過去記事一覧
AASJホームページ > 2015年 > 4月 > 21日

4月21日:見えてもわからない(Psychological Science 4月号掲載論文)

2015年4月21日
SNSシェア

医学や生物学の実験では言うまでもなく再現可能かが問われるが、一回きりの経験を重視する伝統も持っている。特に精神医学や神経学では症例報告のウェイトが高い。これは脳のような複雑で個別の要素が高いシステムでは、統計的手法を当てはめることが難しい一回きりの現象が存在し、限界はあっても個別を追求することで普遍的な原理や法則に迫ることが可能だからだ。例えば精神疾患なら、この伝統はフロイトの膨大な症例報告に残っているし、神経学でも例えばダマシオの「デカルトの間違い」などには、脳障害で性格が一変した症例などが一般の方にもわかるよう紹介されている。今日紹介するワシントン大学からの論文も同じように繰り返して経験することのできない症例報告でPsychological Science4月号に掲載された。タイトルは「A lack of experiencee-dependent plasticity after more than a decade of recovered sight(視覚回復後10年以上たっても経験による可塑性は欠損している)」だ。この症例は、3歳半に事故で化学薬品を浴び、左目は完全に失われ右目は角膜障害を受け失明状態に陥る。46歳まで光は感じるが視覚による形態などの認識を行うことなく生活してきた後、右目の角膜を幹細胞移植で再生する治療を受け、視覚を回復する。この症例では、視覚が急に回復した時、経験による脳内での統合が必要な複雑な視覚認識はどこまで回復するのかが問われた。手術後2年目の検査で、光や色の感覚、また単純な形態の認識はほぼ完全に回復しているが、表情の認識を始め3次元画像など経験を必要とする視覚認識は全く回復しておらず、視覚が回復しても触覚や聴覚に頼らざるを得ないことが明らかになっていた。さらに10年経過して、この状態が改善したかどうかを調べたのが今回の研究で、結論を先に言うと、全く回復しないという結果だ。実際行われたテストでいうと、椅子の写真を見せて椅子と認識することができない。また、男か女か、あるいは怒っているのか喜んでいるのか、感情を理解するのも画面だけを通してだとうまく判断できない。一方、2次元画像の形であればある程度認識できるが、3次元画像になると単純な形の認識も難しい。もちろん全くランダムに答えるよりは正解率は高く、ある程度の認識が可能なことも確かだ。しかし、50近くで視覚が回復して10年たっても、それまでの50年の経験を通して積み重ねた脳内ネットワークを再構築することはできていないという結果だ。このことをより客観的に確かめる意味で、MRIで脳活動を調べている。詳細は省くが、顔の認識、人間の体の認識、景色の認識などの課題に対して反応は強く低下している。結局、見えるということと、それが何かわかることが全く別物であり、この患者さんでは3歳半までにわかるために獲得した脳内ネットワークはそのまま発達することなく止まってしまっていることがわかる。この患者さんは回復後視覚について「見えることで何ができ、何ができないかわかってきたので、あとはそれ以上の挑戦をしないでいる」と語っている。すなわち、脳内ネットワークの壁を壊すことの難しさを語っている。何歳まで視覚経験を積み重ねれば完全になるのか?回復しなかったのは個人的な問題なのか?同じような症例で、事故が起こった年齢が異なる患者さんの症例が集まれが、統計学的処理できなくとも多くのことがわかるのではないだろうか。だとすると眼科領域の再生医学の進展に大きな期待が集まる。

カテゴリ:論文ウォッチ
2015年4月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930