12月26日:進む膵臓ベータ細胞増殖因子の探索(1月12日号Cell Metabolism掲載論文)
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12月26日:進む膵臓ベータ細胞増殖因子の探索(1月12日号Cell Metabolism掲載論文)

2015年12月26日
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今年6月25日意外な膵β細胞増殖因子と題して、RANK/RANKLシグナルを抑制する因子が膵臓β細胞の増殖を誘導することを示した論文を紹介した(motonobu.matsumoto@jp.sunstar.com)。このように、成人のインシュリン分泌細胞数を増やす因子の探索は、もともとインシュリン分泌能の低い日本人の糖尿病の治療には重要なテーマだ。今日紹介する論文も同じように膵臓ベータ細胞増殖因子を探索する研究で、糖尿病研究に特化したアメリカ・ジョスリン研究所から1月12日号のCell Metabolismに発表された。タイトルは「SerpinB1 promotes pancreastic β cell proliferation(膵臓β細胞の増殖をSerpinB1が促進する)」だ。この研究が増殖因子探索のために用いた方法はユニークだ。まず肝臓細胞のインシュリン受容体をノックアウトしたマウスを作成する。するとこのマウスの肝臓はインシュリンに対する反応性を失い、インシュリンを感知してフィードバックをかける回路が欠損する。この結果体全体としては、インシュリンが分泌できていないと解釈され、肝臓から膵β細胞の増殖を促す因子が分泌され、膵β細胞が増殖する。この現象を利用して、肝臓がインシュリン感受性を失った時に肝臓が分泌する因子を探索し、SerpinB1を特定している。   この分子を試験管内や生体に投与すると、期待通り膵β細胞の増殖が見られる。また、魚から人まで、この効果を認める。以上の結果から、肝臓がインシュリンを感知しないとSerpinB1が分泌し、インシュリンの分泌を促していることがわかる。分子構造的には、SerpinB1はタンパク分解酵素、特にエラスターゼの阻害分子なので、エラスターゼを阻害する化合物でこの機能を代換えできるか調べると、完全ではないが同じ効果を得ることができるという結果だ。残念ながら、SerpinB1により膵β細胞の増殖のスウィッチが入っているのはわかるが、エラスターゼが作用している直接の増殖因子はこの論文では見つかっていない。あるいはわかっていても、書いていないのかもしれない。いずれにせよ、膵臓β細胞は、成人になってもこの増殖因子の作用で再生を続けており、この作用はエラスターゼで抑えられている。SerpinB1がエラスターゼを抑えると、増殖因子の分解は止まり、膵β細胞が増殖するというシナリオだ。面白い論文だが、増殖因子まで特定できていないこと、糖代謝がしっかり調べられていないので、臨床に役立つかどうかは全く不明だ。
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12月25日:赤鼻のトナカイはなぜサンタさんに選ばれたのか?(12月21日発行Frontiers for Young Minds掲載論文)

2015年12月25日
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Frontiers for Young Mindsというジャーナルを読んだことのある人はほとんどないと思うので、まずこの説明から始めよう。2008年に亡くなったコーヒー貿易商、Klaus Jacobsの遺志で2009年に設立されたJacobs Foundation (http://jacobsfoundation.org/)がある。Klaus Jacobsは知らなくとも、 Jacobsコーヒーと聞くと、ドイツに住んだことのある人なら、「あれか!」と思い出すはずだ。この財団は子供の健やかな成長を助けることを目的としており、その活動の一つとしてこのウェッブジャーナルFrontiers for Young Mindsを発刊している(http://kids.frontiersin.org/)。オープンアクセスなので誰でも読めるのでぜひ訪れてほしい。このジャーナルは健康、地球、天文、脳のセクションに分かれており、論文は要約、前書き、本文、討論、引用論文という普通の科学論文形式で書かれるが、レビューアーは選ばれた少年たちだ。すなわち、彼らにわかることが重要な条件だが、科学的であることが一番重視される。どんな雑誌かは、今日紹介する論文を見てもらえればわかるだろう。ダートマス大学人類学・生物学講座のDominyさんの論文で、タイトルは「Reindeer vision explains the benefits of a glowing nose (トナカイの視覚から赤鼻の利点がわかる)」だ。