9月9日 自律神経研究3題:1.「具合が悪い」ことの脳科学(9月7日 Nature オンライン掲載論文)
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9月9日 自律神経研究3題:1.「具合が悪い」ことの脳科学(9月7日 Nature オンライン掲載論文)

2022年9月9日
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最近 Nature に自律神経関係の面白い論文が3編相次いで発表されていたので、週末は、自律神経について勉強し直す意味でもこの3編の論文を紹介したい。

最初の論文はロックフェラー大学からで、病気になると誰もが共通に示す行動変化が起こるメカニズムについての研究で、9月7日 Nature にオンライン出版された。タイトルは「Brainstem ADCYAP1 + neurons control multiple aspects of sickness behaviour(脳幹の ADCYAP1 陽性神経細胞が病気にかかったときの様々な行動を支配する)」だ。

私の学生の頃読んだハンスセリエの Stress in Life のイントロダクションは、何十年もたった今も鮮明に覚えている。彼は医学部で病気を症状で分類する鑑別の講義を受けたとき、逆にほとんどの病気が熱や疲れなど共通の症状を持つことに興味を抱き、Just being sick という状態をテーマとして選び、ストレス学説を作り上げる。

このプロセスに副腎皮質ホルモンが深く関わるのだが、どうして just being sick といえる共通の症状が生まれる詳細なメカニズムについてはまだわかっていないことが多い。

今日紹介する論文では感染の代わりに LPS 注射を用い、注射により誘導される食欲減退、活動性の低下、そして深部体温の低下を直接支配する自律神経メカニズムを突き止めることを目的にしている。

LPS を注射して Fos 遺伝子の発現で反応細胞を調べると、200領域に反応が認められる。すなわち、LPS は脳神経細胞に直接強い興奮を誘導する。中でも、延髄にある内臓からの様々な情報を集めている孤束核と延髄最後野が注射後3時間たっても高い反応を維持していること、自律神経の重要な感覚中枢であることなどから、この領域に焦点を絞って研究している。

焦点が決まると、今は特定の神経を操作する方法が確立している。この研究では、それぞれの領域で刺激に反応した細胞(この場合 LPS に反応した)だけを選んで操作する TRAP と呼ばれる方法を用いて、孤束核、最後野の LPS に反応する細胞を刺激すると、LPS 注射と同じ効果を、特に孤束核刺激で見ることが出来る。逆に、この細胞の興奮を抑えてやると、LPS の効果は見られない。

次の実験では、LPS 刺激に反応した孤束核神経細胞を、single cell RNA sequencing で調べ、LPS で刺激を受ける細胞の特異的マーカーを探求し、最終的にアデニルシクラーゼ活性化ペプチド(ADCYAP1)を特異的マーカーとして使える可能性を突き止める。

後は、この遺伝子領域に Cre を導入し、この分子を発現する神経細胞の興奮を調節できるようにして、マウスの行動を調べると、孤束核の ADCYAP1 陽性神経細胞刺激によって食欲と活動性が低下することを確認している。

結果は以上で、just being sick という状態を、脳の活動に伝えるハブを決めた研究と言える。今後は、LPS 刺激がどのように感知されるのか、またこの領域の興奮が、脳全体にどう伝わるかを明らかにすることが必要になるだろう。

この過程にどの程度セリエのストレス経路が関わるかはわからないが、「具合が悪い」状態の理解は、ようやく具体的で面白い領域に発展しそうな気がする。

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9月8日 血小板 RNA からガンを診断する(9月1日号 Cancer Cell 掲載論文)

2022年9月8日
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英国経験論の最後として、今、デビッドヒュームを読み直しているが、以前から感じていたように、それまでの哲学の収束点とも言うべき巨人だと思う。なかでも、統計学的現象を物理的因果性とは異なる因果性として理解していた最初の哲学者と言っていいのではないだろうか。

この統計学的因果性は、今や私たちの脳活動の解読研究には盛んに利用されているし、さらに深層学習アルゴリズムとして、人間活動のあらゆる面に進出している。このニューラルネット= AI が不思議な形で理解できるのがガンの診断だ。

