2018年10月2日
昨日仕事からの帰りの電車の中で本庶先生のノーベル賞受賞のニュースを聞いた。James Allisonとの共同受賞で、免疫チェックポイント治療がこれほど急速に普及し、多くのガン患者さんを救っていることが評価された。もともと本庶先生は、免疫グロブリン遺伝子のクラススウィッチが遺伝子再構成により起こることを発見した業績で有名で、私も免疫学会でアメリカから帰ってきたばかりの本庶先生がGパン姿でこの話をしたのを今もおぼえている。その後、このメカニズムをめぐって長い研究が続き、本庶先生が医学部長の頃、ついにAIDを発見し、このメカニズムを解明した。その時、教授会で「もう安心して引退できますね」と余計なことを言ったところ、「これからや」と一喝された。
今回のノーベル賞にちなんで、何かチェックポイント治療に関わる論文が手持ちのリストにないかどうか見てみると、一つ総説があったので、今日はそれを紹介することにした。コーネル大学医学部を中心として、様々な国の臨床家が集まって書いた総説で、ちょっと古いが9月19日号のScience Translational Medicineに掲載された。タイトルは「The hallmarks of successful anticancer immunotherapy (ガンの免疫療法の成功のための指標)」だ。総説としては羅列的で、そう面白くはなかったが、扱う問題は大事だ。
さて私がガンの根治の鍵は免疫が握っていることをはっきりと認識したのは、実は現役を退いてから、CAR-Tと呼ばれるガン抗原に対するキメラ抗原受容体を発現するT細胞による白血病の治療治験の論文を読んだ時と、メラノーマに対する抗CTLA4及び抗PD-1抗体の効果についての治験論文を読んだ時だ。20世紀後半のがん免疫に関する研究が、ついに臨床に実ったと強く感銘を受けた。
とはいえ、すべての患者さんが免疫療法に反応するわけではない。どうしても反応する人と、反応しない人が出てしまう。この差を決めるさまざまな指標についてまとめているのがこの総説論文だ。ただ、まだまだ効果を前もって予測する決め手はなく、やってみないと分からないことが強調されている。総説の順番に紹介する。
ガン細胞側の要因
チェックポイント治療(CPT)は、すべての免疫機能を活性化するので、それがガンの治療に有効であるためには、まずガンに対する免疫が成立している必要がある。現在この指標が最もよく研究されている。
免疫成立には、正常には存在せず、ガンにだけ存在する抗原の存在が必要で、これをネオ抗原と呼ぶが、これはガンゲノムに突然変異が多いほど、存在する確率が高くなる。CPTが最初に認可されたメラノーマは日光にさらされ多くの変異があると考えられるし、肺がんもタバコをはじめとする様々な因子に晒されて変異が多い。最近、FDAはDNA複製エラーを修復する酵素の不全が認められる患者は、ガンの種類を問わず CPTの適用として認めたが、これも修復酵素欠損で突然変異によるネオ抗原の数が上昇するからだ。
また、ガン細胞内で自然免疫が刺激される状態にあると、免疫反応が高まるため、CPTも効果が高くなる。また、インターフェロンの分泌が高いと免疫の成立が抑えられることもわかっており、癌自体誘導性も治療の成否に深く関わる。
一方、癌自体が免疫を抑えると、予後が悪い。もともとCPTはPD-L1を発現する癌により、PD−1を介して免疫反応が弱められるのを、抗体で抑えるから効果を示す。その意味で、治療前のガンがPD-L1を発現している事は、この治療が効果を持つ可能性が高い。他にも、免疫機能を抑えるさまざまな分子が知られており、これらの発現から治療効果を予測することができる。
ネオ抗原は組織適合性抗原と結合してはじめて免疫原性を示す。そのため、がん細胞に組織適合性抗原が発現していないとCPTは効果が無い。このような免疫の標的になりにくいがんの特徴を知ろうと研究が続いているが、まだ認定されたガンの感受性指標はまだはっきりしていない。
癌組織浸潤細胞の要因
実際の患者さんのがんのリンパ球の構成を調べることは簡単でない。しかし、浸潤細胞の構成や、がん組織内での分布、そして浸潤細胞の機能を調べることは今後のCPTの効果を占う上で大変重要で、予後に関わるいくつかの指標もわかりつつあるが、まだまだ研究と経験が必要だ。
最も重要なのが、がん組織に癌を殺す機能を持つリンパ球浸潤がはっきりしていることで、これが多いと免疫が成立している可能性が高く、重要な指標になる。逆に、いわゆる抑制性T細胞とそれを誘導する樹状細胞の存在はCPTの効果が低いことを予言する。他にも最近では、NK細胞は免疫成立を高めることも知られている。
ただ、このような浸潤細胞の絶対数を算定することは簡単ではない。
