2018年3月18日
30万年前の私たちの祖先ホモ・サピエンス(以後サピエンス)の骨が発見されて以来、サピエンスの起源と進化についての研究が大きく動いている様子が、私たち素人にもよくわかる。ただ、この時期になるとDNAは今後よほどの革新的テクノロジーが開発されないと利用できない。従って、これまで通り骨と石器についての研究になるが、物理学的、地学的、古生物学的年代測定技術が向上した結果、歴史として時代をより正確に特定することが可能になっている。
今日紹介するスミソニアン研究所とジョージワシントン大学からの論文は、おそらくサピエンスが使ったと思われる石器の進歩についての研究で、Scienceにオンライン出版された。タイトルは「Long distance stone transport and pigment use in the earliest middle stone age (最も早期の中石器時代では石器の原料を長距離運搬し、彩色のための色素も利用していた)」だ。
この研究はケニア南部のアフリカ地溝帯内のOlorgesailieで行われた発掘の一種のまとめとして発表されて3編の論文のうちの一つで、残りの2編はサピエンスの石器だけではなく、Ologesailieの発掘現場が100万年近く人類に使われてきたが、60万年以上前に暮らしていた人類と、30万年以降に暮らしていた人類(この場合サピエンス)が明確に異なっていることを、地質学的、古生物学的地層研究、そして出土する石器の分析から示している。
私のブログの読者のほとんどは、石器について予備知識がないと思うので、今日はざっとした石器の歴史を図示してみる。もちろん私も素人だが、図に示したShea著「Stone tools in human evolution」を読んで、いかに石器研究が科学的で、奥が深いかを学ぶことができた(石器については生命誌研究館のサイトにもまとめているので(
http://www.brh.co.jp/communication/shinka/)それも参照してほしい)。
図左はこの本を下敷きに示した石器の発達をまとめている。この図は、ネアンデルタール人も含んだ分類で、アウストラロピテクス、直立原人、ネアンデルタール人、ホモサピエンスと人類が進化したとする考えに従って描かれている。この人類進化に連れて、石器も大きく変化するが、まず最初の大きな変革は2足歩行で暮らすようになった直立原人が誕生してからで、彼らの使った石器の特徴からAcheulean石器と名付けられている。
Ologesailieの60万年前以上の地層から出土する石器はまさにこのAcheulean石器に相当する。図に示すように、ネアンデルタール人が現れると新しいタイプの石器が見られるようになりこれをMousterian文化と呼んでいるが、サハラ以南のアフリカにはネアンデルタールは暮らしていない。従って、同じサイトから30万年以降に見られる石器はAcheuleanの延長と考えられてきたが、サピエンスが30万年以上前にアフリカ全土で活躍していたことから、サピエンスによると考えられるようになった。ただ、この研究でも新しい地層からは人骨が出土せず、一種の推察になる。
今日紹介している論文では、この新しい石器が、Acheuleanの単純な延長とは考えられない、大きな技術上のイノベーションの結果であることを示している。まず、Acheuleanの特徴である大型の手斧は姿を消し、繊細で、何度も手を加えたLevallois様式(Mousterianの中に分類される)と呼ばれる鏃のような石器が存在してている。これは、デザイン力や技術伝達力に大きな変化が生まれたことを意味している。すなわちAcheuleanと言うより、ずっと進んだ中石器時代(middle stone ageと書かれているがmiddle paleolithicの意味と理解している)に分類できると結論している。
著者らが最も注目したのが、BOK2と呼ばれる現場から出土した石器の半分が黒曜石からできていた点だ。残りは、現地調達可能な石を原料としているが、黒曜石が得られる場所は50km以上離れている点だ。すなわち、黒曜石が石器として優れた性能を持つことを理解し、そのために遠く離れた場所から原料を調達してる点だ。
先に挙げたSheaの著書によると石器は決して家庭で各自が作るのではなく、一種の工房で行われていたことを考えると、工房がどこかを特定する必要がある。ただ狩猟採集民の移動距離として、あまりにも距離が長いので、おそらくより複雑な部族間交流があった可能性も示唆している。いずれにせよ、Ologesailieと黒曜石生産現場をつなぐ線状にさらに面白い発見があるかもしれない。