研究の目的は、赤鼻のトナカイの歌にあるルドルフがサンタさんに選ばれた理由を探ることだ。ここで問題になる歌詞は、「ルドルフは赤鼻のトナカイで、輝くような鼻の持ち主だ。おそらく見た人は、光を発していると思うはずだ。他のトナカイはいつも赤鼻・赤鼻とルドルフを笑い者にして、一緒に遊んでくれなかった。ところがある霧の深いクリスマスイブにサンタさんが来て「ルドルフ、お前の鼻は明るいので、今夜そりを案内してくれないか」の部分だ。この歌詞にはHazenさんの新しい解釈もあるようで、ルドルフの鼻は赤ぶどうの実に似ていて、この木の中に紛れていつも隠れていたようだ。   まずイントロダクションで、この赤鼻が霧のクリスマスに必要かがこの研究の課題だが、こんな鼻がめったに見つからないので研究されてこなかったことを述べている。ここでAnomalous(特異的、異常)を使って、稀であることで差別することの間違いもちょっと諭しているようだ。  さて本文だが、まずトナカイが雪の中で天敵の狼や、食べ物としての苔を見つけるため紫外線まで見ることのできる視力と、光を反射して網膜を守るTapetum Lucidumを持つ動物であることから始まっている。次になぜ霧が視力を妨げるかについての説明だ。特に冬に地面に冷やされて起こる放射霧と氷霧が光を散乱させ、見通しを悪くするかを説明する。そして、この光の透過性も、粒が小さいと透過性の高い色があることを述べる。そして、小さな粒の霧で力を発揮するのが、赤イチゴの波長700nm、すなわちルドルフの赤鼻の波長で、だからサンタの役に立ったのだと結論している。ただ、この赤鼻は多くの血管が鼻に集まることでできているので、熱を失いやすい。だから、もしルドルフを見かけたら、栄養のつく食べ物をあげてほしいと本文を締めくくっている。  最後に討論だが、役に立つ鼻ならどうしてトナカイの中で増えてこないのかを説明する必要がある(進化にまで触れているのには頭が下がる)。一つの可能性として、最近霧の日が減ってきて、あまルドルフの出番がなくなっているのではと議論している。また、赤鼻になった原因は感染性のもので、遺伝しないという他の説も紹介し、様々な可能性を考えるのが科学で、ルドルフの鼻を考えることから極地の光や霧について新しい発見ができると述べて終わっている。(英語で書かれているが、オープンアクセスなのでhttp://kids.frontiersin.org/article/10.3389/frym.2015.00018 で誰でも見ることができるので、絵を見ながら子供に説明してあげてほしい)。   子供に科学とは何かを教えるための素晴らしい試みだと思う。学ぶところの多い、自由な発想の試みだ。わざわざ新たに作る必要はないので、是非日本語訳を作って日本の子供たちに提供しようとする大学生たちが集まることを期待したい。もちろん私も全面的に手伝いたい。
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12月24日:脳血管関門を破る努力(1月6日号Neuron掲載論文)

2015年12月24日
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一昨日、海馬での記憶成立が、炎症時に分泌されるTNFαにより刺激されたアストロサイトにより阻害されることを示した論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/4602)。多くの読者は、TNFαが原因ならリュウマチなどの炎症性疾患の治療に使われている抗TNFα抗体を使えば治療可能ではないかと考えられたことだろう。残念ながら抗体薬の血液から脳内への移行は他の組織と比べて極端に低い。これは、脳血液関門と呼ばれる機構が存在するためだ。脳を血中に入ってくる様々な物質から切り離して恒常性を保つための合理的な機構だが、抗体治療のためには厄介な関門だ。関門を全部開けてしまうと脳の恒常性は保てない。従って脳に入れたい抗体だけ特異的に脳へ移行させられないかという研究が現在も続けられている。この目的にもっともかなった仕組みとして期待されているのがトランスサイトーシスと呼ばれる機構で、血管の内側から外側へ内皮細胞を通して物質を運ぶ分子だ。一番よく研究されているのがトランスフェリンで、昨年1月この機構を利用した脳血管関門を破る努力を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/998)。今日紹介する老舗のバイオベンチャー(もう武田薬品より売り上げが大きいことからベンチャーと呼べないかもしれない)ジェネンテックからの論文はトランスフェリンより優れたトランスサイトーシスの標的を発見したという論文で1月6日発行予定のNeuronに掲載されている。