組織上の浸潤細胞の分布も予後因子になる可能性がある。がんの中まで浸潤しているか、がんの周辺だけに存在するのかなど、世界規模の研究が進んでいる。今後、癌の組織像から効果が占える時が来るのではと期待される。
また、浸潤細胞により分泌されるサイトカインなどの種類も予後を知るのに利用できる。例えば、インターフェロンの発現はがん免疫の成立を抑制している。このような機能的な分子パネルを作成するために研究が進んでいる。
ガンのストローマと血管
ガンの活動を調節する最も重要な条件が、ガン周囲の環境で、ガン組織で間質細胞のタイプは予後を占う因子として、標識の探索が続いている。また、浸潤リンパ球の入り口になる血管細胞の性質もCPT の効果を予測するための重要な指標となる。ただ、これは当然ガンごとに多様で、はっきりとしたする分子マーカーの発見にはいたっていない。
全身性の要因
長くなるので、これ以上詳しい紹介はやめるが、もちろん様々な全身性要因も予後因子になることが知られている。例えば、腸内細菌叢がCPTの効き方に影響するという研究などはその典型だ。
結局この総説は羅列的で、まとまりのないものだが、結局まだまだCPTの効果を予測するのは難しいことを物語っている。このような状況から、一つの指標で確実に予後を占えないことは確かなので、指標を組み合わせて診断することが重要になる。いくつかの指標をdeep learningさせて診断するAIの開発で、ここでは紹介されていないが、最近論文の数が増えてきたことから、おそらく予後診断の中心になるような気がする。
もっとふさわしい論文を選ぶべきで、いつものことながら、本庶先生の期待を裏切ることになった。とはいえ、本庶先生おめでとうございます。
2018年10月1日
9月19日、「医療の対象としての老化」というタイトルで、JAMAに掲載された3編の意見論文を紹介したが、要するに体全体の老化を、役立たなくなった老化細胞を積極的に除去することで遅らせることができるという結果に基づき、老化を医療の対象にすることができるという、前向きの話だった。またこの総説だけでなく、実際私のブログでも同じ内容の論文を多く紹介してきた。従ってよく似た論文がでても、少々のことでは驚かないのだが、今日紹介するメイヨークリニックの論文を読んで、また驚いてしまった。
タイトル「Clearance of senescent glial cells prevents tau-dependent pathology and cognitive decline(老化したグリア細胞を除くことでタウタンパク質による認知機能低下を抑えることができる)」で、Natureオンライン版に掲載されている。
9月19日に紹介した3編の総説のうち一編(http://aasj.jp/news/watch/8968)、および7月15日に紹介したNature Medicineの論文(http://aasj.jp/news/watch/8679)とも、メイヨークリニックの老化研究所からの論文だったが、今日紹介するのもグループは異なるがメイヨークリニックで、メイヨークリニックが老化研究に重点を置いているのがよくわかる。
今日紹介する論文の発想は、「同じ柳の下にドジョウ」の話で、発想は単純だ。異常Tauタンパクを発現するアルツハイマー病モデルマウスの認知機能の低下を、これまで用いられている老化によりp16が発現した細胞を薬剤でアポトーシスを誘導して除去する定番の方法ATTAC法を用いて防げるか?すなわちアルツハイマー病の発症に異常たんぱく質の蓄積だけでなく、グリア細胞の老化も関わっているのかを調べた研究だ。
まず予備実験として、変異型Tauを神経で発現させたトランスジェニックマウスの脳を調べ、期待通りp16を発現したアストロサイトやミクログリア細胞が集積することを確認する。そのあと、このp16陽性老化グリア細胞の増加を、薬剤でアポトーシスを誘導できるようにしたATTAC法で止められるか調べている。すなわち脳内のグリア細胞の中でp16陽性老化細胞を積極的に除去できることを確認して、タウタンパク質の沈殿によるアルツハイマー病の発症に老化グリア細胞が関わっているかどうかの実験に進んでいる。
すなわち、タウトランスジェニックマウスと、p16―ATTACマウスを掛け合わせ、3週間目からカスパーゼを活性化する薬剤投与を週2回行い、p16を発現した老化グリア細胞を除去し続けると、海馬でのタウタンパクの蓄積を防げることを示している。
また、タウトランスジェニックマウスは8ヶ月で神経変性を起こしてくるが、この神経変性をATTACによる老化グリア細胞除去で防ぐことができる。
そして最後に、実際の治療を考えて、p16-ATTACトランスジェニックマウスを掛け合わせるのではなく、タウタンパク質が蓄積するアルツハイマーモデルマウスを、細胞のアポトーシスを防ぐ機能を持つBcl2の機能を抑えるABT263で治療することで、リン酸化タウの上昇を抑えられるか調べ、見事にタウタンパク質の沈殿を抑えられることを示している。
