に1回分裂を安定的に繰り返す幹細胞を培養できることを示している。次に増殖細胞の由来について調べて、増殖している細胞が、胆管に存在する幹細胞で、これまで肝臓の幹細胞として研究されてきた星細胞などではないことを示している。実際、胆管幹細胞が単一細胞から培養できることは横浜市大の谷口さんたちがマウスではずいぶん昔に示していたが、同じ細胞だと思う。この研究は特にこの培養の遺伝的安定性を強調して、培養中に遺伝子変異が起こることが現在の技術では避けられないヒトES細胞やiPSと比べて、再生医学応用の面で安全性が高いことを示している。事実、単一細胞からクローン培養を行い3ヶ月後に行ったゲノム配列の決定から、培養で起こる変異が体の中ですでに起こっている変異の10分の1以下で、100個程度しかないことを示しており、遺伝的安定性の点では体の中に存在する細胞と全く変わりはない。これは再生医学の利用という面からは組織幹細胞が最終的に有利だとするHansの信念を表現したものだろう。さて、この方法でほぼ無限に培養できる胆管幹細胞は、さらにNotch阻害剤、FGF9、BMP7などを加えると試験管内で成熟した肝細胞に分化し、アルブミンを作り、アンモニアを処理することができる。また、幹細胞への分化誘導をかけずに肝臓が障害されたマウスに投与すると、そのまま肝細胞へと分化し、2ヶ月以上アルブミンを体内で作り続ける能力があることから、十分再生医療に利用できる。最後に、多能性幹細胞の長所として強調されている疾患モデルについても、突然変異を持つ患者さんからバイオプシーを行うことで、肝臓細胞や胆管細胞の疾患モデルを構築できることも示している。論文を読むと、内胚葉組織細胞にかけるHansの強い気持ちが伝わってくる。iPSの報告以降、これに対抗するため同じような主張は様々な組織幹細胞の研究が行われてきたが、なるほどと高い説得力のある完璧な実験でそれを示せた研究者はHansを含めて限られている。皮膚などと同じで、肝臓については組織幹細胞が利用できることが明らかになった。今後再生医学の観点からどの細胞が用いられるかを決めるのは、大量培養のためのスピードとコストだろう。現在我が国で進んでいる網膜色素細胞やドーパミンニューロンを移植する治療と比べると、肝細胞を補充する再生医療は細胞数が2桁以上多いため、時間がかかると考えていた。しかし、今この技術があれば救える病気は存在している。例えば、アンモニア代謝経路に突然変異を持つ新生児の治療には肝臓移植が必要だが、大人の肝臓は大きすぎるため、移植まで成長を待つ必要がある。待っている間アンモニアによる脳障害を防ぐ必要があるが、この移植までの期間を肝臓細胞移植で乗り越えられないか我が国でも研究が進んでいた。このような疾患に対する最初の再生医療がどの細胞を用いて行われるのか競争が始まった気がする。おそらくハンスの方法が一番乗りを果たすような気がする。
2014年12月28日
ヒトES細胞はヒト胚から誘導する必要があり、生殖補助医療の過程で作成された胚を提供してもらわなければならない。我が国ではこの研究に関する指針の見直しが行われるまで、すべての計画を文科省の専門委員会で審査していた。そこにヒト胚を使わない山中iPSが登場し、多能性幹細胞を指針による審査を経ずに自由に研究することが可能になった。しかし私が座長をしていた当時の委員の多くが懸念したのが、ヒトiPSから精子や卵子が作成され、試験管の中で体細胞から胚が作成されることだ。特に我が国では京大の斎藤さんを始め、この分野に世界をリードする研究者が多い。しかし、彼らの研究の進展を阻害しないよう考えることも重要だ。結局、基本的には研究の進展を注意深く見守ることになったが、もう一度議論を始める節目としては、始原生殖細胞が試験管内で誘導された時点だろうと考えた。今日紹介するケンブリッジ大学Surani研究室からの論文は、ついにヒト多能性幹細胞から始原生殖細胞を誘導する方法が開発できたことを報告している。タイトルは、「Sox17 is a critical specifier of human primordiall germ cell fate(Sox17はヒト始原生殖細胞への運命決定に決定的な役割を果たす)」だ。筆頭著者はNaoko Irieとあるので、ひょっとしたら慶応の松尾さんのところで研究していた入江さんかもしれない。研究ではNanosと呼ばれる遺伝子を標識し、始原生殖細胞(PGC)の出現をモニターできるようにしてPGCの誘導条件を調べている。