10月17日:女子割礼風習をを変える(Natureオンライン版掲載論文)
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10月17日:女子割礼風習をを変える(Natureオンライン版掲載論文)

2016年10月17日
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   昨日はScience誌に掲載された難民問題に関する社会科学論文を取り上げたが、2大一般科学誌が社会問題を解決するための科学を重視し始めたことを示すもう一つの例として、Natureオンライン版に掲載された女子割礼の風習を変えるための一つの方法の有効性について示したチューリッヒ大学とスーダンのオムドゥルマント、カートゥームの地方政府の共同論文を紹介したいと思う。タイトルは「Changing cultural attitudes towards female genital cutting (女子外性器割礼に対する文化的態度を変化させる)」だ。
  私自身が女児割礼について初めて知ったのは、大学6年の夏休み、刀根山病院で学生研修を受けたときで、ケニアの医療機関で指導された経験のある山村医師からこの風習を習った。この研究が対象にしているスーダンでもこの風習は現在も続いており、しかも外国に暮らすスーダン人の中でもこの風習を守る人たちがいる。すなわち風習と片付けられない、長い歴史で形成された文化になっている。
  とはいえ、不衛生な環境で行われる割礼により多くの女児が死亡したり、感染に苦しむ現状は明らかなので、女児を守る意味では即刻やめるべき文化と言える。事実様々な機関が教育により、割礼をやめさせようと努力してきた。ただ、頭ごなしにその危険性を説く多くの試みは、現地の人たちに先進国の文化を強要するための活動に見え、新しい方法論の開発が必要とされていた。
   この論文の著者らは、既に一般住民の中に女子割礼に反対する意見が生まれていることに着目し、多様な意見に住民が気づくことで、変えることができない文化として無意識のうちに従ってきたこの風習を自分の子供には受けささないという選択ができないか調べた研究だ。
   女児割礼が続く背景には、それぞれの個人が持っている価値観、そして自分の子供が結婚できるかの2大要因が存在する。しかし、個人的価値観は純潔や文化を守るという立場だけではなくなり、衛生上の安全性を価値観として押し出す人たちも増えてきている。一方、子供が結婚できるかについては、自分の息子は割礼された女性を本当に喜んで迎えるか、疑念を持つ人たちも生まれてきている。
   研究では住民の中にこの価値観の違いが生まれていることを、3本の娯楽映画で表現して、これを住民に見てもらった後、意見が変わったかどうかを調べている。3本の映画は、価値観の多様性、結婚可能性に関する考えの多様性、そして両方の要因についての意見の多様性をテーマとしている。それぞれの映画は90分の娯楽映画に仕立てられており、子供の割礼をめぐって夫婦が様々な議論を繰り返した後、自分たちの父親に止めたいという気持ちを伝え、父親もそれを許すという筋立てになっている。
   それぞれの映画を見せた後、すぐに聞き取り調査で割礼に対する意見を聞くと、それまで割礼賛成の住民の多くが、反対に回るという結果を得ている。ただ、この場合どの映画を見ても同じ結果で、それぞれの映画の効果に差はない。
   ところが、映画を見た後数週間後に意見を聞くと、価値観と結婚観の両方が扱われた映画を見た住民では割礼反対の意見が維持されていたのにもかかわらず、価値観、結婚観をそれぞれ別々に扱った映画の効果は大きく低下していた。
   面白いのは家から離れることの多い遊牧民では、割礼を維持する考えを変えることは難しいようだ。
   とはいえ、この結果から、できるだけ多くの要素について、住民の中で多様な意見があることを認識すること、また夫婦や家族の中で問題をタブー視せず話し合うことができることを認識すること、この2点について、決して上から目線の啓蒙映画ではなく、娯楽映画仕立てで見てもらうことで、住民の意識が変わることを示している。
   繰り返すが、Natureがこのような取り組みを掲載するのは21世紀に入って大きな変化が進んできていることを示している。
  もちろん、割礼については納得の論文だが、皮肉な見方をすると、洗脳技術を高めれば文化でさえも変わると読める論文でもあった。
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10月16日難民問題のサイエンス(10月14日号Science掲載論文)

2016年10月16日
