2016年9月27日
リンパ球のような例外を除いて、発生過程でゲノムが変化することはない。50年前にウォディントンが見抜いたように、すべてエピジェネティック過程だ。一方、現代分子発生学は、ゲノムを変化させる遺伝学と共に歩んできた。ショウジョウバエを用いた突然変異研究、遺伝子導入によるゲノム改変、そして遺伝子ノックアウト技術を用いた発生研究がそうだ。本来は全く違う学問、すなわち「違い」を研究する遺伝学と、過程の「同一性」を研究する発生学の密接な協力関係の成功は、ともすると発生学本来の思想を研究者に忘れさせてしまったことも確かだ。この背景には、細胞や個体レベルでエピジェネティックス過程を操作する方法が、核移殖やiPS以外に存在しなかったことがあるが、ゲノム各領域のクロマチン構造を自由に操作して細胞を思った方向に変化させることは発生学者の夢だった。
これが現実のものになったことを示す2編の論文が9月22日発行のCellに掲載されたので今日、明日と紹介したいと思っている。最初の論文はMITのJaenisch研からの論文でゲノム各領域のDNAメチル化・脱メチル化操作についての論文だ。タイトルは「Editing DNA methylation in the mammalian genome(哺乳動物ゲノムのDNAメチル化を編集する)」だ。
CRISPR/Cas技術が登場した時から、ついにエピジェネティックス操作が可能になると期待していたが、熾烈な競争の中でDNAメチル化操作については大本命のJaenischから論文が出たのは納得だ。実際、彼はTALEを使ってDNAメチル化操作にチャレンジしており、すべての準備ができていたのだろう。
方法は、DNA切断活性を亡くしたCas9にDNAメチル化酵素Dnmt3、あるいはメチル化DNAを水酸化して最終的に脱メチル化をするTet1を結合させ、これをガイドRNAで目的の領域にリクルートし、その場所のメチル化・脱メチル化を行う方法だ。
実験ではES細胞を使って、この方法で特定のゲノム領域のメチル化・脱メチル化を操作できること、そしてこれまで彼らが確立してきたTALEを使う方法に比べてCas9では特性がダントツに優れていることを示している。
この後、実際にこの方法を試す実験が続くが、これに選んだモデルはJaenischがDNAメチル化について最も知識のある研究者であることを如実に語っている。
最初に、成熟後、神経の増殖を押さえるメカニズムとしてメチル化されている神経増殖因子のプロモーター部位を、Tet1-Cas9で脱メチル化する実験を行い、増殖しない神経細胞で狙った部位のDNAを脱メチル化できることを示している。
次に選んだのが、プログラミング研究の最初、H.Weintraubが用いたMyoDによる線維芽細胞から筋細胞への分化の系で、この場合はプロモーターから離れたところに位置するエンハンサー特異的に脱メチル化を誘導し、MyoDを発現させることができること。ただ、これだけでは筋肉分化が起こらず、他の部位の脱メチル化が合わさることが必要であることなどが示されている。
次がクロマチンの離れた部位同士の相互作用を調節しているCTCF結合部位をメチル化することで、エンハンサーの働きが他の遺伝子に拡大するかどうか調べている。クロマチン構造については以前書いた記事を参考にして欲しいが(
http://aasj.jp/news/watch/3533)、この実験から染色体の3次元構造も意のままに操作できる時代が来るのではないかと期待させる結果だ。
最後はメチル化によりインプリンティングされている遺伝子を標的にする実験を行い、細胞レベルだけでなく、生きたマウスの脳細胞でDNA脱メチル化が可能であることを示している。
具体的なデータは、チャンピオンデータが提出されているなといった感を持たないわけではないが、それでも発生学者の夢が現実になりつつあることを実感する。iPSもクローニングも、最終的にはこの技術で置きかわるだろう。ウォディントンのエピジェネティックランドスケープにはただ上から下へ流れる川があるだけだが、ついに川の流れが操作できるようになった。
余談になるが、我が国では学者もメディアも、遺伝子編集としか考えないCRISPR/Casが、遺伝学だけのツールではないことも実感する研究だ。この広がりを考えると、今年もこの技術はノーベル賞第一候補だろう。
2016年9月26日
MRI脳画像は、現在多くの神経系疾患で、信頼の置ける重要な検査の位置を占めるようになってきた。それでも、アルツハイマー病をはじめとして、初期段階の変化を把握して診断するのは難しい。
