3月29日:治験参加者とソーシャルネットワーク(Nature Medicine3月号掲載意見)
AASJホームページ > 新着情報 > 論文ウォッチ

3月29日:治験参加者とソーシャルネットワーク(Nature Medicine3月号掲載意見)

2014年3月29日
SNSシェア
ちょうど1年前あらゆる公職を退き、私人に戻ることを私が決断した一つの理由は、患者さんたちがソーシャルネットワーク(SNS)でつながり、医療システムの主役になる時代に参画したいと考えたからだ。既にこのページで紹介したPatientlikemeはその典型で、特定疾患の患者さんが集まる会とは違った可能性を持っている。確かにSNSには暴露性、セキュリティーなど様々な問題がある。ただSNSの抱える問題の反対側にとてつもない可能性がある。例えば今大騒ぎになっている小保方さんの捏造問題もそうだ。SNSがなければ秘密を発見できなかったかもしれない。それ以外にも、匿名でないSNSで語る多くの人の言葉にそれぞれの人となりが自ら暴露されて行く。その集まりが科学界と思うと、この問題を梃に日本の科学者、報道、役所の関係をしっかり分析したいと思う。同時にSNSが科学的論文のコモンズ化(一般の人が利用できるデータにすること)を加速させている事も実感する。MITメディアラボ所長の伊藤穣一さんと科学論文がコモンズ化できるか議論した事を思い出す。当時私は否定的だったが、今は特に医学分野で重要な課題だと思っている。しかし、今日紹介する意見で問題にされている医学治験に対するSNSの問題は考えた事がなかった。ファイザー薬品の臨床研究部門のヘッド、Craig H Lipsetさんの意見で、3月号のNature Medicineに掲載された。タイトルは「Engage with research participants about social media (治験の参加者のソーシャルメディアへの関わり)」だ。問題にしているのは、患者さんが参加する臨床研究の秘密性とSNSの暴露性の間に生まれる対立の問題だ。患者さんの身体を実験台に使ってしか出来ない治験を最も厳密に行う場合、無作為化した2重盲検法が採用される。即ち出来る限り秘密性を上げ、治験参加者を出来る限り「物化」する努力が行われる。しかし人間を物化する事ほど困難な事はない。特に他の患者さんと比べて自分だけ改善しない事がわかったりすると、精神的に参ってしまって病気は悪くなる危険がある。パリ・ネッカー病院の私の知り合いから聞いた話だが、ハンチントン病の細胞治療で実際には幹細胞治療を受けていたにもかかわらず、プラシーボコントロールに回されたと自分で判断して自殺した患者さんまでいたようだ。この状況はSNSが普及し、アメリカでは59%の人がネットを通して健康情報を得るようになった今はより深刻になっているというのがLipsetさんの意見の要点だ。即ち治験の秘密性が暴露される危険が増している。幾つかの例が挙げられている。このページでも紹介した日本発の多発性硬化症に対する薬剤フィンゴリモドの治験が2007年に行われたとき、一人の患者さんがFTY720という薬品名まで出して、治験過程での自分の経験や症状をブログで克明に発信していたようで、当然他の参加者もこれを見て自分と比べたはずだ。また、ベルテックスファーマが行ったC型肝炎薬の治験では、最初の段階で参加者がウェッブ上で議論を行いそれがそのまま発信されている。他にもPatientlikemeに登録する患者さんの多くが参加したALSの治験では治験の論文が出るより前にPatientlikemeでの情報の解析から治験結果が論文報告される自体に至っている。もちろんLipsetさんにもどうすればいいと言う方策はない。おそらく陪審員制度に見られるように治験参加者により積極的な秘密保持をお願いする事が当面の方策だろう。しかしSNSの暴露性をそのまま取り入れた無作為化2重盲検法に代わる新しい科学のあり方を考えるのも21世紀ではないかと思っている。この問題は間違いなく私たちAASJの最重要課題だ。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月28日:減量手術の意外な効果(Natureオンライン版掲載論文)

2014年3月28日
SNSシェア
