10月29日 嘘をつく心を分析する(Nature Neuroscienceオンライン版掲載論文)
AASJホームページ > 新着情報

10月29日 嘘をつく心を分析する(Nature Neuroscienceオンライン版掲載論文)

2016年10月29日
SNSシェア
嘘をつかないひとはまずいないと思うが、だからと言って世の中が大混乱に陥るわけではない。それは、ほとんどの人が嘘を小さな嘘で終わらせるブレーキを持っているからだ。従って、嘘の問題は、嘘をつくことに慣れてしまうことだ。
   今日紹介する英国・ロンドン大学からの論文は、このブレーキについての研究でNature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルはずばり「Brain adapts to dishonesty(脳は不誠実さに慣れてしまう)」だ。
   おそらく自分が嘘をつくのを観察されるのは誰でも嫌だ。そのため、嘘をつかす心理学実験は難しい。さらに、嘘をつかせながらMRIで脳の活動を調べるのはさらに難しい。この課題をなんとかこなしたのがこの研究だ。
   さて、嘘のつかせかただが、実験のためにやってきた被験者をまずダミーのもう一人に紹介し、これから一緒に実験に参加してもらうことを伝える。そして二人に実験の説明をした後、被験者にはパートナーの決断のためのアドバイザーにまわってもらうことを伝えて実験に入る。
   さて実験だが、大きなガラスジャーにコインが入っていて、いくら入っているかをパートナーに当てさせる。指南役の被験者には大きな写真が示され、パートナーには小さな写真しか見せない。さらに15−35ポンドのコインが入っていることを被験者だけに教える。そして、様々な条件下で、ジャーに入っている金額の推測のための情報を、被験者がパートナーに正しく伝えるかを調べている。
   例えばパートナーが高めに見積もった場合、被験者に多くのお金が与えられ、逆にパートナーは正確な判断をするほど多くのリターンがあるとすると、嘘をつくほど自分が儲かり、パートナーは損をする。    一方、パートナーをミスリードして間違わせたほうが両方に多くのリターンがある場合は、嘘をついてもパートナーに不利益にならない。
   最後にパートナーが正確な予測するほど被験者は高いリターンを得、逆にパートナーは多めに見積もるとその分リターンを得られる様な条件では、嘘をつくと自分の損になりパートナーは得をする。
   これらの条件でトライアルを繰り返し、嘘の程度を調べると、嘘をついて自分が得する場合は回を重ねるごとに、嘘の程度が拡大する。幸い、自分の嘘で相手が損を被る場合は、嘘の程度は少し抑制されるが、それでも回を重ねると拡大する。
  一方、嘘をつくと自分が損する場合、ほとんど嘘はつかない。というより、できるだけ正確な情報を伝える。
   さてこの時、機能的MRIで脳の活動を調べると、嘘をつく時に扁桃体が活性化しているのがわかる。しかし、この脳活動は嘘が拡大するほど、低下する。逆に、この活動を調べると、被験者が嘘をつくかどうか予測することが可能だという結果だ。
   結論としては扁桃体が嘘を認識してブレーキ役になるが、嘘が続くと活動は低下し、ブレーキを失うことになる。
        面白い論文だが、小さな嘘についての話だ。ぜひ政治家が大きな嘘をつく時の扁桃体の活動を調べてみたいと思った。ヒットラーは「Die meisten Menschen werden leichter Opfer einer großen Lüge als einer kleinen.(ほとんどのひとは小さな嘘より大きな嘘に簡単に騙されてしまう)」と言ったが、この質の差を決めているもの脳のどこなのか興味が尽きない。
カテゴリ:論文ウォッチ

10月28日 自閉症治療の2つの治験(10月25日号Lancet及びMolecular Psychiatryオンライン版掲載論文)

2016年10月28日
SNSシェア

自閉症は治すことのできない病気だと思い込んでいる人がいるが、着実に治療のための科学的取り組みは進んでいる。科学的治療といったのは、医師が思いつきで行う治療ではなく、その効果を治験という形で調べることだ。