現在様々な動物を使って臭いや味からガンを診断する試みが、特にメディアでは取り上げられるが、これはそれぞれの動物のニューラルネットを用いた AI と言っていい。一つの化学物質で話がすめば検査は簡単だが、もう少し複雑な組み合わせだと、検査に AI を用いる必要がある。ただ、化合物の組み合わせをいちいち調べる代わりに、臭いの入り口が複数ある動物のニューラルネットをそのまま用いてる方法は問題はない。ただ、病気を理解するという意味では、この時感知された化合物を知ることが重要だが、臭いの研究の人たちはそこまで行く気はなさそうだ。

今日紹介するオランダ・アムステルダム自由大学からの論文は、血小板に存在する RNA のパターンからガンの存在を診断するという試みで、タイトルが意表を突いていたので紹介することにした。そのタイトルは「Detection and localization of early- and late-stage cancers using platelet RNA(初期から後期のガンの存在と局在について血小板 RNA を用いて診断する)」で、9月1日 Cancer Cell に掲載された。

血小板に RNA が存在し、蛋白質を合成することで機能を維持することは知っていたが、ガン細胞とは何の関係もない血小板の RNA が、ガンの存在により変化させられるので、ガンの診断に使えるという研究だ。ただ、今日紹介する論文は、この前提での大規模研究で、2400人の様々なガン患者さんを用いて PSO (粒子群最適化)という、少し変わったアルゴリズムを用いた AI を訓練し、最終的に AUC で0.91レベルのガンの診断が可能になったという論文だ。

検出にステージごとの違いは大きくない。一方、全く症状がないヒトの方が診断精度が高くなる。というのも、炎症など様々な変化が合併すると、それ自体が検出感度を下げてしまう。その意味では、全く健康と思っている人たちのガンの診断に役立つ可能性がある。

また、少しアルゴリズムを変えると、肺がん、脳腫瘍などは8割近い確率で場所を特定できる。ただ、膵臓ガンになると、ガンがあるかないかについてはわかっても、膵臓ガンとまでは診断できない。

以上が結果で、まだまだ実地診療に使えるというところではないという印象だが、意外なルートでガンの診断が可能という結論になる。

しかし、診断はともかく、何故血小板 RNA でガンの診断が可能かが最も面白い。気になって論文をたぐっていくと、なんと2015年、同じ Cancer CellにTumor educated platelets の RNA という論文を発表している。

これによると、約5000種類の血小板 RNA の中から、約1000種類の RNA を選び出し、ガンと健常人で変化があるい RNA を選び出して、それを診断に使っていることはわかったが、やはり何故このような変化が起こるのかについては tumor education 以上にはわかっていない。すでに7年もたって、この肝心な点がわかっていないとすると、おそらく検査としては普及しないように思う。統計的因果性をそのまま信じられないのが我々自身のニューラルネットの傾向だ。その点で、臭い診断も、化合物の組み合わせがわからないと長続きしないように思う。

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9月7日 ガン予防に向けた世界統計(8月20日号 The Lancet 掲載論文)

2022年9月7日
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若い人たちにはにわかに信じられないことだと思うが、以前は、我が国のみならずほとんどの先進国で、公共交通機関でタバコが吸えた。今もたまにへんぴな国で飛行機に乗ると、まだ灰皿付きの座席に出会い懐かしく思う。かくいう私も、飛行機では喫煙席に座っていたし、驚くなかれ外来もタバコを吸いながら患者さんを診ていた。

現在でもタバコが吸えるレストランがあるように、我が国の取り組みはまだまだ腰が引けているが、それでも禁煙に向けた取り組みは進んでおり、その効果もガン統計に表れている。このように、ガンのリスクを明らかにし予防することは、ガンを減らすための1丁目1番地になる。