手術で胃を80%削り取る手術は肥満に対する治療としては現在最も効果が高い事が証明されている。1月6日にこのページで肥満に対する薬剤を紹介したが、現状では減量手術の効果のほうが勝っている。更にこの手術を受けた糖尿病患者さんの40%が1年で完全寛解したと言う結果を見ると、内科「真っ青」の外科パワーと言っていい。しかも胃をバイパスして栄養摂取を減らすという誰もがわかるロジックだ。と思っていたら「え?本当?」と驚く論文がシンシナティ大学からNatureオンライン版に発表された。タイトルは「FXR is a molecular target for the effects of vertical sleeve gastrectomy (FXR分子が垂直スリーブ状胃切除の効果を決めている)」だ。要するに減量手術をして栄養摂取が減ると言うのは間違った先入観で、実際には胆汁のなかに含まれるステロイド物質胆汁酸の血中濃度が上昇しFXRホルモン受容体が活性化される事で、耐糖能を始め大きな代謝の変化が起こると言う事が示されている。このグループは先ず手術によって起こる遺伝子変化を調べ、脂肪代謝に関わる核内ホルモン受容体の活性が手術の結果亢進していると言う意外な結果を発見する。もともと術後ほとんどの患者さんで胆汁酸の血中濃度が上昇する事に気づいていたこのグループは、胆汁酸に結合するホルモン受容体FXR遺伝子を欠損したマウスを作成して、減量手術の効果を調べてみた。予想通り、FXR遺伝子が欠損したマウスは減量手術を受けても、最初は手術の直接効果で体重が減るもののすぐに元に戻る。詳しく調べると、手術を受けると食思行動変化し過食が減り、耐糖能が改善し、更に腸内細菌叢が善玉に変わるが、FXR遺伝子がないとこれら全ての効果が消える。即ち手術で胆汁酸の血中濃度が上昇し、FXR受容体が活性化することで、行動も含めて全体のバランスが体重を減らす方向へシフトすると言うシナリオが正しい事を示している。とすると、わざわざ手術をしなくとも胆汁酸の血中濃度を上げれば手術と同じ効果が得られる事になる。新しい肥満の内科治療を開発出来るかもしれない。結果が楽しみだ。ただ断っておくが、この研究は全てマウスのモデル実験での話だ。人間で遺伝子ノックアウトは出来ないため、やはり血中胆汁酸を上げる臨床研究が鍵になるだろう。しかし私たちの身体は浅い知識で理解しているよりははるかに複雑で面白い事を思い知った。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月27日:トリプルネガティブ乳がんの悪性度に関わる遺伝子XBP1(Natureオンライン版掲載)

2014年3月27日
SNSシェア
乳がんの遺伝子についてはこれまでも紹介して来たが、今日は最も悪性度が高いことが知られているトリプルネガティブ(TN)乳がんについての研究を紹介する。TNと言うのは、乳がんの多くに発現が見られる遺伝子エストロジェン受容体、プロゲステロン受容体、そしてHER2と呼ばれる増殖因子受容体が全く発現していない乳がんだ。現在乳がんの治療の主力が、この3つの遺伝子を標的にしているため、TN乳がんは治療が困難である事が多い。TN乳がんの悪性度を決める分子に迫ろうとしたのが今日紹介するコーネル大学からの論文でNatureオンライン版に掲載された。「XBP1 promotes triple-negative breast cancer by controlling HIF1a pathway (XBP1分子はHIF1a経路を調節してトリプルネガティブ乳がんを促進する)」がタイトルだ。この研究はTN乳がんでXBP1と呼ばれる分子の発現が高いと言う発見から始まる。XBP1は免疫反応に関わる遺伝子発現調節に関わる分子として研究されて来たが、最近ではこのホームページでも紹介した小胞体ストレスに反応して遺伝子発現に関わる機能に注目が集まっている。そこでXBP1とがんの悪性度との関係を調べるため、RNAを使って遺伝子発現を押さえる手法を使ってTN乳がんでのXBP1遺伝子の発現を押さえると、期待通りがんの増殖や転移が押さえられた。また、ヒトTN乳がんをマウスに移植して抗がん剤で治療するモデル系で、XBP1抑制により再発を防ぐ事が出来る事も示された。最後に実際のTN乳がんでXBP1の発現量が高いほど再発が早い事も明らかにし、XPB1がTN乳がんの悪性度を決める鍵である事が示された。一般の方にとってはこの発見で十分だろうが、将来の創薬可能性などを考えると、この分子がどう悪性度と関わるのか分子経路を明らかにする必要がある。