2018年3月7日
小児や思春期に関する論文の紹介3日目は、やはりNatureに掲載された1699例の小児ガンについて、ゲノムや網羅的遺伝子発現を調べた大々的な研究で、メンフィスにあるセントジュード病院を中心に行われた研究だ。タイトルは「Pan^cancer genome and transcriptome analysis of 1699 pediatric leukemias and solid tumors (1699例の小児の白血病と固形ガンの横断的ゲノムとトランスクリプトームの解析)」だ。
大人のガンについては、米国NIHのTCGA(The Cancer Genome Atlas)を始め、様々なデータベースの整備が進み、例えばTCGAでは3万人を超す患者さんのがん細胞と、正常組織のゲノムがペアで蓄積されている。結果、TCGAはほとんどのガンゲノム研究論文で参照されており、このデータベースなくしてガンのゲノム研究はありえないというところまで来ている。ちなみに、わが国で何例のガン患者さんのデータベースができているのか、調べてみたが外野からは把握できなかった。メディアで「ゲノム医療プロジェクト始動」などと報道されている割には、どこに行けばそのデータが見られるのか、外部からはほとんど見えない状況のようだ。おそらく我が国の研究者も、結局はTGCAを頼ることになるだろう。
ちょっと脱線したが、大人のガンに対して、子供や思春期のガンゲノムを横断的に解析した研究にはあまりお目にかかったことはなかったが、セントジュード病院からようやく論文が出た。論文はオープンアクセスで、誰でもが読める。さらに、論文の最後にすべてのデータがNCIのデータベースとして公開していることも述べている。
この研究では、小児に多いがん、急性リンパ性白血病(B-ALLとT-ALL)、急性骨髄性白血病(AML)、神経芽腫(NBL)、腎臓のウイルムス腫瘍、そして骨肉腫の6種類、1699症例を、全ゲノム解析(WGS)、エクソーム解析(EA)、そしてmRNAの発現を調べ、個々のガンの特徴とともに、小児がん全体の傾向を掴もうとしている。
データの解釈をほとんどせず、淡々と結果を述べているので、はっきり言ってわかりにくい論文になっているが、ガンのゲノム研究としてやれることはほとんどやった力作だ。私の自分勝手な解釈を交えながら、結果を箇条書きにしてまとめてみた。
1) まず大人のガンと比べて突然変異の数は少ない。これは様々な理由で起こった突然変異が蓄積することで発ガンが起こることを考えると、当然長く生きた大人に変異が多いのは頷ける。
2) 次に突然変異のメカニズムを調べているが、最も目立つのは時間とともに蓄積する「時計型」と言われる内在的要因で蓄積する変異で、分裂時のエラーなどが主な原因になる。おそらく、発生過程での細胞増殖時に生じたものが中心になっているのだろう。他には、相同組み換え型変異も多い。面白いのは、普通は紫外線で誘発される変異がB-ALLで多いことで、圧倒的にCC>TT:ピリミジンダイマー形成による変異だ。B細胞にUVが当たるとは思えないので、おそらくB細胞の分化過程で発現する特殊な遺伝子編集システムのせいでこのようなことが起こると思われる。事実、このタイプの変異を持つB-ALLでは染色体のロスが必ず伴っている。
3) 6種類のがんの中で、B-ALLはほとんどのタイプの変異のメカニズムを持っている。おそらく、骨髄内で急速に増殖すると同時に、遺伝子再構成というゲノムストレスにさらされるからだろう。
4) トータルの突然変異の数は少ないものの、ほとんどのケースで増殖を刺激する遺伝子と、ガン抑制遺伝子の変異が揃っている。詳細は省くが、その半分以上は小児がん特異的で、これまでのTGCAやCancer Gene Censusなどのデータベースに見つからない変異が多い。
5) 小児がんの場合、変異遺伝子の組み合わせの種類は少なく、決まったセットの遺伝子が変異していることが多い。逆に、変異同士で排除する組み合わせもはっきり存在する。
6) ガンの増殖に関わると思われる変異は、幾つかのシグナル経路に対応させることができる。一般的に、シグナル伝達経路は、増殖因子から転写に至る上流から下流までの分子が支えているが、どの分子が変異するかが細胞の種類で決まっている。このことは、ガン発生の経路が小児の場合比較的限定されていることを意味しているように思う。
7) 転写と変異との関係も調べられており、認められた全変異のうち3割がガン細胞で発現している。そのうちの多くが、染色体同士で発現の差が認められることから、エピジェネティックな調節により、片方の染色体での遺伝子発現が変化することが、ガン発生に関わるケースが多いと考えられる。
詳細をすっ飛ばして紹介してもこのぐらいの量になってしまう内容だ。また、まとめには私の勝手な解釈が入っているので、間違っている場合は許してほしい。
いずれにせよ、小児のガンは、大人のガンとは全く違うというこれまでの常識が、改めてゲノムから確認できた。今後、治療法開発といった研究レベルだけでなく、がんの診療にあたっても重要な情報になると思う。問題は、現場の小児科のお医者さんにとっては、なかなかこのようなゲノム研究の結果が実感としてわかりにくいことだろう。若い学生さんの教育は言うまでもなく、ぜひ現場を担っているお医者さんにも、このようなデータをわかりやすく翻訳して伝えていく仕組みが欲しいと思った。
2018年3月6日
