2019年5月31日
ASDに関する最近の論文紹介の最後は、プリンストン大学による、ASD児の家族について全ゲノム解析したビッグデータの意味を何とか理解しようとした研究でNature Geneticsにオンライン掲載された。タイトルは「Whole-genome deep-learning analysis identifies contribution of noncoding mutations to autism risk(全ゲノムについての機械学習を用いることで、ASDのイントロンの変異のASDリスクを特定する)」だ。
これまで多くのASDゲノム解析論文が発表され、その結果ASDはneurodiversity(神経系多様性)の典型で、多くの遺伝子の小さな変異が積み重なって起こってくるのではないかと考えられている。ただこのような場合複雑すぎて、遺伝子リストができても、メカニズムはおろか、ゲノムを診断に使うことも簡単ではない。その結果、より精度を高めるため、DNA多型の解析や、機能タンパク質へ翻訳されるエクソーム解析は、必然的に全ゲノム解析まで進んでいく。しかし、エクソーム解析でアミノ酸が変化することがわかっても、その変化の機能的意味を理解するのは困難を伴う現状では、全ゲノムとなると、変異部位の意味はますますわかりにくくなり、精度を上げることは夢のまた夢になる。
このグループは、ASD研究が専門ではなく、全ゲノムデータのイントロン部分に存在する変異の機能的意味を予測するため、イントロンの配列を、クロマチン、RNA結合など利用できる様々なデータを結合させて、それぞれの部位の意味を予測するAIを開発しており、今回の研究は、構築したアルゴリズムでASDのような複雑なゲノムをどこまで理解できるのかテストするのが目的になっている。
ASDが最初にテストに選ばれた理由は、1700人のASD児と、その親・兄弟の全ゲノムが揃っているシモンズ財団のデータベースの存在が大きい。この組み合わせから、親、兄弟にはなく、ASD児にだけ新しく発生したゲノム変異を抜き出すことができる。これらには、ASD発症に関わっている変異が濃縮されていると考えられ、この変異の部位の機能的意味をAIで予想し、ASD理解に貢献できるかテストすることで、今回設計されたAIの利用価値が確かめられると期待している。
結果は当然予想通りで、
- ASDだけに見られるイントロン変異の近傍の遺伝子は(NEDAと名付けている)、脳の皮質や大脳基底核に発現されているものが多い。
- NEDAは神経発生やシナプスシグナルに関わる遺伝子が多く、その中にはすでにASDのリスク因子として知られる遺伝子が多く含まれている。
- 一部の変異については細胞を用いた転写活性テストで活性を直接確かめ、転写活性を低下させる変異が多いことを確認している。
- 症状の重さとイントロン変異の多さは相関する。
と、新しいAIをASDのイントロン変異に適用すると、予想通りの結果が出たことから、このAIはイントロン変異の意味を予測する高い能力を持っていると結論している。
ビッグデータの解析なので、研究についての実感はないが、今後他の病気の解析にも使うことで、評価されると思う。
個人的には、シモンズ財団が長期的視野でこれほどのデータを集め公開していることに感心した。そして、この方向で研究が続けば、ゲノムを用いたASDの早期発見も可能になるのではと期待を持った。
2019年5月30日
自閉症スペクトラム(ASD)論文紹介2日目は、自閉症の社会性を簡単に診断できる方法の開発研究を紹介する。ウェークフォレスト大学医学部を中心とするいくつかの研究機関が集まって行なった共同研究で、Biological Psychology オンライン版に掲載された。タイトルは「Diminished single-stimulus response in vmPFC to favorite people in children diagnosed with autism spectrum disorder (ASD児童の好みの人に対する前頭前野腹内側部の反応は低下している)」だ。