幸い、画像取得については、機能MRI、テンソルMRI、T1強調画像、T2強調画像、SWIなどと続々新たな方法が開発され、例えば微小梗塞などの変化を高感度に検出できるようになった。したがって、次の段階はこの画像と、ゲノムを含む他の身体に関わるデータを統合して対象を追い続けるコホート研究を進め、疾患発症までの脳画像データベースを作ることが重要になる。この認識のもと、21世紀に入ってからドイツ、オランダ、英国で脳画像を経時的に集めるコホート研究が発足し、今も続いている。
今日紹介する英国オックスフォード大学からの論文は、現在も発展途上の英国コホートに関する経過報告でNature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Multimodal population brain imaging in the UK biobank prospective epidemiological study(英国前向き疫学研究バイオバンクで追跡中の集団について様々な方法で撮影した脳画像)」だ。
すでに述べたようにこの論文は中間報告で、明確な結論があるというより、画像を含めたデータベースをどう構築するかについての様々なヒントを提供することが重要なポイントになっている。UKバイオバンクは健常人50万人のゲノムを含む高度な身体情報、医療情報を集め、将来にわたって疾患の発症などを追跡するコホート研究だ。英国は医療が完全登録制であるため、医療レコードとの連結が容易な点がこのコホートの特徴になっている。この枠内で、今年から10万人を目指したMRI画像を集める計画が公的支援で走り出した。すなわち、バイオバンクが時間とともに発展している。この中から2022年には1800人、計画が終了する2027年には8000人のアルツハイマー病が発症すると考えられており、大変だが極めて説得力のあるプロジェクトだ。
ただ言うは易く、行うは難しで、10万人の画像を一定のマニュアルに従って取り続けるのは並大抵でない。この研究では、この目的のためのMRIを週七日休みなしに稼働するセンターを3箇所作り、これに対応している。さらに画像取得も徹底しており、通常のMRIだけでなく、機能MRI、拡散MRI、T1強調、T2強調、SWI画像を全て取得している。また、これを時間ロスなく進めるためのマニュアルを作成している。絵に描いた計画とはいえ、微に入り細に入り計画が策定されている。
さらに難関は、画像解析だ。一回のデータ量は2Gに達する。現在もなお画像診断というと自動化からほどとおい。しかし10万人の画像となると、全く異次元のデータ処理技術が必要になる。この点については時間を変えて画像をとることで見られる変化をまず解析の中心において処理を行っているが、今後新しいインフォーマティックスが生まれれば、それを適用していくだろう。
あとはこれまでに得られたデータから、肥満と喫煙の脳白質への影響と認知機能との相関などが示されているが、結論についてはもっと時間を待ったほうがいいだろう。この論文のポイントは、英国バイオバンクはさらに新しい分野を加えて発展し、情報処理技術開発の種になっているという点だ。要するに、最初からよく計画された画像データのコホート研究が英国でスタートし、ここから得られるデータは新しいインフォーマティックスを必要とするビッグデータになり、医療にとどまらない新しい科学技術分野へと発展するという壮大な計画についての論文だ。そして、大きな助成金が必要な計画を作るときの徹底性について本当によく学ぶことができる論文だ。
翻って我が国を見ると、政府も鳴り物入りでビッグデータ解析技術が新しい産業の基礎であると推進しているが、肝心の革新的技術の開発を待つ質の高いデータなしに、革新的情報処理技術など生まれるはずがない。J-ADNIや東北メディカル・メガバンクなど確かに鳴り物入りの研究がスタートしたが、画像とゲノムは統合されないまま進んでいるし、満期を迎える前から再編成や縮小されても、発展させるという構想が見えてこない。実際、官制データベースでダイナミックに発展を続けている組織はあるのだろうか。助成金カット、縮小、再編、消失のコースをとった計画が多いのではないだろうか。このままだと、携帯電話と同じで、我が国のゲノム研究も、コホート研究も、5年経てばもう取り返しのつかないガラパゴス化の憂き目に遭っているような気がする。