アポトーシスを逆に高めてやることが、アルツハイマー病を抑えることを示したわけで、これが本当ならこの分野の創薬は大きく変化する可能性がある。今後他にも、オンコリティック薬剤としてやはり期待されている非特異的キナーゼ阻害剤ダサニチブもテストされるだろう。研究のシナリオ自体は陳腐になっているが、同じシナリオを適用できる分野の幅がこれほど広がっていくのに、ただただ目を見張っている。
2018年9月30日
自閉症スペクトラム(ASD)の最も重要な症状は、社会性の障害、言葉の発達障害、そして繰り返し行動だが、これらは全て社会性の障害を起点に説明できると個人的には思っている(あくまでも私見として聞いてください)。というのも、言語の発達には、他人とのコミュニケーションを求める積極的な気持ちが必要で、社会性が障害されると、当然言語の発達は遅れる。また社会を避けて自分を守ろうと、反復行動を示すのではないだろうか。実際、社会性ではASDの正反対と言えるあまりにも無警戒に他人と関係を持とうとするウイリアムズ症候群の児童は、知能の発達は遅れていても、言語発達は目をみはる。このように、ASD治療の重点は社会性の回復であるとして、これまで愛情ホルモンと呼ばれ、人間の社会性を高めることができるオキシトシンが自閉症の薬剤として期待されている。事実我が国から100名を越すASDに対するオキシトシン経鼻スプレーの効果を調べた論文がすでに発表されており、プラセボ群と有効な違いが得られないという残念な結果に終わっています。ただ、反復行動や、相手の目を見る時間については改善が見られたので、ある程度の効果は認められることも間違いなく、今後更なる研究が必要と結論している(Yamasue et al Molecular Psychiatry :
https://doi.org/10.1038/s41380-018-0097-2 2018)。
ただ、これらの研究の最大の問題は、脳に近い経鼻ルートでオキシトシンを投与したとして、どれほど脳に移行するのかよくわかっていないことで、本当はもっと効果があるのに、脳内への移行の問題で高い効果には至らないのかもしれない。オキシトシンは、8つのアミノ酸が結合して作る複雑な構造をしており、視床下部で合成される脳内で効果を示す神経ホルモンで、脳血管関門を簡単に通過するようには見えない。確かにこれまでの多くの研究で脳外からの投与でも効果があるようなので、一定量が脳に到達しているとは思うが、脳への移行がはっきりしない段階では、一般治療へと発展することは難しいと思う。
今日紹介するフランスストラスブール大学からの論文は、まさにこの問題を解決しようと、オキシトシンと同じ作用を持つ、ペプチドとは違う化合物を開発した研究でJournal of Medical Chemistryに掲載された。タイトルは「LIT-001, the First Nonpeptide Oxytocin Receptor Agonist that Improves Social Interaction in a Mouse Model of Autism (世界初のペプチドとは異なるオキシトシン受容体刺激剤LIT-0001はマウスの自閉症モデルで社会性を改善する)」だ。
この研究では、オキシトシン受容体がバソプレシン受容体と構造的に似ていることに注目し、これらの受容体に結合できる化学構造としてのベンゾイル・ベンズアゼピンを骨格とする化合物から始めて、様々な合成を繰り返し、バソプレシン受容体、オキシトシン受容体を発現させた細胞でのシグナル伝達を指標に検討を繰り返し、最終的に化合物57、LIT-0001を合成している。
開発に興味ある人にとっては、合成有機化学としてのLOT-0001までの試行過程が最も面白いのだと思う。また、この薬剤を起点にさらに磨きをかける場合も、これに至るまでの過程は大きな情報と言える。」しかし、私たち合成化学についての素人にとっては、最後に示される化合物の性質が最も重要で、それだけを紹介する。
まず3種類のバソプレシン受容体、およびオキシトシン受容体をそれぞれ発現した細胞を用い、これら受容体のシグナル伝達経路、カルシウム遊離やβアレスチンの受容体へのリクルートを指標にLIT0001を調べると、オキシトシン受容体への作用はオキシトシンと比べて1オーダー低いが、特異性はLT-0001の方が優れていることがわかった、
その上で、オピオイド受容体が欠損することで社会性が失われるモデルマウスに投与すると、10mg/kgで社会性を回復させられることがわかった。
この結果から、全身投与で、脳のオキシトシン受容体を効果的に刺激してくれる薬剤の開発への道が開いたことは明らかで、これまでのオキシトシンの効果を考えると、ぜひ早期にさらなる至適化が行われ、治験が行われる事を期待する。欧米ではASDは60−70人に一人発症すると言われており、医療だけでなく、ビジネスとしても大ヒットにつながる可能性を秘めている。