タイトルは「Discovery of novel blood brain barrier targets to enhance brain uptake of therapeutic antibodies (治療用抗体の脳への取り込みを促進するための血管脳関門の新しい標的の発見)」だ。研究の手法は単純で、脳血管に選択的に発現している細胞表面分子に対する抗体を作成し、その中から静脈に注射した時、脳に速やかに移行できる抗体を探索するという順序で研究を行っている。実際には、脳血管内皮をFACSを使って純化し、他の組織の血管内皮には発現していない細胞表面たんぱく質を網羅的にリストして、それぞれに5種類の抗体を作って、その脳への移行を調べる方法を行っている。大学の若手の研究室では到底太刀打ちできない物量戦術だ。しかし単純なほど結果は明確で、この中からCD98hcという分子に対する抗体の移行がもっとも効率がいいことを発見する。重要な結果はこれだけで、あとは半分がこの抗体、もう半分がアミロイドβに対する抗体のキメラ抗体を作って、この方法でアミロイドβに対する抗体も脳内移行させて将来治療に使えることを示している。前回紹介した研究はロッシュ、今回はジェネンテックと、企業が着々と抗体治療の可能性を広げようとしていることがよくわかる論文だ。次は腸管内皮を超えて血中に入る抗体(ミルクに混ぜて飲む抗体薬)を開発して、抗体薬をもっと安い身近なものにする研究が進むのではと期待している。
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12月23日:DNAメチル化による転写調節(Natureオンライン版掲載論文)

2015年12月23日
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「DNA メチル化による転写調節」などとタイトルをつけると、何を今更と思う人も多いのではないだろうか。確かにDNAメチル化が染色体構造を閉じて、転写因子の結合を阻害し、遺伝子発現を抑制すると教科書にも書かれている。しかし、この話がはっきりしているのは、生殖細胞と体細胞の区別、X染色体不活化、インプリンティング、外来遺伝子不活化などの過程でメチル化の標的になる遺伝子の話で、発生や分化に関わる普通の遺伝子の発現調節にDNAメチル化がどのように関わるかについては、実はわかっていないことが多かった。今日紹介するスイス・バーゼルにあるミーシャー研究所からの論文は、マウスES細胞の特性を生かしてこの問題を解明した研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Competition between DNA methylation and transcription factors determines binding of NRF1(DNAメチル化と転写因子の競合がNRF1の結合性を決める)」だ。この研究ではメチル化に関わる酵素が完全に欠損したマウスES細胞が使われている。体細胞はDNAメチル化ができなくなると死んでしまうが、ES細胞だけはDNAメチル化が欠損してもなんとか増殖を続ける。この特徴を活かすことで、DNAメチル化によって結合が影響される転写因子を特定することができる。研究ではまずES細胞で転写因子が結合できるよう開かれたゲノム領域を網羅的に比べている。全体的にみると、DNAメチル化が起こらなくとも転写活性領域の大きな変化は見つからないが、それでもメチル化がない時だけ活性化される領域、またその逆も特定することができる。すなわち、メチル化の有無で転写因子が結合したり、結合が阻害される部位、すなわちメチル化が転写調節に関わる領域がはっきり存在することになる。DNAメチル化が阻害されると転写が活性化される領域を詳しく見ると、転写が開始される場所から離れたメチル化の標的になるCpG配列の密度が低い場所が多いことがわかる。これまでメチル化による転写阻害がはっきりしている遺伝子のほとんどはCpG密度が高いので、これとは明らかに違う場所だ。このメチル化に影響される領域の配列から、これに結合する転写因子をリストし、このリストからNRF1分子を選んで後の研究を進めている。ここまでくると、あとは粛々と転写因子の結合とメチル化を厳密に調べればいい。結果は期待通りで、様々な系で調べて、NRF1の結合が結合部位のメチル化により阻害的に調節されていることを明らかにしている。ES細胞の培養条件を変えたり分化を誘導してNRF1結合部位を調べると、細胞分化状態によりメチル化が制御され、その結果NRF1の結合が決められることが明らかになった。すなわち、分化や脱分化で結合部位のメチル化が変化し、遺伝子の転写が調節を受けることがはっきりした例が見つかったことになる。最後にNRF1結合部位のメチル化を調節するメカニズムについて調べ、CTCFや RESTのような遺伝子領域の染色体構造を調節する分子が間接的に関わるメチル化・脱メチル化機構が関与することを明らかにしている。このの研究で選ばれたNRF1はパイオニア因子と呼ばれ、DNAに結合すると染色体構造を開く力がある。このような分子を排除して、発生や分化の恒常性を保つというのは解りやすい。今後ES細胞の分化やリプログラミング過程を用いて、このような現象の解析がさらに進むだろう。その結果、多能生幹細胞を介さず、自由にエピゲノムを変化させて、欲しい細胞を誘導する時代が到来すると予想できる。これまで目にした中では、DNAメチル化の役割を理解させてくれたいい研究だと思う。
