5月26日:mTOR阻害剤:一兎より二兎を追え(Natureオンライン版掲載論文)
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5月26日:mTOR阻害剤:一兎より二兎を追え(Natureオンライン版掲載論文)

2016年5月26日
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   セリン/スレオニンキナーゼの一つmTORは、様々なシグナル伝達経路と関係しており、一種のシグナル中継のハブとして多くの細胞の増殖や代謝に関わる重要な分子だ。正常の細胞で働いていても、一般の抗がん剤と同じで、増殖性の強いガンに対する薬剤になる。実際mTOR阻害剤が開発され、乳がんや腎癌に使われている。ただ例に漏れず、mTOR阻害剤も一定期間の後必ず薬剤耐性のがん細胞が現れ、効果が失われる。
  今日紹介する米国スローンケッタリングガン研究所からの論文は、薬剤耐性がん細胞の出現を抑えるため、あまりに素朴で驚くアイデアを実現した研究でNatureのオンライン版に掲載された。タイトルは「Overcoming mTOR resistance mutations with a new generation mTOR inhibitor (新世代mTOR阻害剤で薬剤耐性突然変異を克服する)」だ。
  現在使われているmTOR阻害剤には2種類あり、一つはFKB12との結合部位(FRB)を阻害する分子でラパマイシンがその一つだ。もう一つはキナーゼ部分の阻害剤でAZD8055だ。
   この研究では、乳がん細胞をそれぞれの薬剤とともに長期間培養し、耐性を獲得したクローンのmTOR遺伝子配列を解析し、耐性獲得に必要な突然変異を特定している。期待通り、ラパマイシン耐性の場合はFRBに、AZD8055耐性の場合はキナーゼ部位に突然変異が起こっていることを確認される。また、同じ突然変異が治療前のがん細胞に存在することも確認している。すなわち多くの薬剤耐性細胞は、治療前から存在していることになる。
   そこで思いついたのが、最初からそれぞれの部位を阻害してしまえば、ほぼ全てのガンを叩けるのではというアイデアだ。最初から二つの薬を併用するのも考えられるが、mTOR構造解析をすると、両部位は近くにあってポケットを作っている。すなわち、両方の薬剤を結合させてポケットに突っ込んだほうが高い親和性が出ると予想できる。すなわち、最初からラパマイシンとキナーゼ阻害剤を繋いだ2兎を追う薬剤を利用すれば、最初から存在する耐性ガンも含め、全てのガンを高い効率で叩くことができると期待される。
  研究では、二つの薬剤をリンカーで結合させた薬剤RapaLinkを合成し、それぞれの薬剤に耐性を獲得した細胞の感受性を調べている。結果は期待通り、それぞれの薬剤に耐性を獲得したがん細胞を、比較的低い濃度のRAPA-Linkで全て殺すことができている。すなわち両方の薬を別々に投与するより、最初から結合させて使ったほうが、多くの種類のがん細胞を、高い効率で殺せるという結論だ。
   臨床に使うためには、もちろん新しい薬剤として治験を行う必要があるが、素人考えでは、よりmTOR特異的になり、また活性も高いと思える。ただ、逆に正常の細胞への影響も強くなるような気もするが、期待して見守りたい。
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5月25日:心筋梗塞を防ぐ突然変異(5月23日号The New England Journal of Medicine掲載論文)

2016年5月25日
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    アイスランドの国民と契約し、全国レベルでGWASゲノム解析を進め、疾患と相関する様々なSNPを明らかにしてきたdeCode社は最近アムジェンに買収されたが、研究レベルでは現在もdeCodeとして元気に活躍している。特にこれまで集めたDNA チップを用いたデータと国民規模の健康データに、全ゲノム遺伝子配列解析が加わり始め、通常研究が難しい生活習慣に関わる遺伝子多型を発見することが可能になってきている。
   今日紹介する論文はその典型で、心筋梗塞を防ぐ遺伝子変異を発見した研究で5月23日号のThe New England Journal of Medicineに掲載された。タイトルは「Variant ASGR1 associated with reduced risk of coronary artery disease (冠動脈疾患リスク低下と相関するASGR1変異)」だ。
   deCodeは血中のコレステロール値と相関するSNPを多く発見してきているが、今回は心筋梗塞リスクとの相関性が特に高いnon HDLコレステロール値と相関する遺伝子座に注目し、まず17番染色体上の7つのSNPを特定、その中の低いnon HDL値と相関する0.4%程度の頻度の遺伝子座に焦点を当てて研究を行っている。