今回、タイトル思春期としてしまったが、実際紹介している論文では、pubertyとadolescenceは区別されている。Pubertyは私たち日本人が考える思春期に近く、adolescenceは思春期から始まる、大人までの時期を指す。2回目の今日思春期というのは、よりAdolescenceに近いと考えて欲しい。わが国の元服や成人式からも言えるように、adolescenceは社会的要因により長くもなり、短くもなる。また、個人的事情でも長さは変わる。この身体的思春期と社会的思春期のギャップは、様々な問題を起こす。一般的に、先進国ほど社会的思春期は長くなる。
昨日紹介した2編の論文は、ともに身体的思春期を扱い、思春期が脳と身体にとって子供から大人への時期をつなぐ質的な転換期で、この発達で心と体は切り離すことができない。すなわち、身体の発達が遅れれば、脳の発達が遅れ、脳の発達の遅れが、身体の発達を阻害することを議論していた。言い換えると、発達生物学に基づいて思春期の行動を理解し直すことがいかに重要かを強調する論文だった。これに対し、今日紹介する3編の論文は、少し神経生物学を離れ、より発達心理学的、社会学的、行動学的研究をまとめた総説と言える。この3編のタイトルだけもう一度掲載しておく。
Natureから
2)Dynamics of body time, sociall time and life history at adolescence(思春期の生命史での体の時間と社会の時間)
3)Adolescence and the next generation(次世代と思春期)
Nature Human Behaviorから
5)Male antisocial behaviour in adolescence and beyond(男性の反社会的行動:思春期とその先)
まず最初の論文では、pubertyから続く思春期を子供と大人の時期をつないで、社会における自分の居場所であるニッチを確立する戦略的時期と位置づけ、この時期を身体的思春期を調節する内分泌の観点からまとめようとしている。例えば思春期の身体的発達に人種(遺伝)を超えた傾向がある。男性の身長だが、身長の基本は遺伝的要因で決まるが、各国での身長の年次変化を見ると、遺伝的に決まる身長とは無関係に、同じように時代とともに身長が伸びていくのがわかる。初潮の時期も同じで、1840年のヨーロッパではなんと17歳前後だった初潮が、2000年には調べたすべての国で12歳前後に集中している。この結果は、思春期の内分泌を調節する基本システムが、栄養や環境で大きく影響されるだけでなく、大人への過程に関わるadolescence過程を支える社会システムによっても大きく影響されることを示している。すなわち、過去の社会システムは、思春期の始まりを抑えていたと言える。
このように、社会システムの違いを思春期がより拡大してみせることを知ることで、思春期を助ける社会のあり方が見えてくるというのが、この総説の結論と言って良いだろう。ちょっと議論が上滑りしている印象だった。
次の論文は、この大人へ移る戦略期間と言える思春期を、次の世代を産み育てる親としての準備期間と捉え、この時期がどうあるべきか議論した総説で、多くのデータが示されている。
初産の年齢は、経済発展とともに急速に高齢化している。例えば開発途上の南アジアでは、30%が18歳までに出産を経験するが、先進国では2%以下になっている。
では、最初の出産までの期間は、生まれてくる子供にどのような影響があるのか?これについては発達途上国で多くの調査が行われている。結論的に言うと、10代での出産では新生児死亡率は高く問題が多い。これは決して途上国に限った現象ではなく、一定の母体保護が行われている先進国でも同じ傾向が見られ、途上国で母体を保護しても、若い出産による様々な問題を解決することは難しい。このことから、出産までの成熟には時間が必要であることがわかる。
一定の思春期の長さが重要なのは精子を提供する男親にも言える。この原因の一つは配偶子の成熟にエピジェネティックな過程が関わることが考えられるが、現在ガンビアやバングラデッシュなどの開発途上国の思春期の若者から配偶子を採取し、成熟個体の配偶子とエピジェネティックな違いを調べる研究が進んでおり、生物学的年齢と、環境との関わりが明らかにされると期待できる。もう一つの要因として、著者らは精子や卵子形成で十分なRNAが配偶子に用意できていないことも重要な要因として考慮すべきだと結論している。もちろん着床など、母体側の要因も無視するわけにはいかないが、研究は進んでいない。
一方、思春期が早く始まり、大人への過程が長くなった先進国では、この準備期間の精神的状態が子供の健康に大きな影響を及ぼすこともわかってきた。事実先進国では、妊娠までに半分以上の女性が様々な精神的ストレスにさらされ、最も重要な子供の健康のリスク要因になっている。特に先進国では思春期のうつ病の発症率は途上国の2倍近い。さらに現代では、この長い期間に喫煙、アルコール、あるいは様々な薬剤により影響される確率も上がる。
もう一つ先進国の重要な問題が肥満だ。これまでの研究で、肥満の女性から巨大児、肥満児、代謝異常の子供、行動異常児が生まれる頻度が優位に高いことがわかっている。
このように、短い思春期も、長い思春期もそれぞれ独自の問題を抱えている。エビデンスに基づいてそれぞれに対する処方箋を早急に確立することが求められる。