この研究の目的は、おそらく機能的MRIを使いつつも、難しい課題でなく、極めて単純な課題を使ってASD児童を典型児と区別する方法を開発することだと思う。この目的で、最初から社会性に関わることがわかっているvmPFC(前頭前野腹内側部)に絞って反応を調べ、4枚の異なる人間の顔写真と、4種類の物の写真を見た時のvmPFCの反応を機能的MRIで調べている。ASD児が写真を怖がらない様、写真を見せる時は必ず後ろにある写真を鏡を通して見るようにしている。対象は平均12−13歳のASD児と典型児で、ASDの診断はいくつかの基準を組み合わせて行なっている。
使った写真は、人間の顔では、人懐っこい女性の顔、笑う赤ちゃんの顔、特に感情が出ていない大人の顔、そして包帯を巻いて痛みを感じている顔。また、物の写真では、パソコン、ケーキ、お皿、便器の順番になっている。
MRIスキャンのあと、それぞれの写真を好きな順番にランク付けさせている。この時のランクずけはどちらのグループも同じで、みなさんが想像されるランクと一致している。
実験では、それぞれの写真を見た時のvmPFCの興奮(血流の上昇で検出している)を測定している。典型児では、自分で好ましいとして選んだ顔に強く反応する。これは、vmPFCが主に感情的に報われた時に反応する領域のためで、好きな顔を見た時ほど満足感が高いことになる。ところがASD児では、あとで選ばせた好き嫌いに関わらず、どの顔にもはっきりした反応が見られず、ノイズが高い。すなわち、好き嫌いを選んだとしても、それに対するご褒美回路がうまく動いていない。
最後に、好感を持つ写真を一回だけ見せた時の反応も調べている(これは連続的なMRIスキャンではどうしても頭が動く子供が多いので、ほとんどの子供に適用することを考えて行なっている)。予想通り、好ましいと思った顔に対する脳の反応を見ると、ASD児では典型児より強く低下している。しかし、モノ(この場合はパソコン)を見せた時にはほとんど差が認められない。
結果は以上で、これまで知られていたことの確認だけとも言えるが、MRIが必要とはいえ、かなり単純な課題でASDを典型児から区別することができる点が重要だ。今回の対象は、十分ASDの診断をつけることのできる年齢だが、いわゆるご褒美反応を見ていることになるので、幼児でも適用可能な検査を設計できるようになるのではないだろうか。幼児の場合、赤外光の検出器などMRI以外の方法も使えるので、簡単なASDの診断法へと発展できるのではないかと、勝手に期待している、。
2019年5月29日
今日から続けて、紹介できずにたまっていた自閉症に関する論文を紹介する。最初は、カリフォルニア大学サンフランシス校からの論文で、基礎研究だけでなく、臨床研究にも重要な方法論として定着したsingle cell genomicsを用いた研究だ。タイトルは「Single-cell genomics identifies cell type–specific molecular changes in autism(脳細胞のsingle cellジェノミックスは自閉症での細胞特異的分子変化を特定する)」だ。
このブログでも何回も紹介しているように、組織から細胞を分離し、得られた細胞内のRNAを一個づつバーコードでラベルし、各細胞で発現しているmRNAを数万個レベルの細胞で一度に解析するsingle cell genomicsは、細胞ごとの遺伝子発現や、病気による変化を解明するために極めてパワフルなテクノロジーだ。特に、かなりの数の遺伝子変化が積み重なって発生する自閉症などのケースでは、病気の主体となる細胞を特定することも可能になる。
一部のてんかんの患者さんでは、てんかんが始まる場所を特定して切除し、てんかんを止める治療が行われるが、この研究では自閉症スペクトラム(ASD)と、てんかんが併発した患者さんが手術で病巣を切除する機会を利用して、脳細胞をいただいている。コントロールは、てんかんだけでこの手術を受けた患者さんだ。