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12月22日:炎症による記憶障害のメカニズム(12月17日号Cell掲載論文)

2015年12月22日
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神経と神経のシナプス接合は、周りに存在するアストロサイトと呼ばれるグリア細胞によって調節を受けている。現在、炎症性疾患や変性性疾患がアストロサイトと神経の相互作用の異常に起因するのではないかと研究が進んでいる。今日紹介するローザンヌ大学からの論文は、TNFα刺激により誘導されるアストロサイトの活性化が海馬での記憶を障害するメカニズムを明らかにし、このメカニズムが多発性硬化症に関わることを示した研究で12月17日号のCellに掲載された。タイトルは「Neuroinflammatory TNFα impairs memory via astrocyte signaling (神経炎症により誘導されるTNFαはアストロサイトを介して記憶を障害する)」だ。これまでの研究でTNFαによりアストロサイトが刺激されると記憶が障害されることは知られていた。この研究では、TNFαが海馬歯状回に存在して記憶に関わる顆粒細胞と嗅内皮質から伸びる神経軸索(貫通繊維)とのシナプス結合を変化させるかどうかを、海馬から切り出したスライスを用いて調べ、まず歯状回にTNFαを一定量以上局所注入すると顆粒細胞の興奮が高まることを確認している。次に、この変化がTNFαによりアストロサイトのグルタミン酸分泌が亢進し、これが貫通繊維の発現するグルタミン酸受容体を介してシナプスの興奮を誘導する結果起こることを、同じスライスを用いて明らかにしている。次に、炎症性神経疾患の多発性硬化症モデルで実際にこの回路が関わるかどうかを調べるため、アストロサイトだけにTNFα受容体を誘導できるマウスを作成し、調べている。結果は期待通りで、アストロサイトがTNFα受容体を発現している場合だけ、恐怖記憶の成立が障害されていることを突き止めている。すなわち、炎症により誘導されるTNFαがアストロサイトを刺激、記憶の成立を妨げることが明らかになった。このシナリオから、TNFαシグナル阻害と、貫通繊維のグルタミン酸受容体の阻害が治療候補として考えられるが、海馬記憶を改善する目的で現在臨床研究が進んでいるグルタミン酸受容体に作用する化合物はマウス多発性硬化症モデルではあまり効果がなく、新しいグルタミン酸受容体阻害剤開発の必要性を示している。一方、TNFαシグナル阻害は炎症全般を抑制するのに効果があり、この回路だけに関する効果を調べることは難しい。しかし、海馬の局所的炎症がアルツハイマー病にも関わるということが示唆されていることから、アルツハイマーモデルでTNFαシグナル阻害により記憶障害が改善されないか確かめてみるのは重要だと思われる。単純な研究だが、臨床への出口も示している面白い仕事だと思った。
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12月21日:マウス胚を用いたヒトiPSの全能性検査(1月7日号Cell Stem Cell掲載論文)

2015年12月21日
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一昨年まで、ケンブリッジにあるAustin Smith所長のケンブリッジ幹細胞研究所のアドバイザリーボードのメンバーだった。ともにケンブリッジにあった、ウェルカムトラストの研究所とMRCの研究所が統合してできた研究所で、研究目的が幹細胞や再生医学と似ているなら、違う組織に属している研究所も一体化できる英国の合理性に感心した。この一体化で、ケンブリッジの研究所は基礎から臨床まで切れ目ない優れた研究所に発展した。統合前のMRCに属する研究所の所長がRoger Pendersenで、英国の伝統的マウス胚発生学の豊富な知識の上に多能性幹細胞の研究を行ってきた。今日紹介する論文は彼の研究室からの論文で、著者は彼とポスドク(おそらく)の2名だけというのも英国の伝統的発生学を思い起こさせる。タイトルは「Human-mouse chimerism validates human stem cell pluripotency(ヒト〜マウスキメラ作成によりヒトの幹細胞の多能性が評価できる)」だ。   