2022年8月27日
21世紀に入ってから、急速に病気のゲノム解析が進み、それぞれの病気について、相関する多くの遺伝子多型が特定されている。このパワーの威力については、今回 Covid-19 の様々な病態に対し、詳細な遺伝子多型マップが完成していることからわかる。ただこのような研究は、それぞれの多型、あるいは多型セットが病気につながるメカニズムを明らかに出来て初めて役に立つ。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、2010年頃から様々な免疫性炎症や、細胞内寄生に対する抵抗力の異常に関わることがわかってきた遺伝子 sp140 の作用機序を明らかにし、クローン病など炎症性腸疾患の新しい治療戦略を示した遺伝子多型から病気のメカニズム、そしてその治療まで明らかにしたお手本のような研究で、8月18日号 Cell に掲載された。タイトルは「Epigenetic reader SP140 loss of function drives Crohn’s disease due to uncontrolled macrophage topoisomerases(エピジェネティック状態を監視する sp140 の機能異常は、マクロファージのトポイソメラーゼの調節不全に起因する)」だ。
この研究が注目した sp140 は、免疫系細胞に発現すること、そして免疫性炎症の異常に関わることが知られているが、その機能はインフラマソームや自然免疫シグナルに関わる分子ではなく、H3K27me3 といった遺伝子発現を抑制するヒストンと結合する分子で、これが何故炎症のリスク遺伝子になるのかは、免疫学的にも面白い課題だ。
これを解くため HEK293 T細胞株を用いて、sp14と結合する分子をスクリーニングし、トポイソメラーゼ(TOP)1、TOP2といった DNA を緩める働きがある分子と直接結合していることを発見する。
一方で、クローン病患者さんの遺伝子多型 rs28445040 により、sp140 の機能が低下していること、また sp140 の機能が低下すると、TOP1、2の活性が高まり、転写のリプログラムだけでなく、ヘテロクロマチン領域の DNA 断裂が起こることを示している。
この過程をさらに詳しく解析し、sp140 は、遺伝子発現を抑えるヘテロクロマチンに、TOP や他のクロマチン再編成分子を寄せ付けないようにして、いったん完成したエピジェネティックな遺伝子抑制システムを維持するための重要な分子であることがわかった。また、sp140 発現レベルが低い遺伝子多型では、この防御が破れ、エピジェネティックな転写抑制が乱れることで、主にマクロファージの活性化が起こり、免疫性の炎症が起こることが示唆された。
以上の結果は、sp140 が低下して発症する免疫性炎症は、それにより活性が高まる TOP を抑制することで治療できる可能性を示唆している。そこで、sp140 をノックダウンしたマクロファージを TOP 阻害剤で処理すると、転写のプログラムが正常化し、細胞内寄生体に対する抵抗力が回復することを明らかにした。また、同じ正常化を、クローン病患者さんのマクロファージでも観察している。
最後に、硫酸デキストランで腸を傷害して誘導するマウス腸炎で、sp140ノックアウトマウスで見られる炎症の重症化を、TOP阻害剤で抑えることが出来ることも示している。
以上、人間の臨床例の研究はまだだが、病気の遺伝子多型から病気の治療法開発にまで至ったお手本と言える研究だ。いずれにせよ、慢性炎症性疾患でもゲノム解析が必須の時代はすぐそこにきている。
2022年8月26日
核酸配列を使ったバーコードを用いて、Single cell レベルでトランスクリプトームやクロマチンの状態を調べる方法は、生命科学分野の大きな変革をもたらしたと思う。このバーコード技術を、組織学と合体する試みも進んでおり、最初に紹介したのは今から5年以上前の2016年で、バーコード付きの RNA トラップを、スライドグラスにタイル状に張り巡らせ、バーコードから二次元的位置関係を再構成して、組織情報と統合するという方法で(https://aasj.jp/news/watch/5490 )、その後同じような方法を用いた研究も何回か紹介した。