研究では切除された前頭前皮質と前頭前野と前帯状回皮質の全層を注意深く取り出し、細胞の核を分離、核内に存在するRNAの発現をバーコードを用いるsingle cell解析で調べている。この研究では約10万個の細胞を解析すると、おおよそ17種類の細胞が特定できている。この分類により、細胞の種類だけでなく、どの層に存在したかもほぼ特定することができる。
こうして分類した17種類の細胞について、ASDで大きく変化している遺伝子を、各細胞ごとにリストすることができる。結果をまとめると次のようになる。
- 全体で約700種類の遺伝子の発現がASDで変化していたが、そのうち8割は特定の細胞のみで変化が見られる。すなわちsingle cell 解析でないと発見できない。
- 発現の変化がはっきりしている遺伝子の多くは、様々な細胞に発現している。
- 最も変化の大きな遺伝子群は皮質2/4層の細胞で発現が抑制される遺伝子群。
- 今回違いがはっきりした遺伝子のうち、75個はASDリスクに関わるゲノム変化として特定されており、やはり2/3層と4層の興奮神経に発現している。
- 遺伝子の特徴から、皮質2/3層の発生と、シナプスシグナルの変化がASDの気質的原因となる可能性が大きい。
- 各細胞レベルで遺伝子発現の変化の程度に応じて、強い症状が現れる。
- てんかんによる変化は5/6層の細胞集中しており、ASDの変化とはオーバーラップしない。
この結果を見た感想だが、ASDがゲノムの変化と、発生時の環境などエピジェネティック変化の集合で、本当に小さな変化が積み重なっているのが実感できた。そしてなによりも、2/3層、4層の神経回路の変化がASD発症に関わることが明らかになったことで、より焦点を絞った解析が可能になると思う。
脳の組織を調べることに対する抵抗を感じられる向きもあると思うが、私自身は「ここまでやるか」と、この論文からASD研究の広がりを感じ、この積み重ねが必ず治療につながると確信している。
2019年5月28日
親と比較したとき、子供だけに存在する突然変異は、親の生殖細胞形成時に発生すると考えられている。このため、生殖細胞の増殖回数が増えれば増えるほど、癌と同じで突然変異数は増加するとこれまでかたく信じられてきた。実際多くの遺伝子で小さな変異が認められる自閉症が発生する率と、お父さんの年齢をプロットすると、お父さんの年齢が上がるほど、発生率が上がる。精子は常に作り続けられていることから、この説は当然のことだとほとんどの人が思っており、私もそうかたく信じて、自閉症の話をする機会などにはこのプロットを示してきた。
しかし、よく考えてみると生殖細胞形成過程は、普通の細胞が増殖する過程と比べはるかに複雑で、単純にトータルの増殖回数と変異数が一致するとして全てを説明していいのかと思う。実際には、変異の発生を生殖細胞発生段階ごとに計算し直さないと、正しい解釈ができないはずだ。この問題に取り組んだのが、今日紹介するスタンフォード大学からの論文で、アイスランド デコード社の住民遺伝子解析データから、親子の遺伝子配列の違いを調べ、子供だけに見られる新しい変異の原因を再検討した論文で5月7日号の米国アカデミー紀要に掲載された。タイトルは「Overlooked roles of DNA damage and maternal age in generating human germline mutations(人間の生殖細胞系列の突然変異発生にかかわる、DNAへの損傷や母親の年齢の見落とされてきた役割)」だ。
この研究では、生殖細胞形成過程で起こった突然変異の起こった染色体を父親由来、母親由来と区別して特定し、父親由来と母親由来の変異の比をまずプロットすると、驚くなかれ父親の年齢に関わらず最初から高いまま(すなわち父親由来の染色体の方が変異が多い)安定していることを発見する。
精子は性成熟後ずっと作り続けられことから、年齢が高いほど増殖回数は増えるはずで、年齢とともにこの比は上昇していくはずなのに、これが見られないのは、新しい変異が単純に細胞増殖時に蓄積するという単純なものではないことを示している。