結局わかったのは、普通のES細胞からは誘導が難しいが、昨年ここでも紹介したJacob Hanaの方法を使って培養した多能性細胞(http://aasj.jp/news/watch/664)を使うと培養4−5日目をピークにNanos養成細胞が誘導できる点だ。この研究の半分は、この培養法を開発できたところで完成したと思う。あとは、本当にPGCか?誘導に必要な分子メカニズムは?に関する実験が着々と進められている。胎児生殖臓器にある生殖細胞や、精巣がんなどとの比較から、十分PGCと結論できそうだが、ここは慎重にPGC様細胞と名付けている。この論文では、この分化課程を追求するとき、CD38と呼ばれる表面抗原が特異的マーカーとして利用できることを示しており、これは重要な発見だ。このおかげで、どの研究室でもアルカリフォスファターゼとCD38を用いて、PGC誘導をモニターできる。最後に分化誘導メカニズムだが、これは正直驚きの結果だった。マウスで内胚葉誘導に関わることが知られているSox17が、ヒトでは多能性幹細胞段階からPGCへの初期運命決定にかかわっているという予想もつかなかった発見が示されている。この分子がBLIMP1と呼ばれる生殖細胞を他の系列から分ける転写因子の上流で働いていることも、遺伝子ノックアウトES細胞を用いた実験で明らかにしている。このように最初の段階が、その鍵となる分子も含めて明らかになることで、おそらくこの分野は大きく進展するだろう。この研究のおかげで、マウスとヒトでは使われる分子のレパートリーが大きく違うこともよくわかった。マウスで研究を行えばいいという暴論はもう出ないだろう。次は、実際の生殖細胞の誘導だが、我が国の特定胚・ヒトES細胞研究小委員会の議論はどの方向に進むのか、明らかに重要な節目に差し掛かったと思う。しかし、Suraniさんは今も優秀な日本人研究者を育ててくれているようだ。
2014年12月27日
先日MYCODEの遺伝子診断の結果が返ってきた。気になるガンについてリスクを調べると、基底細胞癌リスクが2倍以上と高値だ。あとは、ユーイング腫瘍と、慢性リンパ性白血病が平均より高いリスクだった。この3腫瘍のうちでユーイング腫瘍は遥か昔に発生年齢を超えているし、皮膚ガンの方もまあ命に関わるほどではない。最後の慢性リンパ性白血病は私たちの世代に多い疾患なので少しは気になる。一方私自身はバレット症候群とすでに診断されているが、遺伝子診断からの食道がんリスクは正常集団に入っている。当然のことだが、ガン体質をゲノムだけから予測するのはそう簡単ではない。さらに、私のように65を越えると、生活習慣からくるエピジェネティックな影響が大きいため、遺伝子検査の意味が薄まってしまっている。とはいえ、集団の中の自分の位置がわかること、また65を超えていたとしても、リスクが高いと指摘された疾患を気にとめるようになるのは悪いことではない。次はぜひ全ゲノムを調べてみようと考えている。しかし、全ゲノムとなるとそこに何が書かれているか理解することの方が問題だ。現時点でゲノムデータからどの程度のことが言えるのか?この問題を調べたのが今日紹介するテキサス大学内科からの論文で、フリーアクセス可能なEbioMedicine誌に掲載されている。タイトルは」Whole genome sequencing for diagnosis and discovery in the cancer genetic clinic(ガン遺伝子診療部門での診断とガンの発見に全ゲノム解析は使えるか)」だ。この研究はがん細胞のゲノム解析ではなく、生まれついてのゲノムの解析からガンの危険性についてどれだけ理解できるかを確かめようとしている。研究では家族にガンの患者さんがいるので、自分のガンとの関わりを知りたいと大学のガン遺伝子相談室を訪れた患者さんのうち、乳ガンや卵巣ガンの原因となることがわかっているBRCA1.BRCA2遺伝子に突然変異のある患者さん176名、この2つの遺伝子は正常と診断されたガン患者さん82名の全ゲノム配列を決定し、現時点で遺伝子相談にどの程度使えるかを検討している。将来の外来診療というセッティングを考え、塩基配列決定や情報解析はテキサス大学で行わず、基本的に外注している。ただ、予想された通り、データが膨大すぎて結果をまとめるのは簡単でない。塩基配列は全ゲノムについて行っているが、結局この研究ではタンパク質に翻訳されるエクソーム部分に限って調べている。