今日紹介するワシントン大学を中心とする何百もの研究機関が集まって発表した論文は、2019年に行われた、Global Burden of Disease, Injuries, and Risk Factor Study(GBD)と呼ばれる、疾患リスク分析調査の結果で、予防可能なガンのリスクを洗い出すことを目的にした研究で、8月20日 The Lancet に掲載された。タイトルは「The global burden of cancer attributable to risk factors, 2010–19: a systematic analysis for the Global Burden of Disease Study 2019(リスク要因が特定できるガンは2010−2019年の地球規模の問題である:GBD研究の総合的解析)」だ。

地域ごとにデータの質はまちまちと思えるので、国際比較についてはいろいろ問題もあるかもしれないが、このような試みが続けられて、それぞれの国でガンを減らすための科学に裏付けられた政策がプラン出来るのは素晴らしいと実感できる。

結果は膨大なので、一部重要と思った点を箇条書きに書き留めておく。医療に関わるひとは是非自分で読んでみて欲しい。

  1. まず、現在もなお予防可能なガンによる死亡は全体の44%に及ぶ。
  2. DALYと呼ばれる指標で、ガンにより失われた時間を換算する方法を用いることで、より正確にガンの世界的課題を算定できる。これによると、いまだ42% DALY が予防により取り戻せる。
  3. 予防可能なガンのリスクファクターのトップ3は、タバコ、アルコール、そして食事で、これは男女変わらない。特に男性ではいまもタバコが大きな位置を占めていることがわかる。
  4. 地域別に見ると、この生活習慣によるリスクは東欧、中国が高い。不思議なことに、我が国のリスクは比較的低い方に属している。
  5. 肥満など代謝との関わりで見たとき、予想通り米国は最も悪い地域になるが、同じように英国と東欧も最も悪い地域になる。一方、日本はアフリカやインド、そして北朝鮮とともに、代謝リスクが最も低い国になる。
  6. ガンの場合、子宮頸がんのようにセックスにより媒介されるケースがあるので、出生率の高い国と低い国で統計を分けることが出来る。当然、セックスにより媒介される子宮頸がんなどは、多産の国で多い。一方、代謝リスクによるガンは、特に出生率の低い国で今も増加している。
  7. とはいえ、DALY で計算すると、喫煙と飲酒によるガンの失われた時間は低下しており、喫煙では 10年で12%低下している。これに反し、肥満リスクによるガンは上昇している。

以上が私が気になった点だ。いずれにせよ、このような努力のおかげで DALY、ガンによって失われる時間は改善しているが、まだまだ道半ばというところだ。

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9月6日 蜘蛛の夢(8月8日 米国アカデミー紀要 掲載論文)

2022年9月6日
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昨日パーキンソン病を睡眠中の呼吸運動から診断するという論文を紹介した後、急に無脊椎動物は寝るのか?ということが気になって調べてみた。結構多くの論文があり、節足動物はもとより、線虫やクラゲでも、それを眠りと呼んでいいのかわからないが、寝て休んでいるような状態があることは広く認められているようだ。とはいえ、さすが夢を見ているかどうか調べた研究はないだろうと思って見てみると、なんと先月ワシントン大学の研究者が、米国アカデミー紀要に発表した、ハエトリグモのREM睡眠についての研究があったので紹介する。タイトルは「Regularly occurring bouts of retinal movements suggest an REM sleep–like state in jumping spiders(定期的に起こる網膜が動く発作はハエトリグモのREM睡眠状態の存在を示唆する)」で、8月8日米国アカデミー紀要に掲載された。

夢の研究をする前に必要なのは、蜘蛛の睡眠だが、2021年このグループは蜘蛛が一本の糸で枝からぶら下がって、足を縮こめて寝るという行動を報告している。

ただ、寝ていると言っても外敵に備えているようで、振動を感じると必ず地上に落下する。一方、起きているとき振動を感じると、糸を伝って登る行動をとる。

この研究では、まだ色素が皮膚を覆っていない、若い蜘蛛を用いて、糸を伸ばして休んでいるときビデオ撮影を行い、4種類の目の中で大きな3種類について網膜の動きを追跡している。

我々と違って蜘蛛には眼球がないため、動眼筋肉で目の方向を決めるのではなく、網膜を動かせて見る方向を決めている。

さて結果だが、休息中は基本的に目は全く動かない。しかし、15−20分に1回、規則的に網膜が動くことが観察される。さらに、網膜が動くときに、足も発作的に動くことが観察された。

