10月5日:つわりの効果:通説を科学的に確かめる(JAMA Internal Medicine オンライン版掲載論文)
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10月5日:つわりの効果:通説を科学的に確かめる(JAMA Internal Medicine オンライン版掲載論文)

2016年10月5日
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    食事を用意している時、若妻が急に吐き気を催して「あ、つわりだ」と家族が妊娠に気づくのは、妊娠したことを表現するための映画やテレビの定番になっている。つわりがひどいお母さんは、つわりなんてないほうがいいと思っているだろうが、つわりは胎児を守るための重要な反応であると考えられてきた。実際、つわりがないと流産が多いというのが専門家の理解だ。しかし今日紹介する論文を読んで、この説が本当は完全に検証されていないことを知った。
   米国国立衛生研究所からの論文で、アメリカ医師会雑誌の内科版(JAMA Internal Medicine)に掲載された。タイトルは「Association of nausea and vomiting during pregnancy with pregnancy loss, A secondary analysis of a randomized clinical trial (流産と吐き気と嘔吐の関連:無作為化臨床治験の2次解析)だ。
   もちろん私もつわりがないと、流産が多いと思っていた。ただ著者らによると、これを確かめたほとんどの研究は、妊娠が確認されたあと女性を集めてつわりと流産率を調べており、診断される前のステージは全て無視した研究だったようだ。
   この研究では妊娠に対するアスピリンの効果を調べる無作為化臨床試験(こんな研究も行われているのかと驚くが)に参加した対象の中から、過去に1、2回の流産を経験している女性をリクルートし、妊娠の診断がつく前から日記などの記載を通して、吐き気、嘔吐の有無を調べるとともに、妊娠経過中に起こる流産の頻度を調べている。
   つわりは妊娠2週ぐらいから現れ、6週でほぼピークに達する。流産を経験しているお母さんも、8割は多かれ少なかれつわりを経験する。また、対象は流産経験がある女性は、全体の流産率は23.6%と高い。
    次に、つわりの有無と、流産の相関を調べると、着床前後で見るとつわりがあるほうが、流産率が4割ほど低い。また、流産全体について見ても、吐き気、あるいは吐き気と嘔吐がある場合は流産率が約半分に減る。
   以上のことから、これまで通り、つわりは良いサインということが結論できる。この研究では、吐き気だけと、嘔吐まで進む強いつわりを比較している。データで見ると、つわりが強いほうがさらに流産率が低いという結果だが、統計的には有意な差ではないようだ。
   話はこれだけだが、私が学生の時習ったような話が、今ももう一度科学的に確かめられているのを見ると、感銘を受ける。また、論文として掲載されていることから、雑誌の編集者も、その重要性を理解していることがわかる。妊娠している女性に、できるだけ正確な知識を提供するため、科学的検証の手を緩めない。その意味で、素晴らしい研究だ。
カテゴリ:論文ウォッチ

10月4日:光化学で網膜機能を取り戻す(10月5日号発行予定Neuron掲載論文)