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    10月から日本フンボルト協会・関西支部との共同企画で「ドイツへの新しい眼差し」と題して、フンボルト財団奨学生としてドイツに留学経験のある方々を招いて、現代ドイツについて語ってもらい、ニコニコ動画やYouTubeで発信する企画を始めている。第一回は10月2日、同志社大学美学科教授の岡林先生の、異才シュリンゲンジーフを中心に、ドイツ再統一とテロリズムについて語ってもらい、私と平安女学院大学教授、高橋先生が議論に参加した(https://www.youtube.com/channel/UCrUx4EiHsTRpuKnElG3QDVA)。
   次回は11月13日午後4時から、同じ高橋先生をお招きして、ヨーロッパ各国を揺るがしている難民問題とドイツの立場について語ってもらうことになっている。ジャーナリズムとは異なる視点でこの問題を議論しようと考えており、多くの方に見ていただきたいと思う。
   この企画では、元科学者の私にはなかなか出番はないので、もっぱら聞き役かと思っていたが、幸い難民問題については今週号のScienceにヨーロッパ各国18000人を対象に難民問題についての考えを聞いた調査論文が発表されたので、今日紹介するとともに、当日重要な資料として高橋先生の意見を聞いてみたいと思っている。
   スタンフォード大学とロンドンスクールオブエコノミックスからの論文で、タイトルは「How economic, humanitarian, and religious concerns shape European attitudes toward asylum seekers (難民に対する欧州人の意見に及ぼす経済的、人道的、宗教的要素の影響)」だ。
   研究ではヨーロッパ各国の市民18,000人を対象に、コジョイント分析手法を用いて難民の受け入れに当たっての条件を聞いている。
   コジョイント分析というのは商品開発や政策決定のためによく利用される調査手法で、一つ一つの問題に複数例の回答を提示し、回答者に選ばせる方法で、これを基礎に商品企画などが行われている。この研究では商品開発ではなく、今ヨーロッパを揺るがす難民問題に対する政策決定に役立てることが目的だ。
   しかし驚くのは、このような研究がScienceにレギュラーに掲載されるようになってきたことで、この前の号にはインドの医療政策についての論文が掲載されている。またNatureでも先週号にはアフリカで問題になっている女児の割礼が取り上げられている。これについては明日紹介するつもりだ。
   今日の論文に戻ろう。
  調査では、保安問題と関連して、難民の聞き取り調査で答えに一貫性があったかどうか、出身国(シリア、アフガニスタン、コソボ、エルトリア、パキスタン、ウクライナ、イラク)、経済問題と関連して母国での職業、人道問題に関連して迫害等の経験、国を捨てた理由、そして宗教などについて幾つかの例が提示され、それぞれの例について難民受け入れを支持する理由になるか、拒否する理由になるかを聞いている。
   調査した15カ国で結果に大きな差はなく、
1) 身元調査で首尾一貫していない場合は受け入れ拒否する、
2) 職業に関しては教師や医師のような高レベル教育を受けた難民を優先して受け入れ、受け入れ国の経済的負担にならないようにする。
3) 拷問などの迫害を受けた経験のある難民を優先的に受け入れる。
4) イスラム教徒は受け入れを拒否したい。
という結果になっている。ただ、最後のイスラム教徒受け入れについては、左翼政党支持層ほど拒否反応が低い。    現在ヨーロッパに押し寄せる難民のほとんどがイスラム教徒である一方、イスラム教徒への拒否反応が強い現状を考えると、「宗教、信条に関わらず、母国から迫害を受ける人は、何人も難民として認めるべきである」という国連憲章は極めて高いハードルであることがわかる。
   おそらく、難民の身元調査を徹底さ保安上の問題を取り除くこと、難民が経済的に貢献することを説得するとともに、市民のイスラム教アレルギーを解消するための政治的想像力が必要であることが、政治家へのこの研究のメッセージだろう。
   しかし、政治家がサイエンスを読む時代を目指すサイエンス編集者の選択意図がはっきりわかる論文だった。
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10月15日:膵臓癌の見方を変える発見(Natureオンライン版掲載論文)

2016年10月15日
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   このホームページではなんども膵臓癌のことを扱ってきた。これは、膵臓癌治療成績が、がん研究の進歩をあざ笑うかのように、半世紀以上も変化していないからだ。
   ゲノムから見ると、膵臓癌のほとんどがRAS, p53, SMAD4, CDKN2Aと典型的なガン遺伝子、ガン抑制遺伝子が積み重なった、ガン多段階説の手本のような存在で、同じような組み合わせは他のガンにも見られることから、膵臓癌の群を抜く悪性度を理解することはできていなかった。