現在ヒトESやiPSが多能性を持つことを確かめるためには、試験管内で細胞分化を誘導し、外胚葉、中胚葉、内胚葉系の細胞が出現するか、あるいはマウス体内に注射してテラトーマを作らせるしかなかった。代わりにマウス胚に直接注射して分化能を確かめることも行われているが、寄与率は低く、移植したヒト細胞は当然ホストのマウス細胞に置き換えられてしまう。ただ、胞胚期に移植する方法がうまくいかないもう一つの原因は、ほとんどのヒト多能性幹細胞がエピブラスト段階にあるためで、移植する胚を中胚葉誘導期まで進んだ胚にしてみたらどうかと着想した始まったのがこの研究だ。この目的で得意中の得意であるマウスの全胚培養を使い、原腸胚にES/iPSを移植した後、胚を2−3日培養して、移植した細胞の分布を調べている。詳細は省くが、移植した細胞はマウス胚の中を移動し、3胚葉に分化できること、移植場所やステージによって移動する場所が異なること、分化マーカーの発現と、分布場所が完全に対応しており、マウス細胞と同じようにマウス胚内で振舞うことなどを示している。要するに、分化段階を揃えた移植を行えば、ヒトの細胞でも短期間はマウス胚内を決められたパターンに従って分化していくことを明らかにした。おそらく後期になると、増殖因子のミスマッチなどでヒト細胞は消えていくと考えられるが、マウス胚培養期間ならそれもほとんど問題にならない。英国発生学の長い伝統と、やはり英国の幹細胞研究の伝統が融合したいい仕事だと思う。今後、より分化した細胞を移植する研究も進むだろう。一方、この方法が多能性の評価のスタンダードになると、ヒト全胚培養が新たに流行するかもしれない。おそらくRogerも自分の投げた石がどれほど大きな波になるか見守っているだろう。
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12月20日 自閉症・統合失調症マウスを作成できるか?(1月6日号Neuron掲載論文)

2015年12月20日
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今Silberman著のNeurotribesという、8月に出版された本を読み終わろうとしているが、自閉症という疾患概念がどう形成されたのかを知りたい人にとってお勧めの本で、ぜひ邦訳を望む。私にとって最も印象深かったのは、Aspergerを除くと、自閉症概念形成を担ったのが、 Kanner, Franklなどの東欧出身のアメリカに脱出したユダヤ人で、さらに一般にこの疾患を認知させたRainmanの主役Dustin Hoffmanも東欧出身のユダヤ家族に生まれた俳優だったことだ。本の内容とは全く無関係(?)の枝葉末節の話だが、フロイドを思い起こすと、ユダヤ人の能力が変に気になった。もちろん21世紀、自閉症や統合失調症研究に大きな位置を占めるようになったゲノム研究についてはこの本では扱われていない。これまでも紹介してきたが、自閉症や統合失調症と関連するゲノム領域が続々発見され、これまで双子の研究から想定されていた疾患の遺伝性の根拠が徐々に明らかになっているが、発見された遺伝子変異が病気の発症に至るメカニズムについてはまだまだ納得いく説明はない。これは動物モデルがないからだが、複雑な神経疾患を動物で再現するのは至難の技だと素人の私でも思う。それでも、遺伝子によっては動物モデルが疾患の理解に役立つ場合もあるようで、今日紹介するマサチューセッツ工科大学の論文は、発症に関わることが明確な単一遺伝子変異をマウスに導入して脳機能の障害を再現した研究で、1月6日号のNeuronに掲載された。タイトルは「Mice with Shank3 mutations associated with ASD and Schizophrenia display both shared and distinct defects(自閉症や統合失調症と関連している異なるShank3遺伝子変異を導入したマウスは共通の症状とともに、変異特異的症状を示す)」だ。Shank3遺伝子はシナプスで信号を受ける側の膜受容体を準備する時に重要な働きをする気質となる分子複合体の一つで、精神発達遅延を伴う自閉症を持つ兄弟に発見された自閉症型変異(A型としておく)と、15−16歳で統合失調症を発症した兄弟に見つかった統合失調症型(S型としておく)が見つかっている。この研究では、A型とS型の変異を持つマウスを作成し、その行動、生理学、病理学を比べた研究だ。結果は期待以上に様々な症状を示している。詳細を省いて結果だけをまとめると、
1) A型変異では遺伝子発現がほとんどなくなっているが、S型変異では短いShank3分子が発現している。
2) A型変異を持つマウスは線条体のシナプス結合が発達期から障害されるが、S型は前頭前部でのシナプス結合が障害される。
3) 行動で、母親から離した時の反応。他のマウスへの興味など社会性が障害され、毛づくろいなど皮膚に傷がつくまで続ける。