2016年10月4日
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    今年もノーベル賞はクリスパーかと予想していたが、嬉しい誤算で大隅さんが受賞した。
このHPをオートファジーで検索すると、14編の論文が出てくるので、この現象の広がりを理解するための参考にしてほしい。
   いずれにせよ、水島さんや吉森さんなど、大隅さんの優れた弟子たちが活躍しているので、オートファジーの解説に私の出番はない。代わりに、一言だけ感想を述べる。
   大隅さんは、細胞の形態という揺るぐことのない現象の背景にある複雑な分子メカニズムを解明した細胞生物学者だ。現象は違っても形態と分子をつなぐ細胞生物学研究分野には世界をリードする日本人研究者が多い。細胞間結合で優れた研究を残した月田さんもその一人だ。残念ながら、月田さんは亡くなってしまったが、大隅、月田の両人が東大を離れた後、岡崎の地で自分の研究室を立ち上げたことは、私には偶然でない気がする。
   岡崎研究機構には、生理学研究所と、基礎生物学研究所があるが、「基礎生物学研究所」という名前は、当時の文部省が「基礎生物学」を積極的に推進した歴史を語る証となっている。この時の精神は、科技庁と合体して新しく再編された文科省には残っていないようだが、今回のノーベル賞は、大隅さんの研究が「基礎生物学研究所」で行われ、旧文部省も基礎研究を推進するためわざわざ新しい研究所を設立する気概を持っていたことをもう一度思い出すいい機会になったのではないだろうか。
  前置きが長くなってしまったが、今日紹介したいカリフォルニア大学バークレー校からの論文は視細胞が失われた網膜機能を化学物質で取り戻すという研究で10月5日号のNeuronに掲載された。タイトルは「How azobenzene photoswitches restore visual response to the blind retina (いかにしてazobennzene光スイッチが失明した網膜の視覚反応を取り戻すのか)」だ。
   一昨年2月24日、光により構造変化を起こす化学化合物を眼球内に注射すると、もともと光に反応しない網膜神経節細胞が光に反応して視覚を回復させることができることを示した同じグループからの論文を紹介した(http://aasj.jp/news/navigator/1194)。この現象は素晴らしい話だが、実はなぜ化合物を注射するだけで視覚が回復するメカニズムについてはよくわかっていなかった。
   化合物が網膜神経節細胞内にどのように浸透するのか?網膜神経節細胞は光に対してOn型、On/Off型、Off型の3種類があり、全体が統合されて光を感じるが、もしこれら全てが化合物で同時に興奮するとしたら脳は混乱するはずなのに、光が感じられるのはなぜか?など、解くべき問題が残っていた。
   この問題を解明したのが今回の研究で、
1) 光スイッチ化合物は、視細胞の変性に反応して神経節細胞に起こる変化の一環として発現するP2X受容体を介して細胞内に侵入する。
2) 前回ももちいた光スイッチはシアンチャンネルに結合して、光感受性のチャンネルを形成する。ただ、化合物を変えるとナトリウムチャンネルや、カリウムチャンネルを光感受性に変えることができる。
3) 不思議なことに、P2Xを介して光スイッチが流入するのはOff型の網膜神経節細胞に限られる。
以上、光スイッチ化合物がどうして網膜神経節細胞内のチャンネルを光感受性に変えることがほぼ明らかになった。
   これまで光遺伝学では光感受性チャンネル遺伝子を細胞に導入して細胞を光により興奮させていたが、この方法は、全く新しい光生理学の始まりといえるだろう。
カテゴリ:論文ウォッチ

10月3日究極の遺伝子操作T細胞(10月6日号Cell掲載論文)

2016年10月3日
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    T細胞の抗原特異性を遺伝子操作でガンに発現している抗原に反応するよう変更しガンを殺す治療、CART(T細胞キメラ抗原受容体)治療は、ガンに対する免疫系の力を多くの研究者に認識させた(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2309)。しかし、この方法の利用はまだリンパ性白血病に限られており、先月紹介したように固形がんなどに広く応用するにはまだまだ超えなければならないハードルがある(http://aasj.jp/news/watch/5729)。このハードルを超えるために、現在新しい方法の開発が進んでいるが、今月号のCellに2種類の方法に関する論文が発表された。
  一つ目はスローンケッタリングガン研究所からの論文で、従来のCARTを刺激によりガンの増殖を抑える分子を分泌できるように改変することでCARTの効果を高めようとする試みだ。この方法が試みられるのはそう遠くないと思われる。
   もう一つの論文はさらに未来型の遺伝子操作T細胞利用の可能性を追求した研究で、カリフォルニア大学サンフランシスコ校から10月6日号のCellに発表された。タイトルは「Engineering T cells with customized therapeutic response programs using synthetic notch receptor(合成ノッチ受容体を用いて注文に合わせて反応をプログラムするT細胞操作)」だ。
   この研究では、従来のCARTのようにT細胞受容体を用いるのではなく、Notchと呼ばれる特殊なシグナル伝達経路を持つ分子の一部を使った、完全に独立した転写活性系をT細胞内に構築して、治療に必要な任意の分子をガンの周辺でのみ発現させる方法で、いわばT細胞の完全作り変えと言っていい。
   筆者がSynNotchと呼ぶ受容体はNotchの細胞膜貫通部分と、細胞外にはガンに発現する抗原に対する抗体遺伝子、細胞内のシグナル伝達には強い遺伝子転写活性によく使われる分子カセット遺伝子、の3者を結合させたキメラ分子だ。期待通り働くと、この受容体を導入されたT細胞が、ガンに発現する抗原に結合すると、分子カセットが切断され、細胞膜から核内に移行、そこであらかじめ組み込んでおいた様々な遺伝子の転写を誘導できることになる。ただ、これまでのCART療法と異なり、発現させたい遺伝子もT細胞に組み込む必要がある。これにより、治療上の注文に応じてどんな分子でも発現させることができる。
   論文では、理論通りサイトカイン、抗体から、T細胞の運命を決める転写因子までありとあらゆる分子を期待通り発現させられることが示されている。もちろん話題のPD1に対する抗体もT細胞が分泌するようにして、ガンの周りでだけ働かせることもできる。また、T細胞受容体を架橋できるキメラ抗体を分泌させて、本来のT細胞刺激を誘導することもできる。実際この方法を用いてガンを消失させる実験も行っている。
   データは全てめでたしめでたしで、期待を持たせる。しかしよく考えると、完全に独立した転写調節系を構築しているので当然といえば当然だ。しかし、実際に利用するとき、何種類もの遺伝子を同時に導入して、期待通りの効果が得られるのかなどまだまだ越えるべきハードルは高い。間違うと「下手な考え休むににたり」で、全てが絵に描いた餅になるかもしれない。
   とはいえ、ガンのキラー細胞をさらに運び屋として改変し、抗がん効果を高めるための開発競争は続くと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

