カテゴリ:活動記録
笹井さんの死
2014年8月5日
ヨーロッパ旅行中に笹井さんの自死を電話で知った。今回の問題についての様々な意見を聞いていると、笹井さんが活躍していた生命科学領域の科学者コミュニティーは、科学者間の連帯が欠如し、むき出しの競争だけがある格差社会へと変貌していたようだ。勿論笹井さんも、そして私自身もこの様な格差社会成立に手を貸した一人だろう。しかしついにこの格差社会が牙を剥いた。連帯感がある時人は死なない。今この研究者社会を担っている世代に対して言葉はないが、若い世代の研究者は、競争はしても連帯感が損なわれない新しい研究者コミュニティーを目指して欲しい。
(マスメディアの方々へ:いつものことですが、取材には応じることはありません)
8月5日:ガン化に関わる遺伝子調節領域変異とガン体質(Natureオンライン版掲載論文)
2014年8月5日
がん研究紹介第二弾はスイスのジュネーブ大学からの研究を紹介する。ガンの全ゲノム塩基配列が解読できるようになっても、これまで研究の中心はタンパク質へと翻訳されるエクソームに集中していた。しかし先日米女優が乳房除去術を決断したことで話題になったBRCA1突然変異の様に、ガン増殖に直接関わる分子の変異を生まれついて持っていることはまれで、ガンが発生する過程で蓄積してくるのが普通だ。とは言っても、遺伝的なガン体質があることも様々な疫学的調査から確認されている。ではこのガン傾向は何に起因するのか?
私たちのゲノムのうちタンパク質に翻訳されるエクソームは、全体の1.5%に満たない。従って、ガン体質と考えられるかなりの部分はタンパク質に翻訳されない場所の多型が大きく寄与すると予想される。この点を明らかにしようとしたのが今日紹介する論文で、Natureオンライン版に掲載された。タイトルは「Putative cis-regulatory drivers in colorectal cancer(大腸・直腸がんで働く遺伝子調節に関わるドライバー遺伝子)」だ。研究では、正常腸上皮が大腸ガンへ変わる時に大きく発現の変化する遺伝子をリストし、その発現調節領域を様々な角度から調べている。ガンが起こる時片方の染色体で遺伝子の重複や欠失起こることが知られているが、この場合同じ遺伝子の発現量が染色体間で違ってくることが予想される。実際、片方の染色体に存在する遺伝子の発現が選択的に変化しているケースがガン細胞で多い。また直腸がんでの上昇が報告されている遺伝子でより強くこの現象が見られる。ではこの変化は、全てガン化の過程で新たに蓄積して来たのか?この点を確かめるため、この様な染色体間での発現の差が大きい遺伝子を71種類リストしてその調節領域を更に詳しく解析し、1)これらの遺伝子の多くが、直腸がん発生との関連が示された遺伝子であること、2)しかしこの差はガン化に伴う遺伝子コピー数の変化が原因でないこと、3)ガン化の過程で蓄積する調節領域の変異がガンの発生に重要であること、4)驚くことに、ガンの発生に関わる調節領域の変異のかなりの部分が、同じ患者の正常細胞にも見られること、を明らかにしている。遺伝子発現調節領域の変異によりガンが発生することは予想されていたが、ガンに特異的と思われていた調節領域の多型の相当数が患者さんの正常細胞でも見られることは、この多型こそがガン体質に大きく貢献している可能性を示唆している。今後、このようなガンと正常細胞に共通に見られる遺伝子発現調節領域の多型のリストが進むと、いわゆるガン体質を科学的に評価することが可能になると期待できる。しかし患者さんの立場から考えると、遺伝子発現調節領域の多型としてガン体質がわかったとしても、生活に気をつける以外に対策がないことも事実だ。何か対策のヒントを提供する研究も誰か考えて欲しい。
カテゴリ:論文ウォッチ
8月4日:一個の細胞があれば全ゲノム塩基配列を解読できる(Nature誌オンライン版掲載論文)
2014年8月4日