最後の論文は、思春期にみられる男性の反社会性についての総説だ。特に、Dunedin研究という40年以上続けらたコホート研究からのデータを参考に書かれている。
私自身は学園紛争の中で大学時代を過ごし、ヒッピーなど反社会的であることが若者として当たり前と考える世代だった。しかしこの総説の最も重要な主張は、思春期に始まる反社会性には2種類あり、我々が学生時代に考えていたのとは質的に異なる反社会性が存在し、それぞれを明確に区別して対応することの重要性を示している点だ。驚いたが、犯罪の絶対数で言えば15−20歳が最も高い。これは、思春期での反社会的行動の高まりと相関する。結論を急ぐと、反社会的行為を示す時期が早いほど、反社会性の治療は困難になる。言い換えると大学生のような思春期後期に現れた反社会性は決して長く続かない。一方、反社会的行動が早く始まるほど、反社会的態度は長く続く。そして、最も問題なのは、5歳前後に反社会的行為をすでに示す集団で、これは元に戻ることなくほぼ一生続くことになる。すなわち、反社会的行為には、大学紛争時の我々のような遅く始まる一過性のタイプと、物心ついた時から始まる持続的タイプに分かれる。
このように、反社会性がこのような二つのグループに分けられる事を示した点で、この研究は重要だが、残念ながら明確な原因や処方箋は示されていない。ただ、持続的に反社会行為を続ける人の多くが、刑務所に入るという行動学的問題を示すだけでなく、身体的にも様々な異常を示すことから、これを突破口に、治療標的の特定や、治療法の開発につながる可能性はある。
それぞれの論文の要点だけを独断で抜き出して紹介したが、昨日の生物学的側面についての総説と比べると、研究はまだまだという印象を持った。
2018年3月5日
最近小児や、思春期の問題を扱った論文を目にする機会が多かったので、今日から数日これらを中心に紹介する。私がこのような印象を持った最大の原因は、2月22日号のNatureが思春期について特集を組み、これに合わせて、Nature Neuroscience、Nature Human Behaviorでも思春期に関する総説を掲載していたことによると思う。
Natureとその姉妹誌に掲載された特集論文は全部で5報になるが、一応通読したので、今日から2回に分けて、普通あまり考えることのない、思春期の問題をこれらの論文に示されたデータを見ながら考えてみたい。
5論文のタイトルはNature(2月22日号)が、
1)Importance of investingating adolescence from developmental science perspective(発達の観点から思春期を研究する重要性)
2)Dynamics of body time, sociall time and life history at adolescence(思春期の生命史での体の時間と社会の時間)
3)Adolescence and the next generation(次世代と思春期)
Nature Neuroscienceが
4)Studying individuall differences in human adolescent brain development(人間の思春期脳発達での個体間の違いを研究する)
Nature Human Behaviourが
5)Male antisocial behaviour in adolescence and beyond(男性の反社会的行動:思春期とその先)
自身を振り返ってみても、小学校高学年から大学に至るこの期間の重要性はよくわかる。正直、大学紛争も含めこの時期、多くの経験をし、個人的には恵まれていたと思う。その意味で、今回新たにこの時期の研究についての総説をまとめて読んでも、この時期が重要であること以外全く新しい考えに出会えたというわけではなかった。とはいえ、自分が漠然と考えている重要性の根拠が幾つかのデータで示されていること、そして全体に科学的研究がまだまだ足りていないという焦りは共有されているように思った。
従って、例えば教育を考えている方々がこれらの総説を具体的資料として使う目的には、よくまとまった企画だと思い紹介する。
例えば、私たちは思春期に子供が一段と大きくなるという経験をし、「おまえ随分大きくなったな」というのは表現の定番だが、1)の論文ではこの生物学的背景を概説した上で、生物学的理解に基づいて考えることの重要性を強調している。
ホルモン(特にテストステロン)の急速な上昇が思春期の引き金になり、これにより男女共に体の成長速度を一時的に増加する(もちろんこれに伴い2次性徴も現れる)。大事なことは、身体と脳がこの時同時に変化し、協力して心身の発逹を形成することだ。すなわち、同じ引き金が神経回路形成時のシナプス形成様式を変え、大人と比べると神経結合を作ったり壊したり、スパインと呼ばれる構造の消長が激しくなる。この過程を通して、最終的に安定した神経結合が形成されることが、この時期の細胞学的基礎になっている。
この基礎の上に、前頭葉で抑制性の介在神経が増えやすくなる。またマクロの回路レベルでは、扁桃体や腹側被蓋野の感情を司る領域と前頭前皮質の結合が強化される。
重要なのは、カエルで言えば変態に相当する、心身に起こる大きな変化の時期に、私たちは様々なことを学習する。学校で習う抽象的知識だけでなく、友達や大人との付き合いを通して得る経験がこの時期の脳回路の質を決めることになる。
この過程の変化を箇条書きにすると、
1) 身体的成長の加速と、それに伴う代謝の亢進、