殺し合うは「ヒト」の定め(Natureオンライン版掲載論文)

2016年10月2日
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「人が殺しあうのは、生まれつき持っている逃れられない性だろうか?」という問いは、人間の歴史の中で何度もなんども繰り返し問われてきた。考えてみると、人間同士の闘争と殺し合いの記録が歴史の大きな部分を占めている。剥き出しの闘争を抑制することに成功した現代社会でも、人気のある映画やドラマは、殺しにまつわる話が多い。
   当然ホッブスを始め、古今の哲学者や政治学者も「殺し合うは人の定めか」という問いと向き合ってきた。しかしこの問いに科学的に迫ろうという意気込みの論文を読んだのは今回が初めてだ。スペイングラナダ大学からNatureオンライン版に発表された論文で、タイトルは「The phylogenetic roots of human lethal violence(殺人を犯す人間の暴力性の系統学的起源)」だ。
   「科学的意気込み」と言ったが、実際にこのグループが行ったのは哺乳動物とヒトの同種間で命が失われるに至る暴力について記録している膨大な文献を検索し、全体をまとめ直した研究で、利用した文献自体の正確性などについては完全に把握されているわけではない。従って、この論文に対して多くの異論が出ることは間違いないが、この問題を科学にしようとする意気込みと、そのための卓越した着想は十分Natureに掲載される価値はあると思う。
   まずこの研究では、動物の同種間の致命的暴力に関する記録を調べ、他の個体を殺すという行動が、ダーウィン的進化の結果として考えられるかを検証している。すなわち、進化に従って殺しあう暴力の頻度が持続的に上昇する傾向を持つ系統が存在するかどうかを調べている。もしそのような系統があれば、致命的暴力が進化過程で選択されてきたことになる。
   1500種類の哺乳動物で調べると、多くの種で殺し合いが起こるのを見ることができる。一般的に、致命傷を負わせる力を持ち、社会生活を営む陸上動物で殺し合いの頻度が上昇する傾向が見られる。このような種全体の平均では、全死亡のうち約0.8%が同種間の殺し合いによる結果だ。
   中でも注意を引くのが猿が現れてからで、多くの種で殺し合いが見られ、系統が進むとともに、この頻度が上昇するという結果だ。そしてこの進化の傾向を元に、様々な比較統計学的手法で計算して、人間での殺人による死亡率を約2%と計算している。
  次にこの数字と、様々な記録から算出される人間の殺人率を比較すると、旧石器時代の遺物から計算される死亡率と予測値が一致している。その後、時代が進むにつれ、殺人による死亡率は上昇し、6世紀から13世紀ぐらいにピークを迎え、その後は低下を続け、現代では世界大戦があったものの、系統学的に予想される数値より2−3割低いレベルで収まっているという結果だ。しかも、文明化していない部族社会では、今でも殺人による死亡率は推定値より高い。
   以上の結果から、殺し合うという傾向は、進化とともに私たちが獲得してきた生まれつきの性だが、文化によりそれを克服することは可能だと結論している。最初に述べたが、調査には様々な問題がありそのまま結論を鵜呑みにはできないだろう。しかし、イントロダクションでホッブスのリバイアサン、ディスカッションではルソーの社会契約論が引用され、哲学や宗教問題を科学的に扱おうとする強い意志が感じられる研究で、感銘を受けた。
カテゴリ:論文ウォッチ

10月1日:パーキンソン病治療の意外な標的(9月30日号Science掲載論文)