そこで突然変異のタイプ(例えばCからG への変異、あるいはメチル化されるCからT への変異)と分けて、両親の年齢との関係を調べると、放射線などDNA損傷の修復ミスなどでおこるCかG への変異は男性では年齢とともに急速に低下すること、いっぽうメチル化されたCの脱アミノ酸が原因の変異は、男性の年齢とともに上昇することが明らかになった。
DNA損傷といっても放射線に限らない。特に生殖細胞形成では減数分裂のために損傷は必ず起こる。このプロセスは男性と女性で起こる時期など大きく異なる。また、生殖細胞発生ではメチル化パターンが大きく変化し、これも男性と女性で大きく異なる。
これに加えて、女性の卵子が老化することで突然変異が起こりやすくなるが、この場合は父方、母方両方の染色体に変異が起こる。
以上のことから、子供に新しく見られる変異については、これまでのような単純な発想ではなく、それぞれの分化段階や発生様式の違いを加味して計算していくこと、特に変異のタイプを見ることで原因を特定し、対策をとることの重要性を示している。
この結論を念頭に、これまでの自閉症発生率と父親の年齢のプロットを考えてみると、現象は確かなので、今後はどの遺伝子が変異を起こしやすく、どのタイプの変異が多いのかを特定して、「子供は若い時に」という単純な回答ではない、厳密な対策が指示できるようにすべきではないかと思う。
2019年5月27日
わが国ではPD-1のニュースというと、もっぱら特許訴訟の話で、めったに出ない公の場に出ると、京大教授会時代本庶先生と親しかったからか、訴訟の話が向けられることも多い。ただ隠居の身では、報道以上のことは知らないし、そもそも報道自体も真面目にフォローする人間ではない。
しかし論文を読んでいると、チェックポイント治療が新しい拡大フェーズを迎えていることはひしひしと感じる。例えば治験登録機関であるClinical Trial Gov.
サイトでPD-1とインプットすると1438の治験がヒットし、その多くが他の治療との併用療法の治験だ。もちろんトップジャーナルを飾るPD-1治療の研究論文も高止まりしたままだ。本当は、このような状況を的確に伝えて、新しい治療を待つ人たちに届ける方が、特許訴訟よりずっと重要だと思う。
この併用療法の可能性を探る研究の例が今日紹介するオランダ癌研究所からの論文で、トリプルネガティブ乳がんにPD-1抗体を利用するための条件の検討だ。タイトルは「Immune induction
strategies in metastatic triple-negative breast cancer to enhance the
sensitivity to PD-1 blockade: the TONIC trial (転移性トリプルネガティブ乳ガンに対する免疫を誘導してPD-1阻害治療の感度を高める:TONIC 治験)」だ。
PD-1治療は、誘導されたガン免疫にブレーキがかからないようにする治療で、免疫の成立していないガン、すなわち走っていない車でいくらブレーキを外しても何の効果もない。そのためどうしても効果がある人とない人に分かれる。この問題を解決するには、効果を予測できる検査を開発するか、あるいは免疫を誘導して、効果が出る患者さんを増やす必要がある。当然製薬会社にとっては、後者で抗体の使用が増えることが望ましい。
この研究では、もともと突然変異が少なくネオ抗原が得難い乳ガンを選び、トリプルネガティブという比較的性質の似ている極めて悪性の腫瘍を選び、薬剤や放射線を、ガン免疫誘導に使えるかに絞ったプロトコルをもちいて、PD-1抗体に最も相性のいい治療法を探索している。
前処置は2週間だけで、患者さんをランダムに、1)局所放射線3回照射、2)サイクロフォスファマイド、3)シスプラチン、そして4)ドキソルビシンに分けた後、前処置は完全に中止し、その後一般的なPD−1抗体治療を行なっている。そして、転移巣を、前処置前、前処置後、PD-1抗体3サイクル後にバイオプシーを行い、ガン組織の免疫状態を見ている。