4) 本を読んだ後で面白いと思ったのは、他のマウスと出会った時、その存在を全く意に介さないという症状が両方のマウスで見られることだ。自閉症の診断基準の一つに、他人がいないかのように通り過ぎるというのがあるが、マウスでも調べる系があるようだ。
5) シグナルを受ける側のシナプスで受容体の濃度が減少し、神経スパインも減少することから、行動や生理学的以上の基盤が確かにシナプス結合異常にある。
これ以上詳しく述べても仕方ないだろうが、同じ分子の異なる場所の変異でこれほど違った症状が出ているのを見ると、期待できる動物モデルが出来た気がする。これまで、自閉症や統合失調症と関連付けられた遺伝子変異は100を越すだろう。また、自閉症と言っても症状は多様だ。しかし、これらに他の疾患で見られない共通の障害が存在することも確かだ。この共通性と特殊性を考えるには、いいモデル動物ができたのではと期待する。
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12月19日Nature編集者が推薦する今年の論文(Nature 528, 490, 2015)

2015年12月19日
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毎年年末になると様々な雑誌で今年の顔が紹介され、Natureの選んだ今年の10人について日本のメディアやソーシャルネットが紹介するのが恒例になっている。ただ、ほとんどが真面目に一人ずつ解説するということがない。自分の注目する研究が選ばれたかどうかだけが記事の内容では、まともな科学ジャーナリズムは生まれない。全体を理解する努力をした上で、個別を考えることが重要だ。かく言う私も、10人全員について書くのは大変なので、Natureの編集者の選んだ今年の論文を紹介してみよう。
1) 「局所的実在性法則の否定」: ベルの不等式の否定、あるいはいわゆる量子エンタングルメントの完全証明実験が今年初めて行われたようだ。物理の話をしっかり読むことはないが、それでも全く離れたところで起こる量子現象が絡み合っているという量子力学の予測は、観測問題とともに面白い。もちろんここで私がキーボードを打っている因果性が、他のコンピュータを動かすといった、巨視的世界のSF的因果性ではないが、この現象は17世紀に始まる近代科学とは何かを一般の方に伝える時よく引き合いに出している。これまで、素人の私ですらエンタングルメントを証明したという論文が出ているのを何度か目にしてきたが、今回はこれまでの実験の問題を全て解決できているようだ。
2) 「月の軌道の形成」:  月は、地球から飛び散った破片が徐々に集まって形成されたとされている。この時に生まれたと考えられる月の軌道は、力学的に地球の赤道面に近いと予想できるが、現在の軌道は傾いている。この原因をコンピュータを用いて推定したのがこの研究で、地球全重量の1%程度の融合しなかった大きな破片の力が加わって月の軌道の傾きが生まれたと結論している。新しく示された可能性は、金やプラチナなどの地球の分布を説明できるようだが、このおかげで毎月皆既日食が見られないことが私には重要だ。
3) 「幹細胞での非対称的ミトコンドリア分配」:  幹細胞を描く時、自己再生する細胞と、分化する細胞が一つの幹細胞から発生する、不等分裂を描くのが普通だ。様々な幹細胞システムでこのプロセスはよく研究されており、例えば11月25日にも、筋ジストロフィーの原因分子ジストロフィンが筋肉幹細胞の不等分裂をガイドしているという研究を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/4448)。ここで選ばれた論文は、ミトコンドリアの分配も非対称的に行われることを示した研究で、新しくできた方のミトコンドリアが幹細胞側に選択的に分配される結果だ。元幹細胞研究者としてこの論文を見落としていたのはちょっと反省する。
4) 「細胞系譜の新しい特定法」:  単一細胞レベルで遺伝子発現やエピゲノムを調べ、細胞分化の系譜を追跡することが盛んに行われている。通常、発現している遺伝子の種類からクラスター解析を行い、その細胞の系譜を特定するのだが、これまでの情報処理方法ではうまくいかないことが多い。これを解決するため、推計学的に極端に発現が高い遺伝子を特定して系譜を推定するRaceIDと名付けられたソフトの開発が今年の論文として取り上げられている。腸上皮幹細胞システムにこれまで知られていなかった新しい細胞が、このソフトで特定できることは、今後細胞系譜研究の有力な武器になりそうだ。
5) 「使う事のできない化石燃料」:  COP21では意欲的目標が設定されたが、この温暖化政策によって使用を制限されるべき化石燃料の分布を発表されているビッグデータを用いて計算し、排出権の売買が政策の重要課題になることを示している。この研究は、現在低調になっている排出権市場を活性化するカンフル剤になるのだろうか?