まずわかるのは、現在外注で得られるゲノム解析の精度はまずまずで、すでに確認されているBraca1/2の突然変異をほぼ9割完全に診断している。残りの1割についても、正確な変異の特定には失敗しているが、異常ありと判定できているので、見落としの確率は低そうだ。一方この二つの遺伝子に異常がないとされているグループでも、これまで知られていないBrca遺伝子変異が見つかる。ただ、見つかった変異が機能阻害につながるかどうかは研究が必要だ。次にアミノ酸変化を伴う突然変異となると膨大な数に上り、これまで開発された様々な解析ソフトを使っても、それぞれの意味を解析することは現時点では不可能に近い。したがって遺伝子相談で説明するには、これまでの研究でガンとの関係が明らかにされている遺伝子に解析を絞るしかないことがわかる。それでも、平均6−7個の遺伝子で変異が見つかる。そしてそれぞれの変異の持つ意味については患者さんに説明できるほど理解が進んでいない。この意味で、今後外来レベルでアラートが出るようなユーザーに優しい解析ソフトの開発が急がれる。最後に、ガンの発生には遺伝子の活性が上昇する突然変異を伴うことが多いが、活性化につながることがわかっている突然変異は限られている。一方、乳ガンを引き起こすBrca遺伝子変異は機能欠損型だが、機能の失われる突然変異は診断がつけやすい。このため、患者さんに正しい情報を伝えるという点からは、機能が失われる突然変異に絞って説明する方が良いことも示唆している。実際一人当たり2個弱の遺伝子変異については臨床的に理解可能で、指導に利用できる。他にも、ガンだけでなく他の病気に関わる変異が約10%の人に見られる。これも遺伝子相談にとっては重要なデータになる。結局、現時点で全ゲノム配列を調べても、ガンのリスクを予想するには私たちの知識が足りないことを示す結果になっているが、かといってゲノムを調べても意味がないという結果でもない中途半端な結論に終わっている。コストにもよるが、私自身は自分を知るという点でゲノムは欠かすことのないデータだと思っている。もちろんこれまでも、これからもゲノム研究は私たちの健康や病気の理解・診断・治療に役に立つ。しかし、21世紀は「役に立つ」を超えたところにゲノムを位置付けることから始めるべきだと確信している。
2014年12月26日
昨日はiPadを取り上げたので、今日はスマフォを取り上げる。iPhoneが出たばかりの頃、これは日本で普及しないのではと思った。というのも、当時の若い世代が片手でしかもブラインドで、携帯電話の小さなキーボードをあやつり、高速で文字を入力している姿を目の当たりにすると、少なくとも我が国の次世代は、この入力スタイルから離れられないのではと想像したからだ。しかしこれは私の取り越し苦労だった。もはや電車の中で見る高校生の多くには同じ文字入力文化を見ることはできない。今やスピードの差こそあるものの、電車に乗ると周りの半分以上がスマートフォン片手に何かに熱中する姿を見ることができる。今日紹介するスイス・チューリッヒ工科大学からの論文は、この新しい文化が私たちの脳をどう変えているのか検証した研究だ。タイトルは「Use-dependent cortical processing from fingertip in touchscreen phone user(スマートフォンのヘビーユーザーにみられる指先に対応する脳変化)」だ。おそらくこの論文の著者は、タッチスクリーンを親指で熱心に操作するスマフォのユーザーを見て、弦楽器奏者の指の早い動きを想像したのだろう。これまで弦楽器奏者で調べられていた指の訓練による脳皮質の再構成が、スマフォユーザーにも見られるのではと思いついた。そこで、スマフォ利用者37名、携帯電話11名に頼んで脳波図検査を受けてもらい、それぞれの指に2msの刺激を与え、脳の反応を調べている。実験は極めて単純だ。それぞれの被験者には前もって、検査前10日間どの程度のスマフォを使っていたのか申告してもらう。検査前にはスマフォのログからそれ以前の100時間どれだけ頻繁に使っていたのか、最後にスマフォを使っていた時から検査までに経過した時間などを調査し、脳変化との相関を調べている。さて結果だが、予想通り、スマフォを使っていると親指だけでなく、人差し指、中指まで、刺激に対して敏感になっている。ただ、この反応性は何年スマフォを使っていたかより、検査前100時間にスマフォを使っていたかと相関し、検査前最後に使った時からの時間に逆相関することがわかった。また、2本の指に刺激を加えて反応性の鈍化を見る方法で、スマフォユーザーでは親指と人差し指の統合性が高いことも示している。