ただ、single cell を液滴にトラップする方法と異なり、このような二次元スポットを用いる方法では、標的の核酸を調整するためにプロセスする方法は使えない。そこで考え出されたのが、組織切片上で様々な処理をした後、バーコードを後から結合させる方法で、最初はX軸、その後Y軸と異なるバーコードを組織上で反応させて、処理された標的核酸をバーコード化する方法だ。一次元ずつバーコード添加するので、あるスポットに存在する細胞は、2種類のバーコードでラベルされることになるが、この方法により切片を処理して準備した標的核酸にバーコードを添加することが可能になった。
この方法はイエール大学で開発され、今年の2月、ヒストンコードを解析する Chip-seq を組織上で行う方法、Spatial-Cut&Tag として発表された。
この方法では、リン酸化ヒストンに対する抗体を組織上で反応させた後、抗体の存在するゲノム部位にトランスポゾンをリクルートすることで、その部位をカットしてから、X、Y 軸それぞれバーコードを流し、最後は組織全体のヒストンコードを調べる方法で、職人技を超えるほど大変そうな方法だった。
今日紹介する論文も同じグループからで、今度はもう少し単純な Atac-seq をこの方法と組みあわせられないか調べている。タイトルは「Spatial profiling of chromatin accessibility in mouse and human tissues(マウスとヒト組織上でクロマチンアクセシビリティーの空間的プロファイルを解析する)」で、8月17日 Nature にオンライン出版された。今回の論文はオープンアクセスなので、方法については、下の論文からカットアンドペーストして以下に示す。
上の図からわかるように、スライドグラス上の凍結切片にトランスポゾンを反応させ、オープンクロマチンがトランスポゾンでラベルされた後切り出されるようにする。そのあと、バーコードA、バーコードBを順番に DNA に結合させ、最終的にトランスポゾンラベルとともに、A、B それぞれのバーコードから、DNA 断片の由来する場所を特定する。この DNA 断片は全て核内で生成されるので、核の組織上の位置を記録しておけば、組織とバーコードの位置を対応させることが出来る。
さて結果だが、2月の Cut&Tag の結果よりさらにわかりやすく、組織学の情報(例えば肝臓といった臓器の情報や、そこに存在する細胞の情報)が、見事にクロマチンアクセシビリティーの結果と対応し、single cell 浮遊液では得られなかった情報が満載されている。
読者の多くは single cell technology で得られる何千次元もの情報を二次元圧縮した、tSNE と呼ばれる細胞マップを覚えていると思うが、転写の様子から想像される、細胞の種類の情報が、見事に組織上で再現されテイルのを見ると、感心する。オープンアクセスなので是非自分で写真を見て欲しい(https://www.nature.com/articles/s41586-022-05094-1 )。
このように将来確実に使用が拡がること間違いのない方法が完成したというのが結論だが、それだけでは素っ気ないので、2つ例を挙げてみておく。
一つはオリゴデンドロサイト系列で、成熟前は脳全体に拡がっているが、分化に伴い白質に移動すること、また人間の扁桃でT細胞がTfhへと分化する間に、エピジェネティックな変化を繰り返すことなどが見事に示されている。 現役をやめて10年になるが、この間のテクノロジーの進展は目を見張る。我が国でも、これに匹敵する様々な方法が開発されることを願っている
2022年8月25日
顔が似ている背景には、遺伝的な類似があることは誰もが認めると思う。何百万、何千万レベルのゲノム解読が進んだおかげで、顔の形を形成する遺伝子の研究が急速に進んでいる。例えば、今年4月21日、顔の形と関連する遺伝子多型を調べる復旦大学からの論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/19529 )。これは、顔を様々な特徴に因数分解し、その点数と相関する遺伝子多型をリストし、最終的に200近くの多型を見つけるとともに、今度は遺伝子から東アジア人とヨーロッパ人を代表する顔を描くというところまで行っている。
