糖尿や高血圧の治療のために、メカニズムの異なる2−3種類の成分を混ぜた配合剤と呼ばれる薬剤が販売されている。もちろん配合剤はこれらの病気に限らず、古くからよく使われてきた。処方や、服用の便宜を測ってのことだろうが、逆に何を服用しているのかが意識されなくなることは問題だと思う。ただ、これらは一つの薬剤に見えても、結局は2−3種類の薬を別々に服用しているのと同じだ。配合剤は合剤とも呼ばれることがあるが、「混」と違って「合」には部分が合わさった効果を超える統合された効果を意味する響きがあり、安易な省略はやめたほうがいいと思う。しかしこの点から言うと、今日紹介するミュンヘン・ヘルムホルツ研究所からの論文は、一つの分子で3種類の薬効を実現する、いわば究極の統合剤についての報告で、Nature Medicineオンライン版に報告された。タイトルは「A rationally designed monomeric peptide triagonist corrects obesity and diabetes in rodents(合理的にデザインされた3つの効果を持つ単一ペプチドはげっ歯類モデルで肥満と糖尿を改善する)」だ。この研究では、いわゆる消化管ホルモンと呼ばれる3つのペプチドを統合させた単一ペプチド合成に挑戦している。すなわち、膵臓α細胞から出るグルカゴン、消化管由来のインシュリン分泌作用のある2種類のインクレチンGLP-1とGIP、この3種類のペプチドの効果をもつ単一のペプチドを合成することがこの研究の目的だった。おそらく進化的にも同じ遺伝子が重複してきたのだろう、3種類のペプチドは並べてみるとよく似ている。しかし、これを一つのペプチドにまとめられるというアイデアはやはり化学者のセンスと言える。おそらく多くの試行錯誤を繰り返したことだろう。最終的に個々の活性でも自然にあるペプチドの活性を超える作用を有する単一ペプチドの合成に成功する。こうしてできた分子は、2種類のインクレチン作用でインシュリン分泌を促進し、グルカゴンで糖代謝を促進する作用を兼ね備えており、また血糖についてはブレーキに加えて、少しアクセル効果が組み込まれたとも言える分子ができたことになる。このペプチドの設計がこの論文の全てなので、詳細は割愛するが、最も驚くのはこのペプチドがそれぞれのシグナルを別々に刺激するよりはるかに優れた抗肥満作用と、抗糖尿作用を有する点だ。おそらくグルカゴンの作用が絶妙にバランスされた作用が実現したからだろうが、肥満マウスを使った実験で、別々の分子ではたかだか3−5%の体重低下が可能な条件で、なんと15%近くの体重減少が達成されている。またインシュリン感受性も改善された総合的抗糖尿作用が見られている。他にもFGF21血中濃度の上昇も、新しいペプチドだけで見られているという予想を超える結果だ。マウスとラットのモデルでこの効果は確認されているため、あとは臨床実験に向けた化学的改良が残っているだけだろう。しかしこれだけ期待以上の効果があると、少し心配になる。ジギタリスとおなじで、体の細胞を酷使してしまったのでは大変だ。幸い、そんなことは百も承知のようで、最後に臨床応用は慎重に症例を選んで進めるべきだと指摘し、プラダー・ウィリー症候群や脂肪肝など、最初の治験に適したと彼らが考えている病名まで明記している。いずれにせよ、本当の意味でのsynthesis、統合•止揚できた薬剤が設計できるとは化学者に脱帽。
12月10日:究極の合剤:二兎を追うより三兎を追え(Nature Medicineオンライン版掲載論文)
12月9日:大腸菌でマラリアを防ぐ?(12月4日号Cell掲載論文)
