7月8日:長期記憶を担うプリオン型分子(6月17日号Neuron掲載論文)
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7月8日:長期記憶を担うプリオン型分子(6月17日号Neuron掲載論文)

2015年7月8日
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エリック・カンデルといえば、アメフラシという海生軟体動物の反射を用いて、長期記憶が神経興奮により神経細胞自体が変化し新しいシナプスが形成されることによることを示し、ノーベル賞に輝いた脳科学者で、1929年生まれだからもう86歳になる。これまで論文を直接読んだ記憶はないが、彼の書いた総説で「記憶は神経細胞発生・分化だ」と書いてあったのに感心したおぼろげな記憶がある。今日紹介するのはそのコロンビア大学カンデル研究室からの論文で、長期の神経変化誘導にプリオン型の分子が関わることを示している。6月17日号のNeuronに掲載され、タイトルは「The persistence of hippocampal-based memory requires protein synthesis mediated by the prion-like protein CPEB3 (海馬を介する記憶の維持にはプリオン型タンパクCPEB3によるタンパク合成が必要)」だ。神経細胞刺激による細胞分化が誘導され、シナプス形成が変化すると言っても、ホルモンやサイトカインのシグナルと比べると、神経刺激は刺激時間が短い。そのため、短い刺激を持続型の細胞変化に変える仕組みが必要になる。カンデルたちは、これを細胞内で重合し分解されにくいというプリオン型のタンパクが担っているとにらんでいたようだ。すなわち、短い刺激で誘導されると、すぐプリオンのように重合化して分解されない形態に変化する性質は、長期に遺伝子発現を維持することができる転写因子としてうってつけの性質だと考えて、候補分子を探し、CPEB3に行き着いたと思われる。この研究では、この考えが正しいかどうかを検証している。結果をまとめると、1)長期記憶が成立するとCPEB3が誘導され神経内で重合する、2)生後CPEB3遺伝子をノックアウトしてもほとんど神経症状はない、3)しかし記憶の固定は障害され、シナプスの長期増強が消失する、4)またこのマウスでは神経細胞のAMPA受容体遺伝子の発現誘導ができない。以上の結果から、神経刺激によりCPEB3が誘導され重合体を形成することで、長期間AMPA受容体を含む様々な分子の発現が維持され、それにより新しいシナプス形成が誘導されるという結果だ。最後に、CPEB3の重合に関わるN末を変化させ重合ができなくなった分子をノックアウトマウスに導入しても機能が回復しないことから、神経内で分子が重合することが機能に必須であることを示している。プリオンがなぜこの世に存在するのか、ポジティブな意味を考えることから思いついたシナリオをよくここまで実験的に証明したと、カンデルの執念に感心する。このまま信じていいのか、私には正しい評価をする知識がないが、もし本当ならプリオン型タンパクは転写を持続させるため欠かすことのできないメカニズムで、プリオン病はその負の側面を見ているということになる。そしてプリオン病の伝搬から考えると、一個の神経細胞内で形成されたCPEB3重合分子がシナプスを超えて新しい神経にゆっくりと伝搬するかもしれない。おそらくカンデルもそこまで研究を進めていくような気がする。
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7月7日:単細胞プランクトンの眼(Natureオンライン版掲載論文)

2015年7月7日
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単細胞プランクトンも眼点(eye spot)と呼ばれる光センサーを持っていて、種によっては太陽光を感じて慨日リズムを調整し、住む深さを変えることがあることは知っていた。しかしまさか単細胞プランクトンの中に、構造的に角膜、レンズ、そして網膜を備えた光を感じる器官を持つ者がいるなど想像もしなかった。今日紹介するカナダ、ブリティッシュコロンビア大学からの論文は渦鞭毛藻と呼ばれる仲間の単細胞プランクトンが持つオセロイドと呼ばれる光を感じる器官の形成に関する論文でNatureオンライン版に掲載された楽しい論文だ。著者として我が国の国立遺伝学研究所の早川さんという女性研究者も参加している。タイトルは「Eye-like ocelloids are built from different endosymbiotically acquired components (眼に似たオセロイドは異なる細胞内共生により獲得された構成要素からできている)」だ。