2016年10月1日
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    免疫反応中のT細胞が疲弊するのを抑制するガン治療の標的としてPD-1しか話題にならない不思議の国日本は別として、免疫チェックポイント治療の標的は現在実用化が済んでいるPD-1やCTLA4に加えて、確実に拡大している。中でも、LAG3と呼ばれる受容体を標的にした治療は腎臓癌や膵臓癌で治験段階にあり、実用化が待たれている。
   今日紹介するジョンホプキンス大学からの論文はこのLAG3がなんとパーキンソン病の原因として最も疑われている凝集したαシヌクレンの細胞内取り込みとそれに続く細胞死に関わっており、パーキンソン病の進行を遅らせる標的になりうることを示した論文で9月30日号のScienceに掲載された。タイトルは「Pathological α-synuclein transmission initiated by binding lymphocyte-activation gene 3 (病的なαシヌクレンの伝達はそのLAG3との結合から始まる)」だ。
   この研究の目的は凝集した病理的αシヌクレンが、神経から神経へと伝達され、また神経細胞死が誘導される最初の段階、すなわちαシヌクレンの細胞内移行に関わる分子の探索だ。多くの膜タンパクを細胞に導入しαシヌクレンとの結合を調べる実験から出てきた3種類の分子のうちの一つがLAG3で、免疫チェックポイントの標的が出てきて、おそらく著者も驚いただろう。
   ただ、LAG3は神経細胞に広く発現されている。そこで、この分子をノックアウトしたり、過剰発現させた細胞を用いて、LAG3とαシヌクレンの結合によりαシヌクレンのエンドゾームへの移行が起こることを突き止める。
   さらに、この移行により、病的凝集αシヌクレンが神経から神経へと伝達され、LAG3が欠損すると、この過程が強く抑制されることを示している。
  次に、LAG3ノックアウトマウスを用いて、LAG3がないとαシヌクレンの凝集は確実に低下し、強くはないが脳細胞死が低下し、バーを登るテストやしがみつく力では著明な改善が見られることを示している。
   最後に、LAG3に対する抗体を用いて培養細胞でのαシヌクレン取り込みを防げるか調べ、抗体に効果があることも示している。
   意外な分子がパーキンソン病に関わっているという結果で、本当かどうかさらに検討が必要だ。また、これ以外にもαシヌクレンに結合する分子が見つかっているので、これらの分子の病理過程への寄与も調べる必要がある。ただ、LAG3の機能を抑制する治療薬はすでに開発され、治験段階にある。知る限りではLAG3-Igキメラ分子の安全性は第1相試験で確認されている。この点で、この研究はパーキンソン患者さんには朗報となる可能性がある。早く治験が進むことを願う。
カテゴリ:論文ウォッチ

9月30日:MECP2の作用機序(Nature Neuroscienceオンライン版掲載論文)