結果は以上で、休息中に網膜が規則的に動くことは、我々のREM睡眠と同じで、蜘蛛の休息も、non-REMとREMに分けることが出来ると結論している。

網膜の動きは若い蜘蛛でないと観察できないのだが、成熟個体でも睡眠中規則正しく手足縮める発作が見られることから、これがREM睡眠状態に対応すると結論している。

これが正しいとすると、線虫やショウジョウバエでも休息中にピクッと動くことが観察されているので、REM睡眠は多くの無脊椎動物で観察できるのかもしれない。とすると、蜘蛛の夢とは何かを明らかにするのが、次の課題になる。以前紹介したように、マウスでも動眼運動の追跡から夢を解読できる可能性がある(https://aasj.jp/news/watch/20414)。おそらく蜘蛛の夢の解読は、もっと簡単ではないだろうか。蜘蛛の夢が解読できれば、イグノーベル賞は間違いない。

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9月5日 パーキンソン病を寝ている間に診断する(8月22日 Nature Medicine オンライン掲載論文)

2022年9月5日
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病気の中には、今も確定診断を現れている症状にもとづいて行っているケースがある。パーキンソン病(PD)もそんな一つで、α シヌクレインの蓄積があると言っても、まだ広く検査として使えるバイオマーカーは存在しない。

今日紹介する MIT からの論文は、睡眠時の呼吸状態を調べることで、PD を少なくとも問診に匹敵する精度で診断できるという研究で、8月22日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Artificial intelligence-enabled detection and assessment of Parkinson’s disease using nocturnal breathing signals(睡眠時の呼吸シグナルを測定し人工知能で処理することでパーキンソン病の評価が出来る)」だ。

かなり昔から PD には睡眠時の呼吸パターンが異常を示すという論文が発表されていた。例えば睡眠時の酸素飽和度が低いことが知られているし、睡眠時無呼吸も高い確率で見られることも報告されている。また、その呼吸のパターンは、PD に特徴的であることも示唆されていた。

この研究では、睡眠時の呼吸パターン(頻度、深さなど)を呼吸を調べるベルト、あるいはラジオ波による呼吸モニタリングにより測定、それをエンコーダーで数値化し、Self-attention module を用いた深層学習で処理し、睡眠時の呼吸から PD の診断、あるいは PD の様々な指標を診断できるか調べている。

結果は上々で、呼吸ベルトで一日だけ呼吸を計測し分析したデータにより、正確度の評価に使われる ROC 曲線から割り出す AUC が0.889と期待通りだった。すなわち、十分相関性が有り診断に使える。

さらに、呼吸ベルトではなく、ラジオ波で呼吸状態を測定する方法を用いると、さらに良い結果で AUC で0.906になった。さらに、ラジオ波の場合、家庭で何回も測定可能なので、測定回数を増やすことでさらに高い精度が得られるか調べ、12日間に計測数を増やすと、なんと0.95まで精度が高まることを明らかにしている。

さらに、この指標は問診による重症度診断指数とほぼ完全に一致しており、重症度の指標としても使える。そして、徐々に PD の症状が進行することも正確に捉えることが出来る。

この Self-attention モデルを用いた AI が PD のパターンとして特徴づけた眠りのセグメントについて、他の指標との相関を調べると、ノンレム睡眠時、脳波のδ波が低下し、代わりに β 波が上昇すると相関が認められており、呼吸の少なくとも一部が脳波を反映することも明らかにしている。

以上が結果で、AI を用いた研究なので、メカニズムを云々するより、やはり診断的価値を重視すればいいと思う。AI 診断の妙味は、決して難しい検査の解釈ではなく、これまで病気の診断には利用できなかった単純な生体情報を長期的にフォローすることで、これまで気づかなかった変化を検出し、診断に使うことが出来る点で、その意味ではこの研究は素晴らしいと思う。

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9月4日 アストロサイトにより媒介される場所記憶(8月31日 Nature オンライン掲載論文)