2018年9月29日
パーキンソン病では黒質のドーパミン産生神経細胞が変性するが、この時細胞内には特徴的なレビー小体と呼ばれる細胞内構造が形成される。レビー小体の分子成分を調べた研究から、これが140アミノ酸の大きさのαシヌクレイン(αSN)からできていることが分かり、パーキンソン病の細胞変性にαシヌクレインの重合と、それが完全に繊維状の構造として固定する前の前駆構造(αSO)が細胞膜やミトコンドリア、そして小胞体の膜に突き刺さって細胞を障害すると考えられている。従って、αSNの合成を阻害し、またαSOの毒性を落とすことで、パーキンソン病の進行を止めることができると期待される。
今日紹介するデンマーク・ Aarhus大学からの論文は、αSNを標的にしたパーキンソン病の進行を止める薬剤の開発で、Cell Chemical Biologyの12月号に掲載予定だ。タイトルは「Potent a-Synuclein Aggregation Inhibitors, Identified by High-Throughput Screening, Mainly Target the Monomeric State (ハイスループットスクリーニングで探索したαシヌクレイン重合阻害剤はモノマー型を標的にする)」だ。
αSNの重合阻害剤の開発はもちろんこれまでも試みられて、薬剤としては使用できるところまでには至らなかったが、いくつか化合物も開発されている。ただ、薬剤として開発するためには、多くの化合物をスクリーニングし、多くのリード化合物を特定し、その構造をもとに薬剤として最適化する必要がある。このためには、重合過程を短い時間で検出するアッセイ系が必要になる。著者らは、αSNのN末端に異なる化合物を結合させ、両方がαSN重合時に近接したとき蛍光を発するFRETという方法を用いて、70万種類以上の化合物のスクリーニングを行うことに成功し、重合阻害剤の候補58種類を特定している。
その後、化合物として望ましい幾つかの性質を合わせた指標を用いて、58種類の化合物を評価し、トップ9種類について、重合阻害活性、さらにオリゴマー、αSOの毒性の抑制活性などを調べ、最終的に薬剤のリード候補として著者らがクラスIIIと呼ぶ、全てスルフォンアミドを骨格として持つ化合物を6種類特定している。こうして得られた化合物は重合化を抑えるとともに、αSOの脂肪膜への結合を抑え、また細胞毒性を弱める活性を持っている。
次に、作用機序を調べ、これらの化合物はαSNの特異的部位に結合して阻害するというより、分子と非特異的にコーティングして重合を阻害し、またその結果αSOの毒性を弱めることが明らかになった。
このスクリーニングでは同時に、重合を高める化合物も特定することができている。共にベンゾオキサゾールを骨格に持っており、今後重合過程をより詳しく解析するのに役立つと思われる。
以上、重合阻害やαSOの毒性阻害活性を持つ薬剤を開発できる可能性はよくわかったが、結局上がってきた化合物が非特異的な一種のコーティング剤だったというのは少し残念だ。というのも、おそらく使用のためには高い濃度が必要になる。また薬剤としての開発を進めるにしても、まだまだ長い過程が必要だと思う。しかし、重合を高める化合物も含めて、それぞれの活性に介入できる化合物が共通の構造を持つことの発見は、今後至適化と呼ばれる過程を進めていくためには重要な情報になっているはずだ。この構造を見て、私たち素人には思いもよらないイメージが頭の中でくるくる回り出している有機化学者が世界には何人もいることは間違いない。
2018年9月28日
病気につながるゲノムの変異の中でもユニークなのが数塩基のくり返し配列の数が安定せず数が増えて病気を起こすグループで、たとえばCAGの繰り返し配列が何百回も繰り返してしまい、ポリグルタミンのような異常なタンパク質が作られ細胞を殺すため、進行性の変性が進むハンチントン病や、あるいは2月に紹介したCGGリピートが繰り返すFragile X(http://aasj.jp/news/watch/8091)が含まれ、これらをまとめてshort tandem repeat(STR)病と称している。多くの病気で、リピートが増えると病気になるメカニズムについてはわかってきたが、肝心のなぜ染色体が不安定になりリピートの数が増えるのかについてはよくわかっていなかった。実際、ゲノムを見ればこの様なリピートは無数に存在する。しかしほとんどは安定して、リピートが異常に増えることはまずない。