   この遺伝子座について全ゲノム配列解読を行い、シアル化されていない糖蛋白を補足し細胞内へ取り込む受容体遺伝子ASGR1遺伝子の4番目のエクソンに12塩基の欠失が入ると、non HDLを低下させることを明らかにしている。さらに、同じ欠失がデンマークやオランダ人にも存在し、やはりnon HDLを下げる効果があることを明らかにしている。この欠失はRNAスプライシング部位をずらせて、それに伴いASGR1分子機能も消失する。これらの結果から、ASGR1遺伝子が片方の染色体で欠失して量が減るとnon HDLが低下すると結論できる。この研究ではさらに、4塩基の挿入による同じ遺伝子の機能喪失でもnon HDLが低下することを示し、ASGR1分子機能低下とnon HDLの低下に因果関係があることを確認している。
  最後に、心筋梗塞の発生率をこのASGR1遺伝子座を持つ人と対照群で比べると、男女ともこの遺伝子座を持つ場合に心筋梗塞のリスクが優位に低下している。すなわち、ASGR1遺伝子の活性が適当に低下したほうが、心筋梗塞になりにくいと言える。原因については、ASGR1の量が減ることで、肝細胞内のLDL受容体リサイクル過程が影響を受け、non HDLの肝細胞への吸収が変化すると説明している。
   これまで疾患や様々な検査値と相関する数多くの遺伝子変異が報告されたが、それぞれの変異と疾患の納得いく因果関係を示すには、大規模で地道な研究が必要なことを論文を読んで改めて認識した。
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5月24日:究極のテーラーメードガン治療(Scienceオンライン版掲載論文)

2016年5月24日
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大人のガンの多くではアミノ酸配列が変化する多くの突然変異が蓄積しており、そのうちの幾つかは「ガン特異抗原」としてガンに対する免疫反応を誘導していることが知られている。この免疫反応をさらに高めるのが免疫チェックポイント抑制治療だが、この治療が2割程度の患者にしか効果がないという事実は、ガン特異的抗原が存在していても、ガン患者さんでは免疫が成立できていないことを示している。この問題の一つの解決として、ガンのゲノム解析から多くの特異抗原を特定し、それをワクチンとして積極的に免疫する治療が試みられており、ここでも紹介した(http://aasj.jp/news/watch/3176)。
  今日紹介するノルウェー・オスロ大学からの論文は、他人のT細胞を使ってガン特異的抗原に対する反応を誘導し、その細胞から抗原に反応している受容体遺伝子を取り出し、ガン患者さんのT細胞に導入してガンを叩くという、さらに先を行く究極のテーラーメード医療で5月19日にScienceオンラン版に掲載された。タイトルは「Targeting of cancer neoantigens with donor-derived T cell receptor repertoires (第3者のT細胞から取り出したT細胞受容体を使ってガンのネオ抗原を叩く)」だ。
   研究ではまずステージIVのメラノーマの遺伝子解析から計算される126種類のガン特異的抗原(ネオ抗原)から、HLA抗原と特に反応が強いと思われるペプチド20種類を選び、患者以外の人から採取したT細胞がこの抗原に反応するか調べている。この結果、1/4に当たる5ペプチドで反応がみられている。次に反応性のT細胞クローンを樹立して特異性や、ガンに対するキラー活性などを調べ、2つのペプチド抗原に対するキラーT細胞クローンを選んでいる。同じことを他のメラノーマ患者でも繰り返し、ほぼ期待通り患者以外の末梢血から、ガン特異的T細胞クローンが樹立できることを確認している。
   次はこのクローンからT細胞受容体遺伝子を単離し、患者さんのT細胞に導入して、高い成功率でガン特異的反応を付与できることを示している。最後に一部のペプチドがネオ抗原になり、他は抗原性がないのはなぜかについても調べ、ネオ抗原になりうるペプチドは細胞内での安定性が高いことを明らかにしている。もしこの性質をコンピューター上で予測できるようになれば、より高い確率でガンを殺す活性の高いT細胞を得ることができるだろう。
   以上をまとめると、抗がん剤の投与やガンの直接の影響でガンに対する免疫反応が安定しない患者さんの代わりに、第3者の末梢血からネオ抗原特異的キラーT細胞を誘導し、このT細胞受容体を患者さんのT細胞に導入してガンを叩く治療が夢物語でないことをこの研究は示している。ただこのためには、ガンのエクソーム解析、ガンに合わせたネオ抗原の特定、ネオ抗原に対するT細胞クローンの樹立とその抗原受容体遺伝子の単離、受容体遺伝子の患者T細胞への導入と移植が必要だ。このプロセス全部を大至急でやっても、半年はかかるような気がするし、これを厳しい安全性規制のもとで行えば、そのコストはかなりの額になるだろう。大富豪なら当然チャレンジすると思うが、一般の医療に仕上げるためにどこを改良してコストを下げられるのか、プレシジョンメディシンが大富豪のものでないことを示すためにも、研究は新しい段階に進む必要があるだろう。