   嬉しいことに、先週はこの様な科学的治験についての論文が2報も報告されたので、紹介する。

   最初の論文はロンドン・キングスカレッジを中心に自閉症児の両親に対する教育プログラムの効果を確かめた治験論文で10月25日号The Lancetに掲載された。タイトルは「Parent-mediated social communication therapy for young children with autism (PACT): long-term follow up of a randomized controlled trial (自閉症児童に対する両親を介するコミュニケーション治療(PACT)長期追跡治験)」

   この研究では、テンカンや知恵おくれなどの症状を持たない2−4歳の自閉症児童をリクルート、その中から無作為に選んだ半分の児童の両親に、2週間に1回6ヶ月間、自閉症のことをより深く知り、子供を観察し、責任を持ってコミュニケーションを高めるための一回2時間の教育プログラムを受けてもらい、そこで学習したことを元に子供に接してもらうことが自閉症の子供の成長に及ぼす影響を調べている。

   実はこの治験の短期効果は2010年すでにLancetに報告されている。今回は、さらに5年を経た長期効果だ。効果の判定は徹底している。ADOSと呼ばれる自閉症総合診断テストに加え、言語能力は言うに及ばず、8ミリビデオの記録を使ってコミュニケーション能力の判定も行っている。さらには、両親や学校の先生の評価も加えてこの方法の効果を確かめている。

   結果はあらゆるテストで、PACTにより自閉症児の症状の改善がみられ、6ヶ月のプログラムだけで少なくとも6年にわたって効果が続いたという結果だ。2週間に一回のコースなら負担も大きくない。特に自閉症児を持つ両親はすでに大きな負担の中で生活されている。おそらく治療のための重要な時期があるはずなので、早く普及するといいと思う。また、日本版の作成も期待したい。

   次の米国アーカンサス小児病院からの論文は自閉症児自体を対象とした治験で、Molecular Psychiatryオンライン版に掲載された。タイトルは「Folinic acid improves verbal communication in children with autism and language impairment: a randomized double blind placebo controlled trial(葉酸は言葉の問題がある自閉症の言葉によるコミュニケーション能を改善する:偽薬を用いた無作為二重盲検治験)」だ。

   不勉強で知らなかったが、自閉症児の多くは葉酸を細胞内に取り込む受容体に対する抗体ができているらしい。この研究ではこのデータに基づき、葉酸投与により自閉症の症状改善が可能か二重盲検法を用いて検討している。この治験では、投与群23人と偽薬群25人を選び(7歳時点)、2mg/kgの還元型葉酸folinic acidを2週間投与している。

   両群とも半分の患者さんに葉酸受容体抗体がみられ、これまでの結果を確認している。さて結果を簡単にまとめると、12週目で見たとき、folinic acid投与により言葉によるコミュニケーション能力の低下を阻止し、逆に改善がみられたという結果だ。この効果は、抗体陽性群で高いが、陰性群でも認められることから、一般的な自閉症治療として利用できると結論している。

   詳しいデータはすべて省略しているが、両方の治験とも明日からでも実施可能な方法で、副作用もほとんどないことから、臨床応用を早期に検討して欲しいと期待している。

カテゴリ:論文ウォッチ

10月27日:MCL1阻害剤の開発(10月27日発行Nature 掲載論文)