この研究では、XBP1がHIFaと呼ばれる分子と結合してHIF1aを活性化し、低酸素反応と同じ細胞反応を引き起こしている事がわかった。とすると、XBP1とHIF1aの結合を抑制できる様な薬剤が開発できればTN乳がんの治療にも光が見えるかもしれない。   この様な研究が示すのは、がん細胞自体の遺伝子診断が急速に普及している事だ。事実患者さんがこの様な専門情報に面してどう決断すればいいか迷うのではと心配されている。しかし同じ事は医師の側にも言える。実際がんの専門家が複雑ながんの遺伝子解析結果を理解し臨床に生かせるのかが心配だ。特に、エクソームやマルチプレックス解析(多くの遺伝子を同時に調べるテスト)の結果は単純ではない。この点について研究した論文がJournal of Clinical Oncology3月24日号に掲載されていたので紹介しておく。タイトルは「Physicians’ attitudes about multiplex tumor genomic testing (がんゲノムのマルチプレックステストに対する医師の対応)」で、ダナファーバーがん研究所からの論文だ。研究では、ダナファーバーがん研究所でがんの治療に当たる専門医についてアンケートを行い、この研究所で開発されたOncoMapによるがんゲノム検査結果をどう理解し使っているかを調べている。詳しい内容は省くが、この様なトップの病院の専門医の間でさえ遺伝子検査に対する理解や利用に大きな差がある。ましてや乳がんの患者さんを治療している一般病院となると理解度ははるかに低いだろう。ゲノムは21世紀文明の基盤になるとは言え、人間の頭がついて行かない状況がよくわかる。しかし逆さまから見ると、人間の思考がついて行けないこの分野は21世紀最も期待が持てる分野だ。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月26日:脳の老化防止遺伝子(Nature誌オンライン版掲載論文)

2014年3月26日
SNSシェア
RESTと呼ばれる遺伝子がある。胎児性幹細胞(ES)に強く発現しており、現在山中CiRAに在籍する山田さん達の仕事によりES細胞分化を増強する遺伝子である事が示されている。元々は胎児の脳に強く発現するとして興味が持たれて来た遺伝子だが、やはり山田さん達の仕事で発生時期に発現するRESTが発現しなくても脳はなんとか発生するようだ。今日紹介する論文は、これまでとは逆にRESTと脳老化の関係を調べたハーバード大学からの研究で、結果を見て私も大いに驚いた。論文はNatureオンライン版に掲載されており、タイトルは「REST and stress resistance in ageing and Alzheimer’s disease (老化とアルツハイマー病でのREST遺伝子とストレス抵抗性)」だ。論文は極めてわかりやすい。先ずRESTが老化とともに誘導され、アルツハイマー病(AD)ではこの誘導が見られない事を発見している。その結果、老化した脳ではRESTが調節している遺伝子の発現が抑制されているが、同じ遺伝子発現の抑制がADではみられない。さらに軽度の認知障害を持った脳では認知の程度に応じてRESTの量が低下している。老化脳ではどのような遺伝子がRESTによって調節されているのか調べると、細胞死を誘導する様々な遺伝子を抑制しているのがわかる。さらにADと正常老化脳を比べる実験から、染色体を抑制的に変化させるヒストンのアセチル化が上昇している事もわかった。このように、RESTは老化脳を細胞死から守るために大事な時に発現するレスキュー隊の様な遺伝子だ。しかもRESTを誘導しているのは老化に伴う様々なストレスだ。もちろん他のシグナルでも誘導できるが、老化脳を考えるとやはりストレスから私たちの脳を守ってくれていると考えた方が良さそうだ。しかし、ADや他の神経変性性疾患ではこれまでも紹介したようにオートファジーが亢進しているため、RESTが分解されて脳を守れなくなっている事もわかった。様々な臨床例の脳標本の解析から、認知機能や寿命はRESTのレベルと明らかな相関が見られるため、RESTをなんとか維持すれば認知機能も守れるかもしれないと言う結果だ。この論文からわかるのは、RESTは老化と戦うためのスーパーマンに思える。しかしこの仕事を逆から見ると、老化した脳は本当にストレスにさらされているようで、できればRESTの厄介にならない様脳細胞を休ませる方法はないのだろうか。私の年齢になると気になる。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月25日:悪性膠芽細胞腫治療薬の開発(4月10日号Cell誌掲載予定論文)