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5月23日:1型糖尿病を引き起こすT細胞と抗原(The Journal of Clinical Investigation掲載論文+The BMJ Open6月号掲載論文)

2016年5月23日
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 1型糖尿病は一種の自己免疫疾患で、自己の膵臓β細胞を攻撃するT細胞によりベータ細胞が破壊されることで起こる。多くは児童期からの発症で、遺伝的要因も含む様々な要因が重なって起こる。とは言っても、家族発症がはっきりした例を除き、私がこれまで知る限り、発症リスクを遺伝的に特定できるには至っていない。しかしこの病気のエフェクターがβ細胞障害性のT細胞の発生であり、T細胞レセプター(TcR)の抗原特異性に体細胞突然変異が寄与できることを考えると、ある程度偶然が支配することは当然と言える。代わりに、ウイルスや細菌感染がこのような自己免疫疾患のトリガーとなっているのではないかという研究が昔から行われている。すなわち、外来抗原により誘導されたエフェクターT細胞が自己抗原と交差反応を起こして自己免疫が起こるという考えだ。実際、私の知り合いが1型糖尿病にかかったときのことを経験してみると、ある日突然高血糖に気づくというケースが多く、感染症が引き金を引くことは十分考えられる。
   今日紹介するウェールズ・カーディフ大学からの論文は1型糖尿病患者から分離されたT細胞のTcRの交差反応性を調べた研究でThe Journal of Clinical Investigationオンライン版に掲載された。タイトルは「Hotspot autoimmune T cell receptor binding underlies pathogen and insulin peptide cross-reactivity (自己免疫性TcR結合のホットスポットが病原とインシュリンペプチドの交差反応性の基礎となっている)」だ。
   先に述べた理由で、本当に1型糖尿病を理解しようと思えば、その原因になっているTcRを詳しく調べるのが本道で、これにより遺伝的要因も逆に理解できるようになる。このグループはこれまでの研究でβ細胞のインシュリンペプチドに反応するT細胞クローン1E6を分離し、このTcRがインシュリンペプチドだけでなく、多くのペプチドと反応できることを見出していた。すなわち、TcRの中には自己抗原とともに多くの外来抗原に反応できる厄介なものが確かに存在することを見出していた。この研究は、これを可能にしている分子構造的基盤を明らかにしようとしており、自己抗原としてのインシュリンペプチドとともに、バクテリア由来のペプチドを含む8種類のペプチドと1E6 TcRとの反応の構造的基盤を調べている。
   結論を述べると、TcRの中には抗原特異性の融通が効くものがあり、今回調べた1E6 TcRでは3アミノ酸からなるペプチドの中核と強く結合(ホットスポット)してしまうと、残りの部位はどんな配列でも反応できることが構造的に示されている。重要なのは、調べられたペプチドのうち、自己免疫を引き起こしているペプチドは最も反応性が低いペプチドである点だ。すなわち、実際には感染で誘導された1E6が、親和性は低くともベータ細胞のインシュリンペプチドに反応して細胞を障害している順番を強く示唆している。さらに、人に感染できるウイルスゲノムデータを調べると、なんと50種類ものホットスポットと結合できる中核を持ったペプチドが存在する。これを考えると、小児発症、成人発症を問わず、感染症が引き金になるケースがかなり多いのではと考えられる。
   このような可能性をさらに実際のヒトで明らかにするには、一定のリスク要因のある健常人を長期に追跡する研究が必要になる。今日紹介するもう一報のミュンヘン・ヘルムホルツセンターからの論文はそのようなコホート研究が始まったことを報告した論文でThe BMJ Open6月号に掲載された。タイトルは「Capillary blood islet autoantibody screening for identifying pre-type 1 diabetes in the general population: design and initial results of the Fr1da study (1型糖尿病の前段階を捉えるための毛細管血液採取による膵島自己抗体スクリーニング:デザインと最初の結果)」だ。