写真を示せないのが残念だが、この論文は海外で大きく取り上げられたようでGoogleには単細胞プランクトンの眼、オセロイドの写真が溢れているので見て欲しい(例えばEurekAlert サイト参照: http://www.eurekalert.org/multimedia/pub/94600.php)。どうしてこれほど美しい器官が細胞の中に形成できるのか誰もが不思議に思う。これほど複雑な器官を、単純な眼点を基盤に一から作り上げることは大変だ。このグループは、ミトコンドリアや葉緑体など、元は細胞自体が由来の細胞内共生器官が変化してこの器官ができたのではないかと考えた。実際、葉緑体は光を感じて光合成を行うことから、十分可能性はある。これを証明するため、詳しい電子顕微鏡解析と、細胞中のオセロイドを単離してDNA解析を行ったのがこの仕事だ。まず遺伝子解析から紹介しよう。葉緑体やミトコンドリアは細胞内共生と呼ばれ、それぞれの機能を持った細菌が細胞中に取り込まれて共生するようになった器官で、細胞から独立した活動をしている。ただ渦鞭毛藻類は最初単細胞性紅藻由来の色素体(plastid)を持っていたが、その後様々なプランクトンから色素体を取り入れ、現在その多くは機能を失った器官として残っているという複雑な進化を辿っていることがわかっている。従って、オセロイドの由来は単純でない。周りの遺伝子が汚染しないようよく洗ったオセロイドのDNAの配列を調べると、予想通り色素体の光合成機能に関わる遺伝子の存在を確認した。すなわち、色素体が特殊に分化したものがオセロイドであることが分かった。最後に形態学的にオセロイドの構成要素と細胞内小器官との関係を調べると、まず網膜体は周りの色素体につながっていること、また角膜やレンズはミトコンドリアとつながっていることを発見した。これらの結果から、オセロイドは単独で進化したのではなく、色素を失った色素体が特別に分化しミトコンドリアや小胞体を巻き込んで形成される器官だと結論している。残念ながら、このプランクトンは培養ができないため、分裂過程でオセロイドも独自に分裂するのか(おそらく構造的には分裂は難しいように感じる)、あるいは新しく形成されるのかなどはよくわからない。葉緑体のチラコイド構造が光依存性に新たに形成されることを考えると、分裂時に新しいオセロイドができてもいいだろう。ではなぜ眼点のような単純な光センサーではダメなのかという疑問が湧くが、これについては他のプランクトンの出す蛍光を検出するためではないかと想像しているようだ。いずれにせよ、このプランクトンの培養が次の問題で、この技術が開発されれば楽しい世界が待っていると思う。今日は楽しい細胞内共生の話で七夕向きだと思って選んだ。
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7月6日:続くras変異ガン制圧の戦い(7月2日号Cell掲載論文

2015年7月6日
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おそらく上皮性のガンの半分近くは変異型ras遺伝子が細胞異常増殖のドライバーとして働いている。このため発見以来30年にわたってこの分子を制御してガンを治す試みが続いてきた。しかしこの歴史は新しいアイデアの提案と失敗の連続の歴史で、結果、大手の製薬会社はrasをドライバーとするガンに対する薬剤開発には及び腰になっていることを4月22日このホームページで紹介した(http://aasj.jp/news/watch/3288)。rasにより誘導される細胞死を防ぐメカニズムを標的にした薬剤の開発もこの歴史の一ページを飾った失敗の一つで、ras変異ガン制御の手段としては誰も見向きもしない過去の方向性になっていると思っていたら、どっこい諦めない面々は必ずいる。今日紹介するドイツケルン大学医学部からの論文は、K-ras活性化によっておこる細胞分裂チェックポイント阻害剤がK-ras変異を持つガンに効くことを示した論文で7月2日号のCellに掲載された。タイトルは「A synergistic interaction between Chk1-and MK2 inhibitors in KRAS-mutant cancer (K—ras変異ガンではChk1阻害剤とMK2阻害剤が相乗作用を示す)」だ。繰り返すがK—ras変異がおこると細胞毒性が出てしまい、細胞は自発的に死ぬ。ガンはこれを抑制する変異を重ねて、このK—rasの毒性部分を制御し、異常増殖する。このグループは、もともと同じ過程に関わる異なる標的に対する阻害剤を組み合わせた時に相乗効果がある薬剤の組み合わせを計算するソフトを開発し、薬剤併用の効果を調べていたようだ。