2014年3月25日
SNSシェア
新しいメカニズムに基づく抗がん剤開発の報を耳にするのはうれしい。従来方法の改良とは違って、治療が根本的に変わる可能性があるからだ。その典型を慢性骨髄性白血病の治療法に見る事が出来る。私が約40年前医者を始めたとき、慢性骨髄性白血病は経過は長いが治療法のない病気だった。その後骨髄移植が始まると根治可能になったが、骨髄移植は今でも専門医の集中的な努力の上に成り立つ治療法だ。しかしこの白血病の原因遺伝子に対する標的治療薬により、治療法は薬剤を服用するだけでよくなる。あらゆるがん治療が同じ様な歴史をたどって根治に至る事が私たち共通の夢だ。この夢のもと様々な薬剤が開発され、今では多くのがんを根治できないとはいえ、コントロールできるようになっている。しかし取りつく島もないがんが今も存在する。その代表が悪性の膠芽細胞腫だ。これまで放射線療法、細胞死誘導剤、オートファジー阻害剤など治療法が試されて来たが、効果は大きくなかった。今日紹介する論文は、この厄介な相手に正攻法で挑んだ研究でスウェーデン・カロリンスカ研究所から4月10日号のCell誌に掲載される予定だ。タイトルは「Vulnerability of glioblastoma cells to catastrophic vacuolization and death induced by small molecules (膠芽細胞腫は化学薬剤により破滅的な空胞変性を起こし細胞死に至りやすい)」だ。 研究は極めてオーソドックスで、人の膠芽細胞腫細胞株には細胞毒性を示すが、正常細胞株には影響のない化学物質を1200程度のライブラリーの中から探し出している。次に、この化学物質の作用機序を調べ、膠芽細胞腫細胞株に破滅的空胞形成を誘導する結果、細胞が死ぬ事を突き止めている。この細胞死のメカニズムはアポトーシスでもオートファジーでもなく全く新しいメカニズムだ。最終的な経路はまだ不明だが、この薬剤はMAPKK4(マップ4K)を介するシグナル経路を使って細胞膜と細胞骨格の繋がりを不安定にし、調節の利かない空胞形成が誘導する。この作用がが死のメカニズムだ。この作用に基づいてこの化学物質はVacquinol-1(Vacuは空胞)と名付けられている。この分子はゼブラフィッシュやマウスに投与しても大きな副作用はなさそうだ。今の所、膠芽細胞腫特的と言える。マウス脳内にヒト膠芽細胞腫細胞株を移植し治療実験も行い、かなりの効果も確認されている。即ち、薬剤は脳内にも分布し、膠芽細胞腫特異的効果を示すと言う結果だ。この地点から実際の臨床応用までまだ時間はかかるだろう。しかし勇気づけられる結果だ。この20年分子生物学に基づく効率のいい創薬が続けられている時代に、今日紹介する研究のような古典的創薬方法がまだまだ有効である事は肝に銘じるべきかもしれない。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月24日:ジュラ紀の化石にDNAは残っているのか?(3月21日号Science誌掲載論文)

2014年3月24日
SNSシェア
私たちAASJも小保方さんの論文についてニコニコ動画も含めて独自の発信を行ってきた。そのせいか取材申し込みを様々な形で受ける。実際家の前で記者の方が待っていたりすると、世の中の関心の高さが理解できる。ただ私自身は、取材に応じて何かを話す事はしないと決めている。じっくり独自の調査を続けて、計画中の本の中で取り上げようと考えている。また分析に十分な確信が持てた時点で、ニコニコ動画等を使って、しかるべき人と対談してそれを公表したいと思っている。期待して欲しい。    こんな折なので少し世間離れした話題を取り上げよう。遺伝情報解読はどの時代の化石まで可能か?あるいは限界はないのか?この問いに対する研究は今多くの期待を集めている。この一年だけでも70万年前の馬の化石の全ゲノム解読、45万年前の原人のミトコンドリア全ゲノム解読等を紹介して来た。一方琥珀の中に閉じ込められた昆虫や植物の遺伝情報を読む事は全く不可能で、DNAは50年も経てば完全に分解されるという残念な結果も報告して来た。