   この研究ではドイツババリア州で、2−5歳児をリクルートし、まずキャピラリー採血を用いて3種類のβ細胞由来自己抗原に対する抗体の有無を調べ、陽性群を発病まで追跡する研究だ。この論文では最初のレポートとして、これまでリクルートできた26760人についての結果が示されている。調べた自己抗原のうち2種類以上に反応したのは105人で、そのうち再検査も陽性だったのが63人だった。このうち9%には耐糖検査が低下しており、2%は糖尿病発症と言える状態だったという結果だ。今後、この中からさらに患者さんが出てくるだろう。このような息の長い仕事の中から、初期に何が起こったのか、感染はあるのかが明らかになると思う。
   1型糖尿病で失われたβ細胞は細胞移植でしか戻らないが、病気を論理的に予防することも同じように重要だ。そのためには、TcRの研究から生まれた成果を、コホート研究に適用することが今後重要になると思う。
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5月22日:肝臓ガン発生のシグナル(Cancer Cell6月号発行予定論文)

2016年5月22日
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   rasを始め発がん遺伝子の多くは、細胞内シグナル伝達経路の異常を誘導する。では現在ガンのシグナル経路の研究が盛んかというと、私の印象ではそれほどでもないようだ。一つの原因は20世紀後半に重要なシグナル伝達経路が詳しく研究され、イメージング研究以外になかなか新しい切り口が見つからないことだ。これに加えて、ガンに関してはシグナル経路の特定だけでなく、その経路がガンに関わるかどうかの生物学的意味が問われるため、遺伝子改変を組み合わせる複雑な発がん実験が要求され、一つの研究をまとめるのに時間がかかるようになったこともある。
  今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文はそんな苦労を厭わず発がんのシグナル伝達経路に取り組んだ研究でCancer Cell 6月号に掲載予定だ。タイトルは「p62, upregulated during preneoplasia, induces hepatocellular carcinogensis by maintaining survival of stressesd HCC-initiating cells (ガン発生前に発現が上昇するp62はストレスにさらされた肝ガン幹細胞の生存を維持して発がんを誘導する)」だ。
   この研究はシグナル研究の大御所Michael Karinの研究室からの論文で、どんな困難があろうとシグナル研究の老舗を守ろうという意思が感じられる。Michael Karinは現在活躍中の多くの日本人研究者を育てたが、この論文にも筆頭著者を始め多くの日本人が著者になっている。この研究ではオートファジーの際にミトコンドリアにユビキチンシグナルを結合させるアダプター分子で、多くの肝ガンで発現が認められていた。しかしmTORC,Myc,TERTといった遺伝子と比べると、この発現上昇の意味は研究されてこなかった。この問題に膨大な実験をつみ重ねて挑戦したのがこの研究で、p62を誘導するシグナル分子、p62が関わるシグナル分子をコードする遺伝子改変マウスとp62遺伝子改変マウスを掛け合わせた発がん実験、あるいはp62をアデノウイルスベクターを用いて肝臓に導入する発がん実験を組み合わせて、p62が様々な原因による肝ガンに関わっていることを証明している。詳細を省いて結論を述べると、 1) p62は脂肪肝やウイルス感染による炎症によりオートファジー機能が弱まった肝細胞で誘導蓄積する、 2) 誘導されたp62はガン予備軍細胞のNRF2,mTORC1,c-Mycを誘導してガン化を促進する、 3) NRF2経路活性化は、活性酸素に対する耐性を獲得し、ガン予備軍細胞に様々な遺伝子変化が蓄積するのを助ける、 などが総合して、肝ガン発生につながるという研究だ。    さらにザクッとまとめると、ガンの周りの環境因子により誘導・蓄積したp62が、細胞自身の様々なシグナル経路のコオーディネーターとなって、環境とがん細胞をつなぎ、発がんが進むことを示した研究で、シグナル伝達経路を扱い慣れているグループならではの研究だと強い印象を持った。最後に人のガンでもp62発現が高いと再発が高いことなどを示しているが、診断よりはp62を抑えるか、p62の作用を抑える方法を発見することがこの研究成果を生かす道になるだろう。期待したい。
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5月21日:生命誕生の有機化学(5月13日号Science掲載論文)

2016年5月21日
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   現役を退いた後ぜひ理解したいと思ったのが、無生物から生物が誕生する過程だ。最初、生命誕生までの過程について自分が納得できる説明に到達できるか半信半疑だった。というより、ほとんど諦めていた。しかし、少しづつ文献を読みながら三年経つと、自分で納得できる、しかも実験可能で具体的な生命誕生のシナリオを描くことはそう難しいことでないと思うようになってきた。
