一般的にはあまり知られていないが、膵臓ガンを語るときに忘れてならないのが、ガンの発生場所に起こる複雑で強い間質反応だ。間質反応とは、ガンの周りに線維芽細胞が増殖し、コラーゲンが分泌され、その中に様々な炎症細胞や血管が複雑に絡み合った構造ができることを意味する。
他のガンでもガンが浸潤すると多かれ少なかれ間質反応は起こってくるのだが、膵臓癌では特に強い。その結果組織手術ができず、バイオプシーで診断する場合、腫瘍内から採取された組織にガンが見つからないことすらある。また間質反応が強いと、多くのエネルギーを消費する悪性のガンも、実際には血流に乏しい低酸素状態にさらされているのではと考えられている。また、血流が悪いと薬剤の浸透も悪くなる。さらには、間質の反応によりガン免疫を抑える抑制性T細胞の浸潤が増え、ガン免疫が働きにくいことを示す論文も多く発表されている。
これらの事実は膵臓ガンの悪性度を含む様々な性質は、間質を除いて考えることは難しいことを示している。
事実、膵臓ガン組織のガンと間質を一つの単位として遺伝子発現を調べることで膵臓ガンを、1)扁平上皮型、2)成熟型、3)未熟型、4)免疫細胞型の4型に分類でき、扁平上皮型が最も悪性度が高いことが最近報告された(Bailey et al, Nature 531:47, 2016)。面白いのは、変異遺伝子の発現からだけではこのような分類が不可能なことで、膵臓ガンの間質の重要性を物語る。
「膵臓ガンは進行性」+「膵臓ガンは間質反応が強い」の2つの性質を単純に足し算して間質反応が膵臓ガンを悪性にさせているという考えが長く通説になっていた。事実間質反応の強さが膵臓ガンの予後を決めているというコホート研究成果も発表されている(Erkan et al, Clin Gastroenterol. Hepatol. 6:1155, 2008)。従って、膵臓ガンの制御にはガン自体だけでなく間質反応を制御する必要があると考えられ、研究が続いている。
最近の例を紹介すると、膵臓ガンの間質には強くビタミンD受容体が発現しており、ビタミンD受容体刺激剤を注射すると、ガンの周りの炎症と、間質反応が強く抑制され、その結果薬剤がガンに取り込まれ、ガンの化学療法の効き目が高まることがソーク研究所から報告されている(Sherman et al, Cell, 80. 2014)。
またワシントン大学のグループは膵臓ガンの動物モデルで、ガン組織ではFAKと呼ばれる細胞と間質との相互作用を調節する分子の発現が間質反応とよく相関し、この分子をVS-4718と呼ばれるキナーゼ阻害剤で抑制すると、薬剤の効果が高まり、なんと今はやりのチェックポイント治療ではほぼ完全にガンを消滅させられることを報告している(Jiang et al, Nat Med, 22:851, 2016)。
ここで紹介した薬剤は明日からでも使える薬剤で、私見だが十分考慮に値すると思える。
ところが最近、ガンの間質反応が必ずしも悪い効果だけでないことを示唆する論文が相次いで報告された。
最初の論文では膵臓ガンが分泌するShhが間質反応の引き金役であるという発見に基づいて、この分子を欠損させた膵臓ガンを作成し、間質反応がShhで誘導されるか調べている。結果は予想通りで、Shh欠損ガンでは間質反応が強く抑えられたが、予想に反してガンの増殖は高まったという結果だ。この効果は血管新生を抑制すると消えるので、間質反応は血管新生を抑制してガンを抑えると結論している(Rhim et al, Cancer Cell 25:735, 2014)。
もう一つの論文では、間質の活性化線維芽細胞を薬剤で除去できるようにしたマウスを使って、ガン増殖に及ぼす線維芽細胞の役割を調べ、線維芽細胞を除去すると膵臓ガンの増殖が亢進することを示している(Cancer cell, 25:719, 2014)。
臨床的にも、間質反応の強い膵臓ガン患者さんの方が予後が良いという論文もジョンホプキンス大学から出されており(Bever et al, HPB(Oxford), 17:292, 2014)、膵臓ガンの間質反応の意義についてはさらに研究が必要だ。
ただどちらの意見をとるにせよ、ガンの間質が膵臓ガンの性質が決まるのに大きな役割を演じており、また血管新生や、ガンに対する免疫反応に大きな影響があることは間違いない。
最初紹介したように、これら間質反応を分子レベルで理解することが徐々にできてきた。また、間質の様々な細胞に働き、膵臓ガンの進行を遅らせることが確認された薬剤も増えてきた。この意味で、膵臓ガンの間質反応についての研究は治療に直結している。
最終回は、「膵臓ガンの間質反応は極めて複雑で、good or badといった2者選択の問題ではない。先入観を排しデータを十分吟味することから、その多面的役割が明らかにされる。幸い、ビタミンDやFAK阻害剤などすぐ臨床で確かめられる成果が集まっている」とまとめておく。
全体をまとめると
「他のガンと比べても、膵臓ガンは研究者の層も厚く、論文の数も増えてきている。また、紹介したように、やる気になれば明日からでも可能な治療が少しづつ集まってきた印象だ。我が国の研究の現状は把握できていないが、世界レベルでは着実に研究は進化しており、十分期待できる。
一方新薬、リパーパシングを問わず薬剤の治験を推進する必要があるが、それを進める枠組みを早急に整備する必要がある。薬剤が複数の会社にまたがる場合、治験は誰が主体になり、費用はどうするのかなど、問題が多い。私は、膵臓ガンと戦いたいと思う患者さんや市民を中心にこのような枠組みが作られることが重要だと思っている。「パンキャンジャパン」など膵臓ガンには活発に活動する団体が存在する。ぜひ、このような運動が主導する議論が深まることを期待したい。
最後に、今ガン治療で最も注目されている、ガン免疫療法や、チェックポイント阻害治療については複雑すぎて、まだ頭の整理がつかず、今回は割愛した。またいつか、ガンに対する免疫治療として改めてまとめてみたいと思う。
8月7日:最近の膵臓ガン研究:IV (最終回)膵臓ガンの間質
2016年8月7日
8月6日:最近の膵臓ガン研究:III RAS阻害剤の開発
2016年8月6日
分子標的薬
他のガンと同じで、膵臓ガンも、早期発見して、手術、あるいは手術と放射線療法の組み合わせで治療するのが完治のための王道だ。ただ発見が遅れるケースが多いため、どうしても抗がん剤に頼らざるを得ない。現在膵臓ガンに使われる抗がん剤は、様々なメカニズムでDNA合成を阻害する薬剤で、ガン以外の細胞も影響を受けるため、副作用が出る。これに対し、それぞれのガンのドライバー分子を標的にした薬剤の開発が進んでおり、分子標的薬と呼ばれている。
膵臓ガンのドライバーRAS
Rasはラットの肉腫を発生させるウイルスから発見された発がん遺伝子で、KRAS、HRAS、NRASの3種の遺伝子どれかに活性化型変異が起こるとガン化することがわかっている。生命科学、特に細胞内のシグナル伝達について学んだことがあれば、最も重要なGタンパク質としてその機能を詳しく教えられたはずだ。
しかし、一般の方にとってはRASは耳慣れない名前だと思う。ここで詳しい講義をする余裕はないので、
1) Rasは細胞内のシグナルネットワークの中心分子で、増殖、分化、代謝、そして細胞死に至るまで様々な過程に関わっていること。
2) K-rasが欠損してもマウスは生まれてくるが、主に貧血が原因で2週間以内に死亡すること。
3) N-ras, H-rasが欠損してもマウスの生命や生殖に影響がないこと。
4) しかし、どのRASも一旦突然変異を起こして活性化されっぱなしになると、発がんのドライバーになること。
5) 人間のガンのほぼ3割がいずれかのRASの変異をドライバーとして使っていること、
6) そしてほとんどの膵臓癌は変異型KRASがドライバーになっていること、
を知っていただけば十分だろう。
RASに対する分子標的薬の困難
このようにもし膵臓ガンに対する薬剤を開発したいと思うなら、まず変異型RASの阻害剤を開発するのが最も近道だ。もちろん膵臓ガンだけでない。同じ変異が他の多くのガンでも見られる。RAS阻害薬が開発されれば、その恩恵を受ける患者さんの数は膨大な数に上る。
1982年発がん性のある変異RAS 分子が人間のガンで発見されて以来、アカデミア、製薬企業を問わず、多くの研究者がRAS阻害剤の開発に乗り出した。しかし30年経った今日でも、臨床現場で使える活性化RASの阻害剤は皆無で、しかもほとんどの大手製薬会社が開発から撤退してしまった。
この失意の歴史についてはNatureのコラムニストHeidi Ledfordが2015年7月1日発行のNatureに詳しく紹介している。
この歴史から、RAS阻害剤開発の困難は、RASとGTPとの結合が極めて強固な上に、阻害剤が入り込むポケットが見つからないというRASに共通の分子構造にあることがわかる。
RAS阻害剤の開発の現状
もちろん大手が撤退しても、研究は続けられており、最近3年間で私が目にしたKRASを直接標的とした薬剤開発の論文は4編あった(Ostrem et al, Nature 503:548, 2013, Hunter et al, PNAS 111:8895, 2014, Lim et al, Angew Chem Int Ed 53:199, 2014)。いずれも全ての活性化型KRAS変異を対象にする代わりに、KRAS12番目のグリシンがシスティンに置き換わったG12C変異を対象にし、薬剤を変異したシスティンに共有結合させてKRAS機能を抑制する戦略を採用している。ポケットに入り込めないのなら、変異したアミノ酸に直接化合物を共有結合させるというアイデアは説得力がある。しかし残念ながら、これらの阻害剤はまだ試験管内で分子機能を阻害するという段階で、私が調べた限り細胞を用いた実験の報告はない。
少し変わり種では、化学化合物の代わりに、分解性のバイオポリマーに包んだRNAiのタブレットを膵臓ガン患部に植え込む方法で、マウスモデルの膵臓ガンを縮小させる報告も発表されているが(Khvalevsky et al, PNAS 110:20723, 2013)、直感的に臨床応用は難しそうに思う。
この現状を見ると、KRASを直接の標的とする薬剤の開発は今も出口が見えていないと言わざるを得ない。