噂によると、この分野の次の目標は既に1000万年前の生物のゲノム情報解読に拡大されているようだ。どの生物を選べばそれが可能になるのか?今日紹介する論文は一つの可能性を示しているかもしれない。スウェーデン自然史博物館からの研究で3月21日号のScienceに掲載された。タイトルは「Fossilized nuclei and chromosome reveal 180 million years of genomic stasis in royal ferns (化石化した核と染色体はシダ類ゲノムの安定状態を明らかにする)」だ。これまでジュラ紀の化石と言うと骨が中心で、皮膚や羽などが見つかれば大喜びだった。ところがこの研究で扱われたシダの化石は火山砕屑岩層から採取されており、カルシウムを多く含む熱水により急速にカルシウム沈着が細胞内にも起こる事で細胞内の様々な器官が保存されている化石だ。結果は単純で、この化石に含まれる一個一個の細胞は、核や核小体の形態は言うまでもなく、分裂期の染色体の構造まで、現存の細胞を顕微鏡下で観察するのと同じ分解度で観察できると言う事が示されている。その上で、核の大きや、染色体の数や形などを現存のシダと比べ、シダ類のゲノム量は2億年にわたってほとんど変わらず安定して現在に至っていると結論している。掲載された写真を見ると、本当に2億年も経っているのか不思議な気分になる。DNAの分解が最終的には分子衝突が積み重なって起こる事を頭ではわかっていながら、この特殊な保存のされ方ならひょっとしてDNAも残っているのではと期待してしまった。雑誌の編集者もひょっとしたらそんな気持ちで採択したのかもしれない。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月23日:ヒトは何種類の臭いを嗅ぎ分けられるか(3月21日号Science掲載論文)

2014年3月23日
SNSシェア
「一体何種類の色を見分けられるのか?」「一体何種類の音を聞き分けられるのか?」「一体何種類の臭いを嗅ぎ分けられるか?」と言った疑問を私自身いまだだかっていだいた事はなかった。しかし広い世界にはそんな疑問をいだくだけでなく、科学的に検証しようとしている人が必ずいる。今日紹介する論文は「何種類の臭いを嗅ぎ分けられるか?」についてのロックフェラー研究所からの研究で、3月21日号のScience紙に掲載された。タイトルは「Humans can discriminate more than 1 trillion olfactory stimuli(ヒトは1兆種類以上の臭いを嗅ぎ分けられる)」だ。   これまでの研究でヒトは750万の色彩、35万の音を区別できる事が示されていたが、臭いについては1927年の研究で約1万種類と決められた後ほとんど調べられていなかったようだ。しかし今、臭いの感覚機構についての理解は急速に深まっている。臭いは様々な脂溶性の化学物質が混じりあったものだが、私たちのゲノムの中にある1000種類以上の臭いセンサーを別々に発現している臭い細胞が様々な組み合わせで反応する事によりそれを嗅ぎ分けている。従って、臭いの嗅ぎ分け実験も一個一個の異なる臭い分子を分別できるかではなく、どれほど多様な分子の組み合わせを区別できるかを調べるべきだと言うのがこの研究の動機だ。研究では、128種類の単一分子を集め、その分子を組み合わせて臭いを作り、組み合わせる分子の数を10、20、30と増やす事で臭いの複雑度を上げている。実験では、26人のボランティアを用いて、2種類の違った組み合わせで調合した臭いを区別できるかどうかを調べている。10、20、30種類の組み合わせを作る際、分子の3割、6割、9割が重複する様にサンプルを調合する。要するに分子の重複度が大きいほど臭いの差が少ないと期待している。さて結果は驚くべき物で、確かに30種類の分子混合で90%分子の重複がある場合は誰も区別できないが、それ以外の組み合わせはかなりの人が区別できると言う結果だ。この結果から計算すると人間は少なくとも1兆種類の臭いを嗅ぎ分けられるといううれしい結果だ。しかしもっと驚くのは、26人程度の小さな集団の中でも大きな嗅ぎ分け能力の差が見られる事で、今回の実験では1000万種類をようやく嗅ぎ分けられる人から、10の28乗種類のようにとてつもない種類の臭いを嗅ぎ分けられる人が見つかっている。なら、次は職業と嗅ぎ分け能力の関係を調べるともっと面白いい研究が出来るのではと思った。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月21日遺伝子検査による大腸がんスクリーニング(3月19日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2014年3月21日