この過程で、細胞分裂を調節するChk1,MK2に対する阻害剤を組み合わせた時K-rasやB-rafの変異をドライバーとして持ち、CDKN2Aを介する細胞周期抑制機能を喪失しているガンに選択的に効果を示すことを発見した。はっきり言ってこの論文のメッセージはこれに尽きる。後はこの阻害剤の組み合わせの作用機序を調べ、細胞分裂を抑制するCDK25Bの機能が阻害剤により選択的に抑制され、分裂が制御できなくなり、結果DNAの切断が起こり細胞死に至ることを示している。そして、この薬剤の組み合わせがK-rasやB-raf変異を持つガンを移植したマウスモデルでガン増殖を抑制すること、K-ras変異を導入したマウス肺がんモデルで作用を示すこと、そして肺ガン患者さんの胸水から分離した細胞の細胞死を誘導することを確認している。ガンの研究としては極めてオーソドックスで、なぜこれまでわからなかったのか不思議なぐらいだ。しかし、この研究で使われた阻害剤はともにファイザー社が開発したもので、おそらく同じような薬剤は数多くあるだろう。もしこの研究が示すように大きな副作用がないなら、すでに開発された薬剤を見直すための臨床研究を始める価値は大きいと思う。ただ最近、特異的な標的薬を使うほど、ガンの方もそれを上回る方策を開発して薬剤抵抗性を獲得する強さを持つことが分かってきた。この新しい方法も結局ガンの根治には届かないかもしれない。しかしそれを覚悟して臨床研究を待つ価値は十分あると思う。
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7月5日:パーキンソン病を引き起こす感染性病因(Annals of Neurology掲載論文)

2015年7月5日
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論文を読んだ後紹介しようかどうかためらう場合がある。多くは、患者さんを混乱させる心配がある場合や、逆に患者さんに対する間違った考えを植え付ける懸念がある場合だ。例えば新しい病気の原因や治療の可能性についての論文で、科学的妥当性はあっても、まだまだ研究が必要な場合だ。結論だけが一人歩きしないようにどう紹介するか難しい。実際、紹介を見合わせる場合の方が多い。今日紹介するデンマーク・オーフス大学からの論文も紹介するか迷った。ただ、特に患者さんの不利益になるわけではないので、あえて紹介する。タイトルは「Vagotomy and subsequent risk of Parkinson’s Disease (迷走神経切除のパーキンソソン病の発症リスク)」で、Annals of Neurologyオンライン版に掲載された。研究は単純で、1977年1月から1995年12月までに十二指腸潰瘍を抑えるために迷走神経切除術をデンマークで受けた患者さんを20年にわたって追跡し、パーキンソン病の発症を調べている。なぜ迷走神経切除術とパーキンソン病の関係を調べるかというと、パーキンソン病の中には、外来の病因が腸管から体内に侵入し、迷走神経を通って脳に到達することでおこる一群があるのではないかという考えが根強くあるからだ。わかりやすく言うと、パーキンソン病が狂牛病と同じメカニズムでおこるとする考えだ。実際、パーキンソン病の原因の一つとしてここでも紹介した(http://aasj.jp/news/watch/3590)αシヌクレインは、変性すると神経から神経へと、シナプスを超えて伝達できることも知られており、パーキンソン病もプリオン病だとする考えにも一理ある。もしこのメカニズムがパーキンソン病の一部を説明できるなら、迷走神経を切除してしまえば感染は防げることになる。これを疫学的に確かめようとしたのがこの研究だ。さて、迷走神経切除術には2種類あって、消化管を支配する全ての神経を切断する術式と、食道と胃を支配する神経だけを選択的に切断する方法だ。もしパーキンソン病の病因が腸管から侵入するとすると、後者の術式では防げない。6万人の対照群、5339人の完全切除群、5870人の選択切除群のパーキンソン病発症率が比べられた結果、1年間の発症率が対照群で0.128%、全切断群で0.065%、部分切断群で0.096%という結果を得ている。すなわち、全切断群ではパーキンソン病の発症率が対照群の51%、部分切断群の67%に低下するという結果だ。この結果が他の要因を反映している可能性を考察した後、現時点の結論として、疫学的にはパーキンソンの一部はプリオン病である可能性が高いと結論している。この研究は一見キワモノ狙いに見えるが、もし本当なら病因を特定し、パーキンソン病を予防できる可能性がある。デンマークだけでなく、食生活の違う様々な国で同じ調査を行い、病因を探ることが重要になるだろう。ただ、迷走神経切除術が潰瘍治療として使われなくなった今、このような調査が可能な国は、患者登録システムが長年にわたって行われている欧米に限られてくる。残念ながら、わが国でも迷走神経切除例の追跡調査は不可能だろう。こんなところで過去の衛生行政の不備が実感されるとこの国は本当に先進国なのか心許なくなる。