最後に、同じ場所から出土した小さな石の中に穴が掘ってあって、色素で彩色された石が見つかったことも示している。このような装飾道具はすべて、シンボルを使って抽象的思考が可能になったことを示す証拠と考えられ、直立原人ではなくサピエンスが新しくOlogesailieの住人であったことを示すと結論している。
今後もアフリカから目が離せない。また間違いなく、今日示した図の内容もさらに書き直されるだろう。
2018年3月17日
Diamond-Blackfan症候群(DB)という遺伝的赤血球減少症がある。血液学者や小児科医は別として、他の分野の人にはほとんど馴染みのない病気だと思う。しかし、血液を研究していても、この病気を深く理解できていたわけではない。この病気の原因となる遺伝子変異は、そのほとんどがリボゾームタンパク質の遺伝子に起こっている。従って、赤血球だけが特異的に障害されるとは考えにくい。私自身もこの問題を「リボゾーム機能が減少すれば当然タンパク質の合成効率は下がる。従って、赤血球減少症として見つかったのは、赤血球異常が発見しやすいからで、特に何か血液特異的異常があるわけではない。実際、半分の患者さんには、兎唇など他の発生異常が見られることから、リボゾーム機能が落ちれば、DBに見られる様々な症状セットが出るように人間はできている」などと勝手に解釈していた。
今日紹介するハーバード大学からの論文はなぜDBで赤血球低形成が目立つのかという問題にチャレンジした研究で3月22日号のCellに掲載された。タイトルは「Ribosome levels selectively regulate translation and lineage comm.itment in human hematopoiesis(人間の造血ではリボゾームRNAのレベルが選択的に翻訳と分化決定を選択的に調節する)」だ。
これまでDBはリボゾームタンパク質だけでなく、TSR2と呼ばれるシャペロンや、GATA1でも起こることが知られていた。GATA1は赤血球分化に必須の因子であり、機能が低下する突然変異で貧血が起こるのは当然だ。ただ、著者らはそれで納得せず、TSR、リボゾーム、GATA1をつなぐことでDBのメカニズムを深く理解できるのではと着想した。
そしてTSR2が核内シャペロンとしてリボゾームの成熟に関わり、その機能は酵母から人間までほとんど同じであること、そしてTSR2の機能が低下すると、リボゾームのレベルが低下し、GATA1タンパク質のレベルが低下することを明らかにしている。
すなわち、リボゾームタンパク質複合体そのものではなく、正常のリボゾームでも数が減るだけでDBと同じ症状を示すこと、そしてGATA1 mRNAが他のmRNAと比べこの影響を受けやすいことを明らかにした。もちろん、GATA1だけでなく、様々なmRNAがリボゾームと結合して翻訳される確率が落ちることも明らかにしている。おそらく、これら分子の異常が、DBでの血液以外の異常の原因になるのだろう。
あとは、GATA1の翻訳がなぜ選択的に低下するのかを追求し、転写開始点上流の5’UTRの長さと構造が、他のmRNAと比べて違っていることを明らかにしている。実際、他の血液細胞分化決定遺伝子の5’UTRをGATA1の5’UTRと交換すると、GATA1もリボゾーム現象の影響を受けなくなる。
以上のことから、DBではリボゾームのレベルが低下することが問題で、その結果5’UTRが短く構造が特殊なmRNAの転写が選択的に抑えられ病気になる。GATA1はその中の一つだが、個体レベルで見た時は症状に最も大きな影響を持つとまとめられる。
なるほどと納得したが、もちろんまだまだ謎は続く。なぜこのような5’UTRの多様性が必要なのか、胎児発生時にはGATA1依存性は低いのか、あるいは他の症状と、このモデルとの関係など、知りたいことは多い。とはいえ、考える枠組みはできたと思う。
2018年3月16日
この半年ほど、言語誕生の条件を本や文献を当たりながら考えてきた(この過程はノートとして生命誌研究館のサイトに2週間ごとにまとめてあるので、興味のある人は是非参考にして欲しい:
http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/ )。実際講演などで話をするときは、ももっぱら言語の誕生について話させてもらっている。今年は2月にあった、エンジン01のオープンカレッジ「言語や音楽の始まりについて」という題で(その時の様子のインスタグラム:
http://picbear.club/media/1702383326986611732_3282945579 )、茂木さん、南条さん、原島さん、真鍋さんたちと話し合ったのを皮切りに、4月19日にも大阪グランドフロントナレッジキャピタルでも言語誕生の話をする。正直言って、言語の官能の世界に迷いこみ、ヴェーヌスの世界から抜け出せないでいる。
言語誕生を考える時、もちろんそれを可能にする脳の条件を理解する必要があり、明晰記憶の仕組みなどを勉強したが、今日紹介するダブリン・トリニティカレッジからの論文を読むまで、言語に対して私たちの脳がどう反応するかについての研究はあまりフォローしてこなかった。しかし、読んでみると言語と脳について失語症とだけ絡めて理解していた自らの不明を思い知った。これをきっかけに、少し時間をかけてこの分野も整理してみようと思っている。
論文のタイトルは「Electrophysiological correlates of semantic dissimilarity reflects comprehension of natural narrative speech(言葉の意味の相違に関連する脳活動は自然な話し言葉の理解を反映している)」で、3月5日発行のNeuronに発表された。
人間は1分間に100−200語を理解できるそうだが、時間とともに単語が流れてくる文章を脳でどう理解しているのか不思議だ。これには文章の意味という全体と、それを構成する個々の単語という部分からなっているが、文章全体の意味は原則として最初はわからない。従って、個々の単語を聞きながら意味を抽出していく必要がある。これまでの研究で、この過程で急に場違いな単語が文章に入ってきた時0.4秒のちに脳波に特有の下振れが起こり、これがN400として、この分野の重要な問題になっていたようだ。
この研究では、N400が場違いな単語を文章の中に紛れ込ませるという人為的な設定になっているので、自然な話し言葉の中で個々の単語に対する脳の反応を調べる新しい方法を開発することを目的にしている。
そのために、文章の中に出てくる単語を400次元のベクトルとして定義し、この値を基礎に個々の単語の持つ違いを数値化するという操作から始めている。400次元と聞くと難しそうだが、おそらく自動翻訳などでAIを使って単語間の近親性を計算しているのと同じ話だと思う。私たちは意味と言うと、すぐに自分の経験で考えるが、AIが発達した今は、このように多くのパラメーターを使った多次元空間での距離で定義するのが普通になっているようだ。
重要なことは、こうして定義された各単語の距離を、自然の文章の中で現れる単語同士の距離として計算できることで、この研究では前に現れた単語と比べた時の距離(概ね意味的差異)と、それに対する脳波記録を対応させ、独自temporal response function(TRF)指標を作成している。例えばone fishと聞くと、oneとfishの意味論的差異は大きく、それに対応する脳波の反応TRFはより低下するという具合だ。このTRFは単語を聞いた後0.3-0.5秒ぐらいで一番低下が激しくなり、脳の各領域で測ることができる。
次にTRFが文章の理解と相関していることを示すために、文章を逆さまに読んで聞かせると、いくら単語間の距離が離れていてもTRFは低下しない。またノイズで理解が妨げられると、やはりTRFは低下しない。逆に、画像を見せて理解を高めると、TRFの反応が良くなる。
以上が結果の全てだが、自然な会話の流れの中で、意味と単語間の関係がなんとか発見できたことがこの研究のハイライトだろう。私のような素人でも、この結果から様々なアイデアが湧いてくる。このように言語に興味を持っている人には、極めてエキサイティングな研究だと思う。これから2週間ほど、この分野を読み漁ることにした。
2018年3月15日
腸内細菌に大きな注目が集まっているが、もちろん体のいたるところに細菌叢は存在する。現在口腔や皮膚など他の場所に存在する細菌叢の研究も盛んに行われているが、どうしても腸内細菌叢研究と比べると研究者の数は少ない。ただ。細菌叢が注目される理由の一つは、私達の身体自体とは違い、細菌同士で形成されているバランスやその異常に介入が可能な点だ。従って介入が容易な皮膚などでは面白い可能性が開けていると思う。ただ、細菌叢としてエコシステムを形成しているとはいえ、介入可能性を本当に調べようと思うと結局は個々の菌と身体との相互作用を調べる必要がある。