RAS下流シグナルの阻害剤
代わりに研究が加速しているのがRASを直接の標的にするのではなく、RASの下流で働く分子や、RASにより新たに生まれるガンの弱点に対する治療法の開発で、到底紹介できない数の論文が発表され、研究は加速している。また、治験登録サイトClinicaltrial.govを調べても、40近い治験が進んでいる。当面、患者さんたちが期待をかけることができるのは、この方向の研究だろう。
私が目にした論文から幾つか紹介しよう。
RASが活性化し、増殖が昂まると正常の細胞にはない弱点が生まれてくる。例えばKRASが活性化するとブドウ糖代謝が亢進し、その結果ブドウ糖欠乏に弱くなるため、ブドウ糖類似体を使ってガン細胞を選択的に殺せることが報告されている(Kerr et al, Nature 531:110, 2016)。
今月号のCell Reportsに報告された論文は、KRASにより誘導されるAXSL3は、ガン細胞の脂肪代謝を増殖を促進できるよう編成し直す酵素で、この分子をKRASによるガンの増殖抑制のための分子標的に利用できることを示している。
この方向の研究は、ガンを完全に叩くという目的には合致しないかもしれない。しかし、ガンを弱める目的では今後かなり有望な方法になるのではないかと期待している。特に、糖代謝や脂肪代謝経路の阻害剤については各製薬会社はデータを蓄積しているはずだ。
もう一つの開発方向が、RASの下流で働くシグナル伝達経路を標的にする薬剤の開発で、論文の数も多く、現在の研究の焦点になっていると言える。
最後に、今年私が目にしたこの方向の論文の中で、臨床へ応用への期待が持てるだけでなく、明日からでも治験が始められると思った2編の論文を紹介して終わろう。
最初は4月21日号のCellに掲載されたマウントサイナイ病院からの論文で(Krishna et al, Cell 165:643, 2016)、 KRASの分子構造に似た化合物(Rigosertib)を使ってKRASと下流のシグナル分子が連結できないようにする化合物で、動物実験レベルでは期待できる結果が示されている。この論文の重要性は、この研究に使われたRigosertibが骨髄異形成症候群の治験に使われていることで、膵臓ガンにも当然治験を始めることは可能だろう。
最後はスローンケッタリング研究所からの論文で(Manchando et al, Nature 534:647, 2015)、KRAS下流でシグナルを伝えるMEK分子の阻害剤(Trametinib)とFGFR1の阻害剤(Ponatinib)を組み合わせると、RASをドライバーとするガンの増殖を抑制できることを示している。この研究で使われたTrametinibはすでに悪性黒色腫で利用されており、Ponatinibも白血病治療の治験が進んでいるはずだ。
もちろんこれらの薬剤を膵臓ガンに使うためには、まず治験を進めることが必須だが、RASの下流を標的にする薬剤開発分野は期待できる。
以上を私なりにまとめると次のようになる。
「膵臓ガンに対して現在使われている抗がん剤治療は、出来る限りガンのゲノムを調べ、DNA修復に欠損があるケースを選んで使ったほうがいいだろう。もし、DNA修復機能に異常がない場合は、今の時点で今日紹介したようなRAS下流のシグナルを抑える薬剤の組み合わせのほうが期待できる。今日紹介した論文のように、すでに臨床で使われている薬剤で効果が示される場合は、早期に治験が行われることを期待したい」
他のガンと同じで、膵臓ガンも、早期発見して、手術、あるいは手術と放射線療法の組み合わせで治療するのが完治のための王道だ。ただ発見が遅れるケースが多いため、どうしても抗がん剤に頼らざるを得ない。現在膵臓ガンに使われる抗がん剤は、様々なメカニズムでDNA合成を阻害する薬剤で、ガン以外の細胞も影響を受けるため、副作用が出る。これに対し、それぞれのガンのドライバー分子を標的にした薬剤の開発が進んでおり、分子標的薬と呼ばれている。
膵臓ガンのドライバーRAS
Rasはラットの肉腫を発生させるウイルスから発見された発がん遺伝子で、KRAS、HRAS、NRASの3種の遺伝子どれかに活性化型変異が起こるとガン化することがわかっている。生命科学、特に細胞内のシグナル伝達について学んだことがあれば、最も重要なGタンパク質としてその機能を詳しく教えられたはずだ。
しかし、一般の方にとってはRASは耳慣れない名前だと思う。ここで詳しい講義をする余裕はないので、
1) Rasは細胞内のシグナルネットワークの中心分子で、増殖、分化、代謝、そして細胞死に至るまで様々な過程に関わっていること。
2) K-rasが欠損してもマウスは生まれてくるが、主に貧血が原因で2週間以内に死亡すること。
3) N-ras, H-rasが欠損してもマウスの生命や生殖に影響がないこと。
4) しかし、どのRASも一旦突然変異を起こして活性化されっぱなしになると、発がんのドライバーになること。
5) 人間のガンのほぼ3割がいずれかのRASの変異をドライバーとして使っていること、
6) そしてほとんどの膵臓癌は変異型KRASがドライバーになっていること、
を知っていただけば十分だろう。
RASに対する分子標的薬の困難
このようにもし膵臓ガンに対する薬剤を開発したいと思うなら、まず変異型RASの阻害剤を開発するのが最も近道だ。もちろん膵臓ガンだけでない。同じ変異が他の多くのガンでも見られる。RAS阻害薬が開発されれば、その恩恵を受ける患者さんの数は膨大な数に上る。
1982年発がん性のある変異RAS 分子が人間のガンで発見されて以来、アカデミア、製薬企業を問わず、多くの研究者がRAS阻害剤の開発に乗り出した。しかし30年経った今日でも、臨床現場で使える活性化RASの阻害剤は皆無で、しかもほとんどの大手製薬会社が開発から撤退してしまった。
この失意の歴史についてはNatureのコラムニストHeidi Ledfordが2015年7月1日発行のNatureに詳しく紹介している。
この歴史から、RAS阻害剤開発の困難は、RASとGTPとの結合が極めて強固な上に、阻害剤が入り込むポケットが見つからないというRASに共通の分子構造にあることがわかる。
RAS阻害剤の開発の現状
もちろん大手が撤退しても、研究は続けられており、最近3年間で私が目にしたKRASを直接標的とした薬剤開発の論文は4編あった(Ostrem et al, Nature 503:548, 2013, Hunter et al, PNAS 111:8895, 2014, Lim et al, Angew Chem Int Ed 53:199, 2014)。いずれも全ての活性化型KRAS変異を対象にする代わりに、KRAS12番目のグリシンがシスティンに置き換わったG12C変異を対象にし、薬剤を変異したシスティンに共有結合させてKRAS機能を抑制する戦略を採用している。ポケットに入り込めないのなら、変異したアミノ酸に直接化合物を共有結合させるというアイデアは説得力がある。しかし残念ながら、これらの阻害剤はまだ試験管内で分子機能を阻害するという段階で、私が調べた限り細胞を用いた実験の報告はない。
少し変わり種では、化学化合物の代わりに、分解性のバイオポリマーに包んだRNAiのタブレットを膵臓ガン患部に植え込む方法で、マウスモデルの膵臓ガンを縮小させる報告も発表されているが(Khvalevsky et al, PNAS 110:20723, 2013)、直感的に臨床応用は難しそうに思う。
この現状を見ると、KRASを直接の標的とする薬剤の開発は今も出口が見えていないと言わざるを得ない。
RAS下流シグナルの阻害剤
代わりに研究が加速しているのがRASを直接の標的にするのではなく、RASの下流で働く分子や、RASにより新たに生まれるガンの弱点に対する治療法の開発で、到底紹介できない数の論文が発表され、研究は加速している。また、治験登録サイトClinicaltrial.govを調べても、40近い治験が進んでいる。当面、患者さんたちが期待をかけることができるのは、この方向の研究だろう。
私が目にした論文から幾つか紹介しよう。
RASが活性化し、増殖が昂まると正常の細胞にはない弱点が生まれてくる。例えばKRASが活性化するとブドウ糖代謝が亢進し、その結果ブドウ糖欠乏に弱くなるため、ブドウ糖類似体を使ってガン細胞を選択的に殺せることが報告されている(Kerr et al, Nature 531:110, 2016)。
今月号のCell Reportsに報告された論文は、KRASにより誘導されるAXSL3は、ガン細胞の脂肪代謝を増殖を促進できるよう編成し直す酵素で、この分子をKRASによるガンの増殖抑制のための分子標的に利用できることを示している。
この方向の研究は、ガンを完全に叩くという目的には合致しないかもしれない。しかし、ガンを弱める目的では今後かなり有望な方法になるのではないかと期待している。特に、糖代謝や脂肪代謝経路の阻害剤については各製薬会社はデータを蓄積しているはずだ。
もう一つの開発方向が、RASの下流で働くシグナル伝達経路を標的にする薬剤の開発で、論文の数も多く、現在の研究の焦点になっていると言える。
最後に、今年私が目にしたこの方向の論文の中で、臨床へ応用への期待が持てるだけでなく、明日からでも治験が始められると思った2編の論文を紹介して終わろう。
最初は4月21日号のCellに掲載されたマウントサイナイ病院からの論文で(Krishna et al, Cell 165:643, 2016)、 KRASの分子構造に似た化合物(Rigosertib)を使ってKRASと下流のシグナル分子が連結できないようにする化合物で、動物実験レベルでは期待できる結果が示されている。この論文の重要性は、この研究に使われたRigosertibが骨髄異形成症候群の治験に使われていることで、膵臓ガンにも当然治験を始めることは可能だろう。
最後はスローンケッタリング研究所からの論文で(Manchando et al, Nature 534:647, 2015)、KRAS下流でシグナルを伝えるMEK分子の阻害剤(Trametinib)とFGFR1の阻害剤(Ponatinib)を組み合わせると、RASをドライバーとするガンの増殖を抑制できることを示している。この研究で使われたTrametinibはすでに悪性黒色腫で利用されており、Ponatinibも白血病治療の治験が進んでいるはずだ。