このホームページでも紹介してきているが、腸内細菌叢の様々な機能に期待する論文がトップジャーナルに続々掲載されている。しかしここまでの流行になると、ひょっとしたらこれまで説明の難しかった現象を説明するために私たちが期待しすぎているかも知れないと少し心配になる。例えばサプリメントの効能は、医薬品と同じようには検定はされていない。中には内服後本当に血中に吸収されるかどうかわからないものも多い。例えばコラーゲンを内服して本当に効果があるのだろうか?こんな疑問も、「腸内細菌にコラーゲンの分解物が働いて効果が得られるのだ」と言われてしまえばおしまいだ。そんな期待でこのトレンドが作られていないことを望むが、今日も読後感のすっきりしない細菌叢の論文を取り上げる。ポルトガルのグルベキアン研究所からの論文で、12月4日号のCellに掲載されている。この論文に興味を持ったのは1997年、まだ研究インフラの整っていないポルトガルから選別されたエリート大学院生に集中講義を頼まれ1週間滞在したこの研究所からCellに掲載される論文が出るようになったのかという感慨もあった。タイトルは「Gut microbiota elicits a protective immune response against malaria transmission (腸内細菌叢によってマラリア感染に対する免疫反応が誘導される)」だ。読んでみると、少しゴチャゴチャしすぎているというのが印象だが、シナリオを掬い取ると、「マラリア表面上の糖鎖抗原に対する抗体は、腸内の病原性大腸菌により誘導され、感染防止に役立っているが、ワクチン接種による補助免疫効果が期待できるので、マラリアワクチン開発の参考になる」とでも言えるだろうか。結果をまとめると、1)4GlcNacR-グリカンに対するIgM抗体は疫学的に見てもマラリア感染防止に役立っているが、マラリア流行とは相関しない自然抗体として存在している、2)糖修飾を人型にしたマウスに4GlcNacR-グリカンを発現する病原性大腸菌が感染すると、マラリア予防抗体が誘導される。3)予防効果がある抗体のクラスは、IgMだけでなく、IgGクラスでも良い、4)IgMクラスの抗体も誘導にT細胞が必要、5)自然免疫TLR9を刺激するリガンドとアジュバントなどを混ぜて免疫すると抗体価がさらに上がる。6)抗体の効果には補体と白血球が必要、7)赤血球に侵入したマラリア原虫には効果がない、などだ。基礎研究として見ると、感染防止効果があるIgM抗体の産生にもT細胞が必要という点がおもしろいぐらいで、おそらく感染免疫学をやっている人たちから見れば、病原性大腸菌との関係も特に驚くほどのことはないはずだろう。レフリーが甘すぎるように思う。とはいえ、マラリアに苦しむ人はまだまだ多く、ワクチンの設計にも役立つ点では、まあ許してもいいような気がする。個人的に言うと、ほぼ20年前に私たちが教えた異国の大学院生たちが国に帰って頑張っているのは嬉しい。
12月8日:多発性硬化症のIndazole-Clによる治療(アメリカアカデミー紀要掲載論文)
多発性硬化症に対しては嬉しいことに新しい治療薬が続々開発されている印象がある。このホームページでもすでに利用が進むフィンゴリモド、徐放性インターフェロンβ、抗CD25 抗体、スタチンなどを紹介した。この嬉しい悲鳴はもっぱら多発性硬化症を研究するためにいい動物モデルとしてマウスのEAE(experimental autoimmune encephalomyelitiss:実験的自己免疫性脳脊髄炎)があるおかげだ。このモデルでは、自己免疫によるミエリンの消失と、オリゴデンドロサイトの再生による再ミエリン化のバランスが拮抗しながら病気が進む有様をよく再現でき、薬剤の効果を生きた動物で確かめることができる。このモデルからわかる理想的治療薬は、免疫反応を抑え、オリゴデンドロサイトの再生を促す薬剤だ。これまでの研究からエストロゲン受容体βを刺激することでこれが可能になるのではと期待されてきたが、どうしてもα受容体に対する活性をのぞくことができていなかった。今日紹介するカリフォルニア大学リバーサイド分校からの論文はこの目的で開発されてきたIndazole chrolide(塩化インダゾール)効果をマウスモデルで確かめた前臨床研究で、アメリカアカデミー紀要に発表された。タイトルは「Multiple functional therapeuticc effects of the estrogen receptor β agonist indazole-Cl in a mouse model of multiple scleraosis (エストロゲン受容体βの刺激剤塩化インダゾールはマウス多発性硬化症モデルに対して多様な治療効果を有する)」だ。