降圧剤バルサルタン治験について現在も細々と報道は行われているが、ほぼメディアの興味の対象ではなくなったようだ。しかし小保方問題の起こる前、わが国メディアが大きく取り上げ、ニュースに何度も登場したのは当時の京都府立医科大学教授だった松原さんが責任著者として指揮した治験でのデータ捏造だった。2013年8月、大学の調査委員会の報告についての新聞記事をこのホームページでも取り上げたが(http://aasj.jp/news/watch/99)、私はこの文章の最後を、「この様な捏造は、個人だけの問題ではなく、捏造を期待する学会社会が背景にある事を肝に銘じるべきだ。例えば、スティーブングールドのパンダの親指や、韓国の優れたジャーナリスト李成柱の「国家を騙した科学者」はこの事を鋭く指摘している本だ。我が国の成長戦略が、捏造の背景にならないよう、これらの本を読み直すときかもしれない。」と結んだ。すなわち捏造問題(実際にはあらゆる個人犯罪に共通するが)を構造問題として捉える視点の重要性を強調した。このことを冷静な分析を通して伝えなければという気持ちは、私も選考に関わった小保方さんの捏造を巡る科学者、政府、そしてメディアが演じた大騒ぎを目の当たりにしてより強まり、現在原稿を書きつつある。わが国で行われてきたように、捏造を個人の責任問題として分析してしまうと、分析者はあくまで「私が正義、あなたは間違っている。」と主張するアウトサイダーの立場で終わる。しかし、その結果から具体的対策が出ることはまずない。いつも倫理の徹底と、研究の透明性など抽象的な提言で終る。一方、構造問題として捉えるということは、その社会の構成員の全てに責任があると考える立場だ。もちろんメディアにも責任がある。こうして初めて、分析を実現可能な具体的提言につなげることができる。構造問題として分析できる視点の欠落した社会は「子供の国」だ。少し前置きが長くなったが、今日紹介するメイヨークリニックからの論文も論文捏造について実現可能な提言を引き出すための捏造分析で、JAMA Internal Medicineに掲載された。タイトルは「Research misconduct indentified by the US Food and Drug Administration (FDAにより特定された研究不正)」だ。(副題は長いので省いている)。FDAは15000人近い職員を擁する組織で、薬剤や医療機器などを認可するための調査を行っている。当然その審査は厳しく、治験過程で不正が行われているかどうかも、査察する権限を持って行われる。査察結果は、1)問題なし、2)自主的対応で良い、そして3)強制的措置が必要(OAI)の3段階に分かれ、OAI判定を受けた治験の中には、治験に参加した機関で不正や捏造が行われたことが明確に指摘される例も多い。これらは、報告書としてまとめられ開示されているが、文書自体に大きな編集が加えられているために具体的事例をたどりにくい場合が多い。この研究では、査察でOAIと判断された治験400余についてその後の経過をたどれるか詳しく調べ、査察を受けた治験から発表された論文が、FDAの指摘を論文でどう扱っているのか調べている。繰り返すがFDAから開示されている査察記録は編集されすぎているため、調べた421例のOAI査察を受けた治験のうち論文まで辿れたのが57例にとどまった。この57治験で行われた指摘の内訳だが、1)虚偽記載が22例、2)副作用記載もれが14例、3)プロトコル違反42例、4)不適正な資料保存35例、5)インフォームドコンセント等の患者の権利軽視30例、6)それ以外の分類不可能な不正20例と驚くべき実態だ。これらの治験結果を使った論文がThe New England Journal of MedicineやThe Lancetなどの臨床トップジャーナルも含めて78報も発表されている。3報だけはよそ事のようにOAI判定を受けたことについてなんらかの記載をしているが、残りは全く無視をして論文を書いている。論文では、眼に余る具体例のケースレポートが行われているが、読むと驚く。私が関わったわが国の再生医学プロジェクトで当時最も臨床に近いと期待されたのが下肢の血管障害の幹細胞治療で、多くの治験が世界中で行われた。その中に治療後2週間目に一人の患者が下肢切断を余儀なくされた治験ではOAI査察を受けたにもかかわらず、このことが全く記載されていない論文が発表されている。また抗凝固剤リバーロキサバン治験では、半数の治験参加機関で機関ぐるみの医療記録破棄や、改ざんが行われていたが、発表されたLancet論文ではこのことについての記載が全くない。さらには抗がん剤エフロルニチンの治験で一人の研究者が患者さんの検査データ捏造を行い、その結果患者を副作用で死亡させ、法廷で殺人として有罪判決を受けているにもかかわらず、J Urology, The New England Journal of Medicineに発表された論文では全くその点についての記載がない。もちろん指摘された問題に対応できたから認可されているわけで、論文にわざわざ記載するのは馬鹿げているという意見はあるだろう。しかし、論文とFDA認可は全く別物で、論文はやはり薬の効果を世に問い宣伝する意味で書かれる。これまで議論されたように科学論文が、行われたことを正確に伝えることだとすると、その研究過程で行われた捏造についてまったく無視できるはずはない。重要なことは、これが決して稀な事象ではなく、かなりの頻度で行われそのまま論文になっていることだ。昨年3月14日このホームページでトップジャーナルに掲載される治験論文は、書かれる過程でほとんど(97報中93報)が実際に登録されたデータとは異なる虚偽記載を行い、6%に至っては5年生存率まで変えていることを報告したJAMA論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/1273)。このように、論文を書くこと自体が製品の宣伝につながる場合の不正は今や構造問題になっている。長くなったので詳しく述べないが、この論文では最後にclinicaltrial governmentとFDAを連携させて、OAI記録へのアクセスを容易にし、雑誌のエディターへの情報提供を促進するなど、具体的提言をしており、わが国のように研究者の倫理教育徹底のような思考停止で終わっていない。もちろん私も小保方問題を含む日本の分析が終われば、具体的提言で終わるつもりだ。また、50人以上の方が集まるところであればどこでも出かけて議論を行っている。いつでも声をかけてほしい。
4月11日:捏造の構造(JAMA Internal Medicine4月号掲載論文)
2015年4月11日
カテゴリ:論文ウォッチ