2016年10月27日
SNSシェア
    昨日に続いて、今日もアカデミア発の新しい分子標的薬についての論文を紹介しよう。今日紹介するオーストラリア・ウォルター・エリザホール研究所からの論文が報告しているのは細胞死を防ぐBcl2ファミリーの一員、MCL1に対する薬剤だ。
   これまで、ガン遺伝子が活性化して細胞の増殖が促進すると、安全機構が働いて細胞が死にやすくなること、そしてガンではこの安全機構の作用を逃れるため、Bcl2ファミリー分子の発現が上昇することが知られていた。中でもMCL1は血液のガンの多くで発現してガンを細胞死から防いでいることが明らかになっていた。
   この様にMCL1は当然ガン治療の格好の標的になっていいが、ノックアウトマウスの解析から、正常血液幹細胞などの幹細胞自己再生に必須の分子であることも明らかになっており、薬剤開発は進んでいなかった。
   これに対しウォルター・エリザホール研究所はBcl2ファミリー分子の研究で伝統があり、MCL1についても多くの優れた研究を行ってきた。この伝統が後押しして、MCL1を標的とする薬剤開発を地道に進めていた様で、ついにポテンシャルの高い薬剤が開発されたことを本日発行のNature で報告している。タイトルは「The MCL1 inhibitor S63845 is tolerable and effective in diverse cancer models (MCL1阻害剤S63845は様々なガンモデルに効果を持ち薬剤として許容できる)」だ。
   述べた様にこのグループは最初からMCL1阻害剤の開発を目指していた。ただ、肝心の薬剤開発までの過程は詳しく書かれていない。多くの化合物をスクリーニングしたのではなく、小さな化合物とタンパク質との結合に関する構造データをもとに、最終的に化合物をデザインしてS63845を完成させている。いわゆるin silico創薬と言ってよく、メディシナルケミストの腕の見せ所だろう。MCL1に対する阻害剤はこれまでもあるにはあったが、それと比べてS63845は1000倍活性が高い様だ。
   あとはS63845がどの様なガンに効くのか、ガン細胞株を用いて調べている。もともとMCL1を強く発現している骨髄腫は17/25の確率で、これまで試されていたBcl2阻害剤より有望だ。また、マウスに人のガンを移植したモデルでも効果を示している。他にも、ヒトのリンパ腫や白血病、あるいはマウスのリンパ腫モデルでも高い効果を示す。最後に、患者さんから採取したばかりの急性骨髄性白血病でも試し、5/25で効果が見られている。
   最後に様々な固形ガンにも試しているが、単独ではほとんど効果がない。しかし、キナーゼ阻害剤と組み合わせると多くのガンで効果が見られる。そして、何よりも不思議なことに、200日投与した例でもマウスは生存し、投与されたマウスの造血系にも大きな異常が見られない。
   今後なぜ副作用がないのかなど、メカニズムの解析が必要だが、おそらく期待以上の結果が出たと思う。残念ながらすべてのガンや白血病に効くわけではないが、効果を予測するマーカーが存在することから、様々なガンで試されることが期待される。
   昨日のAPC、今日のMCL1と、これまで標的として期待されていなかった分子に対する薬剤がアカデミアで開発されたのは心強い。特に今日紹介した薬剤は、新しい手法でデザインされており、今後の期待が膨らむ。
  AMEDの旗振りで我が国のアカデミアも薬剤開発を唱えているが、現状はどうなのか、専門家が見て是非率直な評価をして欲しいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

10月26日:最初のAPC阻害剤(10月19日号Science Translational Medicine掲載論文)

2016年10月26日
SNSシェア
    APC遺伝子は、家族性大腸ポリポーシスの原因遺伝子として現シカゴ大学の中村祐輔さんらにより特定された分子だが、ポリポーシスの患者さんは高率に大腸癌へと進展すること、また多くの原発性の大腸癌でも変異が見られることから、大腸癌発生の鍵になる分子と考えられている。ただ私もそうだが、多くの人はAPCはガン抑制遺伝子なので、この分子に対する薬剤の開発は難しいと思い込んでいたようだ。
   今日紹介するテキサス大学サウスウエスタン医療センターからの論文は、この思い込みが間違いで、APCを標的にした薬剤が開発できることを示した研究で10月19日号Science Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Selective targeting of mutant adenomatous polyposis coli (APC) in colorectal cancer (大腸癌のAPC遺伝子変異を選択的に標的にする治療)」だ。
   この研究では、ガン抑制遺伝子とはいえAPCはほとんどの直腸癌で、ただ欠損するわけではなく、短い分子が発現していることに注目した。すなわち、この短い分子がガン抑制というより、ガン増殖促進作用があると考えた。
   そこで、この短いAPC遺伝子APC-mを持つ大腸上皮細胞株を樹立し、APC-mを持つ細胞株の増殖のみ抑制する化合物を探索し、20万種類の化合物の中から最終的にTASIN-1と名付けた化合物を特定している。
  あとは、期待どおりTASIN-1がかなりの割合の大腸癌細胞株の増殖を抑えること、正常のAPCには全く影響がないこと、大腸ポリポーシスの動物モデルで、ポリープ発生と増殖を抑えられることなどを示している。
   最後に、なぜTASIN-1がAPC-mだけを効果があるのかについて調べ、TASIN-1がコレステロール合成系のEBPを阻害作用を持ち、ガン特異的コレステロール合成阻害を介して増殖を抑えることを明らかにしている。
   この結果は、大腸癌でAPCは、従来考えられていたWntシグナルを介する増殖異常のみならず、コレステロール代謝を細胞の増殖に都合のいい様にかく乱していることを示唆している。この経路のさらに詳しい解析が進むと、大腸癌の弱点がさらに明らかになり、根治は無理でも、ガンの進行を遅らせることができる様になるだろう。
   APCの作用について、一つのシナリオで納得するのではなく、それに対する小さな疑問から薬剤の開発まで進んだいい研究だと思う。APC-m特異的なので、実用化は早いのではと期待する。
カテゴリ:論文ウォッチ