   しかし、今日紹介するカナダ・オンタリオガン研究所からの論文は、膵臓癌が、他段階的に変異を積み重ねて進化するのではなく、或る日突然カンブリアの大爆発のように大変革を起こして悪性化していることを示し、私の膵臓癌についての見方を完全に変えた。タイトルは「A renewed model of pancreatic cancer evolution based on genomic rearrangement patterns (ゲノムの再構成パターンに基づく膵臓癌進化の新しいモデル)」で、Natureにオンライン掲載された。
   確かに膵臓癌では遺伝子のコピー数が変化することがわかっており、大きなゲノム変化が起こりやすいことはわかっていた。しかし、ゲノム研究が遺伝子配列の比較に偏り、例えば染色体の数が変化するような大きな変化について詳しく調べた研究は、あまり目にしたことがなかった。
   この研究では、まず100に及ぶ膵臓癌の全ゲノム配列を解読している。ただ、これまでの研究と異なり、膵臓癌細胞だけをセルソーターで集め、ゲノム解析を行っている。膵臓癌では線維芽細胞の増殖が強く、がん細胞の割合が少ない。それでもインフォーマティックスでガンゲノム配列を解読することは可能だが、ガン以外の細胞が多いと、染色体全体の数が増えるような大きな変異を見落としてしまう。
   次に、シークエンサーのリード回数からゲノム各部のコピー数の変化を正確に推定できるソフトを開発して染色体レベルの変化を調べることができるようになった。
   これに加えて、細胞レベルで特定の遺伝子数をカウントするFISH法を用いてゲノム解析の結果を確認するともに、異なる時期に採取したガン細胞を比較し、ガンの進展過程を追求している。
   この改良により、なんと膵臓癌の半分で全染色体の数が倍化、あるいは3倍化する場合もあること、またこれに伴い、クロモスプリシスと呼ばれる一部の染色体の断片化と再構成が起こり、遺伝子変異が急速に積み重なることを発見している。
   この100例のゲノム解析に加え、個々の患者さんのガンの進化過程のゲノム解析を加えて、次のような結論に至っている。
1) 膵臓癌でも、最初はRASガン遺伝子とともに、p53、CDKN2Aのようなガン抑制遺伝子が変化する通常の発がん過程から始まる。
2) しかし、染色体の不安定性を誘導する変異が入ると、まず染色体が倍化が起こる。これにより、発ガン遺伝子のコピー数は増大し、染色体もより不安定になる。
3) ここに、クロモスプリシスが起こることで、一挙にガン遺伝子やガン抑制遺伝子の大きな再構成が起こり、ガン抑制遺伝子がさらに失われ、ガン遺伝子はコピー数が増える。
4) この大きな変化に呼応して、悪性度が進み、転移が広がる。
以上の結果は、膵臓癌の予後診断にとって、遺伝子変異だけでなく、染色体検査が極めて重要であることを意味する。すなわち、染色体の大きな変化が起こる前と後でガンを分類し、それぞれに特異的な治療を考える必要がある。また、化学療法に関しても、染色体が極めて不安定になっている点を突いた治療が重要であることも示唆している。
   一見救いのない論文に見えるが、ガンをよく知ることが制圧のための第一歩だ。その意味で、優れた研究に出会ったと喜んでいる。
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ボランティア精神はボケを防ぐ(10月3日号Journal of American Geriatrics Society掲載論文)

2016年10月14日
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  我が国を含む長寿国の高齢者にとって一番気になるのは、このままボケずに暮らせるかだ。実際、書店に行くとボケを防ぐと称する本が平積みになっている。目を通したわけでないので論評を控えるが、ボケ防止と推奨されている方法のうち、どの程度が科学的に確かめられた方法か気になるところだ。元気なお年寄りの個人的経験をそのまま集めた本も多いのではないだろうか。
   若い時の教育や、経験が本当にボケを防止するか調べるためには、長期の追跡が必要だ。例えば2014年6月に紹介した外国語学習がボケを防止するという研究は1936年から追跡されているスコットランド人の集団が高齢になるのを待って集計され、2014年に論文にまとめられたものだ(http://aasj.jp/news/watch/1660)。なんと足掛け70年にわたる研究と言っていい。このように積み重ねられた研究結果をもとに、ぜひ一般向けの本を書いていただきたいと思う。
   今日紹介するアリゾナ州立大学からの論文は、70年とはいかないものの、1998年から2012年までほぼ15年にわたって高齢者を追跡した研究で、ボランティア精神があると認知症になりにくいことを示唆する論文だ。タイトルは「Volunteering is associated with lower risk of cognitive impairment (ボランティア精神があると認知症リスクが低い)」だ。