2016年9月25日
感情や行動が男女で異なることは人間も動物も同じで、このような男女差を神経細胞レベルで明らかにしようと研究が進んでいる。特に遺伝子操作技術や光遺伝学が開発されこの研究分野は大きく進展した。例えば、視床下部のプロゲステロン受容体発現細胞を除去する研究から、この操作による社会性の低下はオスメス同様だが、攻撃性の低下はオスでしか見ららないことや、あるいはエストロジェン受容体を発現している細胞を光遺伝学で刺激すると、やはり求愛に関わる社会性は両性で低下するが、光刺激による攻撃性はオスだけで見られることが報告されている。このように、複雑な行動上の性差を生み出すメカニズムが徐々にわかってきている。
今日紹介するロックフェラー大学からの、論文はさらに複雑な、オキシトシンに対する反応の性差を説明しようとした研究で9月22日号のCellに掲載されている。タイトルは「A cortical circuit for sexually dimorphic oxytocin-dependent anxiety behaviors (オキシトシン依存性の不安行動の性差を説明する皮質回路)」だ。
この研究の目的は、オキシトシンにより、メスは求愛行動など社会性反応が高まる一方、オスでは不安を取り除く作用が強いという性差のメカニズムを説明することだ。そのため、オキシトシンに反応する細胞を光刺激で興奮させられるよう操作したマウスを作成している。このマウスでは、期待どおり光刺激でメスは社会性の高まり、オスは不安の軽減が見られる。
次に神経生理学的に、オキシトシン反応性神経の刺激は、皮質第2/3層と第5層の神経興奮を抑制することを明らかにしている。
次に分子生物学的探索から、オキシトシン刺激による遺伝子発現から、不安反応に関わることが知られているコルチコトロピン結合タンパク(CRHBP)の分泌が鍵となる分子であることを突き止めたあと、オキシトシン反応性神経と、それが支配する第2/3層神経細胞、及び第5層神経細胞のサーキットに関わる分子機構を、主に脳スライス培養法を用いて検討し、次の結論に至っている。
1) オキシトシン反応性の介在ニューロンは、第5層の社会性に関わる神経と、第2/3層のストレスによる不安反応に関わる神経に影響を持つ。
2) オキシトシン刺激はGABAを通して第5層の社会性反応を抑えるとともに、CRHBP分泌により第2/3層の不安反応を抑える。
3) メスはもともと不安行動に関わるコルチコトロピン受容体が低く、これを埋め合わせるためコルチコトロピン濃度が上昇しているため、この経路の阻害剤であるCRHBPの分泌が少々上昇しても不安反応を抑えるには至らない。従って、GABA反応だけが目立つ。
4) 一方オスではCRHの濃度変化に感受性が高くできており、オキシトシンによるCRHBPの分泌で不安を抑える反応が強く出る。
なぜオスでGABA反応が低下するかについては説明が不十分と思えるが、オキシトシンの機能を理解する上では極めて重要な貢献だと思う。
オキシトシンは社会性のホルモンとして、実際の臨床にも使われ始めている。ただ、これらは経験論的な研究が根拠となっており、今後これをより詳細なメカニズムに詰める必要がある。その意味では、オキシトシンの機能についての光遺伝学的研究はこれからも期待できる。」
2016年9月24日
オーストラリア原住民アボリジニは、パプア・ニューギニア原住民から別れてオーストラリア全土に分布した民族で、様々な点で我々アジア人と異なっている。中でも、シベリアで発見されたデニソーワ人の遺伝子を最も多く受け継いでいることが明らかになって以来、民族の形成過程に興味が集まっていた。また、オーストラリアの砂漠は寒暖の差が激しい。この条件で暮らすアボリジニは、裸のままで低温に耐える能力もあり、この起源を知るためにも、アボリジニ民族形成全過程を明らかにする必要があった。
今日紹介するデンマーク、オーストラリア、スイス、そして英国の研究施設が共同で発表した論文はアボリジニ民族形成史をゲノムから再構成した研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「A genomic history of Aboriginal Australia(オーストラリアのアボリジニのゲノム歴史)」だ。
研究ではオーストラリア各地に暮らすアボリジニ83人と、高原に暮らす25人の全ゲノムを高いカバー率で解読し、アボリジニと全世界の様々な民族、及びすでに絶滅したネアンデルタール人、デニソーワ人のゲノム比較して、それぞれの民族との分離の時期、また分離後の性的交流の頻度などについて計算している。