10月25日:猿も道具を使うだけでなく、石を加工する(Natureオンライン版掲載論文)

2016年10月25日
SNSシェア
    人類の歴史を遡る考古学は、「骨と石」の学問と呼ばれている。最近、骨の役割は、そこに含まれるDNAまで広がっているが、石、すなわち石器により人類をサルから区別することはこれまでと同じだと考えていた。この分野を知りたい人たちにはRobin Dumbar 「Human Evolution,(邦訳あり)」を進めるが、この本でもアフリカで2足歩行の先祖がサルから別れた後、かなり時間が経った後Homo Habilisの出現とともに石器を使うようになったと書かれている。
   では、サルは石器を作らないのか?これまで道具を使うサルは、ニホンザルも含め何度も記述されてきた。ただ、石を貝殻状に割ってナタのように加工したり、尖らせたりすることはほとんど観察されていなかった。特に、ボノボに石器作りを見せても、自分から石器を作ることがないという観察から、石器は人類の証拠という枠組みを疑う人は少ない。
   これに対し今日紹介するオックスフォード大学からの論文ではブラジル国立公園に棲むカプチンザルの一種は、石器(のようなもの)を繰り返し作ることを報告した研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Wild monkeys flake stone tools (野生猿は石器を削る)」だ。
   ただ、タイトルは少し誤解を招く。というのも、本当はこれが石器、すなわち道具として使われるという証拠がないからだ。
   この研究ではブラジルのカプチンザルが小さい石に重い石をぶつけて、貝殻状のシャープな刃を持った石器様の石を多く作ることが詳しく観察されている。重い石は600gに及ぶことを考えると、間違いなく偶然ではなく、何かの意図を持って作っている。そして、この方法で生まれる石器様の石は、Homo habilisとともに発見される石器に酷似している。
   実際話はこれだけだが、「猿も石器を作る」とは結論できない。
   まず、この石器様の石には植物であれ、動物であれ生物を処理するのに使った痕跡がないことだ。著者らも、石と石をぶつけるのは、それにより生まれる石の粉を食べるため、あるいはそこに付着している地衣類を剥がして食べるためではないかと考えている様で、決して道具作りとは考えていない。
   しかし、この発見は「骨と石」の考古学にとっては重要な意味を持つ。すなわち、初期石器時代と言われる、石と石をぶつけただけの石器が、実際に石器だったかどうかを証明しないと、これからは石器=人類とは言えないことだ。過去についての学問の難しさがはっきりと示された研究だ。    次にどんな反論が出るのか、あるいは旧石器時代の研究がどう変わるのか、楽しみだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

10月24日 ヒトの抗原特異的Treg細胞の役割(11月3日号Cell掲載予定論文)