いずれにせよこの研究からの結論は、直近の使い方で指刺激に対する脳の反応性が決まるということで、まだ完全に脳がスマフォ親指に合わせて再構成しているわけではないという結果だ。使い始めてからの長さに相関しないというのは意外だが、スマフォが普及して短いことを考えると、弦楽器奏者のように本当の訓練で脳回路を変化させているのとは全く違うようだ。しかし、今後何年も経って、スマフォ入力チャンピオンなどが出て来れば、この実験もまた違う結果が出るような気がする。いずれにせよ、思いついたことはやって見て論文にするという熱意には感心する。
2014年12月25日
5−6年ほど前からeBook readerを使い出しているが、今はこれ無しの生活は考えられないぐらいだ。まず軽い。私はKindleを使っているが、本より軽いと言っていいだろう。また何百冊もの本を同時に持ち歩ける。気分や場所に応じて違う本を読みたい私のような人間に理想的な読書環境を実現してくれている。また、英和辞書が内蔵されており、英語の本を読むとき辞書を調べる手間が省ける。英語の本でよければレパートリーも広く、古典はほとんど無料でダウンロードできる。新刊でもかなり安価だ。さらに、iPadやPCと比べた時、初代のKindleはバックライトがなく目に優しい。新しいバージョンのKindleはバックライトがあるが、それでも強くはなくちょうどいい加減だ。さらに、字の大きさを変えられるのも年寄りにとっては素晴らしい。書き出せばきりがないが、ブックリーダーは年寄りの友達になること間違い無い。そんな私の気持ちを逆撫でするような論文がアメリカアカデミー紀要に掲載されていたので読んでみた。ハーバード大学からの論文で、タイトルは「Evening use of light-emitting eReader negatively affects sleep, circadian timing, and next-morning alertnesss(光を出すブックリーダーを夜使うと、睡眠、概日リズム、寝起きに悪い影響がある)」だ。私にとってはタイトルを見ただけで不快な気持ちになる。研究では12人のボランティアの若者(おそらく学生だろう)を14日間病院(?)に入ってもらって、決まった環境で生活してもらう。昼は特に管理を受けないが、6時からは4時間毎日iPadか通常の本を読んでもらい、眠りに対する影響を比べている。眠りは主観的な要素が大きく、客観的に調べることは難しいが、この研究では自覚症状に加えて、メラトニン濃度を測って概日リズムを調べ、また睡眠中の脳波を調べて睡眠の質を調べることで客観的な評価を行っている。寝ている間に1時間づつ採血したり、脳波計をつけたまま寝て客観的な評価が可能か少し心配だが、そこは眠りと概日リズム研究所のプロだから抜かりはあるまい。そしてタイトルにある通り、寝る前にブックリーダーで本を読むと眠りが妨げられるという結論が、1)メラトニンの血中濃度に反映される概日リズムがずれる、2)REM睡眠時間が低下する、3)自覚的に夜寝付かれず、寝起きが悪い、などの結果をもとに導き出されている。社会的には結構大きな反響を呼ぶ論文だろう。ただ私としては気になる点がいくつかあった。まずブックリーダーという時、普通はKindleなどのバックライトの弱い機器を意味すると思う。よく読んでみるとこの研究ではiPadが使われており、しかも最も明るいセッティングで使わせている。なら、結局夜遅くまでPCを使っているのと同じことだ。私ならタイトルにはっきりとiPadあるいはタブレットと書かせるだろう。他にも、本といってもいろいろある。面白くない本だとすぐ眠くなる。このような研究は社会に向けたメッセージの意味も多い。ならもう少し注意深い実験計画が必要だと思った。いずれにせよ、よく読んでみると、Kindleとは無関係な話だと胸をなで下ろしている。
2014年12月24日