顔の遺伝背景を知るためのもう一つの方法として、瓜二つと言えるほどの顔の似た人のゲノムレベルでの比較が考えられるが、瓜二つというペアを集めるのは簡単ではない。今日紹介するバルセロナ、ホセカレーラス白血病研究所からの研究は、カナダの芸術家 Francois Brunelle が集めて「I’M NOT A LOOK-ALIKE!(http://www.francoisbrunelle.com/webn/e-project.html )」というタイトルで公表している、瓜二つの他人ペアをあたり、協力した32ペアの唾液について、SNP アレー、メチル化 DNA アレー、腸内細菌叢とともに、様々な身体や生活状況についてアンケート調査を行い、顔が似ていることの原因や結果を詳しく調べた研究で、8月23日号の Cell Reports に掲載された。タイトルは「Look-alike humans identified by facial recognition algorithms show genetic similarities(顔認識アルゴリズムで類似が特定された人間は遺伝的にも類似が見られる)」だ。
この研究のハイライトはなんと言っても Francois Brunelle の写真集を使えると着想した点だろう。これはすごいと思う。
ただ、この類似は Francois Brunelle の主観によるので、次に3種類の顔認識ソフトを用いて、類似度を調べ、このフィルターを通った16ペアを、人間の印象でも、機械の分析でも似ていると判断されたペアとして、次の検討に進んでいる。
顔認識レベルの似方で言うと、似た人を探すソフトの場合、一卵性双生児より高い類似と判断される場合があるが、顔の一般的特徴や顔の分類を目的としたアルゴリズムでは、一卵性双生児と一般ペアの大体中間に来る。すなわち、人間の印象を十分反映していると言える。
次に、瓜二つの16ペアを、遺伝子多型から分類すると、驚くことに(予想通り?)9ペアが同じクラスターに集まる。すなわち遺伝的に似ていおり、これを Ultra-alike としている。しかし Ultra-alike ペアでも、一卵性双生児同士と比べると、類似は低く、親戚かどうかを調べる方法では、全く親戚でなないことがはっきりしている。
この互いに似ている同士でシェアされている遺伝子を調べると、19277個の SNP が、共有が見られる SNP としてリストされ、この高い共有はランダムなペアでは見られない。
このような多型の見られる遺伝子は、細胞レベルでは細胞接着に関わる遺伝子が多く集まっており、またこれまで顔形成に関わる遺伝子として特定されている遺伝子も1794種類含まれている。
次に、もう一つ顔が似る原因として考えられる DNA のメチル化を全ゲノムで調べると、残念ながら明確な相関は出てこない(これは唾液内の細胞を使っていることも影響している)。ただ、DNA メチル化は参加者のエピゲネティック年齢とは明確に相関しており、実際 Ultra-alike の人たちは年齢も近く、それを反映してエピゲノム年齢も近いことがわかる。
この研究のもう一つのハイライトは、ゲノムだけでなく、アンケート調査によるさ、参加者の様々な性質、例えば結婚、喫煙、アルコール、ペット飼育、運動、子供や家族などの類似性についての調査で、なんと顔が似ている人は生活スタイルも似ていることを明らかにしている。
一つの写真集から始まった面白い研究だ。
2022年8月24日
ジェンナー、パストゥール、ベーリング、北里など、感染症に対する人類の最初の戦いは、ワクチンと抗体(当時は抗毒素と呼ばれた)の導入だった。今回のCovid-19パンデミックを見ても、実際同じ順番で治療法が開発され、直接ウイルスの増殖を標的にする抗生物質は結局最後になってしまった。
今回のパンデミックで最初に実現した治療法が抗体薬だったが、問題は新しいウイルスバリアントが出現すると、多くの場合効果がなくなってしまうことだった。なんとか多くのバリアントに対応できる抗体はないのかと、身体の中で誘導された何千ものウイルスに対する抗体の構造と、ウイルスとの結合を調べることで、新しいヒントを探す試みが続けられてきた。ただこのような方向性の研究は、誰でも出来るわけではなく、抗体の構造や、その生成について深い知識が必要とされる。世界を見渡しても、そんな条件に合う研究者は多くないが、ハーバード大学の Fred Alt は、現役研究者の中でも最も長い抗体産生についての研究歴を持っている一人だ。
今日紹介する Fred Alt 研究室からの論文は、まさに彼の長年の抗体についての知識が凝縮した論文で、α株からオミクロンまでのウイルスを中和できる抗体を、さすがと思わせる方法で作って見せた研究で、8月11日 Science Immunology に掲載された。タイトルは「An Antibody from Single Human VH -rearranging Mouse Neutralizes All SARS-CoV-2 Variants Through BA.5 by Inhibiting Membrane Fusion(一個のヒト VH だけが再構成を繰り返すマウスは BA5 に至るまでの全ての新型コロナウイルスバリアントを、ウイルスの膜融合をブロックすることで阻害する)」だ。