   研究では1998年時点で60歳以上(平均71歳)の13262人をリクルートし、インタビューにより様々な質問に答えてもらい、14年にわたって記憶力テストにより確認できる認知症の発症を追跡している。    この研究で調べたのは、ボランティア精神があるかどうかで、最初にこれまでボランティア活動に参加したことがあるかどうかを聞き取り調査し、その後もボランティア活動に参加したかどうか調べ、認知症の発症率と相関させている。
   驚くべき結果だ、まず認知症を発症した群と、発症しなかった群でボランティア経験を調べると、発症した群でのボランティア経験率は約50%、発症しなかった人のそれより低い(0,23vs0.33)。 
  今度は逆に調査開始後ボランティアに行ったことのある回数と認知障害の発症率を調べると、全くボランティア経験がない人の認知症率が17.3%に対し、1回経験で14.3,2回経験で14.9%、そして3回以上でなんと7.6%に低下している。すなわちボランティアに行く人ほどボケないことがわかる。
  これはボランティアで汗を流すからという話ではなく、おそらくそれまでの生涯でボランティア精神をつちかったことがボケを防止していると解釈すべきだろう。ボランティアの盛んなアメリカならではの話だが、優しい心はボケを防ぐなら、優しい人間をどれだけ増やすか、教育を考えることが重要なようだ。
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10月13日:卵巣癌に対するPARP阻害剤の効果(10月8日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2016年10月13日
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   現在のところ卵巣癌を根治するためには早期に発見して手術を受けるほかなく、ステージが進んだ症例に使われる化学療法では、多くの場合ガンを叩き切ることが難しい。その意味で、ガンのチェックポイント治療への期待が高まっており、またこれまでの治験で効果が示されている。一方、これまでの抗がん剤による治療をさらに高めることができないか模索も続いている。    今日紹介するコペンハーゲン大学を中心とするヨーロッパ、アメリカ、カナダ107施設が参加する第3相国際治験に関する論文は、従来のプラチナ製剤を中心とする治療にDNA修復に関わるPARP阻害剤を組み合わせることで高い再発予防効果が見られることを示した論文で10月8日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。
   PARPはDNA2本鎖にできたブレークを検出して塩基除去修復機構システムをリクルートする重要な酵素で、抗がん剤などによってできたDNA損傷の修復を妨げる効果があり、抗がん剤の効果を高める新しい治療法として治験が始まっていた。この治験では、すべてのステージの卵巣癌(1or2期を10%前後含むが、ほとんどは3期以上)で、プラチナ製剤による化学療法で反応が見られた患者さんを選び、8週以内にPARP阻害剤ニラパリブ300mg、1日2回投与を続け経過を観察、ガンの進行が抑えられるかを評価している。また、治験途中で亡くなった場合、その原因を問わず再発例として扱っている。治験は偽薬を用いた無作為化二重盲検法で、再発の判断も主治医以外が行うという完全なものだ。
   さらに患者さんを、遺伝的なBRCA遺伝子の変異を持つかどうかで分けて効果を評価している。BRCAが欠損すると相同組み換えがうまくいかないため、この薬剤の効果がより高くなると想定されるためだ。さらに、遺伝的BRCA変異がないケースも、がん細胞の相同組み換え機能を確かめる検査を行い、この機能の有無で薬剤の効果に違いがあるか調べている。すなわち、将来ニラパリブの効果を前もって予測できるかについても検討している。
   結果はめざましいもので、最初からBRCA遺伝子に変異を持つ群でみると、偽薬群では5.5ヶ月で再発したのに対し、21ヶ月再発が起こらない。また、遺伝的BRCA変異がなくとも、相同組み換え機能が欠損しているガンでみると、再発までの期間が偽薬群の3.8ヶ月に対し、12.9ヶ月だ。もちろん、相同組み換え欠損がない場合でも一定の効果があり、偽薬群の3.9ヶ月に対し9.3ヶ月に伸びている。
   一方、 PARP阻害剤はガン特異的ではないため、一般抗がん剤と同じように吐き気、血小板減少症、貧血などは半分以上の患者さんに見られる。また、14%の患者さんが副作用のため服用を中止している。ただ著者らは患者さんの生活の質に関しては、自覚的にも我慢できる範囲だったと結論している。
