2016年8月16日
正直なところ、私は植物のことについてほとんど知らない。論文を読むまで、特定の現象を問題として感じることはまずない。逆に言えば、何を学んでも全て新鮮だ。
今日紹介するドイツ・マックスプランク分子植物学研究所の論文を読むまで、なぜ「ヒマワリ」が「向日葵」か考えたこともなかった。しかし言われてみるとあれほど大型の植物が、朝から夕方まで太陽の方向を向き続け、また朝になると元の位置に戻っているのは不思議だ。
例えば気孔の動きやオジギソウのような早い動きは理解できているのだが、確かに向日葵の周期運動は不思議だ。
この論文は大掛かりな研究では全くないが、少なくともこの不思議に全て答えてくれている点で、夏休みのお父さんやお母さん向けかもしれない。おそらく子供の実験としても可能だろう。論文は8月5日号のScienceに掲載され、タイトルは「Circadian regulation of sunflower heliotropism, floral orientation and pollinator visit (ヒマワリの向日性、花の向き、そして受粉昆虫の概日制御)」だ。
まず向日葵だが、朝は先端が東に向いており、太陽の動きに従って西向きになる。面白いのは、夜になると今度は自分で西から東に逆に動いて、朝になるとまた東を向いている。この動きをどう説明するかが問題だ。
答えは以下のようにまとめることができる。
1) 向日葵の概日運動は全て植物全体の成長を基礎に行われる。すなわち、早く成長する側がヒマワリ全体の向きを反対の方向へと押す。このメカニズムは成長が完全に止まると使えないため、ヒマワリは成長しきると向日性を失う。また、成長ホルモンであるジベルリンが欠損すると、概日運動はなくなる。
2) この研究では、太陽の青色の光により刺激され、従って発現場所を変える分子2種類を特定し、これにより成長が非対称になることが向日性のメカニズムになっている。
3) 一方夜になると、多くの生物が持っている自発的な概日メカニズムが働き、逆の運動が起こる。
4) 向日性と概日リズムは互いに協調して成長場所を調節し、1日の動きを制御している。
5) 向日性によりヒマワリの花の温度が上昇し、この温度の差を感じて昆虫が引き寄せられる。これは、人工的に花を温めると昆虫が集まることからわかる。
動物の概日周期の研究のように、転写の詳しい変化などはすっ飛ばして全体の動きを説明した研究だが、ヒマワリの1日の動きを知り、それを子供に説明するには素晴らしい論文だ。ぜひ話のネタに使って欲しい。
2016年8月15日
妊娠中の低栄養が胎児の発生過程で起こるDNAメチル化に影響を及ぼし、生まれた子供がほぼ一生にわたって、代謝などの異常を示すことはよく知られている。特にDutch Famine Studyと呼ばれる、先の大戦終盤にドイツ軍の封鎖による食糧難から深刻な飢えに陥った妊婦さんから生まれた子供たちについての、オランダのコホート研究は有名だ。しかし、この症状の背景にあるメカニズムについて、メチル化異常と一般的に言う以上の説明が得られたわけではない。
今日紹介するロンドン・メリー女王大学からの論文は、妊娠中の低タンパク質摂取がリボゾームRNA の発現調節機構に影響を及ぼすことを示した研究で7月29日号のScienceに掲載された。タイトルは「Early life nutrition modulates the epigenetic state of specific rDNAgenetic variants in mice (初期の栄養はマウスの特定のrDNA多型のエピジェネティック状態を変化させる)」だ。
研究ではタンパク質制限(20%)食を受けたC57BL純系妊娠マウスから生まれたオスマウスを対象にメチル化を調べている。期待どおりタンパク質制限により2g程度の体重差が生じる。次にこれらのマウスの精子及び肝臓細胞のメチル化DNAマップを作成し、タンパク質制限により変化する場所の特定を試み、なんと17番染色体上の45sリボゾームをコードするrDNA領域全体にわたって強くメチル化される領域が散在しているのを発見する。