2016年10月24日
SNSシェア
    昨日に続いて、今日も人間の免疫機能に関わる研究を紹介しよう。屠殺して様々な臓器を調べることができる実験動物と異なり、末梢血に流れるリンパ球だけが利用できる条件で、ヒトの免疫反応を詳しく解析することは難しい。しかし、そのような制限と格闘しながら、研究を進めているグループは増えてきている。
   今日紹介するベルリンのシャリテ病院と、ドイツリュウマチ研究センターからの論文は抗原特異的な制御性T細胞(Treg)が確かに人間で働いていることを証明した研究で11月3日号のCellに掲載予定だ。タイトルは「Regulatory T cell specificity directs tolerance versus allergy against aeroantigen in human(制御性T細胞の特異性がヒトの飛沫抗原に対する免疫寛容かアレルギー科を決めている)」だ。
   Tregは、言わずと知れた、現在阪大の坂口さんが免疫寛容のメカニズムを研究する過程で発見したT細胞の亜集団で、この細胞を無視して免疫系は語れない中心的概念になっている。抗原に反応して活性化され、同じ抗原に対する免疫反応を抑制するために存在し、自己に対して免疫反応が起こらないようにしている。
   坂口さんによってTreg誘導のキー分子として特定されたFOXP3が機能不全に陥ると、新生児期から強いアレルギーに陥ることが知られており、ヒトでもTregが免疫調節に重要であることが明らかになっていた。しかし、通常の抗原特異的T細胞を検出する方法でTregが検出できないため、抗原特異的なTregの機能を厳密に調べる研究は遅れていた。
    抗原特異的Tregを直接検出できないため、この研究では、ヒト末梢血を試験管内で刺激後、Tregを純化する新しい方法を用いて、すでに抗原に感作されたメモリーTregを定義することで、なんとか抗原特異的Tregを検出している。この方法を用いると臍帯血ではTregを検出できない。
   この方法で検出されるTregは、卵を含む食物に対しては誘導されにくいこと、一方吸い込んでアレルギーになる花粉やダニ抗原などに対しては反応性が高いことがわかり、Tregの誘導しやすさが抗原により違うことが明らかになった。以上の結果は、成長過程で誘導されたTregは、ヒトの末梢血に存在し、いつでも抗原に反応できることを示していることを示している。
  次に、アレルギーを起こすT細胞も同じように刺激して、使っているT細胞受容体遺伝子を解析すると、同じ抗原でも違った受容体が反応していることが明らかになった。
   この基本実験システムを用いて、次に樺由来抗原(Birch)に対してアレルギーになっていない正常ヒト末梢血を調べ、Birchにより誘導されるTregが存在し、Birchが空気中に飛散する3−5月には上昇して、免疫反応を抑えるのに一役買っていることを示している。
   一方アレルギーになっているヒトでは、Treg自体の反応性は変わらないものの、アレルギーに関わるT細胞の数が著明に上昇している。この結果は、アレルギーになるヒトでは、Tregとは異なるタンパク質が通常のT細胞を刺激するため、反応が抑制できないと考えられる。
   これを確かめるため、それぞれの抗原を構成タンパク質に分けて反応を調べると、構成している抗原によりTregと通常のT細胞の誘導性が異なること、そして、抗原粒子から溶け出やすい分子量の小さなタンパク質ほどアレルギーを誘導するT細胞を活性化できることを明らかにしている。
   まとめると、空気中に飛散しているアレルゲンはTregを誘導して、アレルギーを誘導するT細胞の活性化を抑え続けているが、アレルゲンを構成するタンパク質の中で溶けやすく、アレルゲンから分離しやすい抗原はTregの抑制から逃れて、アレルギーを誘導するという結論だ。
   今後、抗原特異的Tregを直接検出する方法の開発など、やらなければならないことは多いが、ヒトでも抗原特異的Tregが体内を循環し、通常のT細胞の抗原反応を抑制していることを示す実験系を確立したことは重要な貢献であることは間違いない。他にもガンや自己免疫病など、多くの分野で役にたつ方法が確立された。
   この概念を最初に確立した坂口さんを擁する我が国にとっては、ヒトでもこの概念の正しいことが明らかにされるのは嬉しい話だ。ただ、次世代シークエンサーが普通に利用されるようになってから、ヒトの免疫機能を解析した研究がトップジャーナルに多く掲載されるようになったにもかかわらず、ヒトの免疫機能研究で我が国のプレゼンスが低いように見えるのは問題だ(私の見落としならそれでいい)。免疫に限らず、人間についての研究も我が国でどう取り組むのか真剣に考える時が来ている。
カテゴリ:論文ウォッチ

10月23日:人種と免疫機能、そしてネアンデルタール遺伝子の役割(10月20日号Cell掲載論文)