先月Nature誌に掲載された幾つかの論文から、ガンのゲノム研究分野が基礎研究としても大きな拡がりを見せていることを窺い知ることが出来たので、ここで順次紹介したいと思っている。今日第一弾として紹介するのは、テキサス大学MDアンダーソンがん研究所からの論文で、単一のがん細胞の全ゲノム解析を可能にする方法の開発と。それを用いたガン集団の多様性を示した研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Clonal evolution in breast cancer revealed by single nucleus genome sequencing (単一核ゲノムシークエンスによって明らかになる乳がんクローンの進化)」だ。そもそも30億塩基対という膨大な数の核酸を持っている私たちの細胞が一回分裂すると、2個の娘細胞のゲノムはすでに核酸レベルで違っている。この多様性は、ガンを薬剤で治療するときの最大の問題だ。せっかく薬が効いても、時間がたつと抵抗力のある細胞が出てくる。これは細胞分裂ごとにガン細胞のゲノムが多様化することが原因ではないかと考えられている。しかしガン細胞の集団から集めたDNA配列は常に多数派が反映されるため、多様性を担う少数派は切り捨てられる。従って、ガン集団の多様性を調べるためには、個別の細胞のゲノムを調べ比べる必要がある。この要請に応えたのがこの研究で、これまでの方法を改良し、単一細胞の全ゲノム配列解読するための方法を開発した。そしてこの方法を使って、乳ガン細胞集団の中に理論的に予想されるのとほぼ同じ程度の多様性が存在することを示すのに成功している。新しい方法の一つのポイントは、細胞全体からDNAを抽出する代わりに、核だけをセルソーターと言う機器を使って集める点だ。これにより細胞がDNA複製を終えた直後の核を採取して、普通の核と比べて2倍量のDNAを一つの核から得ることで、全ゲノムを採取する確率を上げている。詳細は省くが、それ以外にも様々な改良が加えられており、培養細胞株を用いたモデル実験から、確かに全ゲノム配列を高い信頼性で解読できる方法であることを高らかに唄っている。誰でもすぐに追試できるというわけではないだろうが、ガンの多様性を調べる方法論は整った。論文ではこの方法を用いてエストロゲン受容体、プロゲステロン受容体陽性、 Her2陰性乳がんと、全て陰性のトリプルネガティブ乳がんの多様性を調べている。核をセルソーターで採取する特徴を生かし、染色体数が増える異数性と呼ばれる大きな変化と多様性との関係も調べている。詳細は省くが、期待通りこの方法を使えば、一つ一つの細胞の間の違いを特定することが出来る。1)各細胞共通に見られる変異、2)一部のグループだけで見られる変異、そして3)各細胞個別の変異、それぞれの分布パターンを解析することで、ガンの発生から、特定の多様性を有するがん細胞が優勢になって行く進化の過程を追跡できることがわかる。ガンの多様性の実体を把握できることで、今後、抗がん剤の効果や耐性の獲得に関わる理解は大きく進展するだろう。この研究で調べられた乳がんについて言うと、トリプルネガティブ乳がんは、エストロジェン受容体陽性乳がんと比べ、異数性など大きな染色体異常を来す率が高い。更にこの様な異数性を示すがん細胞は、単一の共通祖先をに由来している。即ち、異数性のような大きな変化が、ガン細胞の増殖優位性獲得の背景にあることがわかる。勿論この結果から、なぜトリプルネガティブ乳がんの予後が悪いかすぐ理解できるわけではない。しかし示されたデータは美しく、今後転移、薬剤耐性の獲得などの悪性度データと関連づけて行くことで新しい理解が進む気がする。これまで紹介して来た血中に流れるガン細胞採取との相性もいい優れた技術が開発されたと思う。少なくとも乳がんに関しては、基礎も臨床もヒトのガン細胞を用いて最高レベルの研究が行える時代が来たことを実感する。
カテゴリ:論文ウォッチ
8月3日:献血によるE型肝炎ウィルス感染リスク(The Lancetオンライン版論文)
2014年8月3日