rDNAは遺伝子が重複して存在しているため、厳密な塩基配列が提供されていないことが多い。このグループは、メチル化により転写が変化することがわかっている上流133pに限定して1000回繰り返して配列を読むという徹底した解析を行い、この場所がタンパク質制限によりメチル化を受ける場所であることを特定している。
詳細を省いて結果をまとめると、
1) rDNAと共に、この133pの遺伝子発現調節領域も重複しており、純系マウスでもそのコピー数に個体差が存在する。
2) 133pの配列の中の104番目は、それぞれのリピートでC or Aのどちらかに分類される。
3) C型vsA型の比は純系マウスでも個体差がある。
4) 体重と最も相関するのはA型でメチル化されていないプロモーター。すなわち、特異的なメチル化によりA型のp133全体の活性を調節している。
5) このメチル化の影響は、メチル化を調節して転写量を調節するrRNAの発現を調節するノンコーディングRNAを介して行われること。
6) 同じ結果が精子と肝臓の両方で見られること。
になる。
まず驚くのが、純系と言っても大きな個体差がp133領域にあることで、このコピー数は全く個別に増減を繰り返しているようだ。そして、この中のA型の133pプロモーターだけがタンパク質制限によりメチル化され、その結果rDNAのメチル化をガイドするノンコーディングRNAの転写が低下、これが長期間にわたるメチル化パターンの維持に関わり、体重減少につながっているという結論だ。
これまでの論文と比べると、メッセージは明確でまた面白いが、もちろんなぜ体重減少が起こるのか説明するにはまだまだ研究が必要だ。だがこの分野の一つのトレンドを形成するような気がする。
2016年8月14日
古代の骨からDNAを取り出し塩基配列を解読することが可能になり、ゲノムデータに基づいて当時の人間の生活、関係、移動を解明する新しい考古学、あるいは何万年も前に絶滅した動物のDNAから進化を再検討する新しい系統学が急速に進んでいる。
最近この分野の論文を読んでいると、ドイツ・ライプチッヒの人類進化学研究所と並んで、コペンハーゲン大学に属する自然史博物館のグループの存在が目立つように思う。一方、少なくともトップジャーナルを見る限り、我が国のプレゼンスは低く、テコ入れが必要な分野ではないかと思う。
今日紹介するのもコペンハーゲン自然史博物館からの論文で、人類のユーラシア大陸からアメリカ大陸への移動ルートについての研究で、Natureオンライン版に8月10日掲載された。タイトルは「Postglacial viability and colonization in North America’s ice-free corridor(氷河期以後の北米の氷が消えた回廊の生存可能性と植民)」だ。
この研究の背景から説明しよう。
北米の原住民は全てベーリング海峡を渡ってユーラシア大陸から移動してきたことがわかっているが、移動ルートについは諸説存在している。これまで最も有力なのは、アラスカからカナダ全域を完全に閉ざしていた氷河の一部が、1.3万年前に東西に後退して人が住める回廊が形成され、このルートを通って移動したと考える説だ。
ところが、最近の考古学的研究から、氷河が後退する前からすでに人類がアメリカに渡っているという証拠が出てきて、太平洋沿岸の海岸線を伝って人類が移動したとする説が有力になっている。
しかし、様々な氷河がいつ後退し、植物が成長する環境が生まれたのかを同位元素のデータだけから推察することは困難で、論争は現在も続いている。
この研究では、氷河が後退し生命が活動した時期を、比較的長期間保存される花粉、化石、微小化石、そしてその時蓄積されたDNA解析など考えられる全ての技術を総動員して特定している。
具体的にはこの回廊での氷河の後退で形成された氷河湖の堆積物をボーリングで採取、炭素同位元素による年代測定で1.2-1.3万年前の土の中に残る生命の痕跡を探している。
詳細は省くが、この研究から得られた結果は以下のようにまとめられる。
1) DNAの配列解析から得られる生命の痕跡は、残っている花粉のデータと一致し、今回採用した方法により各年代の生物相を推察することが可能であること。
2) 花粉による性生殖の始まりの遅いポプラなどは、花粉よりDNA解析の方が正確に当時の生息状態を反映している。
3) ポプラの存在は、火を得るための木材が存在したことを示すこと。