結果はは明快で、この薬剤は免疫を抑え、ミエリン再生を促進する両方の効果を持つ薬剤として期待できるという結論だ。まずモデルマウスにこの薬剤を投与すると、全般的な臨床症状が全般的に改善するが、女性ホルモンとしての副作用はほとんど無い。この効果のメカニズムを探るために、自己免疫病の主役Tリンパ球を調べると、病変部のリンパ球の浸潤が抑制され、炎症性のサイトカイン分泌を抑制している。したがって、自己免疫病を抑制する効果がある。次はミエリン化だが、脊髄や脳梁の脱ミエリン化が抑制され、再ミエリン化が上昇している。これはオリゴデンドロサイトの生存が特定のシグナル経路(PI3K/Akt/mTOR経路)を介して守られることによることが明らかにされている。結果として、脳梁の神経伝達が生理学的に上昇し、さらにマウスの運動機能低下が抑制できているという結果だ。申し分ない結果だ。私として言うことがあるとすれば「わかった。そこまで言うなら、早く臨床効果を示して患者さんを救ってほしい」だけだ。
12月7日:電気ウナギの戦略(12月4日後Science掲載論文)
子供でもわかる素朴な質問を抱き続けて、大人になってから答えを出すことができる科学者などそうはいない。自分のことを振り返ってみても、説明しようと挑戦した問いは、子供にはわかりにくい問題だったと思う。もちろん例えば「血液はどうできる?」といった具合に、一般の人にもわかりやすく問題を説明することはある。しかしそうすると今度は、実際取り組んでいる問題と比べるとあまりに一般的になってしまう。その点から言うと、今日紹介するテキサス・バンダービルト大学からの研究はズバリ、「電気ウナギは電気をどう使っているの?」というわかり易い問に取り組んだ研究で、さらに羨ましいことに12月4日号のScience誌に掲載されている。もちろんこんな問いをチームで研究するはずはない。Kenneth Cataniaさんという今時生物学では珍しい単名の論文だ。タイトルは「The shocking predatory strike of the electric eel(電気ウナギの捕食のためのショック攻撃)」だ。繰り返すが、扱った問題は電気ウナギがどう電気を利用して餌の小魚を獲るか?が問題だ。論文の中では多くの動画が使われており、電気ウナギの狩りの戦略が、実際子供にもよくわかるようになっている。質問1「電気ウナギの電気攻撃はどんな効果があるの?」答え)電気は3.7ミリ秒のパルス波で0,2秒程度続き、相手の運動筋肉を収縮させて動けなくする。ただ、小魚は死なない。質問2「電気パルスは筋肉に効くの、神経に効くの?」答え)筋肉ではなく、運動神経。質問3)「電気パルス発射のタイミングは?」答え)相手の魚の動きを感じた時。質問4)「相手の動きを感じるために電気は必要?」答え)イエス。電気パルスを2−3回発射し、相手が驚いて動いたら生き物がいる判断して、今度は強い電気パルスを発射し動けないようにする。これだと、餌が隠れていても見つけることができるね。最後の質問)「攻撃パルス発射の前に探索パルスを必ず発射する必要はあるの?」答え)パルスを発射しない時に動きを感じても攻撃パルスを発射できるので、センサーとしては動きだけを感じている。これが実験の全てだ。これを電気ウナギの発するパルスを記録する装置、魚の筋肉の緊張を測る装置、魚の動きを人為的に誘導する装置などを使って実験しているが、別に大がかりな装置ではない。おそらく高校生なら十分考え付く、いわば素人実験だ。どのような経緯で編集者が掲載を決めたのか、なんと9月に投稿して11月に掲載が決まっていることから、編集者の強い意向を感じる。そして何よりも、この研究のために研究費が政府から支給されており、仕事がプロにも支持されている点だ。子供の頃の疑問を持ち続けていつか答えを出したいという人たちに対する大きな励ましになるだろう。そして何よりもおそらく奥さんと思えるF.Cataniaさんだけに謝辞が捧げられているのも微笑ましい。これも思わず微笑みが溢れる論文だった。
12月6日:胎児期の飢餓の長期にわたる深刻な影響(11月26日号 Nature Communications掲載論文)