   この私自身の理解が進化してきた過程を、顧問を勤めているJT生命誌研究館のホームページに「進化研究を覗く」(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/)として書き綴っている。特に2015年10月15日に書いた「ゲノムの発生学I」以降は(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000020.html)生命誕生に関わる論文や自分の考えを紹介しているので、生命誕生に興味のある方は是非読んでほしい。
   この「生命誕生を説明するのは難しくない」という確信をもとに、出張講義を頼まれている医学部学生への講義でもこの課題を取り上げ始めた。昨日皆さんのレポートが送られてきたので、どんな反応が得られたのか読むのが楽しみだ。
   生命誕生研究分野には、例えば分子生物学といった中核は存在せず、物理学、有機化学、情報理論、地球学など広い分野にわたっている。これが、この分野を研究したいという気持ちが萎える一つの原因だが、ほとんどカオスの状態から生命が誕生したことを考えると、当然の話だ。今日はその裾野で生体分子の化学合成に取り組むミュンヘン大学からの論文を紹介したい。この研究では、生命誕生前にATP,DNA,RNAの原料となるアデノシンが一回の反応で合成できる条件を探っている。タイトルは「A high yielding, strictly regionselective prebiotic purine nucleoside formation pathway (高収量で部位選択的な生命誕生前のプリンヌクレオシド合成経路)」で、5月13日号のScienceに掲載された。
  熱水噴出孔の発見は生命に必要な有機化合物合成についての考え方を大きく変化させ、炭酸ガス、水素、アンモニアなどから、アセトンやメタンといった単純な有機物が作られることはこの分野では自明の事実になっている(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000022.html)。このため現在では、より複雑な有機化合物が合成される過程を、重要な分子について説明していくことが研究の焦点になっている。
  例えば生命の情報とエネルギーに必須の分子、アデノシンは塩基と糖が結合したヌクレオシドにだが、生体では何段階にもわたる代謝経路に従って合成される。しかしこのような多段階の代謝経路は生命にしか存在せず、生命以前には単純な反応で合成しなければならない。これが可能かどうか研究が続いているが、もちろん研究人口は多くない。
  塩基の中でもプリンはより構造が複雑で、これまでOrgelグループによりアデノシンを合成する一つの反応経路が示されていたが、実際合成してみると、生まれる産物は多様で、目的アデノシンの収率が極端に悪かった。
   今日紹介する研究では、合成回路の理論的検討に基づき、シアン化アンモニウムから簡単に合成されるフォルミルアミノピリミジン(FaPy)を原料とすることでアデノシンの高収量の合成が可能ではないかと着想した (有機化学の専門家は経路を眺めているだけで頭の中で反応が進むようだが、悲しいかな素人にはこれを体験するのは難しい)。基本的にはFaPyから始めるという着想が全てで、後は様々な条件で(熱したり、結晶化させたり、pHを変えたり)反応させてアデノシンの収率を調べている。
   結論としては、FaPyからスタートすることで、生体のように他段階の反応経路を通らなくとも、一回の反応でアデニンを少なくとも20%以上の収量で合成できることを示している。しかも、利用した材料や条件は当時の地球に存在したと十分考えられる条件だ。これをリン酸化するのはそう難しくない。これで生命誕生以前の地球にとって、ATPも核酸も現実に近づいた。
 生命誕生研究の裾野は広いが、それぞれの裾野での研究は着実に進歩している。まだまだ研究人口は少ないが、これから野心的な若者の参加が期待できるように思える。この分なら、生きているうちに、生命合成の瞬間に出会えるかもしれない。
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5月20日:通説を調べてみる(The British Journal of Nutrition, 115:1616, & The Journal of Allergy and Clinical immunology オンライン版)

2016年5月20日
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   私たちは様々な通説に囲まれて生きている。子供の頃なんども耳にした「甘いものばかり食べたら虫歯になるよ」という、科学的根拠のある話から、「食べてすぐ横になると太る」と言った、誰が確かめたかわからない話まで、内容は多彩だ。今考えても、確かに横になると肝血流量が増えるので、何か影響が出そうだが、やはり統計的に確かめないと正しいかどうかわからない。問題は、いわゆる健康法や健康食品の多くはもっともらしい通説に頼っていることだ。どれを信じていいのか、結局科学的調査を待つしかない。