もちろんこれらの薬剤を膵臓ガンに使うためには、まず治験を進めることが必須だが、RASの下流を標的にする薬剤開発分野は期待できる。
以上を私なりにまとめると次のようになる。
「膵臓ガンに対して現在使われている抗がん剤治療は、出来る限りガンのゲノムを調べ、DNA修復に欠損があるケースを選んで使ったほうがいいだろう。もし、DNA修復機能に異常がない場合は、今の時点で今日紹介したようなRAS下流のシグナルを抑える薬剤の組み合わせのほうが期待できる。今日紹介した論文のように、すでに臨床で使われている薬剤で効果が示される場合は、早期に治験が行われることを期待したい」
8月5日最近の膵臓癌研究:II ゲノム解析
2016年8月5日
一部の例外を除いて、ガンはゲノムで起こった様々なタイプの変異が積み重なって発生する。また、一つの遺伝子の変異で起こるものではなく、増殖や転移に関わるいくつもの分子の活性化や不活化が積み重なって発生する。
最初は動物実験モデルで確認されてきた発がんの多段解説は、次世代シークエンサーが導入され、何万人もの人から得られたガンのゲノムの解読を通して、実際のガンで確認されるようになった。膵臓癌でもすでに数百という数のガンのゲノムが解読され、数多くの論文が発表されている。ゲノムを知らずして膵臓癌の理解はない。
次世代シークエンサーが身近になってから、数多くのガンについて、エクソーム(タンパク質に翻訳される全ゲノム部分)、あるいは全ゲノムを解読して、発がんに関わる遺伝子変異を特定しようとした論文が発表された。全ゲノムの核酸配列を何百ものガンで調べるとはなんと大変な実験だと思われることも多いだろう。しかし、次世代シークエンサーは驚くべき威力を発揮し、ガンゲノムの塩基配列を解読するだけなら、正確に安価に出来るようになっている。
しかし、特定した変異が本当に発がんに関わるのか、あるいは細胞の増殖にはなんの影響もない変異なのか、これを決めるのは簡単ではない。コンピュータで予測するには、まだまだデータが足りないのだ。
実際ガンによっては、アミノ酸配列の変化につながる突然変異を1万近く持つものもある。その中のどの変異がガンの増殖に関わるのかを特定するのは簡単ではない。せっかくゲノム解析をしたのに、発がん過程について全く想像もつかないという結果に終わることは多い。
そんな中で膵臓癌は、ほぼ100%のケースで、KRASの突然変異がガンの増殖のアクセルになっている(ガンのドライバー変異と呼ぶ) (Waddell et al, Nature 518:496, 2015, Witkiewica et al, Nat Com, DOI: 10.1038) 。
ドライバーだけではない。ブレーキ役の遺伝子の変異も膵臓癌では多様性に乏しい。ほぼ50−80%の頻度で、p53、CDKN2A、SMAD4分子の機能喪失変異が認められる。
例えば同じようにK-RASにドライバー変異が見られる肺腺癌でも、RASの変異は30%程度にとどまっており、CDKN2Aの機能喪失に至っては4%にしかめ認められない。
ほとんどの膵臓ガンで共通の遺伝子変異は、発がんの最初の段階に必須の変異だろうと考えられる。例えば直腸癌ではAPC遺伝子の欠損が必ず見られる。このことから、正常の膵管細胞からガンができるための最初の段階でKRASの変異が必須の条件であることがわかる。なぜKRAS変異が最初に必要かを明らかにすることは、まだ解明されていない膵臓癌を理解する重要な課題だと思う。
正常の細胞でKRAS変異が起こると、暴走を止める一種の防御反応として細胞死が起こる。このため、この防御反応をコントロールしているp53とCDKN2Aの欠損がほとんどの膵臓癌で見られるのは理にかなっている。すなわち、KRASの力を引き出せないと膵臓癌にはなれない。こうしてみてくると、膵臓癌が発がんの多段解説のお手本のようなガンであることがわかる。
逆にもしRASに対する薬剤の開発ができれば、ほとんどの膵臓癌の増殖を止めることが可能であることを示しているが、これがなかなか難しい。薬剤開発については次回に考える。
ではKRASがドライバーになり、その暴走を止めるための最も信頼できるブレーキ役p53,CDKN2Aが壊れることが膵臓癌をこれほど悪性にしているのだろうか?
おそらく答えはyes and noだろう。例えば直腸癌や肺がんでも、KRASとp53の組み合わせが見られるケースは多い。ただ、先にも述べたがCDKN2Aも組み合わさるケースは稀で、この教科書的組み合わせが実現していることが膵臓癌の恐ろしさの一つの要因であることは間違いない。しかし、同じようにKRASがドライバーになっている他のガンと比べた時、膵管細胞という特殊な環境とKRASの組み合わせが悪性度に果たす貢献も無視できない。RASは細胞の増殖だけではなく、代謝や、外界からの制御に対する抵抗性など多くの変化に関わっている。RASが膵管細胞で何をするのか、より詳しい研究が膵臓癌の恐ろしさを理解し、新しい治療開発の鍵になるように思う。
膵臓ガンになるための入り口は狭いが、一旦そこを抜けると様々な突然変異が積み重なり始まる。その結果、個々のガンを比べると変異の組み合わせは多様だ。また突然変異だけでなく、欠損や挿入のような大きな変化も見つかり、これらの2次的(?)な変異の組み合わせがガンの個性を作っている。
このような2次的な変異を考える時、DNA修復に関わる遺伝子、例えばBRCAやRPA1に変異が入ってゲノムの安定性が損なわれると、突然変異の数は急速に増大する。ただ、これは悪いことだけではない。先にあげたWaddell ( Nature 518:496, 2015)らの論文によると、修復メカニズムの異常がおこってゲノムが不安定になった膵臓癌は、シスプラチンを中心にしたプラチナ製剤よる治療によく反応する。ガンのゲノムを知って治療を計画することの重要性がここでも明らかになっている。
他にも、SMAD4, KDM6A, ARID1A,SMARCA遺伝子の変異も比較的頻度が高い。この中の、染色体構造の調節に関わるKDM6A,ARID1A,SMARCA遺伝子の変異は他のガンでも重要な役割をしているので、今回は省略する。 一方、SMAD4は膵臓癌の間質を考える時に欠かせない変異なので、次回以降にこの変異の意義を考えてみたい。
少し長くなったが以上を私なりにまとめると、「膵臓癌ゲノムは、KRAS変異がドライバーになり、それを抑えるブレーキであるp53,CDKN2Aの両方が欠損しているという、まさに教科書的な組み合わせが特徴になっている。従って、KRASの抑制こそが治療開発のカギとなる。 またゲノムが不安定になっているガンは、現在使われている薬剤に反応を示すことがわかってきた。従って、発がんの張本人がわかっていても、ゲノムを調べて膵臓癌の治療方針を立てることは重要だ。」となる。 最後に医学会への要望だが、ガンのゲノム検査が我が国でも簡単に受けられる体制を早く整備して欲しいと思う。
最初は動物実験モデルで確認されてきた発がんの多段解説は、次世代シークエンサーが導入され、何万人もの人から得られたガンのゲノムの解読を通して、実際のガンで確認されるようになった。膵臓癌でもすでに数百という数のガンのゲノムが解読され、数多くの論文が発表されている。ゲノムを知らずして膵臓癌の理解はない。
次世代シークエンサーが身近になってから、数多くのガンについて、エクソーム(タンパク質に翻訳される全ゲノム部分)、あるいは全ゲノムを解読して、発がんに関わる遺伝子変異を特定しようとした論文が発表された。全ゲノムの核酸配列を何百ものガンで調べるとはなんと大変な実験だと思われることも多いだろう。しかし、次世代シークエンサーは驚くべき威力を発揮し、ガンゲノムの塩基配列を解読するだけなら、正確に安価に出来るようになっている。
しかし、特定した変異が本当に発がんに関わるのか、あるいは細胞の増殖にはなんの影響もない変異なのか、これを決めるのは簡単ではない。コンピュータで予測するには、まだまだデータが足りないのだ。
実際ガンによっては、アミノ酸配列の変化につながる突然変異を1万近く持つものもある。その中のどの変異がガンの増殖に関わるのかを特定するのは簡単ではない。せっかくゲノム解析をしたのに、発がん過程について全く想像もつかないという結果に終わることは多い。
そんな中で膵臓癌は、ほぼ100%のケースで、KRASの突然変異がガンの増殖のアクセルになっている(ガンのドライバー変異と呼ぶ) (Waddell et al, Nature 518:496, 2015, Witkiewica et al, Nat Com, DOI: 10.1038) 。
ドライバーだけではない。ブレーキ役の遺伝子の変異も膵臓癌では多様性に乏しい。ほぼ50−80%の頻度で、p53、CDKN2A、SMAD4分子の機能喪失変異が認められる。
例えば同じようにK-RASにドライバー変異が見られる肺腺癌でも、RASの変異は30%程度にとどまっており、CDKN2Aの機能喪失に至っては4%にしかめ認められない。
ほとんどの膵臓ガンで共通の遺伝子変異は、発がんの最初の段階に必須の変異だろうと考えられる。例えば直腸癌ではAPC遺伝子の欠損が必ず見られる。このことから、正常の膵管細胞からガンができるための最初の段階でKRASの変異が必須の条件であることがわかる。なぜKRAS変異が最初に必要かを明らかにすることは、まだ解明されていない膵臓癌を理解する重要な課題だと思う。
正常の細胞でKRAS変異が起こると、暴走を止める一種の防御反応として細胞死が起こる。このため、この防御反応をコントロールしているp53とCDKN2Aの欠損がほとんどの膵臓癌で見られるのは理にかなっている。すなわち、KRASの力を引き出せないと膵臓癌にはなれない。こうしてみてくると、膵臓癌が発がんの多段解説のお手本のようなガンであることがわかる。
逆にもしRASに対する薬剤の開発ができれば、ほとんどの膵臓癌の増殖を止めることが可能であることを示しているが、これがなかなか難しい。薬剤開発については次回に考える。
ではKRASがドライバーになり、その暴走を止めるための最も信頼できるブレーキ役p53,CDKN2Aが壊れることが膵臓癌をこれほど悪性にしているのだろうか?