今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、皮膚の細菌叢からガンの発生を抑制するブドウ球菌を発見したという面白い論文で2月28日Science Translational Medicineにオンライン出版された。タイトルは「A commensal strain of staphylococcus epidermidis protects against skin neoplasma (皮膚に常在するstaphylococcus epidermidisの1系統は皮膚の腫瘍から体を守る)」だ。
中辻さんという日本人が筆頭著者になっているが、Galloのグループは皮膚で働く抗菌作用を持つペプチドと自然免疫についての研究で有名だが、最近はバクテリアから分泌される様々な分子にも研究範囲を広げ、昨年は緑膿菌の増殖を抑えるバクテリアを同定していた。今日紹介する研究は、この方向の研究で、やはり抗菌作用のあるブドウ球菌を探索していたところ、緑膿菌などの増殖を抑えるペプチドとは異なる6-HAPと名付けた化合物を介して増殖を抑える菌株を特定したところから始まっている。
有機化学分析により、構造が明らかになり、この化合物が核酸合成を阻害する構造を持つことが分かったため、正常皮膚のケラチノサイトやがん細胞に対する6-HAPの作用を調べると、なぜか都合のいいことにがん細胞だけに増殖抑制作用を示す。核酸合成阻害活性に特異性があるとは思えないので、6—HAPの処理に関わる酵素の発現が正常とガンで違っているのではと、ミトコンドリア内に存在するmARCの発現を比べたところ、正常細胞のみで発現が高いことから、これが6-HAPの処理能力の差になっているのではないかと推察している。
データから見ると、これだけで全ての差を説明するのは難しいかもしれないが、6-HAPをマウスに20日近く投与し続けても問題ないので、正常の皮膚ではこのバクテリアと上手く共生でき、あまり正常細胞に悪さをしないと考えてよさそうだ。そして何よりも、皮膚に移植したメラノーマの増殖を抑制することができる。
さらに、紫外線によりパピローマを誘発する実験系で、この菌株の作用を調べると、この菌株が皮膚に存在するとパピローマ形成が抑えられることを示している。抗がん作用になると、この薬剤をガン治療に使うというほどではないが、6-HAPを作る細菌が私たちの皮膚をガンから守る重要な役割を担っていると結論している。
最後に、この菌株が普通に私たちの皮膚に存在することも示しているが、では本当にこの菌株がガンの発生を人間でも抑えているのかについては、よくデザインされた疫学調査が必要だろう。腸内細菌分野では、ガンを誘発する突然変異分子を分泌する細菌は研究されてきたが、おそらく守ってくれる細菌の話は、私が読んできた中では最初のように思う。
2018年3月14日
記憶力が老化とともに低下することは、日々感じている。MRIをとると、確かに脳は萎縮しているのがわかるし、結局脳の老化もアルツハイマー病(AD)と同じで、脳細胞が失われて進んでいくのかとある程度覚悟している。確かに、ADの場合、内嗅皮質や海馬のように、早期から細胞の喪失が起こりやすい場所はあるが、我々はともするとADを老化が異常に促進している結果だと思いがちだ。
今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、クロマチン構造を決めるエピジェネティックな変化の一つの指標、ヒストン4の16番目のリジンがアセチル化されたH4K16Acが、ゲノム全体にどう分布しているかを調べることで、ADが決して老化の延長として捉えられるものではないことを示した研究でNature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Dysregulation of the epigenetic landscape of normal aging in Alzheimer’s disease (アルツハイマー病では、正常の老化に伴うエピジェネティックな構築の変化の調節異常が見られる)」だ。
この研究は最初からH4K16Acの分布に絞って研究を行っている。H4K16Acはオープンクロマチン状態に対応するヒストン標識で、老化とともに蓄積が進むことが知られている。また、老化を防ぐ遺伝子として知られるSIRT1はH4K16Acの脱メチル化作用があることから、このヒストン標識を追いかけることで、老化やADの進行を追跡できると考えている。
事故などで死亡して解剖される若者、老人、そしてADの外則側頭葉を採取し、H4K16Acに結合するゲノム領域を網羅的に免疫沈降して調べている。期待通り、老化とともにH4K16Acと結合する領域の数は約25万カ所から、35万カ所へと増える。ところが「ADではさらに結合部位が増えるのではないか」という予想に反して結合部位が2万5千か所ほど減っている。