2) 新しいことや興奮を求める傾向の高まり、
3) 睡眠と循環の大きな変化、
4) 自我が芽生え、より良いステータスを求め、尊敬されたいという気持ちが高まる。
5) 社会との交流への動機が生まれる。
6) 目標が定まってくる。
おそらくほとんどの人はこのことをご存知だと思うが、教育を議論する場で、個人的な経験だけではなくより科学的立場に立った議論が必要で、シナプスの変化など、実際に理解することでより実質的な議論が可能になると思う。
例えば米国では3)に合わせて、学校の開始時間を遅らせる動きがあるし、4)に基づいて、先生も生徒を一人前の人格として尊敬を持って接するように指導される。さらに、5)で言えば、チーム学習は効果があるし、逆にいじめは4)、5)の活動を抑制し、結局6)のゴールをいじめている相手に対する死を持っての抗議に変えてしまう。
逆に言うと、この時期は身体的な問題が脳に影響しやすい。Nature Neuroscienceに掲載された論文4)では、この時期の脳の発達の個人差が大きいことを題材に、身体と精神が統合した発達環境を提供することが我々大人の責任であることを示している。
大脳皮質の神経が集まった灰白質は生後の発達期に厚みを増すが、思春期に入ると急速に低下する。逆に、神経の繊維が集まる白質は増加を続ける。これは、論文1)で紹介した、シナプス形成の消長が高まり、安定したシナプス結合が選ばれる結果を反映していると思う。問題は、この思春期の変化に大きな個人差があることだ。特に論文1)で指摘された領域の個人差が大きいことが、発達期の脳を追跡したコホート研究で明らかになっている。
もちろん既に知られているように、この過程で形成される性格や能力の個人差も大きい。例えば、機能と構造を機能MRIで調べた研究から、リスクを取る能力は上に示した回路の発達と深く関係し、個人差が大きくなることを示している。
重要なのは、この差を生み出す要因として、子供の置かれた社会経済環境がある点だ。貧困家庭ではこれらの回路の形成が強く抑制されることを示す明確なデータが存在する。例えば、怒った顔を見せられた時の前頭前皮質と扁桃体の反応は、貧困家庭の子供ほど高い。すなわち、感情を抑えることがうまくいかない。これも論文1)で示された抑制性の介在ニューロンの発達に関係していると思う。この結果、仲間外れにされた時の反応も過剰になることも示されている。
ただ、これらの反応は、育った文化によっても大きく影響される。従って、文化の影響を理解することは、新しい教育メソードの開発に寄与する可能性が大きい。
長くなるので詳細は省くが、個人差、即ち私達が性格や能力と呼んでいるものの多くが、思春期の環境で決まることは間違いがない。思春期に心と身体が統合される過程を理解する鍵は、社会経済的環境、仲間との交流、そして文化と言えるが、これを総合的に理解するための研究こそ、少子化と貧困が問題になる我が国に求められる重要な課題であることを確信する。
明日は、残りの3論文(論文2、3、5)を紹介する。
2018年3月4日
現役を引退した後、論文を読んでいて注目を集めていると思えるのが、1)クリスパー/Casを利用したゲノム操作、2)光遺伝学を用いた脳神経操作、3)ガンの免疫、そして4)腸内細菌叢の研究だ。ただ、最近になって腸内細菌叢に関する研究がトップジャーナルを賑わすのは減って来たかなという印象だ。
腸内細菌の論文を読んでいて思うのは、何千種もの細菌を把握することで新しいことが理解できるという最初の期待が、簡単ではないという点だ。これに対して、ゴノビオティックと呼ばれる、各細菌のホストへの影響を、無菌マウスを用いて丹念に調べる研究は大きな成果を挙げている。即ち、我々の頭の中が、複雑な統計学についていけず、論文の主張を鵜呑みにせざるを得ない状況がひしひしと実感される。
こんなモヤモヤを代弁する痛快な、しかし統計学を駆使した研究がイスラエル・ワイズマン研究所からNatureに先行発表された。タイトルは、「Environment dominates over hostgenetics in shaping human gut microbiota(人間の腸内細菌叢を決めるのは、遺伝要因より環境要因の方が大きい)」だ。
この研究は二つの点で面白い。まず、世界に散って独自に発展しつつも、ユダヤ人としてまとまって暮し続けたユダヤ人を対象に選ぶことで、遺伝と環境の影響を研究しやすくした点だ。この研究では、アシュケナージと呼ばれるヨーロッパ系、北アフリカ系、中東系、アジア・アフリカ系(スファラディム)、イエメン系、そしてそれ以外の交雑が進んだユダヤ人1000人超を追跡しているコホート集団が用いられている。この対象を独自に調べるのと並行して、これまで発表された腸内細菌叢とゲノムとの関係についての論文を、統計や推計学手法を駆使して計算し直し、結論が正しいかどうかを調べている。
先ずゲノムと腸内細菌叢との相関を調べている。選んだユダヤ人集団は、期待通りゲノムを指標にクラスタリングできる。しかし、腸内細菌叢を様々な方法で数値化して、色々相関を調べてもほとんど関連を認めることができない。一方、これまで腸内細菌とゲノムに関連があることを調べる論文がいくつか発表されている。そこで、著者らはそれぞれの論文の元データを当たって計算し直している。