2022年9月4日
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アストロサイトは神経活動を様々な形で支援する役割を持つ細胞と考えられている。以前紹介したように、脳に全く線維芽細胞が存在しないという通説は間違っているようだが、組織学的にも神経細胞やシナプスを支持する細胞の主役は、脳ではアストロサイトになる。面白いのは、このアストロサイトも神経と同じように、刺激に反応してカルシウム流入が見られることで、例えば麻酔によりこの活動が低下することから、その機能に興味が集まっていた。

今日紹介するイスラエル・Edmond and Lily Safra 脳科学研究センターからの論文は、場所記憶を調べる課題を行っているマウスで、場所細胞が活動している CA1 領域のアストロサイトの興奮を持続的に調べる実験を行い、アストロサイト細胞の活動に何か法則性があるか調べた研究で、8月31日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Hippocampal astrocytes encode reward location(海馬のアストロサイトは褒美をもらった場所を記録している)」だ。

要するに、このような課題を行わせるときの脳記録は普通神経細胞で行うのだが、この研究ではアストロサイトだけにカルシウムセンサーを発現させ、興奮を記録している。

すると期待通り、普通場所神経細胞の記憶が形成されるセッティングで、一定の法則に従ってアストロサイトが興奮する(カルシウム流入が起こる)ことがわかった。いつ興奮が高まるのか詳しく調べると、場所神経細胞のように決まった場所で興奮するのではなく、課題を遂行中に提供されるご褒美が約束されている場所に近づくにつれて興奮が高まることがわかった。

逆に新しい課題に直面すると、同じような興奮の高まりは見られないが、新しい状況を記憶して、褒美をもらえる場所がわかってくると、同じように興奮が高まることがわかった。また、新しい記憶が成立しても、既に勝手がわかっている課題では、アストロサイトの反応が起こる。

面白いことに、課題の途中で急に画面の投射を切断して、視覚が使えない状態でも、手探りで課題を続け、褒美が近くなるとアストロサイトも興奮する。すなわち、私たちが勝手がわかっている自分の家で、暗闇でもマークを見つけてトイレに行くことができるといったセッティングに対応しているように思える。

最後に、記憶した課題を遂行しているとき、海馬アストロサイトの興奮を記録することで、マウスが褒美にどれほど近づいているのかを解読できることから、この結論が間違いないとしている。

以上、アストロサイトにも記憶があるように見えることがこの研究のハイライトだが、基本的には神経ネットワークに従じているはずで、今後は神経の GPS ネットワークにどう組み込まれているのか、研究が必要になるだろう。いずれにせよ、認知症を考える時、神経だけでなくアストロサイトも常に調べることが必要になる。

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9月3日 ダウン症の認知障害は治療できるかもしれない(9月2日号 Science 掲載論文)

2022年9月3日
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21番染色体の全部、あるいは一部が余分に存在するダウン症では、様々な障害が生後現れるが、中でも重要なのは、年齢と共に認知機能が低下する症状だと思う。

今日紹介するフランス・リールにある、リール神経認知科学研究所からの論文は、ダウン症で起こる認知機能と嗅覚障害に絞ってその原因を探り、卵胞刺激ホルモンおよび黄体形成ホルモンの分泌を調節するゴナドトロピン放出ホルモン(GnRH)の分泌低下が背景にあることを突き止め、これを補うことで認知機能や嗅覚の低下を止める可能性があることを示した画期的な研究で、9月2日号 Science に掲載された。タイトルは「GnRH replacement rescues cognition in Down syndrome(GnRH を補うことでダウン症の認知機能を救済できる)」だ。

この研究は、ダウン症で見られる嗅覚障害が、GnRH 欠損を示すカールマン症候群でも見られること、またダウン症の特に男児が性的成熟が欠如することなどから、ダウン症の病理、特に神経症状や性成熟の異常は GnRH 分泌異常にあるのではとの着想から始まっている。

ダウン症モデルマウスでも、人間と同じように、成熟に伴い、認知機能と嗅覚機能異常が現れることを確認した後、GnRH の発現を調べると、やはり年齢と共に GnRH を発現している視索前野神経細胞の数が低下することを明らかにする。

