カテゴリ:論文ウォッチ
10月2日:1000人ゲノム計画第三弾(10月1日号Nature掲載論文)
2015年10月2日
1000人ゲノム計画は、ヒトの遺伝多様性について詳細なカタログを作るため2008年にスタートした国際コンソーシアムで、2010,2012年とその成果を発表し、人間とはどんな種なのか?を理解するため、また疾患の遺伝子を発見するためのリファレンスデータとして重要な貢献をしてきた。次世代シークエンサーの利用が容易になったことから、今日では何万人規模のゲノムデータが続々発表されるようになってきたが、このプロジェクトは幾つかの点で、重要なデータベースとして機能し続けている。まずこのプロジェクトは全世界から広くサンプルを選んで解析を行っており、ここまで多様な人種を集めたデータベースはない。次に、このプロジェクトではただ全ゲノムシークエンスを集めるのではなく、それぞれのサンプルを全ゲノム、エクソーム、SNPアレーを用いて別々に解析し、様々な臨床や研究のニーズに応えられるようになっている。さらに、約半分のサンプルで親や子のゲノムも集めて、染色体型を再構築できるよう計画されている。最後に、このデータはすべて公開されており、実際論文を読んでいると、1000人ゲノム計画からデータ引き出して使っているゲノム論文を数多く見ることができる。ひょっとしたら2012年の論文で一段落してしまっていたのかと勘違いしたが、今もこのデータベースを完璧にする努力が続いており、さらに精度を上げたデータが今回第三弾として、10月1日号のNatureに発表された。タイトルは「A global reference for human genetic variation(人間の遺伝的多様性の世界規模のレファレンス)」だ。今回の論文の要点は、新しくサンプルを加え(特に南アジア人)、ほとんどの多型をカバーできるようにしただけでなく、日進月歩の情報処理技術を使って、SNP、挿入欠失、染色体の構造変化などが統合された染色体型を再構築して利用できるようにしたことだろう。全体を紹介するにはあまりにデータが膨大なので、今日は一般の人にもわかりやすい幾つかの点について紹介しようと思っている。まずヒトとチンパンジーのゲノムは2%としか違わないと言われているが、人間同士も約500万カ所、塩基数では約2000万塩基違っている。ゲノムを30億塩基とすると、ゲノムの1%近くが人間同士で違っていることになる。ただ、この違いのほとんどは、極めて稀な変異で、人種や集団を特徴付けているものはそう多くなく、5%以上の人が共有する変異はたかだか800万塩基程度だ。この中に、人種や民族を横断的を特徴付ける変異があるが、人種横断的に見るとアフリカ人が並外れて特異的変異を持っている。全ての変異についてみると、アミノ酸レベルの変異は1万近く存在し、150近くの変異ではタンパクの構造が変わっている。重要なのは、遺伝子発現を調節する領域遺伝子領域の変異が50万近くに上ることで、個人の特徴はやはり遺伝子発現の小さな差の集まりで決まるようだ。もう一つ面白い結果は、アフリカ人とヨーロッパ・アジア人の10万年単位の人口推移で、ヨーロッパ・アジア人の人口が氷河期で絶滅に近いところまで減少した時もアフリカ人の人口減少は軽度ですんでいることがゲノムデータから推察できる。これにより、当時の地球環境まで推察できそうだ。最後に、健康や医療への貢献だが、全てのサンプルでカバーできていないため診断に使えなかった遺伝子マーカーを推計学的に特定するインピュテーションの精度が大きく上がったのは重要だ。実際の検証として、黄斑変性症のゲノムを対象にして、今回の研究により生まれた新しい診断可能性も示している。ゲノム診断に関わる人たちには重要な情報だと思う。他にも、ぜひ伝えたいと思う内容も多いが、病気の遺伝子を含み新しい問題が研究されるたびにこのデータベースは重宝されていくだろうから、その時に紹介すればいいだろう。ヒトゲノムの最初のドラフトが発表されて15年、最近のゲノム研究の進展を見ると、素人の私にも人間のことが本当にわかってきたと実感させる。そして何よりも、人間一人一人はこれほど多様化していることがわかる。それがわかっても、民族だ、人種だと差別したがるのは本当に虚しいことだと早く気付くべきだろう。
10月1日:スーパーエンハンサーを標的にする白血病治療(Natureオンライン版掲載論文)
2015年10月1日
これまで遺伝子の発現調節過程は、化学化合物による治療の標的として適さないと考えられてきた。というのも、この過程ではタンパク質とDNAやタンパク質同士の相互作用のように、小さな化合物では抑制しきれない反応が中心になっているからだ。ところが最近になって、転写にも化合物が特異的に抑制可能な様々な過程が含まれていることがわかり、転写を標的にする薬剤の開発が進み始めている。今日紹介するハーバード大学からの論文は細胞のアイデンティティーを決定しているスーパーエンハンサーの活性調節に関わるメディエーターと呼ばれる巨大複合体形成過程を標的に白血病を治療できないか調べた研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは、「Mediator kinase inhibition further activate super-enhancer-associated genes in AML(メディエーターリン酸化酵素を阻害すると急性骨髄性白血病で働いているスーパーエンハンサーにより支配される遺伝子発現がさらに更新する)」だ。すでに述べたように、この研究の目的はスーパーエンハンサーを標的にして抗ガン治療が開発できないか調べることだ。そのためにこの研究では、メディエーターと呼ばれる分子複合体の構成成分の一つCDK8に目をつけた。CDK8はサイクリンにより活性化されるリン酸化酵素で、リン酸化を介してメディエーターの活性を調節していると考えられている。研究ではまず、骨髄性白血病(AML)株でCDK8がスーパーエンハンサーの構成成分としてこのAMLで働いていることを染色体沈降法で確認している。次に、CDK8の阻害剤として開発されたCAが期待通りCDK8活性を抑制できるか調べ、CDK8のリン酸化活性に特異的な阻害剤として働くことを生化学的に確認し、この阻害剤が顆粒球系や巨核細胞系の白血病の増殖を抑制することを見出す。この抑制活性は、白血病の異常増殖に関わるドライバー遺伝子を問わないことから、顆粒球系細胞としてのアイデンティティー維持機構を乱すことで効果が見られると結論している。事実、赤血球系の白血病ではこの阻害剤の効果はない。最後に、なぜ細胞のアイデンティティーを決めるスーパーエンハンサー活性を変化させると細胞の増殖が落ちるのか調べるために、スーパーエンハンサーに支配される遺伝子がCDK8阻害によりどう変化するか調べると、予想に反し支配される多くの遺伝子の発現が上昇していることを見出している。その中には転写を介して細胞の増殖を抑制する分子が含まれており、これらの分子だけを過剰発現させてやると細胞増殖が抑制されることから、CDK8阻害により、増殖抑制効果を持つ一群の分子の発現が上昇することが、白血病の増殖が抑制されたのだと結論している。この研究はCDK8がメディエーターの活性をただ亢進させているのではなく、適正なレベルに維持するための調節因子である可能性を示した点で、基礎的にも面白い結果だと思う。最近、転写過程、特にスーパーエンハンサーを標的にした薬剤開発の論文が増えてきたが、詳しく見るとこれだけでガンを根治できるようには思えない。また、作用機序から言っても副作用の覚悟の必要な治療法になるだろう。しかし、ガンに対する手段を拡大するという意味では、急速に創薬が進んでいる実感があり、今後も注目すべき分野だろう。
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