詳しい話は全て省略して面白いと思った結果だけリストしておく。
- このトライアルでは前処置なしの結果が結構よく、17%の人がPD-1に反応している。一方、放射線やサイクロフォスファマイド前処置群ではPD-1治療に反応する人が半減し、逆にシスプラチンやドキソルビシンでは上昇する。特にドキソルビシン群では37%の患者さんが反応する。
- 肺がんやメラノーマでは反応するケースは突然変異を多く持っているが、乳ガンでは突然変異数とは無関係。
- ほぼ全例で、効果は抗体治療によりゆうどうされており、反応した人ほど、組織の免疫反応が強まっていることが様々な指標からわかる。
- この結果から、ドキシソルビシンに絞った第二相治験進んでいる。
結果は以上で、要するに現象論・経験論で、メカニズムはこれからだが、PD-1を中心に持ってきて他の治療を前処置にまわすというはっきりした目的で治験が行われている点が成功したのだろう。
この研究で、サイクロフォスファマイドのように免疫抑制活性が強い薬剤との併用がわざわざ行われたのは解せない。一方、わが国でも治験が多く進んでいる放射線との併用が、やはり逆効果であったことは驚きだ。今後なぜポリメラーゼ阻害剤の併用が乳ガンの免疫を誘導できたのか、面白い問題だと思う。 いずれにせよ、まだまだPD-1抗体治療は拡大すると予想させる論文のひとつだ。
わが国でも、独自の方法でPD-1抗体を用いている医師の方々がおり、話す機会もあるが、ぜひ最初から治験を登録して、赤ひげより、一般治療を目指して欲しいと思う。
2019年5月26日
ミトコンドリアは16Kbほどの独立したゲノムを持ち、ヒトの場合37種類の遺伝子をコードしている。独立して細胞内で増殖するとともに、母親からのみ遺伝することから、ミトコンドリアの遺伝学は複雑だ。独立して複製することから、個々のミトコンドリアゲノムが独自に突然変異を起こし、その結果同同じ細胞内に異なる配列を持ったミトコンドリアが並存するヘテロプラスミーと呼ばれる状態が形成される。そしてこの状態は、細胞の増殖や分化に伴い刻々変化する。
このヘテロプラスミーの状態のダイナミズム、すなわち母親からの伝達、新しい突然変異、そして遺伝した突然変異の消失の総和が特定の細胞のミトコンドリア機能になるが、これを正確に予想してミトコンドリア病の発生を予想することは難しい。この状態を一歩でも前進させるために、1500人近い親子のペアについて、ミトコンドリアの状態を詳しく解析したのが今日紹介するケンブリッジ大学を中心とする英国の研究で5月24日号のScienceに掲載された。タイトルは「Germline selection shapes human mitochondrial DNA diversity (人間のミトコンドリアの多様性は生殖細胞分化過程で調整される)」だ。
この研究では1526組の母親と子供について、全ゲノムとともに、ミトコンドリアのゲノムを数百回から数千回のカバレージで遺伝子配列を決め、母親と子供のミトコンドリアの違いを詳しく解析し、どのヘテロプラスミーが遺伝子、どのヘテロプラスミーが失われ、また新しく誕生しているかを調べている。そして、それぞれの変異の遺伝性と、ゲノム配列との関係も調べ、ヘテロプラスミーの遺伝や拡大に及ぼすゲノムの影響も調べている。
結果は、これまで考えられてきた可能性を確認するもので特に新しい話はない。結論をまとめると、
- これまで知られていない変異がミトコンドリアに起こることはあるが、これらは、すでによく知られた変異と比べると遺伝性が低い。
- ミトコンドリアにコードされたリボームRNA遺伝子の変異も遺伝しにくい。
- 逆に遺伝子の存在しないDループと呼ばれる領域の変異は遺伝しやすい。ただ、転写や増殖に関わるDループ領域の変異はやはり遺伝しにくい。