4) 化石として見つからなくとも、DNAの解析から、鹿やハタネズミなどの哺乳類、食物連鎖の上位に位置するカマスやワシなどの存在を確認できること。
5) そしてこれらの痕跡は全て1.3万年より後に起こっていること。
この結果は、アメリカ大陸の最初の人類には回廊を使うことは不可能で、ほぼ全て海岸線を伝って移動してきたグループの子孫で、これまで回廊とされてきた領域でで発見される人類や動物の痕跡は、南下に成功した人類の一部が、北へ再移動した結果を見ているのだろうと結論している。
今後古代の堆積物に残る生命の痕跡研究が盛んになることを予感させる面白い研究だった。
2016年8月13日
私がまだ臨床にいた頃、自己免疫疾患といえば患者さんの病気を進行させないよう副腎皮質ホルモンを加減することしか方法はなかった。臨床を離れたので効果を実感することはないが、その後TNFやIL-6など炎症のエフェクターとして働いているサイトカインに対する抗体療法が現れ、病気によってはほぼ制御可能になったとすら言えるようになっている。
自己免疫疾患制御のためにもう一つ期待されている治療法は、現在大阪大学の坂口さんが発見した抑制性T細胞(Treg)の活性を高めて炎症反応を抑える方法だが、多様な種類のT細胞が同じ抗原を軸に相互作用している複雑なネットワークに介入するのは、エフェクター分子を標的にするのに比較して難しい。そんな中で比較的単純な方法と期待を集めているのが、比較的低い量のIL-2を使ってTreg活性を選択的に高める方法だ。Tregが高いレベルのIL-2受容体CD25を発現していることを考えると論理的な方法に思える。
今日紹介する北京人民病院とオーストラリアモナーシュ大学からの論文はこの方法を最もメージャーな自己免疫病SLEで試した研究で8月8日発行のNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Low-dose interleukin-2 treatment selectively modulates CD4+T cell subsets in patients with systemic lupus erythematous(低濃度IL-2治療はSLE患者のCD4+T細胞のサブセットを選択的に変化させる)」だ。
研究では40人のSLE患者さんに比較的低い濃度のIL-2を皮下投与、2週間のコースを3回繰り返すプロトコルを施行している。そして、承諾のとれた23人について、詳しいT細胞サブセット検査を行い、低濃度 IL-2がCD4要請細胞だけに作用し、結果としてTregが上昇し、炎症性のT細胞は減少することを確認している。
2人が脱落して計画どおり最後まで治療を終えた患者さんは38人だったが、90%が病状の改善を示し、この結果、これら90%の患者さんでは副腎皮質ホルモンの投与量を減らすことに成功している。
また、白血球減少に悩んでいた患者さんの90%以上で、白血球数が正常化し、また血小板減少症を示す患者さん全員がやはり正常化している。最後に副作用も、注射部位の発赤や風邪用症状程度で、問題ないことを示している。
以上結論的には、期待どおりTreg増加による自己免疫病治療が可能であることを示す結果で、是非さらに長期で大きな規模の治験を進めて欲しいと思う。また、T細胞サブセットのデータから見ても、SLEだけでなく、臓器移植で免疫抑制剤を減らすのにも使えるのではという印象を持った。
臨床への登場が遅れていたTregの利用がゆっくりではあっても進んでいることがわかる研究だった。
2016年8月12日
一般の方に限らず、生命科学の専門家でもウイリアムズ症候群について知っている人は少ないだろう。しかし、自閉症や言語を考えるときこれほど示唆に富む病気はない。この病気は第7染色体の7q11.23領域の25遺伝子を含む1.6Mbの欠損が原因と考えられる精神発達障害だ。症状は自閉症の逆で、「誰からも愛され、誰をも愛する」と表現できる高い社会性を示し、好奇心旺盛、顔を覗き込んでくるほど顔に興味を示す。また驚くほど多弁で子供とは思えないボキャブラリーを獲得している。これだけ聞くと天才ではないかと思えるが、実際はこれらの能力が個人の人格とは全く無関係に発達している点が問題で、普通知能の発達は遅れ、社会性は高いように見えても怒りの感情を理解できないなどの感情障害も見られる。