この研究は、抗体の抗原結合部位の多様性が CDR3 多様性で決まるにもかかわらず、多くの SARS-CoV-2中和抗体のCDR3多様性が限られており、ウイルス感染したときに使える抗体レパートリーが限られてしまって、バリアント全体に効果のあるような抗体が出来ないのではないかと着想した。これもさすが長年抗体を見てきたまなざしと言うほかないが、さらにすごいのは、CDR3 の多様性をもっと高めた動物を作る方法を着想したことだ。
幸い SARS-CoV-2 に対する中和抗体の多くはヒトVH1-2、Vk1-33 を使っている。そこで、VHとVkはこのペアに限る一方、CDR3領域だけは、リンパ節の中で新しいレパートリーを生成し続けることが出来るマウスを作成している。このマウスにも、マウスのV遺伝子との再構成を止めるため、遺伝子のルーピングを防ぐ工夫を組み入れるなど、Alt の長年の知恵が詰まっているので、是非自分で読んで確かめてほしい。
その結果、2回のスパイク抗原の免疫だけで、αからオミクロンまで、ほぼ全てのウイルス感染を中和する抗体を作成するのに成功している。後は、なぜこの抗体だけがあらゆるバリアントに効果を持つのかを、構造的に詳しく解析し、一言で言うと、同じ VH/Vk を用いているのに、これまでの従来の抗体とは全く異なる部位に結合する抗体が作成できることを明らかにしている。即ち、最初にらんだように、抗体の多様性がほぼ100% CDR3 の多様性に集約できるようにすると、これまで見られない抗原反応性を示す抗体が合成できることを明らかにしている。
最後に、なぜこの抗体が現在知られているほぼ全てのバリアントに効くのかを調べ、この抗体によりスパイクの S1 と S2 切断後の完全な乖離が抑制されるため、ウイルスは細胞に感染し、エンドゾームに侵入するが、その後細胞膜と融合してRNAを細胞質に送ることが出来ないことを明らかにする。
結果は以上で、是非この抗体の臨床的効果を確かめ、今後の変異体出現に備えるとともに、同じようなヒト化マウスを用いた新しい抗体開発も進めてほしいと思う。ただ個人的には、さすが真打ち登場、本当に深い知識を持つことの重要性を認識した。
2022年8月23日
現在多くの病気のリスクについて、遺伝的多型がリストされているが、コモンバリアントの場合リスクレベルは高くないため、個々の多型の病気発症への関わりを解明することは簡単でない。コーディング領域にアミノ酸変異があっても、コモンバリアントの場合、それがリスクにつながるメカニズムを特定することは難しいのに、ましてやコーディング領域外となるとさらに解析が困難になる。
今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、7番目の染色体にあるパーキンソン病(PD)のリスク遺伝子多型について、この困難な解析をやり遂げたお手本とも言える研究で、8月17日号の Science に掲載された。タイトルは「GPNMB confers risk for Parkinson’s disease through interaction with a-synuclein(GPNMBはパーキンソン病リスクを αシヌクレインとの相互作用を介して高める)」だ。
この研究では PDリスク遺伝子多型の一つ rs199347を取り上げ、まずどの遺伝子の発現がこの多型で変化するかを探索している。脳での発現、さらには異なる多型の染色体での遺伝子発現を別々に調べる方法(アレル特異的遺伝子発現検出法)などを駆使して、最終的に rs199347は膜タンパク質GPNMBの発現レベルに関わる可能性を突き止める。
次に、iPS細胞の遺伝子編集を用いて、GPNMBを片方、あるいは両方の染色体でノックアウトし、神経まで分化させた後、その影響を調べ、GPNMBが αシヌクレインと直接結合して、αシヌクレインの細胞内への取り込みに関わることを明らかにする。以上の結果から、rs199347多型が PDリスク型の場合、GPNMBの発現が上昇し、その結果細胞外の αシヌクレインを取り込む量が高まることを示している。