世界的にも有名なコホート研究の一つにオランダ飢餓研究(Dutch Famine Study: http://www.hongerwinter.nl/index.php?id=31&language=EN)がある。我が国の被爆者の方のコホート研究と同じで、第2次世界大戦中多くの人が遭遇した出来事の影響を現在に至るまで長期に追跡している研究だ。名前の通り戦時中の飢餓の影響を追跡しているのだが、このコホートはドイツ軍の経済封鎖と、厳しい冬のために極度の低栄養状態を経験した妊婦から生まれた子供が対象だ。この封鎖期間中のカロリー摂取は1000kcalを切り、平均660kcalという悲惨なものだったらしい。この研究から、統合失調症の罹患率と、肥満、糖尿を含む様々な代謝疾患の頻度が、胎生期の飢餓により上昇することがすでに報告されている。これらの影響は、遺伝子そのものではなく、遺伝子の発現に関わる染色体構造の調節、すなわちエピジェネティック状態の変化によると考えられている。今日紹介するオランダ・ライデン大学分子疫学研究所からの論文は、これらの症状の背景にあるエピジェネティックな変化を調べた研究で11月26日号のNature Communicationに掲載された。タイトルは「DNA methylation signature link prenatall famine exposure to growth and metabolism(DNAメチル化の特徴から胎生期の飢餓と成長・代謝異常の関連を相関させる)」だ。研究ではまず戦後すでに1945年2月から1946年3月に生まれた胎児期に飢餓を経験した48人を選び、血液細胞からDNAを採取、RRBSと呼ばれる方法でゲノムの一部のメチル化状態を調べ、飢餓経験者共有におこるメチル化異常を示す遺伝子を探索している。詳細を割愛して以下に結果を列挙する。1)選び出された181遺伝子は胎児発生や臓器形成に関わる遺伝子が多かった、2)遺伝子領域のうちgene bodyと呼ばれる部位の変化が大きい、3)メチル化が上昇する領域の方が低下する領域より多い、4)変化がはっきりしている6遺伝子でさらに多くの被験者について調べると、1945年4月以前に妊娠した子供に異常が顕著で、それ以降ではコントロールと変わらなかった。すなわち、妊娠初期に飢餓を経験した場合に長期間続くメチル化異常が起こる。5)これら遺伝子のメチル化状態とLDLコレステロールや誕生時の体重に相関が見られた。6)これら遺伝子のメチル化部位は、動物の飢餓実験では全く発見されていなかった。まとめると、妊娠初期に飢餓を経験した子供では、発生時に重要な働きをする遺伝子にメチル化異常がおこり、それが60年以上維持され、様々な体質変化や病気の原因になるという結果だ。今回リストされた遺伝子について、さらに大規模な研究が行われていくと期待される。また、現在でもダイエットなどで一種の飢餓状態を経験する胎児は多い。この子供達を検査するときの指標として大きな貢献が期待できる。しかし、1回の飢餓の結果がこれほど長期に維持されるのを目の当たりにすると、戦争の悲惨さを思い知る。それでも現実から目をそらさず、この機会をとらえて新しい発見を続けてきたオランダ飢餓研究には敬意を払う。同じように我が国から、被爆者の方々のゲノム研究、エピゲノム研究が数多く発表され、世界に貢献することを願っている。
12月5日:ガン治療は確実に進んでおり、進み続けなければならない(12月3日号The Lancet掲載論文)
我が国でも3人に1人がガンにかかる時代だ。と言っても、実は我が国全体のガン罹患統計はない。我が国では地域ガン登録、院内ガン登録と称して、病院や地域で別々にガン患者さんの登録が行われているが、予後調査を正確に行える体制とは言えない。私自身、大学時代から考えると、6回県をまたいで引っ越ししている事を考えると、ガン登録は国レベルで行うべきなのは明らかだ。これで対ガン10カ年計画を建てようというのも乱暴な話だ。我が国にシンクタンクが育たないのは、おそらくデータを大事にする習慣がなく、その場の思いつきで政策が行われるからだろう。一方以前も紹介したが、英国では国レベルで疾患の発症と予後を追跡するシステムが出来上がっている。