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7月4日:近親交配の影響(7月1日号Nature掲載論文)

2015年7月4日
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交配による品種改良経験から、近親交配を続けることは動植物の生存にとって悪い影響があることは理解されてきた。理由として、劣性遺伝する様々な遺伝変異が両方の染色体で揃うホモ接合性の確率が近親交配で上がる結果、子孫が淘汰されるからと考えられてきた。事実、孤立して暮らす小さな集団(例えばアメリカのアーミッシュ)は遺伝病の罹患率が高い。従って、私たち人間も近親交配でゲノム上のホモ接合部分が増えると淘汰されることを繰り返し、現在に至っていると考えられている。今日紹介するのは、ホモ接合性の悪影響を受けやすい性質について調べた我が国も含む236施設が協力した国際共同研究についての論文で7月1日号のNatureに掲載されている。タイトルは「Directional dominance on stature and cognition in diverse human population(多様なヒト集団の体格と認知機能の遺伝的優性性)」だ。これまでホモ接合性の影響の調査は、家族歴を元に行われていた。この研究では、354224人という膨大な数の様々な民族の全ゲノムレベルの一塩基変異(SNP)を調べ、両方の染色体に見つかる同じ由来のホモ接合領域を全てリストし、ホモ接合部位の長さ及び数からホモ接合性を算定し、16種類の形質との相関を調査している。まず民族ごとにホモ接合性を調べると、長さと数は相関し、予想通りアーミッシュや、シチリアの村のように他の社会から孤立して生きてきた集団はホモ接合性が高い。一方、私には意外だったが、アフリカ人は多様性が高く、ホモ接合部位が低いことがわかる。さて、この調査から明らかになった形質との相関だが、1)背の高さ、2)呼吸機能(1秒率)、3)認知機能、4)教育期間(程度)は、ホモ接合性と逆相関する。すなわち、ホモ接合性が高い人ほど劣る。例えばいとこ同士結婚による子供にみられる程度のホモ接合度に換算すると、身長で1.2cm、教育達成度では、教育を受ける年月が10ヶ月少なくなっている。一方、血圧、血統、血中脂質などは全く相関がない。従って、人間の場合ホモ接合性が高まると体格と知能に悪影響があると結論できる。「なんだ、それだけのことか」と、わかっていたことだが、ゲノム研究が発展し、膨大なデータが集まって来たおかげで、素朴な疑問に真正面から取り組むことができ、人間のことをますます深く理解できるようになっている。このようなデータベースがさらに整備されると、人間についての研究が、実験室だけのものでなくなり、アカデミズムにとらわれない研究が進むような予感がする。
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7月3日:低線量被曝による白血病発症リスク(7月号Lancet Hematology掲載論文)

2015年7月3日
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放射線がDNAを切断することで突然変異を誘発することは、疑いようのない科学的事実だ。とすると、放射線を浴びると遺伝子の変異が引き起こされ、一定の確率でガンが発生することも間違いがない。事実、広島、長崎の被曝者の追跡調査で、被曝後数年して白血病発症数の増加が見られている。問題は、原爆のような大規模被曝ではなく、低線量を長期にわたって浴び続ける影響だ。我が国のデータは手元にないが、一般のアメリカ人は1年間に6ミリシーベルトの放射線を浴び(2006年調査)、そのうち半分が医療による被曝だ。低線量の場合、身体に備わった放射線修復機構、組織の複雑さなどから単純に被曝量に比例しない。また、人間のように生活習慣が多様な場合、その差による要因も大きく作用する。そのため、長期低線量被曝により発がんの危険性が上がるかどうか常に議論になってきた。実際2007年に発表された原子力施設で働く労働者40万人についての15カ国共同追跡調査では、肺がんと、骨髄腫に弱い相関が見られるだけという結果だった。今日紹介する論文はこの調査の延長でフランス、イギリス、アメリカに絞りより長期の追跡を行った結果で、The Lancet Hematology7月号に掲載された。