実際、GPNMB発現が低下した神経細胞にαシヌクレインを線維化させて加えても、シヌクレインの細胞内取り込みが低下しているために、細胞内毒性が起こらないことを明らかにしている。
最後に、実際の患者さんで、rs199347多型と、GPNMB発現レベル、病気の程度などを相関させ、実際のPD発症にrs199347多型がGPNMBの発現量を変化させているか調べているが、一応相関は見られるものの、レアバリアントで見られるほど強い相関は示さない。しかし、コモンバリアントについて、ここまで機能をしかもヒトの細胞で明らかにしたことは、高く評価していいと思う。
結果は以上で、GPNMBとαシヌクレインの結合を阻害する様な化合物が見つかれば、大ヒットになるかもしれない。
2022年8月22日
多くのガンで、ガン抑制遺伝子 p53 分子の欠損が発ガンの条件になっている。P53 は様々な機能を持っている分子だが、ゲノムの安定性を維持するチェックポイント機能が発ガン抑制に最も重要だと考えられている。とはいえ、p53 が失われた後、ゲノム不安定性がどう表れるのか、まだまだわかっていないことが多い。
今日紹介するスローン・ケッタリング ガン研究所からの論文は p53 が欠損した細胞を他の細胞から区別できるようにしたマウス膵臓ガンモデルを用いて、p53喪失後の過程をゲノム解析や、single cell RNA sequencingをベースにした遺伝子コピー数の変化を調べる手法を用いて調べた研究で、8月17日 Natureに オンライン出版された。タイトルは「Ordered and deterministic cancer genome evolution after p53 loss( p53 喪失移行の発ガン過程の順序が決まっており、決定論的に進む)」だ。
方法は割愛するが、この研究では発ガン遺伝子 ras を発現して発ガン過程にスイッチが入ると、ras 遺伝子領域にリンクして赤い蛍光が出るようにしたマウスで、p53 遺伝子喪失の影響を調べている。そのために、片方の p53 が欠損し、もう片方の p53 遺伝子領域にリンクして緑の蛍光分子が発現するように、マウスを改変している。このマウスでは、ras にスイッチが入った時点で、細胞は赤と緑の蛍光を発し(会わせると黄色になる)、その後 p53 が欠損すると、赤の蛍光だけが発現する。このマウスを用いて、膵臓ガン発生後、あるいは前がん状態で、p53 (+/-:黄色)とp53 (-/-:赤) 細胞を分離し、それぞれのゲノムを調べている。
結果は極めて単純で、まず発ガンには p53 の欠損が必須であることがわかる。そして、p53 欠損前と後のゲノムを比べると、欠損細胞ではほとんどの細胞で、遺伝子のコピー数の変化(CNA)、すなわち遺伝子欠損や、遺伝子重複が見られるが、欠損前には全く CNA は起こらない。すなわち、p53 欠損に続く、様々な CNA が膵臓ガンの発生に必要であることがわかる。
次に、p53 欠損後に起こる CNA を調べると、決してランダムではなく、これまで膵臓ガン発生に必要とされてきた遺伝子領域の欠損が、繰り返し起こっていることがわかる。すなわち、CNA はランダムに発生するが、発ガン過程で特定の CNA が強く選択されていることがわかる。
まだガンが発生していないステージで p53 欠損した細胞を調べると、CNA のほとんどは遺伝子のロスの方で、ゲインはほとんど見つからない。また、遺伝子ロスの種類はほとんど同じで、p53 によりゲノム安定性が傷害されると、その結果起こってくる遺伝子ロスやゲインのうちから、特定の遺伝子がロスした細胞が強く選択され、これが CNA を繰り返しながら、さらに悪性度を増していくという過程が浮き上がってくる。すなわち、膵臓ガン発生には、p53 に続いて、できるだけ細胞の増殖を抑えるガン抑制遺伝子をロスした後、その上に遺伝子ゲインも積み重なるという順序で発ガンが進行することがわかった。
最後に、新しい発見を念頭に、人間の膵臓ガンのゲノムを再検討して、人間でも同じことが言えると結論している。
以上が結果で、CNA の中でも、遺伝子ロス型とゲイン型の順序がこれほど明瞭に分かれていることは重要だと思う。すなわち、膵臓ガンの発生にはまず、p53 に続いて、ガンの増殖を阻む分子を取り除く過程が必須で、ここで取り除かれる遺伝子の種類は限定されている。今後、この過程を調べ直して治療標的を新しい観点から探して欲しいと思う。久しぶりに p53 について勉強できた。
2022年8月21日