おそらく答えはyes and noだろう。例えば直腸癌や肺がんでも、KRASとp53の組み合わせが見られるケースは多い。ただ、先にも述べたがCDKN2Aも組み合わさるケースは稀で、この教科書的組み合わせが実現していることが膵臓癌の恐ろしさの一つの要因であることは間違いない。しかし、同じようにKRASがドライバーになっている他のガンと比べた時、膵管細胞という特殊な環境とKRASの組み合わせが悪性度に果たす貢献も無視できない。RASは細胞の増殖だけではなく、代謝や、外界からの制御に対する抵抗性など多くの変化に関わっている。RASが膵管細胞で何をするのか、より詳しい研究が膵臓癌の恐ろしさを理解し、新しい治療開発の鍵になるように思う。
膵臓ガンになるための入り口は狭いが、一旦そこを抜けると様々な突然変異が積み重なり始まる。その結果、個々のガンを比べると変異の組み合わせは多様だ。また突然変異だけでなく、欠損や挿入のような大きな変化も見つかり、これらの2次的(?)な変異の組み合わせがガンの個性を作っている。
このような2次的な変異を考える時、DNA修復に関わる遺伝子、例えばBRCAやRPA1に変異が入ってゲノムの安定性が損なわれると、突然変異の数は急速に増大する。ただ、これは悪いことだけではない。先にあげたWaddell ( Nature 518:496, 2015)らの論文によると、修復メカニズムの異常がおこってゲノムが不安定になった膵臓癌は、シスプラチンを中心にしたプラチナ製剤よる治療によく反応する。ガンのゲノムを知って治療を計画することの重要性がここでも明らかになっている。
他にも、SMAD4, KDM6A, ARID1A,SMARCA遺伝子の変異も比較的頻度が高い。この中の、染色体構造の調節に関わるKDM6A,ARID1A,SMARCA遺伝子の変異は他のガンでも重要な役割をしているので、今回は省略する。 一方、SMAD4は膵臓癌の間質を考える時に欠かせない変異なので、次回以降にこの変異の意義を考えてみたい。
少し長くなったが以上を私なりにまとめると、「膵臓癌ゲノムは、KRAS変異がドライバーになり、それを抑えるブレーキであるp53,CDKN2Aの両方が欠損しているという、まさに教科書的な組み合わせが特徴になっている。従って、KRASの抑制こそが治療開発のカギとなる。 またゲノムが不安定になっているガンは、現在使われている薬剤に反応を示すことがわかってきた。従って、発がんの張本人がわかっていても、ゲノムを調べて膵臓癌の治療方針を立てることは重要だ。」となる。 最後に医学会への要望だが、ガンのゲノム検査が我が国でも簡単に受けられる体制を早く整備して欲しいと思う。
8月4日:最近の膵臓ガン研究:I 体質、予防、早期発見
2016年8月4日
九重親方が膵臓ガンで亡くなったというニュースを聞いて、膵臓ガンを我が事として心配し始めた人も多いのではないだろうか。
私の歳になると、膵臓ガンで失った友人や知人は数多い。最近も、知人が過酷な運命と闘うことになり、相談を受けた。
この敗北感から、引退後も出来る限り膵臓ガンの研究には関わりたいと思い、若い人たちと月1回膵臓ガンの勉強会をしている。また、このホームページでも他の病気よりは頻回に膵臓ガンの論文を紹介してきた。
ただ、個々の論文を別々に読んでいるだけではまとまった知識として整理できないので、これまで読んだり紹介したりしてきた膵臓ガンの研究をこの機会にまとめることにした。
通常の論文紹介とは異なり、今回は私自身の意見も積極的に述べようと思っているが、これは検証されていない個人的意見であることを断っておく。また一般の人には難しい表現も多いかもしれない。
さて、膵臓ガンは恐ろしく、また世界各国で増え続けていると言っても、我が国の全罹患者は4万人程度、全死亡者数が3万人強程度で、ガンによる全死亡者の10%程度と思われる。従って、いくら膵臓癌が恐ろしいからといって、一般の人が膵臓ガンだけにとらわれるのは問題だ。しかし、例えば体質や生活習慣から膵臓ガンのリスクが高いと判定される人が、膵臓ガンを意識した健康管理を行うことは意義がある。
そこで膵臓がんの1回目は、膵臓ガン体質はあるか?早期診断は可能か?予防法は存在するのか? についての最新の研究をまとめてみる。
体質
北欧で行われた一卵性、二卵性双生児に関するコホート調査からみると(JAMA 315, 71, 2016)、膵臓ガンの遺伝性は以外と低く、一卵性双生児の片方がかかった時、もう片方がかかる一致率は直腸ガンより低い。即ち、環境因子や生活習慣が関与する余地の多いガンであることがわかる。
一方で、膵臓ガンが多発する家系の存在を示す研究も進んでおり、例えば父母、兄弟姉妹に膵臓ガン患者がいる場合、オッズ比が3.2に達することが示されている。
体質に関わる遺伝子多型についての研究も進んでおり、乳がんリスクに関わるBRCA2, PALB2、BRCA1や、他にもMSH遺伝子など、DNA合成時の修復に関わる遺伝子の突然変異、あるいはp16などの細胞増殖に関わる遺伝子が、膵臓ガンリスクになることがわかっていた。さらに全ゲノムレベルでの多型解析についての論文も多い(例 Wolpin et al, Nat Gent,46:994, 2014, Childs et al, Nat Gent 47:911, 2015)。
このことは、総合的遺伝子リスクを算定するためのデータがそろってきたことを意味する。今後家族歴、特定の遺伝子突然変異、ゲノム検査、を統合した膵臓ガンのリスク計算方法が開発され、リスクの高い人に向けた健康診断プログラムが提供されることを期待したい。
早期診断
遺伝子検査によりリスクが計算できたとしても、早期発見のための特別な検査方法がないと不安を抱えて右往左往するだけだ。治験登録サイトClinicaltrial.govを、膵臓ガン早期診断のキーワードで検索すると、早期診断法の治験が32登録されており、期待は持てるが殆どが未だ進行中の治験だ。
私自身が読んだ論文の中で、早期診断を実現できるのではと最も期待を抱かせたのが、スウェーデンで行われたコホート研究についての論文だ(Del Chiaro et al, JAMA Surg 150:512, 2015)。この研究が追跡したのは、遺伝的に膵臓ガンのリスクが正常と比べて10倍高いと思われる40人の人たちで、膵がんが発生するまで1年ごとに健康診断を行って、経過を見た論文だ。この中には、既に述べたBRCA1/2やp16遺伝子の突然変異を持つ人たちが含まれている。
この時毎年の検査に使われたのがMRCPと呼ばれる検査法で、MRIを用いて膵液や胆汁を特に強調して可視化する検査だ。患者さんへの負担はMRI検査だけでそう大きくないが費用はかかる
驚くことに、この方法で最初の検査時に40人中12人が陽性と判断され、そのうち9例は膵嚢胞性腫瘍と診断されている。膿疱性腫瘍が検出された場合は内視鏡下超音波診断法とbiopsyで、手術と経過観察に振り分け、経過観察の場合は6ヶ月に1回の頻度で行っている。残りはMRCP検査を1年に一回のペースで受けている。
このスケジュールで経過観察を三年続け、その間に2例に膵ガンが発見されたが、全てリンパ節転移はなかった(N0:リンパ節転移の程度)。本体の大きさはT1とT3(腫瘍自体の大きさの指標)だった。さらにもう1例膵ガンが発見されたが、このケースの場合は定期診断を休んでいる間に運悪く腹痛で受診し、膵ガンが発見されている。この患者さんは既にT4でリンパ節転移もN1と診断されている。
未だ症例数は少ないが、遺伝的リスクが高い場合は、MRCPによるスクリーニングで早期発見が可能であることを示した重要な研究だと思う。この40人については現在も経過観察中のはずで、次の論文が待たれる。
このように、遺伝的リスクの高い人を選んでMRCPを用いた定期検査を行うサービスは、人間ドックなどで今でも可能だと思う。
予防 膵臓ガンの恐ろしいところは、上に述べたような早期発見が出来たとしても、確実に治ることが保証できない点だ。
よく引用される2010年HidalgoによりThe New England Journal of Medicine(362:1605, 2010)に発表された膵臓ガンに関する総説 によると、T1N0で発見されても平均余命が2年というのは、検出限界以下の転移が存在する可能性が高いことを意味している。
従って予防が重要になるが、今のところ禁煙、肥満防止、糖尿病予防のような一般的生活習慣改善以外にはっきりした予防法はない。
こんな中で一つだけ面白い論文があった。アメリカでは心臓疾患やガンの予防のために低容量アスピリンを飲む人が多いが、膵臓ガンにかかった症例を対象に、アスピリンの服用を調べた症例対照研究だ(Streicher et al, Cancer Epidemiology Biomarkers & Prevention, 23:1254, 2014)。この研究によると6年以上低用量アスピリンを続けている人では、膵臓ガンにかかる率が著明に改善している。アスピリンは消化管出血を誘発する心配があるが、副作用がなければ、試してみる価値はありそうだ。
以上、「総合的な遺伝リスク判定サービスが必要。高いリスクを持つと判定されれば、MRCPを中心とした定期検査を受け、当然メタボにならないよう努力すると同時に、禁煙を励行する。また、低容量アスピリンも予防の選択肢の一つ」が私なりの今回のまとめだ。 次回は膵臓ガンの様々な特徴とゲノムの問題を考えてみる。
私の歳になると、膵臓ガンで失った友人や知人は数多い。最近も、知人が過酷な運命と闘うことになり、相談を受けた。
この敗北感から、引退後も出来る限り膵臓ガンの研究には関わりたいと思い、若い人たちと月1回膵臓ガンの勉強会をしている。また、このホームページでも他の病気よりは頻回に膵臓ガンの論文を紹介してきた。
ただ、個々の論文を別々に読んでいるだけではまとまった知識として整理できないので、これまで読んだり紹介したりしてきた膵臓ガンの研究をこの機会にまとめることにした。
通常の論文紹介とは異なり、今回は私自身の意見も積極的に述べようと思っているが、これは検証されていない個人的意見であることを断っておく。また一般の人には難しい表現も多いかもしれない。
さて、膵臓ガンは恐ろしく、また世界各国で増え続けていると言っても、我が国の全罹患者は4万人程度、全死亡者数が3万人強程度で、ガンによる全死亡者の10%程度と思われる。従って、いくら膵臓癌が恐ろしいからといって、一般の人が膵臓ガンだけにとらわれるのは問題だ。しかし、例えば体質や生活習慣から膵臓ガンのリスクが高いと判定される人が、膵臓ガンを意識した健康管理を行うことは意義がある。