   ガン特異的ではない薬剤としてはかなり期待できる結果だと思う。特に、プラチナ製剤でDNAに傷をつけ、その修復を止めるという作戦は、論理にかなっている。また、完全とは言えないものの、効果を前もって予測できる検査があることも重要だ。今後、再発ではなく、生存率などさらに詳しいデータを待つ必要があると思うが、難治の卵巣癌にも光が差してきた印象を持つ。期待したい。
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10月12日:なぜ指は5本になったのか(Natureオンライン版掲載論文)

2016年10月12日
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   稲盛財団研究助成の審査委員を務めていた頃、生物系だけでなく、様々な分野の先生とご一緒したが、数学者の広中先生と交わした会話は今でも覚えているものが多い。その中の一つを紹介すると、審査委員会前に急に寄ってこられて、今も新しい問題にチャレンジしていること、そして今取り組んでいる問題が解ければ、指がなぜ5本かわかる、と言われた時、数学と聞くと怖気付く私は、合いの手も入れられず話を聞くだけだった。
   今から考えてみると、生物学者としてはっきり言うべきことはたくさんあったはずだ。まず、指が5本というのは、すべて必然(物理的)で決まるわけではなく、基本的に無作為な進化過程を経て生まれた結果であること。それでも、フィボナッチの級数に従う葉の並びのように、必然的過程の関与はあるはずで、数学から習うことは多い、などだ。まあ今からではもう遅い。
   今日紹介するモントリオール大学からの論文は、哺乳類の指が5本になった理由を考える論文でNatureオンライン版に掲載されたが、読んで広中先生のことを思い出した。タイトルは「Evolution of Hoxa11 regulation in vertebrates is linked to the pentadactyl state (脊椎動物でHoxa11遺伝子調節領域の進化が指が5本あることに関わっている)」。
   おそらく一般の人には馴染みがないと思うが、Hox遺伝子は1番から13番まで、ゲノム内でクラスターを作って存在し、ゲノム上でのHox1-13の並びの順序が、体の前後軸に沿って発現する順序と相関している。これにより、体の前から後ろまで、各体節で異なるHoxセットを使うことで、適切な場所で、例えば肋骨と腰骨をプログラムすることができる。
   またHoxのうち後方の遺伝子は、四足類ができる時に四肢のプログラムに使われ、その後手のひらができる時にも形を決めるのに使われる。
   この研究では、Hox11とHox13のクラスターが、魚のヒレでは同じところに発現しているのに、哺乳動物になると手のひら全体に発現するHox13に対して、Hox11が手のひらの根元だけで(すなわち指になる領域以外)発現するのが、哺乳類特有の5本の指に関係しているのではと考え、この発現パターンのメカニズムを探っている。
   結果をまとめると、
1) Hox11,Hox13遺伝子自体は同じ調節を受けており、Hox11遺伝子全体を標識分子に置き換えると、Hox13と同じ発現パターンを示す。
2) 1)の結果は、Hox11遺伝子から転写されるRNAがHox11遺伝子自体の指での発現を抑制していることを示唆する。
3) 実際、Hox11遺伝子の最初のエクソンから逆さまに転写されるRNAは、指の領域で発現し、Hox11の発現を抑える。
4) このノンコーディングRNAの転写を調節するエンハンサーをノックアウトすると、Hox11が指領域でも発現する。
5) このノンコーディングRNA転写に関わるエンハンサー領域は、なんとHox13の支配を受けており、Hoxa13,Hoxd13両方の遺伝子をノックアウトすると、Hox11の発現は手のひら全体に広がる。ただ、Hox13のみのノンコーディングRNAの転写は説明できない。
6) Hox11を指の領域で発現させると、指の本数が上昇する。
7) ノンコーディングRNAの調節領域は哺乳動物になるとよく保存されている。
すなわち、進化の偶然で、Hox11のノンコーディングRNAがHox13の支配を受けるようになり、この作用でHox11の発現が指の領域から排除されることが、5本の指の形態と関わるという結論だ。
   とはいえ、なぜ5本かについては、この研究では答えられない。もう一度広中先生の説を拝聴してみたいと思う。
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10月11日:円形脱毛症治療薬治験(10月5日Journal of Clinical Investigation/Insight 掲載論文)

2016年10月11日