6) 「マラリア対策の評価」:  今年のノーベル賞は中国Tuさんの抗マラリア薬開発に与えられたが、完全に撲滅できているわけではない。取り上げられた論文は、21世紀に入ってからマラリア対策として有効だった様々な要因を計算している。結果だが、蚊帳の普及が一番大きな効果を発揮していることを示している。その上で、マラリアで死亡する子供を完全になくすには、効果のあるワクチンの開発が必須であと結論している。
7) 「ハルシゲニアの形態解明」:  カンブリア大爆発で生まれた動物の多様性ほど私たちを魅了するものはない。化石に触れられるわけではないのにこの魅力に惹かれて、私は一昨年にカナダバージェス山ま出かけ、山に向かうだけで大変感動した。実際に化石を探している研究者はもっと大きな感激を味わっているはずだ。この幸運に恵まれたグループが、最も奇怪なカンブリア生物ハルシゲニアの完全な化石を発見し、長い頭と2つの目を持つことを明らかにし、他のカンブリア生物との系統を明らかにした。ただ、想像図に色まで付いているその根拠も知りたかった。
8) 「新しい錠剤生産法」:  考えたことがなかったが、正確な量の薬を錠剤にする際、薬ごとに様々な条件検討が必要なようだ。特に大気に含まれる蒸気、酸素、炭酸ガスと反応する薬剤の錠剤やカプセル製作は難問だったようだ。これをパラフィンワックスカプセルという当たり前とも思える方法を用いて解決した論文が選ばれている。何か狐につままれたような話だ。
以上がNature編集者の選択だ。ビッグデータを扱う研究が増え、コンピュータを用いた計算機科学がますます重要になっているのがわかる。また、Natureの編集者も、南北格差、温暖化などの社会問題を重視しているのもうかがえる。私にとっては、物理の論文は別にして、幹細胞の重要な研究を見落としていたのは悔やまれる。何が一番面白かったか。よその庭は綺麗に見える。なんといってもエンタングルメントだ。光子を出すダイヤモンド格子をイギリスで、乱数生成装置はスペインで別に作って、オランダで実験しないと証明できないことがある。それを私たちは科学的事実と認める。来年はこの話を様々な機会に使ってみたい。
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12月18日:大腸ガンとホメオボックス遺伝子:臨床と基礎を直結させるために(12月14日Cancer Cell掲載論文)

2015年12月18日
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5年ぐらい前、ガン研究大型予算の助成を受けている選ばれた研究者のヒアリングに参加した時、日本のガン研究の問題として、研究が動物実験の段階にとどまっているように感じた。現状はわからないが、論文を読んでいると、この問題は解決していないように思える。もちろん、すべて動物実験を排除せよというのではない。ほとんどが動物実験でも、実際の臨床例が頭の片隅ででも対応付けられているかが大事だ。今日紹介するスイス・EPFLからの論文は臨床を念頭に置いて動物実験を行うことがどんなことか教えてくれる一例で12月14日号Cancer Cellに掲載されている。タイトルは「HoxA5 counteracts stem cell traits by inhibiting Wnt signaling in colorectal cancer (HoxA5は直腸癌のWntシグナルを阻害して幹細胞性に拮抗する)」だ。研究自体は比較的単純で、動物実験だけなら論文を通すのは難しいだろう。腸管上皮の幹細胞の自己再生に必須のWntシグナルを抑制した時、HoxA5と呼ばれるホメオボックス遺伝子が活性化することを発見し、これが自己再生を止めて細胞分化を誘導するのではと着想したところから始まる。この考えを確かめるため、腸管の幹細胞でHoxA5を発現させると、自己再生が止まり、文化が促進する。逆にHoxA5をノックアウトすると自己再生が高まる。ここからだが、では実際の直腸癌ではどうなのか、直腸癌の遺伝子発現データベースを調べている。この一手間が、この基礎研究を臨床例に結びつけている。期待通り、HoxA5を発現している直腸癌の予後は、発現の低いガンと比べるとかなりいい。また直腸癌にHoxA5を発現させると、ガンが分化する傾向を示す。そこでモデルマウスに戻って、HoxA5を誘導することが知られているレチノイン酸をガンに加えると、HoxA5を発現してガンの発生や転移を抑制することができる。もちろんヒトの治療実験までには早いが、人の細胞株の一つではレチノイン酸によりガン細胞が分化するということも確かめている。もともと、PMLと呼ばれる白血病の治療にレチノイン酸が使われていることを考えると、面白い可能性だ。様々な薬剤も開発されていることを考えると、臨床にも近いかもしれない。