全ての現代人はアフリカから北へと移動した先祖由来だとすると、長い移動距離が必要な南半球のアボリジニはかなり早い段階でアフリカから移動を始めた先祖に由来すると考えられていた。ただ、アフリカからの移動は何波にも別れて行われたのか、一回きりなのかは明確でなかった。この研究はまずこの点について検討し、おそらく7万年前後にアフリカから離れ、アジア、ヨーロッパ民族を形成した先祖と同じ起源であることを示している。
分離後早い段階で、まずネアンデルタール人、その後デニソーワ人との性的交流を持っている。一方、デニソーワ人のゲノムの流入の少ないユーラシア人とはおよそ5万8千年前に分離し、その後4万年前後に、アジア民族とヨーロッパ民族が別れている。その後、アボリジニとパプア・ニューギニア民族は2万年ほど一つの民族として過ごし、アボリジニのオーストラリアへの移動時期に3万7千年前後に分離している。
この民族の系統が分離する歴史に、別れた民族同士の性的交流が重なる。例えば、デニソーワ人と現代人が別れたのは3−40万年前だが、5万年ぐらい前にも性的交流があることが遺伝子からわかる。同じように、別れた民族同士も交流が続くが、アボリジニの場合、パプア・ニューギニア・アボリジニ同士より、1万年ぐらい前から東アジア人との性的交流が強い。さらに、約4万年前後になんと東アフリカと、西オーストラリアアボリジニとの性的交流が見られることで、当時からアフリカ人は海に漕ぎ出す冒険家だったことがわかる。
最後に、アボリジニは甲状腺機能と尿酸代謝に関わる遺伝子に特有の変異を持つことが特定された。甲状腺機能は低温に対する耐性、尿酸代謝は水の少ない砂漠の生活に適応したと考えられる。
ゲノムからわかる民族史を見ていると、常に民族は性的交流を繰り返し、また地球は狭いと実感する。
2016年9月23日
LDLコレステロールを下げる薬スタチンは、生活習慣病に対する薬剤としては医師が処方する薬のトップに位置するだろう。スタチンのLDLコレステロールへの効果を最初に明らかにしたのは、1980年代に三共の遠藤章博士と大阪大学との共同研究で、この業績により遠藤博士は2008年ラスカー賞を受賞している。
スタチンがLDLコレステロールを下げることについては、何百、何千もの臨床研究により証明されているが、これまで2つの問題が常に指摘されてきた。一つは、LDLコレステロールを下げたところで、心臓発作や卒中患者数は低下しないのではという疑問で、もう一つは横紋筋融解を始めとする様々な副作用が長期投与で現れるのではという心配だ。私の経験でも、スタチンは長期効果がないと信じている医師は多い。
またスタチンがこれほど広く処方されると、メディアで取り上げられる機会も多い。スタチンの問題について報道されると、10%の人がスタチンをやめるというデンマークの調査がある。また英国では報道により患者さんがスタチンをやめることで、2000から6000の心臓発作が増えるという試算までされている。
このようにメリットとデメリットの判断をめぐって、常に議論の的になってきたスタチンについて、医療統計学のプロの視点から論文を読み直し、「医師、患者、そして市民が心臓や脳血管障害を防止するため適切な判断を下す一助となることを目指した」総説が、英国医学協会とオックスフォード大学から9月8日号のThe Lancetに発表された。タイトルは「Interpretation of evidence for the efficacy and safety of statin therapy (スタチン治療の効果と安全性についてのエビデンスについての解釈)」だ。
30ページに及ぶ長い総説で、到底全てを紹介することはできない。ただ、医師にはぜひ全てをじっくり読んでいただきたいと思う。
最初、先入観を排して論文を調べることの重要性を強調するため、治験論文の評価の方法について、様々な視点から議論している。最終的な結論は、無作為化、偽薬、2重盲検が大規模治験の必須条件で、これに合わない論文には気をつけろという当たり前の話ではあるが、これ以外の観察研究の長所、短所についても考察されており、一般医師や学生の教材としても優れているように思った。
このようにプロの視点とは何かを説明した後、これまで発表された治験論文から得られた様々な結論の再評価を行い、明快な結論を提出している。