  今日最初に紹介する英国からの論文は、「遅い時間に夕飯をとると太る」という通説を調べた研究でThe British Journal of Nutrition 115:1616に掲載された。タイトルはズバリ「The timing of the evening meal:how is this associated with weight status in UK children(夕飯の時間:英国の児童にどのような影響があるのか?)」だ。
  研究では4−10歳の児童768人、11−18歳の児童852人に4日間食事日記をつけてもらい、8時以降に夕飯をとる児童と、それ以前にとる児童で肥満度を比べている。他にも栄養摂取量など詳しく調べているが、結論は夕飯が遅くとも、児童に関しての肥満度の差は確認できないことが明らかになった。
   もう一編のロンドン大学からの論文は水道の水に含まれるカルシウム濃度とアトピーの発生率を比べた論文で、The Journal of Allergy and Clinical Immunologyオンライン版に掲載された。タイトルは「The association between domestic water hardenss, chlorine and atopic dermatitiss in early life: a population-based cross sectional study(家庭の水道の硬質度や塩素濃度とアトピー性皮膚炎:地域別横断的研究)」だ。
  硬水を使っているとアトピーになりやすいという可能性は考えたことがなかったが、これまでも問題にされて来たようで、大人については我が国からの研究も発表されている。ただ、ひふのバリアーが完全でない乳児についてこれを調べた研究はなかったようだ。この研究では、1303人の3ヶ月児をリクルートし、診断基準に従ってアトピー性皮膚炎に罹患しているかどうか調べている。他にも、皮膚からの水分蒸発度を調べたりして、皮膚のバリアー機能を測定している。その上で、それぞれの住む地域の水道データから炭酸カルシウム濃度と塩素濃度を割り出し、アトピー性皮膚炎と水道水の硬度との関係を調べている。
   結論だが、この通説は正しいようで、水道水の炭酸カルシウム濃度や塩素濃度が高い地域では、アトピー性皮膚炎が優位に増加している。最近出産時にワセリンを塗ることでアトピーの発症を著明に抑えられることが報告され、乳児期に皮膚のバリアーを守ることの重要性が明らかになっている。その延長で考えると、硬水で体を洗うことで、知らず知らずのうちに皮膚のバリアーを壊しているのかもしれない。
   17世紀からの哲学を追いかけていると、イギリス経験論の実証性が大陸の哲学者に大きなインパクトを与えたことがよくわかる。この通説を信じず、自ら確かめる精神がイギリスには生きていることが、これらの論文を読んで改めて実感した。
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5月19日:変わった生物の進化(5月23日号Current Biology, 5月17日号Nature Communication)

2016年5月19日
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   現役の頃はもっぱらマウスを用いて実験を行っており、様々な動物についてあまり知る機会もなかった。しかし引退して分野を問わず論文を読むようになってからは、世界中には様々な変わった動物が存在し、その進化をなんとか説明しようとしてゲノムを調べている人たちがいることを知るとともに、このホームページでもできるだけ紹介していきたいと思っている。今日はそんな論文を2編紹介する。
  最初はポーランド・ワルシャワ大学とチェコ・カレル大学からの論文で、、ミトコンドリアを完全に失ったMonocercomonoidesと呼ばれるトリコモナスに近い真核生物がいることを証明した研究だ。タイトルは「A eukaryote without a mitochondrial organelle (ミトコンドリアのない真核生物)」だ。
   真核生物の特徴の一つはミトコンドリアを持っていることだが1980年、一部の真核生物はミトコンドリアを始め様々なオルガネラが欠損して、アルケアに近いと考えるArchezoa説が唱えられた。しかし、ミトコンドリア関連オルガネラの存在がみつかり、この説は形態的にもゲノム的にも間違っていることが証明されて、すべての真核生物はミトコンドリア、あるいはミトコンドリア関連オルガネラを持つという命題が受け入れられてきた。
   この研究ではMonocercomonoidesの全ゲノムを解読し、この生物にミトコンドリアはおろか、ミトコンドリアを特徴付ける分子がほぼ完全に欠損していることを明らかにした。すなわち、ミトコンドリアもミトコンドリア関連オルガネラも存在しない真核生物が存在しうることが示された。