私自身は、1)言語能力が人格とは無関係に形成されること、2)発症に関わるいゲノム領域が特定されていること、3)さらに同じ領域の重複で今度は自閉症が発症すること、などから、言語を理解するために最も重要な病気の一つだと思っている。
今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文はこのウイリアムズ症候群の神経細胞機能異常を試験官ないで再現しようとした試みでNatureオンライン版に8月10日掲載された。タイトルは「A human neurodevelopmental model for Williams syndrome (ウイリアムズ症候群の発生モデル)」だ。
この研究では典型的なウイリアムズ症候群(WS)と、遺伝子欠損部の小さい、症状が軽い非典型WSからiPSを作成、神経を分化させた後明らかに遺伝子発現が低下している分子を探索し、神経細胞の増殖に関わるWntの受容体FZD9の発現がWSだけで低下していることを発見する。FZD9はWSで欠損する領域に含まれており、非典型WSでは欠損していないので、この結果は妥当だが、実際に神経細胞で発現が落ちているのはFDZ9だけでなく、もともと重要だと考えられている転写因子GTF2iも同じように低下しているので、研究しやすいFZD9から取り組んだと考えるほうがよさそうだ。
ただ試験管内で誘導した正常神経幹細胞のFDZ9発現をshRNAで低下させる実験から、WSの神経細胞異常がFDZ9の異常かどうか特定できる。この結果、WS神経細胞で見られる細胞死の亢進はFDZ9によるもので、Wntを刺戟する化合物で元に戻せることを明らかにしている。また、MRIによる解析からWSの脳の皮質面積が低下していることを示し、この異状はFDZ9の発現異常によるのではと提案している。
残りの実験は、WSと健常者の神経細胞の比較で、WSでは樹状突起が長くなり、スパインと呼ばれる神経接合が増えることをiPS由来神経細胞で確認できること、また同じ異常をWSの死後解剖脳の組織から確認できることを示しているが、これらの異常がFDZ9異常によるかどうかは全くわからない。
まとめると、「WS症候群からiPSを樹立して研究することで、神経細胞レベルの様々な異常を再現できる。またWS患者の皮質の細胞数減少はFDZ9発現低下による細胞死の更新が原因かもしれない、」になるだろう。
私は個人的にWSに強い興味を持っているため、一貫性がない研究に思えてしまうが、分子だけでなく細胞レベルで異常を調べることが重要なことは間違いない。WSで変化する遺伝子はあと20個は残っているようだ。注目されているGTF2iも含めて一個一個の遺伝子の細胞学的機能を明らかにしてほしい。
2016年8月11日
前後軸に沿った体のプランは、ホメオボックス遺伝子の組み合わせによるコードで決められている。実際、このコードを狂わせると前後軸の体節の特異性が変わることが知られている。しかし、ヘビのような極めてユニークな前後軸の体節構成をホメオボックスの発現からだけ説明するのは難しかった。
今日紹介する論文は山中4因子の一つ、マウスES細胞や生殖細胞の多能性に関わる遺伝子Oct4の発現が体幹の体節の数の調節に関わり、ヘビも同じメカニズムを用いて特異な形態を実現していることを示す研究で8月8日号のDevelopmental Cell に掲載されている。
このグループは増殖分化因子Gdf11を研究する中で、この分子が欠損したマウスは体幹(胸部と腰部)の体節数が上昇することを発見していた。この形質が発生するメカニズムを調べる中で、Gdf11欠損マウスでは、マウスの多能性を決めているOct4の発現が体の後部で維持されていることに気づく。
このエピブラスト由来のOct4陽性細胞が消えずの残ることが体幹部の体節を増やしているのではと着想し、Oct4の発現がエピブラストの分化で低下しないようにしたマウスを作ったところ、Gdf11欠損マウスと同じように体幹部の体節数が増えることがわかった。
もちろんOct4発現が抑制されないと、様々な発生異常が起こる。この研究でも、体節数だけでなく他の異常が誘導されることも示している。間違うと遺伝子を異常発現させたお遊びになってしまうが、これを避けるため、体幹の体節数の多いヘビを調べ、実際ヘビではOct4の発現抑制のタイミングが遅れていることを見出している。すなわち、同じメカニズムを自然の状態で使っている動物が確かにいることを明らかにした。