1、 スタチンの効果
LDLコレステロールを下げることで、間違いなく動脈硬化により心臓発作を少なくとも20%低下させることができる。LDL コレステロールを2mm/lに低下させると45%心臓発作が減る。また、心筋梗塞などによる死亡も1mm/l下げると12%程度減らすことができる。
一方、ガンや感染防止についての報告は証明されているとは言えない。
2、 スタチンの副作用
確実な副作用は、横紋筋融解で、頻度は10万人に2−3例で、スタチンを止めれば治る。
糖尿病や脳出血の発症がスタチン服用で上昇するという報告は信用できる。ただ、この頻度と、スタチンによる全体の死亡率の低下から考えると、この副作用がスタチンを避ける理由にはならない。
これ以外に、発ガン率が上がる、認知症が起こるなどの多くの報告がある。特に、英国MHRAは副作用のリストに認知障害の可能性を加えている。しかし、根拠となった研究は観察研究が中心で、2重盲検無作為化試験の結果では相関が認められておらず、この論文では副作用リストから外すよう勧告している。他にも、白内障、腎障害、一般健康障害など、これまで指摘された問題に対して丁寧に評価を行い、全て問題なしと断言している。
以上、スタチン全面支持をうたった総説で、異論もあるかもしれないが、効果と副作用を科学的に検証することがどんなことかが大変よく判る論文だった。あらゆる医療介入は、このような冷静な立場で評価し、医師や患者に提供して欲しいと思う。
2016年9月22日
「どんな動物も最初は母親が卵の中に用意したmRNAを使って初期発生をスタートさせる。その後、自分の持つゲノムから転写が始まるが、この間母親側と、父親側の染色体のクロマチン構造は全く別の構造をしており、それぞれのクロマチン構造は大きく変化する。」と私たちはほぼ確信しているのだが、実際の初期発生過程でクロマチン構造の変化を詳細に調べた研究はなかった。
この最大の理由は、クロマチン構造を調べる様々な方法が、発生初期の各細胞で使いにくいことがある。個体発生では遺伝子は全く変化せず、遺伝子発現を調節するクロマチン構造だけが変化することから発生=エピジェネティックスの問題だと言えるし(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/)、発生段階でのゲノム全体にわたるエピゲノムが示されてきた。しかし、これまでのエピゲノムマップは一定数以上の細胞が得られる培養細胞を中心に行われ、実際の胚細胞、特に細胞数の少ない初期発生については、調べたくても調べる方法がなかった。
今日紹介する中国精華大学とノルウェーオスロ大学から別々に9月22日号のNatureに発表された論文は、少ない細胞数で染色体沈降法を用いてゲノム全体のクロマチン構造を調べる方法を開発し、H3ヒストンのK4me3状態を比べた研究だ。オスロ大学の論文がおそらく先に投稿され、同じ研究を行っていた精華大学が大至急論文を書いたと思われる。今回は、わかりやすさの点も含めて精華大学からの論文を紹介する。タイトルは「Allelic reprogramming of the histone modification H3K4me3 in early mammalian development (初期哺乳動物発生でのH3K4me3ヒストン修飾の対立遺伝子それぞれのリプログラミング)」だ。
すでに述べたが、両方の研究とも、そのハイライトは200個程度の細胞があれば、正確にゲノム全体のヒストン標識を解読できる独自の方法の開発だ。これは小さな改良の積み重ねだが、発生研究にとっては重要だ。ただ、示された結果は、卵が一回、2回、3回と分裂する過程でH3K4me3型のヒストン修飾がどう変化するかを調べた現象論的研究と言える。
通常の体細胞では、プロモーター近くのH3K4me3型ヒストン修飾が存在することが遺伝子転写に必須の条件だ。したがって、胎児ゲノムが発現し始める初期過程でH3K4me3を調べることは重要だ。
この研究からわかった結論をまとめると次のようになる。
1) H3K4me3の分布は受精後から2細胞期の間にグローバルに変化する。
2) 卵、精子はそれぞれの発生過程で体細胞とは完全に異なるユニークなH3K4me3パターンを獲得している。
3) 精子は、ゲノム全体にわたってH3K4me3が低下しており、発生によりプロモーター部位がH3K4me3に変化する。
4) 卵子は、体細胞とは全く異なるH3K4me3の分布を示し、これはDNAのメチル化部位と強く相関する。