昨日、口唇期、まだ目がよく見えない時期に、自己の母親との同一化が起こることを述べたフロイトの一説を紹介したが、この目の見えない時期にも、実際には光を感じることが出来る。これは光受容分子を持つ intrinsically photosensitive retinal ganglion(iPRG) が、視覚に関わる rod や cone細胞以外に網膜に存在し、光の存在を感じるからだ。この機能については、光を浴びて概日リズムを調整するなど様々な可能性が示唆されているが、今日紹介する中国科学技術大学からの論文は、iPRGを介した光刺激が、皮質のシナプス形成に重要な働きをすることを示した研究で、8月8日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Melanopsin retinal ganglion cells mediate light-promoted brain development(メラノプシンを発現する網膜ガングリオン細胞が光り刺激依存性の脳発達を媒介する)」だ。
iPRGを介する光刺激が、新生児大脳皮質の発達を促進するのではと着想したのがこの研究の全てだ。
まず、iPRGの持つ光反応分子 Opn4 をノックアウトしたマウスと正常マウスで、大脳皮質の神経活動を調べ、Opn4(-)マウス、すなわち光を感じられなくしたマウスの視覚野や体性感覚野のみならずほとんどの皮質領域で、自然興奮活動が低下していることを確認する。そして、これが皮質錐体神経のシナプス数の減少の結果であること、さらに光依存的にシナプス数が高まることを確認する。すなわち、乳児期には外界を識別するための視覚は存在しないが、iPRG を介して光を感じ、この光刺激により皮質のシナプスを高めて、脳発達を助けることが明らかになった。
次に、iPRG からの神経投射をたどり、昨日にも話題になった視床の中で、オキシトシンを分泌する視索上核(SON)に直接シナプス結合し、さらに SON は同じ視床室傍核とも相互結合を持っており、このサーキットにより乳児期の光刺激によりオキシトシンが分泌され、これが脳に流れて、シナプス形成を高めていることを突き止める。
そして、この光刺激によるシナプス形成促進が、個体の学習能力に影響することを示し、光が私たちの脳の発達を助け、その後の学習に備える役割を演じていることを明らかにしている。
結論は以上で、光によって私たちの脳の能力が準備されるというのは面白い。しかも、この過程にオキシトシンが関わるのも、様々な連想を引き起こす。今後、人間の発達についても、この結果を下に見直されることになるような気がする。
いずれにせよ、視力にかかわらず iPRG の正常な乳児に光を浴びさせることの重要性がよくわかる。マウスでは生後10日で目が見え始めるが、人間では遅いことを考えると、光による脳発達誘導も、長く続く可能性がある。是非明らかにして欲しいものだ。
2022年8月20日
今日、明日と幼児の脳発達についての論文を2編紹介することにする。おそらく多くの人は、幼児の脳発達と聞くとフロイトを思い出すのではないだろうか。勿論、脳発達と言うより、精神発達なのだが、まず彼の引用から始めよう。
「少年の成長について簡略化して記述すると、次のようになる。ごく早い時期に、母に対する対象備給が発展する。これは最初は母の乳房に関わるものであり、委託型対象選択の原型となる。一方で少年は同一化によって父に向かう。この二つの関係はしばらくは並存しているが、母への性的な欲望が強まり、父がこの欲望の障害であることが知覚されると、エディプス・コンプレックスが生まれる。」(竹田青嗣編、中山元訳、自我論集、ちくま学芸文庫)
これは自己の母親への同一化のあと、父親への対抗意識が生まれる過程について書いた文章だ。この文章を脳発達の観点から眺めてみると、まだ乳房を求める口唇期の体性感覚しかない時期で母親との同一化が進み、その後の感覚器の発達とともにそこにインプットされる父親が、自己に対抗する存在として認識される過程が書かれている。フロイトは神経科学とは一線を画していたが、脳科学が発達した今読み返しても、研究のための様々なヒントが隠れているのが彼の著作だと思う。
さて、成長した私たちの脳では、視覚野と体性感覚野はそれぞれ V1、S1 と領域的に完全に分離している。この見事に仕分けられた感覚野が私たちの認識を支えている。この分離は刺激依存性の発達以前に形成されるのか?もし生後刺激依存的にこの分離が行われるとしたら、そのメカニズムは?