次に、ダウン症で GnRH の発現が低下するメカニズムを遺伝子発現から探って、遺伝子の翻訳調節を行っている miRNA のいくつかの発現が、ダウン症で年齢とともに低下しており、この中の miR-200 を視策前野神経に発現させることで、嗅覚機能や認知機能が少し回復することを示している。

メカニズムはともかく、この研究の真価は、GnRH 発現低下と嗅覚、認知機能低下を関係づけたことで、当然 GnRH を補充することで認知機能の回復が見られるかが最も重要な実験になる。

浸透圧ポンプを用いて、3時間ごとに10分間、不妊治療に用いられる GnRH を投与する実験を行い、嗅覚機能とともに、認知機能が回復することを確認している。

最後に、既に認知機能が低下している成人のダウン症患者さんに、同じように GnRH を6ヶ月投与する治験を行い。様々な認知機能が回復することを確認している。発達期を対象にしたマウス実験と異なり、嗅覚機能は回復していないが、fMRI で調べた、脳各領域の結合性が間違いなく上がっていることから、白質障害を間違いなく抑えられる可能性が示された。

これ以外に、視索前野に正常細胞を注射する細胞治療、あるいは GnRH の発現を視索前野で誘導する遺伝子治療もマウスでは劇的効果があることを示している。

以上の結果は、今後認知機能が低下する前から GnRH 補充療法、あるいは脳細胞の移植や遺伝子治療を行えば、ダウン症の児童の認知機能の低下を防げる可能性を示している。勿論成人への効果は示されたので第2相以降の治験を進めて欲しいし、発達期を標的にし治験も今後行われると思うが、期待できる画期的研究だと思う。

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9月2日 アフリカで発掘された恐竜の骨から考えられること(8月31日 Nature オンライン掲載論文)

2022年9月2日
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現在国立科学博物館では「化石ハンター」と題して、化石研究について展示が行われている。10月までなので一度行こうと思っているが、もう少し感染が収まってからがいいだろう。しかし、どの国の自然史博物館を訪れても、恐竜の化石が一番人気だ。ただ、自然科学として見た時、こんな動物がいたという博物学を超えて、発掘された恐竜から何を学ぶのかを考えるのは面白いが、そのためには深い知識が必要になる。そこで今日は、アフリカ ジンバブエで発掘された竜脚目の恐竜の骨から何を学ぶことができるのかについてわかりやすく教えてくれるエール大学からの論文を紹介する。タイトルは「Africa’s oldest dinosaurs reveal early suppression of dinosaur distribution(アフリカで最も古い恐竜は恐竜の分布が最初抑制されていたことを明らかにする)」だ。

新種の恐竜の骨を見つけたというだけでは、マスコミは取り上げてくれても、科学としては高い評価は得られない。まず大事なのは Question を提示することだ。

現在恐竜と呼ばれている爬虫類は、ペルム紀の爬虫類の生き残りが三畳紀に進化、多様化したもので、その後ジュラ紀、白亜紀と恐竜は進化し続けていく。恐竜だけでなく、三畳紀初期が面白いのは、ペルム紀末の大火山活動で地球上の9割以上の生物が絶滅したため、三畳紀、地球上の生命は新たに生まれ変わる。この中で、恐竜や哺乳類が誕生する。

もう一つ面白いのは、三畳紀では、現在分離している大陸がパンゲア大陸にまとまっていたことで、その後分離された結果の独自の進化を比べることができる点だ。

この研究の Question は、三畳紀初期、恐竜はどこで最初に進化したのか、その後どのように分布したのかを明らかにすることだ。これまでの研究で、竜脚類、獣脚類、鳥盤類など主だった恐竜ははほとんどパンゲア大陸南部に限局して出土することがわかっている。ただパンゲアといってもほとんどの発掘場所は南米に限られており、分布を議論するには発見された化石の数が少ない。