今日紹介するペンシルバニア大学からの論文はSTRが不安定になるのは、染色体構造上の位置に関わると当たりをつけてTADの境界に存在するSTRが選択的に増大することを示した研究で9月20日号のCellに掲載された。タイトルは「Disease-Associated Short Tandem Repeats Co-localize with Chromatin Domain Boundaries(病気の原因になる短い繰り返し配列は染色体のドメイン間の境界に位置する)だ。
おそらく著者らは染色体の折りたたみ領域TADの境界にこれらのSTRがあると最初から決めていたのだろう、ES細胞についての染色体の立体構造解析と病気と関係する26種類のSTRを対応させ、期待通り11種類がTADの境界に接して、また残りも染色体構造がまとまった小さなドメインの境界の近くに存在することを確認する。
次に、TAD自体は細胞分化とともに変化するので、ES以外の細胞株の染色体構造解析と照らし合わせると、病気に関わるSTRの近くの境界は、細胞の系統にかかわらずTADの境界として細胞系列を問わず働いている。またこのSTRの不安定性で病気が起こりやすいヒトの脳組織についてクロマチンドメイン解析を行ってみると、ほとんどの病気にかかわるSTRがやはり神経細胞でのTAD境界に存在する。
ではなぜ境界近くのSTRが不安定化するのかだが、この場所に染色体の折りたたみを決めるCTCFの結合が集中するCpGアイランドが存在し、しかも普通のCpGアイランドと異なり、抑制型のヒストンの結合が低下している場所である事を発見する。すなわちこのような境界はもともと不安定で、それに近接してたまたま存在したSTRがさらに不安定化を高め、境界を変化させることで、STRのリピート数が増え、転写が変化する可能性を示唆している。しかし残念ながら、STRの不安定化の正確なメカニズムについては今後の研究が必要になる。
これを示すため、FragileX患者さんを材料に、FragileX遺伝子とTADの関係を調べると、リピートが増えることで本来のTADから隣接するTADに支配が移り、境界に存在するCTCFの結合が消失し、発現が抑制されることを示している。これらの結果から、STRとCpGアイランド、そしてCTCFの結合のバランスが、STRの不安定化に関わることは見て取れるが、ハンチントンなど転写の話ではないSTRが関わる病気も多いので、今後他の疾患についての詳しい解析が必要だと思う。
基本的には病気に関わるSTRがTAD境界に近接していることを確認したことが、この研究の全てだと思う。
2018年9月27日
米国の医療問題の中で現在最も深刻なのが薬剤の過剰摂取による死亡で、毎日174人が死亡している。特に痛みに対して行なわれる安価な麻薬の投与がこの主原因ではないかと考えられ、トランプも麻薬問題を最重要課題として取り組んでいる。しかし、麻薬といってもヘロインからさまざまな合成麻薬まで多種多様で、医師の投薬に対する指導も年々刻々変化している。従って、この蔓延する薬剤過剰摂取による死亡の原因を特定するためには、死亡に至った薬剤の種類から、経済的側面も含む患者の様々な特徴について詳しい統計が必要だ。
今日紹介するピッツバーグ大学の研究は1979年から2016年にかけての米国の人口統計を詳細に分析して、意図しない薬剤の過剰摂取による死亡について詳しく分析した論文で、9月21日号のScienceに掲載された。タイトルは「Changing dynamics of the drug overdose epidemic in the United States from 1979 through 2016 (1979から2016年の米国での薬剤のオーバードーズのまん延に関する動態)」だ。
この統計には、医師の処方による薬剤過剰摂取以外に、中毒による死亡も含まれている。例えばコカインによる死亡は一時低下するが、これはコロンビアでの生産と密接に関わっている。2000年からの統計で見ると、現在問題になっている医師の処方による麻薬が原因の死亡数は全部で106193人で、それ以外の薬剤過剰摂取の死亡数は112480人と、処方麻薬の寄与率は半数程度だ。また、米国では医師とは無関係の薬剤過剰摂取による死亡はかなりの数に上る。
薬剤ごとに死亡数の変化を調べると、確かに2010年からヘロイン、合成麻薬による死亡率は急激に上昇しているが、この上昇より先に、薬剤の過剰摂取による死亡数は指数的に一貫して増加しており、単純に安価なヘロインの処方が増えた事だけがこの問題の背景にあるわけではないことがわかる。また、この数は2016年まで全く下がる気配が見えずに上昇を続けている。