2016年10月23日
SNSシェア
    アフリカ祖先の人種とヨーロッパ祖先の人種で免疫機能が大きく異なることはよく知られている。例えば、SLEはアフリカ祖先で重症化しやすい。また、この差をもたらす一塩基遺伝子変異SNPや遺伝子欠損や挿入の多くがすでに特定されており、遺伝子診断サービスにも生かされている。ただ、病気ではない正常人の免疫機能の違いを決める遺伝子背景を特定する研究は始まったばかりだ。
   今日紹介するフランス・パストゥール研究所からの論文は、末梢血から採取した単核球の自然免疫に関わる3種類のTRLシグナルを試験管内で刺激した時の反応の差をアフリカ祖先とヨーロッパ祖先で比べ、この差を生むSNPを特定した研究で10月20日号のCellに掲載された。
   異なる刺激方法を使ってはいるが、ほとんど同じラインの論文がカナダ・モントリオール大学から発表されているが、私自身がわかりやすいと印象を持ったパストゥール研からの論文を選んだ。
   まず大変な力作だ。アフリカ祖先、ヨーロッパ祖先それぞれ100人づつボランティアを募り、単核球を3種類の異なる方法で刺激し、刺激前後の遺伝子発現を次世代シークエンサーを用いたRNAの配列決定により測定する。並行して、それぞれのゲノムを調べて遺伝子発現の差をゲノム上のSNPの差と相関させている。
   詳しい方法は一般の人にはあまり重要でないのでわからない単語はすっ飛ばして読んでほしい。この研究ではまず、刺激により変化する遺伝子を、感染症に対する防御反応に関わる4種類のモジュール(それぞれNFκb、IRF1、GATA2反応性を反映している)に分けられることを示している。
   次にこの遺伝子リストの中で、アフリカ系とヨーロッパ系で差がある遺伝子リストを、ゲノム解析データと相関させて、その遺伝子発現の差を説明できるゲノムレベルの遺伝子変異を幾つか特定している。
   中でもヨーロッパ系に特異的に見られるTLR1シグナルに対する反応の低下に関わるSNP、rs573618が、ヨーロッパ系とアフリカ系の免疫機能の差の重要な部分を説明できることを突き止める。アフリカ系にはrs573618はAAとCA型しか見られないが、ヨーロッパにはCC型が存在し、CC型ではTLR1に対して反応する多くの遺伝子の発現が低下することを示している。すなわち、TLR1シグナルがヨーロッパ系だけで弱まっている。
   それぞれのSNPを持つポピュレーションの進化過程を計算すると、rs573618など、明確な差を示すSNPがヨーロッパでの生活で選択されていることがわかる。すなわち、感染等に対する優位性で選択されてきたことがわかる。
   さて、アフリカ祖先とヨーロッパ祖先が決定的に異なる大きな差は、ネアンデルタール人遺伝子の流入だ。当然この研究でも、免疫反応に関わるSNPのどれがネアンデルタール人から流入したのかを調べている。残念ながらrs573618自身がネアンデルタール起源ではなさそうだが、PNMA1遺伝子発現に関わるハプロタイプを特定し、それがヨーロッパ系で選択されていることを示している。
   おそらくデータが膨大で、解析を続ければこれからさらに面白い遺伝子座が見つかるだろう。特に、ほとんど同じ研究を行ったカナダのデータと比べる研究は面白い。
   このようにヒトを使ったポピュレーションレベルの機能ゲノミックスが急速に進んでいる。このような論文を読むと、我が国のゲノム研究の遅れが気になる。ゲノム研究は通常大型プロジェクトで、大隅さんが基礎研究といった分野とは違う。しかし、このような大型プロジェクトでさえ、我が国は何か脇道に逸れてしまっている気がする。科学研究のあり方について、根本的に見直す必要があると思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

10月22日:意外にも年齢が高い程、体外受精による胎児発生異常は少ない(10月17日International Journal of Obstetrics and Gynecologyオンラン版掲載論文)