E型肝炎ビールスと言ってもおそらく一般の方には聞き慣れない名前だろう。単独でヒト肝炎の原因になるウィルスは、よく知られているA,B,Cに加えて、このE型が存在する。感染しても発病することは少なく、外国で感染するまれな病気としてあまり深刻に考えられて来なかった。しかし21世紀になり疫学調査が進むと想像以上にこのウィルスが拡がっていることが明らかになって来た。イギリスでは、食物が原因の肝炎の一番多いタイプになっているらしい。また、英国の調査で高齢者の2割以上が感染を経験していることもわかった。我が国でも先週7月30日に生の鹿肉を食べてE型肝炎を発症した大分県の患者の記事が読売新聞に出ていたが、同じ記事は2005年以降我が国で626人の届け出があったことを報じている。ウィルスの拡がりが確認されると次に最も懸念されるのが、輸血や血液製剤からE型に感染するリスクだ。今日紹介する英国NHS輸血・移植部門からの論文は、準備した成分輸血用の製品がどの程度E型に汚染されているのか、またこの様な製品を通して起こる感染はどのような頻度で起こり、深刻な問題になるのかについて調べた研究で、The Lancet誌オンライン版に掲載された。タイトルは「Hepatitis E virus in blood components: a prevalence and transmission study in southeast England (血液成分に混入するE型肝炎ウィルス:南西イングランドでの拡がりと感染率についての研究)」だ。研究では2012年秋から1年採取された約22万の献血サンプルについてウィルス感染をPCR検査で調べ、発見された場合その血液成分の投与を受けた患者さんを特定し、輸血後の経過を追跡している。結果をまとめると以下のようになる。1)225000回の献血サンプルのうち、79サンプルがウィルスで汚染されていた。計算上約2500回の献血のうち1回汚染リスクがある。2)ウィルスが検出された献血の7割は抗体陰性で、おそらく感染後時間がたっていないと考えられる。3)この79サンプルから、129の成分輸血製品が作られ、この製品の投与を受けた60人の患者さんのうち、その後の追跡調査ができた。4)このウィルスの感染性は高く、43人中18人の患者さんで感染の証拠が確認された。抗体陰性でウィルスの値が高い製品ほど感染力が高い。5)移植やガンなど免疫抑制両方を受けている患者さんに投与した場合、抗体反応が遅れるためウィルス血症が長引き、調査対象のうち3人のレシピエントで抗ウィルス薬投与が必要になった。6)10人で感染が慢性化したが、肝炎の発病は1例にとどまった。予想以上に感染の拡がりがあることはわかったが、では他の肝炎ウィルスのように、献血時スクリーニングの対象にするかどうかに関しては、発病が1例で、治療可能と言う結果を見ると必要ないと考えているようだ。おそらくNHS傘下の研究所であることを考えると、これが英国政府の方針になるだろう。私も決断する立場ならこの結論を支持するだろう。勿論E型でも劇症肝炎になるリスクはある。それを知った上で、リスク、コスト、ベネフィットのバランスの上に政策を決めなければならない。しかしもし疫学調査でこの程度のリスクが計算され公表された時、我が国のマスメディアはスクリーニング必要なしとする結論をどこまで支持できるのか疑問だ。おそらくこの状況に対して最も重要な政策は、生肉などの感染の危険がある食品を避けて、感染者自体の数を減らすことだろう。
カテゴリ:論文ウォッチ
8月2日:博物学とギネスブック(PlosOne7月号掲載論文)
2014年8月2日
少し忙しい日が続いたので軽い夏休み向け話題を取り上げる。一種、博物学の話と言ってよく、ギネスブックにでも登録したい様なタイトルの付いた論文だ。7月号PlosOneに掲載されたモントレー水族館に付設されている研究所からの論文だ。研究費の出所を見ても全てモントレー水族館から出ている。さてタイトルだが驚くなかれ「Deep-sea octopus (Graneledone boreopacifica) conducts the longest-known egg-brooding period of any animal (深海ダコ, Graneledone boreopacifica,はこれまで知られている動物の中で最も長く卵を抱き続ける)」だ。「最も長く」で、気持ちがこもっている。