中でもこれまで注目をあつめたのは、腸内細菌を双子で研究した論文だが、著者らが様々な観点から統計処理をしても、ほとんど優位の関連が認められないと切って捨てている。どちらの言い分が正しいのか判断するすべはないが、細菌叢のように先ずその状態を表現するのに統計が必要な対象と同じく複雑なゲノム解析を相関させることには細心の注意が必要であることを示した点で、大きな意味がある。
他にも、これまで相関が特定された255SNPについても論文の元となったデータを洗い直し、論文で指摘されたほとんどのSNPは単独の論文で指摘されただけで、全ての論文で共通に特定できたのは、ビフィズス菌の増殖に関わるラクターゼ遺伝子だけという有様で、それぞれの問題で使われた統計学的手法とその解釈に多くの問題があることを指摘している。
最後に、血中のLDL,やBMIなど10項目の検査データと、腸内細菌叢検査から計算されるいくつかの指標との相関を調べると、LDLや乳酸の消費、ウェストのサイズなど、強い相関を示す項目が存在すること、更にLDLやウェストサイズを条件として組み入れると、腸内細菌叢の状態を予想する確度が上昇することも示している。
以上、結論としては腸内細菌叢はラクターゼのような特殊な関係をのぞくと、ほとんど遺伝的違いに影響されることはなく、一方生活習慣を反映すると思われる指標とは相関が見られるという、わかりやすい話になった。実際、ゲノムと相関するという方が耳目を集める論文で、「ほんと?」と思ってしまう。
この結論は別にして、この論文は統計学や推計学の手法持つ問題点を警告している点でも重要だ。ゲノム研究が進むと、否応無く我々は統計手法に依存していく。これをどう検証していくかも、今後の重要な問題だと思う。
2018年3月3日
現阪大の長田さんをはじめ、我が国では細胞死の分子メカニズムの研究が盛んだが、死ぬと決まった細胞を、決まった手続きで処理することで、ゴミが私たちの体に悪さをしないようにするエレガントなメカニズムだ。このプログラムされた細胞死・アポトーシスの引き金にはミトコンドリアが深く関わっていることがわかっている。考えてみると、ミトコンドリアは細胞内寄生体のようなもので、これをどう体内で使いこなし、最後は細胞ごとどう始末するかは生物進化の重要な課題だったと思う。
事実この過程を習うと、その合目的性に驚く。通常はBcl2ファミリーにより機能が抑制されているBak, Baxは、細胞死へのシグナルが検知されるとミトコンドリア細胞膜で複合体を形成する。この複合体を通してチトクロームCやアポトーシスを誘導する複合体が細胞質に飛び出す。これを待ち受けていたカスパーゼが害にならないよう切断し、細胞内の自然免疫メカニズムを刺激することなく処理される。事実、カスパーゼ複合体をノックアウトすると、ミトコンドリアDNAを含むコンプレックスがGas/Stingと呼ばれる自然免疫センサーを刺激し強烈なインターフェロン主体の炎症反応が起こる。
習えば習うほど、うまくできたシステムだと思う。ただ、各部分過程がどう統合されているかは、はっきりしていた訳ではなく、すべての過程が進行する様子を調べ統合する必要がある。今日紹介するオーストラリア・ウォルター・エリザホール研究所からの論文は各過程の鍵となる分子を細胞内で可視化して、この過程を統合して見せた研究で2月23日Scienceに先行発表された。タイトルは「Bak/Bax macropores facilityate mitochondrial herniation and mtDNA efflux during apoptosis(細胞死ではBak/Baxが大きな穴を形成してミトコンドリアの内膜のヘルニアを誘導してDNAを放出する)」だ。
この研究は新しい分子や、その機能を調べるのではなく、これまで蓄積された様々な道具を使って、アポトーシスの誘導から、ミトコンドリアの変化、そしてミトコンドリアDNAの細胞外への放出までを、各過程に関わる分子に蛍光分子を合体させることで可視化した研究で、いわばこれまでのアポトーシス研究の蓄積を最大限に生かした研究だ。多くのビデオが示され、紹介できないのが残念だが、論文のPDFにビデオが直接貼り付けてあり、クリックするとそのまま再生できるようになっており、大変助かる。今後、多くの論文でこのシステムが導入されるのだろう。
膨大な実験なので、詳細は全て省いてこの研究が明らかにしたシナリオだけを紹介しよう。
1) まずBak/Baxの機能を抑制しミトコンドリアの膜の健康を維持しているBcl分子の阻害剤を加えると、Bak/Baxが活性化され、まず小さな複合体を形成する。こうしてできる小さな穴を通してまずチトクロームCが細胞外へ流出する。
2) これによりBak/Baxがさらに大きな複合体を形成すると、ミトコンドリア内の内容物が、内膜で包まれたままBak/Baxでできる大きな孔を通って、ヘルニアを形成する。
3) これと並行して、ミトコンドリア間のネットワークが崩壊するが、これ自身はアポトーシスにはあまり影響しない。
4) 内膜に囲まれることで、ミトコンドリア内容物の生物活性は抑えられるが、内膜が徐々に壊れると、もちろんGAS/Stingシステムに検出される。しかし、カスパーゼが先に作用することで、自然免疫系の反応を低いレベルに抑えることができている。
以上、写真を見せられないのが残念だが、過程を統合するには見るのが一番ということが実感される研究だ。頭の整理がほぼ完璧にできた。
2018年3月2日
3月2日:昨日に続いて、同じ国際チームが同じ号のNatureに発表した論文を紹介する。今日は南東ヨーロッパの民族のゲノム構築の形成過程についての研究だ。タイトルは「The genomic history of southeastern Europe(南東ヨーロッパのゲノムの歴史)」だ。