5) これらの配偶子型ヒストン修飾は、2細胞期後期から4細胞期にかけてリプログラムされる。この引き金は、分裂ではなく、胚のゲノムからの転写が関わることも示している。
これ以外に最も重要な発見は、もともと転写オン型のヒストン修飾と考えられているH3K4me3は、卵型の場合転写抑制に関わることだろう。またこのような卵型のヒストン修飾は哺乳動物からしか見られないようだ。
現象論だが面白い。一般の人は、一回の分裂でこれだけ大きな変化が起こって初めて発生が正常に進むと理解してもらったらいい。今後他のヒストン修飾がわかってくると、発生=エピジェネティックスが最もよくわかる発生段階として研究が進むと期待する。
2016年9月21日
現代人特有の問題になっているメタボリックシンドロームや免疫異常の発症に、食生活を中心とする生活習慣によって変化した腸内細菌叢が関わるという考えが広がってきた。腸内細菌叢の変化とは何かを明らかにするため、都会から田舎に暮らす人間、さらには文明から無縁の生活をおくる未開の民族の大便を集めて腸内細菌叢が比べられている。この結果見えてきたのは、食生活では極めて乏しい生活をしているように見える未開の民族ほど、腸内細菌叢が多様で、現代化、都会化によりこの多様性が失われることだ。そして、この理由が動物性脂肪が多い一方、植物性繊維が乏しい現代の食生活ではないかと考えられている。
今日紹介するミネソタ大学からの論文は、現代化、都会化が腸内細菌に及ぼす影響について極めてユニークな視点で迫った研究で9月13日号の米国アカデミー紀要に掲載された。タイトルは「Captivity humanizes the primate microbiome(霊長類の細菌叢は飼育によりヒトに似てくる)」だ。
タイトルに示されているように、もし人間の都会化、現代化が腸内細菌叢に大きな影響を持つなら、同じ傾向が動物園の猿にも見られるのではと着想したのがこの研究の全てだ。
実際には、ホエザルと尾長ザルの便を、野生、保護区、そして様々な動物園から集め、細菌叢を16SリボゾームRNAの遺伝子配列から調べ、動物を人工的に飼育することの影響を調べている。
尾長ザルで一番詳しく調べられているが、結果は野生、保護のための飼育、そして動物園での飼育と、野生が失われるに従って、人間の細菌叢に近づいてくるという結果だ。
この変化の主要部分は、BacteroidesとPrevotellaという野生の霊長類には見られない細菌の割合が上昇することだが、これ以外にも多くの細菌が変化している。
面白いのは、ホエザルの飼育により起こる変化のそのままの延長線上に、都会化していない人間、そして都会化した人間がいることだ。一方、尾長ザルの方は動物園での飼育により細菌の種類が大きく再構成している点だ。
この変化の原因を様々な要因について調べているが、結局食事の変化に絞られている。動物園の餌と、野生の餌の比較を中心に、違いを詳しく調べている。その結果、
1) 餌の多様性が動物園の飼育では極端に低下する、
2) 摂取植物繊維の量が減る、
3) 新しい植物摂取の指標である葉緑体などの植物DNAが飼育により低下する
などを明らかにしている。もちろんサルは常に植物性の食事をしているので、単純な植物繊維の量だけでなく、多糖体中心の植物繊維への変化が最も重要な要因だとしている。
具体的な結果は地味な感じで、歯切れが悪い感じがする。やはりこの研究のハイライトは動物園のサルを対象に選ぼうと考えた着想の妙にある。
2016年9月20日
昨日に続いて脳研究を紹介したいと思っているが、認知や記憶ではなく、体の体温の調節の話だ。
私たちの体温は狭い範囲に収まるよう、自律神経系を通じて熱の産生量や散逸を調整し、同時に暑さや寒さに対する一定の行動パターンを誘導して熱調節をより安定なものにしている。私たちが猛烈な暑さや寒さに急速にさらされてもなんとか体温を維持できるのは、この自律神経と行動制御が短時間に誘導できるからで、どちらが欠けても死が待っている。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、暑さにさらされた時、体温の上昇を防ぐ過程の司令塔になっている中枢を特定した研究で9月22日号の Cellに掲載された。タイトルは「Warm-sensitive neurons that control body temperature (暑さを感じて体温を調節する神経細胞)」だ。