最近ピントを合わす必要のないカメラが日本でも発売された。ライトフィールドと呼ばれる技術で、一定の空間範囲の3次元画像を構成し、コンピューター上で後から見たい深度に焦点を合わせ直す仕組みだ。様々な方向からの光を取り入れるセンサーを使うことでこんな離れ業が可能になっている。なんとなくキュビズムを思い出させる。しかしこのカメラでもレンズは必要だ。ところが今日紹介するUCLAからの論文はレンズのない顕微鏡の開発についての話で、12月17日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Wide-field computational imaging of pathology slides using lens-free on-chip microscopy (レンズを使わないオンチップ顕微鏡を使って病理検査を広視野で観察できるコンピューター画像処理)」だ。情報処理工学技術なので完全に理解できているわけではないが、原理をまとめると次のようになる。顕微鏡というからには拡大が必要だが、この顕微鏡はレンズによる拡大はしない。光源とサンプルとセンサーの距離と、PC上でのデジタル拡大を組み合わせている。病理組織をそのままCMOSセンサーに投影するが、100−600μmほどセンサーから離して画像を拾うことで、一種のボケた干渉画像を集める。これをサンプルとセンサーの異なる距離で集め、一種のホログラム画像を合成する手法だ。基本的に、鮮明な画像形成はPC上の計算で行う。したがって、この研究の核心は画像処理のアルゴリズムやアプリケーション開発だ。さらに、染色の色付けも染色方や切片処理方法に個別に合わせたプログラムを用い、全て計算で行う。実際このような計算による焦点合わせなどは市販のカメラにも搭載されているし、CMOSセンサーの画素数などから考えても、十分納得できるアイデアだ。あとは乳がん組織の標本、パパニコロウ染色した子宮ガン診断用細胞スメア、血液塗抹標本が撮影され、病理医によって診断に使えるかどうかテストされている。結論としては遜色なしという結果で、一般病理診断には十分使えることがわかった。このほかにも、センサーの傾きを変えてさらに画像処理精度をあげるアルゴリズムなどを紹介し、この方法の将来性を強調している。市販カメラも含めて現在の画像処理技術の進歩はそのまま専門的な世界にも利用できる。レンズのない顕微鏡というだけで開発者の資質を想像することができる。とはいえ、この方法が現在の顕微鏡に取って代わるかについては、私の頭の中では焦点が合わない。安価であることを強調しているが、画像処理技術も数がでないと結局は高価なままだ。もし市販の高級カメラ並みの価格になれば、発展途上国だけでなく、教育の現場でも応用範囲は広がるだろう。センサーを大きくできるので、大きなサンプルをそのまま撮影することができるが、これは売りになるかもしれない。いずれにせよ、製品として生まれてからが勝負になると思う。
2014年12月23日
高齢者の増加は我が国だけでなく、21世紀地球の課題だが、これはもっぱら経済力に並行して平均寿命が延びることが一番大きな原因だ。こんな当たり前のことを想定せず、年金や介護を設計してきた政府は大慌てで年金制度や税制の手直しをするがうまくいかない。結局多くの高齢者の一番の希望が、「なんとか家族や社会に迷惑にならないように死にたい」になってしまう。同じような死者と生者の関係は細胞の世界にもある。今日紹介するオーストラリア、ウォルターエリザホール研究所からの論文は、周りに迷惑をかけない細胞の死に方についての論文で12月18日号のCell誌に掲載された。タイトルは「Apoptotic caspases supperss mtDNA-induced STING-mediated type I IFN production(アポプトーシスに関わるカスパーゼはミトコンドリアDNAによってSTINGを介するインターフェロン産生を抑える)」だ。この論文の責任著者Kileさんの率いるチームは細胞死について色々面白い論文を出してきている。2007年には核が全くない血小板の寿命も、核のある細胞の細胞死を誘導する仕組みと同じメカニズムで決められていることを示し、完全であろうとなかろうと生体内で機能を持つ限り、細胞が寿命を持つことの重要性を示した。この研究は、細胞死の際、細胞内分子を分解する機能の欠損したマウスを用いて、細胞死が個体にとってなぜ必要かを調べる目的で始まっている。驚いたことに、カスパーゼ9と呼ばれる分子がないと、血液幹細胞の増殖が促進されることを発見した。細胞死が抑制された結果、長生きして細胞が増えるように見えているのではないかと考え、この細胞を普通のマウスに投与して調べると、この死に損ないの細胞が存在するだけで今度は周りの正常な幹細胞も増えることがわかった。すなわち、カスパーゼが抑制された死に損ないの細胞は他の細胞に働きかける因子を出すことが示された。次に、この分子がインターフェロンβであることを突き止める。