この結果から、薬剤の過剰摂取の背景には、安易な麻薬の処方で説明がつかないアメリカ社会の病巣が潜んでいる可能性が高い。これを特定すべく、各薬剤について、人口統計的、地域的な傾向を調べているが、あまりにも複雑で残念ながら明確な原因は特定できていない。それでも、薬剤過剰摂取による死亡には20歳代と40歳代の2つのピークが見られ、このピークは白人でより明確で、この数は上昇の一途をたどっている。また、ヘロインによる死亡は白人では若年層に多く、一方黒人では高齢層に多い。これは他の合成麻薬と比べた時に、ヘロインの価格が安いことに起因している可能性が高い。いずれにせよ重要なのは、このパターンが決して最近の話ではないことで、かなり昔から同じ傾向が見られる。
この研究の問題は、データの信頼性だ。医師の処方によるとはっきりデータが出ていない場合でも、死亡数の人口統計は、医師により処方される麻薬での統計に類似していることから、この中には医師の処方から始まる麻薬中毒も含まれると想像できる。すなわち元のデータの質に、州ごとなどのばらつきがあるようだ。
このためか、データを示しているのに、地理的な統計についてはほとんど解釈が述べられてい。私の印象では所得の低い地域に問題が多いように見受けられる。ただ、各州の統計の信頼度が違うとすると、これについてはあまり参考にできないようだ。
このように、確かにまだまだ精密な統計データがないため、大きなトレンド以外にはよくわからないというのが実情だろう。従って、アメリカ社会の何が問題なのかはわからずじまいだ。確かに重要な問題だが、公衆衛生学の研究としては少し甘すぎる気がした。
2018年9月26日
脊髄損傷では、損傷部位の上下を跨いで走る錐体路や感覚神経が切断されるため、感覚が失われ、また筋肉を動かす運動神経が失われる結果、運動機能が失われる。しかし、筋肉に直接神経を投射しているのは、脳から降りてくる錐体路ではなく、脊髄の神経節で錐体路ととシナプス接合している末梢運動神経だ。このことから足の運動に関わる末梢運動神経を、脊髄の硬膜外に埋め込んだ電極で直接刺激することで、筋肉を刺激しながら、運動を意識させるリハビリを繰り返す事で、基本的には電気刺激を用いる筋肉のコントロールによる下肢の運動に、脳のコントロールを回復される治療法、硬膜外電気刺激療法が開発され、様々なステージの患者さんに利用されてきた。この治療法では、脊髄損傷部位にかかわらず、腰椎1から仙骨1−2の間の硬膜外に足の運動に関わる重要な筋肉が動かせるよう電極を留置し、立ったり足を動かすリハビリを繰り返しながら、最適な刺激パターンを決める。すでにかなりの数の患者さんがこの治療を受け、
これまでの研究でわかったことは、
1) 少なくとも下肢の一部の筋肉の運動機能が回復するが、動かせない筋肉も現在のところは多い、
2) 感覚は戻らない
3) 排尿、排便、温度調節、性機能の一定の回復、
4) 精神的安定性が得られる
などが相次いでわかってきた。
今日紹介する論文は、様々なレベルの損傷後2−3年経過した4人の患者さんを治療した結果、頚椎を損傷した一人、および胸椎上部を損傷した2人が、実際に立って地面を歩けるまでに回復したことを報告した。この方法の開発者ルイズビル大学のHarkemaらが9月25日号のThe New England Journal of Medicineに発表した論文と、やはり地面に自力で立って、足を動かすところまで回復した一例についてメイヨークリニックからNature Medicineオンライン版に掲載された論文を紹介する。それぞれタイトルは「Recovery of Over-Ground Walking after Chronic Motor Complete Spinal Cord Injury(慢性の完全脊髄損傷患者さんを地面の上で歩けるまで回復させる)」と「Neuromodulation of lumbosacral spinal networks enables independent stepping after complete paraplegia(腰椎から仙椎の脊髄神経ネットワークの神経刺激により完全な麻痺が独立して足を動かせるところまで回復できる)」だ。
誤解がないよう強調するが、電気による神経刺激とともに、トレーナー総掛かりでしかも1−2年近いリハビリを繰り返した後の結果だ。従って、硬膜外電極を手術で埋め込むだけで治療が終わるわけではない。このため、この間、実際にどのようにリハビリが行われたのかなど、本当は詳しく知る必要がある。とはいえ、最終的に示された2人の患者さんのビデオが提供されており、これを見ればおそらく大きな進歩であることはわかってもらえる。論文はアクセスできないが、ビデオは自由に閲覧できるので、言葉で説明しないで、ビデオのウェッブサイトを以下に掲載しておくので、結果の説明としてみてほしい。
The New England Journal of Medicine (
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1803588?query=featured_home):クリックするとビデオを含むページが出てくるので、それを閲覧できる。