   研究ではまず、Monocercomonoidesゲノム中に現存の真核生物のミトコンドリアに存在する分子の特徴を持つ分子が完全に欠損していることを確認している。その上で、エネルギー生産は嫌気的なグリコリシスで行われること、そして鉄硫黄タンパク質合成系のCIS経路は全く存在しない代わりに、原核生物の持つSUF系を導入して細胞質でFe-Sアッセンブリーを行っていることを明らかにしている。
  この結果から、Monocercomonoidesはもともとミトコンドリアを持つ完全な真核生物だったが、嫌気環境に適応してミトコンドリアを消失。同じ環境の多くの生物はFe-Sアッセンブリーのためにミトコンドリア関連分子を保持し、2重膜を持つミトコンドリア関連オルガネラを持つようになったが、Monocercomonoidesだけは原核生物から獲得したSUF系のおかげでミトコンドリア関連オルガネラも完全に消失することができたというシナリオだ。必要なくなればミトコンドリアといえども完全に消し去るのが生物だ。
   もう一編のタンザニア、ケニア、アメリカからの共同論文は進化研究の定番「キリンの首はなぜ長い?」についての研究で5月17日号のNature Communicationに掲載された。タイトルは「Giraffe genome sequence reveals clues to its unique morphology and physiology (キリンのゲノムはその特異な体型と生理の手がかりを与えてくれる)」だ。
   この定番ともいうべきキリンのゲノムがまだ解読されていなかったのは驚きだが、研究ではマサイキリンと首のまだ短い仲間オカピの全ゲノムを解読し、この疑問に答えようとしている。キリンとオカピは他の有蹄類から2800万年前に分離し、オカピとキリンは1100万年前に分離している。研究ではキリンへの進化で大きく変化した遺伝子を拾い出し、それぞれの分子の機能を調べ、形質の変化と対応させるという手法を用いている。
   結論としては、幾つかの鍵となる分子を中核として多くの遺伝子が並行に変化することでキリン特有の骨格が生まれるという常識的なものだ。ただこの中から変化の鍵として提示している分子は確かに面白い。骨格でいえばFGF受容体と拮抗する阻害分子FGFRL1が大きく変化している。FGFシグナルを阻害すると鶏の首が伸びること、あるいはこの突然変異で骨格の大きな変化が起こることが知られており、この分子の変化を皮切りに様々な分子が並行進化するというシナリオはわかりやすい。他にも、長い首の先にある頭に血液循環を維持するための血圧維持機構に関わる分子の変化が集積していたり、あるいはキリンで多くの染色体が融合した原因になったと考えられるMDC1分子の大きな変異の発見など、いろいろな課題を拾うことができている。
  ただ残念ながらゲノム解析ともっともらしいシナリオだけでは、トップジャーナルにゲノム研究を掲載するのが難しくなっている。今回得られた課題を遺伝子編集を用いてマウスに導入することで、首の長いマウスを作ることが要求されるだろう。
「首の長いマウスが生まれるのを首を長くして待とうと思っている」
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5月18日:スタチンは万能薬か?(米国アカデミー紀要オンライン版掲載論文)

2016年5月18日
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  病気になる前から、生活習慣病リスクの高い人に予防的に低用量の薬剤を長期間投与することが米国では真剣に検討されている。これまでその中心はアスピリンだったが、最近の論文では、高脂血症に使われるスタチンが、心臓発作による死亡を確実に低下させることがわかり、予防薬としての重要性が急速に増してきているように感じる。
   今日紹介する西オーストラリア大学からの論文もスタチンの多様な作用を示す研究で米国アカデミー紀要オンライン版に掲載された。タイトルは「Pravastatin ameliorates placental vascular defects, fetal growth, and cardiac function in a model of glucocorticoid excess (プラバスタチンはグルココルチコイド過剰モデルによる胎盤血管形成異常、胎児発育異常、心機能異常を軽減させる)」だ。
  1年もしない間に3Kg以上の細胞塊が形成される胎児発生では、胎盤と胎児の増殖を厳密に調節する必要がある。この増殖期から分化期へのスイッチに、胎児と胎盤でのグルココルチコイドの濃度上昇が関わることが知られている。したがって、増殖期の胎児胎盤のグルココルチコイド濃度は低く保たれる必要があり、この調節に母親からのグルココルチコイドを不活化する酵素HSD11b2が関わっている。