これらの領域を詳しく調べると、 ADと正常老化ともに変化が見られるH4K16Ac結合サイト、老化で起こる変化と逆の変化が起こるグループ(dysregulatedと呼んでいる)、そして老化とは無関係に、AD特異的に起こる変化の3種類に分類している。また、各グループの領域ににより支配される遺伝子に一定の機能的傾向が見られる。とは言え今回グループ分けされた中のどの遺伝子が、AD発症に関わるのかは、明確には示されていない。
面白いのは、これまでゲノム解析でADと相関がわかっていたSNPの領域は正常老化や、AD特異的にH4K16Acの結合が見られる領域と相関するが、ADでdysregulatedされている遺伝子とは全く相関しないことだ。これは、Dysregulationが正常老化に重なって起こると考えるとある程度理解できるが、ゲノムとエピゲノムの関係を知るための面白い課題だと思う。一方、ADと相関する遺伝子発現調節領域と相関を見ると、Dysregulatedな遺伝子も相関を認める領域が見つかる。
残念ながら、これら様々な相関を示す遺伝子が、ADとどう関わるか、この研究からは全く明らかではない。ただ、老化による変化と、ADによる変化をエピジェネティックに明確に区別できるようになった点は重要だと思う。ADでは細胞死のみ注目されるが、それに至る前の細胞の変化を理解することはもっと重要だろう。その意味で、この研究は何かの手掛かりになる可能性がある。
2018年3月13日
2型糖尿病の治療の一つの柱は、食事療法だ。ただ、薬剤を用いる方法と比べると、糖尿病食を続けるのが最も難しい。私も糖尿病予備軍と言えるが、わかっていても毎日の食事を味気ないもので我慢する気にはなれない。そんな人たちに希望の光になっているのが、腸内細菌研究だ。これまでの研究から見えてきたシナリオは以下のようにまとめられる。
「糖尿病は慢性炎症によるインシュリン抵抗性が一つの基盤になっており、この炎症状態は腸内細菌による短鎖脂肪酸の分泌を上げることで、ある程度軽減することができる。食物繊維を多く含む食事は、腸内細菌の短鎖脂肪酸の分泌を促すので、インシュリン抵抗性の軽減に大きな効果がある。」
ただ、このシナリオを厳密な臨床治験で確かめた研究はほとんどない。
その意味で、今日紹介する上海交通大学からの論文は食の科学的研究とはどうあるべきかを示した見習うべき論文だと思い紹介することにした。タイトルは「Gut bacteria selectively promoted by dietary fibers alleviate type 2 diabetes(食物繊維により選択的に促進される腸内細菌は2型糖尿病を緩和する)」で、3月9日号のScienceに掲載された。
この研究の目的は食物繊維が糖尿病に効果があることを示すことではない。食物繊維が、腸内細菌の短鎖脂肪酸の生産を促し、インシュリン抵抗性を改善して糖尿病の症状を軽減するというシナリオを臨床治験で証明するとともに、食物繊維がどの細菌に影響するのかを明らかにすることだ。
この研究ではこの目的のために、通常の食事とともに全粒穀物を中心に食物繊維が通常の2倍以上取れる副食を用意し、あとは両群とも糖尿病食を3ヶ月続けるというプロトコルを作成し、薬剤も両群グルコバイに限定して服用させることで、食物繊維の量の効果を特異的に調べられるようにしている。研究に当たっては、糖尿病患者さんを無作為に食物繊維の多い群と、普通の群に分け、科学性をできるだけ確保しようとしている。
さて結果だが、糖尿病食の効果で全患者さんでA1cの改善が見られるが、食物繊維が多い食事の場合、改善度合いが大きい。また、便に含まれる短鎖脂肪酸の濃度を測ると、酢酸には変化はないが、酪酸は1.5倍で、さらにGLP-1の含量も2倍に上昇している。
これらの結果は、確かに食物繊維により腸内細菌叢の短鎖脂肪酸の産生が高まることで、インシュリン抵抗性が改善、GLP-1分泌刺激などが起こって、糖尿病が改善されるというシナリオが確認されている。
このように無作為化試験で効果が確認された患者さんを対象に、次に食物繊維により腸内細菌叢にどのような変化が起こったのか、またどの細菌が短鎖脂肪酸の生産に関わるのか、便に含まれる細菌の全ゲノム解析という高度な方法で調べている。