これも光遺伝学を用いた研究だが、体温中枢の場合遺伝子操作する神経細胞が完全に特定できていない。したがって、この研究はまず体温中枢と考えられる視床下部視索前部のどの神経細胞が高温に反応して興奮するのかから調べている。
まず興奮する細胞ではタンパク翻訳に関わるリボゾームタンパクの一つがリン酸化されることに着目し、リン酸化したリボゾームに結合しているmRNAを調べて、熱に対して反応的に上昇する遺伝子を特定している。この実験から、神経増殖因子BDNFと松果体アデニルシクラーゼ活性ペプチドPACAPを発現している細胞が、熱を感じて興奮することを突き止める。これにより、PACAP遺伝子を指標にこの神経を操作する道筋がついた。
次にPACAP発現細胞の興奮が光でモニターできるよう操作したマウスを使って、この神経の興奮が30度以上の熱によりほとんど数秒という単位で誘導されるが、低温には全く反応しないこと、そして熱の感知は皮膚のセンサーからの刺激で起こっていることを明らかにしている。
次はこの中枢細胞を光遺伝学を使って刺激する機能実験を行い、
1) 刺激により、褐色脂肪細胞での熱産生が抑えられ、尻尾の血管が拡張して熱を拡散させることで体温が下がる。
2) マウスを温度の低い場所に移動させ、低温で誘導される巣作り行動を抑制する。
ことを明らかにしている。すなわち、自律神経及び行動を同時に制御する神経細胞であることを示している。
最後に、熱を作る自律神経系に直接作用しているかどうか、視床下部背内側への投射を調べ、今回特定された神経の90%がこの部位へ投射していることを示している。残念ながら行動制御に関わる神経結合については特定できていない。
以上、神経の特定から生理学まで大変な力作で、この結果1)皮膚の末梢神経、2)視床下部前視索領域のBDNF+CAPRA発現GABA作動性神経、3)視床下部背内側、4)褐色脂肪酸と尾部血管という、暑さに対する神経回路が明らかになった。
この論文を読みながら、日本人と欧州人の温度感受性の差について考えていた。神戸の発生再生研時代、私のラボにはフランス、ロシア、スウェーデン、ドイツなど様々な国から研究者が集まっていたが、夏になるとクーラーの温度を巡って日本人とトラブルが起こった。要するに彼らは暑がりだ。おそらく、これは皮膚のセンサーの違いにあると思うが、しかしこれだけ反応が違っても、同じように温度が維持されるのは不思議な気がする。この論文も力作だが、やはり一編の論文で片がつくほど簡単なメカニズムではなさそうだ。
2016年9月19日
歳をとると記憶力が落ちるのはよく理解しているつもりでも、昨夜何を食べたかすぐ思い出せないことがあるとぞっとする。しかし、例えば1週間前でも、旅行先で食べた食事は鮮明に思い出せるので、心配することはないと思っている。このように、日常の経験が記憶として残るかどうかは、経験した時の状況に影響される。一般的に、新しい状況で刺激を受けた時の記憶は残りやすい。この新しい状況が記憶を高めるメカニズムについては、これまで腹側被蓋野(VTA)から海馬に投射する神経が、海馬記憶回路の結合を高めることで記憶が固まると考えられてきた。
ところが、今日紹介するエジンバラ大学からの論文(Takeuchiさんというおそらく日本人が筆頭著者だ)は、VTAではなく青斑核(LC)から海馬へ投射する神経が記憶の固定に関わることを、マウスと光遺伝学を使って示した研究で9月7日号のNatureに掲載された。タイトルはズバリ「Locus coeruleus and dopaminergic consoledation of everyday memory (青斑核とドーパミンによる毎日の記憶の固定)だ。
この研究では毎日の記憶が新しい環境で過ごすことで固定しやすくなるメカニズムについて、光遺伝学が利用しやすいマウスを用いて研究している。このため、マウスに餌の場所を覚えさせた後、30分ほどして真っ赤な床敷きの中で過ごさせ、記憶の固定を調べるという課題を設計している。結果をみると、場所の記憶は通常24時間で失われるが、新しい環境で過ごすと記憶が固定されている。
次に、新しい環境に反応して記憶を固定させる神経が、これまで考えられてきたようにドーパミン神経かどうか、ドーパミン神経だけがチャンネルロドプシンを発現するように操作したマウスを用いて実験している。
まず光で興奮する神経を特定して、実際に新しい環境に反応して興奮するか調べ、ドーパミン神経が存在するVTAとLC両方が新しい刺激で興奮することを確認している。