SNSシェア
抗体を使って行う便の潜血検査は有効性が最もはっきりしているがん検査の一つで、アメリカ国立衛生局も強く推薦している。ただ3割程度のがんが見落とされる事も事実だ。この発見率をがん特異的なDNA検査を使って上げられないかを大規模調査で調べたのが今日紹介する研究で、一万人近くの人を、DNA検査、免疫検査、及び直腸鏡で調べて、最終診断と言える直腸鏡による診断率と比較している。論文は3月19日号のThe New England Journal of Medicineに掲載され「Multitarget stool DNA testing for colorectal-cancer screeing(便に含まれる複数の遺伝子を標的とした直腸結腸がんの集団検診)」がタイトルだ。   がんの遺伝子診断は、がんからこぼれ落ちる細胞が壊れた後も便の中に残っているDNA断片を標的に行う。さて直腸がんではどの遺伝子を使っているのかと論文を読んで、不勉強を思い知った。多くのがんで定番の突然変異型KRAS遺伝子は納得だが、他に用いられているのがNDRG4とBMP3遺伝子の発現調節に関わる部分で、しかもメチル化されたDNAだけを特異的に検出する検査だ。事実あらゆる細胞のゲノム上にはこれらの遺伝子は存在しており、がん特異性はない。ただこれらはがんに対して抑制的に働くため、がんがこの遺伝子をDNAメチル化と言う手段を使って不活性化している。従って、がんではこれらの遺伝子が特異的にメチル化されているが、正常細胞ではメチル化されていない。この差をPCRで検出している。調べてみると、2012年に実験的に可能性が検証された方法で、迅速な開発が行われている事がわかる。結果は診断率が直腸鏡診断を100%としたとき、ガンで92.3%、高い異型性を示す前癌状態で69.2%と、これまでの免疫法のそれぞれ73.8%、46.2%をはるかに凌いでいた。特異性や偽陰性率ではDNA検査は多めに検出してしまうようだが、検診目的を考えると納得できる範囲だ。もちろん問題もある。論文を読むと、便を検査に使う場合DNA量が足りなかったりする結果、検査不能率が抗体によるテストの20倍に達する点だ。もちろんコストもかかると思われるが、論文からははっきりわからなかった。しかしコストが見合えば優れた検査で、広く普及すると思う。考えさせられるのは、メチル化を利用してガンのスクリーニングを行おうと考える日本の企業がどの位あるかだ。引退してから論文を読み始めてわかるのは自分が不勉強であった点で、様々な分野で医学が急速に進展していることを思い知らされている。医療産業振興のかけ声はわかるが、企業がこの進展を取り込んでいるのか心配だ。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月20日二次進行期多発性硬化症に対するスタチンの効果(3月19日号The Lancet掲載論文)

2014年3月20日
SNSシェア
多発性硬化症の薬剤についてはフィンゴリモド(8月28日)や、まだ動物段階ではあるがベンズトロピン(10月10日)などを紹介して来た。ただこれらの薬剤は炎症が繰り返す第一期の患者さんが対象で、二次進行期に入ると、有効な薬剤はまだ見つかっていない。今日紹介する論文はこの二次進行期の患者さんを対象にした臨床研究で、これまでコレステロールを下げるために普通に使われて来たスタチンがこのステージに一定の効果があるかもしれないと言う結果を報告している。論文は3月19日号のThe Lancetに掲載され、タイトルは「Effect of high-dose simvastatin on brain atrophy and disability in secondary progressive multiple sclerosis (MS-STAT): a randomized,placebo-controlled, phase2 trial.(二次進行期多発性硬化症の脳萎縮と障害に対する高用量シムバスタチンの効果)」だ。スタチンは最初当時三共製薬の研究所の遠藤章さん等により開発されたHMG-CoA還元酵素阻害剤で高コレステロール血症の治療薬として世界中で使われて来た薬剤だ。