南東ヨーロッパは現代ヨーロッパのゲノム構造の一種の縮図で、この地区で7000年前に始まった農耕が西へ西へと拡大する。この過程で、人間の移動と交雑が重なって現在に至るゲノム構造が形成されるが、この歴史をゲノムから解き明かすためには、従来のような個別の解析から、南東ヨーロッパ全体を俯瞰できる大規模な調査が必要になる。
この研究では、バルカン半島、カルパチア盆地、黒海北部に広がる草原地帯に広がる地域から出土した、 BC12000からBC500年と推定される人骨215体のゲノムを新たに解析し、これまで解析が終わっている10体と合わせて、現代南東ヨーロッパ人ゲノムと比較している。
基本的にヨーロッパの民族は、東と西に分布している狩猟採集民、アナトリアの新石器時代の民族、そして黒海北部ステップのYamnayaを中心とした民族のゲノムが組み合わさってできていると言っていい。実際、今回解析されたゲノムを主成分解析でプロットすると、この3種類のゲノムを3点とする三角形の領域に分布する。この研究で調べられているのも結局、この3者のゲノムの割合が、それぞれのポピュレーションに混じっているかだ。
はっきり言って、今日紹介する論文の結論はわかりにくい。記述が、個々の領域のゲノム構造の記述に終始して、大きなシナリオが見えにくい。昨日紹介した論文では、土器の伝播とゲノムとの相関というわかりやすい問題があった。一方今日紹介する研究は、南東ヨーロッパのゲノムの構築という一般的な問題になってしまってわかりにくい。
しかし、それでもいくつか面白いと思った点をまとめておこう。
1)想像以上にヨーロッパ全土で交流があったようで、スペインに代表される西からの狩猟採集民との交雑のあとも早くから確認される。言い換えると、南東ヨーロッパのゲノム構築は極めて多様化しており、時間とともに複雑性を増す。
2)このことは、狩猟採集民がヨーロッパ中駆け巡っていたことを意味する。そして、この接点が南東ヨーロッパで、その結果さまざまな民族が形成されたようだ。確かに、南東ヨーロッパの民族が複雑であるのは、旅行すれば実感する。
3)新石器時代の各地域の交雑に際しての男女のバイアスを調べると、初期にはあまりバイアスがない。すなわち男女全体のグループでの交雑だったが、青銅器時代になると男性からのバイアスが見られる。ということは、各グループがより好戦的になって行ったのかもしれない。
4)しかし農耕がはじまると、東から西への移動が行われるが、狩猟採集民との交雑は低下している。
結局結論すると、南東ヨーロッパは今も昔もさまざまな民族がぶつかり合う接点で、これを反映して、ゲノムでも予想以上の多様性が見られるという話になる。さらに、この研究により、狩猟採集民の行動範囲が極めて広いことも明らかになった。今後、さらにのちの青銅器、鉄器時代からギリシア・ローマ時代に至るまでのゲノム構築が調べられると、ゲノムから見る歴史と考古学が統合されていく。何かワクワクする。
2018年3月1日
以前紹介したように、ヨーロッパの言語と縄文土器は、Yamnaya文化の担い手がウクライナのステップ地帯から西へと移動し、現地人と交雑する中でヨーロッパ全土に広がったことがわかっている(
http://aasj.jp/news/watch/3584)。この結果は、優れた言語や道具が人間の移動と交雑により伝搬することを示す証拠として考えられている。
一方、おそらくイベリア半島を起源とするThe Beakerと呼ばれる特徴のある土器がBC2500年以降のヨーロッパ全土に広がったことも知られている。今日紹介する国際チームの論文は、このBeaker文化の伝搬も、人間の移動により起こったのか、あるいは文化自体が知識として伝搬したのかをBC4700-BC800年のものと推定される人骨のゲノムを約120万SNPを指標に調べることで明らかにしようとした研究で、2月21日号のNatureに掲載された。タイトルは「The Beaker phenomenon and the genomic transformation of northwest Europe(The Beaker現象と北西ヨーロッパでのゲノムの変化)」だ。
実に400もの古代人DNAを解析した研究で、少し前に1000人ゲノムなどと現代人のゲノム解析を推進していたのが遠い昔に思える。
まず重要なことは、The Beaker文化の古代人の分布が現代北西ヨーロッパ人のゲノム構造とほぼ重なる点で、この時以前に形成されたヨーロッパ各地の人種が現在に至っていることになる。すなわち、主成分解析で見られるゲノムの多様性がすでにTheBeaker文化の担い手に存在し、例えばこの文化の起源と思われるイベリア人のゲノムが急速にヨーロッパ全体に文化とともに拡大したというわけではなさそうだ。文化は広がっても、各地域のゲノム構造はほとんど新石器時代から青銅器時代のままだ。
さらに、各地域でも同じ文化を共有するからといって、ゲノムが一致していることもなく、The Beaker文化は知識として拡大したようだ。
とはいえ、人間の移動が重要なケースも間違いなくある。最近、多くのメディアが、英国の先史人として知られるチェダーマンが、色黒、縮毛、碧眼であったことを大々的に報じていたが、イギリスの新石器時代の先史人は、2500年以降中央ヨーロッパに近いゲノムを持った人種で完全に置き換わっていることがわかる。このゲノム構造の変化は、The Beaker文化の伝搬とともに起こっており、the Beaker文化の伝搬が人間の移動と交雑により起こりうることを示している。