そこで膵臓がんの1回目は、膵臓ガン体質はあるか?早期診断は可能か?予防法は存在するのか? についての最新の研究をまとめてみる。
体質
北欧で行われた一卵性、二卵性双生児に関するコホート調査からみると(JAMA 315, 71, 2016)、膵臓ガンの遺伝性は以外と低く、一卵性双生児の片方がかかった時、もう片方がかかる一致率は直腸ガンより低い。即ち、環境因子や生活習慣が関与する余地の多いガンであることがわかる。
一方で、膵臓ガンが多発する家系の存在を示す研究も進んでおり、例えば父母、兄弟姉妹に膵臓ガン患者がいる場合、オッズ比が3.2に達することが示されている。
体質に関わる遺伝子多型についての研究も進んでおり、乳がんリスクに関わるBRCA2, PALB2、BRCA1や、他にもMSH遺伝子など、DNA合成時の修復に関わる遺伝子の突然変異、あるいはp16などの細胞増殖に関わる遺伝子が、膵臓ガンリスクになることがわかっていた。さらに全ゲノムレベルでの多型解析についての論文も多い(例 Wolpin et al, Nat Gent,46:994, 2014, Childs et al, Nat Gent 47:911, 2015)。
このことは、総合的遺伝子リスクを算定するためのデータがそろってきたことを意味する。今後家族歴、特定の遺伝子突然変異、ゲノム検査、を統合した膵臓ガンのリスク計算方法が開発され、リスクの高い人に向けた健康診断プログラムが提供されることを期待したい。
早期診断
遺伝子検査によりリスクが計算できたとしても、早期発見のための特別な検査方法がないと不安を抱えて右往左往するだけだ。治験登録サイトClinicaltrial.govを、膵臓ガン早期診断のキーワードで検索すると、早期診断法の治験が32登録されており、期待は持てるが殆どが未だ進行中の治験だ。
私自身が読んだ論文の中で、早期診断を実現できるのではと最も期待を抱かせたのが、スウェーデンで行われたコホート研究についての論文だ(Del Chiaro et al, JAMA Surg 150:512, 2015)。この研究が追跡したのは、遺伝的に膵臓ガンのリスクが正常と比べて10倍高いと思われる40人の人たちで、膵がんが発生するまで1年ごとに健康診断を行って、経過を見た論文だ。この中には、既に述べたBRCA1/2やp16遺伝子の突然変異を持つ人たちが含まれている。
この時毎年の検査に使われたのがMRCPと呼ばれる検査法で、MRIを用いて膵液や胆汁を特に強調して可視化する検査だ。患者さんへの負担はMRI検査だけでそう大きくないが費用はかかる
驚くことに、この方法で最初の検査時に40人中12人が陽性と判断され、そのうち9例は膵嚢胞性腫瘍と診断されている。膿疱性腫瘍が検出された場合は内視鏡下超音波診断法とbiopsyで、手術と経過観察に振り分け、経過観察の場合は6ヶ月に1回の頻度で行っている。残りはMRCP検査を1年に一回のペースで受けている。
このスケジュールで経過観察を三年続け、その間に2例に膵ガンが発見されたが、全てリンパ節転移はなかった(N0:リンパ節転移の程度)。本体の大きさはT1とT3(腫瘍自体の大きさの指標)だった。さらにもう1例膵ガンが発見されたが、このケースの場合は定期診断を休んでいる間に運悪く腹痛で受診し、膵ガンが発見されている。この患者さんは既にT4でリンパ節転移もN1と診断されている。
未だ症例数は少ないが、遺伝的リスクが高い場合は、MRCPによるスクリーニングで早期発見が可能であることを示した重要な研究だと思う。この40人については現在も経過観察中のはずで、次の論文が待たれる。
このように、遺伝的リスクの高い人を選んでMRCPを用いた定期検査を行うサービスは、人間ドックなどで今でも可能だと思う。
予防 膵臓ガンの恐ろしいところは、上に述べたような早期発見が出来たとしても、確実に治ることが保証できない点だ。
よく引用される2010年HidalgoによりThe New England Journal of Medicine(362:1605, 2010)に発表された膵臓ガンに関する総説 によると、T1N0で発見されても平均余命が2年というのは、検出限界以下の転移が存在する可能性が高いことを意味している。
従って予防が重要になるが、今のところ禁煙、肥満防止、糖尿病予防のような一般的生活習慣改善以外にはっきりした予防法はない。
こんな中で一つだけ面白い論文があった。アメリカでは心臓疾患やガンの予防のために低容量アスピリンを飲む人が多いが、膵臓ガンにかかった症例を対象に、アスピリンの服用を調べた症例対照研究だ(Streicher et al, Cancer Epidemiology Biomarkers & Prevention, 23:1254, 2014)。この研究によると6年以上低用量アスピリンを続けている人では、膵臓ガンにかかる率が著明に改善している。アスピリンは消化管出血を誘発する心配があるが、副作用がなければ、試してみる価値はありそうだ。
以上、「総合的な遺伝リスク判定サービスが必要。高いリスクを持つと判定されれば、MRCPを中心とした定期検査を受け、当然メタボにならないよう努力すると同時に、禁煙を励行する。また、低容量アスピリンも予防の選択肢の一つ」が私なりの今回のまとめだ。 次回は膵臓ガンの様々な特徴とゲノムの問題を考えてみる。
8月3日:CDK5とPD-L1(7月22日号Science掲載論文)
2016年8月3日
細胞周期に応じて遺伝子の転写を調節するcdk5は神経や筋肉の発生に必須の分子であるのに加えて、血管新生など様々な過程に関わることが知られているリン酸化酵素で、この分子の発現の高い脳腫瘍は予後が悪いことが知られている。このため、何とか薬の標的として使えないか研究が行われてきたが、本当に特異的な阻害剤の開発は困難なようだ。
今日紹介するケースウェスタンリザーブ大学からの論文は今注目のPD1のリガンドPDL1がcdk5依存的であることを示した論文で7月22日号のScienceに掲載されている。
注目のトピックスかと思って読んでみたが、正直言って拍子抜けの論文だった。
おそらくこのグループはこれまでcdk5について研究してきたのだろう。その一環として、この遺伝子を脳腫瘍(meduloblastoma)細胞株から欠損させて移植する実験を行ったところ、ガンの増殖が強く抑制されることに気づいている。組織学的に、ガンの周りのT細胞の浸潤が少ないことから、cdk5が免疫のチェックポイント機能に関わるのではと考え、腫瘍のPDL1の発現とcdk5の相関を調べ、cdk5が欠損するとPDL1の発現が低下し、主にCD4陽性細胞による炎症が高まり、結果として腫瘍増殖が抑えられることを発見した。
あとはこの機構について、ガンに対する免疫が高まりインターフェロンが分泌されるとIRF2を介してcdk5が誘導され、これがPDL1を誘導して腫瘍を免疫反応から守ることを示している。
最後にcdk5を欠損させた脳腫瘍を植えたマウスの組織を観察して、リンパ球の浸潤が脳内でも観察できることを示している。一つ面白いのは、ガンのPDL1を抑制すると、周りの細胞でPDL1の発現が上昇していることで、結局PD1自体をブロックしないとチェックポイントブロックは難しいことを示している。
話はこれだけで、よくScienceにアクセプトされたなという印象が強い。ただ、ガンのPDL1と樹状細胞などのPDL1の役割を区別して研究するためには使えるかもしれない点、またPDL1やPD1の転写調節について研究が進めば、安価な治療法の開発も可能になるかもしれないことはこの研究からもわかる。残念ながらこの研究では全ての細胞でのPDL1発現にcdk5が関わることを示せてないので、特異的阻害剤が開発されても一石二鳥の効果を期待するにはデータが弱いと思う。
今日は拍子ぬけた論文を紹介してしまったが、明日から膵臓ガンについてまとめてみようと思っている。現役をやめてからも多くの友人を膵臓ガンで亡くしている。また、現在も知り合いが膵臓ガンと向き合っている。また千代の富士の死により世間でも注目されている。この3年間様々な論文を断片的に紹介したので、この機会にこれまで紹介した論文をまとめ直すと、どんなシナリオが見えてくるのか、考えてみたい。
今日紹介するケースウェスタンリザーブ大学からの論文は今注目のPD1のリガンドPDL1がcdk5依存的であることを示した論文で7月22日号のScienceに掲載されている。
注目のトピックスかと思って読んでみたが、正直言って拍子抜けの論文だった。
おそらくこのグループはこれまでcdk5について研究してきたのだろう。その一環として、この遺伝子を脳腫瘍(meduloblastoma)細胞株から欠損させて移植する実験を行ったところ、ガンの増殖が強く抑制されることに気づいている。組織学的に、ガンの周りのT細胞の浸潤が少ないことから、cdk5が免疫のチェックポイント機能に関わるのではと考え、腫瘍のPDL1の発現とcdk5の相関を調べ、cdk5が欠損するとPDL1の発現が低下し、主にCD4陽性細胞による炎症が高まり、結果として腫瘍増殖が抑えられることを発見した。
あとはこの機構について、ガンに対する免疫が高まりインターフェロンが分泌されるとIRF2を介してcdk5が誘導され、これがPDL1を誘導して腫瘍を免疫反応から守ることを示している。
最後にcdk5を欠損させた脳腫瘍を植えたマウスの組織を観察して、リンパ球の浸潤が脳内でも観察できることを示している。一つ面白いのは、ガンのPDL1を抑制すると、周りの細胞でPDL1の発現が上昇していることで、結局PD1自体をブロックしないとチェックポイントブロックは難しいことを示している。
話はこれだけで、よくScienceにアクセプトされたなという印象が強い。ただ、ガンのPDL1と樹状細胞などのPDL1の役割を区別して研究するためには使えるかもしれない点、またPDL1やPD1の転写調節について研究が進めば、安価な治療法の開発も可能になるかもしれないことはこの研究からもわかる。残念ながらこの研究では全ての細胞でのPDL1発現にcdk5が関わることを示せてないので、特異的阻害剤が開発されても一石二鳥の効果を期待するにはデータが弱いと思う。
今日は拍子ぬけた論文を紹介してしまったが、明日から膵臓ガンについてまとめてみようと思っている。現役をやめてからも多くの友人を膵臓ガンで亡くしている。また、現在も知り合いが膵臓ガンと向き合っている。また千代の富士の死により世間でも注目されている。この3年間様々な論文を断片的に紹介したので、この機会にこれまで紹介した論文をまとめ直すと、どんなシナリオが見えてくるのか、考えてみたい。
カテゴリ:論文ウォッチ