タイトルは「Ionizing radiation and risk of death from leukemia and lymphoma in radiation-monitored workers ( INWORKS) an international cohort study (被曝量が記録された労働者の白血病とリンパ腫の発症リスク:国際コホート研究)」だ。この研究では原子力施設で働き毎日の被曝量が計測・記録された労働者30万人を平均で27年追跡しており、おそらくこれまで最も長期間の追跡調査だろう。障害被曝量は極めて多様で、0−1200ミリシーベルトと幅がある。平均値で大体16ミリシーベルトだ。対象者のうち531人が白血病(慢性リンパ性白血病は除いてある)で亡くなっており、以前の15カ国共同研究の196人と比べると統計的により正確な推定が可能になっている。結果をまとめると、白血病による死亡と低線量被曝は明確な相関があり、特に慢性骨髄性白血病ではその相関がよりはっきりするという結果だ。この結果から生涯被曝量が200ミリシーベルトを超えると明確な白血病リスクがあると結論できる。重要なのは、それより低い線量でも危険性があることで、わかりやすく言うとばらつきは大きくなるが、危険はあるということだ。他の生活要因の差を見ているだけではないかという可能性もあるが、今回算定された相関は喫煙との相関よりは高い相関があるようだ。要するに、調べる母数を増やし、長期間追跡すれば被曝のリスクは統計学的にも検出されるという結果で、物理学的にも当然の結果だろう。また、被曝者追跡調査の結果とも一致する。このことを頭に入れて各人が放射線検査を受けるかどうか判断すればいい。私はこれを理解した上で、これからも低線量CTを検診で受けようと思っているし、この歳になれば少々被曝しても問題ないと思っている。ただ、自分の頭で考えられない子供達、そして何よりも生活の場が汚染されてしまった福島やチェルノブイリの人たちは、リスクを強いられているのだということを忘れてはならない。住み続けるにせよ移住するにせよ、できる限り自分でリスクが取れるように情報を提供する努力をするのが科学の唯一行えることだろう。この問題に関して安全と危険のどこかに線を引く議論だけは避けるべきだと思う。もう一つ驚くのは、この研究をフランスのアレバ社が助成していることだ。アレバ社は世界最大の原子力産業複合体だ、その会社が助成した研究が、被曝のリスクを認める論文を書いたことになる。我が国で言えば、東電や日本たばこが放射線や喫煙リスクについて認める論文を助成するようなものだ。これが大人の企業コンプライアンスと言っていいだろう。我が国の状況は把握していないが、政府任せでなく、是非企業も同じように長期のリスク算定を支援して欲しい。特に福島では、内部被曝の問題もある。30年以上誰が追跡するのか、明確な責任体制を国民に見えるようにして欲しい。
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7月2日:麻酔薬ケタミンがうつ病に効くメカニズム(6月30日号米国アカデミー紀要掲載論文)

2015年7月2日
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今年1月8日号のNatureにRave drug tested against depression (うつ病に試された期待の薬剤)というタイトルのレポートが掲載された。内容は、Murroughらが2013年American Journal of Psychiatryに発表した、グルタミン酸受容体拮抗剤ケタミンが他の薬剤が効かないうつ病症状を改善するという画期的な論文により、ケタミンがうつ病治療の切り札として注目を集め、長期経過を確かめることなく特効薬として利用され始めている状況についてのレポートが出ていた。うつ病は我が国でも罹患率が高く、患者さんが自殺する危険といつも隣り合わせだ。ケタミン注射後24時間で症状が改善するなら、ケタミンの副作用には目をつぶって使ってみたいと思う気持ちはわかる。レポートでは、製薬会社も久々の大型新薬として開発にしのぎを削り始めたことも紹介されていた。ただ、即効性の麻薬として利用されるケタミンがなぜうつ病を長期間抑制できるのかなど、理解できない点も多い。今日紹介するエール大学からの論文はラットを用いてケタミンが下辺縁皮質神経細胞を興奮させることで、脳回路を変化させうつ病症状を抑制することを示すタイムリーな研究で6月30日号の米国アカデミー紀要に掲載された。タイトルは「Optogenetic stimulation of infralimbic PFC reproduces ketamine&s rapid and sustained antidepressant action (光遺伝学による下辺縁皮質の刺激はケタミンの即効性で長期間の作用を再現できる)」だ。この研究はうつ病に関わる下辺縁皮質領域(IF)がケタミンの効果の標的であると狙いをつけ、まずこの領域の神経細胞を抑制してケタミンの効果を調べると、期待通りラットうつ病モデルに対するケタミンの効果がなくなる。