言語、道具がゲノムと統合されて解析できるようになっているのが本当に素晴らしい。このように、ヨーロッパの先史時代がゲノム解析からどんどん明らかになっているが、明日は同じグループが同じ号のNatureに発表した東欧のヨーロッパ人ゲノムの形成についての論文を紹介する。
2018年2月28日
脳への循環が止まると途端に脳細胞は変性を始め、10分以内に回復が不可能になる。この時脳細胞で何が起こっているのかは、動物モデルで詳しく研究されている。ラットを用いた研究から、脳の死へのプロセスには2つの重要なイベントがあることが明らかになっている。まず酸素の供給が止まり、酸素分圧が急速に低下すると、不思議なことに脳細胞の活動を停止させるスイッチが入る。そしてこの停止状態が1−2分続いた後、今度は細胞の脱分極が始まり、この脱分極は隣の領域へと拡大する。この脱分極が起こると、もう脳細胞が元に戻ることはない。このプロセスは、細胞の興奮を止めた上で、脳細胞が細胞内外のイオン濃度を保とうとしてATP依存的に様々なポンプを用いて膜電位を元に戻そうとするうちに、ATP切れに陥り、結局膜電位差を維持できずに脱分極が広がるとされている。
では人間でも同じことが起こっているのか?これを確かめるのは簡単ではない。これまで、脳波計を用いて、循環が止まった後亡くなるまでの過程が調べられているが、頭蓋の外からの記録は解釈が難しい。実際には、脳内に直接電極を設置して記録を取る必要がある。
今日紹介するドイツベルリンのシャリテ病院とシンシナティ大学からの論文は生命維持装置を外した後の脳細胞の活動を脳内の電極で記録した研究でAnnlas of Neurology2月号に掲載された)。タイトルは「Terminal spreading depolarization and electrical silence in death of human cerebral cortex(人間の脳皮質が死にゆく過程で見られる最後の脱分極と電気的停止)」だ。
この研究では、脳出血や外傷で呼吸中枢の機能が失われたため、生命維持装置を装着した患者さんが、家族の判断で生命維持装置を外す時、許可を得て脳皮質表面、あるいは深部に幾つかの電極を設置、様々な指標をモニターしながら、脳内の酸素分圧の低下から始まる脳細胞の最後の様子を記録している。
実際には、精鋭維持装置を外す前に様々な処置を行っているので、脳細胞の反応も様々だが、結局は動物も人間も急速に酸素濃度が低下すると、同じコースを辿って脳細胞が死を迎えるという結果だ。
それでも、まだ酸素分圧が下がらない前から、散発的に脱分極が広がるという現象が見られることなどは、脳波を解釈する上で重要な所見になるだろう。
結局、酸素が来なくなると、積極的に脳細胞の活動を止めるメカニズムがあり、これがほぼ同時に脳の興奮が止まることに反映される。これは、ATPを使って脳細胞をなんとか回復させようとする活動の表れで、これが維持できる間はまだ回復の可能性がある。しかし、ATPが尽きてしまうと、脱分極が始まり、これはまだ努力を続けている領域を巻き込んで広がってしまうというシナリオだ。
しかし、死のプロセスも、人間となると意外とわかっていないのだという印象を持った。いずれにせよ私の脳も、いつか同じ過程に見舞われるが、それまでは頑張ろうという気にさせる論文だった。
2018年2月27日
今、何人のヒトゲノムがデータベース上に保存されているのだろう。公開されていないもの、エクソームだけのものなどを含めるとすでに100万人は越しているとおもう。この中には、多くの病気の方のゲノムも含まれているが、ゲノムが解読されたと言っても、病気との関連がついたわけではない。そのためには、研究者の優れた着想と、関連を確かめる粘り強い努力が必要になる。
そんな例を、今日紹介するコロンビア大学とベイラー医大からの論文に見た。タイトルは「A mild PUM1 mutation is associated with adult onset ataxia, whereas haploidnsufficiency causes developmental delay and seizures (PUM1分子の軽度異常を誘導する変異は成人発症型の運動失調の原因になる。また、片方の対立遺伝子の欠損は発達障害とてんかんの原因になる)」だ。
著者らは、運動失調(Ataxia)の研究を行っていたようで、Ataxin1遺伝子の過剰発現が脊髄小脳性の運動失調の原因であること、そしてこの遺伝子がPumilio1(PUM1)と呼ばれるRNA結合分子により発現が抑えられていること、そしてPUM1遺伝子欠損が片方の染色体で起こるだけで、Ataxin1の過剰発現マウスと同じ症状が出ることを報告していた。すなわち、PUM1の量は厳密に調節され、これが少しでも減ると、PUM1の標的遺伝子の発現が上昇して、様々な異常が起こることを示している。
とすると、マウスの実験から考えて、PUM1のヘテロ型の変異による脳神経の異常が起こってもいいはずで、この可能性を調べるため著者らは遺伝子コピーの欠損と病気の関係を調べられる52000人の染色体マイクロアレー・データベースを探索し、9人のPUM1が片方の染色体で欠損した患者さんを発見している。この患者さんには、他の遺伝子異常も認められるが、統計学的にも神経発達異常はPUM1と最も相関していることを確認している。この遺伝子が欠損した患者さんは全て発達障害・知能障害を持ち、てんかん、運動失調が見られる。