2016年9月30日
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   私たちのNPO(AASJ)は、患者さんとの連帯を掲げてはいるものの、私自身のことを考えると、下り坂の体力を使って何らかの貢献をすることは難しいし、もちろん財力もない。また現役を完全に退いているので、研究を通しての貢献は言うに及ばず、「お上」とのコネも全くない。唯一できることは、患者さんの求めに応じて知識を集めてくることだ。3年これをやってみると、この点についてはだいぶ自信が出てきた。どんな病気でも、研究の現状について知りたいと思われる患者さんや家族の方は、遠慮なく連絡していただきたいと思う。
   様々な病気の知識を集めていて、個人的興味を惹かれる病気があることがわかる。そのうちの一つがMECP2の欠損(RETT症候群)とMECP2重複症だ。というのも、メチル化DNAに結合する以外にほとんど機能解析が進んでいなかったこの分子の機能が、病気の解析を通して進展し、またその進展が病気の理解や治療研究にフィードバックされるといういい循環が見られるからだ。また、非特異的な転写調節分子に見えるMECP2が、かなり特異的な過程に効いている点も、発生学にとって重要に思える。
   文献検索システムでMECP2を検索すると、9月だけで20近い論文が出ているのも、多くの研究者がこの分子に惹かれている証拠だと思っている。もちろん、ハッとする様な研究が目白押しというわけではないが、基礎的にも臨床的にも研究者の関心は高い様だ。
   今日紹介するテキサス大学、サウスウェスタン医療センターからの論文は、MECP2を中心に様々な研究が再構成されつつあることを示す典型で、Nature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルは「MECP2 and histone deacetylase 1 and 2 in dorsal striatum collectively suppress repetitive behaviors(線条体背側に発現するMECP2とヒストン脱アセチル化酵素(hdac1とhdac2)は反復行動を抑制する)」だ。
   MECP2がHDACと相互作用することが知られていたが、MECP2異常による症状がHDACの発現異常でも起こるかどうかはわかっていなかった。この研究では幾つかの予備実験の後(この結果も示されているが割愛する)、ヒストン脱メチル化酵素hdac1とhdac2両方の遺伝子を線条体でノックアウトすると、セロトニン分泌低下でも起こるのと同様のマウスの毛づくろいの頻度が上昇することを発見している。
    次に、hdac1&2欠損マウスで興奮性シナプスの裏打ちタンパクの一つSapap3の発現が低下すること、そしてこの分子が欠損するとやはり毛づくろいの頻度が上がることを確認している。
   MECP2欠損マウスでも毛づくろい行動の上昇が見られることから、hdacからSapap3の経路にMECP2が関わると当たりをつけ、Sapap3の遺伝子発現を調節する遺伝子領域にMECP2が結合すること、そしてSapap3遺伝子を線条体に導入することで、MECP2欠損による毛づくろい行動異常が治ることを示している。
  論文としては、最初からhdac,Sapap3,MECP2の三者が関連するというストーリーがあったように思えるが、MECP2と特異的な分子を結びつけた点では、病気の理解に重要な一歩になると思う。
   この様な論文を見ていて思うのだが、MECP2欠損マウスを調べるなら、どうして MECP2c重複マウスをついでに調べないのかという点だ。特に、Sapap3が重複症でどうなっているかはMECP2研究上も、病気の理解の上でもとても重要な実験だと思う。簡単な実験だから、早く結果が出てくることを期待する。
カテゴリ:論文ウォッチ

9月29日:農家で育つとアレルギーになりにくい(Thoraxオンライン版掲載論文)

2016年9月29日
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    専門的な論文紹介が続いたので、今回は一般の人にもわかりやすい論文を選んだ。
我が国を始め、多くの先進国では戦後急速にアトピーや喘息などのアレルギー性疾患が増加している。この原因として、都会の清潔な環境で子供が育つ様になり、早い機会にアレルゲンに暴露されないためであると考える研究者が多い。さらに、腸内細菌叢の多様性の低下もアレルギーの増加に寄与すると指摘されている。この二つの可能性が示すことは、要するに「衛生的な環境」で子供時代を過ごすことの危険性だ。
   今日紹介するオーストラリアを中心にした国際共同論文は、都会と農村の暮らしの違いが、この「衛生的な環境」の違いを反映しているかどうか調べた研究で胸部疾患の臨床誌Thoraxオンライン版に掲載された。タイトルは「The effects of growing up on a farm on adult lung function and allergic phenotypes : an international population-based study(田舎で育つことの成人の肺機能とアレルギー形質に及ぼす影響:集団調査研究)」だ。
   この研究はヨーロッパとオーストラリア22カ国からリクルートされ、現在コホート研究の対象になっている成人にアンケート調査を行い、1)農家、2)小さな町及び郊外、3)都会、のいずれで5歳まで育ったかを調べている。予想通り、農家で育つ率は先進国で低く9、2%にとどまっている。
   次に、この中からサンプリングした人たちに肺機能検査、メタコリンによる喘息誘発試験、皮膚のアトピー検査などを行い、成長した環境と、成人になってからのアレルギー罹患率、及び肺機能との相関を調べている。
   答えは期待通りで、都会、郊外、農家についてみると、気管支過敏性:18%16%,12%、アトピー全般:38%,31%,18%、喘息罹患率:6.1%, 5.5%, 4.4%、鼻アレルギー:36%,32%,25%と、いずれも農家で育った方がはるかにアレルギーの罹患率が低い。ただ、肺機能検査で見ると3者に大きな差はない。
   アレルギー全体のリスクをオッズ比として計算して国別に調べても、都会と比べ農家暮らしはほとんどの国で明確に低い。   以上の結果から、農家で育つことは間違いなくアレルギーを防止することが結論される。おそらく、これは以前紹介した指しゃぶりはアトピーを防ぐことを示した研究に近い結果だと言える(http://aasj.jp/news/watch/5506)。
  原因として、農家暮らしの方が早くからアレルゲンに暴露されるからと考えられるが、新生児期に皮膚のバリアーが壊れると、抗原が入ってアトピーになりやすいことも知られている。したがって、皮膚からではなく、消化管を通してどれほど多くのアレルゲンを経験できるかが、アトピーを防ぐ鍵になる様だ。さらに詳しい検査により、原因を特定して欲しいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