2016年10月22日
SNSシェア
最初の体外受精は英国の医師ロエドワーズ博士により1978年に行われた。そして、普及は急速に進み、我が国では全出産の2%を超えているのではないだろうか。様々な批判はあったが、この普及ぶりを認めて、エドワーズ博士には2010年のノーベル医学生理学賞が送られている。
   すでに30年以上が経過し体外受精が当たり前の技術になっても、この技術については倫理的、医学的な根強い批判が続いている。その最大の理由は、生殖補助医療(ART)による出産では、発生異常の確率が高いことと、この治療を受けるカップルの経済的・精神的負担の問題だ。
   今日紹介するオーストラリア・アデレード大学からの論文は、南オーストラリア地区で1986年から2002年にかけて生まれた児童を対象にARTの影響を追跡調査した研究だが、私の予想を完全に裏切る結果に驚いた。タイトルは「Maternal factors and the risk of birth defects after IVF and ICSI: a whole of population cohort study(体外受精と顕微授精による出産時異常発生リスクに関する母体要因:全出産児対象コホート研究)」で、10月17日にInternational Journal of Obstetrics and Gynecologyオンライン版に掲載された。
   この調査では約30万人の出産を対象に、自然妊娠、体外受精、顕微授精による出産に分け、死産、早産、異常発生の診断に基づく人工流産、400g以下の体重など全てを出生に関わる異常としてカウントし、統計を取っている。
   さて結果だが、予想通り体外受精、顕微授精では出生時異常が7.1%, 9.9%と自然妊娠の5.8%に比べるとかなり高く、これまでの統計を裏付けている。しかし驚くのは、出産時の年齢を30歳から40歳以上と、5歳づつ区切って統計を取ると、正常妊娠では出産時異常率が、年齢とともに上昇する(30歳前は5.6%だが、40歳異常では8.2%)のに対し、驚くことに体外受精と顕微授精での異常率を各年齢ごとに調べると、30歳以前(9.4 and 11.3%), 30−34歳(6.1 and 9.9%), 34歳から40歳(7.7 and 9.4%)、そして40歳以上では(3.6 and 6.3%)と年齢が高いほど異常率が著明に低下している。
  もちろん母親の他の健康条件により、異常率は大きく左右されるが、30万人という十分な数で見たとき、予想に反しARTによる出産は、年齢が高いほど異常率が低下するという結果だ。
   体外受精の場合、受精後試験管内で胚を培養して正常胚のみを着床させるが、おそらくこの選別過程で年齢の高い母親からの胚ほど選別容易であるためだろう。要するに、年齢の高い母親からの胚では小さな異常でも試験管内及び着床までの過程が損なわれ、よほど強い胚だけが着床できるため、その後の異常率が減るのだろう。他にも様々な理由は考えられ、今後基礎的な研究も必要だ。研究から、新しい正常胚の選び方が明らかになるかもしれない。いずれにせよこの分野にとっては、重要な発見だと思う。
   もちろん年齢が高くなるほどARTの成功率は落ち、またこの技術は個人のスキルに負うところも多い。従って、一概にこの調査結果が我が国に当てはまるかどうかはわからないが、我が国でも正確な調査を行って欲しいものだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

10月21日:RNAワールド完成へもう一息II(Nature Chemistryオンライン版掲載論文)

2016年10月21日
SNSシェア
    今年8月18日、「RNAワールド完成にもう一息」というタイトルで米国アカデミー紀要に掲載されたスクリップス研究所からの論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/5653)。複雑な2次構造を持つtRNAを転写するリボザイムが設計できたという論文で、全く複製という過程が存在しなかった生物が存在しない物理世界で、複製が十分可能であることを示す論文だった。
   今日同じタイトルで紹介するジョージア工科大学からの論文は、粘性の高い液体の中ではRNAの2次構造形成が遅れ、500塩基程度の長さなら、相補的な短い核酸配列(オリゴヌクレオチド)を用いて複製が可能であることを示した研究でNature Chemistryに掲載された。タイトルは「A viscous solvent enables information transfer from gene-length nucleic acids in a model prebiotic replication cycle(粘性の高い溶液により、生命のない世界で遺伝子のサイズの情報を伝達することができる)」だ。
   この研究の目的は、高粘度溶液中で、RNAの2次構造形成を抑え、これにより維持される線状の一本鎖RNAを、相補的オリゴヌクレオチドでカバーし、最後に鋳型上でアッセンブルされたオリゴヌクレオチドをリガーゼで結合させてRNAが複製できることを示すことだ。研究では、このための条件を一つ一つ調べ、最終的に545塩基の長さを持つRNAの完全複製に成功している。ただ、詳細は紹介する必要はないだろう
   残念ながら、この研究では大腸菌由来のリガーゼを用いてオリゴヌクレオチドを結合させているため、完全に生命非依存的に複製を行ったとは言えない。しかし、一部の脂肪酸などの有機分子が、RNAのポリメラーゼ活性やリガーゼ活性を持っていることが示されており(生命誌研究館HPより:http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000021.html)、またリガーゼ活性を持つリボザイムの存在も知られている。従って、この系を完全に無生物系へと変換することはできるだろう。
   また、この研究では粘性を高めるためにglycolineを使っているが、生命以前の地球にこのような高粘度の溶液が存在し得るかも気になる。ただ、太陽などの熱で蒸発が起こると、水たまりで同じようなことが起こってもいいだろう。実際、多くの有機物合成に、同じような溶液濃度の上昇が必要になる。
   今後は、例えばニック・レーンたちが強力に進めている熱水噴出孔での有機物やエネルギー合成過程を(彼のThe Vital Question 参照)、もう少し安定な原始のスープにつなぐシナリオが必要かもしれない。
   しかし、生命誕生過程についての理解は急速に進んでいる。
カテゴリ:論文ウォッチ