この結果から、Oct4の発現抑制のタイミングを変化させることで、特異的な形態を進化の過程で容易に実現できることになる。これを確認するために、Oct4の発現を調節している遺伝子領域を、マウス、ヘビ、そして尻尾の長いトカゲで比較し、Oct4遺伝子上流がトカゲ、ヘビではマウスと全く異なる構造をとっていることを明らかにしている。また、ヘビとトカゲでも遺伝子発現調節領域は大きく変化しており、Oct4発現タイミングの変化が進化で起こっていることを示唆している。
一方Gdf11遺伝子の調節領域では、これほど大きな差をマウスとヘビやトカゲの間に見ることができないので、おそらくヘビやトカゲの体節数増加に関わったのは、Oct4上流の遺伝子発現調節領域の変化ではないかと結論している。
最後にOct4遺伝子抑制のタイミングを遅らせている調節領域部分を、トランスジェニックマウスを作成して調べているが、残念ながら特定には至っていない。
これまでヘビの特異なボディープランについて説明した論文を何編か読んでいるが、この論文は私には説得力があった。
私たち哺乳動物のOct4の機能は多能性維持分子として位置付けられるが、卵生のヘビやトカゲでも同じかどうかわからないはずだ。だとすると、もともとはOct4は後部のホメオボックス発現を調節するために存在して、尻尾や胴の長さを決める役割を持っていたのではないかとすら思えてくる。面白い論文だった。
2016年8月10日
世界フォーラムが毎年発表している男女格差ランキングで2015年、我が国は101位という有様だが、女性進出先進ヨーロッパの中でもフランス、イタリアは、それぞれ、57位、80位と褒められたものではない。この状況を改善する対策を講じるためには、様々な領域で綿密な調査を行い、ジェンダーギャップが生じる原因を特定する必要がある。
今日紹介するフランスのパリ経済大学からの論文は、フランスならではの方法で大学理科系の教員数の男女格差が生じる原因について迫った研究で、7月29日号のScienceに掲載されている。タイトルは「Teaching accreditation exams reveal grading biases favor women in male-dominated disciplines in France(教員資格認定試験の検討から、フランスで男性優位の領域ほど女性が試験で優遇されている傾向が明らかになった)」だ。
2014年の5月、Scienceは「格差問題」を特集し、格差についての科学的研究を重視していく姿勢を見せたが、この論文からもこのScienceの編集部の強い意志が感じられる。
この研究が対象にしている男女格差は、大学の理科系の教員や研究者の数だ。我が国もそうだが、フランスでも男性優位社会が続いており、数学や物理の女性教員は20%程度にとどまっている。この原因についての一つの仮説では、採用時に男女差別が行われると考えている。一方、男性優位社会という先入観が、この分野へ女性が挑戦する気持ちを妨げているのではないかという指摘もある。ただ、男女比の統計調査や、インタビューなど従来の手法では、なかなか決定的な結論を得ることは難しかった。
この研究は、フランス特有の教員資格認定試験を利用することで、採用時の男女格差の有無について科学的に検証できるとする着想が元になっている。
この論文を読むまで私も全く知らなかったが、フランスでは大学などの高等教育、中等教育、初等教育各レベルで、教員になるための資格認定試験を行っている。この中で大学教員の試験がアグレガシオン (我が国にはこのような試験はない)、中等レベルの試験がCAPESと呼ばれている。それぞれの試験では統一筆記試験と、面接官による面接が行われ、数学、物理、化学、哲学のように分野別に応募が行われる。
研究では2006年〜2013年のアグレガシオンと、CAPESの筆記試験と面接試験の点数を比べ、二つの試験の点数の差を指標にして、面接で女性優遇・差別が行われるかを調べている。
すなわち、筆記試験では男女差別が起こることはないが、面接試験では当然面接官の判断が入るため、男女差別が起りうることを利用して、採用時の男女差別の有無を数値化することに成功している。この指標では全ての女性が面接で優遇された場合が+1、逆に差別された場合が-1になる。