9月28日:エピジェネティック操作II (9月22日号Cell掲載論文)

2016年9月28日
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   昨日Jaenisch研から発表された部位特異的DNAメチル化を操作する方法を紹介した。後で雑誌を眺めていたら、我が国からも群馬大学のグループがNature Biotechnologyに、様々な酵素を特定の部位に送り込むため開発されたTagをつけたCas9を用いて、Tet1をリクルートすると部位特異的脱メチル化が誘導できることを報告していた。発生学者に夢を持たせるという点では、まだまだJaenischが一枚も二枚も上だが、負けずに頑張ってほしいと期待する。
   しかし部位特異的にDNAメチル化を操作するだけでは、完全なエピジェネティック操作とは言えない。クロマチンのもう一つの構成成分ヒストン修飾も自由に操作する方法が必要になる。これができると、核移植や山中因子によるリプログラミングも、試験管内での分化誘導=プログラミングも、極端に言えば必要なくなる。要するに目的の細胞と同じクロマチン構造を再現すればいい。このための小さな一歩が、今日紹介するイタリアサン・ラファエロ大学からの論文だ。タイトルは「Inheritable silencing of endogenous genes by hit-and-run targeted epigenetic editing (ヒットエンドラン型エピジェネティック編集により内在遺伝子の発現を世代を超えて抑制する)」だ。
   この研究の目的は単純で、エピジェネティック操作により、発現遺伝子を不活化する方法の開発を目指している。
  最初からCas9やTALEの代わりに、エピジェネティック操作に使う分子をリクルートできるようにした遺伝子領域とGFP遺伝子をセットにした遺伝子カセットを挿入した細胞を準備し、このGFP分子の発現を不活化するために必要な分子を探索している。
   まずゲノムに飛び込んだレトロウイルスのプロモーターを不活化するメカニズムを参考にDNAメチル化酵素Dnmt3aとヒストンをK4メチル型からK9メチル型に書き換える引き金になるKRAB分子を使って、発現抑制を調べている。KRABをリクルートするとすぐに遺伝子発現を抑制できるが長続きしない。一方Dnmt3aだけでは遺伝子抑制に100日以上時間がかかる。このメカニズムは面白いのだが、この研究では深入りせず、両方の分子を短い時間だけ同時にリクルートする実験を行い、見事に永続的に遺伝子を不活化することに成功している。
   ただ、この方法で不活化できるのは一部のゲノム領域にとどまるので、次にどの部位でも不活化する方法の開発を目指しこの二つの分子と組み合わせる分子を探索している。幾つかの候補分子を調べた結果、Dnmt3aとの相互作用を通してその活性を高め、さらにヒストン脱アセチル化酵素とも相互作用するDnmt3Lを組み合わせると、ほとんどの遺伝子領域を不活化できることを示している。
   次にこの結果をモデル遺伝子ではなく、細胞に内在する遺伝子で確かめるため、Cas9やTALEを用いて3種類の分子を不活化したい遺伝子領域にリクルートし、一時的に3種の分子が標的部位に集まることで、高い発現を示すほとんどの遺伝子の発現を抑制できることを示している。
   不活化部位のヒストンやDNAを調べると、H3K4me3型から H3K9me3型にヒストン標識が変化するとともに、転写開始部位のDNAがほぼ完璧にメチル化しており、クロマチン構造がオフ型に書き換わったことを確認している。
   最後にこうして変換したクロマチン構造は、外界からの刺激によっても安定に維持されることも示している。
   以上が主な結果だが、この研究のとりあえずの標的は、エピジェネティック編集による、遺伝子自体は変化させない新しい治療法開発だろう。MECP2重複症のように余分に遺伝子が発現している場合、かなり有望な方法に思える。
   しかしよく読むと、この論文は、これまでゲノム操作とエピゲノム解読を組み合わせて行ってきたエピジェネティック機構の研究分野に、ヒストンも含めたエピジェネティック標識の操作を持ち込んだという点で、新しい方向性を示す転換点になっていることがわかる。まだまだ、細胞の持つ力を借りてのエピジェネティック編集と言わざるを得ないが、今後急速にエピゲノムの人為操作部分が高まるだろう。
   最初に述べたように、エピジェネティック研究が変わるということは発生学が変わるということだ。
  そして、エピジェネティック編集も疾患治療分野の期待を集めること間違いない。
   最後にもう一度強調すると、CRISPR/CasもTALEも決して「遺伝子」編集にとどまらないことを銘記すべきだろう。
カテゴリ:論文ウォッチ