今日紹介する英国ガン研究所からの論文は、1971年から2011年の間にイングランドと、ウェールズでガン登録された患者さんたちの予後を追跡した研究で12月3日号のThe Lancetに掲載されている。タイトルは「40 year trends in an index of survival for all cancers combined and survival adjusted for age and sex for each cancer in England and Wales, 1971-2011:a population based study(全てのガンを合わせた生存指標と各年齢、性別に調整した生存率の40年の傾向。イングランドとウェールズの1971−2011年の集団調査)」だ。羨ましいことに770万人の登録患者さんのデータだ。また、1971−2011の40年間というと私自身の大学卒業から引退するまでの期間とほぼ重なり、感慨が深い。論文自体は膨大な統計データで、詳細は割愛して面白いと思った点だけを列挙しておこう。1)生存率(診断後1、5、10年で算出している)はこの40年で着実に伸びている。ガン全体で見たとき、現在では診断後10年生きれる可能性は約50%だ。ただ、これはあくまで生存率で、ガンが完全に治ったわけではない。完治を目指すのが医学の目標になる。2)予後の点から3群に分けることができる。予後の最も良いのは精巣ガンだが、乳がん、前立腺がん、子宮体がん、ホジキン病、黒色腫が含まれる。次が中程度で、これには直腸がん、白血病などが含まれる。そして最後が予後が悪いグループで最悪が膵臓癌、次が肺がん、食道癌、脳腫瘍、胃がんと続く。3)予後のいいグループでは40年で生存率の大幅改善が全ての時点で見られる。しかし、例えば膵臓癌だと1年生存率では確かに改善が見られるが、5年生存率では全く変化がない。医学が総力をあげてチャレンジすべきゴールがはっきりとわかる。4)多くのガンで高齢者の生存率の改善ははかばかしくない。特に、化学療法が必要なガンになると医学の進歩は高齢者には届いていない。しかし標的治療など新しい方法の導入で、オーストラリアやカナダから高齢者のガン治療成績の上昇が報告されており、これからの医学が貢献できる領域だ。5)国の対ガン政策が効果を上げているかも検証できる。詳しく見ると、イングランドとウェールズで対ガン政策導入の時間差が2年あったようだが、1年生存率の差として現れている。6)最後にどのガンで見ても生存率はプラトーに達していない。すなわちまだまだ改善の余地があり、これに医学は答える必要がある。まだまだデータは眠っており、政策に活かせる情報が満載だろう。こんなデータを見ると、本当に我が国の官僚は何を目標にしているのか、暗澹たる気持ちになる。
12月4日:アンジェルマン症候群の治療(Natureオンライン版掲載論文)
神経疾患には、例えばアルツハイマー病、パーキンソン病といったように、発見者の名前がついた病気が多く、学生の頃神経疾患を学ぶのに苦労するに原因になっていた。私の学生時代は、これらの病気の原因はほとんどわかっておらず、高々遺伝性があるかどうかぐらいが精一杯だった。その後分子生物学が発展し、多くの病気のメカニズムが明らかになり、治療法開発も視野に入ってきた疾患の数は確実に伸びている。今日紹介するテキサス・ベーラー大学からの研究は、アンジェルマン症候群と呼ばれる病気の治療が可能であることを示した研究でNatureオンライン版に掲載されたところだ。タイトルは「Towards a therapy for Angelman Syndrome targeting a long non-coding RNA(長いノンコーディングRNAを標的にしたアンジェルマン症候群治療に向けて)」だ。このアンジェルマン症候群はUBE3Aとなずけられたタンパク質ユビキチン化酵素遺伝子の突然変異で起こる遺伝病だ。と言っても普通の遺伝病と違って、インプリンティングという一方の染色体からの遺伝子だけを抑制するメカニズムを巻き込んだ複雑なメカニズムで起こる病気で、教師の側から言えば試験に出したくなる病気だ。この遺伝子の存在する領域では、母方の染色体でインプリンティングされている領域がある。