勿論専門ではないので著者達を知らないが、このグループはタコやタコの産卵を研究していたようだ。1982年にモントレー湾海底洞窟内、深海1397mにある、岩盤が海底に直接露出している地域を遠隔操作の深海艇で調査した時、タコの卵を見つけた。個々が産卵場所かもしれないと定期的に調べていたようだが、2007年ついに産みつけられた卵と一匹の(タコの数え方はこれでいいのか?)タコに巡り会う。同じタコかどうか見分けるための特徴的傷を確認した後、4年半にわたって同じタコと卵を観察し続ける。そして、2011年10月、ついに孵化した卵を発見するが、9月にはまだ孵化前であることを確認している。孵化前に観察したときは常に同じタコが卵のそばに存在していることが確認されている。従って少なくとも53ヶ月タコは卵を抱いていたはずだと言うのが結論だ。結果はこれだけだが、孵化や出産前の胎児が母親に守られていることが確認された最も長い記録が、山岳にすむトカゲの48ヶ月であるらしく、今回の結果は世界一だと高らかに宣言している。一つ物知りになった。一つにとどまらない。この種のタコは孵化する時には形態形成が終わっていることも学んだし、サメの一種ラブカが42ヶ月幼児を体内に抱えていることも学んだ。しかし新しい疑問もわいてくる。この間どうして食べ物を採っていたのか今度は定置カメラで見てみたい。モントレー水族館もそんな定置カメラ画像をいつでも観客が見られるようにするのも重要だろう。勿論5年近く映像を深海から送り続けることが出来るカメラがあるのかわからない。最後に最も知りたいのは、53ヶ月にわたって卵を抱き続けるタコ自身がどの位の寿命を持っているのか?是非観察を続けて欲しい。
カテゴリ:論文ウォッチ
8月1日:KRAS阻害剤(6月17日アメリカアカデミー紀要掲載論文)
2014年8月1日
おそらく今世界中が待ち望んでいる薬剤が、rasという分子に対する標的薬だろう。rasにはK-rasとH-rasがあるが、細胞外からのシグナルを細胞内シグナルへと変換する回路の核になる分子だ。約30%のがんで変異が存在し、この変異がガンの増殖に関わっていることがわかっている。もし変異RASに特異的に効く薬剤が開発できたら、これまでの薬剤とは比較にならない位多くのがん患者さんに利用できるはずだ。しかしこの分子の活性を調節するGTP分子の細胞内濃度は高く、多くの化合物の中から分子阻害剤をスクリーニングするという従来の方法はまだ成功していない。多くの製薬会社も阻害剤発見にチャレンジしたはずだが、ほとんどが中止に追い込まれているのではないだろうか。勿論あきらめずに分子構造を手がかりに阻害剤の探索は続いている。我が国では神戸大の片岡さん達のグループが昨年アメリカアカデミー紀要にH-rasの分子構造から設計した阻害剤を報告している(PNAS110,8182,2013)。ただ最近になってK-ras変異の一つ、G12C(12番目のグリシンがシステイン変わった突然変異)の変異部位に共有結合して不可逆的に分子を不活性にする新しい化合物の開発がアメリカの大学から発表された。一報はカリフォルニア大学サンフランシスコ校からでNature(503,548、2013)に掲載された。もう一報はテキサス大学からでAngewante Chemie(53,199,2014)に掲載されている。それぞれ変異部分に結合する阻害剤だが、分子全体との結合の様相はずいぶん違っている。最初論文を見た時、期待は持てるがまだまだ時間はかかる印象を持った。今日紹介する論文はテキサス大学からの続報で、阻害剤と分子の相互作用をより詳しく調べている。6月17日号のアメリカアカデミー紀要に掲載され、タイトルは「In situ selectivity profiling and crystal structure of SML-8-73-1, an active site inhibitor of oncogenic K-ras G12C(発がん性K-ras G12C活性化部位阻害剤SML-8-73-1の分子選択性と結晶構造)」だ。少し古い論文だが、ガン治療に最も期待されるrasに対しても研究が続いていることを伝える意味で紹介する。