9月27日:エピジェネティックス操作:発生学の夢(9月22日号Cell掲載論文)

2016年9月27日
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    リンパ球のような例外を除いて、発生過程でゲノムが変化することはない。50年前にウォディントンが見抜いたように、すべてエピジェネティック過程だ。一方、現代分子発生学は、ゲノムを変化させる遺伝学と共に歩んできた。ショウジョウバエを用いた突然変異研究、遺伝子導入によるゲノム改変、そして遺伝子ノックアウト技術を用いた発生研究がそうだ。本来は全く違う学問、すなわち「違い」を研究する遺伝学と、過程の「同一性」を研究する発生学の密接な協力関係の成功は、ともすると発生学本来の思想を研究者に忘れさせてしまったことも確かだ。この背景には、細胞や個体レベルでエピジェネティックス過程を操作する方法が、核移殖やiPS以外に存在しなかったことがあるが、ゲノム各領域のクロマチン構造を自由に操作して細胞を思った方向に変化させることは発生学者の夢だった。
   これが現実のものになったことを示す2編の論文が9月22日発行のCellに掲載されたので今日、明日と紹介したいと思っている。最初の論文はMITのJaenisch研からの論文でゲノム各領域のDNAメチル化・脱メチル化操作についての論文だ。タイトルは「Editing DNA methylation in the mammalian genome(哺乳動物ゲノムのDNAメチル化を編集する)」だ。
   CRISPR/Cas技術が登場した時から、ついにエピジェネティックス操作が可能になると期待していたが、熾烈な競争の中でDNAメチル化操作については大本命のJaenischから論文が出たのは納得だ。実際、彼はTALEを使ってDNAメチル化操作にチャレンジしており、すべての準備ができていたのだろう。
  方法は、DNA切断活性を亡くしたCas9にDNAメチル化酵素Dnmt3、あるいはメチル化DNAを水酸化して最終的に脱メチル化をするTet1を結合させ、これをガイドRNAで目的の領域にリクルートし、その場所のメチル化・脱メチル化を行う方法だ。
   実験ではES細胞を使って、この方法で特定のゲノム領域のメチル化・脱メチル化を操作できること、そしてこれまで彼らが確立してきたTALEを使う方法に比べてCas9では特性がダントツに優れていることを示している。
  この後、実際にこの方法を試す実験が続くが、これに選んだモデルはJaenischがDNAメチル化について最も知識のある研究者であることを如実に語っている。
   最初に、成熟後、神経の増殖を押さえるメカニズムとしてメチル化されている神経増殖因子のプロモーター部位を、Tet1-Cas9で脱メチル化する実験を行い、増殖しない神経細胞で狙った部位のDNAを脱メチル化できることを示している。
   次に選んだのが、プログラミング研究の最初、H.Weintraubが用いたMyoDによる線維芽細胞から筋細胞への分化の系で、この場合はプロモーターから離れたところに位置するエンハンサー特異的に脱メチル化を誘導し、MyoDを発現させることができること。ただ、これだけでは筋肉分化が起こらず、他の部位の脱メチル化が合わさることが必要であることなどが示されている。
   次がクロマチンの離れた部位同士の相互作用を調節しているCTCF結合部位をメチル化することで、エンハンサーの働きが他の遺伝子に拡大するかどうか調べている。クロマチン構造については以前書いた記事を参考にして欲しいが(http://aasj.jp/news/watch/3533)、この実験から染色体の3次元構造も意のままに操作できる時代が来るのではないかと期待させる結果だ。
   最後はメチル化によりインプリンティングされている遺伝子を標的にする実験を行い、細胞レベルだけでなく、生きたマウスの脳細胞でDNA脱メチル化が可能であることを示している。
   具体的なデータは、チャンピオンデータが提出されているなといった感を持たないわけではないが、それでも発生学者の夢が現実になりつつあることを実感する。iPSもクローニングも、最終的にはこの技術で置きかわるだろう。ウォディントンのエピジェネティックランドスケープにはただ上から下へ流れる川があるだけだが、ついに川の流れが操作できるようになった。
   余談になるが、我が国では学者もメディアも、遺伝子編集としか考えないCRISPR/Casが、遺伝学だけのツールではないことも実感する研究だ。この広がりを考えると、今年もこの技術はノーベル賞第一候補だろう。
カテゴリ:論文ウォッチ