結果だが、アグレガシオンでの指標は、物理、数学の+0.15を筆頭に、男性優位な分野ほど面接で女性が優遇されていることがわかった。0.15という数値はかなり優遇されていることを示している。一方、言語学や文学のように現在女性優位の分野では、逆に男性が優遇されていることも明確になった。
もちろんこの結果を正しく解釈するための様々な検討を行った上で、面接では「格差を解決したい」という面接官の意識が自然に作用して、女性を優遇していると結論している。従って、理科系での男女格差を改善するためには、採用試験の見直しより、それ以前の教育で、決して採用時に女性が差別されることはないことを全員が認識して、女性の挑戦を促すのが良いと提言している。
もちろん同じような制度を持たない我が国にこの結果をそのまま当てはめることは難しいが、明らかなことは「男女格差是正」というスローガンを全員が唱えておれば、自然に是正する方向への選択が行われることを示している。
これが正しいとすると、わざわざ「女性の輝く社会」などと言葉を飾ると、かえって逆効果かもしれない。
2016年8月9日
PD1抗体治療の標的細胞などと書くと、何を今更と言われそうだが、この抗体治療の全像について本当はわかっていないことが多い。ところが、最近は小野薬品オプジーボと医療費の話ばかりが医療関係者やメディアの話題になっている。一方、論文を眺めていると、私たちがこの治療について知っていることはまだまだ限られており、PD1治療について毎日新しい発見が報告されていることがよくわかる。治療を行う臨床医にはこの治療についての研究が日々進歩して、すぐに臨床に戻ってくることをよく知ってほしいと願っている。
今日紹介するエモリー大学からの論文もそんな論文の一つで8月2日Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Defining CD8T cells that provide the proliferative burst after PD1 therapy (PD1治療によって急速に増殖するCD8T細胞を定義する)」だ。
この研究はヒトのCD8T細胞がCXCR5ケモカイン受容体陽性と陰性のポピュレーションに別れるという最近の発見に端を発し、慢性ウイルス感染症に対するCD8T細胞でも同じことが起こるのか確認する実験から始まっている。この目的に、慢性のウイルス感染症モデルとしてこれまで最もよく研究されているLCMVをマウスに感染させ、LCMV抗原に反応するCD8T細胞を回収して調べたところ、確かにCXCR5陽性と陰性に分かれることを確認する。
あとは、各ポピュレーションの特徴を詳しく調べ、
1) CXCR5 +は慢性感染だけで出現すること、
2) CXCR5+細胞は刺激を受けるための様々な分子を発現していること
3) 一方CXCR5-細胞は細胞障害性の分子を強く発現していること、
4) CXCR5+細胞はリンパ節や脾臓の濾胞に居座って、幹細胞あるいは免疫記憶細胞の役割を担い、そこで分化したCXCR5-細胞が抹消に移動してキラーとして働くこと
などを明らかにしている。
ここまでは「なるほど」と納得して読み進むが、最後に抗PD1抗体を投与してどの細胞が増殖するかを調べると、リンパ節濾胞に存在するCXCR5+型のCD8T細胞だけが急速にリンパ濾胞で増殖し、この程度はリガンドのPDL1に対する抗体を投与した時よりはるかに強いことを示している。また、この急速な増殖にTCF1という転写因子が必須であることも示している。
この結果は慢性ウイルス感染モデルでの話だが、同じことがガンにも言えるなら、PD1抗体の効果はガン局所に浸潤する分化型CD8T細胞ではなく、リンパ節や脾臓の濾胞に存在する記憶T細胞に効くことになる。だとすると、どの患者さんに抗体が効くかまた違った観点から調べる必要が出てくる。
まだまだ私たちはチェックポイント阻害治療の全像を掴みきっていない。
2016年8月8日