10月20日:解剖学・組織学の可能性(10月7日号Science掲載論文)

2016年10月20日
SNSシェア
    解剖学と組織学はセットになって、医学部学生が最初に触れる医学の伝統だが、私の時代ですでに学問自体はなんとなく古くなってしまっていた印象があった。しかしよく考えてみると、私たちの体がなぜこのような形態を持っているのかについて理解することは、分子の機能を理解するよりよほど難しい。
   今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、人間の脳を理解するために形態学がいかに重要かを示す研究で10月20日号のScienceに掲載された。タイトルは「Extensive migration of young neurons into the infant human frontal lobe(新生児期に見られる若い神経細胞の大規模な前頭葉への移動)」だ。
   脳の発達には、生まれてから様々なインプットに対応した成長が必要なことがわかっている。特に前頭葉の発達は著しく、当然細胞の増殖も伴っている。この新生児期の脳発達を担う細胞がいつ、どこで、どのように作られるのかは神経科学の重要な問題で、様々な動物を使ったモデル実験系で詳しく研究されている。しかし、ほとんど介入実験ができない人間でも同じことがいえるのかどうかは、細胞標識などの実験手法では明らかにできなかった。
   これに対し、この研究は、丁寧な解剖学的、組織学的な観察を積み上げることで、この問題をある程度解決できることを示しており、新鮮な印象を持った。
   細胞が増殖する場所は脳室周辺帯とわかっているので、生後様々なステージの新生児の死後脳を集め、まず細胞の密度が高い場所を特定している。次に、この場所での、移動細胞が発現しているマーカー発現を調べ、移動細胞が脳の様々な層でどのように存在しているか明らかにするとともに、移動している細胞の形態学的特徴から、移動方向が推定できることを示している。さらに、移動中の細胞の形態学を電子顕微鏡を用いて調べ、確かに細胞の形態から移動の方向性がわかる組織学的理由についても示してくれている。
   このような特徴から、脳室周辺帯で作られた神経細胞は、まず次の層へまっすぐ移動してから、脳皮質へ向かって様々な方向へと分散することを示している。この結果、脳出周辺帯にくさび形の神経細胞集団が形成され、そこから分散した細胞が、アーチ状の集まりを形成することを示している。そして、これらの一時的な構造が、MRIで確かに検出可能であることも示している。
   最後は、比較的新鮮な脳スライスを用いて、実際に細胞が移動することをビデオで示しているが、そこまでしなくとも観察を頭の中でつないで見れば、十分説得力のあるシナリオだと思う。この論文を読んで、生後7ヶ月までに急速に作られた神経細胞のほとんどは介在ニューロン細胞へ分化し、さらに介在ニューロンとして多様化することで、神経間の結合を高度化していることがよくわかった。
   このように、優れた解剖学的、組織学的理解は、ヒトの脳研究に欠かせない。AIだ、人工知能だと浮ついた議論を避けて、形態の美しさに魅せられる若者が生まれることは、我が国の脳研究に欠かせないと思っている。
カテゴリ:論文ウォッチ