9月26日:脳画像の変化を集めるコホート研究(Nature Neuroscience オンライン版掲載論文)

2016年9月26日
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    MRI脳画像は、現在多くの神経系疾患で、信頼の置ける重要な検査の位置を占めるようになってきた。それでも、アルツハイマー病をはじめとして、初期段階の変化を把握して診断するのは難しい。
   幸い、画像取得については、機能MRI、テンソルMRI、T1強調画像、T2強調画像、SWIなどと続々新たな方法が開発され、例えば微小梗塞などの変化を高感度に検出できるようになった。したがって、次の段階はこの画像と、ゲノムを含む他の身体に関わるデータを統合して対象を追い続けるコホート研究を進め、疾患発症までの脳画像データベースを作ることが重要になる。この認識のもと、21世紀に入ってからドイツ、オランダ、英国で脳画像を経時的に集めるコホート研究が発足し、今も続いている。
   今日紹介する英国オックスフォード大学からの論文は、現在も発展途上の英国コホートに関する経過報告でNature Neuroscienceオンライン版に掲載された。タイトルは「Multimodal population brain imaging in the UK biobank prospective epidemiological study(英国前向き疫学研究バイオバンクで追跡中の集団について様々な方法で撮影した脳画像)」だ。    すでに述べたようにこの論文は中間報告で、明確な結論があるというより、画像を含めたデータベースをどう構築するかについての様々なヒントを提供することが重要なポイントになっている。UKバイオバンクは健常人50万人のゲノムを含む高度な身体情報、医療情報を集め、将来にわたって疾患の発症などを追跡するコホート研究だ。英国は医療が完全登録制であるため、医療レコードとの連結が容易な点がこのコホートの特徴になっている。この枠内で、今年から10万人を目指したMRI画像を集める計画が公的支援で走り出した。すなわち、バイオバンクが時間とともに発展している。この中から2022年には1800人、計画が終了する2027年には8000人のアルツハイマー病が発症すると考えられており、大変だが極めて説得力のあるプロジェクトだ。
  ただ言うは易く、行うは難しで、10万人の画像を一定のマニュアルに従って取り続けるのは並大抵でない。この研究では、この目的のためのMRIを週七日休みなしに稼働するセンターを3箇所作り、これに対応している。さらに画像取得も徹底しており、通常のMRIだけでなく、機能MRI、拡散MRI、T1強調、T2強調、SWI画像を全て取得している。また、これを時間ロスなく進めるためのマニュアルを作成している。絵に描いた計画とはいえ、微に入り細に入り計画が策定されている。
   さらに難関は、画像解析だ。一回のデータ量は2Gに達する。現在もなお画像診断というと自動化からほどとおい。しかし10万人の画像となると、全く異次元のデータ処理技術が必要になる。この点については時間を変えて画像をとることで見られる変化をまず解析の中心において処理を行っているが、今後新しいインフォーマティックスが生まれれば、それを適用していくだろう。
  あとはこれまでに得られたデータから、肥満と喫煙の脳白質への影響と認知機能との相関などが示されているが、結論についてはもっと時間を待ったほうがいいだろう。この論文のポイントは、英国バイオバンクはさらに新しい分野を加えて発展し、情報処理技術開発の種になっているという点だ。要するに、最初からよく計画された画像データのコホート研究が英国でスタートし、ここから得られるデータは新しいインフォーマティックスを必要とするビッグデータになり、医療にとどまらない新しい科学技術分野へと発展するという壮大な計画についての論文だ。そして、大きな助成金が必要な計画を作るときの徹底性について本当によく学ぶことができる論文だ。
   翻って我が国を見ると、政府も鳴り物入りでビッグデータ解析技術が新しい産業の基礎であると推進しているが、肝心の革新的技術の開発を待つ質の高いデータなしに、革新的情報処理技術など生まれるはずがない。J-ADNIや東北メディカル・メガバンクなど確かに鳴り物入りの研究がスタートしたが、画像とゲノムは統合されないまま進んでいるし、満期を迎える前から再編成や縮小されても、発展させるという構想が見えてこない。実際、官制データベースでダイナミックに発展を続けている組織はあるのだろうか。助成金カット、縮小、再編、消失のコースをとった計画が多いのではないだろうか。このままだと、携帯電話と同じで、我が国のゲノム研究も、コホート研究も、5年経てばもう取り返しのつかないガラパゴス化の憂き目に遭っているような気がする。
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