8月2日;開業医をやる気にさせる患者さんのタイプ(Patient Education and Counseling オンライン版掲載論文;http://dx.doi.org/10.1016/j.pec.2016.06.023)
2016年8月2日
医師として働いた期間は七年弱で長くないが、正直に告白すると、気楽に付き合える患者さんと、苦手な患者さんといったような、患者さんに対するえこひいきの感情はあった。ただ、医師をやめてから2年間、患者さんに文句を言われている夢を見ることがあったことを考えると、このえこひいきが罪悪感として心のどこかに引っかかっていたことは確かだ。
今日紹介するジョンホプキンス医科大学からの論文は医師にとってfavorite patientとはどんな人たちかについて25人の開業医さんにインタビューした論文でPatient Education and Counselingオンライン版に掲載されている。タイトルは「A qualitative exploration of favorite patients in primary care(一般臨床でやる気にさせる患者さんについての定性的研究)」だ。
Favorite patientをどう訳すかはなかなか難しい。論文を読んでみると単純な好き嫌いではなく、えこひいきに近い。そこで、やる気にさせると訳しておいた。
まず「患者教育と相談」という雑誌が存在するのには驚いたが、患者さんとの関係が医師の仕事の重要な部分であることを認識し、この問題をカバーする論文を集めることは重要だと納得する。
調査内容が内容だけに、統計結果などは一切示されず、インタビューで得た医師の生の声から著者らが考えた結論が淡々と書いてある。したがって、明確な結論があるわけでもないので内容をまとめることは難しく、詳細については読んでもらうしかないが、そこをあえてまとめると次のようになるだろう。
1) まずインタビューの対象になった医師は、大病院と契約している開業医さん25人で、ゆっくり時間をかけて本音を聞き出している。
2) 何をfavoriteと考えるかは医師によって違う。最初はほとんどが患者さんをほぼ平等に扱っていることを強調するが、話しているうちに確かにやる気の出る患者さんとそうでない患者さんがいることを認める。
3) やる気にさせる患者さんを表現するキーワードとして、「何かピンとくるものがある」「楽しい」「賢い」「愛らしい」「記憶に残る」などが挙げられる。(これは私も納得する。)
4) とは言え、一番やる気になるのは、病気のため長年の付き合いが確立している患者さんで、たまに風邪でやってくるような健康な人たちはあまりやる気にならない。(私も若いときは、難しい病気の患者さんほどやる気になった)
5) 一方、やる気にならないというか、苦手な患者さんは、医者の限界を理解せずに、要求の多い患者さんということになる。
6) 医師の方でもやる気になる患者さんにはやはり時間をかけおり、また亡くなると喪失感が大きい。(私も納得だ。)
ということができる。
これを簡単にまとめると、慢性的病気を持っていて、医師と長く付き合っており、性格的には医師としっくりくるような患者さんが、やる気にさせる患者さん像になる。また、医師も人間なので、どうしても選り好みがあることも結論といえるだろう。
最後に、医師は、「多くの患者さんが医師に好かれようと努力をしていること、しかし自分がどうしても患者さんの選り好みをしてしまう」という自覚を持つことが重要だとアドバイスをしている。
一方患者さんに対しては、「医師と患者の関係は相互的で、患者さんの側からもうまく働きかけることで関係を良好に保つことの重要性」をアドバイスしている。
このようにあえて結論をまとめてみたが、はっきり言って明確な回答が示された論文ではない。ただ、多くの生の声が記載されているので、医学部や看護学の学生さんに読んでもらって、討論させるためのいい材料になるかなと思った。
我が国では、今でも医師に対する個人的謝礼を送る悪弊が残っており、私も医師を紹介した友人から「いくらぐらい包めばいいのか」などと質問を受けて暗い気持ちになる。このような悪弊を一掃する意味でも、医師をやる気にさせる患者さんについてもっと深掘りすることは重要だと思う。
今日紹介するジョンホプキンス医科大学からの論文は医師にとってfavorite patientとはどんな人たちかについて25人の開業医さんにインタビューした論文でPatient Education and Counselingオンライン版に掲載されている。タイトルは「A qualitative exploration of favorite patients in primary care(一般臨床でやる気にさせる患者さんについての定性的研究)」だ。
Favorite patientをどう訳すかはなかなか難しい。論文を読んでみると単純な好き嫌いではなく、えこひいきに近い。そこで、やる気にさせると訳しておいた。
まず「患者教育と相談」という雑誌が存在するのには驚いたが、患者さんとの関係が医師の仕事の重要な部分であることを認識し、この問題をカバーする論文を集めることは重要だと納得する。
調査内容が内容だけに、統計結果などは一切示されず、インタビューで得た医師の生の声から著者らが考えた結論が淡々と書いてある。したがって、明確な結論があるわけでもないので内容をまとめることは難しく、詳細については読んでもらうしかないが、そこをあえてまとめると次のようになるだろう。
1) まずインタビューの対象になった医師は、大病院と契約している開業医さん25人で、ゆっくり時間をかけて本音を聞き出している。
2) 何をfavoriteと考えるかは医師によって違う。最初はほとんどが患者さんをほぼ平等に扱っていることを強調するが、話しているうちに確かにやる気の出る患者さんとそうでない患者さんがいることを認める。
3) やる気にさせる患者さんを表現するキーワードとして、「何かピンとくるものがある」「楽しい」「賢い」「愛らしい」「記憶に残る」などが挙げられる。(これは私も納得する。)
4) とは言え、一番やる気になるのは、病気のため長年の付き合いが確立している患者さんで、たまに風邪でやってくるような健康な人たちはあまりやる気にならない。(私も若いときは、難しい病気の患者さんほどやる気になった)
5) 一方、やる気にならないというか、苦手な患者さんは、医者の限界を理解せずに、要求の多い患者さんということになる。
6) 医師の方でもやる気になる患者さんにはやはり時間をかけおり、また亡くなると喪失感が大きい。(私も納得だ。)
ということができる。
これを簡単にまとめると、慢性的病気を持っていて、医師と長く付き合っており、性格的には医師としっくりくるような患者さんが、やる気にさせる患者さん像になる。また、医師も人間なので、どうしても選り好みがあることも結論といえるだろう。
最後に、医師は、「多くの患者さんが医師に好かれようと努力をしていること、しかし自分がどうしても患者さんの選り好みをしてしまう」という自覚を持つことが重要だとアドバイスをしている。
一方患者さんに対しては、「医師と患者の関係は相互的で、患者さんの側からもうまく働きかけることで関係を良好に保つことの重要性」をアドバイスしている。
このようにあえて結論をまとめてみたが、はっきり言って明確な回答が示された論文ではない。ただ、多くの生の声が記載されているので、医学部や看護学の学生さんに読んでもらって、討論させるためのいい材料になるかなと思った。
我が国では、今でも医師に対する個人的謝礼を送る悪弊が残っており、私も医師を紹介した友人から「いくらぐらい包めばいいのか」などと質問を受けて暗い気持ちになる。このような悪弊を一掃する意味でも、医師をやる気にさせる患者さんについてもっと深掘りすることは重要だと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ
8月1日:ゲノムからたどる農耕の起源(Natureオンライン版掲載論文)
2016年8月1日
考古学的研究から農耕は1万年ほど前、中近東で始まり、五千年ほどの間に急速にユーラシア大陸に広がったことが知られている。農耕とともに、野生動物の家畜化、ペット化も進んだ。農耕を始めた先祖が急速に広い範囲に移動し、農耕を広めたと考えられるが、これを証明するためには、発掘された様々な年代の農耕人の骨を様々な地域から集めて、その移動を遺伝子レベルの混合として確かめる必要がある。
今日紹介するハーバード大学を中心に41の研究機関が共同で発表した論文は12000年から1400年までの狩猟採集民から農耕民までのゲノム解析を行った研究でNatureに掲載予定だ。タイトルは「Genomic insight into the origin of farming in the ancient Near East(ゲノム解析から考える古代の近東の農耕の起源)」だ。 この研究ではDNAの回収率の高い内耳の錐体骨に絞ってDNAを回収し、調べたい120万のSNPに対応する遺伝子部分を、溶液中でハイブリダイゼーションで集める方法を採用している。これにより、全ゲノムレベルのSNPのデータを読むことができた45体のDNAを、現在の農耕民約1000人のデータと比べている。
この研究で問われた問題を一言であらわすと、「農耕は人が動いて広まったのか、あるいは考えが広まって各地で採用されたのか?」と言える。
研究ではまず旧石器時代後期アフリカから移動してユーラシアに到達した現在のユーラシア民族のルーツを代表するUst’-Ishimを基準に45体のDNAを比較し、これが近東の農耕民族に近いことを示している。
次に様々な地域で起こった狩猟から農耕への移行期のゲノムを調べると、それぞれの地域での狩猟民族のゲノムを強く反映している。また、イスラエル、イランなどの農耕民族は、3−4種類の民族が交雑して成立していることも分かった。このことから、農耕民族に狩猟民族が駆逐されたのではないことがわかる。
いずれにせよデータは膨大で、この結果から今回検討した狩猟、農耕民族それぞれのゲノム相関図が最後に示されており、自分の仮説がないと、この相関図の数字を見ていても、本当はピンとこない。 結局大きなデータベースが作られたことが重要で、今後考古学者が様々な遺物の調査研究から導き出した仮説を検証するときの大きな助けになることは間違いない。
詳細を省いて結論だけをまとめると、農耕は、それを開発した民族が他の民族を駆逐して広がったのではなく、まず農耕の可能性というアイデアが、人(ゲノム)の移動より速い速度で広がったことになる。
1万年前だともう既に言語は存在していただろう。先史時代の歴史がどんどん具体的な面白い話になってきた。