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    覚えておられる方もおられるかもしれないが2014年8月20日「円形脱毛症が本当に治る」というタイトルで、円形脱毛症の患者さん3例にJAK阻害剤を服用してもらうと、全員完全に治ったことを示したコロンビア大学からのNature論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/2050)。完全な脱毛状態が正常化した写真を見て大変感激したのを覚えている。
   今日紹介するスタンフォード大学からの論文は同じ治療をもう少し大規模に行った治験で10月5日号のJournal of Clinical Investigation/Insightに発表された。タイトルは「Safety and efficacy of the JAK inhibitor tofacitinib citrate in patients with alopecia areata (円形脱毛症の患者さんに対するJAK阻害剤トファシチニブの安全性と効果)」だ。
   この論文を読むと、JAK阻害剤を使って円形脱毛症が治療できることについては紹介したコロンビア大学だけでなく、このグループを含め全部で3編の論文が発表されていたようだ。いずれにせよ実験的治療から2年で治験がここまで進んだのは驚きだ。
   この治験では、少なくとも6ヶ月脱毛が改善しない被験者を70人募って、トファシチニブを1日2回服用させ、3ヶ月後の回復状態を調べている。病気の性格上か、対照は2人だけと医療統計学的には問題があるが、毛が生えてくればよしとする治験だ。
  円形脱毛症は一種の自己免疫疾患で、毛根の活動期への誘導が抑制されており、トファシチニブは免疫系への抑制効果を期待する治療だ。
  さて結果だが、頭髪だけが脱毛する円形脱毛症では70%の人で症状の改善が見られるが、全身の脱毛がある場合は10%程度の人しか改善が見られていない。したがって、この治療はまず頭髪のみの脱毛患者さんだけに適応がある。
   次に、すぐ治療に反応したグループと、反応が遅い、あるいは全く反応しなかったグループの、治療前の皮膚で差が見られる遺伝子をリストし、それを元に予後が予測できるかを調べ、一つのマーカーではなく、多くのマーカーを組み合わせて皮膚を調べることで、治療に反応できるかどうか予測できることを確かめている。
   他にも、治療開始までの時間が長いほど反応が遅いことも明らかになった。
  以上の結果をまとめると、円形脱毛症で、他の部分の体毛に影響がないばあい、できるだけ早く皮膚バイオプシーによる遺伝子発現検査で予後を予測し、トファシチニブ治療を始めることで、かなりの効果が期待できると結論できる。
   ただ、一つ大きな問題が残っている。すなわち、薬をやめると2ヶ月ほどでまた脱毛が始まることだ。すなわち薬剤の服用を続ける必要がある。
   今回の治験では安全性が確かめられているが、3ヶ月の服用の話で、もっと長期については心配だ。    完全な治療法確率までは、まだ時間がかかりそうだ。
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10月10日 Theory of Mind (10月7日号Science掲載論文)

2016年10月10日
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    現役時代には個人的興味として読んでいた様々な本も、現役をやめてから本や講義の下調べとして読み直す必要が出てくる。ダーウィンの残した課題、すなわち無生物から生物への過程についてはだいたい調べは終わり、自分でも納得できるシナリオができたが、デカルトの残した課題、すなわち二元論の克服になると先が思いやられる。
   ともかく本を読むことからしか考えはまとまらないので、イメージが湧いてくるまでいろんな本を読むしかない。今はジョン・サールのDiscover Mindを読んでいるが、クワイン以来のアメリカの現代の哲学者の多くは二元論の克服を模索している点、そして脳科学や心理学研究についての科学的研究を積極的に取り込んでいる点で群を抜いている。
    私自身、脳科学の多くの問題を彼らの著作から知ることが多かった。今日の話題「Theory of Mind」について初めて知ったのは、デネットの「Consciousness explained」だった。しかしデネットに限らず、サールも、ネーゲルもアメリカの哲学者たちは、Theory of Mindを哲学と科学をつなぐパイプとして考えてきたことは間違いない。
   Theory of Mindとは、「他人の心を知ることはできないが、他人は決して心のないゾンビではなく、自分と同じ心を持っている」と私たちが信じていることを指している。