これに対し、これまでほとんど恐竜の化石が発見されてこなかったアフリカジンバブエの三畳紀初期の地層から、現在続々恐竜の化石が発掘され、今回M.raathiと名付けた、最も古い竜脚類の完全な化石が発見され、論文として発表された。

骨格の特徴から竜脚類で、ブラジルで発見されたサトゥナリア、アルゼンチンで発見されたパンファギアなどの同時代の竜脚類に近いことがわかる。また同じ場所から、ヘレラサウルス、Hyperodapedoninae、Gomphodontosuchinae、 aetosaurus、ディキノドンなども出土していることから、パンゲア大陸東側(現在南アメリカ)とほぼ同じ恐竜分布を示す場所が、西側(現在のジンバブエより西)に存在していたことを示している。

結果は以上で、南アメリカに続いて、アフリカでも三畳紀初期の類似した恐竜分布が発見されたことで、恐竜の進化がパンゲア大陸南側の、雨季と乾期の差がはっきりした、高温の気候帯のみで進化したと結論している。その後、気候が温暖化することで、まず獣脚類、そして鳥盤類の北への移動が始まるが、それまではこの領域に限られることから、恐竜の初期の進化を知るためには、パンゲア南部に相当する領域を徹底的に調べる必要があるという結論だ。

恐竜の骨発掘は決してロマンだけではない。

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9月1日 マウスは実験者の性別を嗅ぎ分ける(8月30日 Nature Neuroscience オンライン掲載論文)

2022年9月1日
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大学で研究していた頃は、自分自身でもマウスの実験やケージ掃除も行っていたので、マウスと暮らしてきたなとつくづく思うが、マウスが実験者の性別を区別しているなど、気づいていないし、考えたこともなかった。しかし、マウスを使って主にストレスを研究している研究者の間では、マウスが実験者の性別を区別し、その結果、女性が実験するか、男性が実験するかで結果が違うと言うことが気づかれていたようだ。

今日紹介するメリーランド大学からの論文は、ストレスにより誘導される鬱状態をケタミンで治療するという薬理実験でも、実験者の性別が結果を作用するメカニズムについて明らかにしようとしたユニークな研究で、8月30日 Nature Neuroscience にオンライン掲載された。タイトルは「Experimenters’ sex modulates mouse behaviors and neural responses to ketamine via corticotropin releasing factor(実験者の性別がケタミンに対する行動学的神経学的反応をcorticotropin releasing factorを介して変化させる)」だ。

おそらくこのグループは、ケタミンによる鬱状態治療について研究していたのだと思う。ただ実験を重ねるうちに、マウスが実験者の性別を嗅ぎ分けるのに気づいたというのではなく、最初から実験を行う上で、これまで指摘されていた、男性の実験者の臭いがマウスにストレスになるのではと言う問題を重視し、このメカニズムの検討から、ケタミンの作用機序へと研究を進める、面白い順序の研究になっている。

研究ではまず、皮膚を脱脂綿でこすって男性と女性を付着させ、その脱脂綿に対してマウスがどう反応するかを調べている。結果は明瞭で、男性の皮膚の臭いはマウスに強いストレスになっていることがわかる。一方で、女性の臭いは何も臭いがないのとほぼ同じだ。

男性の臭いがストレスを誘導していることは、強制水泳試験などのストレスを測定する実験ではっきりする。特に驚くのは、鬱状態をケタミンで治療する実験を行ったときで、男性の実験者が行うと、ケタミンの効果がはっきりするが、女性の実験者が行ったときにはほとんど効果が見られない。すなわち、男性の実験者と出会ったときにストレスがかかり、その影響をケタミンが軽減していることがわかる。薬理実験でこんな結果が出るとすると、ことは重大だ。

この現象の神経科学的なメカニズムを解析し、最終的に男性の臭いにより、嗅内野のcorticotropin releasing hormon(CRH)遊離神経が興奮し、これが海馬の CA1 神経に作用する回路が活性化することでストレスが生じるが、この回路がケタミンで遮断されることを明らかにしている。

実際この回路を抑制すると、男性の臭いによるストレスは消失するし、この回路を刺激すると、ストレス反応が誘導され、またそれをケタミンが抑制できることなどを示している。