今日紹介するハーバード大学を中心に41の研究機関が共同で発表した論文は12000年から1400年までの狩猟採集民から農耕民までのゲノム解析を行った研究でNatureに掲載予定だ。タイトルは「Genomic insight into the origin of farming in the ancient Near East(ゲノム解析から考える古代の近東の農耕の起源)」だ。 この研究ではDNAの回収率の高い内耳の錐体骨に絞ってDNAを回収し、調べたい120万のSNPに対応する遺伝子部分を、溶液中でハイブリダイゼーションで集める方法を採用している。これにより、全ゲノムレベルのSNPのデータを読むことができた45体のDNAを、現在の農耕民約1000人のデータと比べている。
この研究で問われた問題を一言であらわすと、「農耕は人が動いて広まったのか、あるいは考えが広まって各地で採用されたのか?」と言える。
研究ではまず旧石器時代後期アフリカから移動してユーラシアに到達した現在のユーラシア民族のルーツを代表するUst’-Ishimを基準に45体のDNAを比較し、これが近東の農耕民族に近いことを示している。
次に様々な地域で起こった狩猟から農耕への移行期のゲノムを調べると、それぞれの地域での狩猟民族のゲノムを強く反映している。また、イスラエル、イランなどの農耕民族は、3−4種類の民族が交雑して成立していることも分かった。このことから、農耕民族に狩猟民族が駆逐されたのではないことがわかる。
いずれにせよデータは膨大で、この結果から今回検討した狩猟、農耕民族それぞれのゲノム相関図が最後に示されており、自分の仮説がないと、この相関図の数字を見ていても、本当はピンとこない。 結局大きなデータベースが作られたことが重要で、今後考古学者が様々な遺物の調査研究から導き出した仮説を検証するときの大きな助けになることは間違いない。
詳細を省いて結論だけをまとめると、農耕は、それを開発した民族が他の民族を駆逐して広がったのではなく、まず農耕の可能性というアイデアが、人(ゲノム)の移動より速い速度で広がったことになる。
1万年前だともう既に言語は存在していただろう。先史時代の歴史がどんどん具体的な面白い話になってきた。
カテゴリ:論文ウォッチ
7月31日:レーザー光で血小板を増やす(7月27日号Science Translational Medicine掲載論文)
2016年7月31日
20世紀後半に進んだ造血因子遺伝子クローニングのおかげで、赤血球が少ない患者さんにはエリスロポイエチン、白血球が少ない患者さんにはG-CSFを臨床に使うことができる。ところが、当時最後にクローニングされた血小板を作る巨核球の数を増やすトロンボポイエチンは現在も臨床利用ができていない。
この原因は、この因子が末梢血の血小板数とは無関係に、巨核球へ分化する前駆細胞を増殖させるためで、血小板が増えすぎて血栓ができる危険性を完全に解決できなかった。このため、せっかく開発されても臨床に使われないで終わっている。
当時のクローニング競争を知る世代から見ると、今日紹介するハーバード大学からの論文は「え!こんな方法で血小板が増えるの?」と驚く論文で7月27日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Noninvasive low-level laser therapy for thrombocytopenia (侵襲性のない低レベルレーザーによる血小板減少症の治療)」だ。
侵襲性のない近赤外レーザー(LLL)は傷の治りを早めたり、鎮痛の目的で現在使われている。細胞を用いた研究から、近赤外光が細胞の代謝や生存に影響を及ぼすことがわかっている。この研究では、近赤外光照射によりATP量が上昇する点に注目して、ATPに強く依存する巨核球からの血小板分化を亢進できるかを確かめるところから始めている。
期待通り、試験管内で分化が進んだ巨核球にLLLを照射するとATPの量が上昇し、細胞学的に巨核球が巨大化して、多くの血小板を作るようになる。そしてLLLがミトコンドリアの細胞内増殖を促進することが、血小板産生の上昇につながることを明らかにしている。
実際にLLLでミトコンドリア増殖が促進される細胞学的メカニズムは大変面白い点だが、今日はこの詳細は省いて、実際にこの方法が血小板減少症の治療に使えるかどうか調べた実験のみを紹介する。
全て体の小さいマウスモデルの話だが、まずLLLの全身照射により骨髄の巨核球のATP合成が上がることを確認した上で、γ線照射により血小板減少症を誘導した後、LLLの全身照射を行い、血小板がほぼ正常に回復することを確認している。 他にも巨核球が発現するCD41に対する抗体による細胞障害や、あるいは抗がん剤による血小板減少についてもこの方法で血小板数を正常化できることを示している。一方、正常マウスにLLL照射をしても血小板数のオーバーシュートはなく、トロンボポイエチンで見られるような副作用がないことがわかる。
最後に、試験官内ではあるが、ヒトの巨核球もマウスと同じようにLLLに反応してATPが上昇し、血小板への分化が促進することを示している。ただ、ヒトの場合、骨髄内にLLLを到達させることは簡単でなく、残念ながらこの方法をすぐにヒトに応用するのは難しいようだ。 しかし、こんな簡単な方法で血小板だけを増やすことができる可能性は捨てがたい。なんとかこの光で骨髄内が照らされることを期待したい。他にも、 iPSなどから試験官内で血小板を作ろうとする試みが進んでいるが、この方法は使えるかもしれない。
この原因は、この因子が末梢血の血小板数とは無関係に、巨核球へ分化する前駆細胞を増殖させるためで、血小板が増えすぎて血栓ができる危険性を完全に解決できなかった。このため、せっかく開発されても臨床に使われないで終わっている。
当時のクローニング競争を知る世代から見ると、今日紹介するハーバード大学からの論文は「え!こんな方法で血小板が増えるの?」と驚く論文で7月27日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Noninvasive low-level laser therapy for thrombocytopenia (侵襲性のない低レベルレーザーによる血小板減少症の治療)」だ。
侵襲性のない近赤外レーザー(LLL)は傷の治りを早めたり、鎮痛の目的で現在使われている。細胞を用いた研究から、近赤外光が細胞の代謝や生存に影響を及ぼすことがわかっている。この研究では、近赤外光照射によりATP量が上昇する点に注目して、ATPに強く依存する巨核球からの血小板分化を亢進できるかを確かめるところから始めている。
期待通り、試験管内で分化が進んだ巨核球にLLLを照射するとATPの量が上昇し、細胞学的に巨核球が巨大化して、多くの血小板を作るようになる。そしてLLLがミトコンドリアの細胞内増殖を促進することが、血小板産生の上昇につながることを明らかにしている。
実際にLLLでミトコンドリア増殖が促進される細胞学的メカニズムは大変面白い点だが、今日はこの詳細は省いて、実際にこの方法が血小板減少症の治療に使えるかどうか調べた実験のみを紹介する。
全て体の小さいマウスモデルの話だが、まずLLLの全身照射により骨髄の巨核球のATP合成が上がることを確認した上で、γ線照射により血小板減少症を誘導した後、LLLの全身照射を行い、血小板がほぼ正常に回復することを確認している。 他にも巨核球が発現するCD41に対する抗体による細胞障害や、あるいは抗がん剤による血小板減少についてもこの方法で血小板数を正常化できることを示している。一方、正常マウスにLLL照射をしても血小板数のオーバーシュートはなく、トロンボポイエチンで見られるような副作用がないことがわかる。
最後に、試験官内ではあるが、ヒトの巨核球もマウスと同じようにLLLに反応してATPが上昇し、血小板への分化が促進することを示している。ただ、ヒトの場合、骨髄内にLLLを到達させることは簡単でなく、残念ながらこの方法をすぐにヒトに応用するのは難しいようだ。 しかし、こんな簡単な方法で血小板だけを増やすことができる可能性は捨てがたい。なんとかこの光で骨髄内が照らされることを期待したい。他にも、 iPSなどから試験官内で血小板を作ろうとする試みが進んでいるが、この方法は使えるかもしれない。
カテゴリ:論文ウォッチ
7月30日:光ピンセットの見事な利用(Natureオンライン版掲載論文)
2016年7月30日
物理が苦手で原理を完全に理解しているわけではないが、光ピンセットを使うと細胞から分子に至るまで捕捉して移動させることが可能であることは知っている。しかし、現役時代も含めて、光ピンセットを利用した論文を読んだという記憶はない。
ところが今日紹介するオランダ・アムステルダム大学からの論文を読んで、「なるほど光ピンセットもこんなふうに使えるのか」とそのパワーに驚かされた。タイトルは「Sliding sleeves of XRCC4-XLF bridge DNA and connect fragments of broken DNA(XRCC4-XLF複合体が形成する移動する鞘がDNAを架橋し破断したDNAを結合する)」で、Natureオンライン版に掲載された。
研究では2つ、あるいは4つの物体を同時に捕捉できる電子ピンセット、微量な流れを再現できるマイクロフルイディックス、そして蛍光顕微鏡を組み合わせて、一本の切断されたDNAをXRCC4-XLF複合体が修復するダイナミックスを分子レベルで観察している。
これまで切断されたDNAに関わる修復複合体についてはかなり詳しく研究され、ほぼ正確な像が教科書にも示されるようになっている。しかし、この研究のように実際にXRCC4-XLFがどう切断されたDNAをつかんで修復するのかについてリアルタイムで観察することなどできなかった。この意味で、この研究は極めてエキサイティングで、例えば切断された2本のDNAがゆらゆらと流れの中で伸びているのをキャッチして結びつける、あるいは2本のDNAを捕まえた後、DNAを一方向に滑っていく様子、さらには捕まったDNAを引っ張った時、どの程度の強さで2本のDNAをホールドするかなど、光ピンセットならではの実験がこれでもか、これでもかと示されている。この技術のポテンシャルを実感する。
この研究から明らかになった修復のシナリオを最後にまとめておこう。
まず切断されたDNAにXRCC4のDNAへの結合はXLF分子がガイドし、そこでかなり強い結合を起こす。実際、引っ張ってみるとホールドされている部分ではずれず、DNAが切れる方が早い。こうしてできた2本のDNAを束ねるXRCC4-XLF複合体はDNA上を滑り、断端に集まりおそらく修復につながるという結果だ。