Nature Medicine(
https://static-content.springer.com/esm/art%3A10.1038%2Fs41591-018-0175-7/MediaObjects/41591_2018_175_MOESM5_ESM.mov):クリックするだけでビデオが出てくる。
専門家から見れば、体性感覚なしに目だけで補償してもうまく歩けるはずは無いといった批判もあると思うが、それでも一つの可能性が示されたと評価したい。
今日紹介した方法以外にも、介在神経を活発化させる方法など、今この分野が大きく動き始めている事を感じて喜んでいる。この辺の進歩については、脊損の伏見さんたちと一度Youtubeで放送を計画中。
2018年9月25日
これまで行なわれた視覚についての研究で、素人の私が最も感銘を受けたのは、私たちが記憶から過去に見たシーンを引き出すとき、脳のさまざまな場所にしまわれていた記憶の断片が、一次視覚野に集められ、私たちがあたかも今見ているように思い出していることを示した様々な研究を知った時だ。すなわち、1次視覚野は決して網膜からのシグナルがまとめられる領域にとどまらず、言って見れば記憶と現実の視覚が出会う場所だと言える。
とすると、同じものを見ていても、鮮明な記憶を持つ対象については、違ったように見えるという経験や、通常あまり意識されることなく消え去る網膜からの視覚インプットが、鮮明な記憶があると、似た対象については意識に上る可能性が高まるのも、一次視覚野のこの機能が反映されていると想像できる。
今日紹介するロンドン大学からの論文は1次視覚野でのこのような統合をわかりやすい形で定量できる可能性を示した論文で9月10日号のNatureに掲載された。タイトルは「Coherent encoding of subjective spatial position in visual cortex and hippocampus(主観的空間位置について視覚皮質と海馬で見られる互いに相関したエンコード)」だ。
おそらく著者らは最初から、一次視覚野(V1)での統合が起こっておれば、同じものを見ても同じ細胞が反応するはずはないと考え、マウスをドラムの上で歩かせるとき、バーチャルリアリティーで視覚に距離に応じた標識をインプットし、模様が描かれた廊下を歩いているように感じさせる実験系を構築、歩きながら同じ形の標識を見た時、同じV1細胞が反応しているのか調べるところから始めている。結果は期待通りで、同じ模様を見ている時でも、バーチャルな廊下の場所に応じて、細胞の反応の仕方に差がある。例えば、同じ模様に同じように反応する神経もあるが、最初に見た模様には反応強く反応するのに、後の方には弱い反応しか示さないものもある。また逆の反応を示す細胞もある。すなわち、同じものを見ていても、それが歩いている廊下のどこで現れるのかにより反応が違う。
4000個近くのV1神経細胞を全て記録しながら、マウスが歩いた距離と興奮の度合いを見ると、それぞれの細胞がより強く反応する場所があることもわかった。すなわち、オキーフ、モザーらにより発見された場所細胞がV1にも存在することになる。そこで、これまで場所細胞が形成されることがよく知られる海馬神経の興奮パターンとの相関を調べている。
はっきりと記憶している場所情報を特定するため、ある場所にきたときマウスが褒美を求めて舌を出して舐める動作をするように学習させる。そして、海馬とV1で、それぞれの場所への反応をマウスをバーチャル廊下を歩かせながら記録すると、舌で舐める動作を起こす場所と、海馬、V1での場所細胞が対応することを確認している。また逆に、V1と海馬の興奮状態から、マウスが居る場所を特定することもできることを示している。
以上のことから、V1での神経興奮は、海馬での神経興奮をそのまま平行移動させたように反映していることが明らかになり、V1の神経興奮パターンに、少なくとも海馬の場所細胞パターンをそのまま移行させることができることを示している。今後、V1にさまざまな情報が再構成する過程を研究するためのかなりわかりやすい実験モデルができたと評価したい。
2018年9月24日
昨日の論文紹介をもう一度まとめると、上部消化管の上皮細胞内に存在する腸管内分泌細胞の一部が迷走神経節細胞末端と直接シナプス接合をもち、グルコースやショ糖(分解されてグルコースになる)に反応し、直接脳へ短い間隔で刺激を伝達するというものだった。ただこの論文を読んで、このような回路が存在する意味がもう一つピンと来ないと私は結んでしまった。というのも、腹からの感覚は、良い感覚というのがない。満腹でも膨満感だし、腹が気になる場合はすべていい感覚ではない。お腹が快調という場合は、要するにお腹を意識していない場合を指す。と考えると、これほど速い反応をわざわざ開発しても、あまり意味がないように感じたからだ。