次に、VTAとLCにCreリコンビナーゼを注射して神経を蛍光色素でラベルし、その投射を調べた実験から、通説に反し海馬に投射するのはLCのドーパミン神経であることを示している。
そして、最後にLCを刺激すると、海馬のシナプス結合が高まり、記憶が固定すること、そしてこのLCがノルアドレナリンの刺激を受けて興奮する神経であることを示している。
この結果は、海馬での記憶の固定を、新しい環境によって刺激されるLC細胞の海馬への投射が重要であることを示した重要な貢献だ。特に、LCがアルツハイマー病や自閉症、さらにはMECP2遺伝子異常に重要な関わりを持つことが注目されている今、この発見を基盤にこれらの疾患を見直すことは重要ではないかと思う。また、新しい環境によるドーパミン回路の活性化は、これまでの報酬回路とは異なる記憶のメカニズムだとすると、私たち高齢者にも重要なヒントになるように思う。
2016年9月18日
どんな目的で人が集まっても、酒についての話題が始まると、本来の目的を忘れて話が盛り上がる。半分はアルコールの脳に対する作用のせいだが、もう半分は酒との付き合いが、多くの人たち(少なくとも私たち夫婦)の、生活を語り、歴史を語り、民族を語り、国際性を語るからだろう。
同じように、酒は人類とともに進化し、その多様性は各民族の文化の一部を担ってきた。だからこそ、酒の話題になると誰もがウンチクを語りたがり、話が終わりなく続く。驚くのは、この多様性の全てが、発酵に関わる出芽酵母C.Cervisiaeの多様性を反映していることだ。
この多くの酒好きのウンチクをさらに深めてくれる論文がビールの国ベルギーから9月8日号のCellに発表された。タイトルは「Domestication and divergence of saccharomyces cervisiae beer yeasts(ビール酵母S.Cerevisiaeの利用と多様化)」だ。
この論文では様々な酒類の発酵に使われる酵母157種類についてゲノムを調べ、酵母ゲノム変化と、そこから醸し出される酒の特徴とを相関させようとした研究だ。したがって、この論文はゲノムについての研究とはいえ、自然科学の研究というより、文化人類学についての研究と言っていい気がする。実際、特定の生物のゲノムを100や200解読したからといって、Cellの編集者の支持は得られないだろう。まさに、誰もがウンチクを語り始める酒についての核心に迫る面白さがあるから、この論文がレフリーや編集者に支持されたのだろう。おそらく編集者が全くの下戸ならこの論文は採択されなかったはずだ。まさに酒好きのための論文で、かくいう私も酒を思い浮かべながら楽しく読んだ。
結論をまとめるとすると、「酒を作る時の酵母には人類の歴史・文化、そして嗜好までもが記録されている」と説明すれば十分ではなかろうか。
ただ、次の酒の席でウンチクを語りたいあなたに、少しだけ知識についてもまとめておこう。
1) 世界中でアルコール醸造のために使われる酵母は、ほんの数種類の先祖から由来している。
2) 中でもビール酵母の多様性は大きく、英国やヨーロッパ本土のビール酵母の多様性は著しい。一方、アメリカのビール酵母は、私たちが感じているように多様性は少ない。
3) 酵母の系統の確率は、17世紀で、微生物学の概念が生まれるより前からそれぞれの土地で、人間の手で系統化された。
4) ビール酵母は醸造から醸造へと培養を続けていくので、すでに胞子形成能力を失っている。一方、ワイン酵母は、ブドウや昆虫とともに自然を生き続けているので、胞子形成能や自然ストレスへの耐性が維持されている。
5) ビール酵母は、2種類の異なる先祖から由来しているが、目的が同じであるため、匂いや味に関わる遺伝子の変化がほとんど同じになっている。
6) ちょっとマニア向けのウンチクだが、ビールだけでなく、日本酒やワインでも嫌う、強いスパイシーでクローバーの匂いは主に4VGという物質由来で、この物質を作る酵素は酵母から除かれていることが多いが、この匂いを特徴とするドイツのヴァイツェンビール酵母では、きちっと維持されている。
他にもスピリットの酵母、日本酒の酵母について面白い話が目白押しだが、もう紹介しきれない。要するに、酒の酵母は文化の歴史を記録しているという話だ。そして、この文化と酵母のゲノムを組み合わせると、新しい味を生み出せる可能性まで示している。ひょっとしたら21世紀のコスモポリタン文化が、この論文から生まれるような気がする。