領域が特定できると様々な実験が可能で、ケタミンの効果が領域内の神経興奮と相関していることを確かめた後、最期にIF領域の神経を光遺伝学的に興奮させればうつ病を抑えられるかを検討している。すると、片方だけの刺激でも、両方の刺激でも、IF領域の細胞を興奮させると急速に症状は改善し、2週間以上にわたって抗うつ効果が続くことを確認している。さらに、昨日も紹介した神経接合に関わるスパインがケタミン投与で著明に増加することがこの効果に関わることも示している。すなわち、ケタミンによるグルタミン酸受容体の抑制は、結局IF領域の神経細胞興奮を誘導し、その結果神経軸索のスパインが増えることで、神経接合が亢進し、長期の抗うつ効果が発揮されるという結果だ。この結果を受けて、この部位の神経細胞をより選択的に興奮させる薬剤の探索が加速するだろう。重要な結果だと思う。しかし、そんな薬剤が開発されるには時間がかかるだろう。それまでは、自殺の危険性が高い場合に限って、ケタミンを患者さんに投与するのもいいのではないかと個人的には思っている。いずれにせよ、新薬開発にしのぎを削るだけでなく、ケタミンの長期的副作用などについても早期に結論を出して欲しいものだ。
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7月1日:生きたマウスの脳神経接合を観察する(Natureオンライン版掲載論文)

2015年7月1日
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科学の進展はいつも新しい方法の開発とセットになっている。例えば免疫学や血液学は2013年に亡くなったHerzenbergらが開発したFACSと呼ばれるセルソーターにより大きく変革した。わたし自身も、臨床医を辞めて基礎研究を始めた時から第一線を退くまでこの技術のお世話になった。脳研究でこれに匹敵するのがDeisserothの光遺伝学だろう。最近の論文を読んでいると、この技術を使わないのは脳科学者ではないという印象すら受ける。この技術を見て個人的に興味を惹かれるのは、両方の技術がスタンフォード大学で開発され、HerzenbergもDeisserothともドイツ語由来の名を持っていることだ。おそらくスタンフォード大学にはこのような伝統が息づいているのだろう。ドイツ語名の方はわたしの深読みかもしれない。Herzenbergは個人的にも親しく、もちろん生粋のユダヤ系アメリカ人だと知っている。とはいえわたしにはZeissやLeicaを生んだ、物を観察するドイツの伝統の血が流れているように思える。前置きが長くなったが、今日紹介するのもスタンフォード大学からの論文で、しかもSchnizerというドイツ語名の研究者が責任著者で、脳内の神経細胞の軸索を生きたまま観察する方法の開発だ。タイトルは「Impermanence of dendritic spines in live adult CA1 hippocampus (CA1海馬の樹状突起スパインは永続的ではない)」だ。海馬は記憶を理解する鍵として最も研究されている領域で、そこでの伝達は神経細胞の樹状突起から飛び出すスパインという細胞突起により担われている。このスパインを生きたマウスの脳内で長期観察するというのがこの研究の目的だ。従来のスパイン研究は、切りだした脳を培養しそれを観察する方法が主流だった。この論文に引用された論文から、組織の深い部位を観察する2光子顕微鏡の開発後は、生きた動物の脳内で観察するための挑戦が進んでいたことがわかる。これらの挑戦の中で、2光子顕微鏡と、直径1ミリのGRINレンズと呼ばれる一種の内視鏡を組み合わせた技術を開発した点がこのグループの売りのようだ。この論文では生きたマウスの海馬の一本の神経樹状突起から出るスパインを22日にわたって観察している。さらに、このマウスを、好奇心を刺激する環境で過ごさせてから、元のケージに戻すなどの行動実験も行える。ただ観察自体は連続ではない。3日おきに観察しているので、同じ細胞を見ているのかどうか検証が必要だ。研究ではまずこの検証が行われている。その上で、刺激的環境に置かれた時や、グルタミン酸受容体の阻害によるスパインの変化を観察して、海馬神経細胞のスパインと新皮質のスパインの動態を比べている。実際には何千ものスパインを計測し、モデリングを元に評価するという作業を行う膨大な研究で、見えないとできないが、見えればそれで済むというものではない。詳細は全て省いて結果をまとめると、スパインの動態は海馬と新皮質で異なり、新皮質のスパインは変化のない安定したスパインと、出たり入ったりする動的なスパインに別れる一方、海馬のスパインは全て動的で安定しないという結果だ。この動態は、海馬がとりあえず記憶を一旦中継させる短期記憶に関わり、新皮質は出入りする不安定な記憶の中から安定した記憶を固定させる過程に関わるというこれまでの考えに合致しており、めでたしめでたしだ。しかしこのような結論より、何と言ってもこの仕事のハイライトは1月近く脳の中の細胞を見続けたことにあるだろう。この技術を核にこれから何が明らかになるのか、楽しみな技術だ。当分スタンフォード大学ドイツクラブの伝統は続くように思える。