あとは、様々なノックアウトマウスや、細胞学的手法を用いてカスパーゼが抑制された細胞がなぜインターフェロンを分泌するのかについての分子機構を解明している。まとめると、寿命などで細胞死が始まると、ミトコンドリアの分解が始まる。その時、ミトコンドリアに存在するチトクロームによりApaf1分子を介してカスパーゼ9が活性化し、これが次に他の分解酵素を活性型にして細胞内の分子を完全に分解する。分かりやすく言うと、細胞は死んだ後なんとか自らを始末できるように作られている。ところが、この始末がうまくいかないと、今度はミトコンドリアのDNAがSTINGという分子を介して細胞のインターフェロン産生を促してしまう。その結果、周りの細胞に働きかけ増殖を促す。すなわち、死に損なうと周りに迷惑をかけてしまうという結果だ。もちろん、このインターフェロン産生機構はウィルス感染の際に周りの細胞の反応を誘導して感染を抑えるための機構だ。しかし現代社会に生きる我々が見ると、「細胞が自ら完全に始末できないときに周りの細胞まで巻き込んで迷惑をかけている」と悲しい視点で見てしまう。静かに死ぬことこそが生命の最終目的なようだ。
2014年12月22日
エボラ出血熱という名前が頭にあるため、進行するとあらゆる粘膜から出血がおこり死に至るという説明をなんとなく納得してしまっていた。実際の患者さんの実態を知らないことによる結果だが、専門家ならともかく、私自身もちろん実際の患者さんに触れることはないし、また症例報告を目にすることもそうない。その意味で、今日紹介するフランクフルト大学医学部からの論文は、集中治療に成功した患者さんの症例報告で、私自身にとっても何十年ぶりかで症例報告を読む機会になった。治療過程の緊迫感が伝わってくる報告で、非謹慎とは知りながらもスリリングな読み物だと感心した。論文のタイトルは「Severe Ebola virus disease with vascular leakage and multiorgan failure: treatment of patient in intensive care(血管漏出と多臓器不全の重症エボラ出血熱の症例:集中治療の報告)」だ。患者さんはウガンダ人の医師で、シエラレオーネでエボラ治療センターの責任者として奮闘していた。発熱と下痢に見舞われ、当然エボラ感染を疑い検査が陽性と出た。医師であることから、感染症にも効果があると言われていた抗不整脈剤アミオダロンと抗生物質セフトリアゾンを自分の判断で服用していたが改善せず、発症後6日目に集中治療のため飛行機でフランクフルト大学病院に運ばれてきた。周知のように2次感染を防ぐために最も厳格なP4レベルの隔離が行われる。治療にあたっても手袋を3重に装着しており、脈すら触診ができない状況での治療だ。このようなP4レベル隔離で、症状に対応して集中治療が可能かがこの研究の重要なテーマだ。しかし重症化したとして運ばれてきたときの血液データは、肝機能障害以外はざっと見たところ以外に正常だ。一方、この患者さんの肺機能は低下の一方で、フランクフルトに来たときは起座過呼吸状態で、マスクから3Lの酸素を吸入している。レントゲンや、気管支挿入、心臓モニターのためのPiCCOカテーテル留置が行われるが、一つ一つ感染拡大予防のための様々な注意が必要で、詳しく書かれており、全て参考になる。これらの検査から、最も深刻な症状が血管漏出による肺水腫と、腎不全と診断し、その治療に集中する。ここで使われたのがFX06と呼ばれるオーストリアの企業が開発したフィブリン製剤で血管からの漏出を止める働きが期待される薬剤で11日目から投与が始まった。一方日本で開発されたRNAウィルスRNAポリメレース阻害剤は、胃腸症状が強く2日間服用できただけだったようだ。腎不全に対しては、透析療法が行われている。血液循環動態が安定したのち1回、ウィルスを吸着する膜を使った血液ろ過が行われているが、臨床評価としてあまり効果がなかったと判断している。他にも一般感染に対する抗生剤を投与しており、副作用を考えながらも考えられるあらゆる手段を講じたと言える。患者さんは13日目から回復に向かい、最終的にエボラに対する抗体が作られることで病気が収束している。結局、集中的な対症療法を行えば最悪期を乗り越えることが可能であるという結果だ。この症例報告がなぜLancetに掲載されたかを考えると、11目からFX06を投与したことで、確かに血管漏出が止まりはじめ、13日目から症状が快方に向かったからだろう。