この研究では、SMLと名前のついた阻害剤と、G12C変異ras分子の結合を、蛋白結晶解析で詳しく調べている。その結果、SMLがrasの活性化の最重要部位GDP結合部位にしっかり食い込んで、しかも12番目のシステインと化学結合して離れなくなることで、シグナルを変換する能力が失われることが明らかとなった。更にこの変異分子に対する特異性も高く、治療薬としての可能性も高い。ただ残念ながら分子の性質から細胞膜を通過することが出来ない。従って、今のところは膜を通過するための分子にくるんで使うしかなく、まだまだ改良が必要だ。理研の創薬チームのお手伝いをしていたとき、プロの手にかかると阻害分子も生まれ変わらせる可能性があることを学んだ。その意味で、このタイプの阻害剤が更に使い易い薬に生まれ変わることを期待したいと思っている。繰り返すが、rasに対する標的薬はこれからのガン治療の重要なゴールだ。G12C変異だけでも、アメリカのがん患者さん25000人に利用できると言う。片岡さんの研究も含め、人知を駆使して立ち向かおうという研究が始まったことを感じる。頑張って欲しい。
カテゴリ:論文ウォッチ
7月31日:悪液質と褐色脂肪細胞化(Cell Metabolismオンライン版(9月号掲載予定)論文)
2014年7月31日
今日は恐ろしい話だ。ガンも末期になると悪液質と呼ばれる状態に移行する。悪液質が始まると、脂肪組織や筋肉の萎縮が進み、体中のエネルギーが消失し、文字通り骨と皮になり手のほどこしようが無くなる。「ガンが栄養を奪い、食事がとれなくなれば当然だろう」と考えてしまうが、実際には身体全体のバランスが大きく変化し、悪循環に陥ったためと考えられる。今日紹介する論文は、悪液質と言う悪循環の背景に、通常の脂肪組織から褐色脂肪組織への急速な移行があることを示したスペイン国立がんセンターの研究だ。タイトルは「A switch from white to brown fat increases energy expenditure in cancer-associated cahexia (ガンに伴う悪液質には白色脂肪から褐色脂肪のスウィッチによるエネルギー浪費が関わる)」で、9月発行予定のCell Metabolismに掲載された。このグループは、がん細胞を移植されて悪液質に陥ったマウスの体中の白色脂肪組織が褐色脂肪組織に変化することに気づき、これがガンの悪液質の元ではないかと考えた。ガン移植後の様々な時期に脂肪組織を調べてみると、褐色脂肪組織化は早期から始まっている。そして、脂肪組織にUCP1と呼ばれる分子が発現し、ミトコンドリア内でエネルギーを熱に変えてしまうことがわかった。となると、脂肪の燃焼が熱だけに変わり、身体を支える方向に使われない。結果悪循環が始まる。このスウィッチの原因が全身性の炎症にあるのではと疑い、IL6などの炎症性サイトカインが上がっているか調べた所、確かに悪液質のマウスはもとより、実際の患者さんでもIL6が高い。更に、この分子が抑制されたマウスでは、UCP1分子の発現や褐色脂肪組織化が押さえられ、ガンが進んでも体重が落ちないことがわかった。IL6だけが炎症原因ではないが、もし炎症を止められると悪液質の治療が可能だ。他にも炎症によって引き起こされたと考えられる自律神経の興奮を抑制しても、UPC1上昇と褐色脂肪組織化が抑制されることから、悪液質に対する様々な治療可能性が示された。以上のことから、悪液質は慢性炎症と自律神経のアンバランスによって引き起こされる身体の状態で、治療可能であると結論している。この研究は勿論全てマウスモデルで行われている。ただ、悪液質の人を調べると明らかに褐色脂肪組織化が起こっており、以前の研究でIL6を抑制すると悪液質の症状が軽減されることが示されているようだ。とすると、進行がんの患者さんでも活力を取り戻すことが可能かもしれない。褐色脂肪組織はメタボの人にとっては今やあこがれの組織になっている。脂肪を燃やして熱に換え逃がしてしまう。うまい話だ。しかし悪液質と褐色脂肪組織の関係を知ると、身体のホメオスタシスを維持する仕組みを一つの目的だけから考える危険性がよくわかる。いずれにせよ悪液質の治療は是非実現して欲しい。