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6月30日:タイムリーなコメント2題(6月25日号Nature掲載記事)

2015年6月30日
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NatureやScienceは研究論文を掲載するだけでなく、その時々に重要と考えられる問題について専門家の意見を求めて掲載したり、ミーティングにエディターを参加させ、その紹介記事を掲載している。これら記事は、我が国の政策や文化を、他の国と比較するのに格好の材料になる。今年3月25日ここで紹介したヒト受精卵の遺伝子編集にモラトリアムを呼びかけたNapa会議についてのScienceの記事(http://aasj.jp/news/watch/3113)は、そんな記事の典型だろう。この会議に集まった科学者の結論は「クリスパーテクノロジーを進化させると同時に、世界的な会議を組織化して議論を深める」というものだった。早速これを受けて今年の秋アメリカアカデミーが主催する会議が開かれるようだが、Natureは政治的・文化的対策を最終的に決めるのは科学者でないと警告を発するDaniel Sarewitzの論文を掲載した。誤解を恐れず一言で紹介すると、この人は、科学というイデオロギーを、民主主義社会に位置づけ直すため、ピアツーピア型の解決が可能か模索している人で、我が国の倫理学にはない新しい発想をする人だ。米国アカデミーの会議の呼びかけに対しSarewitzは「Science can’t solve it(科学では解決できない)」というタイトルでコメントを書いている。コメントの要点は、1)米国アカデミーが「クリスパーによる遺伝子編集をいつどこで利用するかは共同体の意思にかかっている」と言いながら「決断をガイドする」と言って、最後は科学者が決めるという態度をとっているのは間違いだ、2)科学者が誰かを代表していることはない(我が国にも、国民のために私は頑張っていると思っている科学者は多いのではないだろうか)。この多様な文化や価値の絡み合った社会での最終意思決定に科学者は参加できない、3)実際、遺伝子組み換えや温暖化などの問題は、欧州など多様な文化が共存する国では議論が決着することはない、4)テクノロジーのリスクについて科学が答えることは本来できず、あたかもそれができるように振舞うことが反科学に火をつける、と論じた後で、ボトムアップ型、コレクティブインテリジェンス型の新しい議論のためのプラットフォームを構築することの重要性を指摘している。その例として、デンマークのThe World Wide Views allianceやNASAのThe Expert and Citizen Assessment of Science and Technologyをあげている。我が国でもクリスパーについて議論すべきだという話が盛り上がってきたようだが、生命倫理に携わる人たちが是非そのために全く新しいプラットフォームを形成する気概を持って会議を主導するぐらいの気持ちを持って欲しい。   同じ号のNatureにもう一つ「Urbanmicrobes unveiled(大都会の細菌叢がベールを脱いだ)」というタイトルで、6月19日ニューヨークアカデミーが主催した「大都会の細菌叢」という1日ミーティングのレポートが掲載されていたのでついでに紹介しておく。と言っても、ニューヨークアカデミーが細菌叢研究者を集めて、ニューヨーク市民がどのような細菌叢と共に暮らしているのかについて議論した以外何も紹介していない。もう少しすれば正式な記録が出ると思うので、1度目を通して紹介しようと思う。ただ、細菌叢という言葉を、ここまで拡げて議論できる頭の柔らかさには驚いた。背景には、バイオテロ対策という衛生局のアクションプランがあるのだろうが、家庭、地下鉄、下水、ネズミやラットなどの動物など大都会の細菌叢のマップを作りたいという壮大な構想がうかがわれる。このような構想を政治家が出すことはない。結局役所の中で知識を蓄積し、将来を議論する中で生まれる構想だが、我が国の役所もこのぐらいの構想力を示せるようになって欲しいと思う。
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6月29日:T−PLL白血病のエピジェネティック治療:臨床治験と臨床研究(6月24日号Science Translational Medicine掲載論文)