こんな疑問を出してすぐ、昨日論文を読んでいると、迷走神経回路の中にご褒美回路を直接刺激するシステムが存在することを示し、昨日の私の疑問を少しは解いてくれる論文に出会ったので、今日続けて紹介することにした。タイトルは「A Neural Circuit for Gut-Induced Reward (腸管によって誘導されるご褒美神経回路)」で、少し先だが10月18日号のCellに掲載されることになっている。
昨日の研究と異なり、この研究は迷走神経を刺激する入り口にはほとんど関心がない。しかし、支配領域との重なりなどから考えると、間違いなく昨日対象となった迷走神経節細胞とオーバーラップすることは間違いない。
さてこの研究では、上部消化管の迷走神経節細胞(右側を走る迷走神経節に対応する)の刺激が、満足、あるいは忌避感情を直接刺激するかどうかを検証することから始めている。即ち右側迷走神経節細胞を光遺伝学を用いて刺激出来るように改変し、光を照射する実験を行うと、マウスは光刺激が与えられる場所に滞在するようになる。すなわち、迷走神経は中毒につながる快感を誘導できることを示している。
あとはこのような快感を誘導するのは上部消化管を支配する迷走神経節細胞だけであること、そしてこの右側を走る迷走神経は傍小脳脚核を介して黒質と繋がり、ドーパミンを線条体に分泌させる典型的ご褒美回路を刺激することを示している。
例によって研究はウイルスベクターを用いた局所注入と、遺伝子改変マウスを数多く組合わせた複雑な実験系になっているが、結果は上記のようにまとめてしまっていいいと思える。
ではこ上部消化管を支配する迷走神経節細胞が快感を伝えることの生物学的意味はなんなんだろう?すなわち、食の刺激が快感として覚えられる必要はどこにあるのか?筆者らは、満足したときにご褒美回路が刺激され、快感が記憶されることで、食にありつける場所が記憶される可能性を強調している。言われてみれば、食事を求めてさまよう必要のない私たちには考えられない重要な機能だと思う。昨日今日と2編の論文を読んで、私達が忘れている、食べれたことを直接感じ、喜ぶ脳回路の重要性が理解出来た。
2018年9月23日
私たちにはもちろん食事の後の満腹感や、あるいは空腹感など、食事と関わる感覚を持っているが、これ自体は腸で感じるのではなく、食物摂取に伴うグルコースや脂肪酸の濃度を感知する脳の仕組みがこれに関わると習ってきた。他にも、腸内にある内分泌細胞の感覚器としての役割も明らかになっており、この刺激で消化酵素分泌を促す内分泌回路がよく知られている。
今日紹介するデューク大学からの論文は、これに加えて腸内の内分泌細胞の一部が感覚細胞として直接迷走神経とシナプス接合し、食事による刺激を早いタイミングで脳に直接伝えていることを示した研究で9月21日発行のScienceに掲載された。タイトルは「A gut-brain neural circuit for nutrient sensory transduction (腸から脳への神経回路が食事の感覚を伝達する)」だ。
この研究では最初から、腸管内分泌細胞の一部が迷走神経とシナプス形成していると決めて研究を進めている。もしシナプスを形成しているなら、当然前シナプス細胞としての分子を発現している筈で、免疫染色などで調べると、コレシストトキニンなどを分泌する細胞の20%ほどがシナプス形成に必要な分子を発現し、しかも感覚神経端末と接触していることを明らかにしている。
これがわかると、あとは実際にシナプス接合による刺激伝達があるのか、そして何に反応して脳に刺激が行くのか、このような直接脳へ食物の刺激が伝わることの意味は何かを調べることになる。この研究ではシナプスを越えて神経をラベル出来る狂犬病ウイルスの実験系で迷走神経節神経の一部が確かにラベルされることを明らかにしている。そして、この刺激伝達系の一部はショ糖やグルコースに反応して刺激を伝えるが、果糖には反応しないこと、またグルタメートを伝達分子として使って、迷走神経節細胞へ刺激が伝ることを明らかにしている。
刺激伝達はだいたい1分ぐらいをピークとする遅い反応で、匂いなどと比べても反応は遅いと思える。
さてこの細胞がショ糖などの食事の情報を腸から直接伝えていることは分かったが、この伝達経路が無いと何が起こるかについては残念ながら明らかになっておらず、いくつかの可能性が挙げられているだけだ。行動学上の機能を調べるには、おそらく腸管内分泌細胞でグルタメート合成系を潰して行動を調べるなどの研究が必要になるだろう。この機能がわからないと、面白そうな感覚神経系(第六感?)の存在は明らかだとしても、神経内分泌に加えて何故このような感覚系が必要なのか、もうひとつピンとこなかった。