膨大な量のデータをインフォーマティックスを駆使して計算し、食物繊維により増殖が促進する細菌を特定するだけでなく、実際にマウスへの菌移植により糖尿病の症状を軽減する直接の因果性の有無を調べる実験を組み合わせ、最終的に食物繊維により一部の細菌の絶対数が高まり、この中に短鎖脂肪酸を生産する酵素ネットワークを持つものがあることを確認している。
以上、これまでのシナリオを、実験疫学的に確かめ、さらにそれに関わる腸内細菌まで特定した点で、この分野ではかなり大きな貢献だと思う。北京ゲノム研究所からの論文でこの分野の中国の力は知っていたが、予想している以上の実力を備えたグループが存在していることを改めて実感した。
2018年3月12日
1月11日、このHPでレーザーポインターを組み込んだ靴が、パーキンソン病患者さんの立ちすくみを取り除くというNeurologyの論文を紹介した。ただ、この靴は我が国ではまだ手に入らない。ところが、この記事にヒントを得たパーキンソン病患者さんの一人、神戸の中井さんが、色々実験を繰り返して、簡単なレーザーポインターで同じ効果があることを、身をもって実験されました。その効果をビデオに撮り、Youtubeにアップしたので、ぜひご覧ください。サイトは
https://www.youtube.com/watch?v=WbG0vW1d1g0 ご覧になれます。
2018年3月12日
AASJチャンネルシリーズ 「ドイツへの眼差し」第5回は、東大名誉教授の広渡清吾先生の「現代ドイツにおける市民社会論」の講演です。東京ドイツ文化センターまで収録に行きました。2015年の安保保証関連法案に対して厳しい批判を展開され、多くの共感を集めた先生ですが、今回は極めて学問的な構成で市民社会概念の成立と変遷についてお話しいただいています。ぜひご覧ください。YouTubeサイトは
https://www.youtube.com/watch?v=buFTh5JhSyA です。
2018年3月12日
RNAのメチル化が様々な生物学的過程に関わることが続々明らかになり、このブログでもすでにすでに6回この関係の論文を紹介している。ただ、研究はどうしてもメチル化に関わる酵素をノックアウトした時に何が起こるかという話にとどまっており、特定の生物現象全体への関わり方についてのシナリオを提案するまでにはなかなか至っていないようだ。
その意味で、今日紹介する英国ウェルカムトラスト・MRC幹細胞研究所からの論文は、このシステムの新しい側面を示した力作だと思う。タイトルは「SMAD2/3 interactome reveals that TGFβcontrols m6A mRNA methylation in pluripotency(SMAD2/3結合タンパクの網羅的解析によりTGFβが多能性でのmRNAのメチル化を調節していることが明らかになった)」だ。
このグループはヒト多能性維持メカニズムを長年研究しており、多能性にとってactivin/nodalシグナルが必須であることを示してきた。この研究はその延長で、このシグナルと多能性をつなぐシグナル経路を明らかにしようとしている。ともすると、入り口がactivinと決まると、あとは典型的下流を思い浮かべてそれで終わらすのだが、著者らはactivin受容体が活性化するSMAD2/3と反応する分子をすべてリストしてシグナルの全像を捉えようとしている。
そのためにSMAD2/3を免疫沈降して、これらの分子と複合体を形成する分子をリストしている。この結果、SMAD2/3がDNA転写因子として働く時に協働する様々な分子以外に、DNA修復系をはじめとして、これまで示されたことのない様々な分子経路と結合していることをまず明らかにしている。
その上で、著者らの目を最も引いたのが、mRNAのアデノシンをメチル化する酵素群で、この研究ではこの経路に絞ってさらに研究を進めている。
まず、多能性幹細胞でactivin-nodalシグナルをブロックして、内胚葉系への分化が進むと、SMAD2/3とRNAメチル化酵素群の結合が外れ、メチル化RNAの量が低下することを示し、確かにmRNAのメチル化調節がactivin-nodalシグナル下流で働いていることを示している。
この結果を手掛かりに、多能性の維持と分化誘導にactivinに始まるこの経路の分子過程と、生物学的意義について調べている。おそらく最も重要な発見は、SMAD2/3がRNAメチル化酵素複合体と結合することで、ゲノム上で転写が起こる時にメチル化する標的RNAを決めているという発見だろう。詳細を省いて最終的なシナリオについて紹介すると以下のようになるだろう。