- 以上の結果は、たんぱく質をコードする遺伝子やミトコンドリアの増殖に関わる変異は淘汰されるが、機能に影響がない部位は淘汰されないことを示すが、親と子供を比較する研究から、淘汰は親の生殖細胞中で起こっている可能性が高い。
- 新しいヘテロプラスミーが発生し、遺伝するためには、ゲノムにコードされているミトコンドリア遺伝子のマッチングが必要。
このように、すでに知られていることがしっかり確認されただけの研究だが、この研究で形成されたリストは、今後ミトコンドリア病を理解するための基礎となると思う。ゲノム研究が終わったように見えても、このような地道なしかし大規模研究を着実に進めている英国が、今ブレクジットで国が割れているのをみると、全員がまとまって長期的に行うプロジェクトの重要性を示しうるセクターとしてのアカデミアの役割の大きさを実感する。
2019年5月25日
現在のスマフォはコンピューターとしての機能だけでなく、様々なセンサーを備えたハイテク機器で、このポテンシャルを使って家庭で病気を診断するシステムの開発が進んでいる。例えばカメラとモニターを利用した眼底検査機、外耳道モニターは一般家庭でも使える機器が市販されているし、外部センサーを使えば超音波診断にすら利用できる。これに拍車をかけているのが機械学習の進展で、画像の自動診断が可能になると、専門家の目が必要なくなる。
今日紹介するワシントン大学からの論文はスマフォのスピーカーとマイクロフォンを用いて中耳炎で生じる中耳の浸出液を家庭で診断できるようにするシステムの開発で5月15日号のScience
Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Detecting middle ear
fluid using smartphones(中耳の浸出液をスマートフォンで検出する)」だ。
子供の中耳炎には熱や痛みを伴う急性中耳炎と、滲出性中耳炎があり、後者は症状が少ないため異常に気づかず、言葉が遅れたり、学校の成績が低下したりすることがある。これまでも、先に述べたスマフォを用いた耳鏡で診断する試みも行われているが、専門家の目が必要で、家庭でというのは難しい。
この研究では自宅でハサミで切り出した漏斗状の集音装置を、下面にスピーカーとマイクロフォンが相接して設置されているスマフォ(ほとんどのスマフォがこの形式)に設置して、スピーカーから1.8-4.4KHzの短い音波を出し、その音波が鼓膜と共振、反射して戻ってきた時の音をマイクで記録すると、戻ってきたエコーが発信している音と重なって、一種のノイズキャンセリングが起こって音の強さが低下する現象がおこり、このパターンが中耳に浸出液がある時変化することを示し、これを用いて簡単に家庭内で中耳の滲出液の存在を9割以上の確率で診断できることを示している。
あとは漏斗を作る紙質、臨床医と一般人による測定、スマフォの種類、など様々な条件を変えて診断率と特異性を調べ、十分家庭での診断が可能であることを証明している。
詳細はほとんど省いて紹介したが、アプリだけスマフォに入れればあとは他の装置を全く必要としないという点で、実現性が極めて高いと思う。
国が音頭をとって、AIの専門家を25万人育成するという話が進んでいると思うが、我が国がこの分野で大きな遅れをとっているのは、電子産業の地盤沈下と、様々な分野での対話がうまくいかないため、私たちが毎日生きることで大量に生まれているビッグデータを、民間や個人からの自由な発想で掘り起こせていないからではないかと思っている。例えば米国NIHではスマフォを医師や研究者にどう生かすのかを教えるコースを設けている。
我が国も掛け声ではなく、AI初歩教育とは何かを国も明確に示すことが重要ではないだろうか。
2019年5月24日
ボノボとチンパンジーは約200万年ぐらい前(人類で言えば直立原人が生まれたころ)に分離した極めて近い種だが、行動学的な大きな違いが注目され、チンパンジーとの比較研究が進んでいる。例えば道徳の起源を研究する目的などで研究されている。特に面白いのは性行動で、チンパンジーは発情しているメスは順位の高いオスを拒否することはないが、ボノボではメスが交尾するかどうかを決めることができる。その結果、オスの順位はあっても、多くのオスに交尾のチャンスがある。この結果、メス中心の類人猿では独特の社会を形成している。