   このグループは増殖期のグルココルチコイドの影響をHSD11b2遺伝子ノックアウトマウスを用いて調べていた。この分子が欠損したマウスでは予想通り、臍帯血の血流が低下し、胎児発生が阻害される。この原因を調べていくと、胎児の心臓がまだ十分な大きさに達する前に分化が進んでしまうことがわかった。もちろん他にも様々な影響はあるが、グルココルチコイドの上昇による胎児発生異常の最も重要な原因が、心臓の発達異常にあると結論づけている。
   ここでスタチンを選んだ理由が私にもよくわからないが、唐突にスタチンでこの異常が防げないかという実験が行われる。マウス胎児発生6.5日目から17日目まで、メバロチンを母親に投与すると、驚くことにHSD11b2欠損マウスの胎児発生異常を予防することができた。すなわち胎児や胎盤の重さも正常化し、臍帯血の血流も正常化している。
  そしてグルココルチコイドで異常が起こった心臓の遺伝子発現のうち、アンジオテンシン転換酵素やコラーゲンの発現を正常化することがわかった。とはいえ、まったく影響を受けない遺伝子発現もあり、スタチンの効果のメカニズムの全像が分かったとは到底言えない。しかし、もともと妊娠時には避けなければならないとされているスタチンが、成長から分化へのスイッチの異常をなんとか取り繕っているという結果は面白い。結局メカニズムはよくわからないまま終わっている論文だが、現象の面白さで採択されたのだろう。
   このホームページでも、スタチンの意外な効果を紹介してきた。例えば多発性硬化症に対する効果がその例だが、理由は後にして、とりあえずスタチンの効果を調べてみても、バカにされないで済む時代がきているのではないかと思える。
   アスピリンと同じように、「困った時のスタチン」と言える安価な保健薬としてスタチンが定着するようになれば、ノーベル賞の声が聞こえるような気がする。
カテゴリ:論文ウォッチ

5月17日;ガン細胞を守る間質細胞(5月19日号Cell掲載論文)

2016年5月17日
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    現在多くのがんにシスプラチンなどの白金製剤が使われているが、薬剤耐性が出現しやすい。この耐性出現については、遺伝的変異、エピジェネティックス、薬剤のトランスポートなどの点から研究が進んでいるが、耐性を防ぐための治療の糸口が見えているわけではない。
   今日紹介するミシガン大学からの論文は白金製剤耐性が最も問題になる卵巣癌について、薬剤耐性が出現する過程を明らかにした論文で5月19日号のCellに掲載された。タイトルは「Effector T cells abrogate stroma-mediated chemoresistance in ovarian cancer(エフェクターT細胞は卵巣癌のストローマ依存性耐性を無効にする)」だ。
  研究手法はオーソドックスで一昔前の内容ばかりに見えるが、ともするとモデル動物や細胞株だけで終始するガンの薬剤耐性研究を、最初からガン患者さんから得られたサンプルを用いて行っている点で、臨床研究家の強い意志が見られる研究だ。
   手術で得られた卵巣癌と、ガンの周りの細胞を同時に免疫不全マウスに移植すると、シスプラチンに耐性になることがこの研究のきっかけだ。すなわち、ガンの周りのストローマ細胞が、シスプラチンからガンを守っている。そして、様々な実験を組み合わせて、 1) ガン周囲に集まるCD8陽性T細胞により、ストローマ細胞によるガンの保護作用を抑制することができる。この作用は、T細胞由来のγインターフェロンで置き換えられる。
2) 線維芽細胞によるガンの保護作用は、ガン内でのシスプラチン濃度上昇を抑制することが原因になっている。
3) これには線維芽細胞からガン細胞へ受け渡されるグルタチオンによってシスプラチンがキレートされることが原因になっている。
4) CD8陽性T細胞が分泌するインターフェロンは、ファイブロブラストでのシステイントランスポーターの転写を抑制し、グルタチオン産生を抑制することで、線維芽細胞のガン保護作用を無効にしている。
5) 卵巣癌では、ストローマ細胞の存在やCD8+T細胞の浸潤が、ガンの予後を決める。
を示している。
  すなわち、卵巣ガンの薬剤耐性は、ホストの解毒作用をうまく利用した結果ということになる。
   論文を読み進むと誰でも知りたいと思う卵巣癌の間質でのグルタチオン代謝と予後についての結果が分かるには、これから前向きの研究が必要で時間がかかるだろう。しかしこの研究が正しければ、シスチントランスポーターの機能を阻害するサラゾスルファピリジンの効果が期待されるし、なによりもインターフェロン投与も効果が期待できる。将来について著者らは免疫チェックポイント治療との併用を強調して、せっかく見つけた代謝経路を標的にすることに触れていないが、婦人科学教室も関わっているので、この点もぜひ調べて欲しいと思う。
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