ただこの領域はUBE3A自体の調節領域ではなく、遺伝子をコードしていない長いRNA(ncRNA)の転写を調節している領域がインプリンティングで抑制されている。すなわち、このncRNAは母方の染色体では抑制されているが、父方の染色体では発現している。さらに複雑なことに、神経細胞ではこのncRNAが離れているUBE3A遺伝子の転写を抑制するところまで伸びてくるのだが、他の細胞では途中で伸長が止まる。その結果として父親側からきた染色体のUBE3A遺伝子だけが、神経細胞だけで抑制されるという極めて複雑な状態になっている。なぜこのように複雑な制御が必要かを考えると、おそらく神経細胞ではUBE3A分子の量を半分にしておかないと分子が毒性を発揮しだすからだと思うが、ヒトでもマウスでも同じような調節を受けていることから、大事な調節機構なのだろう。この状態で母親側のUBE3A遺伝子が変異を起こすとどうなるだろうか?残っている父親側からのUBE3Aはサイレンスされているため、神経細胞だけでUBE3Aが欠損する状態が生まれる。これが病気の原因だ。しかし、父方の遺伝子は実際には全く正常で、エピジェネティックにもメチル化されているわけではなく、ただncRNAで抑制されているだけだ。そうなら、このncRNAを抑制するRNAを細胞内に導入すれば治るはずだと、この可能性に挑戦したのがこの研究だ。まだ全てマウスの段階の研究で、詳細は全て省くが、結果は明瞭だ。培養細胞はもちろんのこと、この抗ncRNA作用のあるRNAを直接脳脊髄液に注射したり、時には海馬に投与すると、完全ではないが脳内でのUBE3A分子が回復し、安定に作られるようになった。さらに、行動解析から記憶の回復も見られることから、この方法が治療として有効であることを示している。もちろん、ncRNAの転写を止めたわけではないので、治療としては他の方法を組み合わせる必要があるだろう。しかし、一旦成長した脳でも効果があることは勇気づけられる。ぜひ治療まで持って行って欲しいと思う。現役の頃なら試験に出したくなる論文だった。
12月3日:腎臓繊維化の原因(Nature Medicineオンライン版掲載論文)
肝炎でも、腎炎でも、慢性炎症治療の重要な目標は一旦起こると戻ることができない繊維化を防ぐことだ。しかし、現在も炎症自体を抑える以外、繊維化を防ぐ明確な治療法はない。このため、繊維化自体のメカニズムの解明が待たれている。今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は腎臓の繊維化に関わると思われる少し意外なメカニズムを示した研究でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Defective fatty acid oxidation in renal tubular epithelial cells has a key role in kidney fibrosis development (腎尿細管での脂肪酸化の異常が腎繊維化の鍵になる)」だ。この研究でもまず繊維化のメカニズムを探るべく、慢性腎炎(CDK)患者さん95人から得られた腎組織の遺伝子発現を正常と比べている。もちろん炎症に伴い上昇する遺伝子が多くリストされてくるが、それと同時にいわゆる脂肪を燃やす酵素群の発現が低下していることに気づいた。同じ現象がマウスの実験モデルでも見られることを確認した後、モデル実験系で脂肪代謝と腎繊維化の関連を調べる実験へと進んでいる。脂肪肝と同じで、腎炎でも尿細管上皮細胞に脂肪が蓄積することが知られている。この研究でも、腎尿細管は体の細胞の中でももっとも脂肪代謝が高く、エネルギーを脂肪酸化によって得ていることを確認した。そこでまず、腎尿細管に脂肪が蓄積するようにした遺伝子改変マウスを調べたところ、脂肪が蓄積するだけでは腎繊維化は起こらない。腎尿細管が繊維化の起点になるのではというアイデアを検証するため、尿細管細胞株に繊維化を強く誘導するTGFβ1で刺激すると、やはり脂肪酸化システムが抑制され、その結果細胞死に至ることを発見する。すなわち、腎炎組織で分泌されるTGFβ1が直接細尿管細胞に働いて、脂肪代謝を抑制する。