今日紹介する Alicante 神経科学研究所からの論文は、マウスの胎児期から生後発達期で、ヒゲを刺激したときに興奮する体性感覚の視覚野への侵入について調べ、最終的に体性感覚野が限局される過程を調べた研究で、8月19日号 Science に掲載された。
研究は極めて単純で、胎児や新生児のヒゲの刺激がどこまで伝わるのか経路を明らかにしただけと行ってもいい研究だが、結果は大変面白い
まず生まれる直前の胎児のヒゲを刺激すると、本来の体性感覚野のみならず、両側の視覚野の興奮が見られる。しかし、この異所的興奮は、発達とともに消失する。面白いことに、胎児期に視覚を喪失させると、この異所的興奮は続く。
体性感覚野は視床にまずインプットされるので、視床を同時に調べると、視床表層への投射と視覚野への異所的投射が一致していることがわかる。これは、体性感覚が視床表層に投射することが、異所的投射を積極的に成立させている可能性を示唆している。そこで、視床表層の活動を抑えてやると、体性感覚の視覚野への投射はなくなる。
以上のことから、体性感覚は、視床表層への回路を持つことで、領域非特異的な投射が可能になっているが、他の感覚器のインプットが強くなると、表層部の投射が抑えられ、最終的に体性感覚野だけに投射できるようになると考えられる。
他にはこの過程を決めている視床表層と深層が、刺激依存的に転写因子レベルでプログラムし直されること、また生まれる頃から網膜で自然に発生している興奮波が、体性感覚の視覚野への異所的投射を調節し、これが抑制されると体性感覚の異所的インプットが続くことも示しているが、視覚による体性感覚の視床表層への投射調節が、皮質での美しい感覚野の分離を調節しているというのが結論だ。
この論文を読んで、体性感覚をまずフルに使って外界の情報を得ながら、新しい感覚の獲得に従って、感覚野を分離するという、極めて合理的な仕組みに驚いた。また、フロイトはこの巧妙なメカニズムを、臨床例から感じていたのかもしれない。
2022年8月19日
昨日紹介したように、個人用ガンワクチンが実現しようとしている現在、キラー細胞が抗原刺激を受けたあと、ホメオスターシスとして働くチェックポイントシグナルにより、T 細胞が疲弊するまでの過程を詳しく理解して、PD1 抗体を用いたチェックポイント治療を100発100中にしていくことが重要になる。そのための多くの努力が現在進行中で、このHPでも紹介しているが、今日紹介するメルボルン大学からの論文は、Myb と呼ばれる転写因子が、この過程の中核的調節因子として働いていることを示した点で、重要な研究だと思う。タイトルは「MYB orchestrates T cell exhaustion and response to checkpoint inhibition(Mybはチェックポイント阻害によるT細胞疲弊と反応を指揮している)」で、8月17日 Nature にオンライン掲載された。
抗原に対してキラー細胞が反応すると、PD1 を発現し、これが刺激されることで T 細胞の活性が低下、免疫反応が一方的に上がらないようにしている。ただ、ガン治療に関しては、できるだけ多くのキラー細胞を動員したいので、フィードバックを抑えるため、PD1 や PDL1 に対する抗体でフィードバックを阻害する。
研究では、この過程をより詳しく解析するため、ウイルスの慢性感染というセッティングで動員されるCD8キラー細胞について、single cell RNA seq を用いて詳しく解析し、抗原刺激を受けて PD1 が発現した細胞は、CD62L(l-セレクチン)陽性段階、CD62L 陰性段階、を経て最終的な疲弊型細胞 Tex に分化することを突き止める。
細胞移植の実験から、CD62L は抗原刺激を受けて増殖し、キラー細胞をリクルートする幹細胞に相当し、そこから PD1 シグナルを受けて CD61L 陰性細胞、そして Tex へと分化することを突き止める。
次に幹細胞型 CD62L 陽性細胞の遺伝子発現から、この集団だけに、血液幹細胞の自己再生にも重要な機能を持つ Myb が発現していることを発見する。
そこで、T 細胞で Myb が欠損するマウスを作成し、このマウスにウイルス感染させて調べると、慢性炎症が亢進し、PD1 に関わらず T 細胞が疲弊できないことを発見する。
一方、ウイルス感染による抗原刺激の CD62L 陽性段階から Tex までの分化過程を調べると、Myb が機能しないと、CD62L 陽性幹細胞の分化は抑制される。一見、相反する結果に見えるが、PD1 陽性細胞は存在し、CD62L 陰性段階から Tex 段階で Myb がないことで大きな遺伝子発現の再編成が起こってしまい、その結果 Tex 段階に見えても、キラー活性がそのまま残り、免疫反応がオーバーシュートすることが明らかになた。
