以前ポルトガル・グルベキアン研究所が組織していた大学院コースで集中講義を頼まれた話を紹介したが、その週の朝の講義を担当していたのが、発生学の教科書「Principles of development」で有名なLewis Wolpertだった。いい機会だと私も学生に混じって5日間の講義を全て聞いたが、学生を惹きつける講義法に感心した。中でも初日と最終日の講義が印象に残っている。最終日は科学と政治の話で、コンラート・ローレンツがナチスに協力したことを題材に、科学者が大衆に迎合することで、逆に大衆を扇動してしまう危険性を説いていた。一方初日は、講義冒頭に「発生に必要なシグナルは5種類しかない」と話し始めて、参加した学生の「そんなはずはない」という反論を促し、その反論に答える形で講義を進めていた。批判力を強め、総合的な人間の魅力を高める以外にいい講義はできないことを学んだ素晴らしい経験だった。前置きが長くなったが、今日紹介するTomasettiとVogelsteinが1月2日号のScience誌に発表した論文を読んで、同じような思いが蘇ってきた。タイトルは「Variation in cancer risk among tissues can be explained by the number of stem cell divisions(ガン発生リスクの組織差は幹細胞分裂の数で説明できる)」だ。著者の一人Vogelsteinは言うまでもなく、発ガンの多段解説で有名なガン遺伝学の大御所で、医科研の中村さんのAPC遺伝子の発見論文の共著者にもなっている。研究というより、一つの考え方を提案した論文で、「なぜ組織ごとにガンのリスクは異なっているのか?」を問題にしている。わかりやすく言うと、なぜ直腸・大腸ガンはガン全体の5%に達するのに、小腸ガンは0.2%にしかならないのかという問いだ。ガンのゲノムが明らかになってくると、変異を起こしている遺伝子の種類は似ているのにこのような差が生まれていることがわかる。この問いに対して、Vogelsteinは極めて単純な可能性を提案する。すなわち、各組織の幹細胞の数とその分裂回数を乗じた全幹細胞分裂数が各組織の癌リスクを反映するという仮説だ。そして様々な資料を探し出して、例えば直腸・大腸の幹細胞分裂数を1兆回、小腸の幹細胞分裂数を三千億回と計算して、各ガンの生涯リスクとプロットして、確かに癌リスクと幹細胞分裂数が相関していることを示している。こういう単純な仮説を出されると、「Vogelstein先生らしくもない、それはあまりに単純でしょう。」と反論したくなる。そんな反論は百も承知で、今度は全幹細胞分裂回数と、実際のガンの生涯リスクの対数を単純に乗じただけのExtra Risk Scoreを指標としてガンを並べると、直腸がん、基底細胞癌、肺がん、ウィルス性ガンなどの指標が高スコアのガンから、膵臓癌、小腸ガン、十二指腸癌などの低スコアのガンまで並ぶ。そして、高スコアのガンは、分裂回数に環境などの要素が加わっていることを示しており、予防可能だと結論する。実際、直腸がん、肺がん、C型肝炎による肝がんなど、すでに一定の予防が可能なことがわかっている。一方、膵臓癌、小腸ガンのリスクは幹細胞分裂回数と密接に関わるため、予防より早期診断しかないとしている。話はこれだけで、ガンの専門家ならこんな当たり前のことを論文にしてと怒るかもしれない。しかし、同じような論文がこれまでなかったとすると(検証していない)、1)当たり前のことを疑問に思う、2)単純に物を考えてみる、そして3)一般的に物を考えることの重要性を示して見せた点でなるほどVogelstein先生だと納得する。おそらく、ガンのゲノム研究が個別の問題を扱いすぎることに対する、大御所からの皮肉を込めたメッセージであるような気がする。
1月4日:ガン発生リスクの組織差:思い切った仮説を元に考えてみる(1月2日号Science誌掲載論文)
2015年1月4日
カテゴリ:論文ウォッチ