今回はDNAを捕まえて動くという過程の可視化が中心だが、今後断端での過程や、あるいは断端で起こっているリン酸化反応など様々な過程を見ることができるだろう。将来さらに多くのビデオが見られ、DNA修復の全像を映画で見ることができるのではと期待させす論文だった。
しかし、オランダと並んで我が国もDNA修復では世界をリードしていたと思うが、最近は論文を目にすることは多くない。どうなっているのか少し心配だ。
ところが今日紹介するオランダ・アムステルダム大学からの論文を読んで、「なるほど光ピンセットもこんなふうに使えるのか」とそのパワーに驚かされた。タイトルは「Sliding sleeves of XRCC4-XLF bridge DNA and connect fragments of broken DNA(XRCC4-XLF複合体が形成する移動する鞘がDNAを架橋し破断したDNAを結合する)」で、Natureオンライン版に掲載された。
研究では2つ、あるいは4つの物体を同時に捕捉できる電子ピンセット、微量な流れを再現できるマイクロフルイディックス、そして蛍光顕微鏡を組み合わせて、一本の切断されたDNAをXRCC4-XLF複合体が修復するダイナミックスを分子レベルで観察している。
これまで切断されたDNAに関わる修復複合体についてはかなり詳しく研究され、ほぼ正確な像が教科書にも示されるようになっている。しかし、この研究のように実際にXRCC4-XLFがどう切断されたDNAをつかんで修復するのかについてリアルタイムで観察することなどできなかった。この意味で、この研究は極めてエキサイティングで、例えば切断された2本のDNAがゆらゆらと流れの中で伸びているのをキャッチして結びつける、あるいは2本のDNAを捕まえた後、DNAを一方向に滑っていく様子、さらには捕まったDNAを引っ張った時、どの程度の強さで2本のDNAをホールドするかなど、光ピンセットならではの実験がこれでもか、これでもかと示されている。この技術のポテンシャルを実感する。
この研究から明らかになった修復のシナリオを最後にまとめておこう。
まず切断されたDNAにXRCC4のDNAへの結合はXLF分子がガイドし、そこでかなり強い結合を起こす。実際、引っ張ってみるとホールドされている部分ではずれず、DNAが切れる方が早い。こうしてできた2本のDNAを束ねるXRCC4-XLF複合体はDNA上を滑り、断端に集まりおそらく修復につながるという結果だ。
今回はDNAを捕まえて動くという過程の可視化が中心だが、今後断端での過程や、あるいは断端で起こっているリン酸化反応など様々な過程を見ることができるだろう。将来さらに多くのビデオが見られ、DNA修復の全像を映画で見ることができるのではと期待させす論文だった。
しかし、オランダと並んで我が国もDNA修復では世界をリードしていたと思うが、最近は論文を目にすることは多くない。どうなっているのか少し心配だ。
カテゴリ:論文ウォッチ
7月29日:すぐに使えるスポーツ医学(8月9日号Cell Metabolism掲載論文)
2016年7月29日
リオオリンピックは始まる前からドーピング問題で揺れている。しかし、ほとんどのドーピングに用いられる介入はスポーツ医学、内分泌学、代謝医学から生まれた。ただ、極限状態とも言えるスポーツ選手への介入は常に危険と隣り合わせだ。このため、どの介入が危険で、どの介入が危険でないかを常にチェックする必要があるが、医学の常でグレーゾーンが必ず存在し、線引きが難しい。結果、考え方の相違が政治的対立にまで発展することさえある。
今日紹介するオックスフォード大学とケンブリッジ大学からの共同論文は、飢餓状態で起こる体の防御反応をおこしてエネルギー代謝を変化させる方法の開発で8月9日号のCell Metabolismに掲載された。おそらく、持久力を必要とする選手なら明日からでも試したいと思う研究成果で、タイトルは「Nutritional ketosis alters fuel preference and thereby endurance performance in athletes(栄養的に誘導したケトーシスは利用するエネルギー源を変えることでスポーツ選手の持久力を高める)」だ。
重度の糖尿病や長期の炭水化物制限はケトアシドーシスと呼ばれる、血中ケトン体が上昇する状態を誘導する。医学部の学生は、この時患者さんから出るアセトンの匂いを見逃すなと習う。ただ、このケトーシスは、貴重な炭水化物が使えないことを感知した体が、脳の維持に必須のエネルギーを脂肪にシフトさせ、肝臓でケトン体(アセト酢酸、βヒドロキシ酪酸、アセトン)を合成し体に供給することで起こる防御反応だ。脂肪酸と比べるとケトン体は水によく溶け、あらゆる細胞に摂取され、ミトコンドリアでTCAサイクルを効率よく回すことができる。このため、炭水化物を制限してケトン体を誘導することで、持続力を高めダイエットに利用する方法も実際に行われている。
もしケトン体がそれほど利用価値が高いなら、最初からケトン体を飲んだらどうかと思うが、この結果身体が酸性になったり、塩濃度の上昇をきたすため、大量の使用は困難だった。
この問題を解決し、副作用なく血中のケトン体濃度を上昇させることが可能な新しい脂肪酸R-3-hydroxybutyl-R-3-hydoroxybutyrate keton ester(KE)を開発したというのがこの論文の味噌で、論文では実際のスポーツ選手を使った実験で、この分子がいかにエネルギー代謝を改善し、持久力を上昇させるかが示されている。
KEはまず腸でβヒドロキシ酪酸とブタンジオールに分解され肝臓に入り、ブタンジオールは肝臓でさらにβヒドロキシ酪酸に変換される。すなわち、アシドーシスを誘導することなく、βヒドロキシ酪酸の血中濃度を上げることができる。そして、このβヒドロキシ酪酸はミトコンドリアに入りTCAサイクルを回して、大事な炭水化物の消費を少なくして活動を続けることができる。
論文ではKEがいかに期待通りの代謝改善を行うかを、血液検査、バイオプシーで得られた筋肉細胞の代謝物検査から示しているが詳細は省く。ただ、運動中の筋肉疲労のバロメーターと言える血中乳酸値の上昇が、KE摂取して運動した場合半減するという結果は一般の人にもわかりやすいだろう。
要するに、エネルギー代謝については期待通りの効果が安全に得られたということが詳しく示されている。
当然一番気になるのが運動能力への影響だが、自転車で1時間にどれだけ走れるかを調べたタイムトライアルを行い、炭水化物だけ摂取した群では平均20100mに対しKEと炭水化物を摂取した群では20500mと、平均で411m、トラックにして1週の差が出たという結果だ。
この結果が正しければ、まちがいなくこれまでの食事制限によるケトン体誘導法の代わりになるだろう。
オックスフォードとケンブリッジが共同で進めた研究で、英国のスポーツ選手も全面的に協力した研究であることを考えると、この成果はリオオリンピックの英国のメダル獲得数で示されるかもしれない。
今日紹介するオックスフォード大学とケンブリッジ大学からの共同論文は、飢餓状態で起こる体の防御反応をおこしてエネルギー代謝を変化させる方法の開発で8月9日号のCell Metabolismに掲載された。おそらく、持久力を必要とする選手なら明日からでも試したいと思う研究成果で、タイトルは「Nutritional ketosis alters fuel preference and thereby endurance performance in athletes(栄養的に誘導したケトーシスは利用するエネルギー源を変えることでスポーツ選手の持久力を高める)」だ。
重度の糖尿病や長期の炭水化物制限はケトアシドーシスと呼ばれる、血中ケトン体が上昇する状態を誘導する。医学部の学生は、この時患者さんから出るアセトンの匂いを見逃すなと習う。ただ、このケトーシスは、貴重な炭水化物が使えないことを感知した体が、脳の維持に必須のエネルギーを脂肪にシフトさせ、肝臓でケトン体(アセト酢酸、βヒドロキシ酪酸、アセトン)を合成し体に供給することで起こる防御反応だ。脂肪酸と比べるとケトン体は水によく溶け、あらゆる細胞に摂取され、ミトコンドリアでTCAサイクルを効率よく回すことができる。このため、炭水化物を制限してケトン体を誘導することで、持続力を高めダイエットに利用する方法も実際に行われている。
もしケトン体がそれほど利用価値が高いなら、最初からケトン体を飲んだらどうかと思うが、この結果身体が酸性になったり、塩濃度の上昇をきたすため、大量の使用は困難だった。
この問題を解決し、副作用なく血中のケトン体濃度を上昇させることが可能な新しい脂肪酸R-3-hydroxybutyl-R-3-hydoroxybutyrate keton ester(KE)を開発したというのがこの論文の味噌で、論文では実際のスポーツ選手を使った実験で、この分子がいかにエネルギー代謝を改善し、持久力を上昇させるかが示されている。
KEはまず腸でβヒドロキシ酪酸とブタンジオールに分解され肝臓に入り、ブタンジオールは肝臓でさらにβヒドロキシ酪酸に変換される。すなわち、アシドーシスを誘導することなく、βヒドロキシ酪酸の血中濃度を上げることができる。そして、このβヒドロキシ酪酸はミトコンドリアに入りTCAサイクルを回して、大事な炭水化物の消費を少なくして活動を続けることができる。
論文ではKEがいかに期待通りの代謝改善を行うかを、血液検査、バイオプシーで得られた筋肉細胞の代謝物検査から示しているが詳細は省く。ただ、運動中の筋肉疲労のバロメーターと言える血中乳酸値の上昇が、KE摂取して運動した場合半減するという結果は一般の人にもわかりやすいだろう。
要するに、エネルギー代謝については期待通りの効果が安全に得られたということが詳しく示されている。
当然一番気になるのが運動能力への影響だが、自転車で1時間にどれだけ走れるかを調べたタイムトライアルを行い、炭水化物だけ摂取した群では平均20100mに対しKEと炭水化物を摂取した群では20500mと、平均で411m、トラックにして1週の差が出たという結果だ。
この結果が正しければ、まちがいなくこれまでの食事制限によるケトン体誘導法の代わりになるだろう。
オックスフォードとケンブリッジが共同で進めた研究で、英国のスポーツ選手も全面的に協力した研究であることを考えると、この成果はリオオリンピックの英国のメダル獲得数で示されるかもしれない。
カテゴリ:論文ウォッチ