まとめると、Myb は抗原刺激により生成する幹細胞型 CD62L 陽性細胞の分化を調節し、この細胞が抗原に反応して自己再生してキラー活性を維持するとともに、PD1 に反応して機能が抑制されるのも抑える、2つの機能を持つことがわかった。
機能が複雑で、少し理解しにくいかもしれないが、この論文のおかげで抗原刺激から Tex までの過程をかなり明瞭に理解することが出来た。
現在 CD62L は、チェックポイント治療の効果予測に使われているが、このメカニズムが明らかになった。さらに、組織中のリンパ球をキラー細胞として利用するときも、CD62L 陽性細胞を純化することで、より高い効果が示されることもわかる。
また、CART 治療でも、Myb のレベルがコントロールできると、現在の治療効果をさらに高められる可能性も出てきた。以上、いろいろ勉強になる論文だった。
2022年8月18日
今回のコロナ禍で、世界はアデノウイルスベクターや mRNA ワクチンの威力を知ることになったが、これらのモダリティーが大成功した原因の一つは、ワクチン製造のスピードにある。以前紹介したが、我が国で多くの専門家が、ワクチンの評価には何年もかかるなどと言っていたとき、ウイルスのゲノム配列が明らかになってから、なんと4日目にはヒトにも注射可能な GMP基準のワクチンができあがり、第1相治験まで3ヶ月かからなかった。
このスピードの源は、これらのモダリティーが、個人用ガンワクチンのために開発されてきたからだ。このためには、ガンが発現する変異分子を特定する迅速なゲノム解析と、その結果を迅速にワクチンにする必要がある。ガンという病気の性質を考えると、ワクチンには時間がかかるなどと言えるはずはなく、その結果配列があればすぐにワクチンを完成させるスピード感が要求される。ゲノム配列決定にしても、ワクチン開発にしても、このスピード感の欠如が我が国の問題だ。
今日紹介する Gritstone bio 社からの論文は、2種類のモダリティーを同時に使って、個人のガンゲノム解析から特定したガンのネオ抗原ワクチンを合成。末期のガン治療に用いた治験研究で、これが出来るようになったと言うだけでも感慨深い研究だ。タイトルは「Individualized, heterologous chimpanzee adenovirus and self-amplifying mRNA neoantigen vaccine for advanced metastatic solid tumors: phase 1 trial interim results(チンパンジーアデノウイルスと、自己増殖型 mRNA を用いた個人用ガンネオ抗原ワクチンを進行した転移性固形腫瘍に使う第1相試験)」で、8月15日 Nature Medicine にオンライン掲載された。
ワクチンは、まず腫瘍のバイオプシーサンプルの全エクソーム解析を行い、突然変異が起こっている遺伝子を特定、その中から徹底的な情報処理に基づき、20種類のガンのネオ抗原を選び、20種類の別々のネオ抗原(変異部を中心に25アミノ酸配列)配列が一つの蛋白質として合成される遺伝子配列を決定する。
この遺伝子配列を、Covid-19ワクチンにも使われた、チンパンジーアデノウイルス(ChAd)に導入すると同時に、ベネゼラ馬脳炎ウイルスの配列を利用した自己複製型 mRNA ワクチンも合成する。
こうして出来た2種類のワクチンを、まず ChAd、その後 mRNA ワクチン投与を繰り返すというプロトコルで、チェックポイント治療とともに患者さんに投与している。
要するに、ステージ4の治療に十分使える迅速さで、個人用ガンワクチンを実現したことになる。
結果の詳細は省くが、末梢血で調べられることは徹底的に行って、ガンに対する免疫誘導を調べている。結果、選んだいくつかのガンネオ抗原に対して CD8キラー細胞を誘導することが出来、遺伝子発現から、長期記憶細胞も含まれていることまで確認している。
肝心の臨床結果だが、約半数は残念ながら亡くなっているが、残りは病気の進行を抑えることが出来ており、人によってはガンの縮小も見られるという結果だ。基本的には第1相なので、安全性と、CD8T細胞を誘導できたという点で満足している。
現在はステージ4だけでなく、手術に組みあわせるネオアジュバント治験も行われているようなので、臨床結果についてはそちらを待った方がいい。ただ、かなり自信に満ちた書き方なので、期待できるのではないだろうか。
しかしなんと言っても、個人用ガンワクチンを、しかも2種類のモダリティーを組みあわせて実行できるシステムを作り上げた点がすごい。