カテゴリ:論文ウォッチ
7月30日:毎日記録し続ける科学(Genome Biologyオンライン版掲載論文)
2014年7月30日
今腸内細菌叢研究はトレンドになっている。理由の一つは、次世代シークエンサーのおかげで常在している細菌の種類やその比率を簡単に調べることが出来るようになったことが大きい。一昔前は腸内細菌叢の検査と言うと、先ず細菌を培養して、現れるコロニーの性質を調べて細菌の種類を特定する必要があった。これはかなり専門的な検査で、気軽に行える研究ではなかった。そこに次世代シークエンサーが現れて、多くの細菌のゲノムが解読された。この結果、小さな遺伝子断片があればどの細菌がどの位の比率で存在するのかを調べることが可能になった。必要ならどの研究室でも腸内細菌叢の研究が可能になったわけだ。口内や腸内の細菌叢は私たちの食生活の影響を最も受けている。新しい方法で腸内細菌叢を調べ始めると、思いもかけないことが続々明らかになっているのが現状だ。トップジャーナルに掲載されるこの関係の論文も増えていることは間違いない。ただこれまで紹介した論文は、生活習慣病などとの関係に絞って調べた研究が多かった。今日紹介する論文はこれとは全く異なる大変な研究だ。1年365日毎日毎日便や唾液を採取してそこに住む細菌の種類を調べ、その結果を分析した研究だ。実験する研究者も大変だろうが、毎日サンプルを採取する被験者になった人達も大変だ。マサチューセッツ工科大学からの論文で、Genome Biologyに掲載されている。タイトルは、「Host lifestyle affects human microbiota on daily timescales(宿主のライフスタイルは日々体内の細菌叢に影響している)」だ。研究は簡単だ。毎日採取される便と唾液サンプルからDNAを抽出し、生物の系統関係を知るために使われる16SリボゾームRNA配列を次世代シークエンサーで調べる。勿論日々の体調や病気については全て記録する。ただそれが1年にわたって続くので、データの示し方が難しい。10万サンプルの解析を行ったとあるので、そんなきとくな人を数多く調べたと思うが、論文では2人の経過が紹介されている。それでも示されるデータは正直わかりにくい。間違った解釈をしていないか心配だが、そこを独断でまとめると次のようになる。便や唾液の細菌叢は決まった生活をしていると、全体的には何ヶ月もにわたって結構安定している。アメリカ東部の話だろうが、あまり季節の変化もない。ただ、一つ一つの細菌を仔細に見ると、勢力争いが毎日起こっているのもわかる。この勢力交代はなんと1日単位で起こる。この様な変化に最も影響するのが、前の日に食べた食物繊維の量で、15%の細菌種の勢力に影響している。面白いのは、環境が変わると細菌叢はテキメンに変化する。被験者の一人は研究中に1ヶ月以上の旅行に出かけるが、生活圏の変化はすぐに腸内細菌勢力図の変化につながる。ただ、この変化は家に帰り落ち着いた生活を送るようになると2週間程度で元にもどる。もう一人の被験者はサルモネラの食中毒にかかる。勿論大きな腸内細菌勢力図の変化が起こる。それまで半分を占めていた細菌群が1%以下に落ち、普通なら少数勢力が65%を占めるまでになる。問題は、病気から回復してもこの状態が3ヶ月も続くことだ。この変化が身体にどのような影響があったのか、分析が待たれる。図は理解しにくい論文だったが、腸内細菌叢が確かに毎日の生活のバロメーターになっていることを実感する納得の論文だ。今後10万サンプルの結果に拡大して新しい論文がまとめられると期待できる。ビッグデータは便の中にも転がっている。21世紀はゲノムレベルで一人一人が記録し続けられる世紀になる予感がする。我が国のヨーグルトや乳酸飲料メーカーもこれまで腸内細菌叢の研究を進めて来ていることは聞いているが、この位徹底した研究が行われているのだろうか?実際よく売れている商品では1年に1000億近く売り上げている。利益の一部をマーケティングだけでなく、徹底した科学データ採取に使うことも重要だと思うがどうだろうか?