今回使われたシムバスタチンも遠藤さんが開発した薬剤とは構造は違うが同じ作用を持つ薬剤で日本ではリポバスとして知られている。これまで長く使われて来た薬剤であるため、他の用途にも迅速に使用が可能だ。この治験では、140人の患者さんを選んで、半分に偽薬、残りの70人にシムバスタチンを80mgと高用量で25ヶ月投与し、12ヶ月、25ヶ月で詳しく調べている。臨床試験としては無作為化した2重盲検で厳しい基準で研究を行っているが、あくまでも効果を見るパイロット実験と言う事で治療を受けた人数は少ない。薬剤の効果が最もはっきりしたのは、MRIによる脳画像で、シムバスタチンを服用する事で脳萎縮が対象に比べ50%近く遅らせる事が出来た。自覚、他覚症状も驚くほどではないが統計的に改善が見られるようだ。免疫機能など他の検査にはほとんど差を認めていないが、更に大規模で長期の治験を是非進めて欲しいと思わせる結果だ。無論脳画像だけで将来を判断する事は難しく、スタチンの作用を否定する結果も報告されている事を考えると、早く第三相の治験を進めて欲しいと感じる。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月19日:細菌に腸内環境を記録する(アメリカアカデミー紀要オンライン版)

2014年3月19日
SNSシェア
最近腸内細菌と病気との関係が注目を集めているが、これにはDNA配列決定の技術進歩が大きく貢献している。例えば腸内内容物のリボゾームRNA遺伝子の配列を次世代シークエンサーを使って決定すると、調べたい場所に存在する腸内細菌の種類を正確に知る事が出来る。一昔前は、細菌の特定には菌の培養が必要だったが、これと比べると多くのサンプルを迅速に処理出来る。事実3月12日号のCell Host & Microbe紙に掲載されたハーバード大学を中心とした研究グループでは、450例近くの若年性クローン病患者さんから、 大便だけでなく、回腸や直腸のバイオプシーサンプルを集め、その中に含まれる腸内細菌叢の種類を調べている。これまでの研究では、大便の腸内細菌叢とクローン病とのはっきりとした相関は見られないとされていたが、今回の研究では回腸や直腸の細菌叢の中にクローン病で増える細菌の種類を特定しており、将来の治療も含めて期待が持てる結果だった。とは言え、次世代シークエンサーやバイオプシーを一般臨床に使う事は難しい。より簡単に腸内の状況を調べる方法がないのだろうかと思っていたら、今日紹介する論文を見つけた。これもハーバード大学からの研究で、米国アカデミー紀要オンライン版に掲載されている。タイトルは、「Programmable bacteria detect and record an environmental signal in the mammalian gut (プログラムした細菌を使って腸内環境を検出し記録する)」だ。方法の細部は全部省くが、外界のシグナルを感受して標識遺伝子を安定に発現する様なスウィッチ回路遺伝子を組み込んだ大腸菌を作成する。例えば、一定量のアルコールにさらされると光を出す大腸菌を飲んで(実際の実験ではテトラサイクリンと言う抗生物質をシグナルに使っている)、何日後かに大便が光っておればアルコールが消化管のどこかに存在していた事の証拠になると言うアイデアだ。実際にマウスにこのレポーター細菌を飲ませて、腸管内に存在するテトラサイクリンの検出に成功している。ただ、本当の目的はこの様な単純なレポーターではなく、腸管内に生息する悪玉菌と接触すると光る様な仕掛けを組み込んで、最終的には疾患に関わる菌の存在を検出する検査系の確立を目指している。患者さんが組み換え細菌を飲んでもいいと思える様なレポーターを完成させるためにはまだまだ多くのハードルがある。しかし論文を読んだ後、色々工夫をすれば可能ではないかと思えてくる。最初に紹介した論文からわかるように、大便に存在する腸内細菌叢は疾患との相関がないが、直腸や回腸などの奥深くの細菌叢は相関性が見られる場合がある。とすると、何回もバイオプシーを繰り返す代わりに、この様なレポーターが活躍する場合も十分あり得る。面白い研究が世界では進んでいる。
カテゴリ:論文ウォッチ
2024年5月
« 4月  
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031