普通の細胞なら他の回路でエネルギーを調達できるが、尿細管のエネルギーは脂肪に依存しており、その結果細胞死が始まり、繊維化に移行するというシナリオだ。では脂肪代謝を改善すれば繊維化を防ぐことができるか?。尿細管に様々な脂肪代謝に関わる酵素を発現させると、確かに繊維化が遅れる。そこでコレステロールを下げることが知られている脂肪代謝改善剤フェノビブラートや試験的な薬剤C75を投与したところ、尿細管の細胞死が抑制できることを見出している。私自身これまで繊維化を脂肪代謝と関連させて考えることはなかったので、興味深く読んだ。特に、すでに脂肪代謝改善に使われている薬剤が人の繊維化進行を抑制するなら重要な発見だと思う。ただ、モデルマウスのように腎尿細管特異的に脂肪代謝を改善させることは困難だ。このアイデアが本当に慢性腎炎患者さんの朗報になるのか、あるいは実験モデルだけの話か、期待を持ってもう少し様子を見たい。
12月2日:破傷風毒素(11月28日号Science掲載論文)
日本の医学生にとって破傷風といえば北里柴三郎だ。コッホ研究室でベーリングとともに、嫌気性菌の培養法を確立し、破傷風に対する血清療法を確立した。パストゥールの免疫原(ワクチン)に対し、北里は血清(抗体)の発見と位置づけられる。北里は熊本県小国村出身だ。ずいぶん前、熊大医学部の教授になって第一回目の免疫学の講義の時、熊大だから北里から話をするべきだと意気込んで、「君たち、抗体を初めて発見した人は誰か知っているか?」と切り出したら、誰も知らず白けた覚えがある。今日紹介する英国ガン研究所からの論文は、破傷風毒素が細胞内に取り込まれる経路を特定した研究で11月28日号のScience誌に掲載されている。タイトルは、「Nigogens are therapeuticc targets for prevention of tetanuss (ニドジェンは破傷風治療の標的分子)」だ。私も知らなかったが、破傷風毒素は2つの分子の重合体で、小さな分子が筋肉興奮を抑制するシナプスを阻害するタンパク分解酵素で、この結果筋肉痙攣が続く悲惨な症状を引き起こす。一方大きい方の分子は、毒素が神経細胞内に取り込まれ、軸索を通って神経細胞体へと移動するのに必要であることがわかっていた。しかし、毒素がまずどの分子に結合して細胞内に取り込まれるのか実は明確ではなかった。この研究では、まずタンパク化学を駆使して、毒素が運ばれているエンドゾームを解析し、この分子がニドジェンと呼ばれる神経細胞の基底膜を形成する分子に結合することを突き止める。そして、エンドゾームに取り込まれた後、ニドジェンと毒素は安定に維持され、毒素が長期に渡って働くのに一役買っていることを明らかにした。ニドジェン遺伝子がノックアウトされた神経細胞には毒素は結合せず、また取り込まれない。他にも多くの実験が行われているが、この発見がこの研究の全てだろう。破傷風治療の観点から見たとき、この論文で最も重要なのは、ニドジェンと毒素の結合を阻害するペプチドを特定したことだろう。このペプチドを投与すると、毒素の神経への結合が阻害され、完全ではないが神経痙攣が起こるのを抑えることができる。北里とベーリングによる破傷風血清療法(1890年)から125年を経て、初めて新しい治療法の可能性が生まれた記念すべき論文だと思う。毒素はニドジェンをうまく利用して、ほんの少量でも神経細胞に濃縮され、細胞を殺すことなく恐ろしい痙攣を維持するための完璧なメカニズムを備えていた。このメカニズムを知れば知るほど、どうしてこんなメカニズムがどこにでもある嫌気性菌に必要だったのか、進化の不思議に圧倒される。
12月1日:遺伝子変化と生活習慣(11月27日号The New England Journal of Medicine掲載論文)