  現役時代よく使って驚いたが、ガンの遺伝子発現データベースは素晴らしく整備されている。もし我が国のガン研究が、5年前と同じようにモデル系から抜け出せていないなら、この国際的財産であるデータベースを使いながら、基礎と臨床をダイナミックに結びつける研究を期待したい。共著者として京大の西田さんたちも入っているので、共同研究を通して「一手間」が当たり前の習慣が身につけばと思う。
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12月17日:成熟T細胞の寿命(12月9日号Science Translational Medicine掲載論文)

2015年12月17日
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このホームページでも紹介したが、白血病に対するCART(キメラ抗原受容体T細胞)治療の効果は劇的だ。手の施しようのなかった患者さんの白血病が、1−2回のCART治療で消失する。こういう話はよくあるので、それだけでは驚かないが、白血病細胞だけでなく、同じ抗原を発現している正常B細胞まで綺麗に消えてしまうという結果を見ると、CARTの威力を思い知る。もちろんこれを裏返せば、CARTが体内で正常B細胞を殺し続けるという副作用を持つことを意味する。もしできるなら、必要なくなったときCARTの方を殺せないかと思うのは当然で、現在様々な試みがすでに進んでいる。また、CART治療では成熟T細胞が移植されるが、その細胞の体内での寿命はどの程度のものかも知りたくなる。今日紹介するイタリア・ミラノからの論文はヒトに移植した成熟T細胞の動態を長期にわたって追跡した研究で12月9日号のScience Translational Medicineに掲載されている。タイトルは「Tracking genetically engineered lymphocytes long-term reveals the dynamic of T cell immunological memory (遺伝子改変T細胞を追跡することで免疫記憶T細胞の長期にわたる動態が明らかになる)」だ。タイトルにあるように、この研究では遺伝子を改変し印の付いたT細胞を人間に移植し、その動態を長期間追跡している。「えっ!そんなことしていいの?」と驚かれるかもしれないが、もちろん追跡のために遺伝子改変したわけではない。また、正常細胞に遺伝子を導入して移植する研究分野ではイタリアは先進国だ。この研究では、骨髄移植に際して最も重大な副作用である移植した細胞に含まれるT細胞が宿主の細胞を攻撃するGvHRを防ぐ意味でT細胞を除去した幹細胞移植を行った後、免疫機能を高める目的で幹細胞とは別にT細胞を移植した10人の患者さんを追跡している。このとき後から移植する成熟T細胞は、GvHRを起こしたときに、それを抑制できるように自殺遺伝子と細胞表面マーカー遺伝子を導入してある。実際、この自殺遺伝子を使って、GvHRが始まった患者さんが治療されている。いずれにせよ、標識された成熟T細胞が移植されたわけで、この細胞を最長14年にわたって追跡したのがこの研究だ。様々な実験が行われているが、詳細は全て省いて結論だけをまとめると次のようになる。まず標識されたT細胞は、0.1%-10%の範囲で、末梢血内に長期間観察することができる。ほぼすべてのタイプのT細胞がこの中には含まれ、ウイルスベクターの組み込み位置からみて複数のクローンが維持されている。さらに、移植後出会ったサイトメガロウイルスや風邪ウイルスに対する免疫記憶も維持されているという結果だ。この結果は、一度移植したCARTが長期間体内に留まり続けて白血病やB細胞を殺し続けられるという結果を支持しており、成熟T細胞移植が値段の安い治療として発展する可能性を示唆している。おそらくこの研究と同じように、自殺遺伝子と標識を組み込んだT細胞を使うのが普通になると、この細胞だけもう一度取り出して万が一のために残しておいて、必要なくなった体内のCARTなど移植T細胞を殺して副作用を止めるという治療に発展するだろう。このような治療法開発のために、これは貴重な研究だと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ
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