眠りは絶対に必要か?もしそうなら、なぜ危険を冒しても眠る必要があるのか?という問いはなんども議論されてきた。一定の期間眠らなくても何とかなるという考えの根拠は、長距離を飛び続ける渡り鳥だが、最近の研究では頭の半分を覚醒させるという離れ業ができるようで、やはり寝るのは必要なようだ。しかし、鳥の眠りはなかなか多様で、2012年Scienceに出た論文によると、メスをめぐって争う季節になると、3週間ほとんど寝ないで争うオスがいるようで、結局生まれてきた子供は、寝る時間が最も少ないオスたちの子供だったことが報告されている。
今日紹介するドイツマックスプランク鳥類研究所からの論文は長距離飛行中の脳波と行動を調べて、飛行中の鳥の眠りについて研究した論文で8月3日発行のNature Communicationsに掲載された。タイトルはズバリ「Evidence that birds sleep in mid-flight(鳥が飛行中に寝ているという証拠)」だ。
研究は徹底している。ガラパゴスに住むグンカンドリに左右の視覚野の脳波、頭の傾き、そしてGPSによる位置情報を同時に記録するテレメーターを装着し、3000km分の飛行について記録している。こんな操作をして十分長時間の飛行が可能なのは、大型のグンカンドリならではといえる。
さてグンカンドリも私たちと同じように眠ると脳波がゆっくりしたスローウェーブ(SWS)に変わる。また、夢を見るらしくREM睡眠も観察される。陸上にいるときはだいたい半分ぐらいの時間寝て過ごしており、普通寝るのは夜だ。
では飛行中に寝ているという証拠は得られたのだろうか?結果は期待通りで、確かにSWSが現れる。ただ、その時間は短く、だいたい全時間にして2−3%だ。すなわち、眠らないでも済ませられる機構が働いて飛んでいるが、それでもどうしても寝てしまうといったパターンだ。疲れたサラリーマンが、つり革につかまってウトウトすると言った感じだろう。
ただ、鳥が人間と違うのは、これまで報告されているように、鳥は片方の脳だけ休めることができる。実際、グンカンドリも飛行中は片方の脳だけ眠るパターンが多い。また、そのときはほとんど活動している脳の反対側を軸に旋回している。
しかし、脳全体が寝ているときも間違いなく存在し、それでも飛行を続ける。飛行中に完全に寝てしまう場合は、上昇気流に乗って高い高度を飛んでいる時が多いようで、うまくできているなと思う。
話はこれだけだが、IT技術の進歩のおかげで、飛行中の脳波記録が可能になり、ついに鳥は飛行中に完全に寝てしまうことがあることを証明できた。とはいえ、飛行中に寝ないようにするメカニズムも存在し、陸に戻っても少しの間不眠が続くことも分かった。ひょっとしたら、鳥の眠りから、現代人の睡眠異常を治療するための大発見が生まれそうだ。
2016年8月7日
一般的にはあまり知られていないが、膵臓ガンを語るときに忘れてならないのが、ガンの発生場所に起こる複雑で強い間質反応だ。間質反応とは、ガンの周りに線維芽細胞が増殖し、コラーゲンが分泌され、その中に様々な炎症細胞や血管が複雑に絡み合った構造ができることを意味する。
他のガンでもガンが浸潤すると多かれ少なかれ間質反応は起こってくるのだが、膵臓癌では特に強い。その結果組織手術ができず、バイオプシーで診断する場合、腫瘍内から採取された組織にガンが見つからないことすらある。また間質反応が強いと、多くのエネルギーを消費する悪性のガンも、実際には血流に乏しい低酸素状態にさらされているのではと考えられている。また、血流が悪いと薬剤の浸透も悪くなる。さらには、間質の反応によりガン免疫を抑える抑制性T細胞の浸潤が増え、ガン免疫が働きにくいことを示す論文も多く発表されている。
これらの事実は膵臓ガンの悪性度を含む様々な性質は、間質を除いて考えることは難しいことを示している。
事実、膵臓ガン組織のガンと間質を一つの単位として遺伝子発現を調べることで膵臓ガンを、1)扁平上皮型、2)成熟型、3)未熟型、4)免疫細胞型の4型に分類でき、扁平上皮型が最も悪性度が高いことが最近報告された(Bailey et al, Nature 531:47, 2016)。面白いのは、変異遺伝子の発現からだけではこのような分類が不可能なことで、膵臓ガンの間質の重要性を物語る。