これまでなんども紹介してきたように、ガンが発生するためには、ガン特有の性質を発揮させるための遺伝子突然変異が必要だ。だからと言ってガンを単純に遺伝病と考えてはいけない。体の細胞に突然変異が蓄積する大きな要因は生活習慣だ。もっともわかりやすいのがタバコで、喫煙者の細胞には多くの遺伝子変異が蓄積していることがわかっている。他にも肥満とガンの関係などが統計的に示されており、このような解析からひょっとしたら突然変異の起こりやすい生活習慣を特定できるのではと期待されている。遺伝子変異と生活習慣との関係を探るためには、まだガンの発生していない集団を経時的に追跡し、遺伝子突然変異が発生する過程を追跡する必要がある。コホート研究と、ゲノム研究の融合だ。今日紹介するハーバード大学医学部からの論文は、一般集団を追跡する22コホート研究から、血液細胞のエクソーム(遺伝子のうちタンパク質に翻訳される全ての部分)の解読が終わった17000人あまりについて、ガンに関係することが明らかな突然変異を調べている。タイトルは、「Age related clonal hematopoiesis associated with adverse outcomes (有害な結果と関連する高齢者血液のクローン性増殖)」で、11月27日号のThe New England Journal of Medicineに報告された。いずれにせよ1万7千人ものエクソームが解析されていることに驚く。高齢者になるとガン化を引き起こす突然変異が、血液細胞中に見つかるようになるという結果は、11月11日このホームページで紹介した論文と同じだ。母数が多い分さらに明確な結果になっている。まず40歳以前ではほとんど突然変異は検出できない。ところが60−69歳では5.6%、70−79歳では9.5%、80−89歳では11.5%、90歳以上では実に18.4%の人で末梢血にガン化に関わることがわかっている突然変異を検出できる。末梢血細胞は多くの幹細胞により生産される血液細胞の総和と言えるため、変異が見つかるということは、突然変異の結果増殖力が上昇し、クローン性増殖を起こした血液クローンが存在することを示している。幸い問題になる突然変異の数は742例中693例で1個だけなのですぐにガンを心配する必要はない。おそらく以前紹介した115歳の方の血液が2種類のクローンしかなかったというのも、骨髄がクローン性増殖を起こした細胞で占められた後でも、正常血液を作り続ける能力が十分あることを示している。さて、変異が起こっている遺伝子のトップ3は、高齢者に多い骨髄異形成症候群の原因遺伝子と考えられている、DNMT3a.Tet2,Asxl1などDNAのメチル化を調節する遺伝子だ。この結果も、高齢になると骨髄異形成症候群が増加するといる事実と合致する。また、突然変異の原因となった塩基変換の種類もほとんどが、老化による突然変異の特徴を有している。集団コホート研究では、白血病の発生と突然変異の関係を調べることもできる。予想通り、突然変異があると確かに白血病発症確率は上がる。とはいえ白血病の発症する絶対的確率は突然変異があるからといって期待したほどは高くなく、一部の細胞がクローン性増殖を起こし、ガンの突然変異を持っているからといってすぐ心配する必要はなさそうだ。さて、この研究の面白いのはこれからだ。突然変異の存在と、その後の生存をプロットすると、血液の突然変異があると余命が明らかに短いことがわかる。ただ、死因を調べてみると血液疾患の死亡率が上がって余命が短くなったわけではなく、死亡率上昇の原因のほとんどは心血管疾患だ。特に、突然変異があって、赤血球の大きさが大きい集団の死亡率が高い。赤血球の大きさが上昇することは心血管病のリスクファクターだが、これだけでは説明できないレベルの死亡率上昇だ。示された結果はこれだけで、論文の結論としては、血液細胞の遺伝子突然変異を起こしやすい人は、心血管病で亡くなるリスクが高いと述べられているだけだ。ここからは私の想像だが、高齢になって血液に突然変異が起こりやすくなる特定の生活習慣があるような気がする。もしそうなら、その習慣を突き止めることの意義は大きい。論文を見ると、106人の70歳以上の突然変異を持つ集団について、全員が死亡するまで200ヶ月に渡って追跡した記録があるようだ。詳しい死亡原因と、他の検査データとの相関を是非報告してほしい。これまでなんどもガンと生活習慣が語られてきた。ほとんどは統計学的解析結果に基づいている。しかし、これからは疫学から得られる結果の背景にあるメカニズムを理解することができるのではと期待している。