さて、これまで親が子供に様々なことを教えることが知られていたが、今日紹介するドイツマックスプランク研究所を中心とする国際グループからの論文では、母親がオスの子供に様々な方法で性指導をしている可能性を調べた研究で5月20日号のCurrent Biologyに掲載されている。タイトルは「Males with a mother living in their group have higher paternity success in bonobos but not chimpanzees(母親が同じグループで生活していると父親として成功する確率が上がる)」だ。
この国際グループには世界のボノボやチンパンジーの研究グループが参加しており、当然我が国からも京大のモンキーセンターからボノボ研究者が参加している。研究ではそれぞれの研究グループが追跡しているボノボやチンパンジーの群れで、親子関係を特定し、オスの子供が成熟後も母親と同じ群れで生活している場合と、そうでない場合で、他のメスと交尾して子供をもうける確率を調べている。
群れによって大きなばらつきはあるが、ボノボでは母親と暮らしている方が明らかにメスと交尾に成功し子供ができる確率が高い。一方、チンパンジーの場合母親がいてもいなくても、オスが子供をもうける確率は変わらないことが分かった。
これまでの行動学的研究によって、ボノボの母親は子供が性的に成熟すると、1)発情しているメスのところに連れて行く、
2)子供が交尾中に他のオスが邪魔をするのを追い払う
3)他のオスの交尾を邪魔して子供の交尾チャンスを増やす、
4)子供の群れの中の順位を上げるために努力する、
ことが観察されていたようだ。この結果として、子供がオスとして成功することを確認したのがこの研究で、野生でも過保護がいかに大事か示している。
チンパンジーと比べてボノボは行動的によりヒトに近いと考えられている。常に群れの中心にいて、男を焦らし、その結果他の群れとも争わないボノボは、アリストパネスの「女の平和」と同じだ。今回、性教育まであることも分かった。人間の場合、教育ママと言うと悪いイメージがあるが、実際にはこの本能なしに人間は絶滅していたかもしれない。
2019年5月23日
昨日に続いて気楽とはいえ、ちょっと意外な論文を紹介する。フランシス ジャコブ生物学研究所からの論文で、なんと癌組織に脳から神経細胞が移動してきてがん細胞の増殖を助けると言う研究だ。タイトルは「Progenitors from the central nervous system drive neurogenesis in cancer (中枢神経系由来の前駆細胞がガンの神経形成を進展させる)」だ。
この論文を読んで初めて知ったが、前立腺ガンでは昔から神経細胞が新しく形成されるため、支配する神経節の細胞数が増えること、アドレナリン作動性の交感神経を切断するとガンの増殖を抑えられること、さらにコリン作動性の副交感神経を切断しても同じようにガンの進展を抑制できることが知られていた。
この研究では最初前立腺ガンに存在するDouble cortin(DCX)陽性神経幹細胞の数と、ガンの悪性度を調べ、確かにDCX陽性神経幹細胞が多いほど予後が悪いことを確認する。
そして、Mycガン遺伝子を強制発現させた前立腺ガンモデルでも、同じようにDCX陽性細胞がガン組織内だけに形成されること、さらにこの細胞は試験官内で神経へと分化できる前駆細胞であることを発見する。通常の神経再生なら、神経節から神経が伸びるのだが、この場合は明らかに神経幹細胞がまずガン組織に定着しているので、中枢神経系の神経幹細胞由来である可能性が高い。そこで、ガン発生過程で脳内の神経幹細胞の動きを調べると、subventricular zone(SVZ)と呼ばれる幹細胞の存在する領域でだけ、幹細胞数が激しく上下する。