2015年6月29日
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成人のT細胞性白血病というと、我が国ではHTLV-1ウイルスによる白血病が真っ先に来るが、それ以外にもT細胞性前リンパ性白血病(T−PLL)と呼ばれる病気が存在する。もともとまれな疾患で大規模治験が難しいため特異的治療法開発は難しく、一般的な抗がん剤も効かなかった。幸い、最近になって慢性リンパ性白血病治療薬として開発された抗CD52抗体アレムツズマブがこの白血病にも効果を示すことがわかり、完全寛解が得られる場合も出てきた。しかし、アレムツズマブだけで根治することはなく、短期間に治療抵抗性が発生することもわかってきた。今日紹介するペンシルバニア大学からの論文はT−PLLのアレムツズマブ治療に、DNA及びヒストンのメチル化阻害剤と、ヒストンの脱アセチル化阻害剤を併用して、細胞のエピジェネティックな状態を変化させると寛解期間が長引くことを示す研究で、Science Translational Medicineに掲載された。タイトルは「Epigenetic therapy overcome treatment resistance in T cell prolymphocytic leukemia (エピジェネティック治療がT細胞性前リンパ性白血病の治療抵抗性を克服する)」だ。この論文は医師の思いつきをまず臨床的に確かめる典型的研究で、一般臨床紙では医師の裁量によるさじ加減として認めないことも多い。とはいえ、この研究で使われた全ての薬剤はFDAにより認可されており、エピジェネテイック薬として使われたクラドリビン、ボリノスタットはともに白血病治療薬として我が国でも使われている。この研究では、55−77歳のT-PLL患者さん8例にアレムツズマブとクラドリビンとボリノスタットを併用して経過を観察し、併用により生存期間を大きく伸ばすことができることを示している。特に薬剤を中止した後白血病細胞が増えてきた時点で同じ治療を繰り返すことで、寛解を誘導できるという症例報告は、この治療の有効性を示唆している。しかし副作用は当然覚悟しなければならず、1例ではエピジェネティック薬の副作用と思われる脳出血で死亡している。今後、さじ加減を治療プロトコルへと転換させる必要があるが、期待は持てるように思う。もう一つ臨床的な成果として示されたのが、ブレンツキシマブベドチンと呼ばれる抗CD30に微小管阻害剤を組み合わせた複雑な薬剤が、白血病細胞の皮膚浸潤の抑制法に効果があることを示した結果だろう。エピジェネティック薬は特定の遺伝子を標的にするわけではなく、DNAやヒストンのメチル化過程、あるいはヒストンの脱アセチル化を阻害するため、その効果がどの遺伝子に現れるか予想がつかない。この研究では、エピジェネティック薬剤を使った時どの遺伝子に大きな変化が見られるかを調べ、半数の患者さんでCD30発現が大きく上昇することを発見し、この細胞を狙ったブレンツキシマブベドチン投与を行ったところ、治療になかなか反応しなかった白血病細胞により誘導される皮膚病変が大きく改善することを見出した。他にもエピジェネティック薬投与の影響を調べる様々な検査が行われ、白血病細胞で様々な遺伝子発現が変化していることが示されているが、基礎研究としてみても完全とは言えず、結局この論文から学べるのはこの2つの臨床的結果だろう。特に、エピジェネティック薬を用いた時、思いもかけない標的分子がガンに新たに現れるということを頭において、今後患者さんを見ていくことは重要だ。これら薬剤を使用する他の疾患でも是非詳しく調べて欲しいと思う。   医師の裁量による少数例の結果を報告するスタイルは医学の伝統で、重要な発見につながることも多いが、最近は薬の効果を示す論文としては採択されることが少なくなった。しかし昨年12月に紹介したScience論文では悪性黒色腫3例についての治療だったし(http://aasj.jp/news/navigator/navi-news/2585)、また3月15日に紹介したグリオブラストーマの樹状細胞治療に関するNature論文は6例についての研究だった(http://aasj.jp/news/watch/3061)。このように、少数例についての臨床研究を一般のトップジャーナルが掲載する傾向が出てきたように思える。ただ、これまで議論されてきたように医師の裁量を自由に認めることは時代逆行になる危険もある。もう一度医師の裁量に基づく臨床研究の位置付けをしっかり議論しておく時がきたように思う。
カテゴリ:論文ウォッチ
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