緊急状況で一定の安全性があるならおそらくこの論文を見た医師は使用すると思う。とはいえ、ではこの治療が決定打になったかというと、この報告からだけで結論はできないだろう。この論文にも書かれているように、ライプチヒに送られた患者さんはFX06を投与されたが、残念ながら死亡している。この薬もやはりアフリカで治験をしっかり行うしかないように思う。さらにこの報告を読むと、まずアフリカでこの報告にあるのと同じような集中的治療を実施するのは不可能だろう。したがって、より多くの人に使える治療の開発が急務だ。ただ、治療の対象はウィウルスだけでなく、結果起こってくる多くの症状に対する治療法の開発も、この疾患の場合は重要であることがよくわかった。いずれにせよ、今回の治療で一人の強力な戦士がエボラとの戦いに新たに加わったことは間違いない。
2014年12月21日
遺伝子の発現を自分の希望する時間と場所で調節する技術は、体の中で特定の遺伝子がどう作用するか確かめるためには必須の技術で、これまで様々な方法が開発されてきた。私自身が使ったことのある方法は、ホルモンや化合物をマウスに投与して遺伝子発現を活性化させる方法だが、この方法だと投与後どうしてもタイムラグがあり、また刺激もすぐに止まらず一定時間続く。したがって、化学刺激の代わりに時間コントロールのしやすい物理的刺激を使って刺激をシャープにするための試みが続いている。ここでも紹介した光遺伝学はその例だが、光は透過性の点でどうしても限界がある。今日紹介するロックフェラー大学からの論文では、熱や力を感じるセンサーを使ってこれを達成しようとしている。タイトルは「Rmemote regulation of glucose homeostasis in mice using genetically encoded nanoparticles(遺伝的に組み込んだナノ粒子を使って糖のホメオスターシスを遠隔操作する)」で、Nature Medicineオンライン版に掲載されている。詳細は割愛して、開発された技術をまとめると次のようになる。まず遠隔操作にはラジオ波を用いている。ラジオ波は医療の現場で体内を局所的に温めるために使われており、ラジオは照射装置はすでに多く開発されている。金属ナノ粒子を使うとこの熱を最も感度よく感知できるが、今度は金属ナノ粒子を目的の細胞内に送る方法が必要になる。代わりに、もともと金属を結合する分子トランスフェリンがこの目的に使えないか調べるのがこの研究の主目的だ。次にトランスフェリンが捕捉した金属の熱や振動を感知するために、カプサイシン受容体を使っている。カプサイシンは唐辛子の成分で、この激しい辛さに対する反応は、カプサイシン受容体によって担われているが、この受容体はもともとイオンを通すチャンネルで、温度刺激に応じて開閉してカルシウムイオン流入させて刺激を伝える。この研究では様々な分子構造を検討して、カプサイシン受容体に直接トランスフェリンを結合させた時に、鉄粒子に捕捉された熱が具合良くカプサイシン受容体に伝わってイオンチャンネルを開くことができることを突き止めている。チャンネルから流入したカルシウムは細胞内でカルシウムに反応して遺伝子発現を誘導するカルシニュウリン、とNFATによってリレーを行い、最終的にインシュリンが発現するようにしている。まとめると、ラジオ波で刺激すると、カプサイシン受容体に結合したトランスフェリンが捕捉している鉄が反応し、カプサイシン受容体の構造を変化させカルシウム流入が起こる。このカルシウムをカルシニュウリンが感知し、NFATをリン酸化し、インシュリン遺伝子をオンにするという複雑な回路を細胞内に構築することに成功している。この分子群を組み込んだビールスベクターマウスに投与すると、期待通りラジオ波に反応してインシュリンを分泌して、血糖を低下させることができる。最後に、鉄が捕捉されているなら強力な磁場でも刺激できないか試み、磁場でも遺伝子発現を誘導できることを示している。言ってみれば、トランスフェリン分子で引っ張られてチャンネルを開けることができるという面白い結果だ。話はここまでで、まず磁場やラジオ波で遺伝子を任意の場所・時間に誘導できることが示された。ラジオ波や磁場は体の深部に到達できることから、新しい遺伝子発現調節法として発展するかもしれない。一方、臨床応用を考えると、私たちが磁場やラジオ波に囲まれて生きているとすると、簡単ではない気がする。しかしいろんなことを考え実現していく人がいる。生命操作という点から見ると、百花繚乱の面白い時代だと感じている。