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7月29日:ground state (Cell Stem Cellオンライン版掲載論文)
2014年7月29日
ES細胞もiPS細胞も多能性細胞として分類しているが、本当は培養する人によって状態がバラバラであることが普通だ。言い換えると、同じ名前で呼んでいても自分と他の人が同じ細胞を見ているのか本当はわからない。しかしこの状態が続くのは、再現性を尊ぶ科学にとっては致命的だ。この問題を解決しようとしたのがケンブリッジのAustin Smithで、マウスES細胞を2つの分子阻害剤で培養する画期的な方法(2i法)を開発し、誰でもが同じ状態のES細胞を扱えるようにし、これを多能性細胞のground stateと呼んだ。この概念は、細胞のエピジェネティックな状態が最終的には細胞が置かれた環境によって決まることを示し、ground stateを実現する培養法の開発が、iPS発見に続く重要な課題であることを示した点で大きな意味を持つ。私はドレスデンでこの話を初めて聞いたが、バラバラの状態のiPSが培養条件だけで一つの状態に揃うと言う話を聞いて大変感激した。しかし同じground stateをヒトで実現することはまだうまく行っていない。今日紹介するボストンMITからの論文はヒトES細胞でground stateを実現する培養条件を系統的に調べた研究で、Cell Stem Cellオンライン版(10月号に掲載される予定)に掲載された。タイトルは「Systemic identification of culture conditions for induction and maintenance of naïve human pluripotency(ナイーブなヒト多能性を誘導維持するための培養条件の系統的探索)」だ。実はこの論文の著者Rudolf Jaenischこそがヒトでground state実現のために先鞭を付けた研究を発表している。ただマウスと比べるまだまだ不完全であることがわかっていたので、ground stateを実現したとは言えないし、彼自身も言っていなかった。その後、彼の弟子を含む数グループがヒトのナイーブな多能性を誘導する培養条件を相次いで論文発表している。この若い研究者の動きをゆっくり見ていた老研究者が、一つの手本を示した様に見えるのが今回の論文だ。この論文のポイントは、これまで多能性を定義するために利用していたOct4遺伝子の発現調節部位を、最も未熟な時に発現する部位と、少し分化してから発現する場所に分けて、本当の未熟段階を定義出来るようにした点にある。こうすることで、ground stateに近い段階の細胞では発現が見られるが、少しでも分化すると発現が消えるマーカーを使って培養条件の探索が可能になった。長い話は全て省くが、この結果、5種類の分子阻害剤と、2種類の細胞増殖因子を(LIF,Activin)を加えることで、このマーカーが発現するだけでなく、マウスで定義されたground stateにかなり近い状態が実現できることがわかった。ただ、マウスの場合、増殖に支持細胞は必要ないが、この研究ではまだ支持細胞を用いており、完全なground stateと言う所までは来ていない。ただ驚いたことに、新しい標識法を用いると、これまで報告された培養方法では全くマーカーの発現が見られないことだ。またJaenisch等が今回特定した阻害剤や増殖因子を用いても、ES細胞培養によく用いられるKSRと言う添加剤を加えると全くマーカーの発現が無くなる。最後に、このホームページでも紹介したが、Jaenischの弟子Hanna等が用いたマウス胚盤胞へ移植してキメラ作成を見る方法も試み、この方法が全く用をなさないと弟子を切り捨てている。勿論、他人に厳しいだけでなく、多能性に関して自分たちが提案して来た概念も間違っている点ははっきり認めて今回の論文が書かれている。山中iPSの報告でショックを受け、その後Smithのground stateにおそらく強く動かされたJaenischは、ヒトground state実現こそがこの分野の次のキーポイントだと狙いを定め着実に進んでいることを実感する。Ground state概念の本家本元Smith研究室でも高島さんがこの課題に取り組んでいる。幸い、条件は少し違っているので論文として日の目を見るだろう。しかしヒトiPSのground state実現へ向けた我が国の取り組みは遅れている印象がある。発生も、成長も、リプログラムも全てエピジェネティックな過程だ。そして私たちの身体の中でこのエピジェネティックな状態を一定の状態に整えているのが細胞の置かれた環境だ。この当たり前の事実を頭に叩き込んで、iPS研究を推進して欲しい。