さらに、エクソームデータベースから、神経発生異常を伴うPUM1遺伝子の点突然変異を2例特定している。
この点突然変異により遺伝子機能が失われるが、この結果1例は5歳で不随意運動、運動失調などを示すアタキシアだがMRIでは異常を認めない。もう一例は生後5ヶ月で発症した発達異常で、運動失調などの小脳症状とともに、全般的な発達異常を示す。また、MRIで小脳の異常を認めている。このように、突然変異のタイプにより、発症時期が異なり、病気の程度も大きく違うことから、おそらく機能の量的異常が症状に反映されることがわかる。
そこで、もっと遅い発症の突然変異がないかも探索し、50歳以降に発症する変異を特定し、PUM1関連アタキシアと名付けている。
あとは、PUM1の機能が量的に低下することでAtaxin1だけでなく多くの遺伝子の発現が上昇すること、さらにマウスモデルが作成できることも示しているが、詳細はいいだろう。
この研究は、データベースは揃っても、遺伝子を特定するのは難しい場合が多く、PUM1が神経変性疾患を誘導するという候補を着想して初めて、新しい神経変性疾患の原因遺伝子を特定できることを示している。
そして、複数の分子の発現量を決める機能を持つRNA結合分子は神経変性疾患の原因になりうること、また通りいっぺんの検索では病気との関連が見落とされる可能性があることを示した点で重要だ。しかし、着想できれば、データベースは揃っている。今後、同じような変異が見つかる可能性は大きい。そしてもし早く診断できれば、この疾患も遺伝子治療の可能性がある。データベース時代の新しい病気の発見を代表する面白い研究だと思った。
2018年2月26日
ガン免疫のチェックポイント治療が大成功したのも、ガンの免疫抵抗性に関わる分子PD-L1/2などが明らかになったからだ。すなわち、ガンに対する免疫が成立すると、これに対してガンの方がPD-L1を発現、T細胞の発現するPD-1を刺激してブレーキをかけ免疫を逃れる仕組みだ。もちろん、ガンが免疫抵抗性を獲得するにはこの経路だけではないだろう。このため、なんとかしてガンに免疫抵抗性を与える分子を突き止めようと様々な研究が行われている。
今日紹介するダナファーバー癌研究所からの論文は癌に免疫抵抗性を与えている分子の網羅的探索研究で、2月16日発行のScienceに掲載された。タイトルは「A major chromatin regulator determines resistance of tumor cells to T cell mediated killing(染色体調節主要因子がガン細胞のキラーT細胞に対する抵抗性を決めている)」だ。
研究ではPD-1チェックポイント治療に抵抗性のメラノーマ細胞株を用いて、これにCas9を発現させ、さらに様々な遺伝子に対応するガイドRNAのライブラリーを、各ガイドが均一に細胞に取り込まれるような条件でガン細胞集団に導入する。これにより、様々な遺伝子が個別にノックアウトされたメラノーマ細胞の集団を得ることができる。また、ノックアウトされた細胞は、その遺伝子に対応するガイドRNAが存在していることを指標に特定できる。このガン細胞集団をキラーT細胞に攻撃させ、生き残った細胞にどのガイドが残っているかを調べることで、キラーT細胞に対する抵抗性を与える分子を特定している。この系で、完全に集団から除去される分子は、発現するとキラーT細胞への感受性が高まる分子で、一方濃縮される分子は、発現するとガンへの抵抗性が高まる分子だと予想される。ガイドRNAから言い換えると、濃縮されたガイドRNAに対応する分子はノックアウトされているし、逆に除去されたガイドRNAに対応する分子は集団に存在していることになる。
例えば、組織適合抗原(MHC)はキラーの認識に必須だ。従って、抵抗性を獲得した細胞の中にはMHCをノックアウトされた細胞が含まれるが、このノックアウトされた細胞が残るということは、MHCに対応するガイドRNAが濃縮されてくることになる。
このスクリーニングにより、予想どおりガン抗原提示に関わる分子がノックアウトされた細胞が濃縮する。他にも、RAS経路や、JAK/STAT経路に関わる分子が、抵抗性の細胞では除去される。
一方、分子を発現する方がより抵抗性に寄与する分子も特定される。幾つかの経路に関わる分子がリストされているが、著者らが最も興味を持ったのがPBAF と呼ばれるクロマチンの構造を調節して、遺伝子の発現に関わる大きな分子複合体の幾つかの成分に対応するガイドRNAが除去されてしまっている点だ。
著者らはこの結果を、PBAFが主にインターフェロン反応性遺伝子全体を抑える作用を持ち、機能が高まっているガンでは、免疫抵抗性が強いからだと解釈している。また、PBAFはPD−L1などの発現抑制にも関わっており、このコンポーネントの一つをノックアウトすると、チェックポイント治療が効きやすくなることを示している。
話はここまでで、今後他のガンや、さらに薬剤が開発可能な標的を明らかにすることが重要になるだろう。ただ、先週紹介した腎臓癌で抗PD-1抗体が効いた患者さんでは、PBAF機能が低下しているというる結果とも一致することから、この実験系は臨床的にも意味のある探索系であることが示唆されることから、今後に期待したい。