   Theory of Mindを私たちが確かに持っていることを実験的に確かめるためには、間違った思い込みを持つ他人の行動を予測できるか調べる実験が行われる。実験では、ある人間が間違った思い込みを得るまでのすべての過程を見せたあと、実際にその思い込みに従って行動するとき、その行動を予測できるかどうかを調べる。要するに、経過を見た後、自分だったらこう間違うだろうなと思うのと同じ行動を他人もとると予測できるかどうかを調べるテストだ。ただ、「あのおじさんどちらを選ぶ?」と聞く必要があり、質問を理解するための被験者の能力が必要なため、Theory of Mindは4歳児以降の人間にしか認められなかった。
   ところが、視線を追跡する方法が開発され、研究は新たな進展を見せる。すなわち、質問を理解する能力の縛りがなくなり、どこを被験者が見ているかで被験者が考えていることを判断できるようになった。この結果、Theory of Mindは2歳児にも認められることが明らかにされた。
   この進展を受けて、人間特有とされていたTheory of Mindがチンパンジー、ボノボ、オランウータンにも存在することを示した画期的な研究が今日紹介するデューク大学と京都大学からの論文で10月7日号のScienceに掲載された。タイトルは「Great apes anticipate that other individuals will act according to false beliefs(類人猿は他の個体が間違った思い込みに従って行動することを予測できる)」だ。
   実験は熊本にある京大のチンパンジー施設と、ドイツ・ライプチヒにある類人猿施設でそれぞれ独自にデザインされた課題で行われている。要するに、一人の人間が、キングコングの縫いぐるみを着た人間に騙される過程をビデオで見た類人猿が、最後に騙された人間がとる行動を予測しているかどうか、視線の方向を記録して測定して判断する実験だ。実験の様子は百聞は一見に如かずで、論文の動画が朝日新聞に転載されているのでそれを参考にして貰えばいい(http://www.asahi.com/articles/ASJB64STSJB6PLBJ002.html)。
   先にも述べたが、同じ課題を全く異なる状況を設定して行い、騙された人間が行う選択を類人猿は前もって予測し、先に選択するアイテムに視線を集中させることを明らかにしている。すなわち、自分の心に浮かんだストーリーを、他人も持っていることを類人猿も想定できているという結論だ。
   私自身はこの実験だけで最終結論とするのはまだ早いと思うが、しかし同じシステムで、様々な課題を工夫することでTheory of Mindの科学は進むと思う。
   アメリカの哲学者も即刻この結果に反応するだろう。この論文のラストオーサーは言語の起源について優れた著書を書いているマイケル・トマセロだが、このような研究者が人文科学とのパイプとして大きな役割を演じ、アメリカ特有の哲学の発展に寄与しているのだと思う。しかし、この論文を読んで、熊本のチンパンジー施設が京都大学に移管されたことを初めて知ったし、トマセロがライプチヒからデューク大学に移りつつあることもわかった。両施設から今後も面白い研究が生まれることが期待している。
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10月9日:寝る前に水を飲む習性(9月29日号Nature掲載論文)

2016年10月9日
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     脳梗塞は早朝から朝にかけて起こりやすいことが知られているが、この理由の一つが、睡眠中に脱水が進み血液成分濃度が高まるためだ。従って、大量の汗をかく夏は寝る前の水分摂取が大事になる。しかしこのことを知って就寝前に水を摂取することはあっても、寝る前に水が飲みたくなることは普通はないように思う。
   これに対し今日紹介するカナダ・マクギル大学からの論文は、ネズミは就寝中の脱水を予想して、就寝前に盛んに水を飲む習性を持っていること、そしてそれが概日周期にリンクしていることを示した研究で9月29日号のNatureに掲載された。タイトルは「Clock-driven vasopressin neurotransmission mediates anticipatory thirst prior to sleep (概日周期によって誘導されるバソプレシンが寝る前の予見的渇きを誘導する)」だ。
   この研究のハイライトは、実験室で飼われているマウスが、寝る前の準備として水を飲む習性を持つという発見だろう。これがわかってしまえば、現在の脳科学でこの習性の背景にあるメカニズムを解明することは簡単だ。
   もともと渇きはOVLT(終板脈管器官)と呼ばれる、脳弓の下部にあって血液のイオン濃度を感知して体液バランスを調整している部位により調節されていることがわかっているので、この部位の興奮を記録すると、期待どおり寝る前に活動が高まる。すなわち、通常はイオンやホルモン濃度で興奮するOVLTが概日周期とリンクしていることになる。