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7月28日:コモンマーモセットのゲノム(Nature Geneticsオンライン版掲載論文)
2014年7月28日
毎週のように新しい動植物の全ゲノム解析の論文が掲載される。最近では私が顧問をしている生命誌研究館の研究者が材料として使っているクモやナナフシ、更にはイチヂクコバチに至るまでゲノムが明らかになって行く。驚くのはそれぞれの論文が、個々の生物に応じたシナリオを提供出来ていることだ。言い換えるとゲノムから覗くストーリーはとても面白い。今日紹介する論文は、旧世界ザルの代表コモンマーモセットのゲノムを調べる目的で集まった国際コンソーシアムの研究でNature Geneticsオンライン版に掲載された。タイトルは「The common marmoset genome provides insight into primate biology and evolution (コモンマーモセットのゲノムはサルの生物学と進化についての真相を教えてくれる)」だ。コモンマーモセットは20センチ足らずの身長と、生殖サイクルが短いことから実験動物化が進んでおり、我が国でも実験動物中央研究所で生産が行われている。そのせいか、私にとっても実験動物としてのイメージが強く、生態等についてはほとんど知らなかった。この論文からこれまで知らなかった多くのことを学ぶことが出来た。さてマーモセットのゲノムは22、6億塩基対、22000個の遺伝子を持つが、サルにだけ見られる多くの領域が存在しており、マウスやラット等のげっ歯類からサルが分岐した9000万年前からの進化過程研究には重要なデータを提供することは間違いがない。私も知らなかったが、マーモセットは、1)群れの中で一組のつがいだけが妊娠し、他の生殖は抑制されていること、2)ほぼ全ての妊娠が2卵生双生児であると言う不思議な生殖過程の特徴を持っている。この特徴を念頭に置いてゲノムを見たとき最も面白いのが、マーモセットに特有のマイクロRNA(miRNA)が22番染色体と、X染色体に数多く見つかることだ。miRNAはmRNAから蛋白への転写を調節する、蛋白をコードしていない調節性RNAだ。しかもマーモセット特異的miRNAは胎盤に発現している。miRNAが一つの遺伝子ではなく、複数のセットの遺伝子の発現量を抑制的に調節する機能を持つことを考えると、サルへの進化、及び2卵生双生児を妊娠すると言う特徴と、胎盤に強く発現するmiRNAの関連は今後の面白いテーマになる。2卵生双生児について面白い発見は、WFIKKN1と呼ばれる、分泌型のタンパク質分解酵素の特定の多型で、マーモセットでも双子を妊娠しない種ではこの多型がヒトと同じになっていることから、双子妊娠に深く関わることは間違いがない。他にも、マーモセットは大きなサルから進化の過程で小さくなったことが推定されているが、人間の伸長決定にも関わっていることがはっきりしているIGFR-1分子を中心にマーモセット特異的多型が集まっている。人間でもピグミーやマサイ族など伸長に関わる多型の解析が進んでいることを考えると、マーモセットも伸長を決める遺伝因子の解析に大きく貢献すると期待される。他にも免疫や血液発生にとっても面白い結果が示唆されているが、紹介はこれで十分だろう。ゲノム解明は新しい研究への第一歩だ。それぞれの種のゲノムが解明されることで、ゲノム研究に直接関わるかどうかを問わず、ゲノムを知らなかったときとは異なる質の研究が進められる。21世紀の幕開けにヒトゲノム計画終了の記者会見があったが、今から考えると確かに21世紀がゲノムの世紀になることを予見させるイベントだった。そう考えると、遺伝子発現やESTではマーモセット研究に貢献して来た我が国も、今回のゲノムコンソーシアムでは影も見えないのが残念だ。繰り返すが、日本はゲノム研究で大きく遅れた印象を禁じ得ない。
カテゴリ:論文ウォッチ