そこで、SVZを蛍光遺伝子を持つウイルスベクターを感染させて腫瘍に移動するかを調べると、なんとまず血液循環に入った後、ガン組織に定着することがわかった。一方同じ幹細胞が存在する領域でも海馬の歯状回をラベルしても神経の移動は認められない。また、SVZ幹細胞を標識したマウスに、乳ガンを移植した場合も、ガンの定着が見られる。
最後にガン組織内に定着した神経細胞をもう一度毒素で除去できるようにした遺伝子操作マウスを用いて調べると、神経幹細胞の供給がない場合は発ガンも、移植ガンの増殖も抑えられることが明らかになった。
以上の結果は一部のガンでは、何らかのメカニズムで神経幹細胞の血液への侵入が誘導され、ガン組織に定着して様々な神経伝達分子を分泌することでガンの増殖を助けることを示している。
話は簡単だが、本当にそうなのか、他の可能性はないのか読んだ後も完全に納得しにくい論文だった。
2019年5月22日
2日にわたって高次判断の脳科学の話が続いたので、今日から2−3日は気楽な論文を紹介することにした。今日紹介するスタンフォード大学からの論文はは高齢者の血清中に存在する老化因子の研究でNature Medicineオンライン版に掲載された。タイトルは「Aged blood impairs hippocampal neural precursor activity and activates microglia via brain endothelial cell VCAM1 (高齢者の血液は脳血管内皮のVCAM-1を介して海馬の神経前駆細胞の活性を下げ、ミクログリアを活性化する)」だ。
研究では血管に絞って老化によって上昇する分子群をまず探索している。もともと、老化により慢性炎症が発生するため、VCAM-1などの発現が上昇すると予想できるが、案の定年齢が高まるにつれ脳血管のVCAM-1の発現が上昇し、これとともに血中に流れるVCAM-1も上昇してくることがわかる。すなわち、血清中のVCAM-1は老化の指標として使える。また、脳のVCAM-1陽性細胞は炎症関連遺伝子も強く発現していることがあきらかになった。実際、若いマウスでも炎症性サイトカインを投与すると血管のVCAM-1 は上昇する。
すなわち炎症性サイトカインが老化で上昇し、VCAM-1を誘導していると考えられるが、老化血清を若いマウスに投与すると、VCAM-1の上昇だけでなく、神経幹細胞の増殖活性が低下、さらにミクログリアを活性化型に変化させられる。また、高齢者の血清をマウスに注射しても同じ結果になる。
ここまでは血清中に炎症性サイトカインが老化により慢性的に上昇していると言う話で、特に驚くほどではないが、著者らはなんとホストの脳内のVCAM-1をノックアウトすると、老化血清の神経幹細胞の増殖抑制作用とミクログリア活性化作用が抑えられることを発見する。すなわち、老化血清中の炎症性サイトカインが最初の引き金とはいえ、神経系への影響は全て血管内皮VCAM-1誘導を介しているという驚くべき結果だ。
次に臨床への応用を考え、VCAM-1ノックアウトの代わりに、VCAM-1に対するモノクローナル抗体を投与して老化血清の作用を見ると、神経幹細胞やグリア細胞への作用を強く抑えることができる。
最後に老化マウスにVCAM-1抗体を投与して脳への影響を調べると、投与しない老化マウスと比べ、増殖神経細胞が増加し、さらに活性化ミクログリアの数が強く抑制される。そして驚くことに、コンテクスト記憶テスト、新しいものへのモティベーション、そして迷路テストのような脳機能の改善も見られる。
まとめると、老化とともに起こる慢性炎症は、脳血管のVCAM-1の発現を高めて、脳神経細胞機能を低下させると言う話で、VCAM-1に対する抗体で脳の機能抑制を抑えられる可能性は画期的だが、血管内皮でのVCAM-1発現上昇から、ミクログリア活性化、神経細胞増殖抑制までのメカニズムは明らかになっていない。このメカニズムが明らかになれば、また新しい脳老化の介入ポイントが見つかる可能性がある。期待したい