   実際、概日周期に関わる視神経が交差する視交叉上部のSCNとOVLTの結合をトレーサーで調べるとSCNからOVLTに神経が投射している。また、就寝前の最初のシグナルはSCNが興奮することで発生し、このシグナルが体液バランスを調節するバソプレシンを分泌する神経投射を介してOVLTを刺激、これにより水を飲む行動が誘導されることを明らかにしている。最後は、光遺伝学でOVLTの興奮を操作し、この行動を思うように亢進させたり、低下させたりすることができることを示している。また、バソプレシン受容体遺伝子を欠損させたマウスでは、寝る前に水を飲まなくなることも示している。
   一つの行動が明らかになると、解剖学、生理学、行動学をつないでシナリオを仕上げる現代脳科学の到達点を示してくれるいい例だ。いずれにせよ、マウスでは本能的に寝る前に渇きを覚える回路があるようだ。しかし、自分自身の経験では、特に寝る前に渇きを感じて水を飲みたくなるわけではない。だとすると、私たちの渇きは概日周期から解放されたのだろうか?もしこの本能がそのまま残っていたら、脳梗塞はもっと防げるのかもしれない。
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10月8日:着実に進む核酸薬治療(The Lancetオンライン版掲載論文)

2016年10月8日
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    実験室ではアンチセンスRNAやRNA干渉を当たり前のように使っているのだが、個人的にはRNAを用いる核酸薬開発は、分子の安定性と細胞内へのデリバリーの面から難しいのではと思っていた。たしかに、肝臓ではこのような核酸薬の取り込みがよく有望な分野だと聞き知ってはいても、それほど大きな期待を持ってはいなかった。
   しかし今日紹介するイオニス・ファーマとワシントン大学からの論文を読んで、RNA薬は難しいという私の考えが間違っていることを思い知った。タイトルは「Antisense oligonucleotides targeting apolipoprotein(a) in people with raised lipoprotein(a): two randomized double-blind, placebo-controlled, dose-ranging trials (アポリポ蛋白質(a)が高い人に対するアンチセンス核酸薬の効果:偽薬を対照とした二重盲検無作為化治験)」だ。
   この研究が標的にしたのはリポプロテイン(a)で、肝臓の膜上でLDLを構成するアポプロテインBと共有結合し、アポリポプロテインへ転換される。なぜこのような分子が必要なのか完全にわかっているわけではないが、動脈硬化を促進する独立の因子として現在注目されている。問題は、リポプロテイン(a)の血中濃度と、虚血性心疾患との関連が明確に示されているにもかかわらず、現在開発されている高脂血症治療薬には全く反応しない。そこで、アンチセンスRNAを用いて肝臓内でのリポプロテイン(a)の生産を止めてしまおうというのがこの治療のアイデアだ。
  この治験はまだ第2相までの小規模治験で、それぞれ50人程度の対象者で行われているが、偽薬を用いた完全な統計学的手法で行われている。    結果はすでに述べた通り、素晴らしい。
    リポプロテイン(a)のmRNAに対応するアンチセンスオリゴ核酸を100mgから300mgまで、週一回皮下に注射、12週まで続けている。皮下に注射するだけで、肝臓でのリポプロテイン(a)生産を低下させられるのかと思うが、なんと血中リポプロテイン(a)を80%低下させることができている。また、リポプロテイン(a)と結合する様々な分子も同時に低下し、LDL-Cすら25%程度低下する。また、注射を止めた後も効果は2ヶ月ぐらい持続する。
   その後、このアンチセンスオリゴ核酸に糖鎖を結合させることで、効果を三十倍に高められることがわかり、新しいフォームのオリゴ核酸も同じように治験を行っている。結果は期待通りで、今度は10mg-40mgという1オーダー低い濃度で治験を行い、80%以上血中リポプロテイン(a)低下に成功している。また、糖鎖を結合させないオリゴ核酸で見られた様々な副作用は、糖鎖結合型では全く見られなかったという結果だ。
   皮下に週1回注射するだけで効果があるということは、アンチセンスオリゴ核酸は使いにくいという私の先入観を完全に払拭した。特に糖鎖をつけたフォームは驚くべき効果だと思う。今後、リポプロテイン(a)の数値を改善させるだけでなく、虚血性心疾患の頻度を減らせるかなど、時間のかかる治験が必要だろうが、期待を持てる。あとは、値段だが、長期間投与が必要なはずで、手頃な価格設定をお願いしたいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ
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