SMAD2/3が標的DNAに結合して転写が始まると、これにRNAメチル化酵素群が結合し、転写したmRNAをメチル化する。このメチル化されたRNAの中には、アクチビンシグナルで発現が維持されているNANOGも含まれるが、このような多能性を維持するために必要なRNAの分解が早まることで、多能性はより持続的シグナルを必要とするようになる。逆に、シグナルがなくなると多能性に関わるRNAはすぐに分解され、分化が速やかに誘導されるという、納得のシナリオだ。おそらく今後、このシナリオを他の過程にも当てはめる試みが進む予感がする。一つ勉強したという論文だった。
私事になるが、この論文を発表したウェルカムトラスト・MRC幹細胞研究所が合併する時期、私はウェルカムトラスト研究所のアドバイザリーボードを務めた。合併してからは、ウェルカムトラストのアドバイザリーがそのまま全体のアドバイザリーに移行した。ウェルカムトラス研究所はより基礎的な幹細胞研究のために設立され、MRCの方はより臨床に軸足を置いた研究所だった。したがって、それぞれの文化が上手く融合できるか、アドバイザーとして色々議論したが、辞めてから論文を通してこの研究所の業績を見ていると、両者が本当に上手く相乗効果を発揮できているように思っている。当時を振り返ると、英国にはあって、残念ながら我が国にはない成功の秘密がよくわかる。我が国の研究力が低下しているのは、決して予算の問題だけではない。科学者からの声を聞いていると、なんとなく人任せに聞こえるが、日本科学の再生には、全員が自分のこととして、何が必要で、自分はどうか関れるのか問い直す以外に方法はないだろう。
2018年3月11日
全世界のスマートフォンユーザーがなんと30億人を超えたと聞く。もちろん便利だからこれだけの人が使うのだが、コンパクトなモニターと様々なセンサーを内蔵していることで、その用途は拡大し続けている。特に、健康管理分野はライフログのアプリを始め、各社最も力を入れている分野だ。ところが、健康管理の入り口と言える血圧測定はスマートフォンでは実現していなかったようだ。今日紹介するミシガン州立大学からの論文はスマートフォンに正確な血圧測定装置を実装することが可能であることを示した論文でScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Smartphone-based blood pressure monitoring via the oscillometric finger pressing method(指を押し付けて血流振動を計測することでスマートフォンを用いて血圧をモニターする)だ。
血圧がスマートフォンで測定できていないと聞いて驚く方も多いだろう。私も最初この論文がどうしてScience Translational Medicineのようなトップジャーナルに掲載されたのか驚いた。実際、この研究で開発された装置では、光プレスチモグラフ(PPG)と呼ばれる方法を用いた脈波センサーと圧力センサーを組み合わせて血圧を測定しているが、例えばサムソンギャラクシーではそれぞれを実装した機器が発売され、例えば心拍数測定に利用されている。またPPGを使った血圧モニター存在するようだ。特に新しいデバイスが開発されたわけではない。
しかし血圧測定では収縮期圧と拡張期圧の両方を測定する必要があるが、これまでPPGを使った血圧測定と称するものは、収縮期圧と相関するだけの便宜的なものだった。血圧が健康管理の最初の入り口だとすると、30億人のユーザーの血圧を瞬時に測れるならトップジャーナルの興味を引くのは当然だと納得した。
この研究では、PPGセンサーの上に圧力センサーを重ね、指の第一関節を押し付けた後、圧力を加えながら動脈を流れる血液量の変化を測ることで血圧を測っている。要するに、これまで別々に実装されていた二つのセンサーを組み合わせれば血圧も測れるというアイデアだ。一般の血圧計で、カフを膨らませて圧力をかける操作そ、圧力センサーに自分で指を徐々に強く押し付けるという操作に代え、拍動音を聴診器で聞く代わりに、PPGセンサーで動脈の血液量の振動を測ることで代えている。
この研究ではスマフォに装着できる薄い測定装置を製作し、それをスマフォに内蔵されたものと見立てて、通常の方法で測った血圧と比べながら実用性を検証している。結果として、現在病院で利用されている指で測る測定器と同等の性能を持っている事を示している。
もちろん、更に改良は必要だが、簡単で、今のスマートフォンメーカーなら、明日からでも薄い装置の中に実装できるシステムである点がこの論文の売りだろう。ある日、日本全国で同時にスマフォユーザーの血圧を測定して集められる日が現実になりつつあると思うと、これは革命だと思う。