「膵臓ガンは進行性」+「膵臓ガンは間質反応が強い」の2つの性質を単純に足し算して間質反応が膵臓ガンを悪性にさせているという考えが長く通説になっていた。事実間質反応の強さが膵臓ガンの予後を決めているというコホート研究成果も発表されている(Erkan et al, Clin Gastroenterol. Hepatol. 6:1155, 2008)。従って、膵臓ガンの制御にはガン自体だけでなく間質反応を制御する必要があると考えられ、研究が続いている。
最近の例を紹介すると、膵臓ガンの間質には強くビタミンD受容体が発現しており、ビタミンD受容体刺激剤を注射すると、ガンの周りの炎症と、間質反応が強く抑制され、その結果薬剤がガンに取り込まれ、ガンの化学療法の効き目が高まることがソーク研究所から報告されている(Sherman et al, Cell, 80. 2014)。
またワシントン大学のグループは膵臓ガンの動物モデルで、ガン組織ではFAKと呼ばれる細胞と間質との相互作用を調節する分子の発現が間質反応とよく相関し、この分子をVS-4718と呼ばれるキナーゼ阻害剤で抑制すると、薬剤の効果が高まり、なんと今はやりのチェックポイント治療ではほぼ完全にガンを消滅させられることを報告している(Jiang et al, Nat Med, 22:851, 2016)。
ここで紹介した薬剤は明日からでも使える薬剤で、私見だが十分考慮に値すると思える。
ところが最近、ガンの間質反応が必ずしも悪い効果だけでないことを示唆する論文が相次いで報告された。
最初の論文では膵臓ガンが分泌するShhが間質反応の引き金役であるという発見に基づいて、この分子を欠損させた膵臓ガンを作成し、間質反応がShhで誘導されるか調べている。結果は予想通りで、Shh欠損ガンでは間質反応が強く抑えられたが、予想に反してガンの増殖は高まったという結果だ。この効果は血管新生を抑制すると消えるので、間質反応は血管新生を抑制してガンを抑えると結論している(Rhim et al, Cancer Cell 25:735, 2014)。
もう一つの論文では、間質の活性化線維芽細胞を薬剤で除去できるようにしたマウスを使って、ガン増殖に及ぼす線維芽細胞の役割を調べ、線維芽細胞を除去すると膵臓ガンの増殖が亢進することを示している(Cancer cell, 25:719, 2014)。
臨床的にも、間質反応の強い膵臓ガン患者さんの方が予後が良いという論文もジョンホプキンス大学から出されており(Bever et al, HPB(Oxford), 17:292, 2014)、膵臓ガンの間質反応の意義についてはさらに研究が必要だ。
ただどちらの意見をとるにせよ、ガンの間質が膵臓ガンの性質が決まるのに大きな役割を演じており、また血管新生や、ガンに対する免疫反応に大きな影響があることは間違いない。
最初紹介したように、これら間質反応を分子レベルで理解することが徐々にできてきた。また、間質の様々な細胞に働き、膵臓ガンの進行を遅らせることが確認された薬剤も増えてきた。この意味で、膵臓ガンの間質反応についての研究は治療に直結している。
最終回は、「膵臓ガンの間質反応は極めて複雑で、good or badといった2者選択の問題ではない。先入観を排しデータを十分吟味することから、その多面的役割が明らかにされる。幸い、ビタミンDやFAK阻害剤などすぐ臨床で確かめられる成果が集まっている」とまとめておく。
全体をまとめると
「他のガンと比べても、膵臓ガンは研究者の層も厚く、論文の数も増えてきている。また、紹介したように、やる気になれば明日からでも可能な治療が少しづつ集まってきた印象だ。我が国の研究の現状は把握できていないが、世界レベルでは着実に研究は進化しており、十分期待できる。
一方新薬、リパーパシングを問わず薬剤の治験を推進する必要があるが、それを進める枠組みを早急に整備する必要がある。薬剤が複数の会社にまたがる場合、治験は誰が主体になり、費用はどうするのかなど、問題が多い。私は、膵臓ガンと戦いたいと思う患者さんや市民を中心にこのような枠組みが作られることが重要だと思っている。「パンキャンジャパン」など膵臓ガンには活発に活動する団体が存在する。ぜひ、このような運動が主導する議論が深まることを期待したい。
最後に、今ガン治療で最も注目されている、ガン免疫療法や、チェックポイント阻害治療については複雑すぎて、まだ頭の整理がつかず、今回は割愛した。またいつか、ガンに対する免疫治療として改めてまとめてみたいと思う。