以上の結果、マウスが実験者の性別を嗅ぎ分けるメカニズムが明らかになるだけではなく、ケタミンが作用する回路の一つが明らかになった面白い論文だった。もうマウスに触ることはないが、マウスを触るときには手袋をして、臭いが出ないよう、男性は注意する必要がある。

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8月31日 古代ゲノム解析からわかるインドヨーロッパ語の起源(8月26日号 Science 掲載論文)

2022年8月31日
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昨日に続いて、Lazaridis の論文を紹介することにした。昨日は、ギリシャ時代の様々な記録の断片を、ヒトゲノムからわかる民族の移動と対応させるという、今までにはなかった研究だが、今日紹介する論文では、インドヨーロッパ語の起源に焦点を当て、特にアナトリア地方の古代ゲノムから見た民族交流史から、インドヨーロッパ語の起源を考えている。タイトルは「The genetic history of the Southern Arc: A bridge between West Asia and Europe(南部地域のゲノム史:西アジアとヨーロッパの架け橋)」で、8月26日号Scienceに掲載された。

昨日、農耕発祥の地と考えられるアナトリアが、コーカサス狩猟採取民と、イスラエルからの民族との交雑により形成されていることを少しだけ紹介したが、この研究では、アナトリアのゲノムに、ヤムナゲノムがその後ほとんど流入していないことに注目し、この点について詳しく調べている。

というのも、ヤムナ文化が、インドヨーロッパ語の起源で、紀元前5000年以降、民族の大移動と、移動した土地での交雑により、一種の縄目文土器とともにインドヨーロッパ語をユーラシア全体に拡げたというのが現在の通説になっており、実際インドヨーロッパ語を話すほとんどの地域でヤムナ属のゲノムの流入が認められるからだ。

アナトリアも、ヒッタイト語などインドヨーロッパ語を話していたことがわかっている。にもかかわらず、ヤムナ民族との交雑の痕跡がほとんど存在しないとすると、ヤムナ民族の流入がそれぞれの地域にインドヨーロッパ語を伝えたという説は崩れる。

この論文でも引用しているが、1926年イエール大学の Sturtevant は、Indo-Hittite 仮説、すなわちインドヨーロッパ語と、ヒッタイト語は、同じ先祖から分岐し、その後独立して発展したという仮説を提案している。この説は現在では少数派になっているが、Lazaridis らは、アナトリア民族にヤムナ民族ゲノムがほとんど存在しないという事実から、Sturtevant の説が正しい可能性を示唆している。

研究の詳細はジャーナルクラブで解説するとして、ゲノムの流れから、新石器時代インド・ヨーロッパ・アナトリア語の起源となる言語を話していた民族が、一部は北に移動し、今のウクライナステップの民族と交雑してヤムナ民族を形成する。一方、一部は東に移動し、アナトリア民族を形成する。この移動により、インド・ヨーロッパ・アナトリア起源語は、インドヨーロッパ語と、アナトリア語に分岐し独自の発展を遂げる。

一方、起源言語を話していたコーカサス地方は、その後ヤムナ民族の侵入により、ゲノムと言語の変化を遂げるが、アナトリアではヤムナ民族の侵入がなく、独自の言語と文化を発達させたというシナリオだ。

このヤムナ民族がコーカサスを越えなかったというシナリオを解く一つの鍵は、昨日紹介した論文で少し触れたウラルトゥ王国で、この地域にインドヨーロッパ語には属さない日本語と同じ膠着語のフリル・ウラルトゥ言語が残っていたことから、これをボーダーとしてアナトリアへのヤムナ民族の侵入が防がれた可能性を示している。

いずれにせよ、現在のアルメニア、アゼルバイジャン地方の古代ゲノム解析が最も重要な課題として浮かび上がった面白い論文だ。

しかし、読んでいるとゲノムだけでなく、言語学についても深い議論がされており、人間を理解するためには、文理融合などと言ったかけ声ではなく、人間の新しい科学が必要で、しかも着々と進展していることが実感できる。

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